おかげさまでUAも96682、お気に入り件数も687件、しおりの数も284件、感想数も265件(2022/4/7 9:31現在)になりました。誠にありがとうございます。
それと小焼夕焼さん、トリプルxさん、Aitoyukiさん、拙作を再評価していただき、誠にありがとうございます。こうして自分の書いた話を評価していただけるのはとてもありがたいです。
前話のあとがきでもあった読者の方との解釈違いが発生してるかもしれないキャラから今回の話は始まります。また今回のお話は長めです。
では上記に気をつけて本編をどうぞ。
「なあ、本当に大丈夫なのか愛子」
「ええ、そうです。こうして城に戻ってきたんです。少しは休まないと、体が……」
「いえ、大丈夫です」
連日働き詰めで眠るか馬車で移動するか以外はロクに休んでおらず、そのせいで荒れた肌を化粧で誤魔化している畑山愛子は今、自分を護衛してくれているデビッドとチェイスからの忠告を聞き入れることなく自室で荷造りを始めていた。
“作農師”という農地改善や開拓にうってつけの希少かつ有能な天職ゆえ、神殿騎士及びハイリヒ王国の近衛騎士に護衛されながら地方を回っていた彼女であったが、その護衛である彼らとの仲はお世辞にも良い関係とは言えない。護衛をしているあちら側はともかく、愛子からはせいぜい二言三言言葉を交わすのがせいぜいでしかなかった。
「焦る気持ちはわかるけれど、働き詰めじゃあ愛子ちゃんの体が壊れるよ。僕達も心配なんだ」
「愛子、俺達は義務感などで声をかけているわけじゃない。ただ、お前が心配で――」
近衛騎士であるクリスとジェイドも彼女に声をかけるも、愛子はこれといった反応を示さない。
「本当に大丈夫なのですか愛子。あなたの焦りは理解できますが、ここで倒れてはあなたを慕う方々に迷惑がかかるだけでは?」
愛子に声をかけたのは神殿騎士のローリエであった。相応に腕が立つことから彼女もまた愛子直属の護衛としてこの場におり、倒れてしまわないよう声をかけると一瞬だけだがピタリと動きを止める。そしてローリエの方を向きながら愛子は苛立ちを可能な限り抑えながら返事をする。
「……わかっています、そんな事は。ですが今回の巡業を成功させないと。一刻も、一刻も早く……」
永山君達が戦いに巻き込まれてしまう前に、という本音を心の中でつぶやくと、すぐさま愛子はまた荷造りに戻る。必要な衣類、下着類、今度の巡業で向かう先の地図などを確認し、何か欠けているものがないかと目を皿にして探す。愛子がここまで必死になっているのも“今回の巡業を終えたらすべてのクラスメイト達を解放する”という約束を取りつけていたからだ。
――愛子がこうして急ぎ、焦っているのは二週間ほど前のことがきっかけであった。中村恵里、南雲ハジメ、谷口鈴と悪評が広まっていた三人を中心としたクラスメイトのグループがオルクス大迷宮の実戦訓練を機に失踪したことである。
クラスメイト達のそばで一緒に戦うことも彼らの支えになることも出来ず、毎日遠くで戦っているであろう生徒達を思いながら、気が気でない日々を愛子は過ごしていた。デビッドやチェイスらに護衛され、心配する彼らに声をかけられながらも各地の農村や未開拓地を回り、ようやく一段落して王宮に戻るも、その時はもう永山達のグループ以外の生徒とはもう会えなくなってしまっていたのだ。
そこで何があったのか城に仕える使用人や兵士などに必死に頭を下げて聞きまわったり、永山らに話を聞こうとして何度も尋ねたり、果てはエリヒド王やルルアリア、リリアーナ、イシュタルにも話をうかがいに行こうとしていた。そんな折、相川が心底忌々し気に語ったのだ――天之河の奴らはオルクス大迷宮を潜っていったよ、と。
それを聞き、一体何があったのかと必死になって詳しく問い詰めたことで何が起きたかを把握すると同時に全身から力が脱けてしまう。護衛の騎士達だけでなく、生徒達も一歩間違えば死んでいたような場所から更に深く、危険な場所へと足を踏み入れていったと知り、愛子の心の中は荒れ狂った。
『そんな……そんな、どうして……』
『どうして止めてくれなかったの』と事情を説明してくれた少年に掴みかかりたくなったものの、大迷宮の中で起きた凄惨な事件を思うとその言葉を口にすることは出来ず、せめて礼だけは述べないと、と今にも泣きそうになるのを堪えながらありがとうとだけ伝え、愛子は相川の部屋をふらつくような足取りで出ていった。
相川の話を聞いた後でもまだその真実を信じられず、失踪したクラスメイト達の部屋を訪れようとするも、チェイスの同僚らしき神殿騎士から彼らの部屋へ近づくことを禁止され、それが変えようのない事実であることを思い知る。
そのまま愛子はデビッドとチェイスに支えられながら自室へと戻り、ベッドに倒れ込んでただただ涙を流し続けた。
『どうして、どうしてなの……私が、私が一緒にいなかったから……?』
そんな嘆き悲しむ愛子の脳裏に浮かぶのは彼ら十六人は既に死んだのではないか、という最悪の予想であった。
規格外の大きさと強さを誇る魔物。無数に出てきて襲い掛かってきた骸骨の魔物。それらを相手にどうにか生き残れただけでも奇跡としか言えず、それらよりもはるかに強いであろう魔物がひしめく下の階層へと挑んでいったことを考えれば自然と想像がついてしまう。彼らは生きて地球に戻ることは出来ないのだ、と。
(私も……私もちゃんとここに残って戦うと言っていれば、そうすれば、そうすればきっと……ごめんなさい、ごめんなさい……)
心が砕けてしまいそうであった。どうして状況に流されてしまったのか。悪評が立った三人も、彼らと仲のいい子達も全員守るはずだったのに。そのためにやれることをやったはずなのに。
それがもたらした結果はこれだ。彼らの命を守ることが出来ず、ただただ凄まじい後悔に襲われ、罪悪感に愛子は苦しめられていた。
そんな時、痛ましい様子の彼女を見て
『愛子、辛いのはわかる。だが全員が死んだわけではないんだ』
『ええ、デビッドの言う通りです。いなくなるのはあの
途端、悲しみに暮れていた愛子の心から感情が消えた。
(どうしてあなた達がそんなことを言うの? あなた達も彼らを追い詰めた教会の人間の癖に。あの子達の中で死んでいい子なんていなかった。悪意に苦しんでいただけだった。なのにどうして? どうして? なんで?)
空っぽになった愛子の心に新たに生まれたのは怒りであった。愛子のためにかけた言葉は彼女にとって何の慰めにもならない。むしろ教会が振りまいた悪意に苦しんでいた三人をさも死んで当然とばかりに言う始末。
それを聞き、愛子の心には自分を護衛してくれた二人を含めた教会関係者や王族への憎しみが湧き始めた。
(南雲君も、中村さんも、谷口さんも、あなた達が、あなた達が余計なことをしなかったら! あの子達は辛い目に遭わずに済んだ! 永山君達との対立も深まらなかった!! なのに、なのになんで!!)
日々のストレスと今回の凶報によって心が弱り、絶望に打ちひしがれてしまったことで普段の愛子ならばしない思考が彼女の頭を占領していく。歯止めになる良心は動かず、ただただ憎悪が、憤怒が彼女の心を染め上げていく。そんな時ふと、相川が言ったあることが愛子の脳裏によぎった。
『アイツらいきなり現れた遠藤とメルドさんと一緒に神殿騎士の人達を襲いやがったんだよ……確かにベヒモスじゃなくてアイツらと騎士団の人達のところに魔法がかすめてったみたいだけどさ、それでもヤバいだろ。世話になった人達をいきなり殺そうとするなんてさ』
姿が見えなかったことから遠藤だけは無事だという思い込みを破壊され、彼もまた死んでしまったのだと嘆き悲しんでいたことでちゃんと何を言ったか理解できていなかった。だが、先の相川の言葉を思い出し、彼らが何の理由もなく他人に暴力をふるうはずがないと考え――結びついてしまった。教会が広めた悪評と先の言葉が。
(神殿騎士の人達が、教会の人達がまた彼らに悪意を向けた……そうです。絶対にそうです! そうでなければ彼らがこんなことをするはずなんてありません!!)
黒と言って差し支えないが、それはあくまで証言であり状況証拠でしかない。だが憎しみに囚われた愛子からすればそれは“真実”であった。生徒達の善良さを信じ、この世界で接してきた人間が悪意をむき出しにしたのを目の当たりにしたことで、その思い込みは揺らぐことが無くなってしまった。
『大丈夫だ愛子。俺達がついている』
『そうです。愛子さん、私達は離れません。ずっと貴女のそばにいます』
憎しみで涙が止まった愛子を見て、自分達の言葉が届いたのだと勘違いした二人は彼女に寄り添おうと更なる言葉をかけていく。だが、自分のことを何一つ見ていないこの
『――るさい』
『愛子、どうした? 俺達に出来ることなら何でも言ってくれ』
『ええ。愛子さん、貴女のためなら私達は――』
『うるさいって言ったんです!』
だから、愛子は明確な拒絶を口にする。
『あなた達はいつも私に優しい言葉をかけてきますけど、それは私を思っての言葉なんかじゃないでしょう!! いつも、いつも自分達に都合のいいものを期待してかけてきた言葉じゃないんですか!?』
『あ、愛子……?』
一度灯った憎悪の火はたやすく収まらない。一度口にして吐き出したことで怒りはもう止まらなくなった。
『出来ること? だったらせめて今すぐ彼らの名誉を挽回してください! 今まで広めた悪評を全部なかったことにしてくださいよ!! 私のためなら出来るんでしょう、やれるんでしょう!!』
『あ、愛子さん、それは……』
そんなものさえなければ、お前たちの悪意が及ばなければ、と目を真っ赤にしながら叫ぶ。
普段からあくせく働き、生徒達のことを思って小さな体で精力的に、ともすれば今にも倒れてしまう程に動く彼女の様が実にいじらしく、支えねば、守らなければと庇護欲をそそられていたデビッドとチェイスからすれば今の愛子の姿は信じられないものであった。一体何が、何が彼女を変えてしまったのだ、と。
『ま、待つんだ愛子! 今の愛子は少し――』
『だから? だからなんだって言うんですか!! 結局あなた達は私のことをちゃんと見ようとしてない! 見てないからこんなことが言えるんです!!』
『あ、愛子さん! お、落ち着いて!! 貴女の大切な生徒が行方不明になってしまったことがショックなのはわかります。ですから――』
『その原因を作ったのもあなた達でしょう!!! 私は、わたし、は……』
必死になだめようとしても彼女の怒りは収まらない。暴発し、
『みんな、を……あのこたちを、まもりたかっただけなのに……うっ、ぁぁ……あぁぁ…………』
後悔に、自責の念に、罪悪感に苛まれて幼子のように泣きじゃくる愛子を見てデビッドとチェイスの中で何かが崩れ去っていった。
自分達は本当に何を見ていたのか、と。
本当に愛子への愛を抱いていたのなら、彼女をこんな顔にする前にもっと何か出来たのではないか、と。本当に自分達は彼女のそばにいる資格があるのか、と。
『みんな、ごめんなさい……たすけられなくて……なにもできなくて……うぁ、ぁぁ……』
慟哭する目の前の女性を慰めることも、声をかけることも出来ず、二人の男はただじっと自分達が『愛していた』と思い込んでいた人が泣き疲れて眠る様を見ることだけしか出来なかった……。
『今すぐ、永山君達を軍務から解放しなさい。でなければ私はもうあなた達に一切協力しません』
……そしてその翌日。一晩中泣きはらし、せめて残った永山達だけでも守らんと決意した愛子はすぐさまエリヒド王及びイシュタル教皇へと取り次ぐことにした――永山達を即時解放しろ、と伝えるために。
もういなくなってしまった彼らは神と
『どうされましたかな愛子殿。彼らは私達が手厚く保護をしているではありませんか』
『この会を設けないのならば今後一切自分は従わない』と脅したことで設けられたこの席は当然紛糾した。
ようやくもたらされた救いの手を払うのと大差ないという滅茶苦茶な要求など呑んでしまう訳になどいかないし、一体どうしてそんなことを言い出したのだと周囲はざわめく。無論、その要求をしてきた愛子は問い質されたものの、彼女は怒りを露わにしながら自分の思いを叩きつけた。
『本来戦いのない世界から私達を連れてきただけでも十分腹立たしいのに、戦争でなく、何故あなた達のくだらない決めつけのせいで、どうして彼らは殺されなければならなかったんですか!!』
その言葉を聞き、王侯貴族や聖教教会の関係者は騒然とすると同時に怒りが沸いてきた。一体どこからその情報が漏れたのかということもそうだが、エヒト様の遣いとして敬っているというのになぜここまで言われねばならんのかと考えたためだ。
最近『豊穣の女神』と持ち上げられているから勘違いしているのではないか、と多くの者が目の前の女に苛立ちを隠さなくなった。
『いい加減にしていただきたい……! 貴殿はエヒト様の遣いであって、御身がエヒト様と同等の存在である訳ではないのですぞ!!』
『ええ、そうですね。そう言われていますね……ですが、そのエヒト様とやらの遣いである以上、私の意見は神様の意志の表れとは見ないのですか?――あなた達がくだらないことをしたせいで彼らを死なせてしまったんです。それで神様も怒り狂ったとは思わないのですか!!』
気炎を上げ、今にも掴みかからんとばかりに吠え立てる様を彼女を知る者が見れば、もう“愛ちゃん先生”などとは呼べないだろう。それほどまでの勢いで必死に意見していく彼女を見てエリヒド王もルルアリア妃も、同席していたリリアーナやランデル王子も下手なことは言えないと確信していた。そこで一人の老人が動く。
『なるほど。愛子殿の使徒様を思う気持ち、痛ましい程に理解できました』
教皇イシュタルである。彼は悲痛な表情を浮かべながら愛子に寄り添うように優しく言葉をかけていく。
『このようなことが起これば愛子殿も我らを信じるに値しないと断じてもおかしくはないでしょう』
『い、イシュタル様! そ、それでは――!!』
『ですからどうぞ、この老骨の最後の頼みを聞いていただけないでしょうか?』
そう言いながら頭を下げたイシュタルにトータスの人間誰もが驚きを禁じえず、黙らざるを得なかった。そこで愛子が視線で続きを促すと、イシュタルは申し訳なさそうな顔を浮かべてあることを話してきた。
『もう一度、国を回って農地改革をしろ、と』
『左様です』
それはもう一度だけ、せめてハイリヒ王国の領土内だけでも農地改革及び開拓を行ってほしいというもの。代わりに永山達神の使徒を
愛子としてはこれすら蹴ってしまいたいところであったが、この場で宗教のトップであるイシュタルがわざわざ提案してきたのである。それを跳ね除けてしまえばこれ以上の譲歩を引き出すことは難しいとも愛子は考えた。最悪この場で自分が切り捨てられる可能性も今更ながら浮かんだし、そうなってしまえば永山達を守る人間がいなくなってしまう。
『……わかり、ました。ですが、その約束をしっかりと履行していただけるんですね?』
だからこそ、その言葉にどこか引っかかるものを感じつつも、愛子にはそれを呑むしかなかったのである。今一度それが守られるか否かを確認するとイシュタルはにこやかな笑みを浮かべ、深くうなずいた。
『無論です。全ての教会関係者にもお伝えしましょう。ですからどうか、お願いいたします』
そう言って改めて頭を下げたイシュタルを見て、愛子はゆっくりとだがうなずくしか出来ず。そして今回の話し合いが終わると同時に謁見の間の扉の前で待っていた護衛を振り切って自室へと戻っていったのだ。
愛子が来るのを待っている間、昨晩何があったかをデビッドとチェイスから聞かされていたクリス、ジェイド、ローリエは彼女に黙ってついて行った。とはいえ焦っている理由に関してはわかったものの、それでも他の三人も彼女のことが心配であった。
「……よし、終わりました。では早速向かいましょう――ぁっ」
「愛子っ!」
そうこうしているうちに愛子も荷造りを終え、すぐさま部屋を出ようとする。が、そこでふらついた彼女の腕をジェイドが引く。
「全く、危ないなぁ愛子ちゃん――ほら、荷物は他の三人にでも任せて。僕が優しくエスコートするさ」
「待ておいクリス! 愛子の負担を減らしたいのはわかるが、それは護衛隊隊長である俺が――」
流石に連日の疲労は一晩寝た程度では回復せず、思わずもつれて倒れそうになったところを支えてもらったため、この国の人間をあまりいい感情を向けていなかった愛子も『ありがとう、ございます……』と一応の礼を述べ、手を差し伸べたクリスにエスコートされながらも歩いていく。
(また我ら神殿騎士をたぶらかす気ですか。忌々しい女め)
――そんな必死に前へ前へと動く愛子と、彼女を支えるべく動く男共を見てローリエは端正な顔を歪めていた。
(まぁ、今はまだ生かしておいてあげます。あなたの能力は有用ですから……絶対に教皇聖下とエヒト様を愚弄した罪は
心の中で口汚く罵った
彼女もまた教会から送り込まれた刺客の一人であった。デビッドとチェイスは愛子を篭絡する目的で、ローリエは
だが肝心のデビッドとチェイスは、同じ目的で国から送り込まれたクリスとジェイドと一緒にあの女にお熱になっており、また自分も教皇の命が無ければ行動を起こすことが出来ない。そのことにもどかしさを感じつつも、今はただ表向きの護衛という役割に甘んじていた。
(いつか必ず、私の手であの女を殺す……その暁には教皇聖下も、エヒト様も私の行いを評価してくださるでしょう。あぁ! あぁ早く! 教皇聖下、エヒト様! あの汚らわしい女を徹底的に辱めて殺す許可を!! どうか! どうか!!)
そして恍惚とした表情を浮かべながら天を仰げば、狂信に満ちた表情でおぞましい願いを乞い願う。そんな時、ローリエが来てないことに気付き、急ぎ部屋に戻ってきたチェイスが彼女に声をかけてきた。
「ローリエ、どうしました? もう愛子さんは既に部屋の外に出ていますよ」
「――あっ。ごめんなさい。今行きますね」
その一言ですぐ我に返ったローリエはいつものように笑顔の仮面を再度張り付け、すぐに護衛の任務へと戻っていった――いつかあの神様気取りの女を血だるまに出来ることを夢見ながら。
「……そろそろ時間か」
「あら、そのようですね重吾様。此度も私の話に付き合っていただき、ありがとうございました」
「いや、俺としてもいい時間を過ごすことが出来た……では、これで失礼する」
そう言って永山が部屋を後にするのを見届けると、わざわざ来てくれた客人をもてなすためにしていた笑顔を止め、リリアーナは視線を落とした。ドレスにしわが出来るのも構わずに掴んで握り、努めて抑えていた呼吸も荒くなっていく。
(どうすればいいの……私は、一体何をすれば……)
先日謹慎が解かれたことで、ここ最近は公務に参加する機会も徐々に増えてきたリリアーナであったが、南雲ハジメらを裏切者扱いしていた時から感じ続けていた違和感が先日の愛子の件で確たる不安へと変わっていたからだ。
(ある日を境に光輝さんでなく重吾さんが会いに来るようになったことも愛子さんのおかげでわかりました……どうして公務以外で部屋の外に出ると移動が制限されるのかも……私は、私は……)
永山が会いに来るようになった理由としては『光輝は所用があってしばらく顔を出せなくなった』というものであった。無論、リリアーナはそれが何かを誤魔化すための嘘だということは見抜いていたが、長いこと謹慎していたことで情報が足らず、その理由までは思い至らなかった――愛子が『光輝達が自分達の政争のせいで死んだ』と言うまでは。
つまり“勇者”である光輝が死んだからこそ、その情報が出まわることを危惧していたのだろう。愛子からそれを聞くまではヘリーナの耳、ましてや自分にもその知らせが届くことは無かったことを考えれば、国のトップ以外に緘口令が敷かれていたのだろうと容易に想像がつく。それを考えれば偶然とはいえあの場に同席出来たのは紛れもなく幸運であったといえよう。
(このことが諸外国に露見してしまったら王国の立場も揺らいでしまう……だからこそ私にすらその情報が伏せられたのはわかります。ですが、ですが……どうしてこんなことに)
今にして思えば移動に制限がかかっていたのも光輝達の死を隠蔽するためだろうとリリアーナは理解していた。以前部屋を移動する際、雫や香織のいる部屋の前を横切っていけば目的地に近かったというのにそれをせずに遠回りしたこともそのためだったのだろうと。
だからこそ、苦しい。いち王族として何か出来ることがあったかもしれないというのに何も出来なかったことが。王族といえど結局何も出来ない自分の立場が、それに甘んじるしかないということが。それがただただ辛い。
(オルクス大迷宮で何があったかは重吾さんも話してくれませんし、愛子さんも詳しくは語らなかった……けれども愛子さんの言う通り、殺されたのでしょうね。この国に、そして聖教教会に)
リリアーナの心は深い闇に沈んだままであった。自分達に遣わされたはずの彼らが自分達のせいで死に、そして残った永山達は今もまだ利用されようとしている。戦いと無縁の世界で生きていたはずの彼らが、自分達のために血の一滴すら残さず利用され続けている。その罪深さを理解できないほどリリアーナは愚かにはなれなかったし、目を背けるほど彼女は外道になれなかった。
(それだけじゃない……クゼリーも、クゼリーも光輝さん達がいなくなった辺りからおかしくなってしまっています)
そしてリリアーナの不安はそれだけではなかった。かつて自分の護衛をしてくれていた近衛騎士のクゼリーの異変もまた彼女の心を蝕んでいた。
(確かオルクス大迷宮での訓練の責任者は彼女だったはず……光輝さん達十五人もの神の使徒が失踪したとなれば領地の剥奪はおろか、そのまま斬首刑になってもおかしくありません。でも今は……敬虔な信者になっている以外の話は聞いたことがありません)
失踪したのが裏切り者として扱われている南雲ハジメ、中村恵里、谷口鈴の三名だけだったらこんな大事にはならなかった。むしろ彼ら三名を排除できた事で何らかの褒章をもらうのではないか、とリリアーナは考えている。
だが実際のところは神の使徒の大量失踪。このことが他国に知れ渡ってしまえば王国の権威の失墜や教皇イシュタルの罷免、果ては同盟国であるヘルシャー帝国やハイリヒ王国傘下にあるアンカジ公国との関係の悪化もあり得る。
それを考えれば極刑以外はあり得ない。だがクゼリーはこうして生きている。きっと父のエリヒド王の計らいだろう。メルドがいなくなった事に加え、今回の訓練で多くの神殿騎士が死んだ。ここでまた腕の立つクゼリーまで処刑しては王国の戦力が更に低下するのは間違いないため、魔人族との事を鑑みて色々と手を回してくれたのだろうとリリアーナは思った。だが――。
(けれどもエヒト様の教え以外は目に映っていないかもしれないぐらいに信心深く……いえ熱狂と言っていいほど。何が、何が起きたというの……)
自分の許に就いていた頃、彼女の実直な人柄に好意を抱き、信頼していたというのに、今はもう別人のようになっているかもしれない。そのことがあまりにも怖かった。
知らないうちに何もかもが失われていっているような気がして、自分の手足すら気づかぬうちに切り落とされていくような気がして怖くなったのだ。
「リリアーナ様……」
そんな震える自分の手にヘリーナはそっと自分の手を重ねてくれた。たったそれだけ、それだけのものが今の自分にとってはひどく温かく感じ――同時に怖かった。ずっと自分と一緒にいてくれた彼女すら消えてしまいそうで。そんな根拠のない不安に苛まれて。それを振り払うことが出来なくて。
「ヘリーナ……ヘリーナぁ!!」
もうリリアーナは王族としての振る舞いも忘れ、ただ恐怖に震える幼子のように自分の半身ともいえる侍従に抱き着く。今こうして感じる温かみがいつか消えてしまいそうなことに怯えながら。今感じられるこの温かみにすがりながら。
「リリアーナ様……私は、私はずっと姫様と共にいます」
すすり泣く自分の主にそんなありきたりな言葉しかかけられないことに悔しさを感じながらも、ヘリーナはただリリアーナが泣き止むのを待つ。それがきっと一番自分の主人に必要なものだと考えながら。
「さて、行くぞ霧乃」
「はい。お義父さん」
鷲三が声をかけると、霧乃もすぐさま荷馬車の底に張り付くのをやめ、静かに地面へと降りる。そして周囲の人間が自分達に意識がいっていないのを声や気配から確認すると、姿勢を低くした状態で素早く動く。
“気配操作”の力もあって気づかれることなくほんの数瞬で壁際までたどり着くと、ボルダリングの要領で壁を一気に登っていく。そのまま壁を登り終えて屋根まで行くと、誰にも見られないような場所に身を隠し、念のためカムフラージュ用に持ってきたレンガの模様のついた布を懐から出すとそれで自分達の体を覆う。そしてそのまま日が暮れるのをじっと待った。
そうして日が暮れて闇が深まった後、布をしまい終えた二人は月明かりと窓から漏れる光を頼りにすぐに目的の人物――畑山愛子を探しに動いた。
ほどなくして暗がりの中一人でベッドに腰かけていた対象を見つけ、音を立てないようゆっくりと窓に近づき、そっと窓を開けていく。
「……一体何が? 建付けが悪いんでしょうか――!?」
異変に気付き、窓の方へと向かってきた彼女の背後を取ると、すぐさま鷲三は彼女の口を塞ぐ。どう言い繕っても自分達は闖入者でしかないし、下手に騒がれたら目的を果たせないためだ。
「失礼――すまないが私は八重樫鷲三という。雫の祖父だ」
「同じく霧乃です――これで信じてもらえるでしょうか」
小声でそう伝えると同時に鷲三と霧乃は懐から免許証を取り出して愛子に見せた。突然の事態に驚いてはいたものの、とりあえず今自分の近くにいる人間がただの不審者でないことを理解し、愛子は目で何で来たのかを訴えた。
「このような形で接することになって申し訳ない……後でそれはいくらでも詫びよう」
「……いえ、そのことはこの際問いません。ですが、一体何がどうして私のところへ?」
免許証を見せたというのもプラスに働いているとはいえ、こうして自分達の行いを不問にする辺り相当人が出来ているのだろう。それを理解し、こうせざるを得なかったことを恥じながらも鷲三と霧乃は当初の目的とその理由を話し始める。
「私達がこうしてあなたに接触したのも雫達に頼まれたのが理由だ。愛子さん、あなたを守ってあげてほしいと」
「教会……いえ、神と名乗るエヒトと思しき相手の姦計を退けた後、あの子達から頼まれたのです――それと、このお願いを受けた時点ではあの子達は怪我一つありませんでしたよ……心の傷は深かったですが」
「――うして。どうしてこちらに来たんですか」
二人の言葉を聞き、愛子は死んだと聞いていたクラスメイト達が無事であることに安心すると同時に場違いな感情が彼女の脳裏に逆巻いた。
「愛子さん?」
「私なんかよりも、あの子達の方を守ってほしかった……! 私は、私は結局あの子達のことを何一つ守れてなんて……」
恨みであった。自分のことなんてどうだっていい。それよりも無事でいてくれた彼らのそばにいて欲しかった。だからこそこうして自分を守るためにこの場にいる二人に恨み言を吐いてしまう。たとえそれが自分が守りたかったあの子達がしてくれたものであっても。それを聞き届け、こうして来てくれた二人であったとしてもだ。
「そう思う気持ちは私にもわかります。私もお義父さんも、あの子達に助けられてばかりでしたから」
すると霧乃が愛子の手を取りながら優しく言葉をかけた。神殿騎士の多くに引導を渡しこそしたものの、自分達が不覚を取ったせいで本来傷つかなくていい子供達が心身ともに深く傷を負ってしまったのだから。その痛みは、思いは鷲三も霧乃もよくわかっていた。
「あちらの動きからしてあなたの方にも何らかの形で手出しがあるでしょう――そんな時、もしあなたがその魔の手にかかってしまったら、あの子達も悲しむ。だからどうか、わかって下さい」
「恨むな、とは言いません。ですが何と言われようと私達はあなたの盾になります。あの子達がいつか無事戻ってきた時、喜べるように」
「う、うぅ……うぅぅ……」
声を押し殺して泣く愛子に二人は声をかける。そして霧乃は涙を流す愛子をそっと抱きしめてその小さい背中を撫でていく。女神と称される若人に、二つの影はそっと寄り添う。
『ふむ。これでとりあえず駒は全て並んだな』
――それを遥か上から眺める存在がいるとも知らずに。
『まずはこれで良し。後は神子をポーターが連れてくるのを待つだけか……他にも駒をくれてやったのだ。相応の働きを期待しているぞ』
盤面を見渡しながらエヒトは嗤う。幾つかのイレギュラーこそあったものの、それも目当ての“神子”が来るならばかの存在にとっては些末事でしかない。これから自分の思う通りに全てが運ぶと思うとむしろ嗤いが止まらないぐらいであった。
『さて――エーアスト、ツヴァイト、ドリット』
「「「はっ」」」
地上の様子をひとしきり眺めた後、エヒトは近くで控えていた使徒らにその手をかざす。
『これより我が秘儀を授ける――まずはあの二人で試してみよ』
かしずく三体の使徒の瞳に昇華魔法と変成魔法を複合したものをかけていく。昇華魔法により使徒の情報を書き換え、そして変成魔法でより鮮明にその力を付与する――それはあらゆる生き物の持つ魔力を視認できるようにするものであった。
「「「感謝いたします我が主よ」」」
瞳の改造が終わると三体の使徒は一度頭を深く下げてからその場を去った。目的を果たすために。己の主を満足させるために。
『さて……思うままに悲鳴を上げよ。愛しき我が
暗雲は、未だ晴れる様子はない。
ぶっちゃけ愛ちゃんって状況とか境遇が悪かったらこんな感じになると思うんです(本日の言い訳)
なお作者の頭にはある√がはっきりと浮かんでおり、今のところそれを改める方法とかが全然浮かびません。まぁそうなったらなったで『コイツの頭固すぎんだろjk』と思っていただければ(全力の逃げ腰)