松永家   作:空潟 聿

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彼女視点。
松永千尋(母)、彩花(母)、暖(はるか・21)、彩世(あやせ・16)、咲花(さら・8)と暖くんの彼女の薫(かおる・21)ちゃん。


透明なガラス(病気世界線)
また明日ねって言いたいのに


「今日のお昼どうする?」

 大学生活も残り僅か。県外生ばかりが集まる私のグループはもう少しで離れ離れになってしまう。私は地元で就職が決まったし、一緒に東京に行く人もいるけれど、茨城や青森、遠くは岡山まで行ってしまう。その人たちとの残りの時間をどう過ごそうか皆でわいわい話しながら考えている毎日。

「ね、あそこは? 最近できたばっかりのおしゃれなカフェあるじゃん」

「あ、いいね!」

「一回は行っておきたいもんねー」

「決まり!」

「ね!」

 最近、大学の近所に新しいカフェができた。随分前から工事をしていることは皆知っていて、何ができるのか楽しみにしていたらカフェだった。できた当初はものすごく混んでいて入店するのも躊躇われたけれど、今はまだ入りやすい人手になっているのをよく見かける。

 友達と一緒に歩いて向かうと、外からちょうど四人がけのテーブルが一席だけ空いているのが見えた。ちょうどいいね、と友達と話す。

 中に入ると案の定その唯一空いていた四人がけのテーブルに案内され、私たちは席についた。爽やかな柑橘系の香りのするおしぼりをもらい、手をあたためながら内装を眺める。アンティーク調の店内は落ち着いた雰囲気で、暖|≪はるか≫が好きそうだなとぼんやりと思う。いや、暖はこんな感じのものよりアメコミが置いてあるようなお店の方が好きかも、と思い。

「薫はどれにする?」

「あ、そうだなー」

 メニューを渡されて見てみると、特に変わった珍しい料理はなさそうだった。変わった料理があったとしても私がそれを頼むわけではないけれど、何か珍しいものがあると暖が喜びそうだから。

「……パスタランチ、にしようかな」

「オッケー」

「すみませーん」

 店員さんがやってきて、注文を取っていく。

 待っている間、店内では穏やかなクラシック音楽が流れていて、私たちもその雰囲気を邪魔しないようにおしゃべりを楽しむ。小声で、とまではいかないけれど、おしゃれに話そうね、と約束を交わすくらいには。

「まだかなー」

「まだでしょ」

 そんなツッコミを入れたところで私のスマホの着信音が鳴り響いた。メッセージならまだしも電話が鳴るのは珍しくて、発信者の名前を見ると、暖|≪はるか≫の妹の彩世|≪あやせ≫ちゃんだった。

「知り合いだ。出てもいい?」

「いいよー」

 友達の許可も得て、また後でかけ直すねくらいのことは話そうと思って電話に出た。

「もしもし?」

 そのくらい気軽な感じで電話を取ったのに、相手は想像の倍以上も慌てた様子で私の名前を呼んだ。

「え、ど、どうしたの?」

 電話の向こうでは慌てて早口になりながら泣きそうになっている声が聞こえてきて、私はその声を必死に聞き取って、声を失った。

「……え?」

「薫?」

 私の雰囲気を察した友達が心配そうに覗いてくる。けれど私の頭の中は真っ白になっていくばかりで、彩世ちゃんに大丈夫だとも今から行くとも言えないまま。

「……分かった。ありがとう」

 電話を切った。

「薫? どうしたの?」

「何があった?」

 友達に尋ねられて、説明しようと口を開けて、ぽつり。

「暖、暖、が……」

「ん?」

「急変した、って……」

「えっ?」

「え、やばくない?」

「早く行かないと!」

「薫!」

 友達に揺さぶられて、私は唇を噛み締めて。

「私が車出す。薫、行こう」

「……うん……っ」

 一番の親友の日依|≪ひより≫ちゃんが落ち着いた声で言ってくれて。私は皆に謝ってその場を離れた。

「帝大病院って?」

「ん……」

 助手席に乗って私はリュックサックに顔を埋めて。日依ちゃんは特に何も聞かないまま車を走らせてくれた。

「大丈夫だよ、薫」

「ん……」

「きいーっと大丈夫。ね」

「ん……」

 暖がどうなるか分からない。

 彩世ちゃんの言葉がぐるぐるぐるぐる頭の中で繰り返される。

 暖。昨日電話で話した時にはそんなことなかったのに。体調が悪いとか、そんな話一切しなかったのに、どうして。

 どうして、と、どうか、がないまぜになったまま。

「薫、着いたよ」

「ありがと」

「気をしっかりね。大丈夫だって」

「ん」

 日依ちゃんの優しい瞳に励まされて、私は車を降りた。

 慣れた帝大病院の中を駆け足で駆け抜け、受付で暖のことを尋ねる。

「すみません、ご家族以外の方は面会できないんです」

「え……」

「申し訳ありませんが、また日を改めてお越しください」

「あ、え、でも……はい……」

 少しくらいいいじゃないか、と言おうとしてそれが通らないことを受付のお姉さんの表情を見て感じた。何を言っても私は暖の傍にはいられないんだと思い、そっと後ずさる。

 どうしようか。彩世ちゃんに連絡しようか、日依ちゃんに連絡しようか。スマホを開けてメッセージアプリを開けて、暖との昨日のやり取りが目に入って鼻の奥がつんと痛くなる。

「っ……」

 スマホを握りしめて涙を堪えようと歯を食いしばる。なんて私は無力なんだろうという思いに潰されそうになりながら。

「……薫ちゃん?」

 その時かけられた声は、優しくて、でも疲れているような。

「千尋さん……」

「会いに来てくれたの?」

「……」

「声かけてあげてくれないかな?」

「……うん……っ」

 暖のお母さんの千尋さん。千尋さんが受付に通してあげてくださいと言うとすぐに通れた。私は、千尋さんの後ろをついて歩いた。

 いつもの病室ではなく、もっと厳めしいところへと案内された。

「暖ー、薫ちゃん来てくれたよ。よかったね」

 ガラス一枚を隔てて。目の前は前にも何度か来たことのある無菌室、クリーンルーム。千尋さんは中へと通じる電話の受話器を持って暖に話しかけている。

 暖は、たくさんの線に繋がれていた。呼吸器をつけて眠っている。こんな姿は、初めて見た。

「……あの、彩世ちゃんは?」

「彩世はね、結構ぐじゃぐじゃに泣いてたからママとご飯に行かせたの。咲花|≪さら≫もお腹空いたって言って聞かないから」

「そ、っか……」

 先に電話をくれた彩世ちゃんのことを聞いてしまった。なんとなく、暖を直視できない気がして。

「……今朝ね、急変したの。急変っていうか、夜中辺りから熱が上がって呼吸が弱くなったらしくて」

 そんな私を見てか、千尋さんが暖の様子を教えてくれた。

「ごめんね、彩世が連絡しなきゃって急いで連絡したから。びっくりしたでしょ?」

 びっくりした。いや、びっくりしている。今も。

「今原因を先生が調べてくれてるから。熱が下がって目が覚めたらとりあえずは大丈夫だからって。今は落ち着いてるし。ね?」

 どうして私が宥められてしまっているのだろう。千尋さんだって、千尋さんたちの方がしんどいはずなのに。

「薫ちゃん、暖に声かけてあげてくれない? 聞こえてるらしいから」

 受話器を渡される。私はそれを手に取って、小さく息を吸った。

「……はるか」

 小さな声しか出なかった。

「はるか……」

 名前しか呼べなかった。

「はるか……」

 暖は何も言わなかった。何も反応しなかった。

「はるかぁ……」

 でも、私は暖の名前を呼んだ。千尋さんは私を止めることもなく、隣で暖の荷物を整理しているみたいだった。

 暖の心電図は動いていた。よく見る医療ドラマのそれと同じように。ガラス一枚隔てた先で、返事もしない動きもしない暖が生きていることを証明している。

「薫ちゃん、そういえばここまでどうやって来たの?」

「……友達が、車に乗せてくれて」

「そっか。そのお友達は?」

「帰ってもらってます。お昼から講義があるから……」

「なるほど。じゃあ、帰りはおばちゃんが車乗せてあげるね」

「えっ、そんな、電車で帰りますから」

「お金かかるでしょ? おばちゃんたちもずっとここにはいられないから。ね?」

「……」

 俯いた。私がここに来たのは、もしかしたら迷惑なのかもしれない。という思いがふと浮かんだ。けれど、それを口に出して心配させるのも迷惑だ。眉間に皺が寄る。その時、千尋さんが受話器を手にして言った。

「よかったね、暖。薫ちゃんが来てくれて嬉しかったね」

「……」

 唇を噛み締める。

「ふふ、暖嬉しそう。ちょっと朗らかな顔してるな」

 千尋さんの声が優しくて。痛くて。

「薫ちゃん、暖と話せるの楽しみに待ってくれてるよ? 早く元気になりたいね」

「……」

 ガラス一枚向こうの暖を見つめて、頷いた。待ってるからね、と言おうとして言葉にならなくて、涙が零れた。それを拭いながら洟をすすった。

「は、はるか」

 名前だけじゃなくて、伝えたいことをきちんと伝えよう。と思った。

「はるか、待ってるから。また、会いに来るから」

 暖は、寂しがり屋なのだ。千尋さんたちは暖のことを甘えん坊将軍なんて呼んで、普段からはそんな姿は想像できないなんか思ってたけど。でも、暖は寂しがり屋だから。

「また、会いに来るから。大丈夫だから……」

 私は暖のことが、すきだから。大切だから。愛してるから。

「また会いに来るからね」

 暖は暖で、どんな姿になっても暖で、愛してるから。大丈夫だよって。

 

 暖は、結局私の呼びかけには応えなかった。そんなの奇跡に近いことだからといろいろな記事にもレポにも書いてあって、私はそう自分に言い聞かせた。

 あの後、ご飯に行っていた彩世ちゃんたちが帰ってきて、千尋さんの車に乗って私の家まで送ってもらった。私は、一人になった部屋でどうしても今日の暖の姿が忘れられないでいた。

 たくさんの線。点滴。心電図を測っているであろう線。人工呼吸器。眠ったままの暖。このまま、目を覚まさないのではないかと思わずにはいられない光景。それを思い出しては何度も涙を流した。

 お風呂上り、ぼんやりと髪の毛を乾かしていると千尋さんからメッセージが入っていた。

『薫ちゃん、今日は来てくれてありがとう。薫ちゃんが来てくれて、暖の表情が明るくなったよ! 忙しいと思うけど、また来てくれたら嬉しいな!』

 千尋さんたちが、私を迷惑じゃないと言ってくれるのなら。また明日、会いに行きたい。私が力になれるのかは分からないけれど、暖が目を覚ましてくれる可能性があるのなら。暖が、また笑ってくれるなら。

 また明日、会いに行こう。

 

 

おわり。

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