黒闇の神徒になると決意したその日、俺は海希の家に泊まった。……というか、これからしばらく海希の家にお世話になることに決まった。
家族が皆いなくなったし、今この町にはひとりで過ごすのに安全な場所などどこにもないので、こうなるのは当然のことだろう。
久しぶりに病院以外の場所に泊まった俺は見慣れない光景に舞い上がっていて、寝付けるか心配だった。
普段は、寝付けるかどうか心配になることはない。そこで、俺はあることに気づいた。
「そういえば俺、女子の家に泊まるの初めてだな」
小学生の頃は、女子の友達がいるにはいたが、泊まりに行くことはおろか泊まったことすらなかった。
だから、海希が男子を家にあげるのが初めてだったように、俺は女子の家に上がるのが初めてだった。
いろいろありすぎて、来たばかりの時は頭がこんがらがっていたが、少し時間が経ってようやく頭の整理がされてきた。
それはいいことなのだが、その所為で自分が女子の家にあがっていることを認識し始め、少しずつ落ち着かなくなってきた。
ーーやばい。本当に寝られない気がする。
俺がそんな初心な懊悩をしていると、海希が部屋に入ってきた。その腕には寝具一式が抱えられていた。
少し嫌な予感がした俺は、恐る恐る海希に尋ねた。
「あ、あの。……そ、それは?」
それに対して、海希はあくまであっけらかんとして答えた。
「ああ、これ?私もこの部屋で寝るから、新しく布団を買ってきたのよ」
「……やっぱりか。どうしよう、これは本当にまずい」
「何がまずいの?」
予感が的中し下を向いて動揺している俺の顔を、海希が覗き込んできた。顔が近い。
俺は驚いて、バッと遠のいた。海希は俺を不審そうに見ている。俺は海希の顔から目を逸らして、海希が俺が寝る場所の隣に下ろした布団を見た。
ーーだめだ。こんなの……こんなの寝られるわけあるか!
「俺はリビングで寝る。海希はこの部屋でひとりで寝ればいい」
「ええ?ちょっと待ってよ。そんなの、申し訳ないよ」
「こ、こんな環境で寝られるわけあるかっ!」
俺が、そう言って部屋から枕と布団を持ち出そうとするとーー
「そっか。少しでも、親御さんを失った寂しさを紛らわせられたらなと思ってたんだけど……」
しゅんとしてしまった。悲しそうに俯き、ゆっくり布団に潜り込んでしまった。
それが俺の心に罪悪感を生じさせた。なんか、海希ほこういうの結構長く引き摺りそうな気がした。もしそうだとすれば、これからの生活に支障が生じる。それは、困る。
だから俺はーー
「わかったよ、一緒に寝ればいいんだろ?」
「本当にっ?やった!」
俺が布団を敷き直そうとすると、海希は布団から跳び上がって喜んだ。
ーーさては海希、最初からこういうつもりだったな。
しかし、嵌められてしまったものは仕方ない。俺は大人しく海希の隣に敷いた布団に潜った。
しかし、入った時点で緊張感がとてつもなかった。やはり、とても寝られそうにはなかった。
「おやすみ、桜花君」
「ああ、おやすみ」
お互いに挨拶を交わし、就寝となった。その後すぐに、隣からすぅすぅと可愛い寝息が聞こえ始めた、
ーーこいつ、家に男子をあがらせるのは緊張するのに、男子が隣に寝るのはまったく気にならないんだな。
そんなどうでもいいことばかりを考えて、気を紛らわせようとするが、その思考には必ず寝息が侵食してくる。
それも1時間半ほど経てばだんだんと慣れてきて、睡魔もようやく襲ってきた。
ーーああ。そろそろ寝られそうだ。
そして、俺の意識が闇に飲み込まれてい…………こうとした瞬間だった。
ドゴッ
「かはっ」
何かが俺の鳩尾を打った。その硬さと速さによる凄まじい衝撃で、俺はしばらく息ができなかった。
ーー何だ?何者からの攻撃か?いや、だとしたら海希が気付かない筈がないだろう。じゃあ、落下物か?……いやだとしたら何の兆候もなかったし、何よりここは部屋の真ん中だ。ここまで落ちてくるものは、この部屋にはなかったと思うが。
原因は、いくら考えてもわからない。というか、考えている間もずっと胸に重圧がかかっている。
俺はそれを掴んでどかした。掴んだ感触は、少し柔らかくほんのり温かかった。そして、細長く片方に向かって細くなっていた。
「……何なんだよ」
そして、その細長い物体の伸びる先を見ると、それはもう一本の細い物体と合流した。そして、さらにその先を見ると一定のリズムで双丘が上下していた。
そこで俺は、その正体がようやくわかった。それを確かめるために、俺はさらに視線を上げる。そこにあったのは、気持ちよさそうに寝ている海希の顔だった。
ただ、気持ちよさそうなのは海希だけだ。
「こいつ……何つう寝相だ」
海希は、その寝相の悪さから俺の鳩尾に脚を容赦なく振り下ろしたのだ。
流石にこれでは寝られないと改めて思った俺は、静かに部屋から出て、リビングに置かれているソファーで夜を明かした。
ーーーー翌日
「ねぇ、何で私が寝てる間に部屋からいなくなったの?やっぱり私が嫌だったの?」
案の定、海希は俺に泣きついてきた。昨夜からこうなることはわかっていたので、俺は言い訳を既に考えていた。といっても、大した言い訳ではない。
「あのさ、俺は昔からひとりで寝ていたんだ。だから、俺はひとりの方が落ち着けるんだよ」
ーー嘘である。この男は毎晩、家族全員で寝るリビングで、母と姉に挟まれるポジションに我先にと布団を陣取っていたのである。
しかし、海希はそれでも引き下がってくれない。
「そうなんだ。でも、やっぱり私は悲しかったの。私は桜花君を元気づけてあげたかったの」
ーーめんどくせぇ!
お人好しも行き過ぎたらただのわからずやだ。海希はそのわからずやに値するらしい。これからの生活、こいつにはかなり苦労させられそうだ。
「なーんてね」
「…………は?」
「安心してね。ここまでのは演技だから」
「え?…………は?」
訳がわからなかった。嘘?……いったいどこから?まったくわからない。
俺が困惑しているのを見て、海希は口許を抑えて笑っている。
「昨日の夜の寂しさを紛らわせてあげたいっていうところからもう既に嘘だよ。本当は、久しぶりに同じ屋根の下に他の人がいるから、嬉しかっただけなんだ」
「そうだったのか」
「今まで、すごく寂しかったんだ。1ヶ月に1回しか皆とは会えないし、皆と一緒に学校に行っていたのも、もう10年近く……いや5年前のことだしね」
その話から推測するに、海希は5年間もひとりだったのだ。俺と同じだ。それなら、同じ境遇のもの同士、一晩だけでも心を近づけてお互いに心を温め合うのも悪くなかったのかもしれない。
「まあ、あそこまでやって布団から出て行くとは思わなかったよ。意外と薄情なんだね」
「いや、それは海希が叩いてきたから……」
「叩いた……?何のこと?」
「あ、やっぱ何でもないです。俺が薄情でした」
どうやら、俺を攻撃したのは自覚なしのようだ。つまり、あの寝相の悪さは純正のもの。
心優しい俺は、乙女に恥をかかせないために何も言わないで俺が折れてあげるのです。なんて優しいんだ。
ちなみに、海希に恥をかかせないためにも、今日以降海希を他の男と寝かせないと心に誓った。
そんな茶番を終えた俺は、海希が何をしているのか気になった。
実は、俺が起きてきた時からずっと、茶番の間も海希は、トントンとだったりかちゃかちゃだったりと音を立てながら、手元を忙しく動かしていた。
「何をしているんだ?」
俺が訊くと、海希はこちらをチラッと見てから手を止めて、俺を手招いた。
俺がそれに従って海希の方に行くと、ようやく海希が何をしているのかわかった。
「料理か?」
「そうだよ。匂いでわかんなかった?」
海希は今スクランブルエッグを作っている。たしかに、言われてみればそんな匂いがする気がする。さっきから何か香ばしさを感じていたが、その正体が料理だったとは。
「普通の料理が久しぶりすぎて、匂いを忘れていたんだ」
「まあ、たしかにずっと5年間まともに食事取ってなかったしね」
よく考えてみれば、海希が立っているのも明らかにキッチンだ。
女の子がキッチンに立っているのに、何をしているのか訊くのは失礼だったとも思ったが、海希は俺の説明に納得してくれたようだ。
俺がしばらく海希が料理をしているのを見ていると、海希がはっとして顔を上げた。
「そういえば、久しぶりの食事なのに普通のご飯出して大丈夫なの?胃を慣らしておいた方がいいかな?」
ーー本当に、優しい人だな。こんな人が彼女だったらいいのにな。
「ああ、自覚はないけどその方がいいかも。頼めるか?」
「任せてよ。腕によりをかけて、最高のお粥を作るよ!」
海希は、弾けるようなスマイルでそういった。俺が海希に出会ってからの1日でいちばんの笑顔だった。
ーーエンジェルッ!
俺は、あまりの海希の眩しさに気絶しそうになるのをなんとか堪えて、リビングのテーブルについたのだった。
「「いただきます」」
その20分後に、俺と海希は少し遅めの朝食を食べ始めた。
それまでの間に、俺はテレビを見ていたのだが、少しわかったことがある。
それはマスメディアの廃退だ。
朝食の待機中に少しでも現在の国の情報を知りたかった俺は、海希に「新聞はないか?」と訊いた。そして、返ってきた言葉はーー
「この国の新聞社は、すべてなくなったよね
とのことだった。どうやら、魔族の出現により新聞配達が困難になったことと、多くの店が閉まったことによって販売も不可能になったことが原因らしい。
記事のネタも集まらず、新聞自体もどんどん薄くなっていった。デジタル化も行なったそうだが、予想していた収益が得られず赤字が続いたそうだ。
ラジオはまだ続いているということなので聞いてみたが、少し昔の歌謡曲が延々と垂れ流されているだけで、災害時の情報収集手段としての面影は完全に消え去っていた。
テレビだけは機能していると言われたので、テレビも見てみたが、残念ながらテレビ局はひとつしか残っていなかった。
少し遅めの時間とはいえ、朝なので情報番組をやっていた。そこでは、俺が知っているキャスターが昨日起こったニュースを紹介していた。
そのどれもが、酷いものだった。どうやら、魔族の被害を受けたのはこの町だけではなかったようだ。
全国の至る所で、爆発事件や猟奇的殺人、放火が起こっている。ひと通り紹介された後には、昨日の死者数なんてものも発表されていた。
昨日は1800人が死んで、残りの国民は3800万人だそうだ。俺が入院する前は1億2800万人いたから、この5年でかなり減ってしまったことがわかる。
「随分と、廃れてしまったんだな」
「まあ、これでもよく頑張ってる方だと思うよ。特に、リスクを冒してまで市場に農作物や魚、肉類を無償で届けてくれる生産者の人たちには、頭が上がらないよ」
「無償で?」
俺は疑問に思った。こんな事態に至ってしまったというのに、お金を取らないとは何てボランティア精神なんだと。きっと、その人たちだって、生活は苦しい筈なのに。
俺の疑問を見透かしたのか、海希はこう続けた。
「もうこの国にね、お金なんてものの価値はないんだよ。仕事がないからお金は入ってこない。でも、お金がないとモノが買えない。そんな世界のあり方は、そんなに続かなかった。
お金が入ったって、娯楽なんてものはないし、国家も崩壊寸前で所得税も取られない。お金の使い道はなくなったんだ。そして、お金を取る意味がなくなった生産者や提供者はお金を取るのをやめた。
もちろん食品の寡占が横行しないように、量の制限は行なった。神依たちで復旧させたネットワークによって、国民をIDで管理して、食物を受け取るとそれがデータに残るようになった。
そうやって、平等な分配社会が形成された。やることがなくなった若者たちが農業や畜産業に注目し始めて生産者も増えてきた。おかげで、今の国は成り立っているんだ」
「そうだったのか」
「……こんな暗い話はやめにしよ?せっかくの食事なんだから」
「そうだね。お互いに他人と食事を取るのは久しぶりだしね」
そうして、俺たちは再び箸を進めた。……まあ、俺が食べているのはお粥だから握っているのはスプーンだが。
久しぶりの食事に、予想通り胃は驚いていたが、海希の料理は母に負けないくらい絶品で、あっという間に食べ切ってしまった。
「ところで、昨日俺は神徒になるって言ったけど、やっぱり訓練ってするのか?」
俺が訊くと、海希がまだ朝食を食べていた箸を止めて答えた。
「まあ、訓練は必要になるけど、それは明日からでいいんじゃないかな。時間はないけど、桜花君なら明日からでも余裕で間に合うと思うから」
「そうか。じゃあ、今日は1日寝ていようかな」
「ダメだよ」
俺がぐっと上に伸ばした手を、海希が机に乗り出してガシッと掴んできた。
「だ……だめとは?」
「今日からは、訓練だけじゃなくて義務教育も受けてもらいます。桜花君が受けていない小学校4年生の後期からの内容を2週間で私が教えるから、全部覚えてね」
「ひぇ」
そういった海希の顔には、かつてないほどの迫力が表れていた。俺は、海希からは逃げられない……逃げたら殺されると思った。
結局、今日は小学校4年生の内容が、全部終わった。その内容を教わるのが初めてなのが嘘のように簡単に理解できた。
俺はそれに歓喜したが、明日から勉強がペースアップすると聞いて、落胆したのだった。
お久しぶりです
諸事情により多忙を極めています
次話投稿も来週の予定です