まだの方はエイプリルフールに投稿した前編もご覧になってください。それでは本編をどうぞ。
ちなみにおまけ含めて15000字近くあります(ォィ)
「……どうして? どうしてこっちの世界の雫ちゃんが残らないと駄目なの?」
別の世界の雫こと八重樫から言われた言葉に、香織はしばし呆然とする。言葉の真意を理解しかねた香織は、首をかしげつつも彼女にその言葉の意味を問いただす。
「さっき話したこと……私達の世界で起きたことを考えるとね」
うっすらと差し込む月明かりに照らされ、八重樫は伏し目がちに備え付けのテーブルをなでながら答えた。その言葉を聞いてふと香織は、先程八重樫が語った彼女の世界で起きたことを思い出す。
「それって……そっちの雫ちゃんの世界のクラスメイトの皆のこと、だよね」
現実を知ってしまったことによるクラスメイト達の士気の崩壊、それも
大まかにしか彼女は話してなかったが、どのクラスメイトも戦線離脱を許されなかったことを香織は覚えていた。それを考えれば彼女が何故こんなことを頼んできたのかもなんとなく察することが出来たのである。
「そうよ。察してくれて助かるわ……皆を追い詰めるつもりなんてなかった。けど、それが言い訳になるなんて思ってないもの」
「こことそっちじゃ状況が違うとはいえ、流石にね……私だって、残らないとって思ったわ」
自分と雫がいなくなることで皆の戦いへのモチベーションが下がり、そのせいで国から追い詰められる。それを考えれば香織も雫を連れて行くことをためらってしまう。
八重樫の苦虫を噛み潰したような顔を見れば余計にそう思える。チラッと見た雫がどこか苦しげながらも決意したような表情になり、八重樫に視線を向けていたのがわかったからなおさらであった。
「それと、光輝の手綱も握っててくれるとありがたいわ……アイツ、孤立してても無理して頑張ってたから。流石に見てられなくって」
トドメに自分達の幼馴染みのことを出されてしまい、香織もため息を吐くしか出来なかった。話を聞いた感じでは向こうの世界の光輝もこちらの世界と大差ない様子である。いくら雫共々苦労してるとはいえ幼馴染みに同じような苦しみを味わわせたいと思うほど香織もスレてはいないからだ。
「……わかったわ。私に任せてちょうだい」
「ねぇ雫ちゃん。あのね」
「南雲くん、心配なんでしょ」
それでも雫がその苦労を買って出たため、香織は胸が締め付けられる思いであった。やっぱりやめようと言い出そうとした時、くちびるに雫の人差し指が当たってハッとしてしまう。
「それは……でもっ」
「八重樫さん、私の方からもひとつお願いいいかしら?――すぐ届く手紙とか、スマホみたいなアーティファクトをそっちの南雲くんに作ってもらえる?」
確かにハジメと会いたいという思いはあるが、それは親友に苦労を押しつけてでも成就したいと願うほどのものではない。だからこのワガママに封をしようとした時、雫の頼みを聞いて香織はあっけにとられてしまう。
「確約は出来ないわよ? まぁ私も頼もうとは思ってたし、やるだけやってみるわ」
「……何から何まで頭が上がらないわね。本当にありがとう」
実際八重樫は
互いに苦笑し合う雫と八重樫を見て、香織はしばし間抜け面をさらしてしまっていた。
「えっとその……ありがとう、そっちの雫ちゃん。私達のために色々考えてくれて」
「無責任なことはしたくないだけよ」
赤面しながらも香織が礼を述べれば、八重樫もまた首を横に振ってなんてことないとばかりに返してくれる。彼女の優しさに改めて感謝しつつ、香織はすぐにクローゼットへと駆け寄っていった。
「じゃあ雫ちゃん、すぐ着替えるから連れてって!」
「まったくもう、香織ったら……」
「了解。時間も惜しいしすぐに支度して――」
「大丈夫か香織、雫っ!」
八重樫の頼みも理解した。雫を置いていく不安もかなり消えた。ならばもう一分一秒が惜しいとばかりに香織はすぐさま着替えに移ったのである。雫と八重樫の苦笑いが部屋に響く中、ネグリジェを脱いだその瞬間に自室の扉が勢いよく開け放たれた。
「「「えっ」」」
「…………えっ」
その瞬間、世界が凍った。
香織は入り口にいた光輝と龍太郎と仲良く素っ頓狂な声を漏らし、雫も遅れて間抜けな声を垂れ流す。
「ぁ……光輝、あんたって奴はァー!!」
「「ぐぇええぇ~~っ!?」」
その直後、八重樫の怒気で震える声、空気が裂ける音、石などの堅いものが砕けるような音が部屋に響く。その数秒後、ようやく事態を理解した香織は全身が真っ赤に染め上がってしまった。
「こ、光輝くんと龍太郎くんのばかぁ~~!!」
「香織、八重樫さん。後は全部私に任せて。
「お願いね、そっちの私……ごめんね香織。ちょっと私も気が抜け過ぎてたわ」
香織はそのままぺたんと床に腰を落として身もだえてしまう。あまりの恥ずかしさに雫の絶対零度もかくやの冷たい声も、こちらへと駆け足で寄ってきた八重樫の足音にも気づけずにいた。
「早く着替えて南雲君を迎えに行きましょ。後で何かお詫びもするから」
「……南雲くんの役に立ちそうな道具、ちょうだい」
「割と大丈夫そうね……ちょっとしたアイテムだったらね」
八重樫に手伝ってもらいつつ、香織は鼻をぐすぐすと鳴らしながら着替えていく。すぐに着替えを終わらせると、八重樫が展開した光の膜に香織も飛び込んでその場から消えたのであった……。
「ここでもないわね……」
光の膜を通ってオルクス大迷宮へと突入した香織と八重樫は今、
「ねぇ雫ちゃん」
「水が流れている横穴だけに注目すればいいけれど……どの感知系の技能も引っかからないのは手間ね」
「ちょっと雫ちゃん話聞いて」
例のトラップで転移した場所にたどり着いた直後、八重樫が十秒そこらで骸骨の魔物であるトラウムソルジャーの群れもあのベヒモスも一刀の下切り捨てた。そして彼女の空中に浮く技能を駆使して共に崖を下り、こうして探してくれているのである。
「仕方ないでしょ。手を繋ぐより安全なんだもの」
「だからっておんぶはちょっと恥ずかしいんだけど!! あと冷たいしちょっと痛いし暗い!」
……八重樫におんぶされた状態で、だが。それも岩で出来た鎖でくくりつけられた状態で、である。しかもベヒモスと戦う直前にやられて今もずっと続いているのだ。
真っ暗な世界を八重樫が自在に飛び回っているため、彼女の体温と存在を感じられることからやられた当初よりは恥ずかしさは消えた。何せ唯一信じられるのがしがみついている彼女の体だけだからだ。とはいえ赤ちゃんみたいな扱いが続いていることに香織は恥ずかしさを感じ続けていた。
「あーもうあんまりわがまま言わないの……この穴、もしかして」
「雫ちゃん、まさか」
「覚えがあるわ。行ってみましょ」
そうしてしばし漫才を繰り広げながら奈落の底を探っていた香織と八重樫であったが、不意に八重樫が漏らした声に香織も思わずハッとする。相変わらず真っ暗で何も見えないものの、彼女の口ぶりからしてそうだと確信した香織は八重樫にぎゅっとしがみつく。
「この景色に気配……間違いないわ」
「ここが……そっか。そうなんだね」
たどり着いたのは八重樫が述べたように川のような場所であった。緑光石でうっすらと見える水の流れに沿って八重樫が動き、ある岸にたどりいたところで香織は体を縛られる感覚が消えたのに気づく。
「ここからはおんぶしてると危険だから。香織、ついてきて」
「うん。お願い雫ちゃん。私を南雲くんのところに連れて行って」
そうして八重樫の背中から降りると、香織は持ってきた杖をギュッと握りしめて彼女の後ろをそろそろと歩いて行く。岩や壁があちこちからせり出し、複雑にうねる通路を二人は進む。
「窒息でもしてくれりゃあいいが……俺が待てないなぁ」
「っ! この声、まさか」
「慎重に、慎重に行くわよ香織」
キョロキョロと周囲を見つめながら進んでいた香織であったが、ふと前方から聞こえた覚えのある声に思わず前を向いてしまう。生きててくれたことに安堵と喜びが爆発しそうになったが、八重樫のどこか冷たく緊張感の伴った声に香織も冷静さを取り戻す。
「ごめんね、雫ちゃん……まだ、安全な場所じゃないのに」
「そういう意味もあったけど……香織、覚悟しなさい」
そのことをわびる香織であったが、八重樫の『覚悟』という言葉に思わず首をかしげてしまう。いつ
「さ~て、
――どこか見覚えのある顔立ち、髪型、格好をした少年がギラついた眼差しで地面に武器を突き立てていたからだ。
「なぐも、くん……?」
柄を軽く前後させてらせん状の細い刃先が地面から抜けないのを確認した様子の少年は、槍らしき武器の手元にあるハンドルのようなものを右手で回していく。すると先端がそれに合わせて回転を始め、ゆっくりと地面を掘り進めていくのがわかった。
「グルァアアー!?」
「痛てぇか? 謝罪はしねえぞ? 俺が生きる為だ。お前らも俺を喰うだろう? お互い様さ」
ひどく聞き覚えのある声色なのに香織の記憶にない、彼が絶対発しないであろう言葉がその少年の口から聞こえる。たまに苦笑いを浮かべて、でも柔らかく微笑むのが似合う彼の面影を残した少年が、魔物の上げたであろう悲鳴を聞きながら口の端をつり上げている。
「こう、なるのね……」
「なん、で……」
何もかもが信じられず、足下から全てが崩れ落ちていくような感覚に香織は襲われる。目の前の男の子は誰? 南雲くんはどこ? なんで左腕がないの? どうして私ここに来たんだっけ? 頭の中を無数の問いがぐるぐると巡り、今自分がここにいる意味すらも見失ってしまう。
「しまっ――くっ!」
「あ?……敵か?」
八重樫のつぶやきにすら反応できず、香織は思わず後ずさる。それがマズかった。ブーツのかかとに小石が当たり、それが壁に当たって反響したのである。即座に八重樫が前に立ち、雫のように刀を構えたであろうことを香織は姿勢から推測する。
「香織、構えて。私が絶対守るけど用心して」
「……っ! う、ん」
そしてかけられた八重樫から言葉に香織はすぐに反応出来ずにいた。目の前の少年とハジメがどうしてもイコールで結びつかない。こちらへと向けられた視線の鋭さが記憶の中の彼と重ならない。その迷いが香織の思考を鈍らせ、生返事しか出来なかったのである。
「白崎と誰だ……まぁいい。人間に化けたか幻でも見せる魔物か。殺す」
「……ぁ」
故に彼の声から、彼の細まった目から
(……そっか。二週間、経ってるもんね。そう、なるよね)
その理由にすぐ香織は気づいた。落ちるまではあったはずの左腕がないこと、持ってないはずの武器を扱ってること、それと『生きるために』という発言からして彼は壮絶な経験をしたであろうことにだ。
「“錬成”」
どれほどの壮絶な経験だったのだろうと思いをはせようとした瞬間、聞き覚えのある言葉が香織の耳に飛び込む。直後、香織は自分の体が地面に沈み込む感覚に襲われた。
「香織、掴まって!」
「――っ! うんっ!」
すぐに八重樫が自分の左腕をとり、そのまま上へと跳躍したことで香織は杖を失うだけで済んだ。しかし今度は両方の壁が迫ってくることに気づいてしまう。
「……ぁ」
その時香織は遂に理解してしまった。
尊敬していた少年が自分達を殺そうとしていることに。もう彼の優しさはこの二週間で失われたかもしれないことに……もう『南雲ハジメ』はいなくなったかもしれない、ということにだ。
「香織っ!――ちょっと、おイタが過ぎるわよっ! “魄崩”っ! “縛地陣”!」
さっきまで八重樫の腕を掴んでいた手から力が抜け、そのまま落ちそうになるが八重樫は離してなどくれなかった。
そして約束を守れなかったことへの絶望に苛まれていたせいで香織は八重樫の叫びも、壁の動きが止まったのも、ハジメらしき少年が雁字搦めになったことにもすぐには気づかなかった。
「ぐぅ、ガァァアアアァァ!!」
「なん、で……どう、して……」
岩の鎖に全身を絡め取られた少年を見て香織は思う。目の前にいるのは誰? と。彼の見た目以外何も残ってない『誰か』なのか、それとも変容しただけでまだ『彼』なのかと考えてしまっていた。
「……予想がつかなかった訳じゃないけどね」
八重樫の言葉も香織の耳には届かない。香織の脳裏には残らない。
「“錬成”っ! “錬成”! “錬成”! “れんせぇ”っ!――殺す……絶対、殺して喰ってやる!」
八重樫が出した岩の鎖を変形させ、脱出しようともがく少年の姿だけを香織の目は捉え続ける。唯一の技能を使い、もがき、喰らわんとする彼の声だけが香織の耳と脳にこびりつく。
「私、魔物じゃないよ……食べ物じゃないよ、南雲くん」
首を何度も横に振り、全身を震わせながらも香織は彼の行動に、約束を破ったせいで起きた現実にただ怯えていた。
「どこまでも白崎のマネが上手いな。それでだませると思ったか」
「あーもう、どうにもならないわね……香織、どうするの?」
「どうする、って……ひゃっ!?」
もうどうすれば、何をすればいいかわからなくなった香織の耳に軽い苛立ちを伴った八重樫の声が届く。強い視線を一瞬感じた香織がそちらを向き、質問の意図を尋ねようとした時に舞った血しぶきがほほにかかった。
「南雲君のことよ。あきらめるの? それとも、助けるの?」
血が飛んできた方を見やれば狼のような魔物が複数体、左右に両断されるのが見えた。改めて認識出来た八重樫の強さに軽く放心していた香織だが、再度彼女から具体的に問われたことでまた頭の中で考えがぐるぐると巡り出す。
「私、は……」
「……このまま帰ったって、きっと誰もとがめなんてしないわ」
今更彼に何が出来る? どう償えばいい? ただ大人しく食べられるしかない? 幾つものネガティブな考えが堂々巡りする中、八重樫の言葉にぴくりと香織は反応する。
「パッと見で正気を失ってるのと大差ないもの。でも、あなたはどうしたいの? どう
確かに八重樫の言った通りだ。もう正気を失っているようにしか見えないし、そうなっても仕方ない時間が経過している。だが彼女から優しく問いかけられたことで香織は『やりたかったこと』を思い出す。
「……そっか。私、まだ
そして目の前の少年の言葉が何を言ったかを思い出し、鼻水をすすりながら彼をじっと見つめる。
「ごめんなさい南雲くん。私、約束を守れなかった。考えだって甘かったよ。でも、でもね……あきらめたく、ないよ」
八重樫の服のすそを掴みつつ、香織はゆっくりと立ち上がっていく。自分の中の後悔を、自分の中の甘さを吐き出しながら。それでも、と岩の鎖に絡めとられた少年に訴え続けた。
「だって私、南雲くんを尊敬……ううん、南雲くんが好きだから! 今度こそ助けたいの!!」
もう手遅れでも、無意味であっても、それでも香織は進むことを選んで叫ぶ。
だって南雲ハジメという少年を尊敬
どんな苦境でも立ち向かっていくハジメを
こうなってもなお自分を覚えてくれていた彼を救いたいから。
だから白崎香織は『諦める』ことを諦めた。
「そうね。香織ならそうするって思ってたわ!」
「……は? 何言ってやが――」
諦めたことで、呆れと賞賛の入り交じった八重樫の言葉も香織は聞こえた。本気で困惑しているハジメの声も聞こえた。そしてどこからか響いた腹の虫の音すらも香織は気づくことが出来た。
「っ、雫ちゃん! 今の雫ちゃんじゃないよね!?」
「いや当たり前でしょ!? そうでも言わないわよ!?」
「じゃあご飯! ご飯作ろうよ! お腹いっぱいなら南雲くんも話聞いてくれるよね!」
念のために八重樫に問いかければ彼女は顔をほんのり赤くしながらも反論してくる。これならイケると確信した香織は両手を強く握りしめ、彼を救えるかもしれない方法を大声で口にした。
「メシ、だと……っ」
「やっぱり香織も思いつくわよね――じゃ、まずは場所を用意しないと、ねっ!」
「う、うん! お願い!」
八重樫の口元が一瞬つり上がったことに香織はちょっと不安を覚えるも、彼女の力をアテにする。奥から新たに現れた大きなウサギのような魔物も一瞬で真っ二つにすると、八重樫は土属性の魔法を発動して壁に大穴を開けた。
「香織! とりあえずフライパンと食材、適当に出したからそれで調理して!」
「ありがとう雫ちゃん!――じゃあ南雲くん、ちょっとだけ待ってて!」
穴を開けた勢いで即席の作業台も作り、その上に幾つもの調理器具と食材まで八重樫は用意してくれた。穴の前で刀を構える彼女にお礼を言うと、香織はすぐに出ている食材で何を作るべきかを考える。
(今の南雲くんは胃腸が相当弱ってるはず! まだ生きててくれたのはきっとあの水のおかげだと思うけど、負担が少ない方が絶対にいい!)
作業台の上に並べられた堅そうなパンや何かのミルクなどを一瞥すると、すぐに香織はミルクをフライパンの上に流し込む。そして作業台のくぼんだスペースにフライパンを置くと“火種”を発動する。
(早く作るのが一番だけど、だからって美味しさを犠牲にしなくってもいいよね!)
温めるミルクに膜が張らないよう火の強さに注意しつつ、堅いパンを強引に一センチ程度の大きさにちぎっていく。消化の悪い肉や野菜は放置し、容器に入っていた塩こしょうをひとつまみして温まっているミルクへと振りかけていく。
「あちち……味もオッケー。じゃあそろそろこっちも!」
お玉で軽くすくって味を確認した後、ちぎったパンを投入する。そしてパンがミルクを吸ってふっくらしたのを確認すると、香織は火を消してすぐにスプーンとフライパンを持って拘束されたままのハジメのところへと向かう。
「ぅぐっ、ぐぅぅ……」
「こういうの、飯テロって言うのよね?……たとえ違う世界でもね、私の親友を泣かせたしハジメを汚してくれたのよあんたは。ホント許さないから」
「雫ちゃん、ちょっと怖いよ……」
するとハジメは涙を流し、よだれを垂らしながら香織……というか彼女の持っていたフライパンを凝視している。また八重樫が彼を見下ろしながら恨み言をつぶやいており、どうして彼女が一瞬口元をつり上げたかを理解した香織の背筋にほんのり冷たいものが走る。
「ぐっ……こんな、幻なんかにぃ……」
「南雲くん、食べて。お腹、すいたでしょ」
何度も首を振ったり地面に頭を叩きつけているハジメに痛々しさを感じつつも、香織は彼の顔の前でかがんでフライパンにスプーンを入れる。フーフーと何度か息をかけた後、ミルクでふやけたパンを彼の口元へとそっと寄せた。
「ぐ、ぁ……ぁぐっ!!」
苦しげに顔をゆがめ、親の仇とばかりにスプーンの上のパンをハジメはにらんでいた。だがそれも三秒足らずで、すぐにスプーンごとかじりついてもしゃもしゃと一センチ大のパンを咀嚼していく。
「う、めぇ……うめぇ、よぉ……ぐすっ、ひっく……うっ」
……ごくりとのどを鳴らしたハジメが漏らした言葉を聞いて香織はやっと一息吐いた。嗚咽を漏らし、涙をぼろぼろと流す彼を見てやっと大丈夫だと思えたからだ。彼につられて鼻を鳴らしながらも香織は顔を上げ、八重樫の方を見た。
「雫、ちゃん……っ。南雲くんの、こと」
「わかってるわ。もう暴れたりしないでしょうし。私が連れてくから先に香織は戻ってて」
「うん……南雲くん。こっちでごはんの続き、しよ?」
「あぁ……あぁ……ごめん。本当に、悪かった……」
ハジメと一緒に嗚咽を漏らしながらも声をかければ、八重樫は微笑みながら香織に答えた。それを聞いた香織も泣き笑いを浮かべてハジメに声をかけ、彼もまたそれに何度もうなずいて返す。
「ごめんね、南雲くん。おかゆ、しょっぱくなっちゃった……」
ハジメの謝罪を聞きながら穴の中心へと移動した香織だったが、ある失敗のせいで苦笑してしまう――かくして少女は絶望と後悔を乗り越え、恋い焦がれた男の子を取り戻す。今度こそ失うものかと決意しつつも、失った時間を埋めようと彼と共に時を過ごすのであった。
「ねぇ南雲くん、落ち着いた?」
「………………ぉぅ」
拘束が解かれたハジメにパン粥を食べさせた後、香織は自分のひざの上に乗ったハジメの頭を何度となくなでていた。
既に穴はふさがれており、三人がいる壁の中も物置程度にまで広がっている。また中も周囲の緑光石やハジメが見つけた神結晶を中心に置いていることでそこそこの明るさを確保していた。
「ただその、白崎……そろそろ」
「やだ。だって久しぶりに南雲くんに会えたんだもん」
「そうね。香織を泣かせた罪、しっかりと償いなさい」
「へーい……」
こうして時折ハジメが頭を上げようとするも香織も八重樫も許しはしなかった。圧に負けて渋々頭を元の位置に戻すハジメを見て、もう何度目かわからない笑みを香織はこぼす。
「……なぁ白崎、どうして俺を助けたんだ?」
「さっきも言ったよ。好きだからって。それとね」
すると手持ち無沙汰になったのかハジメが質問を投げかけてきた。香織は軽く唇をとがらせながら答えると、また瞳をうるませながら続きを口にする。
「南雲くん、生きててくれてありがとう……ぐすっ。あの時、守れなくて、ごめ、ゴメンね……ひっく」
それはハジメへの感謝であり懺悔であった。どれだけの時間がかかっても見つけるつもりだったし、こうして生きててくれたことは素直に嬉しい。だがそれでも彼を苦境から救い出せなかったことに対する後悔は香織の中からまだ消えてはいなかった。
「心配かけて悪かった……でも、いいのか? 俺はお前を……それに。その」
だから香織はそれを言葉にしたのだが、当のハジメは苦い表情を浮かべたままだった。彼がどうしてそんな顔をしているかも香織にはわかる。何せ自分と八重樫を襲ったのだ。
「いいよ。その腕で、目つきでわがったから……っ」
そのことに対する後ろめたさが歯切れの悪さに表れているのを香織は察し、ハジメに許しの言葉をかける。
いつどこで魔物に襲われるかわからない場所で、たった一人で、腕を失って、その上飢えにも苦しんだからこうならざるを得なかった。それを香織も理解していたからだ。
「今度こそ、ま゛も゛るからっ! 私の好きな南雲くんを、も゛う傷つけさせない゛っ! 私がっ、絶対に゛っ!!」
「……馬鹿だなぁ、俺」
そして嗚咽混じりに香織は誓う。かつて破ってしまった約束を今度こそ守るために。好きな人ともう離れ離れにならないように。自身の視界がにじんでしまったせいで、香織はハジメが一瞬だけ自嘲気味に笑いながらつぶやいたことに気づけなかった。
「白崎、こんな俺で……色々と変わっちまった俺で良いのか?」
「いいよっ! 南雲くんがいいっ!! 全部、ぜんぶ受け止めるからっ!」
どこか戸惑った様子で問いかけてきたハジメに、香織は即座に返事をする。たとえどれだけ変わってしまったとしても、これがただのエゴでしかなかったとしても構わない。だって好きな人が今ここにいるから。だからこれがいいと香織は思いの丈をぶちまける。
「……わかった。でもその前に」
「私のことね。いいわ。どうして香織がここに来ることになったかについても話すから」
「うん……あっちの雫ちゃんのことも、ちゃんと、話すから」
ハジメがかつてのような柔らかい笑みを浮かべたのを見て、涙と鼻水を垂らしながらふにゃっと香織は笑う。そして彼の言葉を受けて八重樫が先んじて答えたのを聞き、香織も顔を何度もぬぐってここまでの経緯について語っていく。
「そう、なのか……この先に地球に戻るための手段が」
体を起こして話を聞き、それがひと段落してからハジメがつぶやいた。
「そうね。地上に戻ったところでエヒトに使い潰されるのが見えてるわ。だから二人とも、ここから先に進んでほしいの」
八重樫の素性のことも、ここを含めた幾つもの大迷宮を乗り越えた先に求めるものがあることも彼女は話したのである。そして八重樫からの頼みに香織は一度ハジメと目を合わせてからこくりとうなずく。
「うん。わかったよ雫ちゃん……でも、そうなると」
「そうよ。覚悟を決めてちょうだい。文字通り命がけのね」
ほんのり目が細まった雫からの言葉に香織は思わず両手を強く握ってしまう。
――八重樫達はかつて魔物の肉を食べ、体が砕け散りそうな感覚に襲われながらも神水の力で強引に体を修復して力を手に入れたと聞いている。そうやってこの大迷宮を進んだとも語っており、それをなぞれと暗に述べたことに恐怖を覚えたからだ。
「神代魔法を手に入れるのなら相応の強さが必要になる。それに私達の世界のハジメがエヒトの先兵と戦ってるの……それを乗り越えるためにも必要よ」
八重樫はそう言うと同時にいきなりウサギのような魔物の死体が彼女の真ん前に現れる。さっき彼女がどこからともなく調味料と調理器具を出したのを覚えてはいたものの、あまりに唐突なせいで香織はギョッとしてしまう。
「“引天” “絶禍”――よし。雑ではあるけど、これで一応血抜きは終わったわ。少しはマシな味になるはずよ」
そして八重樫が聞き慣れない魔法を詠唱すれば魔物の死体が上へと
「あとは――ふっ」
八重樫は刀で魔物をアッサリ解体し、ステーキ肉のようにカットしたものを軽く上に放り投げた。
「「えっ」」
そして刀を瞬時に鞘に仕舞ったのが見え、キン、と金属同士がぶつかるような音が空間に響く。直後、一センチ四方のサイコロ状の肉が無数に落下していくのが香織の目に映ったのである。
「雫ちゃんが怒らなくって良かった……」
「……俺、本当に運が良かったんだな」
「じゃあこれからサッと焼く――けどその前に。“絶象”」
何事も無かったかのように八重樫はお皿を取り出し、その上に降ってくる肉を器用に全て収めていく。彼女の絶技っぷりに香織はハジメと抱き合って仲良く震えていた。そんな時、いきなり八重樫が左手を突き出して何かを詠唱してきたのである。
「――っ!? 腕、が……俺の、左手」
「雫ちゃん、これって――!」
薄紅色の蛍火のような光が八重樫の手のひらから出て、ハジメの左腕へと吸い込まれるように向かっていく。そして彼の左腕が輝くと同時に失った腕が現れたのだ。まさに奇跡としか言い様がない事態に香織はハジメと何度も顔を合わせ、目をうるませながら八重樫に問いかける。
「下手なアーティファクトよりも遙かにいいでしょ? 両手が使えるに超したことなんてないわ」
「ありがと……ありがとぉしずくちゃぁ~ん」
「……何から何まで本当に悪い。マジで助かった」
「いいわ。この程度お安いご用よ」
ハジメを抱きしめながら香織は八重樫に涙声で感謝を伝える。礼を述べたハジメと一緒に香織も頭を下げるが、当の相手はなんてことないとばかりに右手をひらひらと動かすだけ。
「はいお待たせ……じゃあ、覚悟は出来たわね?」
そして油をしいたフライパンで魔物の肉を焼き、サイコロステーキのようにして皿に盛り付けたものを香織とハジメの前へと出してきた。塩こしょうのかかったそれを前に香織は生唾を飲み込んだ後、ハジメとまた顔を合わせる。
「……南雲くん、今度は一緒に行こう」
「あぁ。白崎、俺と一緒に来てくれ」
互いにうなずき合い、香織はお皿と一緒に渡されたフォークへと手を伸ばす。そして肉を勢いよく刺し、手を震わせながらもそれを勢いよく口の中へと放り込んだのであった……。
おまけその1:オルクス大迷宮突破後の雫とトーク+1
「あの時は本当に死ぬかと思ったよぉ……まさかもう一本首が生えてくるなんて」
「本当に大変だったのね……」
リビングらしき場所でテーブル一つ隔てて話をする香織と雫。大迷宮の最奥にあった解放者の住処の一室、そこへゲートホールを持っていた雫を香織がゲートキーで招いたのである。香織の隣にはハジメがおり、また香織の左手は常に
「香織と
「ん……ハジメ
「三人でも死にかけるなんて……私、突破出来るかしら」
香織が隣にいたハジメを見れば、ティーカップに口をつけながら当時のことを振り返っていた。また同席していたアレーティアも声をわずかに湿らせながらつぶやいている。それを聞いた雫も心配そうに少しうつむきながら弱音を吐いていた。
「流石に雫ちゃんにも魔物の肉を食べて、って薦められないしね……そうでもしないと倒せるかわからないし」
ヒュドラの相手をするには自分達と同様、ステータスの数値が大体二千そこらはないと厳しいと香織は考えていた。そのため自分とハジメのように魔物の肉を食ってあの激痛を乗り越えないと厳しいだろうし、それを薦める勇気は香織にはなかった。
「ん……あちらの八重樫
「八重樫、最悪俺達で全ての神代魔法は手に入れる。そのことは心配しないでくれ」
「うん……だから雫ちゃん。雫ちゃんは光輝くん達の方をお願い」
そのためアレーティアとハジメが最悪自分達でどうにかするとフォローを入れてくれたことに、香織は心の中で感謝していた。後でそのことを伝えようと考えつつ、香織は雫に微笑みかけながら大迷宮攻略を頑張るクラスメイト達の手伝いを頼み込む。
「ありがと、三人とも。あと香織、任せて……ところで、アレーティアさん。その、いつになったら香織のひざの上から退くのかしら?」
「は? 香織
雫が感謝を述べた後、香織のひざの上――隣のイスから身を乗り出してひざの上で寝そべっていたアレーティアにツッコミを入れる。するとアレーティアはスッと体を起こし、やや苛立った様子で反論した。それと同時に香織は乾いた笑いを浮かべていた。
「いやあなたのモノでもないでしょ……相変わらずね、ホント」
「うん、そうだね……雫ちゃんも本当にお疲れ様。雫ちゃんの苦労がまたわかった気がするよ……」
『
「うん、ありがと……喜んじゃいけないのはわかってるんだけどね。理解者がいるって結構心強いわ」
「あはは……うん。いつでも話出来るからね」
「香織お姉様、それは違います。私は八重樫雫を勝手に慕って暴走するような女達のように迷惑はかけてません」
「アレーティアお前、それ鏡見てから言えよ……まぁ愚痴程度なら俺も付き合うさ。俺も理解してるクチだしな」
三日に一度ほどのペースで開催されるようになったお茶会で、今日もまた四人はかしましく盛り上がったのであった……。
おまけその2:魔物肉を食べた後の香織達や八重樫らの動向(かんたんver)
香織とハジメが魔物肉を食べ、肉体の変異が収まった辺りで八重樫の元いた世界とのゲートが開く。そこで八重樫が向こうのハジメらに事情を話し、彼らから調味料や調理器具、それらを入れる宝物庫(容量は物置二つ分程度)をプレゼントされる。
そして恵里の裏切りについても注意し、「幸せになりなさい」と言い残してから八重樫は元の世界へと戻った。香織もハジメと一緒にゲートが消えるまで彼女に何度もありがとうと感謝を伝えて見送ったのであった。
おまけその3:この世界のアレーティアちゃんについて
八重樫のいた世界のアレーティアから頼まれたのもあり、香織とハジメはこの世界の吸血鬼の王を探すことを決める。この世界だと事情が違うことも考慮しつつ大迷宮を進み、無事に彼女を発見した。またそこで香織が「あの変な子!」とうっかり言いそうになり、ハジメの手によって即座に口を塞がれていたり。
そして香織がここにいる訳を聞かせて、と尋ねてからこれまでの経緯を話す。ハジメは香織に助けられたこともあってばつの悪い顔で目をそらし、香織は号泣して拘束された少女に抱きつく。
香織が「絶対助けるからね! もう一人にさせないから!」と言い放ち、またためらいながらも止めようとしてきたハジメもジト目を向けて黙らせる。また吸血鬼の少女がどうしてここにいるのかを尋ね、香織もその経緯をつらつらと語った。心の奥底では嫉妬の感情が湧き出したものの、助けてもらえるかもとちょっと期待が湧く。
ちなみに香織達は八重樫らから某金髪の子に関する注意も受けている。そのため「真っ先に救助するより先に血を飲ませてあげた方がいいかも」という結論を出していた。助けない、また真実を見せないという選択肢は無かった。
そのため助けると言った直後に香織が腕を差し出し、「私の血を吸っていいよ!」とまで言い出した。拘束された少女も血を吸ったことで『香織への』負の感情が消滅。飢餓状態で出された美味しいもの、100%の真心のコンビネーションには勝てなかったよ……。
そして向こうの世界の八重樫らから伝えられた例の水滴マークを見つけてハジメがクラッキング。少女が何故こんな目に遭ったかの理由を皆で知り、香織号泣。ハジメも軽くもらい泣きする。
元王の少女も最初こそ否定したものの、記憶を引っ張り出した際にそれが真実であると理解して叔父の愛の大きさにむせび泣く。またハジメへの好感度アップ。香織への好感度大アップ。
その後香織とハジメの協力によって助け出され、落ちてきたサソリモドキとご対面。二人から「共に戦おう」と言われたことで更に好感度アップ。香織達が動く前に即座に“蒼天”で燃やし、後は戸惑う二人に任せた。
そして拠点に戻った後、香織とハジメから一緒に来てほしいと頼まれる。更に好感度アップ。感激の涙を流しながらもアレーティアは『香織の前』にひざまずき、生涯をかけて尽くすことを誓った。なおそれを聞いた香織とハジメは一瞬で顔面蒼白になった。
二人から頼むからそういうのはやめてほしいと頼まれたものの、脳も魂も完全に灼き尽くされて好感度上限突破したアレーティアが本気で困惑してしまう。そのため三人仲良くオロオロすることに。
マジ焦りした香織から「友達で! 友達になろう! ね!?」と言われたものの「私めが香織『様』と対等な立場なんて無理です! どうか、どうかご慈悲を!」とガチ泣きしながら全力で食い下がるせいで余計にパニックに。そこでハジメが「じゃあもう『家族』に接する感じにしてくれ! リアルでやられるとむず痒いんだよ!!」と言い出す。
その時アレーティアに電流走る――!
・父:実の父よりも叔父のディンリードの方が相応しい
・母:実の母にそこまで情はない&香織を母として慕うと叔父とハジメに悪いからやれない
・姉:恩人の二人相手に流石に恐れ多い
そう考えた結果……。
アレーティア「わかりました――これからよろしくお願いします。香織
香織、ハジメ「「どうしてこうなった(白目)」」
即座に香織とハジメから土下座してまで撤回することを求められるも、じゃあどうすればいいかわからないとアレーティアはさめざめと泣いてしまう。そのため二人は折れてしまい、ソウルシスター√が爆誕する。
ちなみにアレーティアが香織とハジメ、あと雫に抱く感情や思いはこんな感じ
・香織:自分の全てを捧げることになっても別に構わない。自分をあの闇から救って真実を教えてくれた最高のお姉様♥ たまたま血が繋がってないだけ。
・ハジメ:バチクソ大好き。大好きだし兄として慕ってはいるけど香織お姉様の夫としては認めない!! むしろ私が香織お姉様の伴侶になるが!? と息巻いている。結果、ハジメに対してはツンが3でデレが7ぐらいの比率のツンデレ。
・雫:お前を香織お姉様の妹などとは認めない!(雫「あ、違います。ならなくていいです」)
友達なのはともかく、いくら親しくっても私以外の人間が香織お姉様の妹になれると思うなよ! と猫がフシャーと毛を逆立てるように威嚇してる感じ。なお友人としてはちゃんと認めてる。