死にたい。何度そう思ったことだろう。
毎日、あのイカれた魔女に痛めつけられて。
心は擦り切れてしまった。何度も自殺を試みた。でも、アイツはそれすらお見通しだったんだ。
町外れの森で首を吊ろうとすれば、アイツは縄を切って、大切そうなフリをして、僕を抱き締めた。
高台から飛び降りようとすれば、アイツはお得意の魔法で僕を浮かして、地上にゆっくりと運びやがった。……その直後、「絶対に死なないで欲しい」……そう囁かれた。
……でも、そんなことは知らない。そうさせたのはアイツなんだ。アイツは僕を愛していると言うが、そんなの上辺だけの言葉に違いない。
アイツは魔女だ。非道で、残酷な……人を人と思っていない、イカれた奴なんだ。そんな奴の言葉を信用出来るはずがない。
今日こそは死んでやる。舌を噛み切って、そうすればアイツでも対処出来ないだろう。だって、道具を使う訳でも、高所から落下する訳でもないんだから。
「はぁ……やるんだ。やらないと……この地獄みたいな生活が続くだけなんだ。……なのに」
なのに。どうして体が震えてしまうのか。歯は舌を挟んでいる。このまま、思いっ切り力を込めて、振り下ろせばいいだけなのに。
本能が拒んでいる。まだ生きたい、もっと生きたい、死にたくない。
生存本能が、僕を邪魔している。
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生きたい。何度そう思ったことだろう。
毎日アイツに痛めつけられて、心も体も既にボロボロで、ここから逃げるなら、死、ただ一つしか選択肢はないはずなのに。……生きたいと、そう思ってしまう。
痛みに耐えられなくて。何度も泣き叫んだ。
恐怖が迫ってきて。何度も発狂状態に陥った。
その時に思い浮かんだ言葉は、なんだろう。
怖い?やめて欲しい?逃げたい?辛い?苦しい?やり返したい?
……違う。僕の脳裏に浮かんでいた言葉は……
「死ぬかもしれない」と、そして、それに反応するように、「死にたくない」と、その2つの言葉だけが、僕の頭の中をぐるぐると回っていた。
僕は死にたくないだけなんだ。アイツに殺されてしまうのが怖くて、アイツに殺されないことを望んでいるだけだった。
なのに、何故歪んでしまったのか、逃げるなら死しかないと、そう思い込んでいた。
「はは……逃げれるわけ、ないのに」
その通りだ……
魔法使いとしての才能がずば抜けているあの魔女から、逃げれるわけがないんだ。
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「ただいま」
玄関のドアが開く音、その直後に聞こえる、透き通った女性の声。
あの魔女が帰ってきた。
「……おい、アマヤくん。返事は無いのかい?折角この私が帰ってきたというのに、おかえりなさいの一言もないのか?全く、キミと暮らし始めた頃は、そうじゃなかったというのに。あの頃の純粋なキミはどこに消えてしまったのか……」
ぶつぶつと、小言を言いながら僕の部屋へと向かってくる。
ひた、ひた、ひた……足音が近付いてきて、その音に共鳴するかの如く、僕の鼓動は速くなる。
「……開けるよ」
がちゃ。ドアノブが動き、扉が開けられる。
白くて長い、綺麗な髪。死んで日が経っていないアンデッドかと思うほど白い肌、そしてその上に羽織られた黒く長いローブ。
ローブは彼女の背丈程あり、彼女の服装はローブを来ていることしか分からない。
……そして、僕を見つめる青い瞳。
その瞳からは、何かの感情が伝わってくる。けれど、それが何かは分からない。……何か、普通とは違う異質な感情。
この目を見てしまうだけで、僕は恐怖を感じてしまう。
「アマヤくん。……どうしたんだい? いつも以上に暗い顔じゃないか。どれ、精神を落ち着かせる魔法でも……」
「必要ない。どうせ、そんなのしてもらったって変わらないよ」
「そんなこと分からないだろう? ……ただ、キミがそう言うならやめておこう。今のキミには、魔法なんかよりも物理的な行為の方が効果がありそうだ」
そう言って、魔女は……ナナは、僕に近付いてくる。
……逃げないと、またいつものように……
「ああ、動こうとしたって無駄だよ。昨日はちょっと治療を雑にしてしまったんだ。……動こうとしたって、身体が悲鳴をあげるだけだと思うな」
そう言われる前に動いてしまっていた僕は、足に激痛が走り、顔を顰めることとなった。
「いっつ……!」
「だから言ったじゃないか、人の話をちゃんと聞かないのはキミの悪い所だよ。……仕方ないな……治療してあげるよ。ヒール……」
彼女が何かを唱えると、たちまち僕の身体を翠色の光が包み込んで、痛みが引いていく。
「……どうして治したの? 治さなければ、絶対に逃げられないのに」
「逃げる? ふふ、アマヤくんは可愛いな。そんなことは心配しなくていいんだ……キミが逃げようとしたら、すぐさま脚を切り落としてあげるから。そうしたらその後は、たっぷり愛してあげるから……ああ、想像しただけで幸せな気分になってしまう。……っと、今はそんな話をしようとした訳じゃないな」
……ああ、僕はこのまま、一生この魔女の元で暮らし、死ぬまで苦しめられ続けるのだろう。
そう思っていると、不意に頭の上に手が乗せられる。それは魔女の手で、彼女はそのまま僕の頭を撫でた。
「ちょっと……何」
「いや、なに……キミの顔が暗いままの気がしてな。どうだ? 気持ちいいか? 撫でられるのが嫌いな人間は居ないと思っているが、もしかしてキミは嫌だったか?」
……思考が追いつかない。何故こんなことをする?
コイツは、常に僕を見下していて、僕を遊び道具としか思っていない、残酷な奴だったはずだ。なのに、なのに……どうして?
「……キミは、私が嫌いか? 私は、キミのことが大好きだ。いや、キミのことを愛している……でも、私の愛情表現は、キミには伝わらない。私も、苦しいんだよ。キミと一緒だ……はは、そんな目をしないでくれ。怒っているのか、困惑しているのか、どちらか分からないじゃないか。……もう少し近付いてもいいかい?いや、もういっその事……」
彼女は一頻り話して、僕を抱き締めた。
普段の青白さとは意外に、人肌の心地よい熱を感じる。ローブを着込んでいて熱が籠っているからなのか、それとも単純に彼女が暖かいのか。
……ただ、今の僕にそんな事を考えている余裕はなかった。
いつもは僕を傷付けているばかりの彼女が、こんな人間らしい姿を見せたことに対する驚き。抱き締められたことへの緊張。
……そして、何か裏があるんじゃないかという恐怖。
色々な感情が混ざり合い混乱し、凡そ思考出来るような状態ではなかった。
「アマヤくん。こんな私でもよければ、これからも一緒に居てくれないか? ……拒否権はないよ、と言おうとしたけど……それは流石に理不尽だからね。……アマヤくんが、選択してくれ」
そう言われたが、もう僕に選択する余地はない。僕は……
「……分かった。でも、無理だ。僕はもう、ナナと居ることは出来ない……心が、耐え切れないんだ」
僕は、彼女を拒絶した。
これで良かったんだ。本能に従って、この千載一遇のチャンスを掴み、彼女から逃げれば……きっと、幸せに
「そうか。じゃあ、キミの本当の心に問い掛けてあげよう。これは、キミも聞き慣れたことだろう? ナイフトリック」
突如、虚空からナイフが現れる。そうだ、これは彼女が最も得意とする魔法で……
ブンっ!!!
風切り音が聞こえた。
「あはっ。ああ、いいね。最高だよ。ふふ、あははっ。綺麗な紅だね……キミが持つものの中で、一番綺麗だ。……どうしたんだい?そんな可愛い顔をして。よしよし……よしよし……ふふふ、撫でられるのは好きだろう?」
脚が熱い。いや、これは脚なのか?一体どこが熱いのか全く分からない。それ以前に、本当に熱くなっているのか?ああ、分からない分からない、痛い……痛い、痛くて痛くて痛くて痛くて、何もかも分からない。
「動かないということは、私と一緒に居たいということなのだろう? やはり、キミは本心ではそう思ってくれているんだな。……ああ、出血多量で死なれては困るな。治してあげるよ」
彼女の全身に、紅色の何かがこびりついている。一体あれはなんなんだ?
「この脚はどうしようか? 捨てるのは勿体ないな……折角綺麗な紅で染まっているんだ、私の部屋にでも飾っておこう。そうすれば、私とキミの愛の証明にもなるだろう」
全て、分からない。僕はどうすれば良かったのか。
彼女を拒絶することが間違いだったのか……
ああ、一つだけ理解出来た。
……そもそも、彼女に愛された時点で、僕の人生に幸せなんてなかったんだ。
「貴方は、私に愛されて幸せだよね。だって、キミを愛していると、私は幸せな気持ちになるのだから。きっと、キミもそうに違いない。幸せであるはずだ」