松永家   作:空潟 聿

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彼女の薫ちゃん視点。


会いに来たけど会いたい

「薫、車で待ってるよ」

「うん。ありがとう」

「トイレは?」

「大丈夫」

「ん」

 実家に帰ってきていた。暖が意識を失って動揺して、不安と心配で泣くことしかできなくて、一人で家にいたら駄目になってしまいそうな気がしたから。ぱぱにただ「帰ってもいい?」とだけ聞くと、娘第一のぱぱからは当然のように帰っておいでという返信がきて、迎えに行こうか、という声に私も甘えた。

「お待たせ」

「はいよ。じゃ、出発」

 賢吾ぱぱが車を発進させる。行き先は、帝大病院だ。

「よかったね、暖くん」

「うん」

「千尋さんたちは今日薫が行くこと知ってるんでしょ?」

「うん。昨日連絡着た時に行っていいですかって聞いたから」

「うん。会えたらいいね」

「うん……でも、また会えないかも」

「そうだね。でも、薫が会いに来てくれたっていうのは暖くんにも伝わってるし、暖くんに元気をあげてるはずだよ」

「うん……」

 意識不明だった暖が意識を取り戻したと連絡が入ったのが先週のこと。連絡が来てからすぐに会いに行って、でもその時は話すことどころか会うこともできなかった。いろいろと病院に規則があって、クリーンルームに入っている暖には家族以外基本的に面会が許されない。私も千尋さんに一報入れてから会いに行けばよかったのだけれど、そんな余裕もなくて急いで会いに行った時にはもう千尋さんは帰ってしまった後だった。

 それから一週間。暖の容体は安定しているらしく、ガラス越しにはなるけれど面会できそうとのことだった。千尋さんに連絡すると今日のお昼頃に彩花さんが面会予定だからその時なら面会できるだろうということだった。

「じゃあ薫、ぱぱその辺走ってくるから。終わったら連絡して」

「うん。ありがと」

「じゃあね。松永の人たちにもよろしく」

「分かった」

 病院の駐車場で下ろしてもらって、賢吾ぱぱはそのまま車を走らせていってしまった。ぱぱが一緒に行っても会いづらいだろうから薫だけ行っておいで、とぱぱはいつも言ってくれる。

 病院の中に入ると相変わらず広くて、たくさん人が行き来している。私はロビーを見回して彩花さんの姿を探す。

「薫ちゃん」

「あ、こんにちは」

「こんにちは」

 探しているのが見えたのか、彩花さんの方が私に気が付いて近くに来てくれた。

 軽く挨拶を交わすと、彩花さんは私を連れて受付で手続きをしてくれた。暖の病室に向けて歩いていく彩花さんの隣をついていきながら、久しぶりにお話しをする。

「今日はどうやって来たの?」

「賢吾お父さんの車で連れてきてもらいました」

「あ、そうなんだ? お父さん元気?」

「元気です。彩花さんにもよろしくって」

「あはは、ありがとうって伝えといて?」

「はいっ」

 普段会うことが多いのは千尋さんで、彩花さんとこうして二人きりになることはあまりない。彩花さんはいつもお仕事で忙しそうにしていて、うちでいうと彰憲ぱぱのポジション、普通の家庭でいうところのお父さんのポジションなのだろう。

「ちょっと待ってね」

「はい」

 暖はまだクリーンルームにいる。透明なガラス一枚を隔てた先にいて、でも前と違うのは、体に繋がれていたたくさんの管の数が減って、暖がベッドを少し起こしていることだった。

 クリーンルームにいる暖に話しかけるには、電話を使わないといけない。彩花さんが受話器を取って暖に話しかける。

「暖、薫ちゃん」

 手短にそれだけを話していた。どうぞ、と受話器を渡される。

「私は向こうでお洗濯してくるから、薫ちゃんゆっくりしてってね」

「ありがとうございます」

 タオルやパジャマを抱えた彩花さんがそう言って離れていく。私は受話器を耳に当てて、ガラスの向こうに視線をやった。

 暖と目が合う。

「……暖」

 名前を呼んだ。暖の口が微かに動く。

「ごめんね、心配かけて」

 暖が言った。久しぶりに聞く暖の声はいつものようにあたたかい声で、でも、弱弱しい声だった。しんどそうな声。

「僕が意識失ってる間もお見舞いに来てくれたって聞いた。ごめんね」

「……謝らないでよ」

「うん……」

 どう声をかけていいか分からず、黙り込んでしまう。意識が戻ってくれて嬉しいという気持ちを伝えたいのに、言葉にすると暖を傷つけてしまいそうで。怖い。

「とりあえずは、大丈夫になった。もう少しで前の病室にも戻れる」

「うん」

「退院はまだ先に延びちゃったけど。ごめんね?」

「ううん」

「今年のクリスマスは、一緒に過ごせるかもって思ってたんだけどな……」

「ふふ、毎年暖大忙しだもんね」

「うん」

「クリスマス、私がお見舞いに来てあげるよ? いつもの病室なら、私も面会できるし」

「うん」

 ケーキ屋さんを営むおじいちゃんのお店を手伝うために、暖もとい松永一家はクリスマスイブになると一家総出で千尋さん方の祖父母の家に泊まりに行く。暖は今はもうケーキを作る側で手伝っているらしく、私は恋人になってから一度もクリスマスを暖と一緒に過ごしたことがない。そういう意味では、今年は一緒に過ごせるかもしれないのか。と気付いて少しだけ楽しみが増えたり。

「あのさ、薫」

「なあに?」

「……あの……」

「あの、ゆっくりでいいよ? 私も今日はゆっくりできるから、休みながらで」

「ありがとう、あの……」

「うん」

 暖が言葉を詰まらせている。私は受話器を片手に暖が話し始めるのを待つ。

 暖は、話し始めるのに少し時間がかかる時がある。言いたいことを言っていいのかどうか考えていることが多いのだ、と前に話していた。それを待たずに話しかけるから暖を物静かな人だと思っている人が多いけれど、実は案外暖はおしゃべりさんだ。

 だから、待っていると暖はいつの間にか話し始めることが多い。なのに、今日はなかなか話さない。話しやすいように目線を外していたけれど、ちらりと暖の様子を窺う。一瞬、暖と目が合った。暖はすぐに目線を逸らして口ごもった。

「や、ごめん……言いたいことはあるんだけど……」

「うん。いいよ」

「あの……」

 暖が言った。

「まずは、その、心配かけて、ごめん」

「だから、謝らないでってば。暖のせいじゃないんだから。ね?」

 いつもだったら聞き役に徹するところだけれど、口を出さないではいられなかった。暖は小さく頷いて、また口を開いた。

「そのことなんだけどさ」

 嫌な予感がした。この声色は、暖が自暴自棄になっている時のものだ。

「ずっと考えてたんだけど、僕……」

「別れないよ?」

「でも」

「別れない。大丈夫だから暖。落ち着いて? ね?」

 この語り口で始まると必ずと言っていいほど、暖は別れ話を始める。最初こそ驚いてパニックになったけれど、暖は焦っているだけだ。私が落ち着いて説得してあげないといけない。

「私は大丈夫だよ。確かに心配したし不安だったけど、でも、またこうして暖とお話しできて嬉しいから。だから、暖……」

 でも、慣れてしまったわけではない。慣れてしまってもいけないと思う。暖は毎回、毎日不安で、私が心変わりしてしまっていないか不安そうで。いつも、真剣に悩んでいるから。いつも、別れてあげた方がいいと本気で考えているから。

「私は暖と一緒にいたいの」

「……どうせ死ぬんだ」

「やめてよ」

「……」

 弱っている暖は、ストレートな物言いをする。いつもはたくさん言葉を選んで話すのに、自暴自棄になると出てくる言葉は粗野で、オブラートなんかを気にする余裕もないのか、私に嫌われようとあえてそうしているのか。

「生きてるじゃん……暖、生きてるもん……」

「でも死ぬかもしれなかった」

「暖」

「意識がなかったのは四日間。今までで一番長い。体力も、筋力も、落ちて落ちてしょうがない」

「でも、治療はうまく進んでるって」

「分からなくなった。分からなくなったんだ……」

 小さく首を横に振る暖。

 治療は上手くいっているはずだ。千尋さんを通して、お医者さんから順調にいけば一週間後に退院という話だった。そもそも暖は今回で四回目の入院で、最後の抗がん剤治療になる予定だ。それから予後を見つつ、通院治療になる予定で。確かに退院日は延期になったけれど、検査をしてみなければ良くなっているかも悪くなっているかも分からない。私にも、千尋さんにも、暖にも、お医者さんにだって分からないはずなのに。

「分からないなら信じてよ。そうでしょう?」

「薫は何か知ってるの?」

「知らない……知らないよ……?」

 暖は、病気になってから疑り深くなった。特に、病気に関してはすごく。私たちが嘘をついているんじゃないかと言って怯えている。それはそうで。私だって、暖の立場だったらすごく怖いと思う。

 前に暖が、自分のことについては正しく知っていたい、と話したことがある。良くなっている時も悪くなっている時も、正しく分かっていれば安心するから。その状態を踏まえてどうしていきたいか考えていくことができるから。私は、その暖の気持ちを知っている。だから、今まで暖の状態について嘘を吐いたことはない。吐きたくても。

「本当に知らない……暖がなんで寝込んでたのかも、退院する日がいつなのかも、私は知らないよ……?」

「うん……ごめん」

 気持ちは分かる。暖に尋ねられる度、私は知らないと答える。私は、暖の家族ではないから知らないことが多い。千尋さんや彩花さんを介して知る情報は少なくて、暖に知らないと答える度に虚しくなってしまう。

「知らないから、だから大丈夫なんだよ」

 逆に、知らないことを何も変化がないことだとしてポジティブに捉えるしかない。

「ありがとう、薫」

「うん」

「僕、嫌なこと言ってばかりだね」

「いいよ。大丈夫」

「嫌になったらいつでも言ってね」

「分かってる。でも今は嫌じゃないから、大丈夫だよ」

「ありがとう」

 嫌になったらいつでも辞めていいからね。お見舞いも、恋人も。病気になったと最初に連絡をくれた時、暖が言った。暖の根底にはきっと、いつもこの言葉があるのだ。

「会えてよかった。暖」

「うん……。薫も、会いに来てくれてありがとう」

 暖の声が少し穏やかになっている。少し気分が落ち着いたのかもしれない。

「今日は何で来たの?」

「車。お父さんが連れてきてくれたんだよ」

「そろそろ帰る?」

「まだ帰りたくない」

「おじさん待ってるんでしょ?」

「待ってくれてるから大丈夫」

「そっか」

「うん」

 小さくだけど暖が笑ってくれる。心地よくて、まだもう少しだけこうして話していたくて。

「暖は大丈夫? しんどくない?」

「うん。今日は調子がいいんだ」

「そうなの?」

「うん。薫が来てくれたからかもしれない」

「あっ、そうかも」

「はははっ」

 まだしんどそうだけど、笑ってる。少し安心する。思い詰めていた暖の気晴らしになってくれてたらいいな。

 それから暖と少し話をした。たわいもない話だった。

「じゃあ、また来るね」

「うん。今日はありがとう」

「暖」

「うん?」

 暖が私の方を見ている。まだベッドから起き上がるのはしんどいみたいで、ガラスを隔ててなお遠くに暖はいる。

「暖、わがまま言ってもいい……?」

「……うん。いいよ」

 目で見て、そこにいるのが分かっているのに。否、そこにいるのが分かっているからこそ、思ってしまう。

「……会いたい……暖に会いたいよ…………」

 こんなこと私のわがままでしかなくて、こんなことを言っても暖を困らせてしまうだけで、暖がまた自分のせいでって思ってしまうだけなのに。こんな一言さえも私は我慢ができなくて、こぼしてしまう。

 けれど、それは紛れもなく本心で。目の前に暖はいるのにいない気がして、この透明なガラスが全てを隔てている気がして。物理的にも、心理的にもこのガラスは壁でしかなくて。

「僕も、薫に会いたいよ」

 ごめんね、と謝る暖に暖のせいじゃないよ、と言いながら、私は涙を零してしまう。

「……ガラス一枚なのに、すっごく遠いよ……」

「ごめんね、傍にいられなくて」

「ごめんなさい、わがまま言って……」

「ううん。いいんだ。僕も早くここから出たい」

「うんっ……」

 透明なガラスに触れる。けれどそのガラスの先に指先が通り抜けることなんてない。固く冷たいガラス分厚くて、暖の息遣いも体温もにおいさえも分からない。

「またLINEするよ」

「うん。いつでもして?」

「うん」

「じゃあ、また」

「うん。また。今日はありがとう」

「こちらこそありがとう」

「またね」

「うん。じゃあ、切るね?」

「うん」

「ばいばい」

「ばいばい」

 暖の様子を窺いながら、受話器を置いた。暖はまだこちらを見ていて、私は手を振ってその場を後にした。

 立ち去ろうとした先に彩花さんがいた。私の顔を見て心配そうな表情を浮かべている。

「薫ちゃん」

「大丈夫です。暖と話せて、安心して……」

「うん」

「また、来てもいいですか?」

「もちろん。また来てね」

 彩花さんが微笑んでくれる。洗濯をして乾燥も済んだのか、手に持っている籠には暖のパジャマやタオルが入っていた。

「暖、ずっと起きてた?」

「あ、はい」

「そっか。やっぱり薫ちゃんが来て嬉しかったんだね」

「え?」

 驚く。彩花さんは首を捻りながら言った。

「まあ、意識が戻ったとはいえまだ本調子じゃないから、千尋さんが来た時も私が来た時も少し話はするけどすぐ寝ちゃってたから」

「え、それって……」

「あ、薫ちゃんが無理させたって話じゃないよ? そうじゃなくて、そうさせるくらい薫ちゃんが暖の活力になってるってことが言いたくて」

「あ、はい……ありがとうございます」

「暖が薫ちゃんを傷つけることを言ってたらごめんね。でも、たぶん本心じゃないから。私が言うことじゃないんだけどさ」

「いえ、分かってます」

 少し、嬉しくなって。少し、救われた気がした。暖の支えになれているんだと思ったから。

「じゃあ、また」

「またね」

 彩花さんと挨拶を交わして、私は賢吾ぱぱに連絡を入れた。ぱぱはすぐに車を回してくれると言って、私はロビーでぱぱからの到着メッセージを待った。

「お待たせ、薫」

「ぱぱもお待たせ。ありがとう」

「いやいや。どうだった? 暖くん」

「ちゃんと話せた。早く会いたいねって」

「そっか。よかったね」

「うん」

 車に乗って、それだけを話した。ぱぱはそれ以上聞いてくることはなかった。

「おお、雪だなあ」

「本当だ。クリスマスもうすぐだもんね」

「そうだなあ」

 クリスマスは一週間後だ。その翌日が暖の誕生日。どちらに暖に会いに行こうか、どちらにも会いに行っていいのかな、なんて。スケジュールアプリを見ながら考える。

 

 

おわり。

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