あまりありふれていない役者で世界逆行   作:田吾作Bが現れた

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皆様のおかげで遂にUA31000オーバー、お気に入り件数も369件にまで増加しました(2021/7/9 19:40現在)。毎度毎度拙作を見てくださる皆様には頭が上がりません。本当にありがとうございます。

そしてAitoyukiさん、拙作を評価していただきありがとうございました。こうして評価していただけるのは本当に励みになります。

今回ちょっと駆け足な展開になりましたがご容赦していただければ幸いです。あと劇中のコーデに違和感を感じましたら、読者の皆様の脳内で適切なものに変換していただけたら助かります。では遅くなりましたが本編をどうぞ。


十七話 少女は目覚め、ようやく歩き出す

「――で、半径6メートル、高さ8メートルの円柱の体積を求めるには? はい、岩田」

 

 五月。新たな年を迎え、新緑がまぶしい季節ではあったが、何の気なしに外を眺めている恵里には世界が全てがくすんでいるように見えた。

 

「えっと、底面積×高さなんで半径×半径×3.14に高さをかけます。なので――」

 

 ある出来事のせいでここ最近は授業の方も中々身に入らず、今日もまた上の空である。どうにか授業に集中しようとしてもモチベーションが下がる理由がちらついてばかりでろくに板書も進まない状況であった。

 

「うん、正解だ。ではこの円錐を求めるには?……中村、解いてみろ」

 

「――え? あ、は、はい! え、えっと……」

 

 とはいえまだため込んでいた知識がある分、問題を振られても国語以外はそれでどうにか対処は出来ていた。そのため不真面目さを理由に呼び出されたことは今のところはない。

 

「――で、そこに高さの7メートルをかけて、それに1/3をかければいいので、答えは263.76立方メートルになります」

 

「……よろしい」

 

 今回もいきなり問題を振られてもすぐに計算し、どうにかそれを答えることが出来た。そんな恵里に納得いかない様子を見せつつも先生も引き下がり、恵里もバレないよう短くため息を吐く。それからは板書しようとするも結局授業は身に入ることはなく、そのまま終了を知らせるチャイムが響く。

 

「……ハジメくん」

 

 物憂げな表情でつぶやいた言葉は誰にも届くことなく消えていった。

 

 

 

 

 

 恵里がこうなってしまったのは少し前に報道されたニュースが原因であった。恵里達の住んでいる地域を含めた区の統廃合を行ったというものである。

 

 これのせいでハジメの家の近辺が自分達とは別の区域となり、その結果ハジメだけ別の学校に通うことになってしまったのである。とはいえいきなり別の学校に通え、という訳ではなく来年度から実施するとのことだ。そのためまだハジメと一緒に帰れてはいる。

 

 だが年度が変わり、小学校を卒業してしまえばもう離れ離れになってしまう。それが頭にチラつくせいか、胸に穴が開いたような心地となり、勉強にしろゲームにしろ手につかなくなってしまったのである。

 

 そしてそれは恵里だけではなく、ハジメと鈴も同様であった。

 

 他の面々がハジメと一緒にいられなくなることを嘆かなかったわけではなかったのだが、恵里を含めた三人は特にひどかった。学校の行きも帰りも手を繋ぐのが普通になり、話をしてもどこかぎこちない。また学校でも帰り道でも別れるのにまごつくこともしばしばあり、離れる度に名残惜しそうに三人が見つめ合っているのもいつものことであった。

 

「ホント、大丈夫かよ……」

 

「こればかりは俺達が下手に手を突っ込んじゃいけないさ龍太郎。俺だって雫や龍太郎と離れることになったらと思うと、な」

 

 雫は無言で光輝の手を握る。どこかへはぐれてしまわないように身を寄せ合っているかのような恵里達三人を他の面々もただ見つめるしか出来ず、この日もどこか重い雰囲気のままの下校となった。

 

 

 

 

 

 そんなある日。今日も恵里達三人がくっつき会い、あまりしゃべらずに帰っている最中のことであった。急に香織が恵里達のところにやってきて妙なことを口走った。

 

「ねぇ恵里ちゃん、ハジメくん、鈴ちゃん。たまには三人でどこかにお出かけ――ううん、デートしてみたら?」

 

 この一言に恵里は『何言ってんだコイツ』とばかりにいぶかしみ、ハジメと鈴は唐突な提案に頭が追い付かず、間の抜けた顔をさらしてしまった。

 

「……三人で何かコソコソと話してたと思ったらミョーなこと考えてやがったか」

 

「龍太郎、多分香織も何か考えが……うん、考えがあって言ったはずだぞ。多分」

 

「香織がいきなり変なことを言ってくるのはそんなに珍しいことじゃないけど、今日は特に変わってるわね……」

 

「なあ香織、せめて言うタイミングぐらい考えろよ。ほらミサキもまどかもコイツ止めてくれよ」

 

 そしてそれは言い出した当人と昔からの友人二人以外にとっても突拍子のない発言であった。龍太郎は呆れ、光輝も半ば呆れていたもののどうにかフォローしようとし、雫が頬をひくつかせ、浩介は半目で香織を見ている。そして優花も友人の菅原妙子と宮崎奈々――二人とも小四の五月の辺りから優花と一緒に恵里達と帰るようになった――と『また香織が変なこと言ってる』と声を潜めながら言い合う始末であった。

 

 提案された三人以外が口々に言い合えば、やはり香織は不機嫌そうに頬を膨らませてすねてしまう。

 

「……私、ちゃんと考えたもん。ちゃんと相談してから言ったもん」

 

「あ、あのねみんな! 私達も恵里達が心配で、それでどうすればいいのか香織とまどかと話し合ってたの!」

 

「そうそう! ここ最近三人とも元気なかったし、それでちょっとお話ししてただけだから!!」

 

 道端の小石を蹴りながら不機嫌アピールをする香織を見て慌ててミサキとまどかもフォローに入ってくる。『だったら俺らに相談しろよ』と龍太郎が他の面々を代弁するかのように彼女らに言うも、『あんまり触れないようにしてたじゃないの』と即座にまどかに反論されて全員何も言い返せずに黙り込んでしまった。

 

「離れ離れになる前に思い出を作って、ちゃんとお話ししようよ。ずっとこのままだときっと後悔しちゃうよ?」

 

 その言葉に恵里達もうつむいてしまう。

 

 香織の言う通り、ここ最近はお互いだんまりであったのは事実であった。相手への思いばかり募ってしまって、けれども下手に口にしてしまえば離れてしまわなければならないことを改めて認識してしまう。だから手を握って、腕を絡めて、行動に移して思いを伝えてきたつもりであった。だがそれでもどこか足らないものを三人とも感じていたのである。

 

「まぁ、そうよね。ここ最近の恵里達やっぱり変だったし、いつもみたいに好きだなんだ言いなさいよ」

 

 ため息を吐きながら優花も香織の言に乗っかった。三人が家族と一緒に家の店を訪れてきたときからずっと見てきた彼女からすれば恵里と鈴が言い合いもせず、ハジメが恥ずかしがりも二人に振り回されたりもしない今の状況はやはりもどかしいものがあったのだ。それに恵里と鈴は反論しようとするも中々言葉が出て来ず、三人以外はそうだそうだとそれに同意するばかり。そこでずっと黙り込んでいたハジメがついに口を開いた。

 

「……うん、わかった。ねぇ二人とも。良かったら、その……ぼ、僕とで、でで、でー……お出かけ、しない?」

 

 龍太郎、浩介、優花はヘタレただのなんだのと小声で言い合い、それを見て今にも泣きそうになるハジメを恵里と鈴が頭をなでてなぐさめる。光輝が『結構言うのは恥ずかしいんだから止めるんだ』と三人を叱り飛ばし、雫も『言われると嬉しいけれど、口にするのって結構勇気がいるのよ』と追撃をかける。それでタジタジになっている龍太郎達を横に恵里と鈴はハジメの手を握りながら先ほどの問いかけに答える。

 

「いいよ、ハジメくん。私、ハジメくんと、で、デート……してみたい」

 

「ボクも、いいよ……デート、したいよ」

 

 二人から熱を帯びた視線と一緒に返されたハジメは顔を真っ赤にしながら首を縦に振った。それを見て無駄に盛り上がる香織達野次馬組とそれを怪しみながら見つめる他の面子をよそに、恵里達は何も言わずに見つめあうのであった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、似合ってるかな? ハジメくんに変、って言われないかな?」

 

 そして迎えたデート当日。平日と同じくらいの時間に起き、寝癖一つ残らないよう念入りに髪をとかし、幸にも見てもらったり手伝って貰ったりしながら髪型と今日着る服を見繕っていた。

 

「ハジメ君がそんなことを言うような子じゃないのは恵里が一番よくわかってるでしょ? そこまで気にしなくたっていいわ。あ、この髪型ならこっちはどうかしら?」

 

 小学校一年生の頃、ハジメ達と一緒に公園デートに行った時よりも気合の入り方も不安さも段違いであった恵里はちょくちょく幸に尋ねるも、幸は微笑みを浮かべつつ、なだめるようにして答えていく。

 

 幸の手でハーフアップにしてもらい、そして選んでもらったシャツワンピースに袖を通していく。姿見を何度も見てどこか変じゃないかどうか、似合っているかどうか幸に尋ねるも『大丈夫』、『似合ってるんだから自信を持ちなさい』と返されるばかり。

 

「もう、本当に恵里ったら……ほら、もうそろそろ時間よ。間に合わなくなっちゃうわ」

 

「えっ……? い、行ってくる!」

 

 最近新調したショルダーバッグを肩にかけ、まだ拭い去れない不安に苛まれながらも恵里は急いで家を出ていく。途中、カーブミラーを見てどこか変なところがないかをチェックしつつ、待ち合わせ場所であるいつもの公園へと向かった。

 

 するとシャツとジーンズの普段通りのラフな恰好をしたハジメが公園の入り口でそわそわした様子で辺りをながめており、時折公園内にある時計にまで視線が向けられていた。そんな様子の彼がなんだかおかしくて、どうしてかちょっとだけ安心出来た恵里は笑みを浮かべながら彼の許へと向かう。

 

「おはよう、ハジメくん。ちょっと待った?」

 

「え、恵里ちゃ……ん。え、えっと、その……」

 

 目をそらし、頬を赤く染めて言葉に詰まってしまった様子のハジメを見て、ようやく恵里は心の底から安心した。あの女(母親)が言った通り、ハジメが今の自分の恰好を見て嫌うことなんてなかった。むしろ今の姿を見てドギマギしてくれているのだから大成功と言えるだろう。

 

「ハジメくん、どう? 似合ってる?」

 

 すっかりいつもの調子を取り戻せた恵里は右に左にくるりと回っては見せつけ、恥ずかしながらもチラチラと見てくるハジメを見てとても得意げになった。

 

(ありがとう! 今この時以上にお母さんに感謝したくなったことなんてない!! 良かった! 信じて良かった!)

 

 興奮冷めやらぬまま、恵里はハジメの腕に思いっきり抱き着き、満面の笑みを浮かべながら彼の腕の感触を楽しむ。

 

「え、恵里ちゃん……そ、その、う、腕に、む、胸が…」

 

 しかしハジメはハジメで今にもぶっ倒れそうであった。彼の言う通り、今その腕にはここ数年で存在感を放つようになってきた膨らみが当たっているのである。流石に最初にやられた時よりはどうにか我慢が出来ているのだが、このままではまた鼻血を両の穴から勢いよく垂れ流して卒倒するだろう。流石にそれは不味いと考えた恵里は胸が離れる程度に手を緩めると、どこかからじっとりとした視線を感じた。

 

「また恵里が抜け駆けしてる……ズルい。いつもズルいよ」

 

 視線を感じた方を向けば案の定、鈴の姿があった。七分丈のトップスにフレアスカートを履き、いつものおさげでなくトロワツイストにしておりいつもと雰囲気が違う。とはいえ今不機嫌になっている鈴は恵里がハジメにちょっかいを出した時と変わらなかったが。

 

「まぁ、それはね。ボク……じゃなかった。私の恰好を見てドキドキしてくれたんだから、“ちょっとぐらい”テンションだって上がるって、ねぇ?」

 

「ふーん……ねぇハジメくん。私はどう、なの? ドキドキ、する?」

 

「え、えっと……」

 

 鈴の問いかけにハジメはまたしても答えられなかった。二人とも普段はもう少しラフな姿であり、ウィステリアに来るにしてもここまで気合の入った服装で来ることはなかった。今の二人の姿はハジメにとって魅力的に見えており、それをどう伝えればいいのかわからず縮こまる事しか出来ない。だがハジメのそんな様子が恵里と鈴にとっては何よりの答えであった。

 

「そっか。じゃあいいや――行こうよハジメくん。どこに連れてってくれる?」

 

「そうだね。ハジメくんのことだから、ちゃんと考えてくれただろうしね。期待してるから」

 

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 機嫌を直した二人に腕を掴まれ、サンドイッチされながらハジメは二人に最初の目的地を教えると、しょうがないと言わんばかりの、けれども楽しげな様子で彼の腕に引っ付いて歩くのであった。

 

 まず最初にたどり着いたのは昔から三人がひいきにしている本屋であった。店の自動ドアをくぐるとすぐに目に飛び込んでくるのは新刊が平積みされたスペースであり、この日も小説だけでなくレシピ本や自伝などが雑多に置かれていた。

 

「あ、『すっぴん』の新刊出てるね」

 

「あ、そういえば……『に~にゃ』の発売日だったのは覚えてたけど『すっぴん』もだったんだね」

 

 彼らの言う『すっぴん』とは『職業:すっぴんの俺の悪あがき』の略称であり、RPGでいうところの職業に恵まれなかった主人公が知恵を駆使して窮地を乗り越えて力と身分を手に入れていく、俗に言う“成り上がり系”の小説であった。

 

 その主人公の様子がどこかあの化け物(ハジメ)の姿と被ることから恵里は興味を持ち、それにつられてハジメと鈴も読むようになった作品である。それを一緒に手に取ってお互い顔を合わせると、全員がそれを持って店の中を回っていく。売り切れてしまう前に確保しておく作戦である。他に面白いものがないか立ち読みしたり、色々と言い合ったりしながら三人は本を物色していく。

 

 結局この日買ったのは『すっぴん』の新刊と『に~にゃ』などの漫画雑誌をそれぞれ一冊ずつである。途中泣く泣く諦めたものもあったが、こればかりは前にモンスターをハンティングする某ゲームを買ったときの出費がまだ後を引いていることや、これから出る漫画の単行本のことを考えた上での判断である。

 

 そうして道を歩いていると、ハジメは両脇にいる二人にあることを尋ねた。

 

「ねぇ恵里ちゃん、鈴ちゃん。本当にここで良かった? 今からでもこっそり電車に乗って水族館にでも――」

 

 ――実は当初の予定では本屋に行くのではなく、二駅離れた場所にある水族館やショッピングモールを回るはずであったのだ。それもあることが原因で取りやめになってしまったため、そのことで罪悪感を覚えていたハジメは二人に問いかける。

 

「ううん、いいよ。こっちだってお金に余裕ないし、本を持ったまま歩くのも面倒だしね。気持ちだけ受け取っとておくから」

 

「しなくていいよ。もしお父さんたちがこっそり追いかけてたらきっと止めに来るだろうし、面倒くさいもん――お父さんの馬鹿」

 

 しかし二人は首を横に振ってしまい、それ以上ハジメも何も言えなくなった。それもこれもこのデートが決まった後に起きた親~ズのバカ騒ぎが原因である。

 

 それは恵里達の雰囲気が暗いものから前の明るい感じに少しだけ戻ったことに、三人の両親が気づいたことがきっかけであった。きっと好きになった子絡みのことだろうとあたりをつけた親~ズはそれを確かめるべく尋ねてきたのである。

 

 恵里はどうにかそれを誤魔化すことに成功できたものの、うっかりハジメと鈴は口を滑らせてしまった。しかもハジメに至ってはざっくばらんであったとはいえデートプランまでしゃべってしまったのである。結果、親~ズ緊急会議が執り行われた。

 

 愁と菫は少し神経質になり過ぎだと述べたものの、親バカであった谷口夫妻が『鈴に何かあったら大変だ』と述べるばかりで、それに白崎智一も乗っかり、普通に心配していた中村夫妻もそれにうなづいてしまったため、子供たちだけで行かせるのは危険だという結論が出てしまう。ちなみに他の親は軽く呆れていた。

 

 そこで誰か付き添いで行けばいいのではないかとため息を吐きながら美耶が提案してくれたものの、誰が行くかが問題となった。そうして話し合った結果、時間の都合が出来てかつ三人のデートを邪魔せず見守ってくれる人物として霧乃に白羽の矢が立ったのである。当の霧乃に関しては二つ返事でOKを出してくれた。曰く、『最近尾行……もとい、少し暇ですので構いませんよ』とのことである。この場にいた人間は誰もその理由に深く触れることはしなかった。

 

 そしてそのことを話した結果、気まずさと恥ずかしさで遠くにお出かけする案は没になり、こうしてあまり離れていない場所でのデートと相成ったのである。なお、緊急会議の後でハジメが『遠くに行かないからやめてほしい』とお願いして親~ズ全員に伝えてもらったものの、八重樫流の技術を駆使して霧乃は今もしっかり見守ってくれている。

 

「本当にごめんね……僕がうっかりお父さんとお母さんに話しちゃったから……」

 

「ハジメくんが悪くない訳じゃないけどさ、お父さん達が過保護なのが悪いもん……そっちが悪いもん」

 

「貴久さんも結構心配性だしね。でも私はさ、昔に戻ったみたいで嫌いじゃないよ」

 

 謝るハジメに、不満を口にしつつも全部が悪い訳ではないと鈴は述べる。そして貴久のことに触れつつ、今日のコースは悪くないと恵里もフォローに回った。そんな二人にありがとう、とうつむきながら感謝を口にするとハジメは気持ちを新たに恵里と鈴の手を引っ張っていく。今自分がやるべきことは二人と一緒になって楽しむことなんだと考え直して。

 

 恵里の家に寄る前にウィステリアに寄った三人は笑顔を浮かべた園部夫妻に迎えられ、昔、三人の家族だけで予約していた時に利用していた奥の席へと案内される。

 

 今日はお昼をここで食べることを三人とも事前に家族に話しているため、恵里は軽くメニューを一瞥し、注文を取りに来た園部優理――優花の母である――に日替わりプレートを頼みこむ。するとハジメと鈴も同じものを注文し、それに意味深な笑みを浮かべながらそれを復唱した優理はその場を離れた。

 

「あ、ハジメくんは今日はタルタルソースなんだ」

 

「うん。たまにはいいかなー、って。そういえば今日は恵里ちゃんも鈴ちゃんもソースの方なんだね。恵里ちゃんタルタルソースいっぱいかける派だし、鈴ちゃんはお醤油派だったはずだけど……」

 

「……たまにはこっちにしてみたくなっただけだよ。ソースだって美味しいし」

 

 出されたプレートに載っていたエビフライに何をかけたかについて話し合ったり、付け合わせの温野菜の扱いに悩みに悩んで結局食べたり、食後のドリンクはどうするかで色々話し合ったりして楽しい時間はあっという間に過ぎていった。だからだろうか。

 

「――今がもっと続けばいいのに」

 

「――うん」

 

 そんなつぶやきが鈴の口から出てしまったのは。それに恵里がうなづいてしまったのは。楽し気にしていた会話は、そこで途切れてしまった。

 

 もう一年足らずでハジメと別れてしまう。その事がまだ受け入れがたくて、それがとても辛くて苦しくて。

 

「やだ……ハジメくんと離れたくないよ」

 

「ボクも……ボクもいやだ。どうして、どうしてなの……」

 

 今まで目を背けていたものを今一度見てしまい、鈴は鼻をすすりながら、恵里も嗚咽と共に胸の内をさらけ出していく。

 

「僕だって、いやだよ……」

 

 そしてそれはハジメも同じであった。“中村恵里”、“谷口鈴”という常にいてくれた少女たちと別れてしまう。日常から失われてしまう。それは親しい人と一緒に過ごす時間を、孤独を知ってしまったハジメにとってとてつもない恐怖であった。二人と同じ学校にいられなくなるということは考えるだに辛い未来であった。ここで二人との繋がりが途切れてしまうかもしれないという恐れがハジメの心を苛んでいたのだ。

 

「はい、注文のジンジャーエールにオレンジジュース、そしてアイスティーになります……どうしたの? 世界の終わりの日みたいな顔をしてるじゃない」

 

 そうして三人とも泣き出してしまって、マトモに会話も続けられなくなった頃に優理が三人分のドリンクを持ってやってきた。空気を読まずに三人の前に注文したドリンクを置くと、そのまま乗り出すようにして話しかけてきた。

 

「グスッ……お客さん、まだいますよ?」

 

「今いるのは常連さんか食事を終えて一息ついている人が大半よ。すぐにどうこう、ってことはまずないわ」

 

 あっち行けと言わんばかりの目つきで恵里は優理をにらむものの、まだ涙で湿っている瞳で見つめられたところで恐怖を感じる人間はそういないだろう。優理はそんな視線に尻込みすることなく、また泣き出してしまった三人にあることを尋ねる。

 

「ねぇみんな。あなた達の仲は学校が別々になったぐらいで簡単に消えちゃうものなの?」

 

「――違う!」

 

「そんなことない!」

 

「なくなりません!」

 

 投げかけられた疑問に思わず大声を上げる三人を見て優理は一層その笑みを深くした。泣いてムキになっている三人に『後で私からお客さんに謝っておくから』と告げれば、ばつの悪そうな顔を浮かべたため、順番に頭をなでる。

 

「そんなに大事に思っているなら心配なんていらないわ。ね?」

 

 最後にそう告げると優理はその場を離れていく――しばし呆然としている中、溶けた氷の音が何度か響くも、三人は出された飲み物に口をつけはしなかった。

 

「ねぇハジメくん。別の中学に行っても……ボクと、ボクと一緒にいてくれる? ずっと今のままでいてくれる?」

 

 そうして優理がいなくなり、訪れてしまった静寂を破ったのは恵里であった。しゃくりあげながら、瞳を涙で潤ませながらハジメに問いかける。

 

「うん。僕もずっと恵里ちゃんと一緒にいたい。恵里ちゃんがそばにずっといないなんて……考えられない。考えたくないから」

 

 それにハジメは恵里の顔をじっと見つめながら答えていく。嘘偽りない答えを。本心からの願いを“大切な人”に向けて言葉にしていく。

 

「ハジメくん、私も……私も、ずっと一緒にいたいよ。会えなくなるなんて、やだよ……」

 

「僕も……僕も鈴ちゃんと会えなくなるなんてつらいよ。いなくなって、ほしくない。いやだよ……」

 

 鈴もまた思いを口にし、ハジメもそれに答えていく。“一番仲がいい友達”という言葉では足らなくなってしまった“大切”な存在に。

 

「ずっと、ずっといっしょにいて……? ボク、ハジメくんとはなれたくなんてないよ。だから、だから……」

 

 しゃくりあげながら恵里はねだる。ハジメも鼻をグスグスと鳴らしながらそれに何度もうなづく。

 

「わた、しも……すずもいっしょがいい。ハジメくんがいなくなったらもう、もう……」

 

 大粒の涙を流しながら鈴も懇願する。その願いにハジメはうん、うん、と短く返事をしながら首を縦に振る。

 

「ボクは、ボクは――」

 

「すずは――」

 

 ――ハジメくんが、すきだから。

 

 偽りない思いを口にした二人はそのまま泣き出した。もう言い訳が出来なくなってしまった。自分の気持ちから逃げられなくなってしまった。目の前の少年が好きで好きで仕方がなくて、誰よりも大切なのだと自覚してしまったから。

 

「ぼくも……ぼくも、ふたりがすき。だから、だから……いなく、ならないで」

 

 そして少年も幼い頃から温め続けていた思いを今、口にする。友達に対する“好き”でなく、特別な相手に送る“好き”という言葉を。途端、恵里と鈴は身を乗り出してハジメを抱きしめる。

 

「うん……うん! ボクもすき! ハジメくんがだいすき! いなくならない、ぜったいいなくならないから!!」

 

「すずも! すずもすきだから! はなれたくない! ハジメくんとはなれるなんていやだよぉ!!」

 

「ぼくもはなれたくない!! ふたりともだいじだから! たいせつだから!! おねがい……おねがい!」

 

 三人の子供の泣き声が部屋の奥で響く。そんな彼らを心配そうに見つめる三人の少女たち(優花、妙子、奈々)の頭を優理が優しくなでる。今ここに、三人の絆は一層深く、固くなった――。

 

 

 

 

 

 今日も恵里は日課のランニングをこなし、無事に家に戻ることが出来た。

 

「ただいま、お父さん。お母さん」

 

「おかえりなさい。もうすぐご飯が用意できるけど、その前にシャワーを浴びてきなさい」

 

「うん、ありがとう」

 

「今日もお疲れ様、恵里。今日もハジメくんと話せたかい?」

 

「……うん」

 

 今日もいつも通り朝食と朝のシャワーの用意をしてくれている母に礼を言い、自分の事を気遣って言ってくれる父に頬を染めながら答えつつ、恵里は風呂場へと向かう。

 

 シャワーでさっと汗を流し、母が用意してくれたタオルで全身の水気をとり、ドライヤーで髪の毛を乾かしてジャージを洗濯かごの中に入れて部屋着に一度着替えてから自室に向かう。そして家を出る前に出しておいたセーラー服に着替えると、すぐにリビングへと向かった。

 

「授業の方はどう? ちゃんとついていけてる?」

 

「大丈夫。私がダメだったことなんてある?」

 

「確かになかったけれどね。でも、いつも学校の前に走っているから疲れは溜まってないか? もし学校で寝てるならすぐにでもやめなさい」

 

「心配しすぎだよお父さん。ちゃんとやれてるから」

 

 心配してくる両親に苦笑いを浮かべながら恵里は箸を進める。味噌汁をすすり、コショウを多めにかけた目玉焼きを全部胃の中に収め、盛られたご飯もおかずも全て食べ終えた恵里はごちそうさまと述べてから部屋へと戻っていく。今日の時間割と鞄の中身をチェックし、忘れ物がないかを確認するとそのまま鞄を持って家を出ていった。

 

「じゃあ行ってくるね。お父さん、お母さん。行ってきます」

 

 出迎えてくれた二人にあいさつをし、駆け足で通学路を行く――目的地はもちろん中学校、ではなくてハジメの家であった。

 

「あ、おはよう恵里」

 

「おはよう、鈴」

 

 今日もまた恵里は鈴と合流し、一緒にハジメの家へと向かう。あのデート以来、平日は南雲家まで行ってハジメを迎えるのもまた日課となった二人は今日も他愛のない話をしながら歩いていく。

 

「そういえばさ、あのストラップ見えないけどどうしたの? 流石にもう捨てちゃった?」

 

「まさか。腕がなくなったぐらいで迷ってた鈴と違ってボクは家でちゃんと保管してあるの。ここ最近は脆くなってきたしね――はい、これ」

 

 そうして携帯を軽くいじると、今のストラップの状況を映した写真を鈴に見せた。大切に保管しているのもあってか少しへたってる様子はあるものの、壊れてはいない――問題はちょくちょく磨いていたせいで塗装がほとんど残っていないことだが。

 

「うん、やっぱり引くよソレ……流石にハジメくんだってこうまでして持っててほしいなんて思ってないよ、絶対」

 

「うっさい。そもそもこれはボクとハジメくんと鈴とで思い出づくりのために買ったやつでしょ。それを捨てるなんてとんでもない、って」

 

 携帯をしまいながら恵里は鈴の言葉に反論する。恐ろしいことに、凄惨な状態になっている恵里のストラップをハジメや鈴が見たのはこれが初めてではない。何度かハジメから『新しいの買ってそれ捨てようよ』と言われたことがあったものの、その都度恵里が本気で泣く寸前までいくため、二人ともそれ以上言えなくなったのである。

 

 そのため年を経る毎に段々とのっぺらぼうになっていくソレを二人だけでなく、友人全員や親~ズも不気味がっていたりする。それでも捨てる気は更々ないが。

 

 そうして色々と話しているといつの間にか南雲家のすぐ近くにまで来ており、今日は恵里がインターホンを押しに行った。すると少しの間を置いて慌てた様子のハジメが出てきた。

 

「ご、ごめんね! 待った!?」

 

「大丈夫、全然待ってないから――あ、ボタンがズレてるよ」

 

「あ、ハジメくん。口の周りにおべんとついてる……はい、とれたよ」

 

「あ、ありがとう二人とも」

 

 ハジメの方は今日は大分バタついていたらしく、普段ならやらないようなボタンの掛け違いや口周りをふき忘れるといったミスも多かった。しかし二人はそんなハジメを見ても仕方ないなぁ、と言わんばかりの表情でそれを直し、ハジメもハジメで感謝を述べつつもされるがままになっている。

 

 あの一件以来、三人は変わった。

 

 恵里は二人の前で猫を被るのをやめた。むしろ素の自分を受け入れてほしいという思いが芽生え、こうして接している。流石に家族や友達の前では相変わらず猫を被っているものの、ちょくちょくメッキが剥がれることがあったため、かなり前から公然の秘密となっている。それに気づいていないのは恵里だけである。

 

 次に鈴。鈴は自分の思いを隠さなくなった。前々からハジメのことをずっと思い続けていたが、親友である恵里のことを思ってそれを押し殺し、どうにか隠そうとしていた。だがデートをした次の日に『ハジメくんは私がもらうから』と堂々と略奪宣言をしたのである。自分の思いから逃げるのをやめたのだ。

 

 対する恵里も『やれるならやってみなよ』とひどく愉快気な様子で返しており、今日に至るまでハジメの取り合いをやっている。

 

 最後にハジメであったが、覚悟を決めた。周囲にそしられることも、どちらかを悲しませることも承知の上で鈴ともつき合うことにしたのである。

 

「……ねぇ、二人とも。本当にいいの?」

 

 そんなハジメからの唐突な質問に二人は思わず首をかしげる。唾をのみ、意を決したハジメは改めて二人に問いかけた。

 

「うん。だって、その……今はいいけど、いつかは……いつかは、選ばなきゃいけ――」

 

 その先を紡ごうとしたハジメの口を、恵里と鈴は彼のくちびるに人差し指を当てることで止める。それは二人ともわかっていたことだったから。

 

「わかってる。それはわかってるよ。でも、“今”はこのままでいさせて。ね?」

 

「前に約束したでしょ。先延ばしなのはわかってるけど、このままがいいから」

 

 ウィステリアで大いに泣いた後、三人はある約束をした――相手を決めるのは高校を卒業してから、と。それを言い出したのは恵里である。

 

 こんなことを恵里が言い出したのはトータスに行くことも視野に入れてのことであった。下手に早い段階でハジメが鈴を振ってしまい、それが後でどう影響するかを危惧したからでもある。それに何より、ハジメが鈴を振ることで疎遠になってしまうのが怖かった。鈴がハジメ以外の人間と仲睦まじくしているのが想像するだに我慢できなかったのである。

 

化け物(ハジメくん)がハーレムを作ってたことに感謝する日が来るなんて、ね。ホント複雑だな……)

 

 ハジメとずっと一緒にいたい。鈴ともずっと一緒にいたい。そして三人で()()()()()()()。その思い故に恵里は答えを先延ばしにし、あわよくばトータスに行ったら適当な理由をつけて鈴と一緒に一線を越えようと画策したのである。

 

 でも、今はただ――。

 

「「ねぇ、ハジメくん」」

 

「どうしたの、二人とも――」

 

 ハジメと鈴と一緒の時間を過ごしたい。幸せに浸っていたい。ハジメの両頬に二人はキスをすると、心からの笑みを浮かべながら思いを伝える。

 

 ――大好きだよ、ハジメくん。

 

 少女たちの恋はまだ、始まったばかりだ。

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