演述社翁 作:会川奈々
有名人の付加価値というものは人の価値観に多大なる影響を与える。
あの憧れの人が使っていたから使う。使いたい。あの人が好きだと言っていたブランドを優先して買いたい。あの人が作っているものだから、良いに決まっている。
逆に、コイツが使っているから使いたくない。同じだと思われたくない。コイツが作ったものはどうせくだらない。
プラスの意味でも、そしてマイナスの意味でも。
製造原価だけでなく、加算されたそのプラマイが、物の価値を変動させる。
プロゲーマーというのは企業の広告を背負う存在である。俺達がこの職業を職業として成り立たせることが出来ているのは、スポンサーが存在するからだ。真実広告塔。エンドースメント契約をしたこれらスポンサーと個人、あるいは組織は、付加価値を売り物にすることで生活を維持している。
上手い、良質なプレイを魅せる事で、それを底上げし、支えているのがハードであると思わせる事。日常で使うブランド、椅子や机といった必需品。プロゲーマーに求められている付加価値は凡そこれくらいだ。無論多くの視聴者や多くのフォロワーに自らの企業の商品を周知するため、という、所謂"有名人ならだれでも良い"というスポンサーも数多くいるので、それだけである、とは決して言わないが。
そこの製品を用いて活躍出来なければ、広告塔としての役目は果たせない。「あそこの製品を使っている所はどこも負け越している」なんてイメージがついたら最悪だ。だから当然、活躍をしないチームからは企業の手が離れていく。勿論契約は契約故、その満了までに打ち切られるという事は無い。ただ、契約時にこちら側が提供すると約束した内容をこちら側が守れなくなった時点で、当然、悪いのはこちらになる。
善意や慈善の世界ではないのだ。完全な実力主義──なれば、役に立たなければ、抜けてもらうしかない。チームにとっても企業に取ってもそれが最良の判断となる。マイナスの付加価値をつけてしまうようになった時点で、要らない存在なのだ。
「本人の意向、すか」
「うん。やりたい事が出来た。もうプロに集中出来ない。一つの事を極めるだけでは、やりたい事が出来ないんだ。そう言っていたよ」
「……他は、なにか」
「その後の活動については、彼のプライバシーの領域だよ。うん。プロゲーマーを辞める、と言っていた。フリーでさえ無くなるのだそうだ」
オーナー。俺のチームの所有者。一つしか違わないのに、俺なんかよりもよっぽどしっかりしている人。
一つ上を年上なんて呼ばないでくれ、と言っていた彼。今日は彼に招かれて、彼の家にやってきた。かつてはこの家でメンテュル達と祝勝会を開いた事もある、広い家。楽しい思い出ばかりのこの家。
だというのに、彼の家を訪れた俺を前に彼は、「この世が終わってしまったかのような顔をしているじゃないか」と苦笑した。
プロを辞める前のメンテュルは、成績が揮わなかったとか、暴言が酷かったとか、そういう事はなかったはずだ。それを確認しに来て──肯定されてしまった。
そういうことは、全くなかったのだと。
全くなくて、完全に本人の意思で辞めたと。
「新しいプレイヤーが入る事はもう決まっていてね。うん、すぐに競技シーンへ復帰、というにはまた膨大な練習の時間が必要だろうけど、その前に一つ、聞きたいんだ」
「……」
──ケズ君。君は、どうするのかな、うん?
●
「じゃあ、あるんすか、夢」
「ないよ。わたしは今が面白いからね」
「嫌なこととか、ないんすか」
「ないよ。嫌なことも好きなことも、面白い事には変わりないからね」
「そりゃ……楽しくなさそうすね、毎日」
「面白い方が良いかな、って。コーギー君は、どう? 毎日面白い?」
「……最近は、つまらんすけど、カレーさん程俺は人間辞めちゃいないですよ。だから毎日がまだ、楽しい方す」
「へぇ、出会った頃より随分と言うようになったね」
カラカラと笑うカレーさん。
頻繁に、ではないものの、夏季休暇の間にカレーさんと出会う事が増えたように思う。それは単純に双方とも人の散漫とした大学へ赴いているからなんだろうけど、どうして俺はこの怖い怖い妖怪みたいな人と長話をしてしまうのだろう。つい、ついつい。挨拶だけで済ませるつもりでも、いつの間にか卓について、話し込んでいる。
人の心に入り込むのが上手い、ということなのだろうか。それにしてはあまり万人受けしない性格をしているようだが。
「あの……」
「ん?」
しかし、今日ばかりは少しだけ状況が違う。
どこか居心地悪そうに声をかけてきたのは、一年の後輩。浦沢と同じく渡勝野鳥の会に参加している奴で、ザ・大人しい系の男子。
俺とコイツは15時頃に戻ってくる予定の奈々を待っていて、今が13時。正直暇をしていた所にカレーさんのご登場だった。
カレーさんは俺達を見るなり、開口一番問いをかける。
──"コーギー君は、夢ってある?"、と。
その問いに、俺は無いと答えた。目線が後輩に映ったが故だろう、後輩も無いです、と答えると、カレーさんはまたケラケラと笑う。それが冒頭に繋がった。
「幸司さん、この人は……? カレーさん、というのは」
「わたしの名前だよ。ああ、勿論偽名だからね。じゃあ、君の名前を教えてくれるかな。偽名でもいいよ」
「あ、え、えと……じゃあ、シェパードで」
「なんでだよ」
「用途が同じだからね」
「あ、はい」
なんで通じ合ってるんだ。というかカレーさんってあだ名じゃなくて偽名だったのか。なんで普通に偽名持ってるんだよ。それともあれか? 声楽科は全員偽名持ってるのか?
「それで、何用すか」
「コーギー君は、持っていたけど見失っている状態。シェパード君は、夢、あるでしょ。言ったら恥ずかしいから無いって言ってるだけで」
「また
「これは雑談だよ。もっとも、コーギー君に必要なくとも、シェパード君は必要そうに見えるけどね」
振り返ってそうなのか? という視線を向ければ、恥ずかしそうな顔をする後輩。
顔を戻し、胡散臭いヤツを見る目をカレーさんに向ければ、彼女はにこりと笑った。怖いってば。
「えと」
「ああ、いいよいいよ。話したいなら話せばいい。別に俺の許可を取る必要なんかないよ。俺はまぁ、そっちのテーブルで本でも読んでるからさ」
「あ、はい……」
俺の抱いている恐怖がコイツにあるのかはわからんが、後輩はいそいそとカレーさんの対面へと座り直す。おいおい、人生相談する気満々じゃないか。
まぁ他人の内話に首を突っ込む野暮さを俺は持ち合わせていないので、そそくさと退散する。
隣の席に移って──けれど、音というのは聞こえるもので。
意図せず盗み聞きの形になったまま、その相談は始まった。
○
「夢、の話、でしたよね」
「そうだね。それ以前の話でもいいけれど」
「もしかして……本当に、お見通しなのかな。わからないけど……その、ですね。カレーさん。聞きたい事があるんです」
「うん」
「貴女は、人生の節目、という奴を経験したことはありますか? ……あ、経験というか目の当たりにしたというか」
「自覚したこと、かな?」
「あ、そうです。自覚……ここが正念場だと、ここが転換点だと、はっきり認識したことはありますか?」
大人しい奴、という印象だった。もう一人の方の後輩がキャンキャンうるさい奴だってのは大きい要因だが、それをしても、輪をかけて大人しい男、というファーストインプレッション。鳥を含め、自然が好きで、カメラも好きだから、という理由は入会希望を十分にクリアするもので、その実入ってからの作品はちゃんとした……多分、一年の頃の俺なんかよりもしっかりした写真を撮れている。カメラの使い方も教える点はないし、曰く高校の頃から写真部だったとかで、自由なフィールドワークの経験こそ浅いものの、知識のある奴であるのは間違いない。
あまり雑談というものを好まないのか、サークルルームにおいても一人黙々と作業をしている事が多かった。とはいえ無愛想な奴ということもなく、話しかければ十二分に話せる奴だから、空気感は悪くない。
「何度か、あるよ」
「……教えてください。そういう分岐点が、目の前に現れた時……どうやって、何を基準に選ぶんですか? 損得? それとも信念? カレーさんには夢がない、んですよね。ならやっぱり、転換点で悩むんですか?」
「もちろん、悩むよ」
「悩む……んですか。なら、どうやって答えを出したのか、教えてください。何を判断して、どう出すのか。僕には……わからないんです」
存外、饒舌だ。悩みが溜まっていた、って事か。先輩として見抜いて、相談に乗ってやるべきだったかな。高校までの先輩後輩関係と違って、大学の後輩というのは結構な壁があったからあんまり踏み込まなかったけど……これは怠慢かね。
夢。夢か。恐らくは、それに至るまでの道筋に何か分岐点があるんだろう。今それに直面していて……アイツは、選べずにいる。
──ケズ君。君は、どうするのかな、うん?
「わたしの中の答えは既に、ずっとずっと前から決まっているんだ」
「決まって……?」
「やりたいことが明確なのさ。わたしはね、歌うのが大好き。歌って、歌って、歌っていられたら。それでいい。歌うのが楽しい。むしろ楽しい事がそれだけしかない。他の事は苦手だからね。だからわたしは、歌える道を選ぶよ」
「そんな貴女にとっての、分岐点、転換点というのは、どういうものだったんですか?」
「初めて褒められた時、かな」
メンテュルは選んだのか。分岐点で、俺とは違う道を。
その先にアイツの夢があると? あんだけ熱心に上手くなる事を目指して、あれだけ高みを見ていたメンテュルが──新しい夢を抱いた、っていうのか。
……そんなの。
「それ、だけ……ですか?」
「うん。わたしは、その賞賛を
「……喜ぶかどうか、ということですか?」
「そうだね。わたしはどちらを選んだと思う?」
「普通なら、喜ぶ方、だと思います。でもカレーさんは普通じゃないっぽいから……」
「喜ぶことを選んだんだ。
何かが、刺さる。
「貴女が喜ぶと、周囲にメリットが?」
「そう。わたしが喜んでいる姿を見て、周囲も笑顔になるんだ。それはメリットだよ。酷く明確で単純なメリット。さっきの話だけど、わたしの分岐点の基準はそれなのさ。わたしのやりたい事は決まっているから──双方どちらの道を行ってもそれを成し遂げられるのなら、"周りが喜ぶ方"を選ぶ」
明確で、単純。
が、過ぎる。やはりこの人の話は聞くべきじゃない。そこまで割り切れる奴ばかりじゃないんだ。
「……僕は、夢がありました。あります。行きたい所があるんです。子供の頃から、行きたい場所。そこに行くためには、知識と、学歴と、経験と人脈と資金と……たくさんのものが必要です」
「それは、大変だね」
「はい。そして僕は、この一年で、ようやく人脈……すべてを手に入れるための術を一つ、手に入れました。けれどそれを手に入れるためには、切り捨てなければいけないものがあるんです。メリットを取るために、デメリットを被らなければいけない手段しか、掴めなかった」
大人しいヤツ、と言った。
どこかだ。こんなにも煮え滾る野望を秘めた奴だったとは、全く知らなかった。
一年を共にして、何も知らないか。少人数サークルにあるまじき信頼関係だな。
「分岐点です。かねてからの夢のため、多くのデメリットを被るメリットを取るか、夢を捨て、デメリットを避けてメリットを捨てるか」
「簡単な話、だね?」
立ち上がる。上がらんとする。ダメだ。カレーさんのような人に任せては、後輩の夢が潰されてしまう。これほどアツい想いを持っているのなら、それを貫いた方が絶対に良い。最終決定を他人の意思に任せるなんて、あまりにも──。
「はい。夢を掴みに行きます」
「──……」
「最初からわかってて相談したんだよね? シェパード君。君はわたしが、自分とは真逆の答えを出す相手だと知っていた」
「……すみません。僕自身は、僕の事、ちゃんとわかっていなかったので……僕の事を認めて、ちゃんと思ってくれる人だと、ここまで固まらなかったと思います。同情や応援は……夢に対しては、毒です。こう……コーギー先輩は、すごくいい人だから。カレーさんみたいな悪い人と違って、相手の事を考えてあげられる人だから、相談は出来ませんでした」
「随分な物言いだね?」
「すみません。でも、一目見てわかりました。この人は人生が楽しくて仕方のない人だ、って。悩みさえも楽しめる人だ、って」
「それは嘘だね」
「はい。ごめんなさい。会川先輩から色々聞いていました。"あんなに人生を謳歌している人間は見た事がない"って。だから、もし邂逅する事があれば、是非話を聞いてみたかった。コーギー先輩がいると止められてしまうだろうし、それを無視することも先輩に悪いから、出来なかったけれど……貴女が他人を慮らない強引な人で良かった」
「酷いなぁ、ちゃんと傷付くんだよ?」
「でも、傷付くだけ、ですよね」
なんだ。なんでこんなに通じ合っている。
こんな不躾な物言いの奴じゃなかった。相手を前に悪い人とか、酷い人とか、強引な人とか……そんなの、面と向かって言う言葉じゃないだろ。
思ったとしても、本人の目に付かないようにするのが礼儀じゃないのか。
夢。夢がある奴には、カレーさんは違う印象に見えるのか?
「貴女の語る転換点での基準は、僕のものとは正反対です。僕は……僕は、目の前の損得勘定
「じゃあこれでお悩み相談のコーナーは終わり。聞かないでおくよ、君の行きたい場所。シェパード君が辿り着いてから教えて欲しい」
「必ず」
後輩は目礼をし──俺に向き直る。
当然、立ち上がりかけたヘンな姿勢のままの俺に視線が集まる。
「後輩想いだねぇ」
「……俺、カレーさんの事苦手すわ」
「会川さんにも同じことを言われたよ」
アイツと同じにされるのは、それはそれで嫌だけど。
カレーさんは、さて、なんて言って、立ち上がる。
そういえばカバンも何も持っていない。本当に何しに来たんだこの人。何の用があって大学に来たのかも、どんなタイミングを計ってこの場所を訪れたのかもわからない。夏季休暇中だぞ?
「それじゃあ、一つ。10秒後、待ち人来る。ばいばい」
そう後ろ手を振って。
カレーさんは廊下の奥へと、曲がり角を曲がって消えて行く。……彼女が来た方の、廊下へ。
帰り際、という線も潰された。
そして、10秒後。
本当に、背後──階段のある方から、小煩い足音が聞こえてくるのだった。
●
例えば。
"幼少期に大人たちに笑われた"、という経験があったとしよう。何か失敗をして、何か恥ずかしい事をして。
その思い出を"トラウマ"と捉えるか、"俺はこれほどの人間を笑わせる素質があるんだ"と自身をつけるかが分かれる。
後者に至る者は稀だろう。大体が前者になる。嫌な思い出になる。
だが、後者に至れた場合……至る事が出来る事、そのものが、間違いなく"才能"であると言える。そういうヤツは次第に自信を発露する事を自己承認の一部に加えるようになるし、目立つことを好むようになるだろう。
もっとも唯一、自分の夢を笑われた場合を除いて、だが。
──"別にお……私は、大した目標なんて無いんですよ。皆さんとこうして話をして、一緒にゲームをして、共に成長して行く……。そういう事が出来れば満足なんです。ブイを始めてから、まだ一ヶ月ですけど、本当にそう思います。"
メンテュルはいつか、自分のプレイを褒められた事が嬉しくてゲーム実況を始めた、と言っていた。俺も同じだと……正確にいえば俺は褒められるため、だが、同じ目標だと歓びあったものだ。
まだプロにもなっていない、弱小実況者同士だった頃の話。俺達は互いに互いを認め合って、一緒に長く続けていこう、なんて言って。
アマチュアチームに入る時。入った時の、その夜には、夢を語った。日本一になろう、世界一になろうと。陳腐な夢と笑われるだろうか。けれどそれを笑う者はその場にいなかった。だから俺達は、走り続けたのだ。
大した目標なんてないと、ブイチューバーとなったメンテュルは言った。
ブイチューバーを始めてからの一ヶ月記念。コミュニティ参加者数は134人。かつてのメンテュルからは考えられないその数字に囲まれたアイツは、コメントを一つ一つ読み上げて、会話することを楽しそうにやっている。
──"ゲームが上手いのは……まぁ、確かに、誇れることです。私はちゃんと、ゲームが上手い自覚がある。……けど、聞いてください。私ね、ブイチューバー始めてから、ゲームを楽しめるようになったんですよ。勿論配信してるって意識はあります。見られてる、見せてるって意識もあります。"
──"でもね、最初は楽しんでいたゲームが、いつか、いつしか、いつの日からか……上手くならなければならないモノ、に成り下がってたんです。私は、ゲームが上手い自覚を持ってしまっていたから、上手く無ければいけないって勘違いしてました。……あんまりね、こういうこと言うべきじゃないんですけど、ブイの世界は……あ、勿論真剣にやってる人を否定するつもりはないんですけど、この世界はみんなが楽しんでいるから、凄いな、って。リスナーさんが見たいのが、誰よりも上手いプレイ、じゃなくて、その人のプレイ、なんですよ。それが……凄い。勿論、勿論ね。上手いプレイを求めてきてる人はいるんだと思います。これから、私がどれだけ伸びていけるかはわかりませんけど、これから入ってくる人の中にも、俺に上手いプレイを求めてくる人がいると思う。けどね、そうじゃなくて……え? あ、私です。私に、上手いプレイを求めてくる人がいると思うんですけど、私は私を見てくれる皆さんを大事にしたいと思います。思ってます。"
長い、独白。いや、雑談配信故、ずっと喋り続けている事に変わりはないが……。
メンテュルの心情を聞いた気がして、部屋で一人苦しくなる。
──ケズ君。君はどうするのかな、うん?
──変わったのは、どちらの方だったのか。
煩い。あんなに頼もしく感じていたオーナーの問いと、怖い人の声が同じ音階を取って反響する。
分岐点。転換点に悩む後輩は、答えを得ていた。
相棒もまた、答えを得ていた。
俺は。
俺は──。
○