僕ーー
その町は
この町に生まれた子供たちは、小学生から神学について学ぶことが定められていて、勿論その神のことも習う。
しかし、なぜかその神のことや神社の歴史だけはとても曖昧に教えられた。この神や神社はどういう存在なのかと率直な疑問を持った僕は、自分で図書館に行ったりインターネットを使ったりして調べたが、何一つわからなかった。
まあ、要するに国を護っているとは言われながらも、未だ謎に満ちているのが、僕の住む神代町だった。
僕は、この世に生を受けてからずっとこの町で生活してきたわけだが、最初の10年間はとても楽しいものだった。
一切の不自由もなく、滞りなく流れゆく平和な日常を満喫していた。
学校に行って友達と話したり、真面目に授業を受けたり、休憩時間は外に出てクラスのみんなと和気藹々と遊んだりした。
家に帰ったら家族が待っていて、中学生の姉に宿題を手伝ってもらったり、幼稚園児の弟と一緒にテレビゲームをしたり、食事の時間は家族みんなでテレビを見ながら笑い合ったりした。寝るときだって家族5人で横一列に布団を敷いて、一緒に寝た。最高に楽しかったし、穏やかな日常だった。
でも、永遠に続くと思っていた平穏な日常は、僕が10歳になって3ヶ月が過ぎた時に、唐突に終わりを迎えた。
夏の蒸し暑さと陽光の肌を焼くのがすっかりなくなり冷たい風が身体を凍えさせんと吹き始めた頃のことだった。
その時僕は学校にいて、休憩時間になっていつも通りみんなと外に出て、溌剌と鬼ごっこをしていた。
休憩時間が終盤に差し掛かり、いつも一番に捕まえられる僕は珍しくその日未だに一度も捕まっていなかった。
そんな僕の目にふと、狩人が獲物をロックオンした時のように、僕のことしか見えていないような視線を向けながら、こちらに向かって来ている男子が映った。
ーーああ、逃げなきゃ。今日は絶対に捕まってやらないぞ。
そう思って足を踏み出し、全速力で走り出そうとした瞬間のことだった。
ーーあれ?なんか息が苦しいな。
そう思った時には、既に僕の意識は深い深い闇に引き込まれていって、最後に感じたのは体の前面への衝撃だった。
目を覚ますと、僕はベッドの上に寝ていた。上には清潔な白色の天井。見覚えのない光景に、まず家ではないことがわかった。
「ここはどこだ?」
そう呟くと、ベッドの隣に置かれた椅子に座っていた母が、僕が目を覚ましたことに気付いた。
「ああ、よかった。気がついたのね。待っててね、今お医者さんを呼んでくるから」
母はそう言って部屋を出て行った。
ちらっと横を見ると、よくドラマで見る心電図のモニターのようなものが見えた。
なるほど、ここはどこかの病院の病室らしい。
なんとなく僕が置かれている状況を理解し始めた僕は、自分の脈拍が映し出されたモニターにふと違和感を覚えた。
「あれ?僕の心拍数、少なくないか?」
僕はその後、母に呼ばれてベッドから起き上がり、重い体を引き摺って診察室に向かった。そこで医者から告げられた。
僕は中等の心臓病だと。余命は5年ほどだそうだ。
それを伝えられた時、家族は皆泣いていた。ずっと可愛がってきた息子が、弟が、慕っていた兄が、余命宣告を受けたのだから、当然のことだろう。
一方の僕からは、涙ではなく乾いた笑みが溢れていた。この時点で僕は生に拘ってはいなかった。
「ああ、なんかもういいかな。もう死んだようなもんでしょ。こんな死にかけの人間のために皆に負担をかけられないよ」
と言ったら、案の定家族にひどく怒られた。
医師からは高度な延命治療が提案された。僕はもちろんこれ以上生きるつもりはないので反対したが、僕を少しでも長生きさせたい僕以外の家族は、全員医師に延命治療を懇願した。
その結果、僕は延命治療を受けることになり、幾つもよくわからない機械が置かれた集中治療室とやらに入れられた。
僕はそこで、5年の年月ーーつまり宣告された余命の5年間を使い切ったのだった。
延命治療なしでの場合の余命をーー
僕がその5年間、常にベッドに横たわりながら、これからの事についての計画を練っていた。
初めて集中治療室に入れられた時から、僕は大人しくそこで最期を待つ気はさらさらなかった。
ーーいつどうやって病院を抜け出し、外の世界で独りでどうやって生きていくのか。
その事ばかりを考えていた。
時には心臓の痛みに苦しみ、時には悪夢に魘され、時には家族に会えない苦しみに頬を濡らした。
しかし、どんな寂しさも苦しみも、病院を抜け出してやるという意志で打ち消すことができた。
一度だけ、その強い意志も折れそうになったが、その時に見た夢で誰かが僕のことを鼓舞してくれた。
どんな人だったかももう覚えていないが、確かにその人は、もし脱走を決心したら僕に力を与えると言っていた。そして、病気も治してくれると言った。それだけは覚えている。
だからその言葉を信じて、僕はこの5年間この狭くて退屈な治療室で強く生き続けてきた。
気付けばあっという間に5年経ち、そして、今が好機だと直感的に思った俺は、いよいよ脱走を決行することにした。
あの夢の言葉通りなら、俺の病気はもう治っている筈だ。加えて、力も与えられている筈だ。
どんな力なのかはわからないが、きっと脱走が容易になるに違いない。準備は完璧だ。
さて、残る問題は俺が計画通りに脱走を実行できるかだ。5年もかけて練っただけに緊張も凄まじく、それを解すために一度深く呼吸する。
「すぅ……すぅ……すぅ……うっ。ゲホッ」
あまりの緊張に息の吐き方を忘れ、呼吸困難に陥りかけた。だが、自分の情けなさに不覚にも嗤ってしまい、それが功を奏して冷静になれた。
そして、今度こそ覚悟を決める。
「すぅー。はぁー」
集中力を高め、最大に達したところで俺は行動を開始した。
まずは栄養を送ったり、水分を送ったりするために全身に纏わりつく様々な管を一気に引き抜く。多少の痛みが伴うが、いちいち怯んではいられない。
計画より少し早い4秒で全ての管を外せた。すると器具から、ビーッとけたたましい警告音が鳴った。
この音を聞きつけてあと数秒で数人の看護師がこの治療室に駆け込んでくる。廊下から女性の騒ぐ声と、ドタドタという足音が近づいてくる。病院では静かにしてほしいものだ。
俺は、素早く扉の側に身を潜め、息を殺した。看護師たちが入ってきた瞬間が勝負だ。チャンスは一度きり。俺は、扉を凝視し意識を集中させる。
そして、看護師が勢いよく扉を開きながら治療室に入ってきた瞬間に、俺は看護師たちの首に思いっきり手刀を撃ち込んだ。看護師たちは、首からポキッという音を立てながら倒れた。
人に攻撃をすること自体が初めてだったので上手くいくかは五分五分だったが、うまく全員気絶させることができた。死んでは……ないと思う。
今の手刀の攻撃力といい、先ほどからの体の軽さといい、どうやらあの夢の言葉は本当だったようだ。そして、能力とは身体強化の類だろうと推測された。
俺は、他には誰も来ていない事を確かめて、5年ぶりに集中治療室の外に足を踏み出した。
晴の門出を祝うには淡白すぎる、廊下の純白さに寂しさを覚えながらも、俺は走る足を止めずに非常階段を探した。
この病院の構造を全く把握していないが、非常階段は小学校の校舎と同じように病棟の端にあるだろうと予想した俺は、廊下を真っ直ぐに駆け抜けた。
途中で何人もの看護師とぶつかったが、その全員が俺を見て驚愕していた。どうやら、俺の存在はかなり知れ渡っているらしい。
そのまま30秒ほど走るとようやく病棟の端にたどり着き、そこにはーー
「あった。非常階段だ」
俺の目論見通りに、非常階段があった。俺はロックされた扉を無理やりこじ開けて、5年ぶりに外の空気を吸った。
「あまり、気持ち良くはないな」
久しぶりの外気に、病院の人工的な清潔さとは違う気持ち悪さを感じた。吸いすぎると、健康に悪そうな味と匂いが心なしか感じられた。
町の雰囲気も、どんよりとしていた。曇りという天気のせいもあるのかもしれないが、人の営みが全く感じられなかった。
視線の直線状にあるビルは、よく見るとボロボロになっていた。外壁は所々抉れ、窓はほとんど割れてしまっている。並大抵のことではならないほど酷い状態だった。
「……っと、そんなことに気を取られている場合じゃないな」
俺は、後ろから走ってくる足音が聞こえたので、急いで階段を降り始めた。
どうやら、俺が入っていた治療室はかなり立派な病院の高層階だったようで、下まで降りるのも一苦労だった。
もう追いかけてくる足音は聞こえなかったが、一刻も早くこの場所から離れなければならないと感じいた僕は、階段を駆け下りる足を止めなかった。
やがて、長い階段を降り切って5年ぶりの大地を踏みしめた。また、外で走ることができるに感動を覚えた俺は、無意識に町を駆け出していた。
「やっとあの窮屈な場所から出られた。これで俺は自由だ」
俺は、そう叫びながらこれからの生活を想像して胸を弾ませていた。
自分が世界規模の危機に深く関わることになるとは、今の俺には知る由もなかった。
初投稿です
至らない点もあると思いますが、面白い作品にしたいと思っています。
不定期更新になるとは思いますが、よければ続きも読んでいってください。