御影竜胆の脱獄から既に数週間が経過しようとしていた。
獰猛な猟犬を檻から解き放つことで、アリア自身の戦力増強になると考えての行動であった。
しかし、竜胆は猟犬などではなく血の味を覚えた狼であった。首輪をつけてもその首輪ごと噛み千切る。そんな制御不能の怪物だったのだ。
唐突に拠点に戻ってきたかと思うと、次回蓮太郎と会った時にどう揶揄ってやろうかと考えていたアリアのベッドを蹴り上げ、準備をしろと言う。アリアは一瞬呆気に取られるも、すぐに意識を切り替えて準備を整えながら竜胆に訊ねた。
「今までどこに出かけていたんですか。心配していたんですよ?」
「俺が何処にいようと俺の自由だろ。それとも何だ、お前は俺のことをいちいち観察してなければ気が済まないのか?」
赤い瞳を細めて睥睨。部屋は暗いと言うのに、まるでその瞳が光を放っていると言わんばかりの迫力にアリアは瞑目しながら答えた。
「そうじゃありませんよ。ただ、竜胆様に自覚を持って欲しいだけです。脱獄犯なんですから」
アリアの真っ直ぐな瞳に、やがて竜胆はその視線から逃れるように瞑目した。
「民警時代に作った拠点に行っていただけだ」
「拠点、ですか。一体何をしに?」
「弾薬補給だ。先の戦いで弾薬が底をつきかけてるんでな」
竜胆のその言葉にアリアは目を何度も瞬かせた。
竜胆の使う拳銃はXIX拳銃。リボルバー向けに設計されたた大口径弾薬である44レミントン・マグナムを使用している。入手が困難な弾薬かと言われると、民警がいる現代ではそれほど難しくはなく、加えて蓮太郎が使うような黒膂石バラニウムを素材にしているわけでもない。
言ってしまえば、わざわざ拠点まで足を運ばなくとも、アリアに言えば弾薬の運搬は楽に行えた。
しかし、竜胆は危険を冒してまで拠点へ向かう選択を取った。それは一体どうしてだろうか。
「俺の銃弾は特別製でな」
譫言のように呟いた竜胆の言葉に思わず目を剥くアリア。
「どうしてそれを私に話したのですか」
震える声で訊ねると、竜胆は視線を此方に寄越さず、腕を組みながら答えた。
「行動を共にする上で知らなければ不便だと判断した。ただ、それだけの話だ」
「……それは私のことを仲間と認めたと言うことでいいですか?」
刹那、アリアの胸倉が掴まれ、そのまま宙に放り投げた。竜胆の手が離れると同時に直様臨戦体制。後方へ引き下がって構えるも、竜胆はそれ以上の攻撃の意思を見せなかった。
またいつもの挑発だろうか。アリアが僅かに警戒をといた瞬間、竜胆の顔が目前にあった。そしてそのまま首根っこを掴まれ、床に叩きつけられる。咄嗟のことに受け身が取れず、肺にたまった息を吐き出した。
数秒の沈黙が流れる。明滅し、ボヤけた視界で見やると、赤い瞳を限界まで見開いた竜胆がそこにはいた。悍ましく、そして猛々しい。どこまでも純粋で歪んだ殺気をその瞳に滲ませながら、竜胆は続けた。
「───勘違いするなよ。利用価値があるから貴様を使うだけだ。俺とお前は対等ではない。俺が使うと決めて、初めてお前は俺の道具となり、手足となる。それ以外はただのガキだ。わかったな」
殺気と共に放たれたただのガキという言葉は正直、言われて嫌な言葉ではなかぅた。
世間一般に『呪われた子供たち』は怪物として扱われる。赤い瞳を宿し、いつ同じバケモノになるかわからない人間の姿をした怪物。その子供たちにアリアは含まれる。
しかし、竜胆はそんなアリアを等しく見ていた。
それもそうだろう。竜胆にとって『呪われた子供たち』は超常的な力を持った人間の一部にしか過ぎない。普通の子供たちと同列に纏められるのは癪ではあるが、それでも一歩前進したのではないかと、そう考えてしまう。
「はやく準備しろ」
アリアから手を離しながら面倒くさそうに呟く竜胆。そんな姿を見ながら、乱れた服を直しつつアリアは訊ねた。
「それで、私たちはどこへ向かおうとしているのです?」
「……今この東京エリアに大阪エリア国家元首が来ているのは知っているな」
答えは意外にもすぐ帰ってきた。竜胆のいうその人物は大阪エリア国家元首、斉武宗玄のことだろう。聖天子との会合があるということで、態々東京エリアまでやって来ているのだ。
「ええ。それがどうかしたのですか?」
「あいつに用がある」
「用、ですか?」
「ああ。なに心配するな、しっかりアポは取ったさ」
嫌な予感がする。アリアは震える声で竜胆に訊ねた。
「ちなみに、なんと?」
竜胆は悪辣な笑みを浮かべ、そしてこう答えた。
「今から大阪エリア国家元首、斉武宗玄をぶちのめしに行くとな」
高層ビルが立ち並ぶ東京エリアの区域に竜胆とアリアはやってきていた。
ネクタイを緩めながら竜胆はサングラス下の赤い瞳を細めた。
「竜胆様と斉武宗玄は知り合いなのですか?」
黒いセーラー服に身を包んだアリアは竜胆を見上げながら訊ねた。その質問に竜胆は軽く「ああ」と返す。
「俺が民警時代に、少しな」
「なんですその含みのある言い方は。まあそのことはどうでもいいです───どうしてここに斉武宗玄がいると?」
その言葉に対して竜胆は薄く笑った。
「獣の嗅覚を舐めるなよ」
「答えになってませんけど」
そのアリアの訴えに竜胆はなにも言わない。普段ならここで理不尽な暴力を振いそうなところではあるが、今日の竜胆は上機嫌だ。それも不気味な程に。
まるで、久しぶりに親しい友に会う子供のように。これでもし鼻歌なんて歌っていれば、アリアは目を疑うだろう。
「───ああ、答えになるよう言ってねえからな」
やはり今日の竜胆は変だ。常日頃アリアを顎でつかう人間だというのに、今回は自ら足を動かして宗玄の居場所を突き止めた。竜胆の言い方から察するに、民警の情報網でもアリアのような組織のバックアップもなく、場所を突き止めたのだろう。
彼の言う『獣の嗅覚』が本当のことだとするならば、それはもう第六感とも呼べるだろう。
「着いたぞ」
気づけば、宗玄がいるであろう高層ビルまで十数メートルと言う距離まで迫っていた。一般人が泊まるにしては些か厳重、しかし国家を統治してる人間ともなれば頑強な建物に見える。
実際そうなのだろう。ここに宗玄がいるのであれば、彼に用がある人間意外彼の部屋には行けないようになっている筈だ。
アリアはホルスターに忍ばせているクナイに手を伸ばして、そこで竜胆が「ああ」と呟く。
「お前はここで待っていろ」
「はい───はい?」
竜胆の口から飛び出した言葉に思わず目を剥くアリア。
「あの、それは一体どう言う意味───」
「そのままの意味だ。お前はそこらで時間でも潰してろ」
そう言って、高層ビルの入り口を見やる竜胆。その中には普段よりもわずかに多い警備の人間が見えた。竜胆が攻撃に転じ次第迎え討つ気なのだろう。竜胆は中身を見ながら心底残念そうにため息をついた。
「見たところ、私服を含め二〇程度か。舐められたもんだな」
サングラスを地面へと投げ捨てそのまま踏み潰す。露わになった赤い瞳には怒りの色が見て取れた。
「そう言うわけだ。龘アリア、生かす殺すはお前に一任する。煮るなり焼くなり好きにしろ」
そう言いながらビルの中へと姿を消す。しばらくしてから窓を突き破って頭の形が変形した警備員がアリアの真横に落下した。
一人取り残されたアリアはしばらく呆然としてから、数秒後に眉間を押さえた。
「どうしてあの人はあんなに自由なんですか!!」
アリアの悲痛な声は虚しく喧騒の中へと消えていった。