あなたはこの日を忘れるけれど   作:緋色鈴

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-3- The stranger gift

それからというもの、私はせめてもの恩返しにと、家事やらなにやらの手伝いをしてその日を過ごすことにした。

国の仕事で普段は忙しい上、根っからの学者肌らしい彼女は空いている時間もほぼ魔法の研究に没頭しているらしく、家の中で客人に見せるような部屋は清潔に保たれているものの、そのほかの私的な空間は割とほったらかしにしているようだった。

何かできることはないかと家中を彷徨った私は、山積みの本や巨大な壺が埃を被っているのを見て、力仕事ならできる気がする、と腕をまくった。

好き勝手に部屋の片付けをしだした私に、恥ずかしいんだけど、と苦言を呈した彼女には、どうせ忘れるしと笑って済ませた。

口をぽかんと開けていた彼女もそのうち、仕方ない、と大袈裟に溜息をついてみせ、それからは私に付き合ってくれていた。

 

「機能美ってものが分からないかなあ。いちいち引っ張り出すのも面倒じゃない?」

「きちんと整頓すればそれも気にならな・・・ほら、このソファ、この皺くちゃの毛布の山!」

「それ、君が一昨日寝てたときのやつね」

「・・・・・・・・・ごめんなさい」

 

 

そのあと一段落して掃除を切り上げ、見違えるようになった部屋を見回して頷き合った私達。

・・・何故か前にもこんなことがあったような既視感が脳裏をよぎったが、結局その感覚はうまく形にならなかった。

 

その後は、彼女の勧めもあって、共にやや早めの夕食をとることにした。

 

果たして自分に料理ができるのかという難題があったが、その辺りは彼女が率先して指示してくれたので、私は単純な人手として活用される立場に甘んじた。

言われるままに手にした野菜を切っていたとき、刃物捌きが不思議なくらいに上手、と彼女には驚かれた。

人や出来事の記憶はないのに物の扱いについては覚えていて、不思議なものだと私はナイフをくるくる回しながら思う。

何故か妙に手に馴染むその感覚に、前は料理人だったのかも、と冗談交じりに笑い合ったものの・・・その後、大量の砂糖をスープに流し込みかけた私を止めた彼女に、神妙な表情でそれは否定されてしまった。

 

・・・などと、そんな一幕もあったものの。

 

久しぶりの贅沢な気がする、と呟いた彼女の言う通り、見たことがないくらい・・・私からすれば全て初見なのだが、それでもそうと思えるぐらい、そこには豪勢な食卓が出来上がっていた。

心にまで染み渡りそうなほど温かい野菜のスープを口に運び、私がその旨味に舌鼓を打っていた時、彼女が言った。

「なんだか、懐かしい感じがする」

「?」

顔を上げると、彼女はテーブルの上を眺め、何かに思い耽っている様子だった。

そこには穏やかな笑みが浮かんでいた。

「年の近い女の子とこうして何かを一緒にしたの、久しぶりな気がするんだ」

「・・・」

「・・・もしかしたら・・・・・・うん、ごめん、なんでもない」

そう言って首を振り、彼女は食事に戻った。

私は何も言わず、ただ頷くに留める。

・・・それが正解だと、雰囲気が物語っていた。

 

「これ美味しいね・・・ちょっと入っちゃった砂糖が意外と」

「うん・・・日記にレシピとか書いておこうかな」

その後にあったのは、何の他愛もない、談笑と一言で済ませられる程度のやり取りだった。

 

彼女の仕事の成果やら、その愚痴やらを聞いてみたり。

日記を元に、私自身も知らないその旅路の上に描かれた物語を、彼女に読み聞かせてみたり。

皿洗いは私が、いや客人にさせるなんて私が、いやいや掃除もしたし私が、などと、台所を前に食器を奪い合ってみたり。

きっと、楽しい一日だったと日記に書ける。そう思える時間。

 

ごぉん、ごぉんと一時間ごとに時を告げる鐘の音の度に、ふっと表情を失ってしまうのを、彼女に見られぬようにしながら。

一日の終わりが近づいてくることを知らせるその音に、耳を塞ぎたくなるのを我慢しながら。

私はそんな時を過ごしていた。

 

 

 

 

そして・・・旅立ちの時がやってきた。

私は自分の記憶を取り戻す手がかりのために、やはり、信仰の都エストを目指さなくてはならない。

そのためには、覚えはないにしても、三日も世話をしてもらったのだという彼女に再三の礼を言って、私はここを発つ必要がある。

しかし・・・どうしようもなく、躊躇いがあった。

 

ちらり、と視線を横に向ける。

荷物をまとめている私の後ろの方で、彼女は棚の上を漁り、何やら探し物をしている。

 

私にとってはたった一日の出会い。今日が初対面のはずの、知らない人。

それでも私にとっては唯一の、私を知っている人だ。

この人と別れてしまったら、私を知る人は・・・私が知っている私を知る人は、一人もいなくなってしまう。

今日に聞いた彼女の事も、彼女が口にした言葉も、全て私の中から消えてしまう。

 

途轍もなく恐ろしかった。

 

たとえ、旅の中で幾度となくこんな想いを繰り返してきたのだとしても。

そんな事は今の私は知らない。

明日になったら、私はどうなってしまうのだろう。

もしかしたら、性格から何から別人のようになってしまうのかもしれない。

いや、今の自分にとっては・・・どうであれ明日の私はもう、別人になるのと一緒だ。

 

もう、日は沈みかけている。

その時がもうすぐやってくる。

さっきまで誤魔化せていたはずの、不安が一気に蘇ってくる。

 

「日記に、今日のことは全部書いた?」

背後から声をかけられ、はっとして私は頷いた。

「えっと、うん」

 

「そう。身体の具合は大丈夫?」

「うん」

「忘れものはない?」

「うん」

「明日、ちゃんと起きられる?」

「・・・・・・・・・」

 

思わず口を引き結んでしまった。

きっと冗談で言ったのだろう彼女の台詞に、何か違う意味を感じてしまって。

気丈に振る舞うなど、とても出来なかった。

 

何かを察したのだろう彼女が、そっと歩み寄ってきたのが気配で分かる。

「ごめん。無神経だった」

彼女の手が私の肩に置かれ、それでようやく自分が震えていることに気がついた。

宥めるように肩をさすりながら、横に立った彼女は微笑んで言う。

 

「大丈夫。はじめて訪ねてきた時の君も今と全然変わらない、能天気・・・あー、明るい女の子だったよ」

「・・・そっか」

わざと言ったのだろうその言い方に、ようやく、ぎこちないながらも笑みを返すことが出来た。

彼女は私に正面を向かせて、身だしなみが整っているかを確かめるかのように上下に軽く眺めた後、うん、と頷いてみせる。

旅装は万全。

「あの・・・お世話になりました」

「それほどでもないかな」

彼女は涼しげな笑みと共にそう言った。

 

しばし、沈黙が下りる。

 

そして、私がまだ何か言おうと言葉を探していると、ぽん、と何か小さくて柔らかいものを手渡された。

「餞別。不安と不穏と不眠に効く、花の匂い袋」

「・・・あ、ありがとう」

少し顔を近づけて嗅いでみると、この家にも微かに漂っている香りを濃縮したような、爽やかな良い匂いがした。

彼女の言った通り、暗く重苦しかった胸の奥に、柔らかい風が吹き込んだような・・・少し、心が安らぐ感じがする。

この花の香りに、いつかまた感謝するのだろう、と漠然と思った。

何故それを持っているのか知らないまま。

 

それに視線を落としていた私の表情がまだ暗いものに見えたのか、それとも本当に顔を出てしまっていたのか。

彼女は何か悩むような素振りを見せた後で、こう言った。

 

「じゃあ、あとは最後に、魔法を掛けてあげようか」

「え・・・魔法って?」

「・・・あー・・・お別れが寂しくなくなる魔法、みたいな?」

 

照れ笑いのような顔で、彼女はそんなことを言った。

どんなことをするのか曖昧な言い方だし、何度か彼女には嘘を吹き込まれたりもした。

けれど・・・悪い魔女ではなく優しい人だと、そう信じてやっぱり良かったと、そう思う。

特に迷うこともなく、私は彼女の提案に首肯してみせた。

 

「お願い」

 

彼女は頷き返して、少しの間、止まる。

ほんの一瞬、わずかに寂しげな表情をしたように見えたものの、次に彼女が首を振って顔を上げたときには、いつもの笑みが浮かんでいた。

そしてそれ以上何も言わず・・・いつの間にか取り出していた杖を、私に触れさせた。

 

その瞬間、まるで計ったかのように、ごぉん、と外で時計台が鐘の音を鳴らし始めた。

日没の頃には鳴らすのを止めるのだという時計台の、今日の最後の仕事。

それはまるで、御伽噺に出てくる魔法の合図のようだった。

 

とん、と肩に乗せられた杖に視線を向けた直後、私はふらりと体が揺れたのを感じた。

そして突然、霞みがかったように視界がぼやけ、頭もうまく働かなくなっていく。

・・・抗う事すらできない、急激な眠気に見舞われたのだ。

そうと気づいた頃には、私は彼女に支えられ、全身の力が抜けていく感覚に身を任せるしかなくなっていた。

 

遠くで、鐘の音が鳴っている。

徐々にくぐもっていくように聞こえる音は、ゆっくりと眠りの淵に沈んでいく私の意識がそう感じさせているのか。

 

勝手に閉じていく瞼の隙間の先に、柔らかく微笑んで私を見下ろす顔がある。

これでお別れ? と目で問いかけると、まるで伝わったかのように彼女は頷いてみせる。

それを見て私は、なんとなく思った。

もしかしたら彼女は昨日も、一昨日も、こうして私を眠らせてくれたのかもしれない。

一日の終わりに、記憶を失う不安に苛まれることのないように。

・・・せめて、この恐怖が一瞬にして過ぎ去ってしまえるように。

 

そのことに、感謝を伝えたかった。

きっと、これでこの人とも会えなくなってしまう。

日記にはこの事を書いていない。お礼を言う理由さえ、次の日の私は忘れてしまう。

 

しかし彼女の魔法は包み込まれるような温かさと共に、口を開くことさえ億劫に感じるほどの、心地良い微睡みを誘う。

ふわりと体が浮くような、それでいてゆっくりと沈んでいくような感覚と共に、意識が薄れていく。

 

そして、もう真っ暗になった世界の向こうから、声がした。

・・・それは鐘の音と重なって、ちゃんと言葉として私の耳に入ったのかどうか、曖昧だった。

 

「    」

 

何故、彼女の方がそう言ったのだろう。

 

それ以上、考えるよりも先に・・・私は深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

私が目を覚ましたとき、そこは見知らぬ宿屋の一室だった。

知らない部屋。知らない町。知らない自分。

 

私は戸惑いながら辺りを見回し、傍に置いてあった日記に自然と手を伸ばし、己の名前と目的を知る。

次に最近、親切な魔女に出会ったらしいことを知って、その人に感謝しながらも、その所在や名前が書かれていないことに憤慨し、昨日の自分を詰った後で、仕方がないと本を閉じる。

そして最後に、その人が教えてくれたという此処から目的地への道筋を頼りに、旅の続きを始めることにする。

 

それが、記憶を失くした私が幾度となく繰り返してきたはずの、一日の始まり。

 

私は見知らぬ土地を歩き始める。

寄る辺のない心細さを胸に抱きながら。

・・・それを紛らわせようと深呼吸した拍子に、首に提げている、淡い菫色の布袋から感じた花の香りに、ふっと顔を綻ばせながら。

 

 

きっと毎日そうしていたように。

 

 

 

 

-end-

 

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