ラストスタリオン   作:水月一人

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何かって何だよ

 ブーンブーンと耳障りな風切り音が、絶えず耳元を通り過ぎていった。異常な数の銀蝿が広場を縦横無尽に飛び回り、内臓の抜かれた死体の腹からは、大量のウジ虫がボトボトとこぼれ落ちていた。

 

 鼻をつくような強烈な異臭に胃袋が反応して、中身を全部ぶちまけそうになったが、鼻を摘むことでどうにか堪えた。今までに何度も嗅いだはずなのに、生き物の腐る臭いはどうしても慣れなかった。内蔵を抜かれ、うず高く積まれた猫人の死体の山を前に、鳳たちは絶句していた。

 

 逢魔が刻。太陽は西の空に沈みはじめて、広場を赤く染めていた。その赤が血の赤と混ざりあって、テラテラと光る白に見えた。地面を這うように黒い線があちこちに見えるのは、死体を引きずった痕跡だろうか。恐らく彼らは内蔵を抜かれてからここに運び込まれたのだ。どの死体も苦悶の表情に歪み、光を失った目は当て所無く空中を見つめていた。

 

 牧場で飼われている……もとい、働いている猫人たちと連れ立って、鳳たちはゴブリン退治の依頼をこなすべく、森へと入った。そこは猫人たちが獲物を奪い合う、仁義なきキャットファイトを繰り広げている現場のはずであった。

 

 飼い猫は雇い主である牧場主のために、野良猫はその日の稼ぎのために、各々ゴブリンを狩る数を競い合っているという、そんなほのぼのとした(?)光景を想像していたのだが……しかし、鳳たちが森に入って間もなく辿りついた森の広場には、そんなメルヘンとは一切無縁な、死体の山が築かれていたのだ。

 

「にゃにゃ!? こいつ見たことあるにゃー! いつもミー達に意地悪する野良にゃー……」

 

 猫人の一人がそう告げると、他の猫人たちも死体の山を指出し、どれもこれも見たことのある顔だと言い出した。その数はざっと十は下らない。彼らの声が震えているのは、例え気に食わない相手であっても、見知った顔ばかりだったからだろう。一歩間違えば自分がこうなっていたかも知れない。そのあり得たかも知れない未来が、腹に冷たい鉄の棒を押し付けるような、なんとも言えない圧迫感を感じさせるのだ。

 

「しかし、何故だ! 猫人は強いんだろう!?」

 

 鳳は堪らず叫んだ。ここに来るまでに交わした話では、猫人たちは狼人に勝るとも劣らない狩人だ。いくら集団行動が苦手とは言え、これだけの数が一度にやられるわけがない。それともこんなことが出来るくらい、危険な魔物がこの辺りに棲息してるとでも言うのだろうか。

 

「いや、そんなわけねえよ。そうなら、とっくに村の連中もやられてるよ。ここは人里に近すぎる」

「じゃあ、誰がこんなことしたってんだよ?」

「俺が知るか。とにかく、死体を調べるのが先決だ」

 

 ギヨームはそう言うと、鼻を摘みながら死体の山へと近づいていった。鳳も自分が話を振った手前無視は出来ず、気は乗らなかったが彼のあとに続いた。

 

 うず高く積まれた死体の山は、どれもこれも無残なものだった。まず、ひと目見て分かる死因は、強力な鈍器で殴られたような傷跡である。いくつかの死体は頭が割られて、ぱっくりと開いた傷口から脳みそが覗いていた。他にも腕がおかしな方向にひしゃげていたり、体がくの字に曲がっていたりと、かなりの圧力を加えられた形跡があった。

 

 他に目立つような外傷は無かったが、絶対に無視できなかったのは、全ての死体が腹を割かれて内臓を引きずり出されていたことだった。見た感じ死体のどれもこれも、鳩尾(みぞおち)から下腹部にかけて縦長の傷口があり、そこから胃腸を取り外されているようだった。とても体の中まで手を突っ込んで調べる気にはなれなかったが、体の潰れ方からして、横隔膜を貫いて心臓や肺も摘出されているようである。

 

 こんな猟奇的な真似を行う野生動物などいるはずがない。明らかに人の手が加えられている。しかし誰に、こんなルンペンみたいな生活をしている猫人を襲う理由があるのだ? 彼らに恨みを抱いているという者なら心当たりはあるが……

 

 振り返ると飼い猫たちはショックで正体を失っている。とても連中がこんな酷いことをした上で、しらばっくれているとは思えなかった。じゃあ、他に誰がこんなことをするんだろうか。

 

「……そう言えば、この国は今、戦争中なんだよな? 爺さんを暗殺しようとして、スパイが潜入してるとか?」

「その可能性はあるかも知れないが、どうして野良猫を襲う必要があるんだ。直接、レオの館に行けばいいだろ」

「そりゃそうか。こんな足のつくことするわけないよな……じゃあ、どうして内臓を抜くなんて、エグい殺し方をするんだろうか……」

「そうだな……ん?」

 

 鳳の言葉に反応したギヨームは、急に鼻を摘むことも忘れて腕組みし、どこか深刻そうな表情を浮かべ、鳳の方を見向きもせずに独りごちるように言った。

 

「なあ、おまえ……おまえはいつも、どういう時に内臓を抜いている?」

「はあ!? そんな物騒な真似したことねえよ。まさか、俺を疑ってんのか!?」

「んなわけねえよ! じゃなくて、大森林で散々やってきただろうが。鹿を捕まえた時もクマを捕まえたときも、オアンネスを始末したときも」

 

 鳳は目を瞬かせた。そりゃ、動物を捕らえた時は内臓を取り出すのは当然だろう。体の肉と違って内臓は、消化液や大腸菌のようなものが詰まっているから腐りやすいのだ。少しでも肉を長持ちさせたいなら、胃腸は取り出し、すぐに食べないのであれば、心臓や肝臓のような臓器も捨てたほうがいい……

 

 どうしてギヨームは突然そんなことを聞くんだろうか……? そう思った時、鳳の背筋にゾクゾクとした悪寒が走っていった。

 

「……まさか。これをやったやつは食うつもりなのか!?」

「それは分からないが、少なくとも腐らせたくなかったんじゃねえの。そう考えれば、惨殺された死体が放置されてるんじゃなく、こうして一箇所にまとめられているのも、不自然じゃないだろう」

「不自然と言えば、ここの広場に入ったときから変に思ってたんだ。ここは雑草が少なすぎる。まるで、人が管理しているような……」

「ここを拠点にしている何かが居るのか?」

「何かって何だよ」

「俺が知るかよ」

 

 実際、そうとは限らない。だが、もしもここが何かの巣であるならば、こうして悠長に会話しているのはうかつだったかも知れない。

 

「お兄さん! お兄さん! 何か聞こえます!」

 

 その時、二人のやり取りを遠くの方でおっかなびっくり見ていたマニが、その大きな耳をぴょこぴょこ動かしながら叫んだ。ハッとして振り返ると、それまで同じ種族の仲間がやられて放心状態だった猫人たちも耳をそばだてて、

 

「……ほんとにゃ! 何か聞こえるにゃ!」「どすーん、どすーん、足音かにゃ?」「まだ遠くの方なのに、えらい大きい音なのにゃ!」「に、逃げたほうがいいかにゃ?」

 

 騒ぎ立てる猫人たちの声に耳を傾けていると、やがて鳳の耳にもその音が聞こえてきた。

 

 最初は、トトト……トトト……と、遠くの方で工事でもやってるような感じがして、それがだんだん……ドンッ! ……ドンッ! っと、まるで花火大会でも始まったかのような振動に変わっていって……やがて、ダンプカーが木々をなぎ倒しながら突き進んでいるような騒音が、迷いなく一直線に自分たちの方へ近づいてくるのを感じて……ヤバい……逃げたほうがいい……鳳は強烈な不安を感じた。

 

 もちろん、全員の意見は一致していたが、しかしその時はもう手遅れだった。すぐ近くの木々が、風もないのにザワザワと揺れて、鳳はそっちを振り返った。すると彼の目に、その巨大な影が飛び込んできたのである。

 

「グオオオオオアアアアアアアーーーーーーーーッッッ!!!」

 

 耳をつんざくような咆哮をあげて、緑色の肌をした巨大な生物が目の前に現れた。見たこともない人型のそれは、逆光を背負ってまるで巨大な山のようだった。

 

 まったく想定外の出来事に、思考が追いついていかない。ゴブリンってこんなに大きかったっけ? と他人事のように考えていた時、その巨体が動いた。

 

 巨体の割りに素早い動作でそれが腕を振り上げる。人間の、それも男性の胴回りくらいありそうな太い腕が空中で静止し、目の前でぽかんとしている鳳に向かって振り下ろされた。

 

 鳳は突然の出来事に呆気にとられ、すぐには動けなかったが、

 

「飛鳥っっっ!!!」

 

 と呼ぶ声が耳に届いた瞬間、まるで始めからそうするのが当然であるかのように、体が勝手に後方へとジャンプしていた。

 

 ジャッ!! っと耳障りな風切り音が、彼を掠めて通り過ぎ、ドンッッッ!!! っと、腹の底に響くような音がして、信じられないことに地面がグラグラと揺れていた。

 

 地面からえぐり取られた土塊が、マシンガンジャブのようにバチバチと顔面に当たる。アドレナリンが吹き出しているのか、夕焼けに染まる赤い視界が、やけにスローモーションに動いていた。

 

 鳳は殆ど反射的に後方受け身を取ると、後転飛びの要領で腕だけで体を浮かせ、一回転して着地をした瞬間、腕を前方に突き出し、

 

「ファイヤーボール!!」

 

 と叫んでいた。

 

 しかし、叫んだところで何が起きるわけもない。彼は魔法使いではない、アルケミストなのだ。神技も使えなければ古代呪文も詠唱できない。

 

 なのに咄嗟にこんな信じられない動きをしてしまったのは、前世の記憶がそうさせたからだった。

 

 やってて良かったVRMMO。奇襲をかけられた時に、前衛と後衛を入れ替えるために、何度も練習した連携だった。その証拠に、たった今まで鳳が立っていた場所に、今、ジャンヌが一直線に突っ込んでいる。

 

「こんのおおおおおっっ!!!!」

 

 ガインッッ!! っと金属の棒を叩きつけるような音がして、ジャンヌの剣がモンスターの腕を叩いた。突然の出来事過ぎて、ジャンヌは刃を向ける方を間違えたらしく、剣の腹で叩いてしまったようだが、それで十分のようだった。

 

「ぐわあああああああーーーーっっ!!!」

 

 小手に強烈な一撃を食らったモンスターが、手首を押さえてもんどり打つ。そこへほんの少し遅れて、

 

「ファイヤーボールッッ!!」

 

 後方からメアリーの詠唱が響き、火球が一直線にモンスターに向けて飛んでいった。

 

「ぎゃあああああーーーーーっっ!!」

 

 断末魔の叫びをあげて、モンスターの上半身が炎上する。炎を払い落とそうと腕をめちゃくちゃに振り回し地面を転げ回るが、魔法の炎が消えることはなかった。以前に試した通り、それは対象の脂肪を燃料に燃えているのだ。

 

 緑色の肌をした巨体がゴロゴロと広場を転げ回る。優位に立ったことでようやく落ち着いて相手の姿を観察できたが、それはかつて鳳たちが遊んでいたゲームに出てきたファンタジー生物だった。

 

 顔は扁平に潰れて鼻が上を向いている。鋭く巨大な牙が下顎から上に突き出し、上顎の犬歯と交差していた。目は赤く、緑色の肌に深緑の髪、体毛は濃く黒く見えるが、恐らく髪と同じ色なのだろう。巨大な体は筋骨隆々で、ボディビルダーみたいだった。

 

「オークか……」

 

 鳳は誰にともなく呟いた。後で確認しなければならないが、確かオークと呼ばれる種族のはずである。日本のRPGでお馴染みのイノシシ頭ではなく、海外のファンタジーの出てくるような邪悪な顔の巨躯のモンスターだ。体の大きさは人間の倍くらいあり、ジャンヌよりも二回りか三回りは大きい感じだった。

 

 見た目通り、とんでもないパワーの持ち主で、鳳みたいな低レベル冒険者は一撃で殺されても文句も言えないような相手である。しかし、ゲームではそこそこ高レベルな狩場に出現するモンスターのはずだったが、この世界ではこんな人里近くに現れるのだろうか……? もしそうなら、被害なんてゴブリンの比じゃないだろうに。

 

 鳳がそんなことを考えて首をひねっていると、

 

「オークだって……? これが? そんな馬鹿な。俺ははじめて見たぞ」

 

 背後でギヨームが呟くように言った。

 

「え? おまえくらいの冒険者でも見たことないの?」

「ああ、帝国でも、ブレイブランドでも、オークが出現したなんて話は聞いたことがない。俺は、オークとは大森林にたまに現れる、巨大魔族だってことしか知らないぞ」

「しかし、現にこうして現れたじゃないか」

「本当にそれはオークで間違いないのか? 何かの勘違いじゃないのか。こんな人里に現れていいような魔族じゃねえぞ」

「えーっと……ジャンヌはどう思う?」

 

 鳳がその魔物を見たことがあるのは、前世のゲームでの話である。だから、本当なのかと問われても、絶対にそうだとは言い切れなかった。しかし、同じゲームをやっていたジャンヌなら話は別だ。彼が尋ねてみると、ジャンヌは頷いて、

 

「私も白ちゃんと同意見よ。でも、それは多分、私達が前の世界で同じゲームをしていたからよね。こっちの世界でも同じとは限らないかも」

「またお前らの前世の話か……そう言えば、神技や古代呪文は、おまえらの言うゲームと共通だったんだっけ? だったら、本当にそうなのかも知れねえな」

 

 ギヨームは納得はし難いが、他にこれと言った候補があるわけでもない、という消極的な理由でそれをオークと考えることにした。と言うよりも、現状、呼び方などどうでもいいことなのだ。

 

「とにかく、一度ギルドに戻って報告しよう。こりゃ、俺たちだけでどうにか出来る問題じゃないぜ」

「そうだな。オークもそうだが……猫人たちの死体も放置してはおけない。(おまえ)たちもそれでいいか?」

「にゃあ~……ユー達に任せるにゃ」「ミー達はもうくたくたにゃ」「早くお墓を作ってやりたいにゃ」

 

 猫人たちは力なく返事した。気に食わない相手であるとは言え、同じ種族の仲間が惨たらしく殺されたのだ。その上、あんな怪物に襲われては堪らないだろう。鳳は彼らを慮って、せめて花でも手向けてやろうと周囲を見渡した時だった。

 

 鳳は視界の片隅に、何か見てはいけないものが映ったような気がした。彼は嫌なものをうっかり直視してしまった時のように、瞬間的にそれから目を逸らそうとしたが、すぐに駄目だと思い直し、たった今気になった方へと視線を戻した。

 

 そんなはずはないのだ。

 

 ありえないのだ。

 

 まさかたった今、メアリーの魔法で倒されたばかりの……ギヨームでさえ見たことがなかったという魔物が、立て続けに現れるなんて……

 

「ちょ、ちょっと待ってください、皆さん! また何かが近づいてきてます……いや、もう囲まれてる!!」

 

 マニの叫び声に呼応するかのように、森の木々がザワザワとざわめいた。見ればいつの間にか、緑色の肌をした巨漢の魔族たちが、森の広場を取り囲むように立っていた。しかもその数が尋常ではない。

 

「……嘘だろ?」

 

 それはたった一体だけでも人を絶望させるに足るというのに、今、鳳の目には少なくとも、ざっと数えて十体ものオークが映っていたのである。

 


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