その日の午後、俺は小学校5年生の内容を全て学習した。特に難しいことはなかったので、すらすらと覚えた。俺自身は苦を感じなかったのだが、海希には「普通、そんな一気に覚えられないよ」と言われた。
本当に覚えているのか不安になった海希から総復習のテストをさせられたが、何の問題もなく満点を取った。
海希は一日で覚えられるとは思っていなかったのか、俺のテストを採点し終えるとロケットような勢いで明日の教鞭の準備のために自室に戻っていった。
ーーもしかしたら、映像記憶能力とかあったりして。
自分の隠された力を見つけた気になって少し天狗になっていた俺は、学年が上がることでの勉強の難易度の壁の前に棒立ちになるしかないーーなんてことは一切なかった。
翌日の小学校6年生の内容も1日で覚え、中学校の内容は教科数が多いため2日で一学年分ずつ覚えた。
俺は1週間で小学校4年生から中学校内容までのマスターを果たしたのだった。
その日の夜は、俺の勉強完了を祝って、少し豪華な食事をした。なんと、ピザだった。人生で初めて食べたピザだったが、実に美味しくあっという間に平らげてしまった。
勉強の方は順調の一途を最後まで辿った。しかし、魔法の方はというと、あまりパッとしない進捗だった。
「なかなか、魔法の方は強くならないね」
「本当に、何でだろうな」
1週間経っても、魔法の制御が上手くならなかった。制御は上手くならない一方で、一度に放てる魔法の出力は跳ね上がっていた。
今では、小さい山なら消し飛ばせるくらいにまで最大出力は上がっていた。だが、制御ができないため実戦では使えないし、特訓でも危険すぎて使うことができないという状態だった。
今日も、弱めの魔法で精度を上げる特訓を行なっていた。何日も同じ内容をしていれば、弱めの魔法なら絶対に狙ったところに当てられるようになったが、出力が上がったり、弱めの魔法でも一度に放つ数が多かったりすると、途端にダメになった。
「今のところ、どのぐらいの強さまでなら制御できるの?」
「相変わらず、数十メートルにわたって木を消せる程度だよ」
「じゃあ、それは同時にいくつまでなら制御できるの?」
「その時どれくらい集中できているかによりますけど、大体5つまでかな」
「うーん。……なかなか厳しいね」
「ごめん。ただでさえ時間がないのに。こんなことで立ち止まってて」
「まあ、頑張ってとしか言えないなぁ。この力の扱い方に関しては、感覚を掴むしかないからね。前の黒闇の神徒に何か訊ければよかったんだけど、できないからなぁ」
「もうちょっと、頑張ってみるよ」
「うん。頑張って」
その後も、何回も魔法を使って感覚を掴もうとしたが、一切の進歩がなかった。その日はいつもより2時間ほど長めに頑張ったため疲れた俺は、夕食を食べて風呂に入った後、歯を磨くことも忘れて布団に潜り込んだ。そして、あっという間に眠りに落ちたのだった。
真っ暗な空間に、俺は独り佇んでいた。佇んでいる……のかもわからない空間だ。足が地についている感覚はあるし、手を広げてみても周りに壁がない。
しかし、本当に何も見えない。周囲の様子はおろか、自分の姿すらも見えない。全てが暗黒に包まれている。
このままここで佇んでいても何にもならないので、手を動かして周囲を警戒しながら歩くことにした。
しかし、いくら歩いても一切の光がないのは変わらないし、周りにものはない。段々と自分がまっすぐ歩けているのか不安になってきた。それでも、俺は歩き続けた。そうするしかなかった。
10分ほど歩き続けると、ある変化が起こった。視界正面に小さな光が現れたのだ。おそらく、かなり遠くにある。途方もないほどの彼方にあるのだろう。しかし、無限とも思われた暗黒の深淵の奥にようやく見つけた光だ。俺は、無意識のうちにその光に向かって走り始めていた。
走っているうちに、ほんの少しずつだが光が大きく見えるようになっていった。そして段々とその輪郭がはっきりとしてきた。人の形だった。
もっと近づくと、さらに形ははっきりとしてきた。だが、まだ距離がある。足が痛い。肩が痛い。肺が痛い。心臓が痛い。体感にして1時間ほどという長い時間を走り続けた俺の体は、もう限界だった。
足が絡れ、転びそうになる。必死の思いで伸ばした手はーー光に届かない。
そして、深い絶望に囚われながらとうとう倒れた俺は意識を失い、そして視界は暗転ーー否、明転した。
「ハッ。……ここは?」
「やっと目を覚ましたね。ここまでお疲れ様〜」
「誰だ?」
「覚えていないか。……よかった。ちゃんと記憶操作は継続して効いているようだね」
そう言って、飄々として俺の前に立っているのは、俺よりは何歳か年上に見える青年だった。かなり細身だが、顔色は悪くなかった。まぁ、長い前髪でほとんど隠れていて見えないが。
身長は俺より20センチメートルほど高く、しかしその高身長から威圧感は感じない。むしろ、俺に対して友好的に見えた。
「じゃあ、改めて自己紹介からしようか。僕は柊月夜ーー君の前の黒闇の神徒だ」
「お前が?」
「そうだよ。……あぁ、そんなに警戒しないでくれ、コウ。5年前からの仲じゃないか」
「5年前から?……俺は知らない」
「まぁ、それならそれで構わないよ。僕のことは、前みたいにラギって呼んでくれると嬉しいんだけどなぁ」
「断固拒否」
「つれないなぁ」
柊月夜と名乗る青年は、やれやれと言わんばかりに両手をあげて首を横に振っている。だが、その口調にはちっとも残念さを感じなかった。
「ところで、お前が前の黒闇の神徒だってのは、本当なのか?」
「本当だよ。……っておいおい、そんなにがっつかないでくれ。久しぶりに透子さん以外の人と話すんだから、ビクッとしちゃうじゃないか」
「……透子さん?」
「あ、気にしなくていいよ。それで、コウは僕に魔法の制御の仕方を教えて欲しいんだっけ?」
「お前、俺が何を思っているのかわかるのか?」
「わかるよ。だって、5年前からずっと、君のことを見ていたからね」
「……なんか、気持ち悪い」
「おいおい、僕は別にストーカーなんかじゃないぞー」
俺はあらぬ勘違いをしているようで、柊月夜は激しく抗議してきた。だが、ずっと見られていたなんて、本当だとしたらゾッとするどころではない。
「その疑惑に関しては、魔力制御の方法を教えるってことでチャラにしてくれないかな?」
「……構わない」
「ありがとう。じゃあ、まずその力について話しておこうか」
そして、柊月夜は黒闇の神徒の能力について、語ったのだった。
「そもそもね、魔法というのは神依というこの国の主神を護っている者たちに与えられる力のことだよ。流石に、これは知っているよね?」
「ああ。海希から聞かされた」
「海希かぁ……懐かしいな」
「懐かしい?あったことがあるのか?」
「まあ、それはおいといて……」
「いや、俺けっこう気になるんだけど」
柊月夜は俺の質問を無視して、話を続けた。これ以上追求しても、望んだ回答は得られないだろう。俺は諦めて、大人しく話を聞くことにした。
「神依は、一般人が簡単になれるものじゃないんだ。昔から神社にお仕えして、主神を祀っている家系の者が代々継いでいく者だった。そして、その中でも有力だった五人が神徒になった」
「五人?……待て、神徒は六人じゃないのか?」
「そう、六人だ。だが、六人目はかつてない異例の神徒だった。それが、僕だよ」
「異例って……どういうところがだ?」
「僕はね……ある日突然魔法が使えるようになった。元一般人だよ」
「なんだって?」
最強と謳われていた前の黒闇の神徒が実は一般人だったとは、誰が想像できようか。俺も元一般人だが、俺は力を実質的には柊月夜に譲渡されて神徒になった。しかし、柊月夜は自らその力に目覚めたというのだから、衝撃だ。
「しかも、元一般人が他の神徒が手の届かないほどの強者になるとはね。自分でもびっくりだったよ。ただ、僕は少し他の神徒と違っていた」
「どこが?」
「僕はね、魔法を使うときに体内の魔力を使うんじゃなくて、体外のエネルギーを使っているんだ」
「体外の?」
「そう。僕は残念ながら体内にほとんど魔力を持っていなくてね、そうするしか魔法を使う方法がなかったんだ。だから、体内の魔力だけであんな大規模な魔法を使えるコウは、僕なんか比較にならないくらい才能があるんだよ」
「だが、俺には魔法の制御ができない。それなのに、才能があるって言われても……」
俺は、唇を噛み締めた。どれだけ魔法が強くても使えなければ宝の持ち腐れだ。俺は悔しかった。だからこの1週間、がむしゃらに何百回も何千回も魔法を使った。それでも、強い魔法の制御はできなかった。才能があるようで、俺には才能がなかった。
「そんなに嘆かないでくれよ。僕の力を継いだってことは、力の供給源も僕と同じ、体外のはずだ。体内と体外というだけの違いだ。……しかし、それだけの違いで魔法は大きく変わってくる」
「じゃあ、お前と同じやり方をすれば、俺は魔法を自在に使えるのか?」
「もちろんだ。僕が保証しよう。さて、じゃあ君に問おう。君は、僕に力の扱い方を教えて欲しいか?」
俺は迷わなかった。迷うはずがなかった。こいつは俺にとっては初めて会ったばかりで、信用も信頼も何もできない。だが、俺にはこいつに頼るしかなかった。だからーー
「ああ。教えてくれ、ラギ」
「やっとその名前で呼んでくれたね。人にものを頼むときは敬語だと思うんだけど、まあそこは目を瞑ろう」
「ありがとう」
「それじゃ、今からコウの脳内に僕が魔法を使っている時の感覚を流し込む。言葉で教えるのが苦手なんでね。うまく伝えられる自信がないんだ」
「いや、魔法が使えるようになるならなんだって構わない」
「そうか。じゃあ、始めるよ。ここで僕とは一旦お別れだ。目を覚ましたら、魔法が使えるようになっているはずだよ」
ラギは俺の頭に両手を伸ばしながら、そう言ってきた。俺は目を閉じて、全てをラギに委ねる。
「じゃあな、ラギ」
「またね、コウ」
お互いに別れを告げてーーそして俺の意識はプツンと糸が切れるように落ちた。
目を覚ますともう辺りは明るくなっていて、香ばしいパンの焼ける香りが部屋の外から漂ってきていた。
そして、廊下を進む足音が聞こえた。その足音は俺の部屋の前で止まり、そしてドアが開かれた。
ドアを開けたのは、青藍の神徒である海希だ。彼女はもう運動しやすい服に着替えていて、その上にエプロンをつけている。なんか……いいな。
「おはよう、桜花君」
「ああ。おはよう、海希」
その後、いつも通り朝ごはんを食べて着替えて歯を磨いて顔を洗って、そして外に出た。魔法の特訓のためだ。
俺は、海希に「多分魔法が使えるようになったから見てほしい」と言って、快諾してくれた海希に見てもらっている。
俺は、右の手を上に掲げて、掌に意識を集中させた。イメージは、周囲の空気からエネルギーを搾り取る感じだ。すると、掌に小さな球体が生じた。そしてそれはさらに周りのエネルギーを吸収して収束させていく。
魔力は十分に溜まった。後はこの魔力に属性を付与するだけだ。炎が燃え盛るのを頭の中でイメージし、そのイメージの炎を頭から首へ……そして腕へと伝わせる。すると、掌の球体がボッと音を立てて燃え始めた。
そして、俺は掌から力を放出するイメージとともに叫んだ。
「ラ・インフェルノ」
俺の詠唱とともに、火焔の奔流が上空に向かって解き放たれた。それはあっという間に天高く昇っていき、白雲を灰色に焦がしながらなおも上昇していく。魔法を放出し終わると、もう火焔は見えない高さまで上昇していたが、空は一面が夕焼けのように赤橙に染まっていた。
ーーマジで、力の供給源を変えただけでどうしてこう簡単にことが進むかなぁ。
今までの苦労が水の泡のように、あまりにもあっさりとした成長に、俺はほんの少しの歓喜と同時に大いに落胆した。
俺が強い魔法を操っているのを見て、海希は目を輝かせていた。その意味するのが、俺が魔法を制御できるようになったことへの喜びなのか、制御できるようになった過程に対する好奇心なのか、或いは他の感情なのかーー俺には理解できなかった。
しかし、俺はようやくスタートラインに立てた。全ては、俺に適した魔法の使い方を教えてくれたあいつのおかげだ。
ーーあれ?……あいつって…………誰だっけ?
最近、モチベ上がってきたので頑張ります