松永家   作:空潟 聿

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母からのお説教。暖くん視点。
お母さん:千尋
ママ:彩花
息子:暖(はるか)、白血病。
暖の恋人:薫(かおる)
友人が二次創作してくれたので許可を得て改変、掲載します。


風音(かさね)

 意識不明の状態から回復して、四日。まだ気怠い感じは残っていて、調子がいいとは言い切れない日が続く。このままよくなることはあるのだろうかと思ってしまうくらい、調子がよかった時の感覚が思い出せないほどに不調なことだけが分かる。

「ねえ暖?」

「何?」

「お母さん、惚気話してもいい?」

 大きく体調を崩してから毎日のようにここを訪ねてくれるお母さんの今日の第一声はそれだった。

「えっと、嫌なんだけど」

「そんなこと言わないでさ、付き合ってよ。子守唄だと思ってさ」

 来て早々僕を寝かしにかかるのか、と思ったけれどそんなことは言わない。ここ数日、お母さんたちが来た時には省エネモードでぼんやりしていることが多かったから、お母さんも気遣ってくれているのだろう。

 しんどかったら寝ていいからね、と前置きして、お母さんは話し始めた。

「むかしむかし、綺麗な女と綺麗な女がいました」

「はぁ……」

 お母さんお得意の言い回しにやれやれと思う。それでも、透明なガラス一枚隔てて切り取られた空間で、僕はお母さんに手を握られ、目を閉じ、耳を傾けた。

「お母さんとママは昔からずっと仲良しだけど、ケンカとかすれ違いとか、いっぱいあったんだ」

 たまに、聞いたことのある話。お母さんとママは結婚するずっと前から友達で、仲良しだったという話。けれど、恋人になった頃からお互い遠慮してしまったり我慢してしまったりして喧嘩をしたこともあったという話。

「もちろん仲良いからこそだけどね。食生活が偏ってるからちゃんとしろ、とか。約束すっぽかして友達と遊びに行くなんて、とか。隠れて煙草なんか吸っちゃダメ、とか」

 思ったよりいろいろなことをしているな、と思わず目を開けそうになるのを堪える。今までに聞いたことのない話がいくつか、詳細を聞いてみたいものもあるけれどとりあえず流しておく。

 お母さんは、でもね、と言って話を続けている。

「でもね、そんなの、些細なことだったの。じゃあ一番嫌で、それで一番多かったすれ違いってなんだと思う? それはね」

 僕はここで目を開けた。

「好きなのに、別れ話を切り出されたり、切り出したりすることだよ」

 ふと視線を合わせる。相変わらず穏やかな顔をしていた。けれど、その目はしっかり僕のことを見ていた。僕のことを案じるように、諭すように、叱るように、見ていた。

「……薫から聞いたの」

 僕はまるで思春期の少年に戻ったように居心地の悪い気持ちで、お母さんに問うた。

 一昨日、恋人の薫が面会に来てくれた。僕が意識を取り戻してから初の面会だった。僕が薫に別れ話を切り出したのはその日のことだった。あまりにもタイミングがよすぎる。しかし、お母さんは頷かなかった。

「ううん。でもお母さんには分かるの。暖は私の子で、ママの子だから」

 お母さんは、僕の瞳の奥にある思惑を全て見透かすように語ってみせた。そんなはずはない、僕のことは僕にしか分からない、分かったつもりにならないで。そう口にしたい気持ちが押さえつけられるほどに、お母さんの目は真っ直ぐだった。

「……ママも少しだけね、病気がちだったの」

「……」

「はるくんとおんなじかって言われたら、違うけどね。でも、しょっちゅう体調崩しちゃう人だった」

 僕を見つめる目は揺るがない。再び、惚気が始まった。

「お母さんとママがまだ一緒に暮らしてなかった頃は、よくママのアパートに看病しに行ったなぁ」

 ママが病気がちだったなんて、聞いたことのない話だ。確かに、風邪は引きやすい方だし一度風邪を引くと咳も長引く人だけど、看病が必要なほど床に臥せることはなかった。

「お母さんが看病に行くといつもママはね、ごめんね、ごめんね。って、お母さんに謝ってくるんだけど、別に嫌な思いなんてしてないから、いつもお母さんは大丈夫だよ、大丈夫だよ。って返してたの。そしたら突然ママが、こんな私と付き合ってても迷惑かけちゃうから、別れようって言い始めるの」

 お母さんの話を聞きながら、なんとも言えない気持ちになる。今の自分と薫の構図に似ているからだ。分かったつもりにならないでよ、同じだと思わないでよ、と思う反面で、でも同じじゃないかと思わせられる。

 お母さんが僕の手を握り直した。

「病気は体だけじゃなくて心も弱くしちゃうから、しょうがないよねって思いながら、なんとかママをなだめてたんだ。でもね、そういうことが何回も何回も続くと、本当はママ、お母さんのこと好きじゃないのかなって。思っちゃうときがあるんだ」

 そこまで言って、僕は反射のように「それなら」と言っていた。

「それならいっそ別れた方がいい」

「……っ」

「て、言うんでしょ? 暖なら」

 でもそれにまた反射のようにお母さんが僕の思考を先読みして言った。

 お母さんは少し上を向き、懐かしむような顔をしていた。別れてほしくて別れようと言っているのだとしたら、別れを告げられても仕方ない。そんな僕の考えを知っていることは当然であると物語るように。出鼻をくじかれた僕は、これ以上言葉を発することはできなかった。

「お母さんたち、それで一回本当に別れたの。そんなに言うならってお母さんが折れて」

「え、でも……」

 いつも仲良し夫婦と言いふらしているお母さんから別れ話が出てくるのは初めてのことだった。お母さんの顔を見ると、優しく頷いた。

「うん、でもお母さんたちは結婚して、あなたたちを育ててる。なぜかっていうと、未来の松永千尋が別れるなって忠告しにきた……わけじゃなくて」

 真面目な話に耐え切れなくておちゃらけを挟んだお母さんは一息ついて、こう言った。

「やっぱり耐え切れないの。大好きな人がいない時間が」

 耐え切れない。

 耐え切れない。大好きな人がいない時間が。

 薫の姿が思い浮かぶ。

 耐え切れない。薫のいない時間が。本当は。本当は、喉から手が出るほどほしい。薫と一緒にいる時間が。

「だから二人でごめんねって言い合って、仲直りして、またいっぱいケンカして別れる別れないのくだらないやり取りして、今もこうして一緒にいるの。だから」

 お母さんは今日、初めて僕の手をしっかりと、強く握った。

「だから、薫ちゃんを遠ざけちゃダメ」

「……」

 ここで僕が、何か反論しても無駄だと悟った。思うことはある。まだ納得していない部分もある。ただ、きっとお母さんは、僕が言おうとしていることは既にママに散々言われてて、それをねじ伏せてきたから僕のお母さんなのだろう。そう思った。

「どれだけ悩んでもいいよ。暖の気持ちを否定してるんじゃないからね。でも、悩んで悩んで最後は、薫ちゃんの傍にいてあげてほしい。ちゃんと好きなら、ね」

 そしたらきっとお母さんたちみたいにラブラブ夫婦になれるから。そう締めくくって、お母さんの惚気話……いや、説教は終わった。

「なんか、すごく……カロリーの高い話だった」

「はは、病気の子に聞かせることじゃなかったね」

「ほんとに」

 最後はおちゃらけて話を区切る。お母さんの癖だ。説教をして、でも最終的には僕の気持ちを尊重して判断を委ねてくれて、おちゃらけて終わる癖。お母さんが僕の気持ちを見透かすのも、こういう癖を見抜いているからだろうか。ともかく、いつもの優しい雰囲気に戻ったお母さんは、僕の頭をひと撫でして言った。

「疲れたでしょ。そろそろ寝る?」

「……うん。いろいろ、考えたいし」

「うん、考えな、いろいろ。寝るまでついててあげるから、質問があったら千尋先生になんでも聞きな?」

「いいです。おやすみ」

「ツンはるくんだっ!?」

 お母さんが騒ぐのを傍らに、僕は苦笑いを浮かべながら目を閉じた。

 お母さんは、いつも僕が寝入るまで病室にいてくれているらしい。少なくとも、僕の意識のある間はずっと手を握ってくれている。そんな、いつも手を握ってくれなくていいのにと思うけど、お母さんは逆にずっとはるくんに元気パワーを注入してるから大事なんだよ、と言うからそのままでいる。確かに、お母さんが来てくれた日はしっかりしなければと、生きなければと思う。

 僕が心に隔てた透明なガラスは、ママがお母さんを受け入れたように、薫を受け入れることができるのだろうか。考えてみるけれど、今の僕では答えが出せそうにない。お母さんの説教を聞いた今でも、やっぱり、薫は僕とではなく僕以外の健康で優しいいい人と一緒になるべきなのではないかと思うし、僕は薫の負担になっているのではないかと、薫の時間を奪っているのではないかと思う。薫が一緒にいてくれると言ってくれている間は一緒にいたいけど、いつその心が変わってしまうか分からない。

 考えて、考えて、考えて……。

 ママは、病気だった時、どうしてお母さんを拒否していたのだろうか。僕と、同じことを考えていたのだろうか。ごめんね、と謝りながら別れ話を切り出すママは、やっぱりお母さんに申し訳ないと思っていたからそうしたのだろうか。だとしたら、いつ、どうやって、どうしてお母さんに別れを告げようと思わなくなったのだろう。

 僕は瞼の裏で、ママの初めて知った姿と僕を重ねる。

 僕はひとまず、この部屋から出なければならない。そしてまずは、まだこの状況になっても一緒にいたいと言ってくれた薫に、ごめんねと謝らなければならない。

 

 僕は、考えた。考えて、考えて、ひとまず、薫とは一緒にいたいという結論を見つけた。その気持ちは薫に伝えようと決めた時、ちょうど薫からクリスマスに会いに行ってもいいかという連絡が来た。

 僕は、いいよ、と返した。拒む理由はなかった。

 クリスマスの日、ママと薫が一緒に会いに来てくれて、ママが洗濯をしに行っている間、僕は薫と二人きりで話をした。薫と一般病棟で会うのは初めてで、会えてうれしいと言ってくれる薫の手を握らずにはいられなかった。薫を手放したくなかったのだ。

「暖、どうしたの?」

「……」

 そう言われても、返す言葉がなかった。言いたい言葉はたくさんあって、ごめんもありがとうも一緒にいてほしいもたくさんあったけど、どれから話していいか分からなくて。言葉を探している間に、薫の方が先に口を開いて僕の名前を呼んだ。

「あのね、私、暖と別れたくないな」

 その一言が決め手だった。

 僕は、薫を手放したくないと言おう。薫に委ねて、薫に一緒にいてもらおう。

「……僕も、一緒にいたい……」

「うん、一緒にいようね」

 弱ってしまった僕の手を薫が取り続けてくれる限り、僕も薫と頑張りたいと思った。

「じゃあ、明日も来るからね」

「うん」

「じゃあね」

「またね」

 また明日、会えることを信じようと、そう思った。

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