ラストスタリオン   作:水月一人

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空を飛んでいってしまいそうだ

 ボヘミア砦は勇者領にぽつんと突き出た小高い山の上に築かれた山城であった。急斜面の所々にキャットウォークみたいな連絡道が張り巡らされ、切り立った崖の上に作られたいくつもの曲輪に繋がっている。敵が比較的緩やかな斜面を登ってこようとすると、そこで待ち構えていた籠城兵から、一方的に上から攻撃されるのだ。

 

 かと言って搦手に回ろうとしても、砦の後背に広がるのはボヘミアの峻険な山脈であり、大人数での攻撃には向いておらず、多数を握っている帝国軍としては分が悪い賭けとなることから、そちらへの部隊の展開は消極的にならざるを得ない事情があった。

 

 そのため、帝国軍は兵糧攻めを考え、砦の前に広がる平野に全軍を集結させて、砦に入る糧道を止めていたが、背後のボヘミア側だけはどうすることも出来ずに放置していた。どうせ、勇者軍側もどうすることも出来ないと高をくくってのことだったが、それを鳳たちが可能としてしまったことから、籠城戦は次の展開へシフトすると思われた。

 

 山の頂上におかれた本丸から眺める帝国軍の布陣は圧巻だった。3万人という群衆は現代人なら結構見慣れているものだが、これが全てこちらを本気で殺そうとしている軍隊なのだと考えると、やはり迫力が違った。補給が可能とバレて、あれが攻勢を開始する前に、さっさとズラカッたほうが良いだろう。鳳はそう心に誓った。

 

 鳳たちが案内された本丸には、義勇軍が宿舎にしているらしき建物や、物資の倉庫、救護室などの公共設備が並んでいた。城と聞けば誰もが思い浮かべるのは天守閣だろうが、もちろんそんなものはどこにもない。ここは文字通り最後の砦で、ここに帝国軍が攻め込んできたら終わりなのだ。そう考えるとその広場が思ったよりも狭く感じて、心細く思えた。

 

 本丸には鳳たちより先に砦に入ったルーシーがいて、スカーサハにもっと腹から声を出せと怒鳴られていた。その姿だけを見ると、なんというか演劇部とか合唱部の練習風景に見えなくもないが、もちろんここは砦の中である。

 

 命を賭ける戦いの最中にあんなことしてて良いのかな? と思いもしたが、そんな彼女らの姿を通りがかりの義勇兵達が眩しそうに眺めているから、もしかするとあれは慰安の意味も兼ねているのかも知れない。昔から前線とか、刑務所とかは娯楽が少なくて、芸能人が来るだけでも泣いて喜ばれるというから、案外、あの神人はそういう効果を狙ってやっているのかも……そう思うと中々大した人物だと思いもするが、まあ、半分くらいは腹いせなのは間違いないだろう。

 

 ともあれ、気の毒なルーシーを尻目に、鳳たちは副官の男に連れられて宿舎へとやってきた。カナンの村で見かけたような茅葺屋根の日本家屋風の建物で、作りが殆ど同じところを見ると、砦建設の際にもあの村の世話になっていたのではなかろうか。カナンは他にも非戦闘員を受け入れたり、物資を分けてあげたり、こうして土木工事にまで協力しているところを見ると、口ではやんわりとしか不満を言っていなかったが、実際は腸が煮えくり返っているのかも知れない。

 

 もしこれで義勇軍が負けて、帝国までやってきてしまったら、あの村は更に忍耐を要求されることになる。ポポルじいさんがこれからも面白おかしくアヘンを吸って暮らしていけるよう、ヴァルトシュタインには頑張って欲しいところだ。

 

 因みに宿舎は、宿舎とは名ばかりの、体育館みたいなところだった。広い部屋の中に寝台がずらっと並んでいて、これといった間仕切りはない。まだ夕方だと言うのに殆ど埋まっていることから察するに、寝床を数人でローテーションしているのではなかろうか。どの寝台も薄汚れていて、なんというか男の臭いが染み付いていた。人が寝たあとがくっきりと浮かんでいるのは、シーツという概念がないからだ。恐らく、布団を干すなんて考えもないだろうから、下手するとここはガルガンチュアの集落より不衛生かも知れない。

 

 そんな男臭い寝台の森を抜けて、鳳たちは奥の方に作られた部屋に案内された。ヴァルトシュタインやスカーサハのような上官用に作られた部屋らしいが、そんな上等なものではもちろん無くて、せいぜい6畳間の狭い空間に5人で雑魚寝してくれというものである。もちろん、文句をいうつもりはないが、さっさとここから出ていったほうが、精神的に肉体的にもマシのようだ。

 

「さて、それじゃ、俺はヴァルトシュタインに挨拶がてら、前線の様子でも見てくるぜ」

 

 鳳が荷物を下ろしていると、同じく荷物を置いて身軽になったギヨームがそんな事を言いだした。

 

「え? わざわざ? あー……やっぱ、世話になるからには、こっちから挨拶に出向いた方が良いかな?」

「いや、その必要はないだろう。そんなことしたらかえって邪魔だ。俺は単に、ヴァルトシュタインって男に興味があることと、暫く世話になるんなら、ちょっと手伝ってやろうと思ってな」

 

 彼はそう言って光り輝くピストルを虚空から取り出すと、指先でくるくると回して腰にあるホルスターに差すような仕草でまたそれを消した。彼の射撃は百発百中で、今となっては狙撃スキルまでおまけでついてくる。前線に出れば相当の活躍が見込めるだろう。

 

「あら、それじゃあ、私も一緒に行こうかしら」

「ジャンヌまで? おまえはどっちかっていうと戦争反対なんだと思ってたが」

「ええ。もちろん反対よ。でも、ここの兵隊さんたちって、あの街の攻防戦で一緒に戦った難民たちでしょう? 言わば私たちの戦友じゃない。黙って見ているわけにはいかないわ」

「なるほど……言われてみればそうだな」

 

 きっと、あの時の攻防戦で大活躍をしたジャンヌが来たと知ったら義勇軍の士気も上がるだろう。鳳は、それなら自分も一緒に行こうかと思ったが、彼がいったところで結局、一兵卒と同じ働きしか出来ないのでやめておいた。

 

 ギヨームとジャンヌが出ていくと、今度はメアリーもスカーサハと話がしたいと言って出ていった。彼女は自分と同じ神人の知り合いがいないから、人間の間で活躍している彼女に色々と話を聞きたいそうである。

 

 そんなこんなであっという間に一人取り残されてしまった鳳は、部屋の中に二台だけ用意されていたベッドの上に体を投げ出しながら、

 

「うーむ……暇だ。こんなことになるなら、作戦会議とやらに参加すればよかった」

 

 とはいえ、やはり人の生死が掛かっているような会議に出るのは気が引けた。自分が下手に口を出して誰かが死んでも責任は持てない。結局、放浪者の自分はどこまでいっても他人事でしかないのだから、どっちかに肩入れすることはやめておいたほうが無難だろう。

 

 鳳は、ふと、この世界に一緒にやってきた3人の顔を思い出した。

 

「……何も死ぬことないのにな」

 

 彼らがそうまでして守った女達も、彼らの残した遺伝子も、新しくヘルメス卿になったアイザック12世が潰して回っているらしい。それを思うと本当に、彼らが何故死んだのかが分からなくなった。分からなくても、人には戦わなければならない時があるのだろう。自分にとってそれは今じゃない……鳳は自分にそう言い聞かせながら、荷物の中に突っ込んでおいた小瓶を取り出した。

 

「ま、それはそれとして……ふひひ」

 

 コルク栓をぽんと外すと、中にはタール状の黒い物体が入っていた。すでに結晶化していて見た目と違って硬くなっているそれを乳鉢に取り出して、鳳はコリコリと粉末状になるまで潰した。

 

 なにかといえば、もちろんアヘンである。

 

 カナンは私用には使うなと言っていたが、彼が見張っているわけでもなし、魔法具屋の店主の取り分は減ってしまうが、まあ、ちょっとくらいなら使ってもわからないだろう。鳳はそう考え、自分の楽しみのためにアヘンを吸おうと思ったのだが……

 

「しまった。パイプがない」

 

 いつもポポル爺さんと回し飲みしていたものだから、彼はアヘンを吸うためのパイプを持っていなかった。元々、喫煙の習慣は無かったし、手持ちの道具だけではどうしようもない。だったら諦めればいいのに、ここまで用意してしまった彼は、もうどうしてもアヘンが吸いたくなってしまい、堪らず部屋から飛び出した。

 

 彼が、どこかにパイプの代わりになりそうな物はないかと砦の中を歩いていると、

 

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉーーーーーーっっ!!!」

 

 麓の方角……恐らく、一の丸とか二の丸とか呼ばれているようなところから歓声があがった。びっくりして立ち止まり、そっちを見れば、どうやらちょっとした小競り合いが始まったようだった。

 

 すると、さっきの歓声はジャンヌかギヨームが早速何か手柄を上げたに違いない。助っ人に来てすぐ活躍するなんて、やるなあ~……と思いつつ、自分には関係ないと、鳳はまたパイプを求めて歩き始めた。

 

 たった今、ここにたどり着いたばかりだと言うのに、もう戦闘が起きたということは、ここでは日常的に帝国の襲撃があるのだろうか。鳳は巻き込まれないかと不安になったが、まあ、ジャンヌ達がいる限り、前線にさえ出なければ、危険に晒されることはないだろう。

 

 しかし、忘れちゃいけないのは、この場所自体が前線の砦ということである。そして戦争をやっているのだから、戦いはいつも最前線でだけ起きているというわけではないことである。

 

 鳳がのんきにパイプを探して歩いていると、宿舎のすぐ脇にあった建物から、何やら馴染み深い匂いが漂ってきた。ここのところ、隣を歩くポポル爺さんが、ポニーの上でいつも吸っていたから、すっかり覚えてしまったアヘンの匂いである。

 

 鳳が、まさかと思い近づいていくと、その建物の入口からすぐ見えるところに、そのまさかのアヘンを吸っている人の姿が見えた。寝台で横になりながら、額に包帯を巻いた男が、虚ろな瞳でスーッとアヘンを吸っては、溜め息をついている。

 

 鳳は、「あるじゃな~い」と独りごちながら、ホクホク笑顔でその建物に近づいていった。どうして兵士がそんなものを吸っているのか分からなかったが、ここに来るまでどこの集落でもアヘンを栽培していたから、きっとどこかから誰かが調達してきて、軍内で流行ってしまったのだろう。

 

 まさかこんなところでもアヘン吸いに会えるなんて……鳳は退屈な砦の中で、自分の仲間を見つけたような気分になって、ウキウキしながら建物の中に足を踏みいれた。

 

「うぎゃあああ゛あ゛ああっあぁぁ゛ぁぁぁああ゛あぁぁっぁぁあ゛あ゛っっああっあぁあ゛ああ゛っぁああああああぁぁぁ!!!!!!!」

 

 踏み入れた瞬間、鳳は強烈な悲鳴を浴びせられて、三半規管が馬鹿になってしまったんじゃないかと言わんくらいに狼狽した。

 

 あまりの悲鳴の大きさに、目眩がして体がフラフラ揺れた。倒れそうになる体を、慌ててその場に踏ん張って立て直し、どうにかこうにか体勢を整える。額から冷や汗が垂れてきて視界が滲んだ。その額の汗を拭っていると、さっき見えたアヘン吸いが、ぼんやりとした表情で鳳のことを見上げていた。

 

 鳳が、なんださっきの悲鳴は? と思っていると……

 

「おい、そこの! そこにいるおまえだ! 見かけない顔だなあ!」

 

 突然、部屋の中から野太い声が聞こえてきた。怒鳴り慣れてる人特有の掠れた声で、気が小さい者なら、聞いただけで何でも言うことを聞いてしまいそうな声だった。鳳はその声が自分を誰何していることに気がついて、まいったなと思いながらも背筋をピンと伸ばし、

 

「あ、はい! 自分は今日、砦の外からやってきた冒険者です! 怪しいものではありません! 暫くこの砦のお世話になりますが、よろしくおねがいします!」

「そんなこたあ、どうでもいい!! じゃあ、おまえ、ちょっとこっち来て、手伝ってくれ!!」

 

 有無を言わさぬ言葉に戸惑いながら、鳳はその声に従って部屋の中へと入っていった。自分はただの客だと断ることは簡単だったが、流石にたった今到着したばかりなのに、不興を買って居心地が悪くなるのはゴメンだと思った。

 

 しかし、一体何をさせられるんだろう? 正直あまり気乗りしなかったが、まあ、ここで恩を売っておいたら、アヘンを吸わせてくれるかも知れない。彼はそんなことを考えながら、気楽に声の主のところまで歩いていき……そして絶句した。

 

 男の目の前には、これまた屈強な男たちに羽交い締めにされた、一人の男が寝台に押さえつけられていた。下半身は丸裸で、足の付根になにかがギューッと縛り付けられており、そこから血がダラダラと垂れている。見れば鳳を呼んだ男はナタのように大きなナイフを持っていて、そのギラギラ光る刀身に、血液と脂肪がべちゃっと付着していた。

 

 ひゅーひゅーと、呼吸音が笛のような音を立てていた。羽交い締めにされた男はぐったりと横たわっており、鳳が近づいても殆ど反応を示さないことから、多分、半分意識が吹っ飛んでいると思われた。

 

「人手が足りないんだ! おまえもこっちきて、こいつを押さえてくれ!!」

「な……なにしてるんですか?」

「見れば分かるだろう! 足を切断してるんだ!」

 

 その通り、見ればわかった。だが、その方法がありえなくって、目の前で起きていることを信じたくなかったのだ。

 

 今、目の前で寝台に押さえつけられている患者は、麻酔無しでその足の付け根の辺りからギコギコと切断されようとしていたのだ。彼の足に巻きつけられているのは恐らく麻酔代わりの氷嚢か何かで、だいぶ前からそうしていたのか、袋から水がポタポタと滴り落ちていた。口には猿ぐつわみたいに手ぬぐいを咥えさせられ、それが真っ赤に染まっているのは、恐らく歯が折れてるかどうかしてるんじゃなかろうか? だが、患者はもうそんなことが気にならないくらい、意識が朦朧としているようだった。

 

「早くしろ! こいつだって辛いんだ!」

 

 鳳が呆然としていると、患者を押さえつけている男の一人が叫ぶように言った。彼は自分が足を切断されているわけでもないのに、顔を真っ赤にしてボロボロと涙を流している。その迫力に押されて慌ててその彼に乗っかるように患者を押さえつけると、ナイフを持っていた男がそれをジリジリと炎に翳してから、ブーッとアルコールを吹き付けて、

 

「うぎゃあああ゛ああ゛あぁ゛ぁぁぁあ゛ああぁぁぁ゛ぁあ゛あ゛ぁあぁあぁぁあ゛あああーーーーーっっっ!!!! あああ゛あーーっ!! あああ゛あぁぁぁあ゛ーっ!!」

 

 放心状態だった患者の男が、信じられない力でビクンビクンと暴れまくった。鳳たちは彼を4人がかりで押さえつけているのだが、患者が暴れるたびに鳳は吹き飛ばされてしまいそうになってしまった。

 

「もっとしっかり押さえつけろ!!」

 

 足を切断している男が顔を真っ赤にしながら叫んでいる。鳳は慌ててハイと返事を返すと、もはや患者が可哀相だとか考えていられないと、相手を殺すつもりになって必死になって押さえつけた。

 

 ぎゃあぎゃあと患者が泣き叫び、そのたびに押さえつけている男たちがビクンビクンと揺れる。それが何回も続いて、鳳は段々と押さえつけている腕の感覚がなくなってきた頃……

 

 ゴトンッ……

 

 っと音がして、患者の片方の足が寝台からごろりと落っこちた。

 

「ーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」

 

 瞬間、患者は声にならない悲鳴を上げて、最後の大暴れをすると、ついに意識を失ってしまったのか、突然、鳳たちが押さえつけていた体がぐにゃりと力を失った。するとどこからか物凄い悪臭が漂ってきて、見れば患者が糞尿を撒き散らしているのであった。

 

 最初は下半身丸裸にされて拷問でもされてるのかと思った。次に足を切り落とす時に邪魔なんだなと思った。本当の理由はこれだったのか……

 

 鳳は気分が悪くて吐き気を催してきた。こんなところにいつまでもいられない、さっさと外に出ようとして患者から手を離したら、

 

「まだだ! しっかり押さえつけてろっ!!」

 

 またあの有無を言わさぬ怒鳴り声が聞こえてきて、見ればさっきまでナイフを握っていた男が、今度は灼熱する焼きごてを持っていた。

 

 これで何をするかは言うまでもない。鳳はもう殆ど力が入らず、ただ患者の上に乗っかっていることしか出来なかったが、彼はその気絶している患者が気絶したままビクビクと暴れ、そしてまた失神する姿をこれ以上無い至近距離で見る羽目になった……

 

*****************************

 

 すべてが終わり、辺りには静寂が戻った。

 

 室内には紫煙がくゆり、うつろな目をした男たちがアヘンを機械的に黙々と吸っている。時折、誰かの苦痛にあえぐ声が聞こえてくる以外に、どんな音も聞こえてこなかった。外では相変わらず戦闘を続けているのだろうが、耳が馬鹿になってしまったのだろうか。

 

 鳳は、患者を押さえつけていた男たちと一緒に地面にへたり込んでいた。ほんの小一時間の出来事だったのに、全身汗だくで物凄い疲労感に襲われていた。みんな足腰が立たないだけではなく、口を開くことさえ苦痛なくらいに疲れていた。そんな鳳たちを見下ろしながら、患者の足を切り落とした医者の男は地面にぶちまけられた汚物を片付けながら、まだ呆然としている彼らに向かって言った。

 

「患者は今は意識を失っているが、一時間もしないうちにまた痛みで飛び起きるだろう。そうしたらアヘンを吸わせてやってくれ。俺は次の患者を見なければならない」

 

 それは自分に言ってるのだろうか? 看護師でもなんでもないのにそんな事言われても……鳳が呆然と彼のことを見上げていると、医者らしきその男は、そんな彼の視線を見て思い出したかのように、

 

「……そう言えば、見ない顔だな。新しく入った看護師か?」

 

 鳳は色々と言いたいことはあったが、そんなことを言う元気もなく、ただ首を振って、

 

「いや、だから、俺は、外から来た冒険者です。看護師じゃないんで、そんなこと言われても困るんですが」

「冒険者……? 冒険者がなんでこんなところに……」

 

 医者は鳳の顔をジロジロと見てから、突然何かを思い出したかのように、感嘆の声を上げて、

 

「おお! すると君は救援ルートの地図を作ってるという先遣隊か! ヴァルトシュタインさんが言っていたけど、これでようやく補給を受けられるんだな……いやあ、助かった助かった!」

 

 医者は鳳の手を握って嬉しそうにぶんぶんと振り回した。気持ちはわからなくないが、たった今まで汚物を片付けていた手であんまり触らないで欲しいものである。鳳はそんなばっちい手を困った顔で見ながら、

 

「ところで……さっきから気になっていたんですが、ここでみんなが吸っているあれって……」

「ん……? ああ、アヘンが珍しいのか? 以前、この砦の近くの村に物資を調達しに行った時に痛み止めとして分けてもらったんだ。俺は知らなかったんだが、これには凄い鎮痛作用があって、どんな患者もたちどころに痛みを止めてくれる」

「あー、そうなんですか」

 

 鳳はなるほどと頷いた。ここでは楽しみではなく、麻酔代わりにアヘンを吸っていたのだ。いや、寧ろこちらの方が正当な使い方なんだろうが……

 

「本当に凄い薬で、非常に助かってるよ。今まではこんな大手術、しても八割方は予後に耐えきれずに死んじまってたからな。これが五分五分の勝負になるなんて」

「五分五分……これでも五分五分なんですか」

「いや、おまえは馬鹿にしてるんだろうが、凄いことなんだぞ?」

 

 医者はそう言って胸を張ったが、鳳はとてもそうは思えなかった。現代なら麻酔無しで足を切断するなんて考えられないし、痛み止めにアヘンを吸うなんてのも聞いたことがない。思い出すのはただただ現代医学の凄さである。

 

 鳳がそんなことを漠然と考えていると、

 

「……あああ……あああーーっ! 痛え! 痛えよっ!! 先生、お願いだ、もっとアヘンの量を増やしてくれ!」

 

 突然、部屋の隅の寝台でアヘンを吸っていた一人の患者が悲痛な叫び声を上げた。鳳と話をしていた医者は会話を中断するとすぐに患者の元へと駆けつけて、

 

「駄目だ。これ以上増やしたら、中毒で死ぬ可能性がある……患部を見せてみろ……ああ……ああ……こりゃあ、もう駄目かな。切り落とした方がいいかも知れん」

「嘘だろう!? 嫌だよ、俺、あんなの見せられて、手術なんて絶対ごめんだ!」

「だが、見れば分かるだろう。おまえの足は腐ってきている。このままだと腐敗が全身に回って手遅れになる。その前に患部を切り落とさねば」

「嫌だ……嫌だあ~!! もっとだ、もっとアヘンをくれ! そしたら治るから!」

「治らないし、駄目だと言ってるだろう。アヘンは万能薬じゃない。量を増やしたところで、一度駄目になった組織は回復しないんだ」

「じゃあもういっそ殺してくれよ! あんな目に遭うくらいなら、もう死んだほうがマシだっ!」

「馬鹿なこと言ってんじゃないっっ!!」

 

 医者と患者が大声で怒鳴り合っている。他の患者たちはそれを虚ろな目をして見守っている。どの患者もアヘンのパイプにしがみついていて、それがなければ空を飛んでいってしまいそうな儚さだった。

 

 鳳は、これ以上ここにいて、治療の邪魔をしては行けないと思い、どうにかこうにか立ち上がった。疲労でまだ足がブルブル震えたが、片方が無くなってしまった人に比べればマシだろう。

 

 さっき自分が押さえていた患者は、目が覚めたらどんな気持ちになるんだろうか……いや、痛みできっとそんなこと考えられないんだろうな……

 

 そんなことを考えながら建物から出ていこうとすると、入れ替わりに外から兵士が入ってきて、

 

「先生! 急患です!」

「なんだって!? ええいっ! 今日は千客万来だな……看護師、アヘンを持ってきてくれ」

「先生、それが……もうアヘンの残りが少なくて」

「なにぃ!? つい最近、カナンから貰ってきたばかりじゃないか!」

「それが……患者さんたちが痛みに耐えきれず、このところ消費量が増えていて」

「あれほど無闇にやってはいかんと言っただろうが! 薬の量にも限りがあるんだぞ」

「すみません……でも、患者が可哀相で……カナンも最初から、もっと量を渡してくれればいいのに」

 

 看護師が苛立たしげに不満を漏らすと、それを聞いていた兵隊達もイライラしながら、

 

「どっちにしろ、薬がないなら貰いに行こう。なんなら俺が、どうして量をケチるんだって言ってきてやるよ。あの医者モドキ、あんなにあるんだからもっと寄越せばいいのに」

「いっそ村を襲撃して乗っ取るか? そしたらアヘン吸い放題だ」

「そいつはいいな、はははははは!!」

 

 そんな兵士たちの軽口に、医者は烈火のごとく怒り出して、

 

「ふざけたことを言ってるんじゃない!! そのカナンがいなければ、失われていた命がどれだけいたと思っているんだ!! その恩を忘れて彼を馬鹿にするようなことを言いやがって!」

「……だって、先生よう……俺たちだって彼が憎いわけじゃないんだ。ただ、必要なものは必要なところに優先的に回すものだろう?」

「優先順位を決めるのは俺達の仕事じゃない!!」

 

 救護室の人々は喧々諤々のやり取りを交わしている。鳳はそんな会話に巻き込まれないように、救護室から外に出た。外に出ると立ちくらみのようにクラクラして、途端に空気が重くなったような気がした。さっきまで、アヘンの煙が蔓延する部屋の中にいたからだろうか。直接吸っていなくても、それなりに影響を受けていたようだ。

 

 今、救護室ではそのアヘンが不足しているようだ。兵士たちはその不満をカナンにぶつけているが、お門違いも甚だしいだろう。医者の言う通り、義理を欠いた人間がどういう末路を辿るかは想像に難くない。大体、彼らは何のために戦っているのだ。それは山賊をするためだったのか。

 

 しかし、彼らがイライラする気持ちもわかった。こんな、全方位に敵しか居ないような場所で、毎日のように死にそうな患者を見続けているのだ。中にはその痛みに耐えかね、自ら命を絶った者だっているだろう。

 

「くそっ!」

 

 鳳は地面に転がっていた石を蹴り飛ばした。

 

 麻酔ならあてがある。アヘンよりもっと効き目のある鎮痛剤にも……

 

 だが、そんなことをする義理がどこにある? 彼らを助けるために、せっかく手に入れた物を無償で提供する理由がどこにある?

 

 ……そんなものはない。わかっている。大体、あれは友人から頼まれた依頼の品なんだぞ……だが……

 

 鳳は頭を掻きむしると、地面を蹴って駆け出した。宿舎に帰れば、さっき自分で使おうと思っていたアヘンの瓶が転がっている。あれがあれば、まだ何人かは救うことが出来るだろう。

 

「せめて俺が楽しむ分くらいは……駄目だよなあ~……」

 

 彼はぶつくさ言いながら、思ったよりも救護室から近かった、自分の宿舎へと入っていった。

 


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