「私の名前は
突然俺の前に現れた彼女は、そう言った。
もし、俺が今高校に通っていて彼女ほどの美人を校内で見つけたのなら、所構わず即刻告っていただろう。
それほど美しく、俺は一瞬見惚れてしまった。そんなことはひとまず置いておいてーー
「何で俺の名前知っているんだ?」
「......んーとね。ずっと探してたから?」
「何で疑問形?……もしかして、ストーカー?」
「いや、探してただけで後をつけているわけじゃないから違うんじゃないかな?」
よくわからない論理でストーカー説は否定された。まあ、今の俺にとって彼女はストーカーであるか否かと言う前に命の恩人だ。
それよりも今気になるのはーー
「さっきの化け物は?」
さっき海希が現れてから、人型の姿がちっとも見えなくなった。海希が現れる直前に砂煙が遠くで上がったのは見たが。
「……あー、あれは私が吹っ飛ばしたよ」
「......やっぱりか。でも、あんな重そうな奴をよく吹っ飛ばせたな」
「あんなの軽いもんだよ。ちょっと小突いただけで見えなくなっちゃった」
「マジか。……何でそんな強いんだ?」
「君でも訓練すれば、私ぐらいには簡単になれるよ。……まあ、それには色々訳があるから、また後で説明するね」
「ああ。……『また後で』ってどういうことだ?」
「えっと、それなんだけど、ここじゃ長話をするには安全ではないので、今から桜花君には私の家に来てもらいます」
「......は?」
こうして、俺は人生で初めて女子の家に行くことが決まった。
というわけで、俺は海希の家に連れて行かれるらしいのだがーー
「……何で、海希家なんだ?他にも隠れられそうな場所はありそうだが」
「ごめんね。家に着いたらきちんと説明するから」
海希は申し訳なさそうに両手を合わせながら言った。……若干上目遣いなのがあざとい。
「はあ。……それで、家まではどれくらい歩くんだ?」
「ん〜。ざっと1時間くらいかな?」
「1時間だと⁈」
あまりに予想外の道のりの長さに、驚きのあまり叫んでしまった。
「うん。普段は走って30秒くらいで着くんだけど、今日は君がいるからね」
「……は?走ったら120倍早いじゃないか!」
さっきの人型を吹っ飛ばしたのといい、走る速さといい、どうやら海希は只者では無いらしい。
だが素性が分からない今、一応海希は俺にとっては不審者だ。海希のことが知りたいな。
......いや、これじゃ俺が海希に興味を抱いているようじゃないか。......違うから。一目惚れなんてしてないから。...…いや、本当だから。
「あのー、こちらとしては知らない人について行っているので、早く海希の素性が知りたいんだけど」
「そっか。……うん、確かにそうだね。じゃあ、こうしよう」
そう言った海希は、突然俺をひょいと抱き上げた。横抱きで俺は肩と膝の裏を支えられている。すなわち……これはお姫様抱っこだ。
「うひゃらほふぇ?」
「こら。男の子のくせに変な声上げない」
「す、すいません」
ーーだ、だって、今まで女子とここまで接近した事なかったんだもん。
なんてことは言えるはずがなく、俺は海希に抱き上げられたまま黙りこくった。
俺が初めての体験に動揺している事もいざ知らずーー
「じゃ、跳ぶよ」
「......ん?跳ぶ?」
訊き返した時には、俺の視界はもう周辺のどんな建物よりも高かった。見ろ、家々がゴミのようだ......
ーー怖ぇぇぇぇぇ。人生で初めて高所に恐怖を覚えた瞬間だった。加えて、今の自分の顔を鏡で見たら、1週間は外に出られなくなるだろう。
「あれ、すごい顔だね(笑)。跳ぶの嫌いだった?」
「(笑)じゃねぇよ。いきなり跳ぶと思わねぇだろ普通……」
「ごめん、普段は跳ばないんだけどね。君が早く話がしたいっていうから、走りたいところなんだけど、何歩も走ると振動で酔っちゃうかもしれないと思ったんだ」
「なるほど。……でも、これは怖すぎるぞ」
勇気を出して閉じていた瞼を開くと、手が届くくらいの距離に雲があった。それほどの高さまで跳んでいるということだ。
俺はそんな高所にいてかなりの恐怖を感じているわけだが、どうやら海希なりの善意で跳んだらしい。
そして、海希の言った通り30秒ほどで海希の家と思われる、ログハウスという言葉が相応しいであろう木造住宅に着いた。着いたのだがーー
「えっと、1つ訊きたいことがあるんだが……いいか?」
「え、何?」
「お前何でこんな山ん中に住んでんだヨォォォォォ!」
『住んでんだヨォォォォォ』
『『住んでんだヨォォォォォ』』
我ながらすごい声量だと思った。久しぶりに叫ぶと、何かが吹っ切れるようで心地よかった。
それよりも、ここはさっきまでの町の風景とは似つかわしいぐらいに、美しい山だった。
緑の木々が生い茂り、町とは違って荒廃していない。何羽もの小鳥が唄うように囀り、跳んでいる時に下を見ると、鹿や猪といった野生動物も見られた。
どう考えても、歩いて30分の景色の変化ではなかった。海希は歩くのも人より早いようだ。
「何でって言われても、そこも色々込み込みで今から説明しようかなと思って」
「なるほど。じゃあ、早く入れてくれ」
「あ、うん。……でもちょっと緊張するな」
「どうして?」
「いや、男の子を家に入れるの……初めてだから」
俺は、一瞬にして全身の血液が沸騰するような感覚を覚えた。顔が耳まで熱くなり、手からは暑くもないのに汗が出た。
ーー俺は照れているのか?
今までに経験のない感覚に、気が動転した。その上、海希が顔をほんのり紅色に染めながら上目遣いで俺の顔をじっと見ている。
ーーおい、やめろやめろ。そんな目で俺を見るな。マジで恥ずかしい。
俺が阿呆面で口をふにゃふにゃさせて、目を泳がせているのを見て、海希は吹き出した。
「あはは。緊張してるのはお互い様ってことね。ま、入って。特別なものはないもないけどね」
海希は多少緊張感を残しながらもあくまで客人を家に招くように落ち着いた感じで言った。
しかし、実際に中に入るのにはかなり勇気が必要だった。そう、この家の中はまさに聖地、気軽に入るのが憚られる男子にとってのヘヴン。俺は今から天国へ行くのか。そう思うと段々と心臓の鼓動が早まった。
そんな俺とは対照的に、海希はさっさと家の中に入って行った。さっきはああ言っていたが、さてはあまり気にしていないのか?
何だか、自分だけドキドキしているのが馬鹿馬鹿しくなった俺は、すっかり熱が冷めて、少し残念がりながらも普通に海希の家に足を踏み入れた。
「じゃ、お邪魔しまーす」
「はいはーい、そこの椅子に座って」
「ああ。……っておい!」
「ん?どったの?」
「どったのじゃねぇよ。こんな……こんな高級な椅子に、座れっていうのか」
俺は椅子に座ろうとしたが、それを目にした瞬間に足が動かなくなった。なぜなら、俺が座れと指差された椅子は、間違いなく高級な艶々のソファーだったからだ。
こんなの、旅行先のホテルでしか見たことがない。
「いやいや。その程度で気にしてたら、うちでは気が休まらないよ」
そう言って海希が出してきた飲み物はーー
「バ、バカな。麦茶……だと……?」
驚くというか何というか。家具は高級なくせに飲み物は麦茶だった。
ーーなんて庶民的なんだ。
そのギャップに、驚かずにはいられなかった。
「いやー。うちってこんな山の中だから、新しく食べ物とか買おうと思ってもそこまで良いものが買えないんだよね」
確かに、高級なものを買うには相当いいお店に行かないと買えない。
こんな山奥であればそこまで辿り着くには長い時間が必要だ。行くなら、近くのスーパーやコンビニだろう。でもーー
「海希ならひとっ飛びで町まで出られるんじゃないか?」
海希のあの身体能力なら、町まで出るのにそこまで苦労しないはずだ。簡単に、高級食材だろうが何だろうが手に入れられるだろう。
しかし、海希はその質問が想定内と言わんばかりに胸を張った。
「それはもう試したんだけど、私が速過ぎたんだ。ビニール袋の中に空気が猛スピードで入ってきて、バランス崩して足折っちゃったんだよねー。もう、バッキバキの粉々だよ。あっはっは」
「……おおう」
「おおう」としか言えなかった。まるで日常的に足折ってるみたいなトーンで言われた。
確かに、あんな身体能力を持ってたら自分の力を過信して自滅するみたいなことがあるのかもしれない。
……いや、海希はそんなにバカじゃないか。こんなに大人っぽいんだし。
「たまに、このくらいならいけるかなってちょっと力を抑えて跳んでったら、家の数10m前の崖に足からぶつかって足の骨が粉砕されたこともあるんだけどね」
「いや、あるんかい!」
どうやら海希は典型的なバカだったようだ。俺が突っ込んだところで、海希はソファーに座った。
未だに座っていなかった俺も、一息ついてようやくソファーに座った。すると、海希から発せられる空気が変わった。今までの少し砕けた感じから、真剣な感じに。
「じゃ、いま君が置かれている状況、そして君が病院にいた間に起こった出来事について説明しようか」
という前置きから、海希の長い長い説明が始まるのだった。
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