ラストスタリオン   作:水月一人

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だよねー

 海風が甲板を通り抜けていった。海鳥が大きな翼を広げ船と並走するように滑空している。そんな強力な風を受け、順風満帆の船は外洋を航行していた。鳳たちは現在、ボヘミアへ向かうため、ニューアムステルダムから北へと向かう船中にいた。

 

 帆船というものは風を受けて走るために、基本的にどちらかに傾いている。そんな斜めに傾いた船体が波を越えるたびに大きく揺れるから、普段から乗り慣れていない者では立って歩くことすら困難だった。おまけに、風向きが変わるたびに船員が忙しく動き回るから、乗客は船室で寝っ転がってるくらいしかやることがなかった。

 

 船室はどこもそんな乗客が積み荷のように寝転がっていた。船旅と言うと豪華客船のようなものを思い浮かべて、生バンドやダンスパーティーのような楽しいイベントがあるに違いないと勘違いしてしまうが、現実はこんなものである。

 

 そんな船旅の一番の敵は言うまでもなく退屈であったが、鳳はこんな時のためにと、ニューアムステルダムで買った本を持ってきていたので、他の人達よりもずいぶん快適な時間を過ごせていた。初代ヘルメス卿……すなわち、アイザック・ニュートンの著書を紐解くことは、退屈しのぎにうってつけだったのだ。

 

 ニュートンの著書といっても、元の世界のプリンキピアとはだいぶ様相が違い、内容はまるで別物である。最初の一章こそ、彼の最大の功績たる力学の解説に割いているが、その方法として極限と微分積分が何の説明もなくいきなり使用されており、これは明らかに現代数学を学んだ者を意識して書かれているようだった。

 

 そして第二章では光学の研究について論じており、光が粒子であることを切々と解説している。これは前世でホイヘンス学派と争った、光の粒子・波動論争の決着をつけるべく、特に注力されているようで、前世でその結論までたどり着けなかった彼の無念さが窺えた。

 

 現代でこそ光の正体は波動と粒子、二つの性質を合わせ持つエネルギーであることが判明しているが、それが分かるのは彼の死後200年も経ってからである。当時は光の散乱や回折現象から、波動説が優勢であり、彼は自説を引っ込めねばならなかった。

 

 お陰で20世紀になるまで、光を粒子などと言うものは一人もいなかったのだが、それが変わったのはアインシュタインの光量子仮説が登場したからである。彼は光電効果を引き合いに、光が粒子でなければこの現象を説明できないと論じ、後にノーベル賞を受賞する。

 

 この世界のニュートンも同じように光電効果という現象から、光の粒子性について論じており、特に驚いたのは彼が自力でバルマー系列にたどり着いていることだった。流石、数学の天才と言われた男の面目躍如である。

 

 バルマー系列とは、水素原子の吸収スペクトル線の並びに、法則性があること発見した数学者バルマーの功績を讃えてつけられた名称である。具体的には『656.28, 486.13, 434.05, 410.17』これらの数字に『λ=f(n^2/n^2-4)』の関係式が成立することを示している。

 

 こんな、ただの数字の羅列を見て、そこに法則性があることになんて普通の人なら気づかない。ところがバルマーは数学者であったから、たまたまこの関係に気づいたのだ。しかし悲しいかな、数学者たる彼はこの美しい関係式を導き出すことで満足し、それ以上深くは考えなかった。

 

 だが、水素原子にこんな法則性があるということは、そうなるだけの理由があることを示唆しており、ニールス・ボーアはこれをヒントに、後に量子論の扉を叩くこととなる。

 

 この世界のニュートンもこれらの現象から、量子の存在を示唆しているが、それは他者の著書に譲るとまとめて章を閉じていた。どうやら彼自身、この世界に来てから、魔導書と呼ばれる類の本を見て、量子論や相対性理論に触れていたようである。

 

 その証拠に、第三章では相対性理論から導き出した、彼自身の宇宙観について論じている。最初は特殊相対性理論から、自身の提唱した絶対時間と絶対空間の間違いを認め、時間と空間が同一であることを説明し、続いて一般相対性理論から時空の歪みについて解説している。

 

 彼は、重力によるこの時空の歪みが他次元にも及ぶものと仮定し、この世界が高次元空間の中に存在する、三次元のエアポケットのようなものだと考えた。我々の住む3次元空間の外には高次元の空間が広がっており、そしてそこにはまた我々とは違う別の高次元存在が暮らしている。それがすなわち、神のような形而上の存在なのではないかと彼は示唆する。

 

 そして面白いことに、彼は最後の第四章をまるまる使って、神の実在について語るのだった。実は本家プリンキピアでも、彼は神の存在について触れているのだが、それは当時の対抗宗教改革の最中にあって、敬虔なクリスチャンであった彼が悩み抜いた末のことだった。

 

 言うまでもなく、彼の力学は惑星の運動をヒントに、地動説を枕にして作られた学問体系である。ところが、当時の教会は地動説を異端視していたから、彼は自分の研究を進めれば進めるほど、神の言葉に逆らう結果となってしまう。更には、教会に目をつけられたら、最悪の場合禁書にされてしまう可能性があり、彼は出版を維持するためにも、その著書で神の存在に触れなくてはならなかったのだ。

 

 元の世界ではこのように、消極的な理由で語られたものだったが……ところが、こちらの世界の著書では、彼は積極的に神の実在に触れていた。どうやら彼は、この世界に神がいることを、本気で信じているようだった。

 

 どうも彼は、この世界は形而上存在によって作られた、神の国のような場所だと考えていた節があるのだ。

 

「ツクモー! ……またそれを読んでいるの? そんなに面白いのかしら」

 

 鳳がハンモックに寝そべりながら本を読んでいると、船室にメアリーが入ってきた。彼女は神人であるからか、超人的なバランス感覚の持ち主であり、この揺れる船の中でも自由に動き回ることが出来た。そのため、よく退屈しのぎに甲板をぶらついているようだった。

 

 と言うのも、彼女以外の仲間はみんなこの揺れのせいでグロッキー状態であり、普段ならジャンヌ辺りと仲良く遊んでいるものなのだが、現在、船内で彼女の暇つぶしに付き合える者がいなかったのだ。

 

 それなら鳳が遊んでやればいいのにと思いもするが、そこはそれ、彼は彼で手に入れたばかりの本を読むのに夢中だった。船を降りた後の陸路では、これだけまとまった時間を取ることは出来ないだろう。だからこの難解な本を読み解くには、今の時間がとても貴重なのだ。

 

「まあね。大昔の人が何を考えているのかを知るのは、とても興味深いことだよ。自分も良く知ってる人ならなおさらね。メアリーは、初代ヘルメス卿と知り合いだったんだろ? 彼が何を考えていたのかを知りたくならないか?」

「別に。彼のことは知ってるつもりだし、アイザックは彼だけじゃないもの」

 

 独特な言い回しだが、長い時を生きる彼女にとっては、先祖もその子孫も、みな等しくアイザックという個人のように見えているのかも知れない。鳳は、ふ~ん……と生返事をしながら、

 

「そう言えば、初代ヘルメス卿は神様のことについて、おまえに話してくれたんだよな。なんだっけ? エミリアとソフィアと精霊は……」

「三位一体ね。彼はそう言ってたわ」

 

 その言葉が示す通り、初代ヘルメス卿ことアイザック・ニュートンは敬虔なキリスト教徒である。従って、彼の語る神というのは、遠回しにキリストのことを言っていると考えて差し支えないだろう。つまり彼はこの世界を、神が導いてくれた天国のような場所と考えていたようだ。

 

 ヨハネの黙示録にはこの世の終わりのことが書かれている。世界の終わりには悪人も善人もみな等しく復活し、神による最後の審判が下される。そこで神によって選ばれた者だけが、続く神の国へと誘われ、永遠に生き続けるのだ。

 

 この世界のニュートンは、他ならぬ自分の存在をあげて、ここは審判後の世界であると考えたようだ。この世界には放浪者(バカボンド)という、過去の偉人たちが次々に現れて奇跡の力を振るっているが、それこそがこの世界に、神に選ばれた人々が集められている証拠ではないのか。

 

 しかし、ここが神の国だというのであれば、魔族や獣人のような異形の存在をどう説明するのか。それに関して彼は、ここでは今、天使と悪魔による最終戦争が行われているのだと考えた。この世界には、人間、神人、獣人、魔族という大雑把に4種族が存在し、それぞれが競い合い、最終的に生き残ったものが、神の国へと誘われるのではないかと。

 

 それが300年前の魔王襲来であり、続く勇者戦争なのだと考えれば辻褄は合うし、彼が勇者派を組織して神聖帝国と戦った理由も分かる気がする。だが、それならメアリーの存在はどうなるのだろうか。彼が帝国ではなく、神人という種族そのものを敵視していたならば、彼女を保護するようなことはなかっただろう。

 

 だから、彼はもう少し別のことを考えていたと考えられるが。残念ながら、それはこの著書には、はっきりしたことは書かれていないようだった……ただ、その代わりに面白い記述を見つけた。

 

 この世界にはまだ鳳が見たことのない翼人という種族が存在するらしく、どうやら彼はこれが天使の末裔ではないかと考えているようだった。つまり彼は神人を神の使いとは考えていなかったのだ。

 

 翼人とは新大陸の北部に生息する希少種族で、獣人ではなく、人間や神人に近い見た目をしているそうである。空を飛ぶことはないが、名前の通り背中に大きな羽が生えていて、まさに絵に書いた天使のような見目麗しい姿をしているらしい。もしかすると初代ヘルメス卿は、これを見たから、この世界が神の国と考えたのかも知れない。

 

「……うう……おい、おまえら。さっきから人の横で小難しい話ししてんじゃねえよ。喋んなら外に行くか、黙ってそこで寝ててくれ」

 

 鳳とメアリーが本についてぺちゃくちゃおしゃべりしていると、それを隣で寝転がって聞いていたギヨームがぼやくように言った。

 

 彼は乗り物酔いで、船に乗ってからずっとグロッキー状態だった。食事を摂っても、すぐに戻してしまうので、ここ二日は流動食のようなものしか食べていない。今朝も、さっき果物ジュースを飲んだきりで、深刻そうな表情で頭を抱えてずっと寝転がっていた。

 

 因みに、同行しているジャンヌもルーシーも、程度の差はあれ、似たようなものであり、二人共ぐったりと目を閉じて眠っている。

 

「ったく……おまえらは良くこんな環境で平気でいられるな。メアリーはともかく、運動音痴の鳳ごときが平気なのは、なんか無駄に殺意が湧くぜ」

「人をコケにした上に、殺意まで向けないでくれる!? ……でも、そうだなあ。俺もそこまで乗り物に強いってわけじゃないのに、何故か平気だな。船に強かったのかな」

「もしかして、本を読んでるからじゃない? 何かに没頭していると、他のことは気にならなくなるもの」

 

 メアリーが言うが、もちろん鳳は頭を振って、

 

「いや、普通、こういう時に細かい文字を読むのは逆効果だと思うよ。でも、そうだなあ……なんならギヨーム、試してみるか?」

「やめてくれ、考えるだけで吐きそうになる……」

「だよねー」

「でも、それじゃ、どうしてツクモは平気なのかしら?」

「さあ? 案外、MPポーションキメてるからじゃないか? 難しい本ずっと読んでるから、MP削られるんだよね」

「そんなんでMPが減るわけねえだろ。嘘言うんじゃねえよ、シャブ中が」

「だよねー」

 

 あははははー……っと笑ってはいたものの、実際に鳳が酔わなかったのは、これのお陰だったようだ。大麻のような鎮静鎮痛効果のある薬は、現実にも酔い止めとして使われている。それがたまたまいい方向に出ていたらしい。

 

 その後、あんまりにも鳳の調子がいいものだから、試しにルーシーが使ってみたところ症状が改善したため、ジャンヌとギヨームも分けてくれと言い出した。普段、鳳のことをジャンキーと呼んで蔑む彼らがクスリを求める姿は滑稽である。

 

「へへへ、旦那、上物がありますぜ、うふふふふ」

 

 と上機嫌に笑っていたら、ギヨームが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

*************************************

 

 一部の人には地獄のような船旅も終わり、鳳たちは勇者領北西部カーラ国の港へ降り立った。

 

 例の魔王派なる武闘派集団の本拠地として悪名高いここカーラ国は、ボヘミアに近いせいもあってか、勇者領の中でも山がちな、主に畜産業が盛んな土地柄のようだった。

 

 土地が痩せているために人口は少なく、食い扶持を稼ぐために農家の次男坊、三男坊あたりは兵隊になるものが多いらしい。男たちは気が荒く、女たちは従順、勇者領で唯一常備軍を持っているのは、そういった背景もあるようだった。

 

 その軍隊は現在、領内の東部に布陣しており、ボヘミア砦の攻防で動きがあったら、いつでも飛び出せるように臨戦態勢を整えていた。カーラ国の将校が、前回の戦いで勝利を目前にしながら敗北したため、勇者領内での立場が微妙となっており、捲土重来を狙って士気は高いようである。

 

 鳳たちは今回、冒険者ギルドというか連邦議会の要請でボヘミア入りするのだが、その道案内を頼むべく陣中に入ったのに、思った以上に煙たがられて辟易した。特に神人であるメアリーに対しては露骨な敵意を向けてくるものもあり、この国の反帝国、反神人傾向の高さを窺わせた。

 

 兵士たちはみんな気が立っているのか、どこへ行っても非協力的で、そのくせ、道が分かったら真っ先に知らせろと高圧的に言ってくる。どうやら、人気の高い義勇軍と合流することによって、虎の威を借りたいようである。

 

 だったらせいぜい、こちらの邪魔はしなければいいのに、何故武闘派というのはどの国も、周囲を威圧することでしか立場を保つことが出来ないのだろうか。弱い犬ほどよく吠えるというが、せめてその威勢の良さくらいは役に立ってもらいたいものである。

 

 そんなこんなで、カーラ国への印象は地に落ちたが、幸いにも連邦議会の紹介状が効いて、当初の予定通り、ボヘミアへの道案内は確保できた。

 

 鳳たちは紹介された行商人と共に陣中を離れ、いよいよボヘミアへと入るのであった。

 

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