高難度の依頼を受けたくて、首都にある冒険者ギルド本部へとやってきた鳳は、そこで案内役を買って出てくれたミーティアの知人と遭遇した。見るからに決まりが悪そうな彼女は、知人女性に鳳のことを尋ねられ、あろうことか『彼氏』と言い出した。
突然の宣言に仰天する三人。事情はよくわからないが、ミーティアのテンパりぶりを見て、ここは乗るしかないと思った鳳は、彼女の彼氏として挨拶する。とは言え、知人二人はまだ疑っているようで、
「へえー、ミーティアにも彼氏が出来たんだ」
という二人に半ば強引に拉致された鳳たちは喫茶店へと連れて行かれ、質問攻めにあうのであった。
冒険者ギルドを出て大通りを二町ほど歩き、目印もない何の変哲もない路地裏へ入っていくと、その突き当りにいかにも一見お断りな看板を掲げた店があった。中に入ると三畳ほどの狭いカウンターの中で、頑固一徹を絵に描いたようなお爺さんがグラスを磨いている。挨拶一つしないその爺さんの前を素通りし、奥に見える二階へ上がる階段を登ると、そこは屋根裏みたいに天井が斜めっているけれど、思ったよりも広い空間が広がっていた。
前かがみにならないとくぐれない天井の梁をくぐり抜けて、クッションの効いたソファに座ると、階下からゆっくりとした足取りで老婆が上がってきて、何も注文していないのにニコニコしながら人数分のコーヒーとケーキを置いていった。
どうやら老夫婦でやってるお店らしい。もしかするとこのケーキはあの爺さんが焼いたのだろうか……板張りの屋根裏は薄暗く、壁に掛けられた燭台の灯りだけが頼りだった。手元もよく見えない中で砂糖の瓶を探り当て、投入してカップに口をつけた。
「美味い……」
自然と口をついて出た言葉に、知人……エリーゼという女性が反応する。
「ここ、美味しいでしょう? ギルドの先輩に教えてもらった穴場なんです。ケーキもすっごく美味しいですから、どうぞ召し上がれ」
鳳は口角を上げるだけの笑顔を返して、言われた通りケーキを一切れ口にした。シフォンケーキのようなものだろうか? 口触りの良いふわふわのスポンジが口の中で溶け、甘味が口内に浸透していくようだった。
彼女の言う通り、これは中々の穴場だなと思いつつ、ケーキの山をフォークで崩していると、その横でミーティアが質問攻めにあっていた。
「二人はいつから付き合っているの?」
「えーっと……結構前から」
「馴れ初めは? どこで出会ったの?」
「馴れっ……!? ヘルメスで……鳳さんがギルドにいらして」
「それで付き合い始めたんだ~。どっちから告白したの?」
「告はっ!? そ、それは……わ、わ、私からで……」
「えー! あの奥手だったミーティアが……意外だなあ。本当に二人は付き合ってるの?」
「ほ、本当です! 本当! ね?」
縋るような視線が飛んできて、鳳は慌ててにこやかに頷いた。エリーゼはまだ疑うような目つきで二人のことをジロジロと見つめている。
「ふ~ん……ヘルメスからの付き合いっていうと、結構長いよね。その割には、鳳さんなんて他人行儀な呼び方してるのね」
「うっ……そうですかね」
「二人っきりの時はもっと親しげな呼び方してるんじゃないか?」
アントンと呼ばれていた男が興味なさそうに呟く。そう言えば、ろくに挨拶もないが、彼とエリーゼは付き合ってるのだろうか? ともあれ、彼の言葉にミーティアは追い詰められたように、
「そ、そう……かも、知れませんね。そうかも」
「そうなんだ~。普段はなんて呼び合ってるの? やっぱり、下の名前?」
「え!? それは……その……おおとり……つくも、さんだから……つく、つく、つく、つ、つ、つーくん、うおぁぁああぅあうえあぽあああああおおおおおおーーーー!! なにってんじゃおみゃああーーーーっっ!!」
「きゃあっ! どうしたのよ急に!」
だめだこりゃ……ミーティアはアマゾネスみたいな雄叫びをあげている。エリーゼはそんな彼女を必死に取り押さえている。アントンはゲラゲラ笑っており、店のおばあさんがびっくりして階下から顔を突き出していた。
このまま放っておいたらもっと面白いものが見れるだろうが、同時にミーティアの心に深い傷が刻まれることは間違いないだろう。黙ってやり過ごそうと思っていたが、ここから先は彼女が変なことを口走る前に、積極的にフォローを入れたほうが良いかも知れない。
セルフコントロール、セルフコントロール、セルフコントロール……鳳はそう心の中で呟くと、眉間に皺を寄せ、口端を吊り上げるような、複雑な笑みを作った。
皮肉なものだ……あの父親の言葉で、唯一良い記憶として残っているのは、『女性には優しくしろ』というものだった。女性を憎み、女性を遠ざけ、自分みたいな母無し隠し子をたくさん作ったくせに、彼はどういうつもりでそんなセリフを吐いたのだろうか。
「まあまあ、そのくらいで勘弁してくださいよ。ミーティアさん、フルマラソン走ってきたみたいになってますよ」
鳳が、エリーゼとミーティアの間に割って入るようにハンカチを差し出すと、エリーゼは苦笑しながら、
「あら、ごめんなさい。彼女がからかわれてるみたいで、気分良くないですよね」
「ええまあ、有り体に言えば」
鳳がにこやかにそう返すと、探るような視線を見せていた彼女は疑いの言葉を口にした。
「失礼ですけど、鳳さん……? 本当に、ミーティアの彼氏なんですか? 話をあわせあげてるんじゃなく?」
すると鳳はにこやかな笑みを崩さずに、
「ええ、本当ですとも。実は僕たち、付き合いはじめてまだ日が浅いものですから、もしかすると傍目には恋人同士には見えないかも知れません。僕だって、ミーティアさんとお付き合い出来るなんて、まだ信じられないくらいですから」
「まあ! お上手ですね」
「お世辞なんかじゃありませんよ。ヘルメスで出会ってから今日まで、彼女にはお世話になりっぱなしです。何も知らない僕に仕事を教えてくれて、わけあって大森林に行くときにもついてきてくれて、いつも美味しい料理まで作っていただいて……そんな彼女を自分の物に出来るなんて、僕は幸せものだなあ」
「大森林に飛ばされたって話は聞いたけど、あなたが理由だったんですか……それじゃあ、本当にお付き合いしているのね、ミーティア?」
「本当ですよね」
一応、分かってるんだろうなと念を押すために目配せすると、ミーティアは何故か真っ赤な般若顔になっていた。目は吊り上がり、眼力だけで人を殺せそうだった。
どうして怒るんだよ!? と焦っていると、3人のやり取りを見ていたアントンが、
「ははは、相変わらずだなあ、ミーティアは。昔っから照れると、殺人鬼みたいな顔になるんだよな」
「え!? これ照れてんの??」
てっきり、この場にいる全員の記憶がなくなるまで殴り続けようと決心しているんだとばかり思っていたが……前々から、妙に怒りっぽい人だと思っていたが、もしかすると今までのも照れていただけなのかも知れない。まあ、そんなことはどうでもいいので、
「と、とにかく、それでもまだ疑われるのでしたら、よかったらこの後、僕たちと一緒に街を周りませんか? 実は今日は、彼女に街を案内してもらうつもりで来たんですよ。地元の方が加わってくれると心強い」
「まあ、そうだったんですか?」
「そちらのお二人も、お付き合いなさっているんでしょう? どうです? ダブルデートなんて」
「いいですね、いいですね! 私、いつかミーティアと、好きな人と一緒に街を歩きたいと思ってたんです! ねえ、アントン! 良いでしょう?」
ダブルデートという言葉が気に入ったのか、エリーゼは乗り気になっている。アントンはちょっと嫌そうにしていたが、結局は彼女に押し切られる格好で、鳳の提案をオーケーした。
その間、ミーティアは鼻の穴を大きくし、地獄の釜の蓋を開けたような唸り声を上げながら、やり取りをじっと見つめていた。アントンに言わせれば照れてるだけだそうであるが、本当に怒ってないんだろうな……これ。
そんなことを考えて不安に思っていると、ここは奢ってあげるといって会計をしにいった二人を追い駆け、階段を降りようとしたところでミーティアに引き止められ、
「す、すみません、なんかつき合わせちゃって。どうしても事情がありまして」
「いいっていいって。っていうか、ボロが出るとヤバいから、わけはあとでゆっくり聞かせてよ」
鳳がそういって手を差し出すと、ミーティアは何これ? と言いたげに首を傾げていた。鳳が、
「いや、恋人同士なんだから、手くらい繋いだほうがそれっぽく見えるでしょ」
と言うと、またいつものようにゆでダコのように真っ赤になって、組み手争いする柔道家みたいな表情をしていた。本当にこの手を握っても良いのだろうか。手首を破壊されたりしないだろうか……
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店を出て4人で街へ繰り出した。首都に来たかった理由は新しい依頼を受けたかったためだったが、その他に目的は特にないので適当に観光名所を案内してよとお願いしたら、地元民のアントンが嫌がった。なんというか、お上りさんみたいだからだそうである。東京人が東京タワーに行きたがらないようなものだろうか。
アントンは意外と不躾なやつというか、はっきり物を言うタイプらしく、空気を読むという概念はないような男だった。どうもミーティアとは古い付き合いで、鳳のことを相変わらず疑っているらしく、同じ冒険者ということもあって、やたらと対抗意識を燃やしてくるので面倒くさい。
「本当にAランク冒険者なのか?」とか、「普段、どんな装備を使ってるんだ?」とか、「レベルは? 今までやった依頼で一番やばかったやつは?」とか聞いてくるので、
「そうですね……Aランクって言っても、僕も今日初めて聞いたので、本当かって言われるとどうも……」
「なんだそれ? 自分のことなのに?」
「気にしたことなかったもんで。装備は主にライフルを使ってますよ」
「ライフル……!? って、農民が狩りにつかうやつだろう? プーックスクス! そんなの使ってるAランクなんて聞いたことないぜ!」
などと宣うので意外に思い、なら普通の冒険者はどんなのを使っているのかと尋ねてみたら、
「そりゃ、もっぱら剣だよ。やっぱ冒険者って言ったら、剣を振り回してガーッとやる感じじゃないか」
と長島監督みたいな独特な言い回しをした。剣が悪いわけではないが、銃がある世界でなんでそんなものを勧めるんだろうと思っていたら、話を聞いているうちにその理由が分かってきた。
銃の強さは結局のところ弾に帰結する。どんなにゴツい銃を使っていても、弾丸に込められた火薬の量でその威力は決まってしまう。対して剣の方は、使用者のステータスによって変わってくる。この世界にはステータスがあるから、強い人が剣を握ればそれだけ威力が違うわけだ。
言われてみれば確かにそうだ。例えばジャンヌにライフルを持たせても、それで強くなるような気がまるでしない。そして鳳がジャンヌをライフルで襲撃したとしても、彼ならきっと飛んできた弾を切り落として、返り討ちにされるだけだろう。
思えば鳳のパーティーも、ライフルなんて使っているものは自分しかいないのだ。唯一、ギヨームが飛び道具を使っているが、速射性、連射性を考えると、あれはもう銃というより魔法と言った方が良い。
ライフルはアントンの言う通り、冒険者ではなくレベルの低い一般人が使う武器のようだ。鳳はこういうとこはしっかりファンタジーしてるんだなと感心した。
ともあれ、鳳がライフルを使っているのも、結局はそのレベルの問題であり、
「お恥ずかしいことに、レベルがまだ6なもので」
「はあ!? ロクー!!??」
「今までにやった一番危なかった仕事は、そうですね。ゴブリン退治に行ったらオークが出てきた時でしょうか。あれは本気で死にかけましたから」
鳳がその時のことを思い出し、深刻な表情でそう言うと、アントンは暫くぽかんとした表情のまま固まったと思いきや、次の瞬間、
「プーッ! アッハッハッハッハ! おまえ、いっくらなんでも盛り過ぎだろう! ゴブリン退治がオーク退治になるなんて、そんなのホラに決まってらあ。レベルも信じられないくらい低いし、Aランクってのも、ミーティアに良いカッコしようとして、嘘ついてるんだろ? 白状しちまえよ」
アントンはゲラゲラ笑っている。目の前で面と向かってバカにされているのは承知していたが、何しろ嘘なんか一つもついてないから、そんなにおかしいことなのかと苦笑いするしかなかった。彼の馬鹿笑いに釣られてエリーゼも吹き出すのを我慢しながら、
「アントン、笑いすぎよ、もう! 彼に失礼でしょう」
と自分の彼氏を窘めている。しかし、それでも収まらないアントンが腹を抱えて笑っていると、鳳の手を握りながら二人のやり取りをぽけーっとした表情で見守っていたミーティアが、突然憤怒の化身のように怒りだし、アントンの尻を蹴り上げて、
「黙って聞いてれば、好き放題言ってくれますね。失礼だと思わないのですか」
「いって! 痛えな、ミーティア……あー、くっそ……おまえ、そのすぐに暴力に訴えるのやめろよな。つってもなあ、今までの話聞いてたら、信じるほうがどうかしてるぜ? おまえ、騙されてるんじゃねえの?」
本人を前によく言うなあ、この男は……と思いもしたが、下手に陰口を叩かれるよりはいいだろう。時折、鳳の顔を窺うように通過するアントンの視線は、胡散臭いものを見るというよりも、ミーティアのことを気にしているようだった。
鳳が相変わらず苦笑いをしていると、
「騙されるもなにも、私はギルド職員ですよ。騙されようがありません」
「つっても、何かAランクに見せかける方法があるのかも知れん」
「はあ~……埒が明きませんね。男の嫉妬ですか? 自分がCランクだからって」
「ばっ! 俺のランクは関係ねえだろ! 俺はおまえが騙されてないかって心配してやってんだろうが!」
「そんなに言うのなら、ギルドにいって確かめてみてはどうですか。丁度、すぐそこにありますし」
ミーティアはプンスカしながら大通りの向こう側にあるギルド本部を指差している。ついさっき、あそこから出てきたのにまた戻るのは馬鹿みたいだったが、
「そうですね。本当は、ギルドに依頼を確認しにきたのに、さっきはなし崩しになってしまったから、僕も確かめに戻るのは賛成です」
鳳がそう言うと、アントンはやはり信じきれなかったのか、意外そうな表情をしてみせた。結局、エリーゼも職場に荷物を取りに行きたいと言うので、そのままギルドに戻ることになった。ミーティアは不機嫌そうにふんぞり返ってドスドスと歩いており、アントンはその横をまだ疑わしそうな目つきをしながら歩いている。
鳳がそんな二人の後を黙ってついていくと、ふらりとエリーゼが寄ってきて、
「ごめんなさい。あの二人、昔っからああなんですよ」
さっきから、もしかしてそうなんじゃないかと思っていたが、二人はどうやら幼馴染のようである。突然の彼氏宣言と言い、何かそのへんが関係あるのだろうか……
ギルドに戻ると、勝手知ったる他人の我が家か、ミーティアがズカズカと高ランク依頼の受付まで案内してくれた。未だ信じられないといった感じのアントンが続き、エリーゼは自分の荷物を取りに奥へ入っていってしまった。
ミーティアがやってくると、受付の職員も彼女のことを覚えていたのか、一通りの挨拶のあとに、
「高難度依頼の一覧を見せて欲しいのです。こちら、Aランク冒険者さんなのですが」
「Aランク……確認いたします」
職員の女性はそう言って奥へ引っ込んだ。何を確認するんだろう? と思っていたら、彼女は白紙の紙を持って帰ってきて、
「それでは、こちらに現在のレベルと署名をお願いします」
と言ってその紙を渡した。なんのつもりだろう? と思ったが、なんとなく既視感がして思い出した。これはギルドに最初に訪れた時に書かされたエントリーシートだ。レオナルドが作ったという不思議な魔法が掛かった紙で、書いたことが真実ならそのまま残り、嘘なら消えてしまう。
懐かしいなと思いながら、言われたとおりに署名する。職員はそれを受け取ると、鳳の顔と書類に視線を行ったり来たりさせながら、
「えー……ツクモ・オオトリ様。レベルは6。確かにランクA冒険者と確認いたしました……ってツクモ……オオトリ!?」
鳳の名前を読み上げていた職員の声が裏返った。何だ何だ? そんな驚くような名前じゃないだろうと思って目をパチクリさせていたら、その声を耳にした他の職員までが突然ガタガタと立ち上がり、顔を上げてこちらの方を見ながら、
「ツクモ・オオトリ……」「ツクモ・オオトリだって!?」「あのオオトリか……」「本当に、実在したんだな」
なんだか妙な雰囲気になっている。一体どうしたのだろうか。もしかして、知らないうちに有名人になってしまっていたのかなと思っていたら、突然、目の前の職員が立ち上がり、握手を求めて腕を差し出してきた。
鳳が分けも分からずその手を握り返すと、
「ツクモ・オオトリ様。お会いできて光栄です。あなたのことは、
「ど、どうも……スカーサハって? ああ、あの神人さんか」
なるほど、それで有名だったのかと鳳は納得した。そう言えば、あの街の攻防にはレオナルド本人が出てくるくらいのギルド案件だった。一応、成功報酬も貰っているので、その記録が残っているのだろう。
しかし、あの時の話がめぐりめぐってこんな遠くまで響いているとは、自分も偉くなったものだなと、鳳は内心自画自賛していたが、
「本当に低レベルなんですね! こんなにレベルが低いのに、もうAランクなんて凄いっ!」
「そっちかよっ!!」
そうではなくて、低レベルクリアを目指すゲーム配信者的な覚え方をされていたらしい。
その後、次々とやってくる職員たちに求められるまま握手をして、その場は即席の握手会みたいになってしまった。まあ、Aランクであることを確認出来たからいいものの、一体いつになったら高難度依頼を紹介して貰えるのだろうか。
この後はミーティアとの偽装ダブルデートも待っている。何のために首都までやってきたのだろうか。まだまだ目的は達せられそうもなかった。