リブレンナ川の戦いに勝利した帝国軍は、勇者軍をあと一歩のところまで追い詰めた。しかし、その時、突如現れたヴァルトシュタイン率いる義勇軍に、北方アルマ国に置いた本陣を突かれ、帝国軍は撤退を余儀なくされた。
勝利は目前だったというのに、大失態を演じた遠征軍の総大将であるヘルメス卿アイザック12世は、自らの野心を挫いた義勇軍に憎悪を燃やし、全軍をもって彼らの本拠地であるボヘミア砦を攻撃する。
帝国軍は総勢3万、対する義勇軍は、これまでに多くの脱落者を出して、残るはたった3千しかいなかった。兵力差10倍の一方的な虐殺が起こるかと思いきや……ところが天然の要害を利用した砦は思った以上に堅固で、帝国軍は逆に苦戦を強いられることになる。
かつて国境の街に籠もった難民軍を相手にした経験から、ヴァルトシュタインは砦に依った戦いを研究しており、ボヘミア砦を難攻不落の要塞に変えていたのだ。敵の目論見通りに谷間に誘いこまれ、複数の曲輪から一方的に攻撃され続けた帝国軍は、当初想像していたよりも多くの犠牲者を出し、ついに撤退を開始する。
しかし、数で圧倒的に劣る義勇軍はこれを追撃することも出来ず、ただ帝国軍の包囲を黙って見守ることしか出来なかった。こうして、ボヘミア砦の攻防は、どちらからも手を出せない膠着状態へと陥ったのである。
一方、義勇軍が時間稼ぎを行っている間に、勇者領連邦議会は立て直しを図るが、再度の募兵は遅々として進んでいなかった。前回の大敗が尾を引いており、12氏族が用意したカーラ国の将兵の下へは、誰も付きたくなかったのだ。
彼らは決して下手くそな指揮を行ったわけではなかった。実際、会戦は圧勝ペースで推移し、当初、帝国軍を追い詰めていたのは寧ろ勇者軍の方だったのだ。しかし、そんな時に、たかが本隊からはぐれた敵の分隊に奇襲されただけで、本陣が逃げ出したのは許されることではなかった。その結果、勇者軍が総崩れとなったのだから尚更だ。
結局、連邦議会はカーラ国は責任を取れという世論に押される格好で将兵たちを解任、追い出された彼の国は捲土重来を狙って自国で挙兵し、部隊を西方に展開、虎視眈々と帝国軍の背後を狙っていた。
こうして将兵を失った連邦議会は、もはやなりふり構ってはいられないと、勇者領で絶大な人気を誇るレオナルドを担ぎ出そうと奔走する。しかし、政治の舞台からは離れていたいという
連邦議会は冒険者ギルドから派遣されたAランク冒険者を下士官として招き、彼らの名前を前面に押し出して再度の募兵を開始した。そして兵力が整い次第、
レオナルドの弟子である彼女もまた勇者領では人気が高く、なおかつ、今や救世主と呼ばれる義勇軍にも参加していたため、人選として申し分なかったのだ。お陰で募兵はスムーズに進んだのであるが……しかし、当の本人は現在ボヘミア砦にあって動けない。そのため、指揮官とは名ばかりで、実際の勇者軍はまだ大将を欠いた烏合の衆であった。
連邦議会はこの状況を打開するため、改めて使者をヴィンチ村へと派遣した。大君の言うとおりに冒険者を使ったのだから、今度こそ力を貸してくれと彼に迫った。要するに弟子の尻拭いであったが、レオナルドは断りきれず、話だけは聞いてやると、渋々使者を館に招き入れるのだった。
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鳳たちがニューアムステルダムでイチャイチャしている頃、レオナルドの館にその首都から、連邦議会の議員が訪ねてきていた。彼は今回の戦争に大君を相談役として招き入れようと、議会が遣わした刺客であった。
そんなことは百も承知のレオナルドは、そんなわけで、彼のことを客人としては扱わなかったようである。館のある丘へ続く長い坂を徒歩で登り、館に到着した彼は、玄関で散々待たされた後に、ようやく面会が叶ったと思ったら、執事に案内されてたどり着いた部屋には彼の他にも既に別の人がいたのである。
こうやって、釣れない態度を取られる可能性はある程度覚悟はしていた。しかし、国の将来について話し合う場に、第三者というか立会人がいるとは思いもよらず、流石に議員は戸惑った。しかも、そこにいたのはまだ少女と言っていい年頃の子供で、さらに何故かその子供は文机に縛り付けられて、涙目になっているのである。
齢300を越える大君の醜聞は聞いたこともなかったが、彼にはこんな趣味でもあったのだろうか……そんな勘ぐりたくもないことを考えていると、
「……待たせたのう。中々時間が取れず、こうして授業の合間に少し話を聞いてやることしか出来ずに悪いな」
「授業……ですか? 失礼ですがそちらの方は?」
「うむ、こやつは最近とった弟子なんじゃが、目を離すとすぐに逃げ出そうとするんでな、こうして椅子に縛り付けて、無理矢理勉強させておるんじゃわい」
あの大君が弟子を取ったという事自体も初耳だったが、しかもその弟子がこんなに若い少女だとは思いもよらなかった。議員がついさっき勘ぐってしまった己のやましい妄想に顔を赤らめていると、いつの間に近づいてきたのだろうか、その少女が彼の目の前でとびきりの笑顔を見せながら、
「これはこれはお客様。見た感じ、だいぶお疲れのようですね。道中、大変だったでしょう。すぐにお茶をお出ししますから、どうぞそちらにお掛けしてお待ちください」
「は、はあ……」
ずずいと迫られて仰け反っていると、たった今話をしていた大君が目を丸くしながら叫んだ。
「あ! これ! またお主は、当たり前のように縄を抜けるんでない! セバス!」
「畏まりました、旦那様。ルーシー、待ちなさい!」
ルーシーと呼ばれた少女は、館の執事に追い駆けられて部屋を出る前に取り押さえられた。執事は、離してと叫ぶ少女に聞き耳をもたずに、ズルズルと引きずりながら元の場所へと戻ってくると、また椅子に彼女のことを縛り付けていた。
「さあ、ルーシー。今日の課題が終わるまで、もうどこへも行かせませんぞ」
「ううう……助けて……お腹すいたよう」
「ご飯が食べたきゃきりきりペンを動かす!」
ルーシーは執事にじろりと睨まれながら、泣く泣くペンを動かしている。レオナルドの執事をしているくらいであるから、無論、セバスチャンも相当の手練である。そんな彼を相手に大立ち回りを演じるくらいなのだから、どうやら本当にあの少女は大君の弟子らしい。議員が唖然としながら二人の姿を見守っていると、
「すまんのう、見ての通り、手がかかる子なんじゃ。最近は儂にもよく分からぬ不思議な技で、隙さえあれば逃げ出そうとするでな、目が離せんのじゃわい」
「大君が出し抜かれるんですか……うーん、相当なお弟子さんですね」
議員が感嘆の息を吐くものの、レオナルドは逆に溜息混じりに、
「今の所、その才能が逃げることのみに発揮されているのが玉に瑕でのう……もう少し落ち着いて勉学に励んでくれれば、スカーサハのような大魔法使いになるのも夢ではなかろうに……」
「うーん……それは楽しみですね!」
「そうじゃの……っと、今はそんなことはどうでも良い。お主も世間話をしに来たのではあるまい。見ての通り、あれの面倒を見なければならぬので、手短に頼めるかいの」
「はっ……本日は突然の訪問にも関わらず、お会いしていただき、大変ありがとうございます」
そんなこんなで、ルーシーが部屋の片隅でスパルタ教育をうけている中、レオナルドと来訪者は応接セットのソファに対面になって座った。すぐに呼んでもないのに音もなくメイドが現れて、二人の前に紅茶を差し出すと、優雅にお辞儀をして去っていった。
議員はさっきの弟子にも驚かされたが、あっちも相当凄いな……と思いながら、議員特有の遠回しで回りくどくてわかりにくい言葉でレオナルドを勧誘し始めるのだった。
「本日は、先日より議会からお伝えしています通り、大君に我が国の顧問と申しますか、相談役になっていただきたくて参りました。此度の戦争はもはや我々だけの手には終えず、冒険者ギルドのみならず、大君のお力にお縋りしたいのが我々の本音なのです」
「それは、こっちも何度も言っておるが、気が進まんのう……」
すると議員はさもありなんと頷いて、
「そうおっしゃられると思いまして、今日は別件も持ってまいりました。先程、スカーサハ様の名前が出ましたが、その彼女からの手紙をお預かりしております。まずはこちらを御覧ください」
「スカーサハとな……?」
政治の舞台に上るつもりのないレオナルドは、あの国境の街で別れたあとのことは、全部スカーサハに任せるつもりでいた。まさか、そのスカーサハを出汁にして、自分を引っ張り出そうという魂胆ではなかろうかと、彼は憮然としながらその手紙に目を通した。
議員はそんな苦虫を噛み潰したような表情のレオナルドに、気後れすまいと腹に力を込めながら続けた。
「先日、大君に勧められた通り、連邦議会はギルドから高ランク冒険者をお借りして、彼らを下士官に任命いたしました。そしてその下士官を束ねる将軍として、義勇軍のヴァルトシュタインとスカーサハ様、両名を招き、作戦の自由を保障しました」
因みに二人の階級は中将であり、その上には大将……12氏族の国王しか存在しない。もし、12氏族の誰かが戦場に出れば、ヴァルトシュタインとスカーサハの階級は彼らの下であるから、作戦の自由はなくなる。
つまり、今回12氏族は一切口を出さない代わりに、その責任も取らないと言っているわけである。だから、作戦が成功すれば、ヴァルトシュタインとスカーサハは称賛されるだろうが、もし失敗した場合、一体誰が責任を取るのか……
スカーサハの手紙にはそのことが書かれていた。議員は続けた。
「ヴァルトシュタイン、スカーサハ様の両名は、我が国との契約に署名いたしました。大君であらせられれば、すでにお分かりかと存じますが、大変言いにくいのですが、この場合失敗した時の責任は、大君に帰されることとなります。ヴァルトシュタインはただの傭兵でありますし、スカーサハ様はあなたの弟子であります」
「はぁ~……そうじゃな。手紙にもそのようなことが書いてある。議会の承認なんかいちいち待っていたら戦争なんて出来ないし、どうせ誰かがやるしかないのだから、つべこべ言わずに責任を取れと……まったく、あの娘は」
レオナルドは溜息を吐いた。思い返せば前世から弟子には散々苦労させられたものである。聞いた話ではレオナルドが死んだ後、サライは不品行が原因の喧嘩で殺され、蔵書の全てを譲ったメルツィの子供たちは、その価値が分からずにガラクタとして切り売りしてしまった。
廻り廻って今生でも、スカーサハはこの通りだし、ルーシーもあの様である……老人は頬杖をつきながら、文机に縛り付けられて涙目でペンを動かすルーシーを見ながら溜息を吐いた。
「ですので、お弟子様の活躍を支援する意味でも、一度議会に来ていただければ……肩書などなんでも良いのです。相談役でも、顧問でも、なんなら見学だけでも構いませんので……」
「……そうじゃな。気が向いたらの。どちらにせよ、あの神人が自信満々に受けたのであれば、ちょっとやそっとでは失敗せぬじゃろう。それに、こっちの弟子を放っておくわけにもいかんからの」
「そうですか……それは残念です。出来れば、今度の議案だけでも参加して欲しいものですが……どうしても駄目でしょうか……?」
議員はこれだけ言っても大君を動かすには至らぬかと肩を落とした。これだけは何が何でも参加して欲しいという気持ちがありありと伝わってきた。レオナルドはどことなく歯切れの悪い議員に、
「なんじゃ、何か儂に聞きたいことでもあったんかいの」
「ええ、その、スカーサハ様のことなのですが……将軍職をお受けになられる際に、一つ条件を出して来られまして」
「またスカーサハか? 手紙には何も書いてないがのう」
「恐らく、作戦に関わることですので……」
議員は話したげにもじもじしている。ここまで来て、聞いておかないのも寝覚めが悪いと言うものだから、レオナルドが先を促すと、
「話自体は非常に簡単なのです。スカーサハ様は勇者軍本隊の指揮を引き受けるに当たって、まずはヴァルトシュタインの籠もるボヘミア砦の死守を条件にしたのです。勇者軍と帝国軍が、真正面からぶつかりあえば何が起きるかはわかりませんから、いつでも後方から飛び出せる義勇軍がいるといないでは大違いだと」
「そりゃそうじゃのう。それで?」
「そのためには、彼らに救援物資を届ける必要があるのですが……この砦がある場所がネックでして、増援を送りたくてもそう簡単には送れないのですよ」
議員は地図を広げて、ボヘミア砦の位置を大まかに書き入れた。
「砦はこのように、アルマ国と大森林に近い、ボヘミアの端っこに位置しております。つまり、勇者領でもかなり内陸部にあるために海路が使えず、おまけに街道は帝国軍が陣取っていて近づけません。そのため、もっと西側……例えばカーラ国のある辺りからボヘミアへ入り、峻険な山々を踏破する道を見つけなければならないのですが……このような道なき道を長距離移動し、平坦な道を探し出し、ついでに地図を作成し、なおかつ砦に物資を送り届けてくれるような冒険者は流石におらず……議会はその大任を誰に任せればいいかと頭を悩ませているところなのです」
「なるほどのう~……そうじゃのう。こんな人も寄り付かぬ秘境を、好き好んで探検するような冒険者など中々おらんからのう。どこにどんな魔獣が潜んでいるかも分からぬ」
「そうなんですよ。例えるならば、大森林の奥深くをネウロイまで行って帰ってくるようなものですよ。そんなクレイジーな冒険者がいるわけないじゃないですか」
「そうじゃのう。そんなクレイジーな……」
レオナルドは議員に相槌を打っている途中でその顔を思い出し、思わず頭を抱えてしまった。つい最近、そんなクレイジーなことを平気でやって戻ってきた奴らには心当たりがあった。しかもそのうち一人は、いま目の前で机に縛り付けられている。
彼がその顔を思い出していると、突然、応接室のドアがバタンと開いて、
「おーい、爺さん! 急なんだけどさあ、俺、ちょっとボヘミア行ってくるわ!」
ニューアムステルダムから帰ってきた鳳は、レオナルドが応接室にいると聞くと、来客中だというメイドの話も聞かずにズカズカと部屋に乗り込んできた。彼はニコニコしながら近づいてくると、老人の対面に座る議員に気づかずに、
「いやあ、今日、首都に行ったら昔の知り合いに偶然出会っちゃってさ! 昔話に花を咲かせていたら、そしたらボヘミアにお宝があるっつーんで、代わりに取ってきてあげることにしたんだよ。冒険と聞いたら、メアリーはついてきてくれるって。後はジャンヌとギヨーム誘ってみようかと……って、あれ!? お客さん? ごめん、出直した方が良いかな……」
鳳はそこまでべちゃくちゃ喋ってから、ようやく議員に気づき、恐る恐るといった感じに頭を下げた。議員も議員で、突然やってきた無礼者に戸惑いつつも、彼がボヘミアという言葉を口にしたのに興味を示し、
「大君、こちらは……?」
「……お主の探しておったクレイジーな若者じゃよ。鳳よ、ボヘミアへ行くなら一つ頼まれてくれるかの」
「ん? なに? 何か知んないけど任せてくれよ」
「お主は、せめて内容を聞いてから返事してはどうなんじゃ……」
「いいよいいよ。爺さんには世話んなってるからな」
「なになに……? 鳳くん、ボヘミア行くの!? いいなあ~、私も連れてって!」
「……あとルーシー、そんな気安く縄を抜けるでない」
レオナルドが議員に鳳を紹介していると、ルーシーが当たり前のように縄を抜けて会話に加わっていた。そんな彼女の代わりに、机にはセバスチャンが縛り付けられている。どうやったらそんな芸当が出来るのか分からないが、そろそろこの少女も自分の手には負えなくなって来ているのかも知れない。
レオナルドは溜息を吐いた。丁度、ボヘミアには