《御影竜胆によるテロ行為から、そろそろ二年が経過しようとしています。死亡者数は一〇〇〇人を越え、なぜ英雄と呼ばれた男が悪魔に成り果てたのか───その真相は依然と謎に包まれています》
端末に映し出された評論家らしき男が、深刻そうに語っている。
《脱獄した現在も御影竜胆は逃亡中。民間人への被害はまだないものの、既に多くの民警が彼の手によってその命を奪われています。こんな悲劇を繰り返してはならないのです!》
結果として、聖天子と宗玄による非公式会談が先延ばしになり、蓮太郎は小さく息を吐いた。
御影竜胆による強襲は失敗と大々的に報道されてはいるが、宗玄は助かったのではない。過去に『
───答えは否だ。宗玄は竜胆の何らかの意図で見逃されたに過ぎない。
《あの犯罪者を野放しにしておけば、この東京エリアに安寧の時は訪れません。必ず、あの男を捕えま───》
あまりにも的外れなことを言うので、その放送を見るのをやめた蓮太郎。
馬鹿馬鹿しい。二度あの男と遭遇し、会話を交わしたことがある蓮太郎は心の中で毒づく。
一度、聖天子に聞いたことがある。あの男の目的は何なのかを。
人を殺すことに躊躇いを持たない怪物にそんな意思があるのかは謎に包まれているが、聞く価値はあるだろうと思ったからだ。
蓮太郎の問いに対し、聖天子は「東京エリアの支配」であると答えた。しかし、それは現実的にあり得ないことだと蓮太郎は考える。
───東京エリアの支配が目的なら、
聖天子の補佐官であり最強の剣であり護衛。もし竜胆の目的が最初から「東京エリアの支配」ならば、一番の障害となり得る菊之丞の排除を真っ先に行わないのは不思議な話だ。となると、考える可能性としては支配以外の何かだ。
「……わからねえ」
しかし、現段階ではあまりにも情報が少なすぎた。小声でつぶやいてから蓮太郎は端末を握りしめた。今わかっていることは鬼神の如き強さを誇ること、そして。
『満身創痍のお前と戦っても意味がねえと言ってるんだ』
ただの極悪人ならば、あるいは噂通りの獣のような男であれば口にしないであろう言葉。
蓮太郎は御影竜胆という男がわからなくなり始めていた。あの時延珠が静止していなければ、蓮太郎は竜胆の言葉を信じなかっただろう。
「……もっと、強くならねえとな」
きっと、あの男の行動にはなにかしらの意味が含まれているはずだ。その真意を確かめるためにも、今自分にできることをする。ただ、それだけだ。蓮太郎は不本意に思いながらも端末を操作。とある人物へコンタクトを試みた。
数十分後。意外にも蓮太郎がコンタクトを試みた人物は意外にもすぐ現れた。黒いセーラー服に赤いマフラー。赤い縁の眼鏡をかけた龘アリアは怪訝な表情を浮かべながら。
普通の学生ならば、今はまだ授業を受けている時間であろう。その時間に呼び出されたことに苛立ちを覚えたのかと思うが、違う。目の下には薄らと隈が浮かび上がっており、寝不足だったのだろう。
なんだ寝不足で不機嫌なだけだと心の中で勝手に決めつける。周囲には休憩時間なのかベンチに腰掛ける人間がちらほら見受けられたが、対して気にすることでもないだろう。
「こんな普通の日に。私を呼び出して。一体何のようです?」
笑みを浮かべる彼女であったが、声に感情が何も感じられない。蓮太郎は小さく息を吐いてからあらかじめ購入しておいた、ドーナツを手渡した。アリアが到着する数分前に購入したものだ。状態は問題ない。アリアは一瞬目を丸くしてから、顔を少し明るくした。
「───ありがとうございます」
先程よりも声のトーンが明るくなったので効果はあったということだろう。しかし解せない。向こうは約束もせずに勝手に自分の背後に立ったりしているというのに、自分が呼び出すと気分を悪くされるというのは。
ドーナツ片手に蓮太郎の隣に座ったアリアは小さく息を吐いてから上目遣いで蓮太郎を見上げた。
「ただ一応言っておきますが、私とあなたは敵同士。それは理解しているのですか?」
「わかってるに決まってんだろ。だけど、先に連絡先を寄越してきたのはお前だろ」
そう言われてアリアは「あ」と言葉を漏らす。
先日、勝手に連絡先を交換して勝手にまた会いにきますからと言い、呼ばれてきたのはアリア自身だ。断ればよかったものを断らなかったのはアリアが単純に浮かれていたからである。
アリアは唸るように空を見上げてから、蓮太郎へと視線を戻し、足先から髪先まで訝しげな瞳で見つめてきた。
「なんだよ」
「いえ、改めてこう見ると本当にすごいなって。ここまで細胞の一つ一つから不幸さが滲み出ている人を見るの、私初めてです」
「苦し紛れもいいとこだな」
「わかってるなら何も言わないでください」
本来は敵同士であるはずなのにここまで軽口を叩き合えるのは一体なぜだろうか───。蓮太郎は思わず頭を抱えたくなった。
「それで、そろそろ教えてくれませんか。なぜ私をここに呼んだのか」
「単刀直入に聞くぞ。お前、昨日の聖天子襲撃事件について知っているか?」
正直に答えるとは限らない。はぐらかされる可能性だってある。しかし、蓮太郎はアリアがこの質問に答えると確信していた。
自分が組織に勧誘する立場ならば、黙秘する情報は少なくする。そして、腹の底のものは隠し持つ。
蓮太郎の予想通り、アリアはああ、と小さく呟いてから蓮太郎の方を見やった。
「聖天子襲撃事件に関してですよね。私は無関係です」
「なぜ知らない、じゃなくて無関係だと言う?」
「変装までして会場に行った人間が、私は何も知りません。というのは些か無理があるかと。ならニュースでも報道されていた聖天子襲撃事件という存在を知った上で知らないと言った方が説得力が増しませんか?」
手の形を銃の形にしてからあと私の美学に反します、と呟くアリア。
「美学、だと?」
「銃は命を簡単に奪えてしまいます。場合によっては使いますが、そうでない人間に銃を使うのは極めて生命に対する冒涜を感じますから」
「生命に対する冒涜、か」
「まあ武器を使っているだろと言うことに関しては返す言葉はないんですけどね」
肩をすくめながらアリアは吐息混じりに呟く。そして、蓮太郎の方へと再び向き直った。
「それで?もしかして、こんな理由で呼び出したのですか?私、もう少し違う理由で呼び出されたのではないかと少しワクワクしていたんですけど」
「違う理由?」
「はい」
「……言ってみろ」
嫌な予感がする。思わず訊ねると、案の定アリアは肩を両の手のひらで抱きながら演技っぽく腰をくねらせた。
「わーい、アリアちゃんとホテルに行くんだー!とか」
「おい」
「冗談ですよ」
すべて真顔でそう答えるものだから思わず押し黙る。
本当に、こいつ───!蓮太郎は心の中で愚痴った。この少女、何を考えているかまるでわからないのだ。読心と言ったそういう魔法じみた能力を持っているわけではない。しかし、今その相手が何となく何を考えているかは少なからず視覚情報から手に入るものだ。しかし、目前のソレにはそれがない。彼女の心を探ろうとすると、生命的な脅威、価値観を破壊される精神的な脅威に襲われる恐怖を抱く。
「そんなに怖がらないでくださいよ。別にとって食おうってわけではないんですから───簡単です。私のお友達になりませんか?」
目を細めて笑うアリアに底知らぬ寒さを感じた。
生唾をなんとか嚥下し、目を何度か瞬かせる。そして、前回とは違う言葉に蓮太郎は疑問を抱き、訊ねた。
「……今回は組織の勧誘じゃないのか」
「おや、そちらの方が良かったですか?」
「お前、何を企んでやが───!」
蓮太郎の口に自信の人差し指を押し当て、小さく「しー」と口にするアリア。ただ、それだけの行動だというのに、心臓を鷲掴みされるような錯覚に陥った。酸素を吸って二酸化炭素を排出する。それだけの行為すら忘れ、背中にはびっしりと脂汗が滲んでいた。
アリアは寒気すら覚える笑みを浮かべたままゆっくりと立ち上がりながら続ける。
「別に何も企んでいませんよ。ただ、お友達になりたい。そう思っただけです」
アリア本人は淡々と続けている。
「……。もし、俺が、断ったら……どうするつもりだ?」
それだけの言葉を発するだけだというのに、ごっそり体力を持っていかれた。
「それはもうありとあらゆる手段を用いて、あなたの社会的地位を完全に失墜させます。知ってますか、今は20年代の頃と比べて非常にフェイクの技術が向上しているんですよ?」
「おい……」
「ふふ、冗談ですよ。これから友達になりたいという方に、そんなひどいことは出来ませんよ」
薄く笑いながらアリアは立ち上がり、空を見上げた。
建物が建ち並び、舗装されたアスファルト。そして、巨大な壁に覆われたこの
「ではまた。今日は本当に楽しかった」
踵を打ってその場でターン。アリアは薄らと笑みを浮かべ、首を僅かに傾けた。
蓮太郎はそんなアリアの姿を見て、右の掌を握り締め、震える声で訊ねた。
「龘。次に会う時お前は、敵か?」
「───さあ?しかし、私はあなたと戦うことを望んでいませんよ」
アリアは言葉を止め、短く笑った。
「
急な呼び方の変わりように目を白黒とさせていると、アリアは吹き出すようにして笑った。
「本当、あなたといると飽きませんよ」
そう言うと、アリアはゆっくりと歩き出し、そのまま人混みの中へと姿を消した。