ラストスタリオン   作:水月一人

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オークの群れ

 森の広場を取り囲むように、緑色の肌をした巨大な魔族が立っていた。じろりと睨みつけてくる赤い目を見ていると、それだけで気が遠くなりそうな圧力を感じる。四肢は筋肉がムキムキで大人の胴回りくらいの太さがあった。

 

 あれで殴りつけられたら鳳では良くて即死、悪ければもがき苦しんだ末に死ぬだろう。実際、さっき始末した一体がつけた地面の穴は、クレーターみたいにえぐれていた。たった一体でもそれなのに、そんなのが10体も取り囲んでいるのだ。

 

 やばい、こんなの絶対勝てっこない……退路を確保しようと振り返った先にも、待ち構えているかのようにオークが立っていた。右も左も当然、水も漏らさぬ構えである。見れば最初に襲ってきた一体は素手だったというのに、今度の連中は棍棒を(もはや鳳たちからすれば丸太なのだが……)、そんな巨大な武器を軽々と握りしめていた。

 

 武器を持ち、戦術もある……こいつらはただの馬鹿じゃない。

 

「一点突破だ! とにかく逃げろ!!」

 

 完全な不意打ちを追い返すほどの力は鳳たちにはなかった。半分は出会ったばかりの猫人だったし、マニは非戦闘員だ。おまけに、鳳もゴブリン退治に必要ないだろうと思って、いつもの愛銃を置いてきてしまった。あるのはカバンの中の貧弱なナイフ一本である。要するに、自分が一番お間抜けだ。

 

「紫電一閃っっ!!!」

 

 鳳の声に呼応するように、ジャンヌが敵の一番薄いところへ突っ込んでいった。いつもの得意技をぶっ放して、そこに穴を開けるつもりだ。

 

 今や切り込み隊長として彼以上に信頼できる者が、果たして人類にいるだろうか。鳳がその背中を追い、ギヨームが牽制のための銃弾を周囲にばら撒き、メアリーとマニが慌てている猫人たちを引っ張って後に続く……

 

 ところが、

 

「きゃああーーーっっ!!」

 

 なんと、先頭を行くジャンヌが野太い悲鳴をあげて倒れたのである。全幅の信頼を置いていた鳳は、一瞬何が起きたのか、完全に我を失った。その背中に後ろを向いていたギヨームが突っ込み、二人もみ合うように地面に倒れ込む。

 

「なにやってんだ!!」

「ジャンヌ!!」

 

 怒鳴りつけてくるギヨームを無視して鳳が叫ぶ。オークに倒されたジャンヌは辛うじて敵の攻撃を受け止めていたようで、

 

「だ、大丈夫!」

 

 その声に、ほっと肩をなでおろす。

 

 ジャンヌの突撃は完璧だった。いつもの威力、いつものキレで、前方のオークに突っ込んでいった。しかし、そこに二体居たのが運の尽きだった。

 

 ジャンヌは最初の一体を、持っている丸太ごとたたっ斬り、二体目もその勢いのまま薙ぎ払おうとした。しかし、威力を失っていた剣は、二体目のオークによって、軽く叩き落とされてしまったのである。

 

 ゲームならそんな技後硬直はあり得ない。これは現実なのだ。

 

 横に薙ぎ払おうとしていた剣を上から叩かれたジャンヌは剣を取り落し、慌てて拾おうとしたその背中に、容赦なくオークの一撃が加えられる。それは鳳の目には死を予感させるほどの直撃に見えた。しかしSTRが高いだけではなく、VITも高いジャンヌは、その一撃を食らってもなお健在で、伸し掛かるオークの攻撃を、辛うじて素手で受け止めていた。

 

「ファイヤーボール!!」

 

 先鋒のジャンヌが倒されたことで進軍が止まった鳳たちに向かって、容赦なく他のオーク達が殺到する。慌ててギヨームとメアリーが応戦するが、ほんの一瞬の隙が命取りとなった。

 

 既に二体もの仲間がやられていたことで、邪悪な魔族も激昂しているのだろうか。滅茶苦茶に振り回す丸太が地面に当たるたびに、本当に地震のように地面が揺れた。恐らく、あれに当たったらひとたまりもないだろう。

 

「ぎにゃああああーーーーーーっっ!!!」「ふううぅぅぅぅーーーっっ!!!」「しゃああああーーーっっ!!!」

 

 しかし怯んでいる場合でもない、オークたちの突進に呼応するかのように、猫たちが飛びかかっていく。彼らはぶん回される丸太をかいくぐり、手にした鉄の短剣や爪で魔族の肌を引き裂いていった。鉄の爪は驚くほど鋭利で、分厚いオークの緑色の肌もやすやすと引き裂き、鮮血が飛び散り敵を怯ませる。

 

 だが、それだけではまだ致命傷に至らず、オークはすぐに気を取り直すと、煩い蝿でも追い払うかのように、丸太を持たないもう片方の手で猫たちに応戦した。

 

「鳳ぃぃっっ! なんとかしろっ!!!」

 

 猫たちも入り乱れる大乱戦に、本来なら中衛のギヨームが焦りの悲鳴を上げる。彼の射撃は恐ろしく正確だが、正確ゆえにこの乱戦の中では神経をすり減らすだけなのだ。おまけに、銃を扱う彼の攻撃は、さっきから殆ど効いていないようだった。

 

 しかしそんなこと言われても、この状況をどう覆せというのだろうか……? 自分の手元にはナイフが一本とそれが入った雑嚢しかない。マニは必死になって投石している。猫たちは興奮して言うことを聞かない。メアリーはファイヤーボールを連発しているが、敵も馬鹿ではないのでさっきから外しまくっている。MP管理はちゃんとしてるのだろうか? このままではジリ貧だ……

 

 やはり、この状況を脱するには、まずはオークと格闘しているジャンヌを救出しなければならない。

 

「メアリー! 合図したらスタンクラウドを撃ってくれ!!」

「でもっ……」

 

 鳳の言葉に、困惑気味の返事が返ってくる。当たり前だ、こんな乱戦状態でそんなのを撃ったら、味方も巻き込まれてしまう。しかし、迷っている場合じゃない。

 

「マニ! 俺が突破口を開けるから、とにかく逃げろ!!!」

「え!? 逃げるなんて……」

「いいから、逃げろ! 出来るだけ遠くに! でも呼んだらすぐ帰ってこれる程度に!!」

 

 マニが真っ青な表情で頷いた。マニは保険だ。鳳はそれを確認してから、雑嚢の中身を全部ぶちまけ、代わりにその中に地面の土を詰められるだけ詰め込んで、

 

「……こんのおおおぉぉーーーーーっっっっ!!!!」

 

 土を詰め込まれてずっしりと重くなった雑嚢を、彼はハンマー投げの要領でグルグル回転させながら、ジャンヌに覆いかぶさるように迫っているオークに向かって突進した。

 

 ゴッッッ……!!

 

 鈍い音がして、鳳の雑嚢がオークの後頭部に振り下ろされた。何度も回転を加えて遠心力を蓄えた一撃が襲うと、オークの全体重を腕だけで必死に受け止めていたジャンヌの顔まで苦痛で歪んだ。

 

 だが、力自慢の彼がそんな顔をするくらいだ。直撃を食らったオークはひとたまりもないだろう。後頭部に重い一撃を食らったオークは、一瞬、タイマンに割り込んできた邪魔者に、血走った目を向けて怒りの声をあげたが、すぐに糸の切れた人形のようにプツリと脱力すると、そのまま地面にズシンと倒れ込んだ。

 

 ジャンヌがその下からオークの体を押しのけるようにして這い出してくる。

 

「助かったわ、白ちゃん」

 

 鳳は地面に転がっていた彼の剣を手渡すと、

 

「話は後だ、とにかくオークをひきつけてくれ!! 全部をひとまとめにするつもりでだっ! 出来るだろ!?」

「わかったわっ!」

 

 ジャンヌはそれだけで鳳が何を期待しているか分かったようだった。伊達に長い付き合いをしてるわけじゃない。彼が戦線に復帰すると、明らかにメアリーとギヨームが気の緩んだ表情を見せていた。

 

 ジャンヌは鳳に言われた通り、見事にオークたちのヘイトを稼いで、猫たちから魔族を引き剥がしている。鳳はそんな彼らに向かって、

 

「悪く思うなよ……メアリーッ!! やっちまえっ!! スタンクラウドだっっ!!」

 

 鳳の叫び声にギヨームがぎょっとした表情を見せる。逆にメアリーの方ははっとした表情を見せ、すかさず、

 

「スタンクラウドッッ!!」

 

 彼女が古代呪文を詠唱した瞬間、森の広場で揉み合うようにぶつかりあっていた全員が、一斉に攻撃を止めて、バタバタとその場に倒れていった。鳳だけが、スタンクラウドの効果範囲が届くよりまえに広場から離れようとダッシュしたが、

 

「ぐぎぎぎぎぎ……」

 

 あとちょっとのところで雲に巻かれて、あえなく撃沈してしまった。

 

 幾度となくオアンネスを仕留めてきた経験からか、それともメアリー固有の能力なのか、思った以上に彼女の魔法の効果範囲は広かったようである。

 

 この魔法を食らうのは人生二度目であったが、何度やられてもきついと言わざるを得ない。全身の神経が麻痺して動かず、無理に動かそうとすると、長時間正座した時のような耐え難い苦痛が体を駆け巡るのだ。

 

「うひ……うひひひっ……こりゃ堪らん」

 

 鳳がもんどり打っていると、広場の中央で同じく撃沈していたギヨームが怒気を含んだ声で叫んだ。

 

「おい、てめえ! ろうするつもりらっ!! 俺らも動けねえじゃねえかっ!!」

 

 舌っ足らずの声が震えているのは痺れているからだけではなく、直ぐ側にオークが倒れているからだろう。どっちが先に回復するか分からないのに、痺れが取れた方から一方的に攻撃を食らう可能性があるのだから、彼からしてみれば恐ろしくて仕方ないだろう。

 

 しかし鳳は慌てず騒がず、

 

「らいじょうぶ、手は打ってある。マニー! マニー! プリーズ ギブミー サム マニー!」

 

 まるで昭和の芸人みたいなセリフを叫ぶと、遠くの方からひょっこりと、さっき逃したマニが顔を表した。言われた通り、ちゃんと遠くまで逃げて、なおかつ、仲間を見捨てずに待機していたようである。

 

 正直なところ、もし彼が鳳たちを見捨てて本気で逃げてしまっていたら、アウトだったのだ。いざという時、ちゃんと踏みとどまれるのは、さすがガルガンチュアの息子である。鳳は安堵の息を漏らした。

 

「マニ。見ての通り、今動けるのは君らけら。後は分かるね?」

 

 マニはこくこくと頷くと、すぐそばに落ちていたジャンヌの剣を拾い上げて……少し考えてから、武器を鳳の雑嚢に代えて、それをオークの頭に向けて、力いっぱい振り下ろした。

 

*****************************

 

 全身の痺れが抜けた後、鳳たちは寄り添うように広場の地面に腰を下ろし、くたくたになって項垂れていた。脳みそは痛みを感じないと言うが、頭蓋骨に沿って張り巡らされた神経細胞が痺れていて、なんと言うか、思考がぼやけるような気怠さがあった。誰も彼もがもう一歩も動けないと、その表情で語っているかのようである。

 

 周囲にはさっきまで必死になって戦っていたオークの死体が転がっており、そのすぐそばには、可愛そうな野良猫たちの無残な死骸が積み重なっている。その、猫人たちの死体から湧いた銀蝿が、今度は動かなくなったオークの死体に集っていた。盛者必衰、諸行無常。自然とはなんと儚いものであろうか。

 

 一歩間違えば、そこに転がっているのはオークではなく自分たちだったろう。そんなギリギリの状況を脱したというのに、喜びを感じるどころか、彼らに残っていたのは、ひたすら疲労感だけだった。

 

 ため息しか出ない。もうさっさと帰って風呂にでも入りたい気分だ。だが、そう出来ないのは言うまでもなかった。これを放置して帰ってしまうには、あまりにも異常な事態だった。

 

「一体全体、どうなってやがんだ、こいつは……」

 

 ギヨームが吐き捨てるように独りごちた。このオークは、一体どこからやってきたのだろうか? さっき彼の説明にもあったように、本来、こんな人里近くにオークなんて魔族が現れるはずがないのである。

 

 改めて彼の語るところによれば、オークとはネウロイの強力な魔族の一種で、北半球まで滅多なことではやってこない生き物のようである。というのも、たった今自分たちが経験したように、オークは強力すぎるから、そんなものが通り過ぎようものなら大騒ぎになって、獣人たちの部族が見過ごすはずがないのだ。

 

 だから、たまに獣人の少ない東海岸を北上し、帝国に入ってくるハグレはいるらしいのだが、大陸の反対側にある勇者領に来ることはほぼ皆無。というか、有史以来一度もなかった。

 

 なのに、そんなのが複数体も……群れを作って……見たところ、狩りまでやっていたようだから、こんなのを放っておけるわけがなかった。

 

「とにかく、私達だけで考えてても仕方ないわ。一度ギルドに帰って、ギルド長の指示を仰ぎましょう」

「ああ、そうだな……まずは報告しなきゃ何も始まらない。猫たちもそれでいいか?」

 

 鳳がジャンヌに賛同し、しょんぼりしている猫人たちに提案すると、彼らはどことなく物悲しげな表情で、

 

「にゃあ~……それはユー達に任せるにゃ。ミー達はここに残って、野良のお墓を作ってるにゃ」

「……もしかすると、オークがまだいるかも知れないぞ? お前達だけ残るのは危険過ぎないか」

「そしたら逃げるから平気にゃ」

 

 猫たちはそう言うと、鳳たちの返事を聞かずに、自分たちの武器である鉄の剣や爪を使って地面を掘り始めた。広場はオークたちに踏み固められていたのか、とても硬そうだった。だが、猫たちは文句一つ言うこと無く、黙々とその地面を掘り返していた。

 

 猫人は他の種族と違って協調性が無いせいで、大森林から淘汰されてしまったらしい。人里にやってきても、人に飼われる飼い猫と野良猫とで縄張り争いをしているくらいだ。

 

 だが、協調性が無いからと言って薄情であるわけではない。彼らはライバル関係にあっても、決して相手を憎んだことなどなかったのだ。シュンと打ちひしがれる彼らをそっとしておくことにして、鳳たちは今日辿ってきた道を逆に歩き出した。

 

 日が暮れて藍色の空には星が輝いており、森の中はもう殆ど見えなくなっていた。

 


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