ラストスタリオン   作:水月一人

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やり遂げました

 エリーゼとその父親が口論しながら去っていく。置いてけぼりにされた父の連れが右往左往する中、申し訳無さそうに後頭部をガリガリと引っ掻きながらやってきたアントンは、今日はこれでお開きにしてくれと謝罪して去っていった。

 

 取り残された鳳たちは、彼らの後ろ姿が見えなくなるのを確認すると、どちらからともなく繋いでいた手を離した。その瞬間、ミーティアの姿がふらついたのを見て、慌てて腕を伸ばしたが、彼女は鳳の腕を掻い潜るように、どっとその場にあった椅子に腰を下ろすと、

 

「や……やり遂げました……」

 

 ミーティアは、まるで全てを出し尽くしたボクサーみたいに燃え尽きていた。鳳はフロアを流しているウェイターからグラスを二つ貰うと、片方を彼女に差し出した。

 

「ありがとうございます……おいくらですか?」

「いや、こういう店はお金取らないよ」

「そういうものですか……鳳さんは、こういうお店によく出入りしていたんですか?」

「いや全然」

 

 日本にはこういうカジノなんかは無かったし、そもそもここは異世界である。じゃあ、なんで知ってるのかと言えば、そこはそれ現代人だからとしか言いようがない。金持ちというのは下らない付き合いが多いのだ。エリーゼの父親のように。そういや、あのオヤジは何者なんだ? と思っていると、

 

「驚きました……」

「何が?」

「いえ、巻き込んでおいて私が言うのも気が引けますが、鳳さんが思った以上に手慣れていて……要所要所でエスコートしてくれたり、手を握ってくれたり……きっと、こういうことは苦手な人なんだろうなと、勝手に想像していました」

 

 鳳は苦笑しながら、

 

「そりゃもちろん苦手だよ。だから思いきれるんじゃないか」

「どういうことです?」

「こういうのも木を隠すには森の中っていうのかな? 人間ってカップルが喧嘩していると首を突っ込みたがるくせに、逆にイチャイチャしてると目を反らすんだ。面白くないから。だから、恋人に成り切るなら、思い切って一次接触を多めにしたほうが粗が目立たなくなる。実際、一回イチャツイた後からは、もうあの二人は何も言わなくなってただろ。あれは疑いが晴れたわけじゃなくて、関心が無くなったからなのさ」

「なるほど」

「恋人を演じるなら、本物以上に接触を多くしたほうがそれっぽく見えるもんだよ。もしそれが本物なら、あんなの恥ずかしくって出来ないってのにね。ミーティアさんも、これは演技だって意識するようになってからは、気にならなくなったでしょう」

「そう……でしたね」

 

 本当に、鳳の言うとおりだった。ずーっと彼のことを意識しまくっていたくせに、一度これは演技だと腹を括ってからは、何をされてもそれほど気にならなくなった。寧ろ、そんなスキンシップが楽しいとさえ思えてきた。

 

「人間ってのは多かれ少なかれ自分を演じている。ステレオタイプに自分をはめたほうが生きやすいから。恋人同士だってそうなんじゃないの。最初は相手のことを意識しまくっていた人たちも、恋人って役割を演じ始めることで本物に近づいていくわけだ。どんなものにもそう言うプロセスがあるって知ってれば、自分を偽ることなんて大したことないのさ。どうせみんな最初は偽物なんだから」

 

 と同時に、鳳がミーティアに……そして自分自身にも無関心だということが、嫌というほど分かってしまった。ついさっきまで、彼が自分に触れてくれるだけで、まるで天にも昇る心地だったというのに、優しい言葉も、触れた手の温もりも、何もかもがウソだと分かってしまうのだ。

 

 鳳と手を繋ぎ、腕を組んで、恋人のふりを続けていくうちに、どんどん自分が慣れていくのを感じると同時に、胸がチクチクするようになっていった。お陰で、幼馴染たちからの追求は交わせたが、その代わりに何かを失ったような気がした。例えバレたとしても、彼に触れられるだけで嬉しいという気持ちのままで居られた方が、もしかしたら幸せだったのかも知れない。

 

 そして、それが幼馴染にバレた時にどう思われたとしても……きっともうなんとも思わなかった。

 

「そう言えば、まだ話していませんでした……」

「何が……?」

「鳳さんに、こんなおかしなことをお願いしたわけを」

「ああ」

 

 彼は聞かせてとも、言わなくてもいいとも言わず、手にしたグラスを傾けていた。ミーティアはグラスの中身を飲み干すと、テーブルに突っ伏すようにしながら話し始めた。

 

「本当に、今思えば大したことじゃなかったんですが……私とアントンは子供の頃から隣同士の、いわゆる幼馴染の関係でした。両親同士とても仲が良くって、元々は私の父が彼の父のお弟子さんという、大工の徒弟だったのですが、私たちが生まれた頃には仕事上のパートナーとして、お互いの家を行き来するような関係になっていたんです。

 

 ですから私と彼は子供の頃から何をするにも一緒でした。学校に行くのも、遊びに行くのも、彼の背中を追い駆けるのが、私の日常だったんです。私はそれがずっと続くんだと思っていたんですよね。でも、彼の方は違ったみたいでした。ある日突然、冒険者になるって言って、家を飛び出してしまったんです。

 

 お隣は大騒ぎでした、そりゃ跡継ぎがいきなり家を飛び出してしまったんですから、当然ですよね。そして、うちもそれなりにショックを受けていました。うちの両親は、いつか私とアントンが結婚をして二つの家が一つになるんだと、そう考えていたんでしょうね。私も子供の頃から漠然とそう考えていたのですが……ですが私は特に慌てることはありませんでした。

 

 私としては彼が大工になろうが、冒険者になろうが、気持ちに変わりなかったんです。ですから、彼が冒険者になるんであれば、自分も冒険者か……駄目ならギルドの職員になろうと思って、それで女学校に進学したんですよ」

「女学校なんてあるんだ?」

 

 彼女はこくりと頷いて、

 

「この町では、女性が自分のやりたい仕事をするには、お金持ちに生まれるか女学校へ通うしかありません。学校の紹介がないとギルド職員にはなれないんですよ。

 

 うちは裕福ではないにしろ、私を女学校へ通わせるくらいのお金はありましたから、私がそうしたいと言ったらすぐに両親は賛成してくれました。両親は薄々、私の考えていることが分かっていたんでしょうね。

 

 そうして女学校に入った私は、寄宿舎でエリーゼと出会いました。彼女はさっき見ての通り、この街の富豪の娘で、私みたいに特に何かになりたくて入学したわけじゃなくて、そうするのが当たり前で入学したんです。

 

 同室になった私たちは意気投合しました。女学校時代は何をやるにも一緒、どこへ行くのも一緒、そして卒業後の進路が一緒になるのも時間の問題でした。私は彼女がギルド職員になりたいって言った時は、自分なんかでも誰かに影響を与えることが出来るんだって、誇りを感じたものです。

 

 ですが、それが後になって自分に不都合な結果となって返ってくるとは、その時は思いもよらなかったんです」

 

 ここまで聞けばその後どうなったかは大体分かるが……鳳は黙って話の続きを促した。

 

「無事に卒業した私たちは揃ってギルドに就職しました。私たちの仲が良いことは知れ渡っていましたから、研修も同じ行き先でした。多分、ギルドが気を利かせてくれたんだと思いますが、私たちの研修先はアントンがホームにしている街でした。私は以前からエリーゼに、冒険者になった幼馴染がいることを話していましたから、彼女も彼に会うことを楽しみにしていました。

 

 そして、あとはお分かりですね。ギルド職員になった私はアントンと再会し、同僚のエリーゼを紹介したんです。二人はすぐに恋に落ちました。笑っちゃうくらいに」

 

「……そうか」

 

「それは私にとってはショックな出来事でした。言うまでもなく、私はアントンのことが好きでしたし、彼を追い駆けてギルド職員になったんです……ですが、私は一度も彼に自分の気持ちを伝えたことはありませんでした。きっと、彼も自分と同じ気持ちなんだって、そう思って。

 

 ですが、それは間違いだったんです。彼は最初から、私のことは仲の良い幼馴染としか思っていなかったようです。当たり前ですよね。私自身が、そのように振る舞っていたんですから……そしてその馬鹿な幼馴染が、運命の出会いを、馬鹿みたいに導いてしまったというわけです」

 

 鳳はなんと声を掛けていいか分からなかった。だからもちろん黙っていた。でも本音は、あなたは馬鹿じゃないという言葉を伝えたくて、もどかしかった。

 

「私はどうしていいか分からなくなりました。親友だと思っていた子に、好きな人を取られたという思いも当然ありました。ですが、それだって自分が悪かったんですよ。私はエリーゼの親友を気取っていましたが、彼女にアントンのことが好きだとは、一度も言ったことが無かったんです。寧ろ、手のかかる弟みたいな、そんな存在だって、ずっとそんな嘘を吐き続けていたんです。

 

 全部自分の撒いた種なんです。私が出来るのは二人の幸せを祈って身を引くことだけでした……私が自分の気持ちを封印すればそれで済むと、そう思いました。ですが、それでは済まない出来事が起きてしまったんです。

 

 ギルドの研修を終えてこの街に配属された私たちを追い駆けて、アントンもこの街に帰ってきたんです。彼は家を飛び出してから実家に帰っていなかったんですが、エリーゼという恋人が出来たことで、ある日、彼女を紹介するつもりで、数年ぶりに実家に顔を出したんです。

 

 もちろん、大喧嘩ですよ。跡継ぎと思っていた長男が好き勝手やって帰ってきたんだから、当然です。ですが、そんなことよりも彼の両親が怒ったのは、困ったことに私のことだったんです。

 

 数年ぶりに家に帰った彼は、ご両親と喧嘩しながらも、エリーゼを紹介したいと切り出しました。彼としては将来の嫁を連れてきたと言えば、両親の機嫌も直ると思ったんでしょう。ですが、それを聞いた彼のお父さんは激怒したんです。どうして、私じゃなくて別の女を連れて帰ってきたんだって……

 

 私と、私の家族と、彼のご両親は仲良しでしたから、彼らもまた私がアントンを追い駆けてギルド職員になったことに気づいていたんです。ですが、そんなことを言われても今更どうしようもありません。彼も、そんなことは無いと思っていたんでしょうに、彼のご両親がそれを咎めるのです。

 

 彼らの親子喧嘩はいつまでも続き、それは私の耳にも届きました。何しろ隣の出来事ですから、私の両親が、彼らを止めてくれと、私のことを呼び出したんです。

 

 そうして私が駆けつけた時にはもう喧嘩は終わっていました。

 

 そして静まり返る隣家の前に、ただアントン一人が座っていて、私を見つけるなり聞くんです。お前は俺のことが好きなのか? って。

 

 だから私言ってやりました。あんたなんか嫌いだって」

 

 しんみりとした空気が流れていた。周囲は人の声でいっぱいだったのに、彼女の声以外は殆ど耳に届かなかった。そんな奇妙な静寂の中で彼女は続けた。

 

「それから先は本当に、うんざりするような毎日でした。私は彼の両親に、彼のことはなんとも思ってないと伝え、自分の両親に、未練はないと伝えました。そして騒ぎを知った親友に、彼の両親の笑っちゃうような勘違いを、私の口から説明しなければなりませんでした。

 

 それでも疑いは晴れず、もしも私がアントンのことを好きならば身を引くというエリーゼに向かって、私は冗談じゃないと言いました。確かに私は彼の影響でギルド職員になりました。でもそれは、自由な彼が羨ましかったからであって、あんなのと一緒になるつもりはない。その証拠に、私は近いうちにこの街から出ていくつもりだと言ったんです。

 

 ギルドには貴族からの依頼もありますから、私はギルド職員の立場を利用して、玉の輿に乗るつもりだと。そのために、あなた達とは別の道を行くことになるけれど、いつか私に彼氏が出来たら、お互いの男を値踏みしましょう。まあ、私の圧勝ですが……そう言って、私はこの街からヘルメスへと転勤を願い出たんです」

 

 彼女はそう言うと、空中のなんでもない場所を見つめながら、はにかむように宣言した。

 

「私は彼のことが好きでしたが……彼女のことも好きだったんですよ」

 

 その言葉に、多分、偽りはないのだろう。演技している感じはまったくしなかった。

 

 ミーティアはそれで、あの街に居たのか……鳳は彼女と初めて出会った国境の街を思い出していた。

 

「次に会う時はいい男を連れてくると言っちゃいましたからね……そんなわけで今日、予期せずして二人と再会してしまった時、焦ってしまって、思わずあなたに恋人のふりをして貰ったんです。もし、まだ私が独り身だと知ったら、エリーゼが気にするかも知れないと思いまして」

「そっか……」

「でも、その必要は無かったかも知れませんね」

「……どうして?」

「二人がいくらイチャイチャしてても……彼がエリーゼパパをお父さんなんて呼んでても……なんとも思わなかったんですよ。この街を出ていく時は、もう二度とここには帰ってこないなんて、そのくらいの覚悟をしていたんですが……ちゃんと時間が解決してくれるんですね。恋は……」

 

 そう言って皮肉っぽく笑う彼女の表情は、どこかの絵画から飛び出してきたかのように、奇妙な美しさを湛えていた。女性は恋をすると綺麗になるというが、敗れればもっと美しくなっていくのかも知れないと、彼は思った。

 

「まあ、それで実際に玉の輿に乗って帰ってこれたら格好良かったんですけどね……ヘルメスへ行ったまでは良いものの、あの街ではロクな出会いがなくって困ってしまいましたよ。たまに、貴族のパーティーにも参加したりもしましたが、私が良いなと思っても、何故か男性はみんな私の顔を見るなり逃げていくんです……私、そこまでブスじゃないですよね……」

「いやいや、とんでもない。ミーティアさんは美人だよ」

「ななな、何いってんだ、この男」

 

 すると彼女は顔を赤らめ、べしべしと鳳の顔面を平手打ちしながら殺伐と笑った。男たちが逃げ出したのは、つまるところ、彼女がテンパった時の顔が怖いからだろうが……また殴られそうなので黙っておく。

 

「そうこうしているうちに戦争が始まっちゃって、貴族と知り合うどころか、今度は大森林ですからね。街も燃やされちゃいましたし……」

「すんません……今度からはちゃんと、燃やす前に言います」

「いや、燃やさないでください……でも、いいです。こうして人里には帰ってこれましたし、友達とも再会出来たから」

「そっか……それじゃ、そろそろ帰ろうか。今ならまだ夕飯までに村に着けそうだ」

「あ、お腹が空いてらっしゃるのであれば、今日のお礼に私が奢りますよ?」

 

 彼女と一緒に食事をして帰るのも吝かではなかったが、

 

「いいよいいよ、お礼なんて。乗り合い馬車の時間もあることだし」

「そう言うわけにはいきませんよ。最後にみんなで乗ったゴンドラの代金もお支払いしましょう、いくらですか?」

「いや、いいってば。俺も楽しかったんだし、そういう野暮なことは言いっこなしだ」

「ですが、それじゃ私の気が済みませんって」

 

 鳳がそれでも彼女の申し出を辞退すると、ミーティアの方もどうしても何かしたいと引かなかった。このままじゃ埒が明かないと思った鳳は、いつものように、

 

「じゃあ、おっぱい揉ませて?」

「殴るぞこのやろう」

 

 と言っては、彼女の強烈なパンチを顔面に受けていた。いつもは猛烈な痛みにのたうち回る手刀も、今日はいつもより幾分優しい気がした。そしていつもはこういう時に見せる彼女の顔を、悪魔のようだと評していたが、今日の彼女の怒った顔は、不思議と魅力的に見えた。

 

「さてと、それじゃ、そろそろ行きましょうか?」

 

 彼が立ち上がって彼女に手をのばすと、ミーティアはその手を当たり前のように握り返してきた。立ち上がった彼女の邪魔にならないように椅子を引いてあげると、顔が近づいてきて、彼女がすぐ近くでニコリと微笑んだ。鳳はそれに笑顔を返そうとして、ふと思い出した。

 

 今日一日ずっとそうしていたから、気がつけば習慣のようにそうしてしまったが、よく考えれば二人は元々そういう関係ではないのだ。そう思うと鳳はなんだか顔が熱くなってくるような気がして、思わず彼女から視線を逸した。そう言えばさっき、彼女のために取ってきたグラスには、アルコールが入っていたから、きっと酒のせいに違いない。

 

 鳳は喉の乾きを覚えてきて、彼女の手を離すと、通りすがりのウェイターに何か飲み物をくれと頼んだ。何が欲しいかと尋ねる彼に、ノンアルコールの飲み物はないか? と言うと、よく知らない名前のジュースを差し出してきた。

 

 鳳はミーティアの分とあわせて二つ受け取ると、もう片方を彼女に渡して、ごくごくとそれを飲み干した。炭酸を含んでいるのか、口の中でパチパチとしながらも、とても喉越しの良い爽やかな飲み物であり、程よい甘みが疲れを癒やしてくれるようだった。

 

 感覚的にはフルーツソーダのようなものだろうか。あとはポテトチップスがあれば、宴が開けそうである。科学技術的に劣った世界だと思っていたが、こういう清涼飲料水もちゃんと生まれるんだなと感心しながら見ていると……鳳はその成分に奇妙なものがあることに気がついた。

 

 それはいわゆる大麻……げふんげふん……MPポーションの主要成分だったのである。鳳はそれが入っていることを自分のスキル『博物図鑑』を使うことで発見してしまったのだ。

 

 何故、そんなものが清涼飲料水に含まれているのか……MPポーションはうまく処理しないとただの青汁である。つまり、このジュースが飲みやすいのは、その成分だけを抽出したからだ。しかしMPポーションの高純度結晶は、鳳だけが作ることの出来る特別な薬のはずなのに……

 

 一体、どうやったんだ?

 

「どうかしましたか?」

 

 鳳がグラスを見つめて難しい顔をしていると、ミーティアが声を掛けてきた。彼は彼女に、このジュースを飲んでも体に変調はないかと確かめると、

 

「ごめん、村に帰る前にどうしても調べなきゃならないことが出来ちゃったみたいだ」

 

 と言って、彼はフロアを巡回するウェイターに手を上げて呼んだ。

 


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