櫛本家:薫(かおる・暖の恋人)
薄く化粧をして、洋服を選んで、プレゼントを確認して。部屋の時計を確認して、スマホの時計も確認して。
「うん」
今日は、クリスマスで。
「ぱぱ、行ってくるね」
「ほいほーい、いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん。夕方には帰ってくると思うから」
「分かったよー」
今日は、暖との面会日。
「今日は彩花さんが迎えに来てくれるんだっけ?」
「うん。もうすぐ着くってさっき連絡あったから、私もう出ちゃうね」
「うん。いってらっしゃい」
「いってきます」
ぱぱにいってきますを告げて。
玄関を開けると、ちょうど彩花さんの白色の車が停まったところだった。車の中の彩花さんと目が合って、彩花さんが手を振ってくれる。私は助手席のドアを開けて挨拶をした。
「こんにちは、薫ちゃん」
「こんにちは。お願いします」
「はーい」
助手席に座ってシートベルトを締める。彩花さんは車を発進させた。
「ありがとうね、クリスマスに」
「いえ、こちらこそ……というか、そもそもクリスマスには会えたらなって思ってたから」
先週、暖へのクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントが決まらなくて、彩花さんと千尋さんにメッセージで相談に乗ってもらった。そしたら彩花さんが、クリスマスに来てくれるんだったら車に乗せていってあげるよと言ってくれた。
「ごめんね、ランチも付き合ってもらっちゃって」
「いえ!」
その流れで、せっかく一緒に出掛けるんだったらと彩花さんがランチに誘ってくれた。千尋さんとは何度かお茶をしたことがあるけれど、彩花さんと二人きりでご飯を共にするのは初めてで、どきどきする。彩花さんは慣れた様子で車を運転して、お店まで連れて行ってくれた。
彩花さんが連れてきてくれたのは、庭園の綺麗なおしゃれな場所だった。なんとなく和食がメインのお店なのかなと想像しながらお店の入り口をくぐる。
「予約していた松永です」
彩花さんが入り口でそう告げると店員さんはにこやかに笑って部屋まで案内してくれた。
案内された場所は軽く個室のようになっていて、落ち着いた雰囲気のあるいい場所だった。窓からは綺麗な庭園を臨むことができて、お花が好きな私は少し胸が躍る。
「はい、薫ちゃんどうぞ」
「ありがとうございます」
メニューを渡してくれて、目を通してみる。やっぱり和食中心のようで、おいしそうな料理の写真と一緒に料理名が載っている。
「ここね、チキン南蛮が美味しいらしいよ?」
「そうなんですか?」
「会社の人が教えてくれたんだ。あ、このチキン南蛮定食ってやつかな?」
「わあ」
甘酢漬けにされた鶏のから揚げにたっぷりのたまごのタルタルソース。写真を見ただけでもうおいしそう。
「私これにしよっかな」
彩花さんがそう言っておしぼりを手に取った。温かいおしぼりは湯気を立て、彩花さんがほっと息をついている。
「じゃあ、私もこれで」
「ん、はーい」
チキン南蛮の他にもいろいろおかずがついているらしい。少量でたくさんの種類のおかずをワンプレートに載せてくれるのがこのお店のコンセプトらしく、おいしそうだなあという単純な感想が心に浮かぶ。
「食後のお飲み物はいかがですか?」
注文を受けに来てくれた店員さんが食後の飲み物を勧めてくれる。彩花さんがアイコンタクトで「頼もうか」と言ってくれたのが分かり、ドリンクメニューに目を通す。
「私はホットコーヒーで」
「私は、ホットカフェオレで」
「かしこまりました。食後にお持ちしたのでよろしいでしょうか?」
「はい」
注文を済ませて、私と彩花さんの間に静かな空間ができあがる。静かだな、と思って庭のお花に目を向けると、彩花さんも同じように庭の花を見つめていた。
「薫ちゃん、お花好き?」
「あ、はい。好きです」
「ふふ、私も好きなんだ。詳しくはないんだけどね。見てるだけで」
彩花さんが優しく笑う。
「ちーちゃんがねぇ、植物好きなのよ」
「そうなんですか?」
「うん」
そういえば、暖の家にはプランターや花瓶がちらほらある気がする。
「独身の頃から花育てるのが好きって言っててさ。自分でいちご育てて好きな時に食べるんだーって言ってた。育たなかったらしいけど」
彩花さんの話に笑いながら相槌を打つ。彩花さんの話はころころ変わっていっておもしろい。次から次へと話題がやってきて、聞いているのがすごく楽しい。
「本当はもっといろいろ育ててみたいらしいんだけど、うちは三人ともラベンダーとかきついにおいが苦手だからさー」
「あ、分かります。やっぱり苦手なんですね」
「そうそう。暖が一番苦手なのが多いかなー。柔軟剤とか香水とか、もっといいにおいがするやつ使いたいんだけどねー」
彩花さんが苦笑いを浮かべて水の入ったグラスを手に取った。
「フレグランス系とか、植物系が苦手ですよね」
「あ、そうそう!」
「桃とか、ちょっと甘い系が好きなんだろうなって」
「そうそうそうそう! なんでだろうね? お菓子好きだからかな?」
「それはどうなんだろう?」
確かに暖はお菓子は好きだけど、甘い系でも選り好みがそこそこ激しくて、しかもしれが全て微妙なラインで可と不可が決まっている。暖のオーケーラインを探るのは難しい。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
その時チキン南蛮定食が運ばれてきた。写真で見た通りのおしゃれなプレートで、私たちは手を合わせていただきますをする。
チキン南蛮は美味しかった。カリカリな衣にジューシーな鶏肉が美味しくて、他のおかずもどれも美味しい。にんじんのマスタード和えも、見慣れない野菜がたくさん入ったサラダも、れんこんのきんぴらも、全部美味しい。
彩花さんと和やかに会話をしながらゆっくり食べ進めた。腕時計を確認するとお店に入ってから一時間近くが経過しようとしていた。暖には昼以降に彩花さんと一緒に行くと伝えてあるから、時間はそれほど気にしなくていい。
チキン南蛮定食を食べ終えた私たちは、食後のコーヒーとカフェオレを頼んだ。飲み物はすぐ運ばれてきて、私たちはそれぞれ砂糖を入れてゆっくりとかき混ぜた。
「あのね、薫ちゃん」
「あ、はいっ」
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら彩花さんが口を開いた。今まで明るかった彩花さんの声が少し暗さを増している。若干の緊張感が身体に走り、椅子に座り直した。
「あ、いや、そんなかしこまらなくていいんだけどさ」
「あ、いえ」
私の緊張は彩花さんにも伝わっていた。そんな私を彩花さんは気遣ってくれて、私はゆっくり瞬きをして心を落ち着けようとする。
「ちょっとした雑談のついでというか、話したくなかったら話さなくていいんだけど」
そう前置きをして、彩花さんは言った。
「というか、親が言うことでもないと思うんだけどさ、その、この前は暖がごめんね?」
「え……」
謝られてしまった。彩花さんに。言われた言葉の意味が一瞬分からず、思考が停止してしまう。彩花さんの言う”この前”が先週のことであることに気付いたのは落ち着こうとして大きな深呼吸をひとつした後だった。
「ごめん、まずは、盗み聞きみたいなことしちゃってって意味でさ。ちょっと聞こえちゃって、別れないよ、って言ってるのが」
「あ、いえ、全然」
先週、暖の面会に行った時のことだった。四日間意識不明の重体に陥った暖がやっと意識を取り戻して、それからやっと面会できた日のことだった。久しぶりに会話ができた暖は、案の定私に別れ話を切り出そうとしてきた。それが彩花さんには聞こえてしまっていたのだろう。
「ごめんね、聞かれたくなかったらそれでいいんだけど、もしかして、今までもああいうことあったんじゃないかなーって思って。どう、かな?」
とても慎重に質問されている気がした。私のことをとても気遣ってくれているのだ。
私は、少し迷って頷いた。
「最初は、病気が分かった時に、一回。すごくびっくりして」
「うん」
──僕、病気になった。
ちょっと時間いいかな、といつものように呼び掛けてくるLINEが入って、なんの疑いもなくいつものようにどうしたのと返して。その後に入ったのはそんな言葉で、それから少しした後、最初の抗がん剤の投薬が終わった後、初めてクリーンルームに入った時だった。電話で別れ話を告げてきたのは。
「それから、暖がちょっと体調崩した後とか、落ち込んだ時とかに何回か……」
「そっか……」
呟くように相槌を打って彩花さんがコーヒーを一口啜った。
「ごめんね、相手するの大変でしょ?」
そう言う彩花さんは苦笑を浮かべていた。私はその顔にどう返せばいいか分からず、息を吸って呑み込んだ。はは、と彩花さんがそのまま乾いた笑みを零す。
「私の言葉が呪いになってほしくないからあまり言いたくないんだけど、でも、一応言っとくと、たぶん暖の”別れよう”は行かないでの裏返しっていうか」
「はい」
ああ、彩花さんは励まそうとしてくれているのだ。と思った。静かに彩花さんの話に耳を傾ける。
「実はね、私も二十代の頃は体が弱くて病気してたこともあったからさ、もちろん暖ほど重い病気だったわけじゃないけどでも重なる部分があって……。あの子、変なとこ私にそっくりで……」
ため息をつきながら彩花さんが窓の外の緑に視線を向ける。
「私もね、病気でしんどかった時に何度もちーちゃんに別れ話したんだよねー……」
懐かしむ、というよりは、思い出したくないものを思い出している、ような気がした。私はカップに添えていた手を離して膝の上で握った。
「分かってるんだよ。ちーちゃんがそんなこと望んでなくて、一生懸命私の気持ち分かろうとしてくれてて、つらいの分かろうとしてくれてて、私を支えようってしてくれててって。でも、そんなことをさせてしまってるっていうのが申し訳なくてさ。こうやって我儘で分からず屋なダメ人間を相手にしている時間はもったいないし、その時間にちーちゃんがデートでもして結婚なんてこともできるのになー、その人と幸せになれるのになーって思ってばかりだった」
彩花さんの話がちくりちくりと私の胸を刺す。暖が別れ話をする時、いつも暖の口から出てくる言葉ばかりだ。下唇の内側をぐっと噛み締めてしまう。
「もちろん、ちーちゃんにはいっつも怒られてたんだけどね。私は彩花が好きで一緒にいるのにどうして私が他の人と一緒になること前提で話をしてくるの。って、本当、その通りでしかないんだけど」
そうだ。その通りだ。私は、暖が好きで一緒にいたいのに。暖以外の人との幸せなんて、望んでいないのに。
「でもね、当時はそれでも嫌だって喚いてちーちゃんを困らせちゃってたんだよね。”それでもあなたがいい”って言ってもらいたかったから」
頷く。彩花さんの言っていることが分かる。
「ちーちゃんに幸せになってほしかったのは本当。それでちーちゃんが自分から離れていったら仕方ないし、私なんかから離れた方がちーちゃんのためだって思ってたのも本当。でも、一回その弾みで四時間だけ別れちゃったことがあって」
「四時間」
「そう」
驚いて思わずオウム返しをしてしまった。彩花さんが笑っている。
「ああ、私、いつでもちーちゃんが引き留めてくれるって思ってて、そんな彩花も彩花だから大丈夫だよ、愛してるよって言ってもらいたかっただけなんじゃないかってその時気付いたんだよね。今考えたら本当、相当迷惑かけたなって思うけど」
彩花さんがコーヒーを啜った。それに合わせて私もカフェオレを飲む。少し苦い、けれど優しいミルクの風味が口に広がる。
「そりゃあ、嫌になったらちーちゃんから嫌って言うよねってやっと気付いた、っていうか、そこまである意味で任せてみようって思ったんだよ。それまではバリアしか張ってなかったしバリアごと超重たい私をちーちゃんが引きずってくれてたみたいな感じだったけど、ちーちゃんがいいよって言ってくれてる範囲で少しずつ私の中の不安とか不満とか愚痴とかをバリアの外に出してみるようになって、そりゃあその過程でもいろいろ上手くいかずに喧嘩したんだけどね? でも、それからだな、落ち着いたの」
「うん……」
相槌を打つと、彩花さんが私の顔を覗きこんだ。目と目が合い、彩花さんがふんわり微笑む。
「こんな私の子どもだから、薫ちゃんも相当しんどい思いをしてるんじゃないかなってちょっと心配になって。お節介だったらごめんね?」
「あ、いや……」
彩花さんの声が優しくて、涙腺が緩む。涙が出そうになるのを笑顔で誤魔化そうとして、顔の筋肉が引きつっていることに気付く。仕方なく唇の内側を噛んだ。目を閉じて深呼吸をすると、ぱたぱた、と涙が零れていった。
「私の言葉が呪いになってほしくないし私とあの子が似てるからっていって暖に気持ちを確認したわけでもないからあまり気にしないで聞いてほしいんだけど、でもたぶん、暖の別れ話は本心じゃない。本当は一緒にいたいけど、自分が薫ちゃんにふさわしくないと思って突っぱねてると思うの」
頷く。
「暖はね、薫ちゃんのこととても好きだと思う。前にも言ったけど、お見舞いに行ってずーっと体起こして受話器持ってるの薫ちゃんだけなんだ。病気の状態とか検査結果を聞いた後にいつも出てくるのは薫ちゃんにどうやって知らせようかなっていう相談なんだ。薫ちゃんのことが大事だから、暖なりに一生懸命考えて別れ話しちゃってると思う。その方法は薫ちゃんにとっては間違ってるかもしれないけど、でも、その時に間違ってたらちゃんと間違ってるって言ってあげてほしいんだ。私がこんな話をするべきじゃないとは思うんだけど……」
頷く。
分かっている。
分かっている。
「わ、私……」
「うん」
「私、暖のこと、すきで……」
「うん」
「暖と、一緒にいたいからお見舞いに来るのに、どうして暖は来なくていいよって言うんだろうって、思って……」
私に負担がかからないように気遣ってくれているのだというのは分かっていた。嫌になったら辞めていいと言うのも、私が暖に気遣いしなくていいようにという暖なりの気遣い。別れて他の人を見つけてくれと言うのも、暖なりの。
「どうして……私、暖の邪魔になってるのかなって思って……すごく、不安で……」
私に来てほしくないと言われているみたいな感じがしていたのは事実だ。ずっと心の奥底に隠していたけれど。
「暖、私のこと、もう好きじゃないのかな、って……」
本当に、もう私のことなんか好きじゃないのかな。って。思って。
「ごめんね、薫ちゃん」
首を横に振る。
「その言葉さ、ちゃんと暖にも伝えていいんだよ?」
「……」
「病気だからって遠慮する必要ないから。暖だって、薫ちゃんの気持ちを知らなきゃいけないし、薫ちゃんだけが我慢する必要ないんだから。ね」
「でも……」
「ガツンと一回言われた方がいいんだよ。暖もいつかは自分の頑固さに気付かなきゃいけないんだから」
そう言うと彩花さんは陽気に笑った。コーヒーを飲んでほっと息をついている。
「でもねー、これはちーちゃん談からで私もでしょうねって感じなんだけど、私みたいなねちっこい頑固な奴を相手にするのは相当面倒くさいから、何度もじゃあこいつ別れてやろうか!? みたいな気持ちになったって。だからってわけじゃないけど、もし、薫ちゃんがしんどくなってお付き合い辞めたいな、って思ったら、遠慮なくお別れしてもいいんだからね」
「それはっ──」
「ははっ、もしもの話だから」
ひらひらと彩花さんが手を振って強張った空気をかき混ぜる。私はもしももないです、と言おうとして寸前でこれは恥ずかいかもしれないと思い、言うのを辞めた。
「ごめんね、これから会うのに泣かしちゃって」
「大丈夫ですっ」
目元を指で拭って、私は背筋を伸ばした。
「暖のあの頑固さ絶対彩花からだからってちーちゃんに言われまくってさー、ちーちゃんもなかなか頑固なんだけどね?」
彩花さんの方を見るともう真面目な雰囲気は終わりを迎えていて、いつもの楽しい雰囲気が広がりつつあった。
「じゃあ、そろそろ坊ちゃんに会いに行きますか」
「はい」
私たちは席を立った。
彩花さんが私の分までお金を払ってくれて、ご馳走になったことにお礼を言いながら車に乗り込んだ。
そっから病院までは車で十分ほどだった。暖はこの前話していた予定通りクリーンルームから一般病棟に移動になっていて、今までに何度も見たことのある病室に戻ってきていた。
「暖、来たよー」
「いらっしゃい」
「こんにちは」
「こんにちは」
一般病棟に戻ってきた暖は少し顔色がよくなっていて、ゲームをしていたところだったらしい。
「じゃあ、ママは洗濯機回してくるから」
「うん」
彩花さんが暖の洗濯物を抱えて部屋を出ていく。
「一人、なんだね」
「うん。やっぱり年末だから一時退院してる人が多いみたい」
「そうなんだ?」
「うん」
いつもの優しい暖だ。
「来てくれてありがとう」
「来たかったからいいの」
すきだ。だって、本当に来たかったんだもの。会いたかったんだもの。
「会えてうれしい」
思わず泣きそうになってしまう。堪えなきゃと思った時、暖がそっと手を握ってきた。
「暖?」
どうしたの、と尋ねるけれど、暖は何も言わないまま布団の上を見つめて私の手をじっと握っていた。私は傍にあった椅子に腰を掛け、暖の手に反対の手を重ねた。暫く私たちはそのままでいた。
「あのね、暖」
手を繋いでいる間、ぐるぐる考えていた。私は暖と別れたいのだろうかと自問自答していた。
「私、暖と別れたくないな」
答えは、何度考えても否だった。
「暖のことがすきだから」
迷惑だとか思ったことなんか一度もない。私が迷惑しているというより何より、暖が大変なのだから。私は迷惑をかけられているというより、大変な暖を少しでも助けたいという気持ちの方が強いのだ。
「迷惑だなんて一度も思ったことないよ。お見舞いに来るのは暖に会いたいから来てるし、一緒に過ごしたいから来てるの。嫌だなって思ったら来てないもん」
「うん……」
「だから、暖が私を嫌いにならない限り別れ話しないでいいんだよ」
「ごめん」
「いいよ」
「ごめんなさい。傷つけて」
「暖」
暖がいつもより静かだ。しゅんとしている。私は暖の手を握った。
暖が口を開けて言った。
「不安なんだ。薫が、自分と一緒にいてくれるかが」
「一緒にいるに決まってるよ」
「ありがとう」
暖は大きく瞬きをして、続きを話す。
「薫に幸せになってほしいのは本当だよ。幸せになってほしいから、自分より他の人を選んでほしいのも本当。だから別れた方がいいと思うのも本当。……でも」
「でも……?」
「でも、僕は……」
「うん」
「僕は、薫がいないのも、嫌で……」
「うん……」
目の奥が熱くなる。込み上げてくる気持ちを唾と一緒に呑み込む。
「薫がいなくなっちゃうのは仕方ないことだと思うけど、でも、僕はやっぱり、薫がいない時間が耐えきれない……」
「暖」
手を握った。強く。私の手ではとても暖の手を包み込めないけれど。
「ぼ、僕は」
「うん」
「僕は、今すごく嫌な奴だと思う……けど、薫が、一緒にいてもいいって思ってくれるなら」
「いるよ。一緒にいるよ」
「うん。一緒にいてくれたら、すごく嬉しいし、心強いよ」
「わかった」
泣かないと決めていたのに結局涙を流してしまっている。暖がタオルを差し出してくれた。
「はは、ありがと」
「どういたしまして」
涙を拭いて、暖にタオルを返して。
「あのね、暖」
「はい」
せっかく持ってきた紙袋を暖に差し出す。今日のメインはこちらなのだ。
「わ、ありがとう」
「メリークリスマス」
「ありがとう。開けてもいい?」
「いいよ」
暖が紙袋から小箱を取り出して、包み紙を剥がす。暖の反応をどきどきしながら見守っていると、蓋を開けるなり暖が「わあ」と落ち着いた歓声をあげた。
「腕時計だ。かっこいい」
「かっこいいでしょ?」
黒を基調としたシックな腕時計をプレゼントに選んだ。入院中に貰っても困るかなと思ったけど、退院した時に使ってもらえたら嬉しい。
「ありがとう。大切にするよ」
「うん」
そう言った後、暖はちゃっかり腕時計を早速身に着けていて、結構お気に召したようだった。こういうところが可愛いんだよな、と思ってつい観察してしまう。
私たちが談笑していると彩花さんも洗濯から戻ってきて、彩花さんも暖にクリスマスプレゼントを渡していた。今年はケーキがないから特別ね、と言って。
「じゃあ、明日も来るからね」
「うん」
「明日は皆で来るから」
「わかった」
じゃあね、と言って私たちは暖と別れた。
帰りの車の中で、彩花さんが明日はどうするか尋ねてくれる。
「皆さんに合わせます。もう冬休みだから」
「ああ、そっか。じゃあ、また連絡するね」
「分かりました。ありがとうございます」
明日は暖の誕生日。今日会えたけど、明日はまた特別な日なのだ。
「不躾な質問かもしれないけど、よかった? 二日連続病院で」
笑いながら。私は頷く。
「会いたいから」
おわり。