神も仏もいないなら   作:りっくんちゃん

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 前話の冒頭部分を修正しました。展開に変化はほとんどありません。


3.身を焦がす激情

 大きな針が、心臓を、貫いた。

 

 

 行き場を無くした血液が喉元を迫り上がり、体が勝手に吐き出そうとするのを必死で飲み込む。この子の顔に私の汚い血をかけるわけにはいかない。ただでさえ、見慣れない場所で怖がっているのに、更に怯えさせてしまう。

 

(…心信(こころ)

 

 針が私の体から抜かれる。蜂の呪霊が目の前にいた。私がずっと追ってきた個体だ。ああ、なるほど。私のすぐ後ろをずっとつけてきたのか。支えを無くした私の体は膝を折り、倒れ込もうとする。うつ伏せに倒れそうになる体を何とか捻って仰向けになる。この子を私の身体の下敷きにするわけにはいかない。恐怖で震えている彼女の身体を無理矢理押さえつけるなんてあってはならない。

 

(…心信)

 

 くそ、この子を守りながら戦闘か、厳しいな。せめてこの領域外に出してからにしたかったけど、流石にそれを許してくれそうもない。

 

(…心信)

 

 あ、というか、この子も腹から血を流してる。治してあげないと。

 

 困ったな。他人の傷の治し方なんてよくわかんないや。布でも巻いて出血を止めるんだっけ?

 

 そうだ、確かそうすればいいはず。

 

 

 ああ、でも、

 

 

 お腹の半分が無くなってる時は、どうやって布を巻けばいいんだろう。

 

 

 

(…心信、その子はもう死んでおる。)

 

 …

 

(わしのミスじゃ。前方ばかりを気にしとって後方の索敵を疎かにしとった。)

 

 …

 

(そもそも、相手の土俵で戦っとる以上、呪力の感知は当てにならんということも失念しとった。)

 

 …ノッブは悪くないよ。そもそも、ノッブの制止を振り切って向う見ずな行動をした私が悪いんだし。

 

(…少なくとも、その娘っ子が死んだのは心信のせいではないぞ。)

 

 そうかなぁ。

 

(そうじゃ。間違ってもその責は心信にはなく、呪霊に在る。)

 

 …そういえば、あいつらは?

 

(…おそらく穴から出てきた通常の蜂の呪霊が数百匹。そして女王蜂を名乗っておる呪霊が一匹じゃな。)

 

 私の胸の穴は塞がった?

 

(うむ。もう治っておる。)

 

 そっか、それでこの子を治してあげることは出来ないよね。

 

(…すまん。)

 

 うん、ごめん。意地悪しちゃった。知ってたのにね。

 

 亡骸となった女の子を静かに地面に降ろし、羽織っていたパーカーをその上にかける。こんなところでは静かに弔ってあげることも出来ないけど、せめて、安らかに眠ってほしいから。

 

 ああ、でも、少し羽虫の羽音がうるさいな。

 

「…死ね。」

 

 なら、殺すか。

 

 

 

 

 

 蜂の被害件数は年間数千件にも上り、その刺突による死者は十数件存在する。一見、被害件数に対して少なく見える死亡者はその体内に宿す毒がさほど強くないことを示しているように思えるかもしれない。

 

 事実、ミツバチに代表される蜂は人間に対して有効な毒を持たず、刺された患部が腫れ上がる程度であり、また凶暴と名高いスズメバチすらも一般的な症状は激しい痛みを引き起こす程度である。

 

 しかし、その毒の恐ろしさは二回目で現れる。

 

 一度目において人体に侵入した毒素を撃退するために人体は急激な防御反応を取る。この過剰反応が人体に有害な影響を及ぼす、一般的にアレルギー反応と呼ばれる現象だ。蕁麻疹や紅斑、呼吸不全を引き起こし最終的に死に至る場合もある。

 

 御多分に洩れずこの呪霊もその特性を術式として備えている。即ち、同じ毒を二度注入した際に生じる必殺術式。その術式のトリガーが二日前の夜とこの瞬間に満たされ術式が起動したことを確信し、女王蜂はその餌を食べるべく巣の奥底から震えながら出てきた。

 

「…死んだ?死んだよね?二回刺したもんね?他の奴らもみんなちゃんと死んだもん。死んでるよね。」

 

 幼子のような声を出すその呪霊の姿は奇怪なものだった。頭から針の先まで二メートル程の体長を持っていながらその巨体を支えるには不釣り合いなほど小さい四対の翅を肩と臀部のあたりから生やしていた。顔は人間の顔を持っていながら顎先が真っ二つに割れ蜂のようになっている。上半身は人の女性のようだが起伏はなく、下半身は蜂の腹でできていた。

 

 愚かなことに自身から縄張りに入り込んできた小虫へゆっくりと近づきその手でツンツンと突っつく。なるほど、この呪術師は確かに死んでいるだろう。身動き一つしていない。

 

 そう確信して、呪術師の女の黒い髪の毛を引っ張り顔を見つめる。黒い瞳も虚ろで何も映していない。その顔を一飲みしてやろうと顎を開き自身の顔を近づけた瞬間、

 

 目に炎がともった。

 

 術式解放 燐炎呪法 「陰火」

 

 少女から青い炎があふれ出し、その女王蜂を巻き込んで洞窟内を火で覆いつくした。

 

 

 

 

 

 気づけば目の前にいた呪霊から奇声が発せられ洞窟内に響き渡る。かなりの呪力を消費したがこの薄気味悪い領域は解除されていない。

 

(おぬしの目の前に居った呪霊だけ呪力の総量が桁違いに大きい。後ろの数百匹の呪霊は焼失したが実体を保っとるあたりこやつが親玉じゃろうな。)

 

 悶えている呪霊を包んでいた炎が消えつつある以上、陰火だけでは殺しきれないのだろう。刀を拾ってそのまま呪霊に向かって斬りかかる。しかし、近づこうとした瞬間にそこらじゅうの穴から蜂が飛び出て邪魔をしてきた。再び陰火を使用するも呪力が不十分であるために数十匹を焼き殺しただけで炎が収まる。

 

(呪力を大量に消費しすぎじゃ。一度先ほどの穴や鍾乳石が無かった位置まで引け!)

 

 無理。そうすればあの子を巻き込む。

 

(…ならそこまで下がらずとも距離を取れ。どちらにせよ今、女王蜂は祓えん!)

 

 一先ず助言に従い後退する。あの呪霊を包んでいた火もいよいよ収まり、さらに私とも距離を取ったので膠着状態が生まれる。

 

「なんで!なんで死んでないの!ちゃんと二回刺したのに⁉術式が効かないの⁉」

 

 呪霊が怒り狂いながら、言葉を発した。気味が悪い。

 

(ふむ。何らかの術式を発動させておったのか。あやつの発言とこちらに近づいたタイミングを加味すると刺すことで発動する術式かの。しかし、一昨日の時点ではそんな形跡はなかったが。)

 

 …大方、アナフィラキシーショックでも狙ったんでしょ。小賢しい。

 

 そんな会話をしている間も、呪霊は妄言を吐き散らす。

 

「ああ!ああ!ああ!思うようにいかない!どうして私たちがこんな目に合わなきゃいけないの。悪いことなんてほとんどしたことなかった!他の奴らのほうが悪いこといっぱいしてたのに!みんなのためだからって約束を守ってあげたのに!ちょっと前までこの暗い部屋以外に出かけたことはなかった!でも、外からちゃんとご飯が来たからいい子にして待っていたのに!ここ数十年一人も持ってこなかった。死ぬほどおなかが減ってた。だから、仕方なく、約束を果たすために約束の量をもらってただけ!そのくせ、あいつらがギャーギャーと騒ぐせいでとうとう呪術師がやってくる!何とか殺したらましな栄養分になるけど!どれだけ私が怖い思いをしなきゃいけないと思ってるの!その上何なのよお前は!街中で蜂が死んだと思って十匹おくれば全員死んで、挙句の果てには誰も入ってこないはずのこちらに乗り込んできた!心臓を貫いても死なない?術式が発動しない?どうして、おかしいよ!なんで私たちだけこんなにも怖い思いをしなきゃいけないの!ああ、怖い怖い怖い怖い!」

 

(耳を貸す必要はない。所詮は呪霊の戯言よ。)

 

 …わかってる。少しばかり気になることがあるがあれにわざわざ聞く必要はない。

 

 刀に呪力を廻して炎を宿し構える。そして足を強化して走り出す。

 

「…そうやって殺そうとする。いやだいやだいやだ!死にたくない!お前が死ね!」

 

 穴という穴から蜂が飛び出してきた。針を躱し、隙を見て切りつける。刀にかすりでもした呪霊はそのまま炎が全身をなめまわして焼失する。しかし、あまりにも多い。たまらず、足を止めて攻撃を捌こうとするが捌ききれず、あちこちを嚙み千切られた。

 

 仕方ない。無視をして突貫しようとするが、数歩進むと足がもつれて倒れた。気づけば右足に他の蜂と比べて小さな蜂が針を突き立てていた。

 

「くそっ!」

 

 その蜂を切り落とし立ち上がろうとするも上から数匹の蜂がのしかかり針を突き立てる。途端に意識が朦朧としはじめ悪寒と吐き気が襲ってくる。が、

 

燐炎呪法 「陰火」

 

 少しばかり回復した呪力を使って焼き払い、飛び出していくつもある穴のうち比較的大きいものに飛び込む。なんとか、窮地を脱したが途端に眩暈が襲ってくる。

 

(呪力の使いすぎじゃ。傷を治しながら陰火を連発すればすぐに底をつくぞ!)

 

 陰火は私の呪力を周囲に放出し、その呪力に触れた呪霊を発火させる術だ。その性質上、指向性がなく、より広範囲にまき散らすほど大量に呪力を消費する。

 

 傷の治療は致命傷以外しなくていい。陰火については努力はする。

 

(…そんなことをすれば、たとえあやつを祓ったとしてもそのあと出血死するぞ。)

 

 それは殺した後に考えればいい。それよりも、あの呪霊についてわかったことはないの。

 

(…およそ500匹ほどあの蜂を殺しておるが、その影響があの女王蜂には見えん。儂らは最初、蜂の呪霊を群れで一つの呪霊と考えておったがおそらく違う。女王蜂を術者としてあの蜂共はただの式神じゃ。じゃから蜂をいくら殺したところでこやつは祓えん。蜂を生み出せなくなるほど殺せば別じゃが。)

 

 逆に、あの女王蜂を殺せば勝機が見えるってことね。なら策はある。

 

 横穴から飛び出し元の場所に戻ると相も変わらず女王蜂はいた。先ほどよりも蜂の数は増えているが。

 

「ああ~死んでない。なんで?術式が効かないの?おかしいおかしい!」

 

(それで、策とはなんじゃ。おぬしが奴を祓うには近づく必要があるが、あの数をどうする。)

 

 そんなの単純。

 

 厄介なのはあの針にあるで二度刺すことで発動するものと考えられる術式。しかも、小さな蜂までいるせいで意識の外から刺される可能性がある。それなら。

 

 放出範囲を抑えた炎を発動したまま近づけばいい。

 

燐炎呪法 「炎纏下」

 

 全身に青い炎が纏わりつき急速に呪力が消費される。その状態で刀を構え走り出す。蜂は愚直に私に向かって針や顎を突き出して攻撃してくるがその寸前で炎に触れ燃え尽きる。小さな蜂も例外ではなく、見る見るうちに女王蜂との距離が縮んでゆく。女王バチは逃げようとしているがその巨体が災いして進む速度は私よりもはるかに遅い。

 

 対して、私の方も余裕があるわけじゃない。頬には汗が流れめまいや頭痛が激しい。私の炎は別に高温ではない。ただ、呪力を無差別に消費して燃え続ける。そのため、私の全身を覆うようにして維持する炎纏下は陰火と比べて呪力の消費量がさらに激しい。相手の呪力を利用せず私の呪力だけで炎を維持する必要があるからだ。

 

 それでも、確かに距離は縮み続ける。女王蜂も追いつかれると踏んだのか天井を蜂に攻撃させて鍾乳石を落としてきた。通常、鍾乳石の先はさほど鋭利ではないが勢いのある巨大な石が降ってくることは純粋に脅威だ。そして私の炎は純粋な呪力をおびていない物質を燃やすことはできない。

 

 回避をするか。しかし、一個やニ個ならまだしも、大量に落ちてくる鍾乳石を回避するには大きく回避行動をとらないといけない。それをすれば間違いなく、女王蜂にたどり着くまでに呪力が尽きるだろう。

 

 故に、頭にだけは当たらないように気を付けながら無視して突っ込む。足や背中、腕に当たり、骨の折れる音が体の中を響くが足を無理やり進ませる。

 

 あと数歩。数歩で刀の間合いに入る。あいつを殺せる。

 

(待て!その先は…)

 

 そうして、体が訴える数々の異常を無視して一歩踏み出す。踏み出した瞬間。

 

 蜂の幼虫のような式神が足首を咥えていた。

 

 理解ができないまま、バランスを崩して倒れる。

 

 どうして。炎纏下は切れてない。なのに、何故?

 

(おぬしの足元は他の場所と比べてはるかに濃い呪力が集まっておる!そこにおる式神は他の式神と比べてはるかに込められておる呪力量が多い。炎纏下では焼き尽くしきれん!)

 

 ノッブの言葉を脳裏で聞きながら、地面に倒れこむ。呪力が尽き、炎纏下が切れた。

 

 そんな。ほんの少しだったのに。あと数歩。数歩踏み出せれば殺せた。

 

「はあ、はあ、死んだ?死んだの?」

 

 顔を上げて睨みつける。這いずってでも近づこうとするも上から蜂がのしかかり、身動きが取れなくなった。

 

「ヒイッ!死んでない!殺して!」

 

 蜂が毒針を突き立てようとする。だめ、せめて、殺してからじゃないと、死んでられない。

 

(どうする…儂が代わるか。しかし、この状況で代わっても…)

 

 

 

 その時、

 

 

 

 前にいる女王蜂が横殴りに吹き飛んだ。

 

 

 続いて私にのしかかっている蜂もはじけ飛ぶ。

 

 

「え…。」

 

 突然の状況に理解ができず唖然とした。手足が自由になるもけがと呪力の枯渇で身動きは取れない。だから、顔だけをそちらに向けて状況を理解しようと試みる。

 

「一体どういう状況かわかりませんが…。一先ず、大丈夫ですか。」

 

 薄暗い洞窟の中でスーツ姿で変な眼鏡をかけ、髪を七三分けにした会社員のような風貌の呪術師がそこには立っていた。

 




 ご読了ありがとうございました。

 なお、本作では蜂毒の危険性について、一度目は大したことが無いように記述してありますが、一度目であっても死に至ることはあり得ます。蜂に限らず山で何らかの毒虫に刺された場合は医療機関を受診してください。

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