ヴィンチ村に来てから一ヶ月が経過した。村に着いて早々、オークの群れとの戦いという稀有な出来事に遭遇したものの、それ以降は特にこれといったこともなく、比較的穏やかな日々だった。
あの日、オークの死体が運び込まれてから、村は厳戒態勢に入り、冒険者達を雇って近隣の森を探索し続けていたのだが、あれ以来、オークは二度と現れることはなかった。鳳たちは村人たちに請われて、毎日のように森に入っていたのだが、まるで何事も無かったかのように、森はひっそりと静まり返っており、ゴブリンやコボルト、小型の草食魔獣を時折見かける程度の、どこにでもある森の周縁部に戻っていた。
どうしてあんな場所に、ネウロイにしかいないはずのオークの群れが存在したのかはさっぱりわからなかったが、そのわからないと言う事実が指し示すように、やはりあれは相当な特殊ケースだったのだろう。
そんなわけで、村人たちも当初こそ厳戒態勢でピリピリとしていたが、一週間が過ぎ、二週間が過ぎて何事も起こらないと、徐々に平常を取り戻していき、一ヶ月経った今ではもう、誰もオークのことなんか忘れてしまったかのようにふるまっていた。
それは鳳の仲間も同じことで、森が安全であることを確認すると、まずはギヨームがもう十分だろうと言って離脱し、ジャンヌも他のことがしたいからと言い出して、ルーシーは初めからレオナルドにとっ捕まっていたから、最終的に残ったのはメアリーとマニだけになってしまった。
そのメアリーも、同じ依頼を受けていてもレベルアップは出来ないからと、打開策を求めて今日はレオナルドに相談したいと言い出したことで、ついに二人になってしまった鳳たちは、
「……今日は俺たちもお休みにしようか?」
と言うことになった。
別に二人で行けばいいじゃんと思いもしたが、鳳とマニが二人でゴブリン退治をしたところで何になろうか。他の仲間がいなければ危険だと言うわけではなく、この二人でも十分やれてしまうのがゴブリン退治という依頼なのである。
この一ヶ月、それを続けていた鳳は、初日にギヨームが渋った理由をようやく理解した。ゴブリン退治は誰かがやらなければならないものだが、冒険者が積極的にやるようなものではないのである。
そんなわけで、ギルドでミーティアに何かめぼしい依頼がないかと確認したあと、鳳たちは近場の沢まで釣りに出かけることにした。ゴブリン退治の途中で見かけたので、そのうち遊びに行こうと思っていたのだ。
大森林にいる間は、毎日のように食料の確保に奔走したものだが、ヴィンチ村に来てからはなんでも誰かがやってくれるので物足りなかった。久々の釣りにウキウキしつつ、大漁だったらバーベキューしようぜと言いながら、二人で牧場の方まで歩いてくると、村の入口にある案内板の前に、ジャンヌと猫人たちがいるのが見えた。見た感じ、ジャンヌの馬を、猫人たちが連れてきたようである。
「よう、ジャンヌ! まだ出掛けてなかったのか。俺たちこれから釣りにいくんだけど、一緒にどうだ?」
「あら、白ちゃん。今日はギルドの方はいいの?」
「メアリーが毎日同じこと繰り返しても意味ないって。だから今日は休暇になった」
「そうなの。事前に言ってくれてれば私も付き合えたんだけど……先生をおまたせしてるから、ごめんなさいね」
ジャンヌはがっくりと項垂れている。
彼は現在、村から少し離れたところにある街の道場に出稽古に通っていた。この間のオークとの戦いで、敵に剣を叩き落されたことで己の技量不足を痛感したらしい。あの時、最前線の彼が落ちたことで、あと一歩で壊滅という状況にまで追い込まれた。たまたま猫人たちが同行していたから良かったものの、もし彼らがいなければ、誰かが犠牲になっていた可能性もあった。
そんなわけでジャンヌは、今までのステータスとスキルに頼った戦い方は見直し、基本から剣術というものを学ぼうと考えた。元々、彼は剣士とは言ってもゲームの中の話なので、完全に我流だったから学ぶものは多いようである。
以前、鳳が自分のステータスで試した通り、ステータスとはバフのことだから、彼が基本を学んだらどれくらい強くなるのか今から楽しみである。
「ユー達は、お魚を取るのかにゃ?」「上手に取れるかにゃ?」「お魚取るなら、食べる係が必要にゃ」
鳳たちは街へ向かうジャンヌを見送った後、二人で釣りに出かけようとした。すると、ジャンヌとの会話を聞いていた猫人たちがソワソワしながら近づいてきて、一緒に連れてってと言い出した。
「ゴブリン退治はいいのかよ? 牧場長に怒られるぞ」
「ゴブリンは毎日狩れるにゃ。お魚はたまにしか食べられないにゃ」「お魚を食べると頭が良くなるにゃ」「体にもいいにゃ」
やはり大きくても猫は猫。目が爛々と輝いている。もはや何を言っても、着いてくる気満々のようである。鳳はため息をつくと、
「じゃあ、牧場長にお願いして、良いって言われたらいいよ」
「ホントかにゃ!? すぐ聞いてくるにゃッッ!!」「にゃにゃにゃ~!」「おさかな天国にゃ!」
牧場長はオーク退治の貢献もあり、ここのところよく働いてくれてるから、鳳と一緒なら良いと許可してくれたようだ。その代わり、どうせ河原に行くのなら、彼らが使っている武器の手入れをしてもらってこいと、武器がいっぱいに積まれた大八車を押し付けられてしまった。
本当は、渓流釣りにいくつもりだったのだが……猫人たちをちらりと見ると、浮かれすぎて、もはや完全に猫に戻っている。今更、やっぱ駄目と言ったら暴動が起きるだろう。
仕方ない。食い意地の張っている猫相手なら、多分、大物狙いの方がいいだろう。渓流釣りはやめて、下流の汽水域で頑張ってみることにしよう。そこまで行けば、海から遡上してくる大きめの魚もいるはずだ。
この辺には、どんな魚がいるのかな? とワクワクしながら、鳳たちは二頭の馬に大八車を引かせ、ガラガラ音を立てながら村から出ていった。
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猫人たちの使っている鉄の武器は、全部合わせて総重量数百キロはありそうだった。二頭の馬に引かせているのだが、坂道のたびに機嫌を損ねるので、なかなかハードな道のりだった。
鳳たちが後ろから車を押して、ようやく峠を越えられるレベルなので、河原に着く頃には汗だくになっていた。牧場長は休暇と言っていたが、体よくお使いを押し付けられたようである。
それにしても、武器の状態は錆びついてたり、刃が欠けたりして、どれもこれも酷いものだった。これだけ大量の武器を一度に修理に出すなんて、普段から村でちゃんと手入れしてれば済む話だろうに、なんでそうしないんだろう、ずぼらなのか……? そう思ったところで、鳳は以前、レオナルドと話した獣人の創造性問題を思い出した。
獣人は創造性が乏しいせいか、道具を作ったり扱ったりすることが苦手なのだ。彼らは例えば鉄の剣に獣の脂が付着していても、それを拭い取って綺麗にするという考えが思い浮かばない。そのまま放置していたら切れ味は落ちるし、確実に錆びてしまうのだが……何度も錆びた物を見ているにも関わらず、彼らはその錆の元を拭い去るという考えに至らないのだ。
だからたまに、牧場の人が猫人たちの武器の状態を見て、こうしてお使いに出しているのだろう。ガルガンチュアの村でも思ったことだが、獣人は素手でも強いのだから、武器を使えばもっと強いはずだ。人間と一緒に暮らしていると、こういうメリットもあるのだなと、彼はほんの少し感心した。
たどり着いた河原のあちこちから、黒い煙が上がっていた。
携帯式の七輪のような台の上に、耐熱レンガで作ったかまどが乗せられている。七輪に炭を入れ、フイゴや火吹き棒で空気を送り、高温になったかまどで熱した鉄を、金床でカンカン叩くのだ。
恐らく、都市にはちゃんとした鍛冶屋が定住しているのだろうが、この世界ではまだまだ村から村へと野鍛冶が渡り歩いているようである。おそらく、あの蜥蜴人キャラバンと行動を共にしているのではなかろうか。
近隣の町や村からやってきた奥様たちが、壊れた鉄鍋やバケツを直してもらいながら、ぺちゃくちゃと井戸端会議を繰り広げている横を通り過ぎ、大八車を引きながら、どの鍛冶屋に頼もうかとキョロキョロしていると、バザールの方から一人の蜥蜴人が小走りで近づいてきた。
何か売りつけようとでもしてるのかなと身構えていると、
「そこのあなた! もしや、鳳さんではございませんか?」
「え!? そういうあんたは……ゲッコー??」
鳳がそう問い返すと、蜥蜴人はなんとも形容のし難い不思議な笑顔を見せながら、
「やはり鳳さんでしたか! こんなところで会えるのも奇遇なら、私の顔まで覚えていてくださったなんて光栄です。人間の皆様は、大概、蜥蜴人の顔など見分けがつかないと言って、覚えていてくださらないのですが……」
もちろん、顔で見分けがついたわけではない。単に、彼以外に蜥蜴人の知り合いなどいないから当てずっぽうだったのであるが……まあ、喜んでるみたいだから黙っておく。
「いやあ、久しぶりだね。元気してた? あれからも大森林を行ったり来たりしていたの?」
「はい、2回ほど往復しました。ですから、あなた方が集落を追い出されてしまったことも聞いております」
ゲッコーは額に手を当ててヤレヤレといった感じのジェスチャーをしながら、
「この噂が知れ渡ってしまったせいで、まだ後任の駐在員が決まっていないようですね。僭越ながらギルドのお使いで、あの後ガルガンチュアの集落を訪れたのですが、職員が不在で参ってしまいました」
「そうなんだ……爺さんは何も言ってなかったから、平気だと思ってたのに」
「ほとぼりが冷める頃には決まるでしょう、お気になさらないのがよろしいかと」
「そう言えば、胡椒の方はどうなった? あれからちゃんと供給してもらえてるの?」
「お陰様で! その節はどうもありがとうございました。ただ、兎人たちは相変わらず気まぐれで、供給量がまちまちなので、胡椒は未だに高級品の域を出ない状況です。こちらで栽培出来ればそれが一番なのですが……」
「難しいらしいね」
そんな世間話をしていると、ゲッコーは鳳が引いていた大八車の中を覗き込み、
「ところでこれは? もしかして、今日は武器をお売りにいらっしゃったんですか?」
「いや、違うんだ。これは
鳳が指差しながら説明すると、いつも騒がしい猫人たちは、まるで借りてきた猫のように大人しくなっていた。どうやらこいつら、猫をかぶっているらしい。
ゲッコーはふんふんと頷いて、
「でしたら、私にお手伝いさせてください。キャラバンに同行してもらっている鍛冶師に頼んでみましょう」
知人が勧めてくれるのだから悪いことはないだろう。鳳は助かると言って彼におまかせすることにした。
紹介された鍛冶師は彼のキャラバンに同行している野鍛冶たちの親方で、何というかいかにも頑固一徹ってな感じの老人だった。日焼けした真っ赤な顔に真っ白な頭髪が生えていた。握手を交わす手のひらは、熟練の技術者らしくがっしり大きくて、皮膚が厚くカサカサしている。
鍛冶師は鳳が持ってきた武器の山を見るなり、一体どういう使い方をしたらこんなことになるんだと腹を立ててみせたが、背後に控えている猫人たちを見てため息を吐くと、何も言わずに槌を叩き始めた。
まずは酸に漬けて表面に浮かんだ錆をざっと落とし、続いて弟子の研ぎ師が細かい部分を削り落とし、その後、かまどで熱して打ち直し、よくわからないが、これ以上錆びないように加工してくれてるようだった。ハンマーなどの鈍器はそれで終わり、刃物はちゃんと出来上がった物をまた研ぎ師が鏡みたいになるまで磨いてくれている。
一連の流れ作業のスピードや、時折やってくる弟子たちにアドバイスする姿を見る限り、彼らはかなり熟練した鍛冶師のグループのようだ。鳳はふと思い立って、もしかして彼なら釣具を作れないかと思い、質問してみることにした。
現在、鳳たちは釣りをする際、水筒に糸を巻き付けただけの簡単なリールを使っているのだが、流石に不便で、出来れば投釣り用のスピニングリールなんかがあったら良いなと思っていたのだ。
元の世界であれば、安いものなら千円もしないで買えたものだが……もしかして、こっちの世界にもないかなと思って、色々と質問をしながら似たようなものを作れないかと話していると……
「……おい、兄ちゃん。仕事の邪魔だ。あんま顔を近づけんなよ」
いつの間にか親方の背後にマニが立っていて、仕事をしている彼の手元を熱心に見つめていた。何か気になることでもあるのかな? と思い尋ねてみると、
「鉄の道具ってこうやって作るんだ……」
彼は一度もこちらへ視線を戻さずに、興味深そうに目をパチクリさせながら呟いた。どうやら、鍛冶仕事に興味があるようだ。
思えば獣人は道具を使わないから、彼はこれだけ沢山の鉄器が並んでるのを見るのが初めてだったのかも知れない。村にやってくるトカゲ商人は、もちろん鉄の道具も商品として持ち込んでいただろうが、獣人たちはそれを使いこなせない。だから誰も買わなかったのだろうが、マニはそんな武器の数々を見て不思議に思っていたに違いない。
彼は、彼自身が罠を作るから、鉄の道具があった方が、何をするにも効率がいいことを知っていたのだ。そう言えば以前、釣り道具のスプーンを作ったときも、熱心にその作業というか、金槌の方を見つめていた。もしかすると、こういった工作全般に興味があるのかも知れない。
彼は鍛冶師の仕事を見ながら、何度か迷うような素振りを見せた後、おずおずとお願いするように言った。
「あの、おじさん……良かったら僕にその仕事を教えてくれませんか?」
すると鍛冶師は一瞬ゲゲッとした嫌そうな表情を見せた後、すぐに渋面を作り、
「冗談じゃねえよ。お前ら獣人に鍛冶仕事が出来るもんか。見ろ、こいつらが持ってきた道具を……錆だらけじゃねえか。鉄は放置していたらすぐに駄目になる。ちゃんとした手入れが必要なんだ。それをこいつらは、いくら言っても理解しやがらない。道具をほったらかして遊んでやがる。こんなんじゃ宝の持ち腐れだ。こっちは金もらってるからやってやってるが、本当なら大事な道具を渡したくないくらいなんだぜ?」
鍛冶師は憤懣やるかたないと嘆いてみせた。恐らく彼の長い人生で、獣人との間で幾度となく繰り返されたやり取りなのだろう。しかし、鳳はシュンとしょげかえるマニに変わって進み出ると、
「いや、親方さん。あなたの言ってることは正しいですよ、俺も身に覚えがある。獣人は本当に物覚えが悪い。でも、こいつはちょっと違うんですよ」
「なにぃ?」
「例えばこれ、俺たちが今使ってる釣具ですが、こいつと一緒に作ったものです。竹ひごを使って、もっと複雑な
鍛冶師は訝しげに鳳のことを見つめながら、
「そんな獣人居るわけねえだろ? おまえさんが話を盛ってるんじゃねえのか」
鳳は苦笑しながら、
「そこまで言うなら、一度試してみてはいただけませんか。親方さんの言う通り、使えなければ追い返してくれればいいんだし」
「うーん……」
「もし、鍛冶が出来る獣人がいたとしたら面白いと思いませんか? それがあなたの弟子なら、なおさら面白いじゃありませんか」
鳳がそう熱心に勧めると、流石の鍛冶師も少し心が動いたようだった。しかし、これまでの経験から、獣人に失望していた彼を動かすには、あとひと押しが足りないようだった。
鳳が、もっと彼の興味を惹く方法はないかと頭を悩ませていると、二人のやり取りを見ていたゲッコーが助け船を出すように、話に割り込んできた。
「親方。私からもお願いします。実は彼らは
「なに? 大君の……それを早く言わねえか」
レオナルドの名前が出たら、鍛冶師はそれ以上悩むこと無く、一発で認めてくれた。あと一歩まで詰めていたのもあるが、やはりタイクーンのネームバリューは、ここ勇者領では絶大のようである。
取り敢えず、試用期間は一週間ということで、それで目があるようならそのまま弟子にしてくれるそうだ。早速、仕事を教えてやるという親方に連れられて、マニは他の弟子たちに挨拶をしに向かった。
鳳はその後姿を優しい目で見送っていたが……何か忘れているような気がして、ふと首を傾げた。
そう言えば、ここには何をしに来たんだっけ? そう思いながら振り返ると、猫人たちがヒゲをよれよれと萎ませながら立っていた。
「お魚はまだかにゃ~……」
そうだった。ここへは元々、釣りをしに来たんだった。相棒が離脱してしまい、相談しようとしていた釣具の話もどっかへ行ってしまった。この状況で、腹ペコの猫人たちの胃袋を満たす釣果が期待できるんだろうか……
鳳は口の端っこを引きつらせながら、取り敢えず猫人たちと一緒に、釣れそうな場所を探して河原を歩いた。