ボヘミア入りした鳳たち一行は、最初に訪れた村でジャンキーのポポル爺さんと出会った。
一日中でもアヘンを吸っていたいという爺さんは、隣村のアヘンを分けてもらいたいという理由で鳳に同行を依頼したが、ボヘミア砦まで行かねばならないという彼の言葉を受け入れて、行き先を砦に変えた。爺さんがいうのは、砦の近くに物凄いケシの大草原があるらしく、彼は途中の村々でアヘンを分けてもらいながら、そこまで行きたいというのだ。
村の若手ダンが言うには、爺さんの体はよぼよぼだが、頭の方はしっかりしているから道案内くらいは大丈夫ということだった。そんなわけで鳳は彼を仲間に加えることにしたのだが、もちろんギヨームは嫌がった。
「あのなあ、鳳。今更ジャンキーが一人二人増えようが文句は言わねえよ。だが、こんなよぼよぼの爺さんを連れてってどうするんだ? こんなののペースに合わせていたら、日が暮れちまうよ。トカゲ商人のアドバイスを忘れたか?」
「でも可哀相じゃんか。よぼよぼとは言っても爺さんも歩くくらいは出来るんだし、別の村に到着するたびにガイドを変えていたんじゃ、いつかどこかで断られて立ち往生するかも知れない。爺さんは最後まで案内してくれるって言ってるんだし、いざとなったら俺がおぶって連れてくから」
「そんなの出来るわけねえだろ。いっくらガリガリの爺さんとは言っても、40キロくらいはあるんだぜ? 音を上げるに決まってらあ」
確かにギヨームの言う通りで鳳の認識は甘いと言わざるを得なかった。しかし、そんな問題はあっさりと解決してしまった。鳳たちが爺さんの同行を認める認めないで揉めている間に、その爺さんのためにダンが一頭のポニーを連れてきた。ダンは爺さんとボソボソ何かを話した後、
「それじゃあ、くれぐれも気をつけて爺さんをカナンのとこまで運んでやってくれ」
「カナン……?」
「聞いてなかったのか?」
カナンとは、ポポル爺さんの言う凄いケシ畑の持ち主の名前だそうである。まだ見ぬ上質アヘンを求めて、ポニーに乗って
「おまえ、そんなことばっか言ってると、いつか狂信者に殺されるぞ」
そんなギヨームのぼやき声は聞こえたが、案内人に馬までつけてくれるなら文句はないと、彼もそれ以上反対することはしなかった。彼らは村長とダン、それからここまで案内してくれたトカゲ商人に別れの挨拶をし、次の村へと旅立った。鳳が爺さんの家でアヘンを吸っていたせいで慌ただしい出発となった。
旅立ち前にポポル爺さんが言っていた通り、この近辺の集落はみんなケシを栽培しているらしい。その歴史は古く、いつから育てているのかはわからない。少なくとも、爺さんがこの村にたどり着いた時には、すでにケシ栽培はどこの家でも普通に行われていたそうである。
この近辺の集落は、帝国の元農奴であった人々が定住して作られたものだが、この辺の気候がケシ栽培に適しているため、自然にそうなったのだろうか。ただ、ケシは弱く、自生していたとは思えないから、大昔に誰かがここに持ち込んだのは間違いないようだ。
そんなケシの実から出る液汁であるアヘンは、古くからシャーマンが祭祀の際に使用する興奮剤として利用されていた薬である。ギリシャ神話の神酒ネクター、ヒンドゥー教の霊薬ソーマなど、正体ははっきりしないが記述だけが残っているこれらの飲み物は、恐らくアヘンではなかったかと思われる。
そう考えると少なくとも紀元前にはインドから中央アジアまでに広まっていたようであるが、残念ながらその原種は見つかっていないため、どこが原産地かは未だに判明していない。気候条件的にはヨーロッパが原産地ではないかと言われている。
ケシは冷涼で乾燥した気候を好み、熱帯雨林は適さない。紀元前から脈々と品種改良が行われてきたせいか、今となってはカイコみたいに人間が手入れをしてやらねば育たないという、経済植物になってしまっている。
日本でも、戦前に栽培していた名残か、たまに雑草として道端に生えているのが見つかり騒ぎになるが、基本的には弱い品種と言える。原産地がヨーロッパなので、元々はアジアには存在しなかったのだが……それが広まったのは言うまでもなくアヘン戦争が原因であった。
その昔、世界に冠たる大英帝国は東インド会社を設立、スペイン・ポルトガル連合に勝利して、インドの植民地化に成功した。インド東部ベンガル地方に進出した彼らは、その触手をさらに東へと伸ばし、ついに中国大陸の清に到達する。
この時、彼らが始めから清を侵略する意図を持っていたかどうかは定かではない。この際だからそんなことは無かったと考えよう。しかし、彼らは出会ってしまったのだ。
清に到達した英国人は、たちまち中国のお茶の虜になってしまった。日常的にカフェインを摂取している現代人は慣れてしまっているが、元々、カフェインとは覚醒剤のことである。今でもエナジードリンクでカフェインを過剰摂取すれば、それなりに効き目を感じることから、その作用が分かるのではなかろうか。それまでカフェインなど摂ったことがなかった、当時の英国人がお茶から受けた衝撃は、計り知れないものがあったようである。
しかし、彼らはお茶を手に入れたくても、交換できる材料を持っていなかった。その頃の英国の主産業はインドの綿織物で、そんなものは清では珍しく無かったのだ。そのため、三角貿易でせっかく手に入れた大量の銀を、清に流出する羽目になってしまった大英帝国は、一計を案じることにした。
こうして英国面をいかんなく発揮した紳士たちは、首尾よく殆どタダでお茶を手に入れることが出来るようになった。しかし、急激なアヘン汚染の広がりに驚いた北京政府は、間もなくアヘンの禁輸措置を取り、イギリス商人からアヘンを没収、これを不服とした大英帝国との間で戦争が勃発する。後は知ってのとおりである。
とにもかくにも、そんなわけで、アヘンの材料であるケシという植物は、元々は高原植物だったのだ。鳳が大森林でいくら探しても見つからなかったわけである。しかし、ここボヘミアは気候的に適しているため、今ではこの近辺で育てていない農家はないそうである。
となると、ここはゴールデントライアングルもかくやという、一大アヘン生産拠点であるわけだが、どうしてそんな楽園が、帝国や勇者領……というか自分の耳に伝わっていなかったのかと鳳は疑問に思った。
すると、ポポル爺さんはポニーの上でのんきにパイプをふかしながら、
「それはここの人たちが、自分で使う分しか作らないからだなあ」
「どうして? もっと沢山作って売れば、いい暮らしが出来るかもよ?」
「いい暮らしって?」
「そりゃあ……おいしいものを沢山食べて、大きな家に住んで、綺麗な服を着て、毎日遊んで暮らすとかかな……?」
「それはお金がないと出来ないことなのか? 例えば料理を練習したり、自分で家を建てたり、裁縫したり」
「いや、工夫をすれば出来るだろうけど、お金があればその苦労を買って出る必要もなくなるでしょ?」
「ふーん……お金があれば楽になるのか……なるほどなるほど」
そう改まって言われてしまうと、鳳は自信が無くなってきた。爺さんはそんな鳳には一瞥もくれずに黙々とアヘンを吸いながら、
「いい暮らしがしたいんだったら、こんなところで暮らしてないさ」
「そりゃまあ、そうか……」
「ねえ、君。ちょっと実験してみよう。今、君の目の前に小さなキャンディと大きなチョコレートがある」
「なんだい藪から棒に……?」
爺さんは相変わらずこちらの方は見向きもせずに、ぼんやりと空中に視線を飛ばしながら続けた。
「多くの人にとってキャンディよりもチョコレートの方が価値があるとする。君もそう思っているとしよう。ところで、今、魅力的で楽しい仕事をしたらキャンディをくれると言う人と、退屈で面倒くさい仕事をしたらチョコレートをくれるという人が居たとして、君ならどちらを選ぶ?」
「え……? そうだなあ……まあ、楽しんでキャンディを貰ったほうがマシだろうな」
「なるほど、じゃあ今度はこうしよう。今、キャンディかチョコレートに変えられる商品券があるとする。キャンディを手に入れるには商品券が6枚、チョコレートなら10枚が必要だとしよう。この時、魅力的で楽しい仕事をしたら商品券を6枚くれると言う人と、退屈で面倒くさい仕事をしたら10枚くれるという人が居たら、君はどうする? 仕事は一回こっきりだ」
「う……うーん……そうだなあ。それなら、面倒くさい仕事でも、選んでしまうかも知れない」
鳳は自信なげにそう答えた。と言うのも、彼はもう爺さんが言いたいことがわかっていたのだ。わかっていながら、彼は自分の意に反する答えを選ぼうとしてしまっていた。
「もう気づいていると思うけど、この二つは言い方を変えただけで同じことを聞いているだけだ。最初の質問と二回目の質問、どちらを選んでも結果は同じになる。なのに君は、最初は殆ど悩むこと無く、簡単な仕事を選んでいたはずなのに、二回目の質問では大分迷って後者を選んでしまった。君は出来ればチョコレートが欲しいけど、そのために苦労はしたくないと思ってた。ところが、商品券というクッションが間に挟まっただけで、その選好が崩れてしまったんだな。
言うまでもなく、この商品券というのはお金のことだ。人間っていうのは、目的があって仕事を始めたはずなのに、そこにお金が介在すれば、知らず識らずのうちにお金の方が目的になってしまうんだな。それも仕方ないことだろう。自分の好みは目に見えないけれど、お金というのはわかりやすく力を数値化するものだから。多いほうが良いに決まっている。
だが、本質を見誤るな。君は本来、楽してチョコレートを得たいと思っていたはずだ。それが駄目なら、キャンディで十分だと。お金はそのための手段でしかなかったんだ。
僕は必要なだけの作物を作り、必要なだけの肉と交換し、余った時間でアヘンを吸ってダラダラ生きる。今の暮らしの方が、ずっといいと思うな。ここは確かに不便だけど、都会にはない長閑さとか、楽しさみたいなものはあると思うよ」
鳳はう~ん……と唸り声を上げた。なんというか、ウォール街のジョークを思い出した。結局のところ人間に必要なものなんて、衣食住と適度な仕事だけなのだ。それ以上を追い求めても、そのために失われる自由と苦痛とに相殺されて、ほとんど意味がないような気がする。
「食う寝る遊ぶ……か。確かに、それに勝る生活はないもんな。考えてみれば、俺も都会で一旗揚げたいとかそんな野望があるわけでもないし、ここでの生活のほうがあってるのかも知れない。この仕事が終わったら、俺もここに永住しようかな……」
「おいおい、やめてくれよ!? 今更おまえに抜けられちゃ、うちのパーティーはどうなっちまうんだ」
「わかってるよ。メアリーのレベル上げを手伝う約束もあるしな。ただ、言ってみただけさ」
鳳はそう言って話を終えたが、頭の中ではまだそんな将来のことを考えていた。
結局、今のパーティーだって、いつかは解散するのだ。ギヨームは将来、牧場経営をしたいと言っていた。ジャンヌだっていつまでも鳳といるよりも、どこかに士官したほうが良いかもしれない。ルーシーはレオナルドの後継者として本気で修行した方がいいと思うし、メアリーはどうなるか分からないが、寿命のことを考えると、彼女とはいずれ遠い将来に必ず別れることになる。
その時に後腐れないように、自分も将来のことをもう少し良く考えたほうがいいかも知れない。ポポル爺さんのアヘンの匂いを嗅ぎながら、鳳はそんなことを考えていた。
**********************************
村から村を巡る旅は順調に続いた。ポポル爺さんは確かにでっかいお荷物だったが、一緒に連れてきたポニーは凄く働き者だし、ダンが言っていた通り頭の方はしっかりしていたから、村での交渉では寧ろ鳳たちなんかよりよっぽど頼りになった。
と言うか、この近辺の村々は非常に広範囲に散らばっているのだが、結局の所、人口密度が少ないだけあって、どこもかしこも元をただせば同族なのだ。だから、どこへ行っても鳳たちは最初はよそ者と思われ警戒されたが、そこにポポル爺さんがいると知ると、打って変わって歓迎された。
亀の甲より年の功とでも言うべきか、爺さんはどこの集落にも顔見知りがいて、中には何も言ってないのに、今年収穫したばかりのアヘンを持って駆けつける者までいるくらいだった。
そんな感じで鳳たち一行は、朝に村を出て夕方までに隣村へ到着すると、そこでまた阿片窟みたいな寝床を借りて、夜はスパスパとアヘンを吸う生活が続いたのであった。この辺では名の知れた爺さんは、黙っていても誰かしらがアヘンを持ってきてくれるから、そのご相伴に預かっているうちに、鳳はすっかり一人前のジャンキーになっていた。
「あ~……気持ちいいんじゃあ~……」
「おまえ、いい加減にしないとホント身を滅ぼすぞ」
そんな鳳のことを仲間たちはみんな呆れながら見ていたが……鳳とポポル爺さんが阿片窟へ籠もっていると、ある時からメアリーもふらりとやって来るようになった。
村から村へと渡り歩いているうちに、季節はめぐりアヘンシーズンは終わりを告げていた。村人たちは秋に向けて畑を耕すのだが、焼き畑をする時にメアリーのファイヤーボールが役に立った。
ファイヤーボールは地面に向けて撃っても殆ど意味を成さないが、それでも田畑を燃やすくらいの火力はあった。その火加減が程よく田畑を焼いてくれるから、いつからか彼女は村人たちに重宝がられるようになっていた。
元々、献身性の高い彼女は、そうして求められるままにファイヤーボールを撃っていたのだが、もちろん、そんなことをいつまでも続けていたらMPがいくらあっても足りない。そこでふらりと阿片窟へやって来るようになったわけだが、彼女に言わせれば、実際にここに来ればMPの回復が早くなるようである。
以前、キノコでオーバードーズしてしまったトラウマがあるからか、彼女は直接アヘンを吸おうとはしなかったが、匂いを嗅いでいるだけでも相当効果があると言っていた。魔法具屋の店主がハイポーションと言っていたが、どうやら本当のことだったようだ。
それにしても、大麻がMPポーションだったり、アヘンがハイポーションだったりと、実際このMPというものは何なんだろう? この世界の魔法がどのように行使されているのかもイマイチよく分からないが、頭の中で何かが起きていることだけは確かのようだ。
そんなことを考えつつ、ポポル爺さんのお陰で旅は順調に続き、いよいよ明日にはボヘミア砦が見えるという最後の村へとたどり着いた。そこは出かける前にダンが言っていたカナンという人が住む村だそうだが……
見渡す限りの白を前に、鳳は溜息を吐いた。初めて爺さんにアヘンを吸わせてもらった日、彼が言っていたケシの大草原が、そこには本当にあったのである。