当初、相当苦労すると思われていた連邦議会の依頼は、ポポル爺さんという強力な助っ人のお陰で、あっという間に完了してしまった。爺さんはここボヘミア南部の地理に明るく、この山奥でずっと暮らしていたために顔が広く、各村から協力を拒否もされることなく、鳳たちは順調に地図を完成させられたのであった。
地図、と言っても正確な測量をしたわけではなく、どの村を通過したら次はどの村へ向えばいいのか? と言った手順のことであったが、その村々での案内人の確保と、救援物資の通過許可も得たことから、目的は十分に達せたと言って良いだろう。
ボヘミア砦はもう目の前で、元難民であった村人に言わせれば、今日中にもすぐ到着するはずだった。後はギルドに戻ってこれを報告し、協力してくれる村人たちを刺激しないように念を押せば、それで依頼は完了である。
困ったことに、殊勲のポポル爺さんはカナンの村に着くなり、さっさと阿片窟に入ってしまって、ろくにお別れも出来なかったが……爺さんには、落ち着いたらまた会いにくればいいだろう。どうせ手持ちのアヘンが尽きたら、また近いうちに取りに来るかも知れないのだし……
彼は、私用目的では絶対に使うなと言うカナンの言葉も忘れ、そんな不謹慎なことを考えながら、ついにボヘミア砦へとやってきたのであった。
難攻不落の要塞と聞いていたボヘミア砦は、実際に見てみたら驚くほどチャチな作りであった。
山の上にあるその砦は、普通、城といえばすぐに思い浮かべるような石垣は殆ど見当たらず、どこも土と板の遮蔽物で曲輪を囲っているのがせいぜいという、非常に脆いものとなっていた。それを帝国軍が攻めあぐねているのは、適切な曲輪の配置と、ライフルを主とした戦術のお陰であろう。
山の稜線に複数ある曲輪は、下から攻めてくる敵を必ず2方向以上から迎撃できるように配置が工夫されており、兵士たちは板塀に空けられた銃眼からライフルで狙い撃つという戦術を取っていた。板塀は断崖絶壁の上にあり、下から近づくことも狙い撃つことも出来ない。それでも帝国軍が無理して攻めようとするなら、谷を進んで砦の中心を目指すしかないが、その先にはバリケードが築かれており、そこで足止めを喰らえば、今度は都合3方向から銃撃されるのだ。
何を当たり前なと思うかも知れないが、元からこのように都合のいい山なり自然物なりを探すのは難しい上に、そもそも要塞は相手に攻めてきて貰わなければ用をなさない。ここに敵がいたら困るという位置に縄張りし、その上で籠もる兵力を計算し、十倍する敵を撃退し続けているのだから、これを作ったヴァルトシュタインという男は、かなりの戦上手と言えるだろう。
砦から臨む谷間の先の平原には、今も3万の帝国軍が虎視眈々と要塞を狙って布陣しているのが見える。この状況で、砦に籠もって戦い続けている義勇軍の精神状態はいかほどのものだろうか。自分だったら堪らず逃げ出してしまうかも知れないだろうに、カナンの村でそういった話を聞かなかったことからしても、ここを守る将兵はよほど人心掌握に長けた人物だ。
そのうちの一人には、すぐに会えた。
鳳たちが村人の案内で砦に着くと、見張りの兵士が彼らの接近に気づいて砦の中に何かを知らせる手旗信号を送っていた。警戒しているところに不用意に近づいても平気だろうかと尻込みしていると、その砦の裏口を固めるバリケードから、ひょっこりと美しい女性が現れた。
こんな山奥の砦にはとても似つかわしくない彼女は、言わずと知れた神人スカーサハである。レオナルドの弟子でもあるという彼女は、鳳たちがやってきたと聞いて、居ても立ってもいられずに、出迎えにやってきたのだ。
両手を広げてジャンヌ、ギヨーム、メアリーと次々にハグを交わしたあと、鳳としっかり握手を交わした彼女は、何故か彼の能力を買い被っているようだった。
「お久しぶりね、あの国境の町以来だわ。あの後、師匠を押し付けてしまったけれど、息災でしたか」
「お久しぶりです。お陰様で、元気でしたよ。爺さんには、今となってはこっちの方が世話してもらってるようなものなんで」
「大森林では大変だったでしょう?」
「キャンプでお椀やお箸をナイフで削り出してくれたり、活躍してくれましたよ」
「ふふふ……レオナルド作のお椀でお食事なんて素敵ね。きっと、ニューアムステルダムでオークションに掛けたら結構な値段がつくはずよ」
言われてみれば……大森林から出た後は不要になったから、何も考えずに焚き火に入れてしまったが、記念に取っておけばよかったかも知れない。また言えば作ってくれるだろうか?
「ギルドから、あなたたちが来てくれると聞いて楽しみにしていたのよ。こんな重要任務を任されるなんて、暫く見ないうちに相当腕を上げたみたいね」
「そうなんですか? ……っていうか、ギルドからの連絡ってどうやって受け取ってるんですか? 俺たちがボヘミア山中を旅している間、そういった伝令みたいなものは見かけませんでしたが」
「あら……それはもちろん、すぐそこの麓からよ。ここは大軍は攻めにくいけど、一人ならいくらでも抜け道があるように出来てるわ。あなたが国境の町で作り上げた陣をヒントにしたんだけど、気づかなかった?」
「いえ、全く……っていうか俺、そんなこと考えたことも無いんですけど」
彼が国境の町を固める時に取った方法は、単に、以前読んだことのある日本のお城の話を真似たものだった。どこでそんな勘違いをされたんだろうか? と思っていると、スカーサハはそんな謙遜しなさんなと言いつつ、
「なんにせよ、あなたに来て貰えてとても助かったわ。ヴァルトは今、前線なのですが、後で紹介しますから、あなたにはこの後の作戦会議に出席して欲しいのだけど」
鳳は目を丸くした。
「はい!? いやいや、そんな大事な作戦会議に、どうして俺なんかが?」
「あの街の防衛作戦を指揮したのはあなたでしょう。私たちは、あの時のあなたの手腕を買っているのよ」
「買いかぶりすぎですって。あんなのはたまたま博打が当たっただけで……それに、俺は今回の戦争には、最初から一切関わらないと決めてますんで」
鳳が必死の抵抗を見せると、スカーサハは少し困惑気味に目をパチクリさせて、
「えっ? そうなの……でも、それならどうしてこの砦まで来てくれたの?」
「それは単にギルドの依頼だからですよ。ギルドは今、戦争のせいで人手不足で、俺たち以外に依頼を受けられそうな冒険者がいなかったんです」
「そうだったの……」
「ですんで、今回みたいな、流石に責任重大な会議に、そんな俺みたいのが参加するわけには……」
「そんなことは気にしなくていいわ。その作戦会議の責任者があなたに会いたがっているんですから。ヴァルトはずっとあなたに会えることを楽しみにしていたのよ。なんでも、あなたの故郷の放浪者と彼は友達らしいのよ」
「そうなんですか? その放浪者ってのには興味ありますが……でも、すみません、俺はもうどっちの味方もしたいとは思いませんので……」
「ふーん……」
スカーサハは額に手を当て目をつぶり、何かを一生懸命考えているような素振りを見せてから、やがて諦めたといった感じに深く溜め息を吐いて、
「そう……ですか。わかりました。師匠から戴いた手紙にあなた達のことが書かれていたときから、頼もしい増援と期待していたのだけど……この国の、それどころか、この世界の人でもないのに、戦争の手伝いを無理強いするわけには行きませんね」
「すみません……お役に立てず」
「いいえ、私の方こそ不躾で申し訳なかったわね。ところで……」
スカーサハは鳳に向かって会釈した後、ボケーッとその背後で成り行きを見守っていたルーシーに視線をあわせた。彼女は突然、勇者領のみならず、この世界でも名高い神人に見つめられてビックリしていた。
砦に到着したとき、彼女だけが何故か挨拶もされず蚊帳の外であったし、あの街の攻防戦の時は非戦闘員だったから、ルーシーはきっと自分のことを覚えていないのだと思っていたのだが……
思いがけず注目を浴びて、彼女が冷や汗を垂らしていると、スカーサハは値踏みするような視線でジロジロとルーシーのことを見回してから、
「……あなたがルーシーね。確かギルド酒場で働いていたウェイトレスよね?」
「は、はい……そうですけど??」
ルーシーはまさか自分のことを覚えているとは思わず、それじゃあどうしてさっきは無視されたんだろうと、少し不安に思っていると、
「あなたのことが師匠からのお手紙に書いてありました。なんでも、現代魔法の才能がもの凄くあるそうね。今では毎日、師匠に手取り足取り勉強を見ていただいている、期待の新人だとか。なら、私の妹弟子ってことになるわね?」
「あ、はい! そうです! スカーサハさんも、お爺ちゃんのお弟子さんでしたね! 今後ともよろしくおねがいします!」
ルーシーはスカーサハが無遠慮な視線を向けてくる理由がわかり、ほっとすると同時に、同門同士仲良くしようと、いつもの人好きのするスマイルを彼女に向けた。しかし、スカーサハはそんなルーシーのフレンドリーな笑顔にはまるで見向きもせずに、
「なんて妬ましい!」
「ヒィ!?」
「あの、レオナルドから教えを請うだけではなく、一緒に暮らしている上に、お、お、お、お爺ちゃんですって!? きぃーっ!! 私なんて、教えを受けられるようになるまで100年もかかったっていうのに! 大君の後継者と呼ばれるようになるまで、200年もかかったっていうのにっ!! それをこんなぽっと出の小娘に、横から掻っ攫われるなんて……許せないわっ!」
ルーシーはまさか目の前の優しそうな神人がヒステリーを起こすとは思いもよらず、仰天して腰を抜かした。
「ひ、ひゃー! すみませぇ~んっ!!」
「それだけならまだいいわよ! あなた、せっかくの師匠の厚意を蔑ろにして、日がな一日遊び回ってるらしいわねっ!?」
「え!? いえいえ! そんなことありませんよ!!? 私、めちゃくちゃ勉強してましたよ!? っていうかさせられてましたよ!?」
「そんなことないって、ここに書いてあるわよーっ!!!!」
スカーサハはレオナルドから来たという手紙をバシバシと叩きながら、
「新しく取った弟子が伸び悩んでいるのか中々勉強に身が入らない。毎日ぶつくさ文句ばかり言って、逃げ出す口実ばかり探している。このままじゃ駄目になっちゃうから、気分転換にそっちに遊びにいかせるので、
「う、うわー!」
「私にとって、師匠の命令は絶対なのです。と言うわけで、今日からあなたのことは、この姉弟子である私が、朝起きてから夜寝るまで、つきっきりで、しっかりと面倒を見てあげることにします! ここにいる間は、ずっとそばから離れないように。それから、私のことは先生と呼ぶように。いいわね!?」
「そ、そんな~……」
「あなた、ちょっと魔法が使えるからって、調子に乗って基本を疎かにしてないでしょうね。モダンマジックはアマデウス公の奇跡の技、血の滲むような努力と、音楽的な知識と才能が物を言う世界なの。こればっかりは師匠であっても分からない感覚だから、あなたはまだ身につけていないようだけど、ここにいる間私がたっぷり教えてあげるから、覚悟しなさい」
「ひ、ひぃ~! お助けーっ!!」
「いい!? 現代魔法は共振魔法と呼ばれている通り、まずはその詠唱の周囲に与える振動の影響は発声法によって左右され……」
ルーシーはスカーサハにズルズルと引きずられていった。初めて出会った時は、物静かな印象を受けたものだが、実際は思ったよりもスポ根で熱い性格の持ち主だったらしい。それはちょっと意外だったが……まあ、ルーシーも最初の時とは大分印象が変わってしまったから、人間の第一印象なんて案外当てにならないのかも知れない。
それにしても、ルーシーがボヘミアへ行きたいとゴネた時、レオナルドが反対せずに、わりとすんなり行かせるものだなと思っていたが、まさかこんなところに思わぬ伏兵が隠れていたとは。彼女はバカンスくらいのつもりで来たのだろうが、世の中そんなに甘くないということだろう。
鳳たちはお互いに顔を見合わせ、ところでこれから自分らはどうしたらいいだろう? と肩を竦めた。スカーサハはもはやルーシーをいじめ抜くことしか関心がないようで、鳳たちのことをすっかり忘れているようだった。かと言って、あれに口をはさむの嫌だなと思ってると、間もなく彼女らが消えたバリケードの奥からスカーサハの副官っぽい兵士が出てきて、砦の中へと案内してくれた。
鳳なんかを会議に招こうとしていたりと、この砦は本当に大丈夫なんだろうかと思いつつ、彼らは旅の目的地であるボヘミア砦へと入った。