ラストスタリオン   作:水月一人

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ヴィンチ村

 長老の持っていたキノコを探しに荒野を訪れた鳳たち一行は、そこで冒険者の最大の目標と言われる、迷宮を発見した。攻略しようと意気込んだは良いものの、その防衛機構に手も足も出なかった彼らは、ひとまず攻略を諦めて、レオナルドの根拠地を目指すことにした。

 

 砂漠化した峡谷は広大で、通り抜けるのに苦労したが、それでも二日ほどの時間をかけてなんとか横断し、一行はステップ地帯から草原へとたどり着いた。ここまでくればもう荒れ地はほとんどなく、田畑が目立つようになり、田舎のあぜ道を進んでいると、野良仕事へ向かう農家の姿が散見されるようになって、ようやく人の領域に帰ってきたんだなという実感が湧いてきた。

 

 勇者領(ブレイブランド)はその昔、勇者が大陸西部の巨大な入り江を埋め立てて作った国である。その干拓地は、現在はニューアムステルダムと呼ばれ、新大陸(ローレンシア)と、旧大陸(バルティカ)を結ぶ、世界最大にして唯一の海上交易都市になっている。

 

 実際に見てみないことには、どれ程の規模かは想像するしかないのであるが、首都出身であるというミーティアの話を聞いていると、それはそれは大変な賑わいであるらしい。恐らく、東京ほどではないだろうが、地方都市くらいはありそうだから、いつか行くのが楽しみである。

 

 その昔、勇者を慕って集まった人々は、ニューアムステルダムを開発した後は、干拓地から扇状に内陸部へと土地を広げていったそうである。途中、例の峡谷にぶつかってしまった後は北へと広げていき、そして最終的にはヘルメス領と街道で繋がる現在の領土が形成されたらしい。

 

 その開拓事業に特に貢献した者たちが後に貴族化し、現在は13氏族と呼ばれる地方領主として君臨しており、勇者領はその氏族による合議制で運営されている。因みに、レオナルドは政治からは距離をおいているらしく、余程のことがない限り絶対に口を挟まないそうだ。前世で積極的に政治に関わった結果、ろくな目に遭わなかったから、もう懲り懲りなんだとか。

 

 それでも、冒険者ギルドの長であり、伝説の勇者パーティーの一員というネームバリューは凄まじく、首都で暮らしているとひっきりなしに来客があるから、うんざりした彼は、ある日首都の屋敷を引き払い、郊外に館を作って隠棲してしまったそうである。

 

 鳳たち一行が現在目指しているのはそこであった。だんだん人通りが多くなっていく首都へ向かう街道から脇道にそれると、鄙びた村の入口が見えてくる。風光明媚と言えば聞こえが良いが、周辺に何もない、大自然に囲まれた集落である。

 

 村は小高い丘を中心に広がっていた。その丘の周りをぐるりと田畑が囲んでおり、それを管理する農家があちこちに散らばっている。入り口近くには馬や羊を飼う牧場と、鶏舎を管理する畜産農家があり、村の中心付近は恐らくメインストリートなのだろう、商店が何軒かと、馬車駅や郵便局のような建物が立ち並ぶ広場があって、ここだけで何でも揃いそうな感じだった。

 

 勇者領の僻地にあるこの村は、背後にワラキア大森林が控えており、あの国境の街に似た雰囲気を醸し出していた。違うのは丘の上にあるのが樫の大木ではなく、大きな屋敷であることで、どうやらそれがレオナルドの屋敷らしかった。

 

 村の入り口に立ったことで、もう到着した気になっていたが、ここからあの丘の上まではまだまだ距離がありそうだった。一度気分が萎えてしまうと、なかなか腰が重くなるものである。鳳は、ちょうど目の前に牧場や商店もあることだし、少し休憩しないかと言おうとしたのだが……レオナルドがその牧場の方へとてくてくと歩いていき、

 

「これ、そこの……名前はなんだったか。とにかく、そこの牧童よ。ちょっと屋敷までひとっ走りして、儂が帰ったと伝えてまいれ」

「はあ……? あんたは……」

 

 牧場の前で飼葉桶を洗っていた牧童……と言っても、もう十分な年の男は、いきなりやってきた偉そうな老人に対し、一瞬だけ剣呑な表情を見せたが、それがレオナルドだと気づくと、すぐに目を丸くして飛び上がり、

 

「た、たたたたた、タイクーンッ!!! いつお帰りで!?」

「たった今じゃよ。いいから、はよ伝えてまいれ」

「ははーっ!!! こ、こうしちゃおれない……」

 

 男はレオナルドに向かってガバっと最敬礼のお辞儀をすると、すぐ言われた通り屋敷の方へとすっ飛んでいった。その途中で何かを思い出したように取って返すと、牧場を取り囲む柵の上に身を乗り出すようにして、従業員に老人が帰ってきたことを大声で叫び、そしてまたスタコラサッサと屋敷の方へと駆けていく。

 

 男に呼ばれた牧場の従業員たちは、柵の外にレオナルドの姿を見つけると、慌てふためいて散っていった。大騒ぎを呆然と見守っていると、すぐにその中の一人がやってきて、鳳たちの連れてきた馬の手綱を引いて牧場へ連れて行き、代わりに立派な馬車がやってきて、御者台に座っていた事務員らしき者が飛び降り、レオナルドの前で恭しく礼をした。

 

「お帰りなさいませ、旦那様。道中、お疲れでしょう。どうぞ、こちらに」

「うむ、すまんのう」

 

 レオナルドは御者が開いている扉から、さっさと馬車の中へと入っていく。呆気にとられて眺めていると、そんな鳳たちに向かって先程の事務員が、

 

「ささ、お連れの方たちもどうぞ。中は広いですから、みなさん全員、ゆったりくつろげますよ」

 

 と言って、戸惑う彼らをグイグイと馬車の中へと押し込んだ。

 

 全員が乗り込むのを待ってから、馬車は音もなくスーッと動き出した。あまりにも快適すぎるから、魔法でも掛かってるんじゃないかと思ったが、案外そうなのかも知れない。考えても見れば、この馬車の持ち主は、幻想具現化(ファンタジックビジョン)という現代魔法(モダンマジック)の大家である。これもかぼちゃの馬車みたいな魔法道具(マジックアイテム)なのかも知れない。

 

 動き出した馬車から背後を見てみると、鳳たちの荷物を積んだ荷車が後からついてきていた。ああ、そうか、あの牧場はレオナルドが所有しているんだなと感心していたら、御者台から先程の事務員が、誇らしそうに言った。

 

「牧場だけじゃございません。あの田畑もあの店も、そしてそこで働く人々も、この村の全てが大君の所有物でございます」

 

 事務員の言葉を証明するかのように、暫く進むと馬車を見つけた人々が仕事をする手を止めて、中にいるレオナルドに向かってお辞儀をしはじめた。老人はそんな人々に向かって手を振っている。

 

 ここヴィンチ村は、レオナルドが幼少期に暮らした村を模した、彼が所有する荘園だったのだ。広い敷地は、一つの農村がすっぽり入るくらいの大きさがあるらしい。丘の上に見えるお屋敷は、その一部に過ぎないそうである。

 

 村は木と石レンガと漆喰で作られた家々が建ち並び、中世ヨーロッパ風の雰囲気を醸し出していた。その気になれば、近代建築みたいなものも作れる技術はあるはずなのに、そうしないのは彼が前世を懐かしむせいだろうか。

 

 まあ、そんなものがこのど田舎に建ち並んでいたら、かえってディストピア臭がするから、これで正解なのかも知れない。坂道を登っていくと、やがて石垣に囲まれたお屋敷にたどり着いた。

 

 鉄柵の門をくぐると、広い庭の中央に縁石で区切られた玄関へ続くアプローチがまっすぐ伸びている。屋敷は3階建ての石造りの建物で、確かカントリーハウスとかいう昔の大金持ち(ジェントリ)のお屋敷にありがちな作りだった。

 

 まるで音楽のジャンルみたいな名称であるが、カントリーハウスとは、日本風に言えば、武田信玄が拠点にした躑躅ヶ崎館のような、城の役割を持った屋敷のことである。屋敷の維持に金がかかり過ぎるため、現代では個人所有する者が殆どおらず、大概は寄付されて学校や公共施設に使われているらしい。

 

 城というくらいだから、実際、襲撃も意識しているのだろう。馬車を降りるとサーベルを佩いた衛兵らしき男たちが、観音開きの玄関を恭しく開いてくれた。中を覗けばエントランスホールには、この屋敷を管理するハウスキーパー……いわゆる執事やメイドたちが勢揃いしていて、主人の帰りを確認するや否や、

 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 

 と、現代では秋葉原くらいでしかお目にかかれないお出迎えをしてくれた。そう言えば、忘れがちだがこの爺さんはとんでもない大金持ちであった。まるで王侯貴族にでもなった気分であったが、レオナルドが凄いのだろうか、それとも秋葉原の方が凄いのだろうか。

 

 いつまでも棒立ちしているわけにもいかないので、尻込みしている仲間たちを押しのけて、レオナルドに続いて屋敷に入ると、すかさずメイドさんがやって来て、まるで宝物でも扱うかのごとく、鳳の上着を受け取った。

 

 これを最後に洗ったのっていつだったっけ……? まだ生ゴミのほうが香しい気がする……

 

 ダニが巣食ってるから熱湯でグツグツ煮込んでからギュウギュウに絞っておいてくれと言ったら、顔色一つ変えずに畏まられた。冗談だと分かっているなら良いのだが……周りを見れば仲間も似たりよったりで、恥ずかしいから自分で持っていると言って、使用人たちを困らせていた。

 

 押し問答はいつまでも続き、いい加減に焦れてきたレオナルドが、

 

「そんなに嫌ならそこの暖炉に焚べてしまえ、後で好きなのを買ってやるから」

 

 と言ったことで、ようやくみんなの抵抗感も薄れてきたようだが、代わりにギルド長が主従関係を思い出したらしく、自分は屋敷の外で待っていようかと言い出したところで、

 

「つべこべ言わずについてこい。セバス! さっさと案内せい」

 

 呆れ果てた老人が執事に命令したことで、ようやく応接室まで案内が始まった。因みに執事の名前はセバスチャンである。

 

 アビゲイルと言う名前のメイド長に先導されて、広い屋敷の廊下を進んだ。広いと言っても限度があるので、大体どのくらいかと言えば、全学年2クラスずつしかない小学校くらいの大きさだろうか。アイザックのヴェルサイユ宮殿と違って赤絨毯がないから、カツカツと歩く足音が、思いのほか強く反響していた。

 

 エントランスホールから右手奥の突き当りまで行ったところが応接室で、中に入ると一枚ガラスの大きな窓に囲まれた洋室が広がっていた。窓が大きいとは言っても、直射日光を避けているために室内は結構薄暗く、壁際に掛けられた本棚の本が日焼けしないように工夫されているようだった。

 

 窓際には大理石のテーブルとふかふかのソファが置かれていて、十人くらいが楽にくつろげるようになっている。本棚の前には文机が置かれ、もしかすると普段は主人の書斎も兼ねているのかも知れない。よく見れば、部屋の片隅には布が掛けられたイーゼルが置かれており、この部屋の主が画家であることを思い出させた。

 

 これまた忘れがちだが、この爺さんはとんでもない芸術家でもあった。するとあそこに掛けられている絵画にはいくらくらいの価値があるのだろうか? 思わず布をめくって中を確かめたい衝動に駆られるが、それを見透かしたかのように、メイド長があそこにあるのはイーゼルだけで、アトリエは別にあることを教えてくれた。

 

 鳳もそうだったように、応接室にイーゼルを置いておくと、来客が話の切っ掛けにしやすいから置いているのだそうだ。それなら絵を掛けておけばなお良いのにと思ったが、現在のレオナルドは絵を殆ど描かなくなっており、彼の貴重な作品は人の目の届かない場所で、厳重に保管されているらしい。それはそれでちょっと残念である。

 

 ともあれ、立ち話もなんなので、主人に勧められるまま目の前にあるソファに腰を下ろした。一体、どんな素材を使っているのか分からないが、見た目以上にソファはふかふかで、地球の反対側まで沈んでいきそうな錯覚を覚えた。長旅の疲れがどっと押し寄せてきて、そのまま眠ってしまいそうだった。

 

 するとそれを見透かしたかのように、メイド長が眠気覚ましの紅茶を淹れてきてくれた。本当に気が利く人だなと感心しながら、鳳は懐に大事にしまっておいた乾燥キノコを取り出すと、おもむろに紅茶に投入しようとして、

 

「人んちに来て、いきなりキめようとしてんじゃねえよ!」

 

 と、ギヨームに怒られてしまった。鳳は奪われたキノコを呆然と見送りながら、

 

「はっ……つい、ぼーっとして。ようやく人心地ついたと思ったら、殆ど無意識だったよ。俺は最後の子供が巣立っていき、すっかり広くなったリビングで孤独を感じて、うっかり薬物に手を出してしまった主婦の気持ちが分かった気がする」

「そんな限定的な気持ちにならんでいいから、大人しくしてろ」

「そういうお前もそんな壁際に突っ立ってないで、せっかくソファがあるんだから座ったらどうなんだ?」

 

 鳳がいつまでも壁を背にして佇んでいるギヨームにそう言うと、彼はいつものニヤニヤ笑いというよりも、苦笑いに近い表情で、

 

「俺はこういう席では壁を背にしてないと落ち着かねえんだよ。ほっといてくれ」

「やれやれ、お主も難儀な性格じゃのう……」

 

 レオナルドはそんなギヨームに呆れながらも、無理に座らせようとはせず、既に寛いでいる鳳とメアリーの前に座った。それを見て、周囲の仲間たちもおずおずと、自分たちの席を決めてソファに座ると、じっと来客が落ち着くのを待っていた執事のセバスチャンが一歩進み出て、

 

「旦那様。よろしいでしょうか?」

「構わん」

 

 どうやら、主人の留守中にあった出来事を報告してくれるらしい。鳳はそれを紅茶をズーズー啜りながら聞くことにした。

 


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