ラストスタリオン   作:水月一人

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これがわからない

 久しぶりの休暇を取った鳳たちは、趣味の釣りに出掛けようとしていたところ、魚と聞いたら目がない猫人たちに捕まって、一緒に河原まで行くことになった。そこに来ている野鍛冶に、猫たちの武器の手入れを頼むつもりだったのだが、思いがけずマニが鍛冶仕事に興味を抱いた様子で、その場で鍛冶師に弟子入りしてしまうのだった。

 

 人間社会を見学したいと言っていたマニに、良かれと思って勧めたのだが、ふと背後を振り返れば、猫人たちがお腹を空かせて待っていた。そう言えば釣りに来たんだった。鳳だけでは、彼らが満足してくれるだけの魚が穫れるか自信は無かったが、とにかくまあ、やるしかないだろう。

 

 出来ればバザールが見える辺りで釣りをしたいところだったが、周囲であんなにカンカンやられてしまっては魚がいるとは思えない。鳳はマニをトカゲ商人のゲッコーに預けると、猫人たちを連れて、汽水域を目指して下流方向へと歩き出した。

 

 しかし、この選択が裏目に出ることとなる。

 

 鳳たちがいま居るのは、勇者領と大森林とを隔てる境にある河川だった。これは元々、勇者領の首都ニューアムステルダムに流れ込んでいた川だったが、干拓事業で流れを逸らして、直接海に流れ込むようにしたものである。水源はなんと大森林を抜け、ヘルメス領をも越えて、ボヘミアまで続いているそうだ。

 

 そんな大河川の流れを変えたせいで、昔は氾濫が多かったのだろうか。思った以上にしっかりとした堤防が整備されていて、勇者領を作った人たちの技術の高さが窺える。多分、勇者やレオナルドだけではなく、他の放浪者(バガボンド)も関わっているのではなかろうか。

 

 古今東西、堤防なんてものはどれも似たようなものだから、土手の向こうに高速道路が見えないだけで、ここが東京だと言われたら、うっかり信じてしまいそうな雰囲気である。

 

 尤も、似ているのは堤防だけで、その水質の方は段違いであった。なんというか、悪い方向にである。東京とは違いここらの河川には、近隣の村や街から出る生活排水が流れ込んでいて、下流に行くほど水質汚染が広がってしまい、見る影もなかったのだ。

 

 元々、東京の河川もそれはそれは酷いものだったらしいが、64年の東京オリンピックを契機に治水工事が進み、21世紀には鮎が遡上するくらい綺麗になったという経緯がある。やはり、人が集まる場所にあって、規制がなにも無ければ、川はあっという間に汚物で埋め尽くされてしまうようだ。

 

 強烈な臭気を放っている、まるでガンジス川みたいな河川を前にして、鳳が呆然としていると、猫たちがソワソワしながら、

 

「こんなドブ川でもお魚は穫れるかにゃ?」

「いやあ、獲れたとしても、食べるのは無理だろう。死んでしまう」

「そんにゃあ~……ショックにゃ」

 

 食べる気満々であった猫たちは地面に突っ伏し、がっくりと項垂れている。こんな川でも、ナマズやドジョウのような生物は棲息しているだろうが、恐らく臭すぎて食えたものではないだろう。それ以前に、こんな油が浮いたような川の中に入っていく気がしなかった。

 

 もっと下流へ行って海に出てしまうか、逆に上流へ向えば、水質改善も見込めるだろうが、どっちにしろ、今から行くのでは時間がいくらあっても足りなかった。いっそヴィンチ村に戻って、用水路に釣り糸を垂らしたほうが、まだマシだろう。しかし、それじゃ何のためにここまで出てきたのか分からない。

 

 せっかくの休みだと言うのに、つまんないことになっちゃったな……とため息交じりに空を仰ぎ見た時、鳳はふと、高台にぽつんと一軒の家が建っているのを見つけた。

 

 河川に架かった橋を渡り、その先に続く道を辿って丘へ登ると、そこに一軒のお店が建っていた。場所的に峠の茶屋といった感じで、通り過ぎる旅人が、時折吸い込まれるように中に入っていくので、少なくとも何か出してくれることは確実のようだ。

 

 どうせ、ここにいてもやることは何もないのだし、

 

「なあ、猫たち。あそこにあるお店まで行ってみないか? もしかしたら、何か軽食でも出してるかも知れない」

「にゃあ~……ミー達はお金を持ってないにゃ」

「それくらい奢ってやるよ。本当なら、魚を獲ってやるつもりだったのに、ぬか喜びさせちまったからな」

「いいのかにゃ!?」

 

 猫たちのヒゲがピンと立っている。どうやら少しは元気を取り戻したらしい。鳳は彼らにオーケーサインを送ると、喜び勇んで先を行く猫人たちを追い駆けて橋を渡った。最近ゴブリン退治でそこそこお金を貰っていたから、この機会に使ってしまうのも悪くないだろう。本当なら、彼らが貰っていてもおかしくないお金なのだ。

 

 遠くから見たら意外と近そうに見えたが、登ってみたら意外と遠かった丘を、えっちらおっちら踏破すると、目の前に現れたのは、やはり峠の茶屋的なお店だった。

 

 峠にはヴィンチ村の駅馬車もやってきているようで、どうやらここは、この辺一帯の街を中継する、道の駅のような場所のようだった。あちこちから積荷が通り過ぎるからか、店が扱っている商品も豊富で、それ目当てにやってくる近隣の住民もいるらしい。

 

 鳳はそこで蕎麦というか、米麺(フォー)みたいな食べ物を注文し、猫たちは砂糖漬けのお菓子を美味しそうに頬張っていた。ところで、砂糖で漬けたと言っても、柑橘系を食べても平気なのだろうか……? まあ、猫人と猫は違うと言うことだろう。

 

 トカゲ商人のゲッコーも言っていたが、この世界は胡椒はまだまだ貴重品だが、砂糖の方はすでにかなり出回っているようだ。なんでも、新大陸でプランテーションを行っているらしく、海の向こうからやってくる砂糖を帝国に売って、この辺の商人は荒稼ぎしているらしい。最近では増えすぎた人口を支えるために、穀物の輸入も始めたそうだ。ある日、新大陸の民がキレてお茶を海に投げ捨てたりしなければ良いのだが。

 

 この辺で最も高い丘の上にあるその店からは、遠くのニューアムステルダムの街が一望できた。鳳はこの時初めてこの国の首都を見たのだが、そこは思ったよりも大きな建物が立ち並ぶ、そこそこ近世的な都市のようだった。

 

 最大で5~6階建ての家々の壁は白く映え、近寄って見なければわからないが、赤い屋根は瓦葺のように思えた。中南米によくあるコロニアル様式と呼べばいいのだろうか、そんな感じの家々がひしめき合うように立ち並んでいる。

 

 港には何艘もの帆船が停泊しており、沖の方には順番待ちをしている船舶もちらほら見えた。あれらは全て、遠い新大陸を往復している船なのだろうか。そう言えば、帝国と戦争をしているはずなのに、のんきそうに見えるのは、通商破壊の概念が無いからだろうか……帝国は、強いんだか弱んだかよく分からない国である。

 

 首都までは早馬ならば小一時間ほどで着くらしい。高速の駅馬車をチャーター出来ると言うので、どうせ近いうちに行くだろうし、後学のために冷やかしに行こうぜと言ったのだが、猫たちが嫌がったのでやめておいた。

 

 そう言えば、バザールでも借りてきた猫みたいになっていたが、もしかすると人混みが苦手なのかも知れない。もしくは、鍛冶師の親方の扱いもぞんざいだったように、獣人は差別されるからだろうか。

 

 たまたまであるが、鳳の周りにはマニやルーシーのような、獣人の混血という存在がいる。彼らが優秀だから勘違いしやすいが、やはり普通の獣人は物覚えが悪いのだ。これが乱世ならば、まだ戦闘に特化した狼人や猫人は役割があるだろうが、この国みたいに平和だと、人の間でやっていくのは相当難しいかも知れない。

 

 それにしても、つくづく興味深いのは混血の優秀さである。ルーシーは、混血は人間にも獣人にも差別されるから隠していたと言っていたが、マニはもちろん、下手したらルーシーなんかは普通の人間よりよっぽど賢いんじゃなかろうか。

 

 彼らがどうして優秀なのかは、人間同士の国際結婚を見てもなんとなく予想がつくのではないか。遺伝子的に遠い者同士が混じり合うと、両親の良いところだけを受け継ぎやすいのだ。逆に近すぎると優性だけではなく、劣性遺伝も強調され、それが致命的な悪影響を及ぼしやすい。ガルガンチュアが子宝に恵まれないのは、多分それが理由だ。

 

 以前、馬とロバの混血であるラバのことを考えたように、ごく最近、共通祖先から分かれた種族同士は子供を作ることが可能だ。こうして生まれた子供は、残念ながら繁殖能力がないが、能力的に優秀な個体が多いと予想される。ただし、そんな中でも極稀に繁殖能力を持った個体が生まれることがあり、それが自然淘汰されずに残っていくと、新たな種として確立される可能性があるわけだ。

 

 精霊が鳳に見せた過去から判明したのは、獣人は人間をベースに人工進化させられた種族だと思われることだ。だから人間と獣人、そして同じ共通祖先を持つ獣人同士は、繁殖が可能であり、生まれてくる子供は、身体的にも頭脳的にも強調された個体になりやすいのではなかろうか。

 

 そう考えると獣人はもっと混血を意識しておこなったほうが良いように思われるが、レベルキャップの問題があって、ガルガンチュアの集落では寧ろ純血に拘りを持っているようだった。

 

 そんなことはもう忘れて、大森林(ワラキア)の獣人同士仲良く繁栄して、そして人間社会と対等に付き合えるようになれば、そっちの方が良いように思えるのだが……しかしレベルなんて何の意味もないと一概に言い切れない事情もあった。

 

 最初、ギヨームが気づいたように、どうもこの世界の人類一人ひとりに設定されているステータスは、レベルと相関関係があるようなのだ。レベル30代から60代まで上がったギヨームは、今となっては超人的なステータスの持ち主であるし、ルーシーはレオナルドのスパルタ教育に耐え、新たな魔法を覚えつつあった。

 

 もし、獣人の混血を進めれば、彼らも文明の恩恵を受けて、人間たちのように社会的な生活を営めるようになるかも知れない。実際、レイヴンというモデルケースもある。しかし、平和な時はそれでいいが、もし今後戦乱の時が訪れたら、低レベルになった彼らは苦境に立たされかねない。それが必ずしも良いこととは限らないのだ。

 

 現在、少なくとも獣人は人間よりも身体的には優れている。そのお陰で、魔物が跳梁跋扈する大森林で暮らしていくことが出来、そしてネウロイからの魔族の侵入の防波堤になってくれているのだ。その防波堤が崩れた時、何が起きたかは300年前の歴史が教えてくれている。

 

「しかし……魔族か」

 

 鳳は串に刺さった焼きトンを食いちぎりながら、誰ともなしに呟いた。

 

 猫人たちがあまりにも美味しそうに砂糖漬けを食べるものだから、鳳も一つ齧ってみたのだが、甘すぎて口に合わず、口直しのつもりで味の濃い焼きトンを食べていたら、猫たちが物欲しそうに見つめていたので、仕方なく彼らの分も振る舞ってやることにした。

 

 痛い出費であるが、彼らの喜ぶ顔を見ていたら、まあいいやと思ってしまう……自分はつくづく、ペットは飼っちゃいけない人種なのだろうなと彼は思った。

 

 閑話休題。そんなことより魔族の話に戻ろう。一時は自分も魔族なんじゃないかと思っていたのだが、このバルティカ大陸南端のネウロイの地からやってくるという生命体であるが、あれは一体何なんだろうか。

 

 一口に魔族と言っても、その種類は獣人のように多岐にわたる。今の所、人類にその存在が確認されているのは、小鬼(ゴブリン)犬鬼(コボルト)豚鬼(オーク)大鬼(オーガ)魚人(オアンネス)半魚人(インスマウス)鳥人(ハーピー)馬頭鬼(ケンタウロス)牛頭鬼(ミノタウロス)……他にもまだまだありそうだが、概ねこんなものらしい。

 

 どれもこれも、元の世界の伝説上の生き物であり、RPGでは敵キャラとして定番な連中である。特徴としてはとにかく人類と敵対しており、対話が成立せず、ひたすら本能に忠実に生きているようだが、彼らがどうして生まれ、何を目指しているのかはまるで分かっていない。まあ、人類だって目的があって生きているわけではないから、どの生き物にも共通な、『種の保存』と考えて差し支えないだろう。

 

 ところで、鳳は最近、魔族と戦うことが多いから気づいたのであるが、どうも彼らには近親性があるように思えるのだ。特にそっくりなのは、ゴブリンとコボルトである。どちらも魔族最弱と言われており、森の周縁部にこっそりと暮らしている生き物なのであるが……

 

 ゴブリンは体が小さくて邪悪な顔をした、まさに小鬼と呼ばれるような外見をした直立二足歩行の生き物である。目は赤く、鼻は尖って、耳は長く、緑色の皮膚をしている。口は大きいが犬歯は発達しておらず、切歯と臼歯の比率も人間と同じだ。JRPGでお馴染みの邪悪な妖精みたいな感じで、集団で家畜を襲い、畑泥棒をして生活をしている。

 

 人間と食べるものが同じなのだから、歯も同じように進化したと考えることは出来る。だが、肌の色は全く別物であり、ゴブリンは寧ろオークの方に似ている。小型のオークと言っても差し支えないような見た目だ。

 

 かと思いきや、中には犬顔のコボルトがいて、これもゴブリンの亜種と考えられている。というのも、こいつらは生態がほぼ一緒で、中にはゴブリンに混じって畑泥棒をしているコボルトまでいるというのだ。

 

 こうして顔だけで分類すると、緑肌の魔族には、キツネ顔のゴブリンと、犬顔のコボルト、ブタ顔のオークが存在するわけだが……DNAを調べられるような機械があるわけでもないから、はっきりしたことは分からないのだが、もしもこいつらが分類学上、同じ種族だったとしたら、何が彼らを分けたのだろうか?

 

 獣人は家畜の人工進化の産物だった。だったら魔族も、それと同じように考えられないだろうか……?

 

 何かがあって、人間と魔族は分かれた。獣人の共通祖先が人類であったように、魔族の共通祖先もまた人類なのではないか。そう考えるに足る根拠と言うか、不都合な事実はある。この世界にはやたら二本足で歩く生き物が存在するようだが、46億年の地球の歴史を遡って見ても、直立(・・)二足歩行の生き物なんて人類以外には存在しなかったはずだ。

 

 そんな人間みたいな生物が次々と誕生するのは不自然だろう。だから、魔族もやはり人類という共通祖先から枝分かれした種族と考えるのは妥当なのではなかろうか。無論、現段階ではあくまで憶測に過ぎないのであるが……

 

 その憶測を前提として考えると、また少々嫌な憶測が浮かび上がってくる。

 

 ヴィンチ村の冒険者ギルドで、鳳がゴブリン退治に興味を示した時、ギヨームがゴブリンの生態について詳しく語ってくれた。それによると、ゴブリンもまた魔族であり、本能に忠実に生きているから、他種族を捕らえたら、男を殺し女を犯そうとする性質があるそうだ。

 

 しかし、ゴブリンは弱いから、捕まられるのはせいぜい子供くらいのものでしか無い。だから繁殖力のない女児が捕まると、より無残な殺され方をされてしまう。故にゴブリンは、普通の魔族よりも忌み嫌われているという。

 

 そこまではいい。人間の女児は可哀相だが殺されてしまうだろう。だが、これが獣人ならどうなんだろうか。

 

 獣人は成長が早い。例えばマニは15~6歳くらいに見えるが、実年齢は9歳だ。元が家畜だからか、それとも厳しい環境で生き抜くために、個体数を増やす方向に進化したのか、獣人はかなり若いうちから繁殖能力があり、早ければ5歳にもなればもう立派に子供を産めるらしい。

 

 さて、人間と獣人の間には繁殖能力が殆どない。だがまったくないわけではなく、たまにハーフが生まれ、クオーターはもっと稀だが、マニやルーシーのような実例もある。

 

 ところで、魔族と人間はどうなのか? そして魔族と獣人は?

 

 もし、ゴブリンと狼人の間で子供が生まれたとしたら、生まれてくる子はゴブリンなのか、狼人なのか。それとも、犬顔をしたゴブリン……即ち犬鬼(コボルト)が生まれて来るのだろうか?

 

 こんなことを考えた人間は、多分、鳳以外にもいただろう。だが、確かめようがない。魔族を見たことがあるからわかるのだが、あれは話の通じる相手ではない。魔族は理性がなく、仮に人間が魔族を産んだとしても、生まれてきた魔族に人間性はなく、そして魔族を産んだ人間がまともに生きているとは思えない。確認が取れないものは居ないと考えたほうが精神的だろう。

 

 一応、確かめる方法ならある。例えばゴブリンを捕まえてきて、そいつに人間の女を襲わせるのだ。そうして生まれてくる子供を調べれば、この考えが正しいかどうか判明するはずだ。だが、そんな悪魔のような実験、誰がやろうと言うのだろうか? 聞けば、コボルトがコボルトを生むことは確認が取れているらしい。だったらもう、それでいいではないか。

 

 こうして鳳は、他の人たち同様に、自分の考えを忘れることにした。だが、それでも彼はまだ考えてしまうのだ。

 

 人間と魔族、獣人と魔族のことはいい。きっと、そんなことないんだろう。でも、魔族と魔族ならどうなんだろうか? 例えば、ゴブリンがオークの子供を犯したとして、もし双方に繁殖力があったとしたら……

 

 果たして生まれてくるのはゴブリンなんだろうか、それともオークなんだろうか。これがわからない。

 


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