あなたはこの日を忘れるけれど   作:緋色鈴

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-1- A name is...

・・・窓から差し込む、朝日の光で目が覚めた。

 

瞼の裏から視覚を刺激してくる眩しさから逃れるために、寝返りを打つ。

しかしそれでは光の下に晒されるのが右目から左目に変わっただけで、何の解決にもならなかった。

シーツを手繰り寄せて頭まで被ってしまおうと、目を瞑ったまま片手で周囲をまさぐるも、何故か布らしき感触がない。

「ん、うぅ・・・」

仕方なく、身体をよじり、上体を起こす。

 

そして、寝ぼけ眼で周囲を見回す。

・・・そこで私はふと、違和感を覚えた。

 

「・・・・・・?」

 

質素ながらも清潔な感じのするベッドと、似たデザインの机が隅に置かれた、シンプルな寝室。

何故か皺だらけになってベッドの端に転がっているシーツの固まりは、察するに、寝ている私が跳ね除けてしまったものかもしれない。

そして窓から見える景色が高いので、どこかの建物の二階である、ということは分かる。

しかし、それ以外のことがさっぱり分からなかった。

部屋の内装どころか外の風景にも見覚えがなく、自分が何故ここで眠っていたのか、まるで思い出せない。

夢から覚めたような、それでもまだ夢の中にいるような、奇妙な感覚だった。

 

ここは何処だろう。

 

と、私がそうして茫然自失としているうちに聞き逃していたのか、単に遠かったのか。

私はふと、部屋の外から物音がすることに気がついた。

それは階下から人が階段を上ってくる・・・誰かの足音だった。

はっとしてそちらを見る。

寝起きの姿は恥ずかしい、というより誰だろう、いやそれ以前に、と混乱している間に、床板の軋む音は部屋の前まで辿り着いてしまう。

がちゃり、と音を立てて、ドアが開かれる。

 

そこに、一人の魔女が立っていた。

 

 

「あ、起きてたね」

 

齢十八・・・十九ぐらいの女性だろうか。

彼女は私と視線が合うと、ふっと笑みを浮かべて頷き、柔らかい声音でそう言った。

 

「おはよ」

「えっと・・・おはよう・・・ございます」

 

つられて朝の挨拶を交わした後で、私は彼女の出で立ちを上から下まで眺める。

服から髪に至るまでおんなじ色をした彼女の、羽織っている外套や、被っている三角帽子、そしてそこにぶら下がる星の形のブローチから見て、彼女が魔女である、ということは分かる。

しかし彼女が何者であるか、私は外見以上のことが分からなかった。

私を見つめ続け、何かを待っている様子の彼女に、私は戸惑いがちに問いかける。

 

「あの・・・あなた、誰ですか?」

「私の名前はセレナ」

 

胸に片手を当て、まるで用意していたかのように彼女は朗々と名乗ってみせた。

彼女は次いでその手を返し、私に向かって問いかける。

「君は?」

「セレナ・・・さん。えっと・・・私・・・わたしは・・・」

私は自分の名を告げようとして、言葉に詰まった。

そして、目が覚めてからずっと胸の奥でざわついていた、奇妙な違和感の正体に気がついた。

 

分からない。

自分が誰なのか、何故ここにいるのか、分からなかった。

名前も立場も、昨日のことだけではなく、自分がこれまで何をしてきたのか、その一切が、思い出せない。

 

「え・・・あれ・・・」

 

漠然としていた不安が、ゆっくりと湧き上がってくる。

大切なものが欠けていて、それが何なのかさえも分からない、不気味な感覚。

それが形をとっていくにつれて、混乱と、底知れぬ恐怖が押し寄せてくる。

自分が突然一人だけの迷子になったような。

誰も知らない異国に放り込まれたような。

 

額にあてた手に、冷たい汗が滲んでいくのが分かった。

「なんで・・・?」

どうしていいか分からないでいると、遠慮がちに声をかけられた。

 

「もしかして、自分の名前が分からないとか」

「・・・?」

 

縋るように視線を上げてしまう。

私の様子をじっと窺っていた彼女の表情に、驚きの色はなかった。

恐る恐る頷いてみせると、彼女は小首を傾げながら言う。

 

「記憶喪失って分かる?」

「・・・えっと・・・うん」

「君は自分の名前も、ここがどこかも分かってない。それが今の君の状態。合ってるよね?」

「・・・多分合ってる・・・私は・・・あなたは、私が誰か、知ってるの?」

 

彼女が言った内容に理解が追いつかないというより、深く考えるよりも先に、それを知りたかった。

そして彼女は少しだけ悩む素振りを見せたあとに、その名を告げた。

 

「君の名前は・・・そう、イレイナ」

「・・・イレイナ?」

「うん、そう」

 

それが自分の名前、と言われても、なんだかしっくりこなかった。

しかし、どんな名前を告げられても同様なのかもしれない。

そう思うと先ほどと同じ焦燥が一瞬だけ胸の奥を焼き、その後に、何にせよ今は受け入れるしかない、という諦念がじんわりとその跡を浸していった。

気味の悪い感覚だった。

 

「大丈夫。私は君の事を知っているから」

「・・・セレナさん」

 

彼女は私を安心させようとするように、微笑みながら頷いてみせた。

私は唇を引き結びながらその目を見つめ、何と言ったらいいか分からずに、いまだ鈍い思考を巡らせようとする。

 

しかし突然、ごぉん、と骨まで響く重たい音がして、私は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

彼女の視線が窓の方を向いて、つられてそちらを見ると、もう一度、ごぉんと音を立てるものの正体が分かる。

それは二階からでも見上げるほどの高さまでそびえ立ち、鐘の音を鳴らして時刻を告げる、古い時計台だった。

 

もうこんな時間、と彼女が言ったのが鳴り響く重低音に紛れ、かろうじて聞こえた。

そして彼女が踵を返したのを見てとり、私は慌てる。

まだ聞きたいことがたくさんある。

しかし部屋のドアに手をかけたところで彼女は振り向いて、腰を浮かせかけた私を宥めるような仕草で手を振った。

 

「とりあえず着替えたら、下に降りてきて。あったかいお茶でも飲みながら説明してあげるから」

最後にそう言って、手をひらひらと振りながら彼女は部屋を出て行った。

 

私はベッドの上で座り込み、茫然とそれを見送るほかなかった。

そしてふと視線を動かし、もう一度時計台の方を見ようとすると、自分の姿が窓に映り込んでいるのに気がついた。

彼女と同じくらいの背丈と顔立ちをしている、自分。

その顔は、今にも泣きそうな顔で私を見つめ返していた。

 

セレナ、と名乗った彼女は、いったい誰なのだろう。

それよりも・・・自分は一体、誰なのだろう。

 

いくつもの疑問が湧いては積み重なり、またもやってきた不安に押しつぶされそうになって、深呼吸する。

いや、途方に暮れてはいけない。

まだ事情を知っていそうな人がいただけ、一人きりでいるより遥かにマシだ、と切り替えなくてはいけない。

鐘の音が止んで、静寂が戻ったことに気づいた私は、はっと我に返る。

私はぶんぶんと頭を振って、ベッド脇に置かれていた白い服と、その上にあったカチューシャを掴んで身に着ける。

そして私は、親を見つけた雛鳥のように、足早に階段を降りていくのだった。

 

 

 

「はいこれ。君がずっと持っていた物だよ」

 

やたらと大きなテーブルを挟んで、私はセレナさんの向かいに座っていた。

テーブルの上には、部屋いっぱいに広がる香りを漂わせている温かそうなハーブティーと、菓子が置かれている。

甘んじて頂く事にし、口をつけた瞬間に火傷しそうなその熱さに目を白黒させていたところで、渡されたのは一冊の本だった。

こぼさないようにティーカップを脇に置いてから、私は両手でそれを手に取る。

表紙には『朝起きたらこれを読みなさい』と、およそ題名とは思えない文言が綴られている。

私は特に疑うこともなく、不思議と手慣れた動作でそれを開き、最初に書かれている文章に目を通した。

そこで私は、私の知らない私がそこに書いたとおぼしき己の旅路と、その身に降りかかった呪いの内容を知った。

曰く、私は一日ごとに記憶を失ってしまうこと。

曰く、私の出身は信仰の都エストという場所であること。

曰く、私は記憶を幾度となく白紙に戻されながらも、旅を続けてきたこと。

 

きっと毎日、私はこれを読み、似たような感情を抱いてきたのだろう、とその時なんとなく思い当たった。

動揺はあっても取り乱す程の事はなく、自分でも意外なくらいに、その事実はすっと胸に沁み込んでしまったのだ。

自分の記憶がなくなってしまったことは分かった。

疑問に思ったのは一つだけ。

 

「あの・・・」

「ん」

私が読んでいる間、ハーブティーを啜りながら黙ってその様子を眺めていたセレナさんに、おずおずと問いかける。

 

「ここ、私の名前・・・アムネシアって書いてあるみたいなんですけど」

「あ、うん、そう。君の名前はアムネシア」

「???」

 

当たり前のように言われ、混乱するほかない。

さっきは違う名前を言っていなかったか、と私はセレナさんに怪訝そのものの表情を向ける。

彼女は苦笑しながらティーカップを置いて、何故か頭を下げながらこんなことを言った。

「ごめん、さっきのは嘘で、その日記に書いてあることがすべて本当のこと」

 

そして彼女は、私と自分がどのように知り合ったのかを語り始めた。

 

「君は私を頼ってこの町に来たの。失われた記憶について研究している魔女がいる、っていう噂を聞いた・・・と、自分の日記に書かれていたと言ってね」

「はあ」

伝聞形式の繰り返しで分かりにくいことこの上ないが、実際そのままの経緯なのだろう。

 

「それで、その症状について色々調べさせてもらおうって話になって、一昨日の君はそれを快諾・・・日を跨いだら、実際、君はその事を忘れちゃったけど」

「・・・ホントに?」

「本当に」

 

聞けば、彼女は魔女として国から依頼された仕事をこなしている一方、記憶について研究している天才魔女だそうで。

この町に来てそれを知った私は、藁にも縋る想いでここを訪ねたということらしい。

自分のことを他人に説明されるのは、なんだか奇妙にむず痒かった。

 

「ちなみに君と私が会ってから、今日で三日目の朝だよ」

「え」

「昨日は君のことをニケって呼んだけど、君はなんの疑いもなくそれに応じてた・・・今日みたいに、自分の名前だってね」

つまり目の前の彼女は記憶喪失の私を、二度、二日に渡って騙した、ということらしい。

「・・・趣味悪くない?」

「言い方・・・あのね、これは本当に君が記憶を毎日失ってしまうのかの確認だったの。そもそも君の提案だし」

「あ、そうなの・・・」

 

彼女の言葉に、何やってるんだろう自分、と思いながら嘆息した。

数日前の自分の行動さえ分からない、というのはこうも苦なのかと絶望しそうになる。

そうして肩を落としていると、うーん、と唸るような声がした。

顔を上げてみると、彼女は片眉を上げ、何か言いたげな顔でこちらを見ていた。

 

「・・・えっと、なに?」

問いかけられた彼女は、いくらか躊躇ったように口を引き結んだ後、結局それを口にする。

「昨日も思ったけど、君、ちょっと簡単に人を信じすぎじゃない?」

「へ?」

「だって、私は魔女だよ?君に返却したその日記だって、手間暇かければ捏造することは多分できなくもないし・・・もしかしたら、他ならぬ私が君の記憶を奪った張本人かもしれない・・・とか、思わない?」

 

はあ、と私の返事は気の抜けたものだった。

確かに今しがた教わったことは全て彼女から貰ったもので、彼女からすれば、記憶のない私は騙そうと思えばいくらでも騙せるだろう。

しかし私の感想は、言われてみればそうかも、という程度だった。

思いもしなかったと言えば確かにそうだが、そこまでお膳立てして私をどうこうする理由がある、というのも現実味がない。

何より。

 

「なんというか・・・悪い人じゃない気がして」

思ったままのことを口にすると、彼女はちょっと面食らったような顔をした。

何かおかしなことを言っただろうか、と首を傾げてみたものの、特に応えはなく。

 

頬を掻きつつ視線を泳がせていた彼女は、ふと視界に入った茶菓子をつまんで頬張りながら、もごもごと呟いていた。

「・・・ん、まあ・・・そう思うなら良いけど・・・」

と、彼女はそれを嚥下し、こほんと咳払いした後に真面目な顔をして言う。

「でも世の中良い人ばかりじゃないし、君には事の真偽を判断する材料がなにも無いんだから、今後気をつけてね」

「うん・・・書いとくね」

素直にこくりと頷く私に、彼女は再び微妙な顔をして。

結局、自嘲気味の笑みと共に、肩をすくめてみせるのだった。

 





イレイナさん出てきません。御免なさい。
一話目タイトルはアナグラムで「Amnesia」だったり。
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