ラストスタリオン   作:水月一人

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聖なるかな

 夜中に目が覚めた。酷い寝汗をかいていた。鳳はハァハァと息を荒げながら寝床から這い出してくると、まだ寝ぼけている頭で部屋の中を見回した。

 

 6畳ほどの部屋の中には自分以外のパーティーメンバー4人が、みんな疲れて眠っていた。二つある寝台の内一つを鳳が取ってしまっていたから、もう片方でルーシーとメアリーが背中合わせで眠っており、あとの二人は床に毛布を敷いてゴーゴーいびきをかいていた。

 

 どことなく充実感を感じさせる寝顔をしてるのは、二人とも前線でかなりの勲功を上げたからだろうか。同じ頃、救護室で必死になって患者の足を切断していたことを思い出すと、そののんきそうな寝顔に腹が立ったが、彼らが頑張ってくれたお陰で怪我人も減ったのだと考えると、感謝こそすれ怒りなど筋違いとしか言えなかった。

 

 その代わり、敵軍に多くの犠牲者が出たのも間違いないと考えると、怪我人の数は実は減ってないのかも知れないが……何故人間は戦争なんてものをしてしまうのだろうか。

 

 そんな哲学的なことを考えていると、だんだん目が冴えてきてしまった。結局、鳳は体を起こすと部屋から出ることにした。朝までまだどのくらい時間があるのかわからないのだから、また寝床に入ったほうが良いに決まっていたが、せめてこの寝汗を拭わなければ、また同じ場所に収まる気にはなれなかった。

 

 砦は昼間と比べれば静かになっていたが、それでもあちこちで歩哨がせわしなく動き回り、松明の炎が道を照らし、昼間と変わらぬ動きを見せていた。こっちが寝ているからといって、敵が待ってくれるわけもない。きっとこの砦は出来てから一度も眠ることがなく動き続けているのだろう。

 

 砦のあちこちに作られていた溜池で手ぬぐいを濡らし、ベタベタする肌を丁寧に拭った。出来れば池にダイブしたいくらいだったが、山の上で水は貴重だからそんなことをしたら怒られるどころか、殺されてしまっても文句が言えないだろう。

 

 いや、殺してほしいんなら、いっそ水に飛び込むのもありなのか? 入水自殺に失敗しても、きっと誰かが殺してくれる。

 

 昼間、救護室で手術をしたくないと泣き叫んでいた患者は、あのあと医者によって足の切断手術を受けることになった。鳳がアヘンを持って戻ってくると、彼は複数の看護師に羽交い締めにされて大暴れしていた。

 

 鳳はそれを手伝えという医者に、ほんの少し待って欲しいと頼んだ。その間に、試しておきたいことがあったからだ。

 

 この砦では痛み止めにアヘンを使っている。確かに、アヘンには鎮痛作用があり、正しい方法だ。だが効率的ではない。鳳はその鎮痛成分……つまりモルヒネを生成した方が良いと考えたのだ。

 

 その方法は知っていた。以前、キニーネを作り出したのと同じ方法で、鳳のスキルを用いれば失敗する心配は全くなかった。

 

 こうして作り出されたモルヒネを、救護室でアヘンを吸っていた患者に投与したところ、患者には劇的な変化が見られた。彼らは今までとは比べ物にならないほど楽な方法で、信じられないくらい痛みが消えて驚くと同時に、この薬をもたらした鳳に感謝していた。

 

 彼はそんな患者たちの言葉にどういう顔をしていいか分からなくて、ただ苦笑を返すと、自分の持っていたアヘンを全部医者に渡し、作り方は教えたから、あとは勝手にやってくれと救護室から去った。

 

 医師はちょっと待てと言って追い掛けてきたが、待つつもりはさらさら無く、彼は逃げるように宿舎に帰ってくると、寝台にダイブしてそのまま疲れて眠ってしまった。他人を助けることで、気分が良いと思えるような性格ならよかったのだが、彼にはそれは重荷だったのだ。

 

 濡らした手ぬぐいで顔を拭いて、夜風に晒して乾かすと、彼ははぁ~っと長い溜息を吐いた。

 

 今回のボヘミア行はずっと楽しい旅だったが、なんだか最後の最後でケチが付いたような気分だった。でも、どうして楽しかったのかな? と思えば、それはポポル爺さんが居たからだ。

 

 仲間たちに呆れられながらも、彼と一緒にアヘンを吸いながら歩いたあの日々は、なんやかんやで楽しい思い出だった。爺さんは鳳のことを肯定もしなければ否定もしない。同じ趣味を持ち、同じような価値観を持っている、言わばこの世界で初めて出来た友達みたいなものだった。

 

 そんな大事な友だちと、どうしてあんなにあっさりと別れてしまったんだろうか。また会いに来ればいいやと思っていたからだが、まだたった一日しか経っていないのに、なんだか無性に会いたくなった。

 

 爺さんは今頃何をしているんだろう? こんな夜中だし、まだ眠っているだろうか? それとも、相変わらずあの阿片窟でスーハースーハーやってるんだろうか。

 

 鳳はなんだかソワソワしてきた。目も眩むほどの絶世の美人ならともかく、どうしてあんな草臥れた爺さんにこんなに会いたいんだと思った時、彼は自分の体に起きている変化にようやく気づいた。

 

 爺さんと一緒に旅をしていた時、彼はひっきりなしにアヘンを吸い続けていた。なのに今日はまだ一度もそれを口にしていないのだ。救護室で、誰かが吸っている匂いは嗅いでいたが、それが肺の毛細血管の奥深くまで染み込むことはなかった。

 

 鳳は、自分が中毒になりかけていることに気づいた。だが、気づいたところでその衝動を押さえられるものではない。彼は、どうしてもアヘンが吸いたくて、居ても立っても居られなくなり、その場をぐるぐると回りだした。

 

 救護室に行けば、まだ彼が渡したアヘンが残っているだろうが、しかしそれを貰いに行くのは気が引けた。だから彼は何を思ったのか、砦の裏手にあるバリケードまで走っていくと、その隙間から外へと出てしまった。救護室が嫌なら、カナンの村に行けばいいと思ったのだ。行けば爺さんとも会えるし、会えたらついでにアヘンを吸わせてもらえばいいだろう。彼なら分けてくれるはずだ。そう思い、鳳は夜の山へと飛び出した。

 

 辺りはまだ深夜で、何も見えなかった。だがカナンの村は砦からはそれほど遠くないので、真っ暗でも行けると彼は思った。その時点で既に常軌を逸していたのだが、彼が自分でそれに気づくことはついになかった。彼真っ暗な山の中で、自分の進んでる方向も分からずに、ガサガサと草木をかき分けて、転んでは泥だけになりながらも、ただひたすらにあの真っ白なケシの大草原を夢見て暗い山道を歩き続けた。

 

 それからどのくらいの時間が過ぎただろうか。気がつけば東の空は白み始め、朝を迎えようとしていた。

 

 彼は黎明の中、ケシ畑のど真ん中にぼんやりと佇んでいた。真っ暗な山道をめくらめっぽうに歩き続けた彼は、いつの間にかとっくに村へと辿り着いていたのだった。着いていたのに、それに気づかず、ずっとケシ畑の中をさまよい続けていたようである。彼は血まみれになった手のひらや膝小僧を呆然と見つめながら、自分は一体何をやってるんだと呆れ果てた。

 

 下手したら遭難もあり得たというのに、どうしてこんな行動を取ってしまったのだろうか。彼は自分の行動を悔いて頭をコツンと叩くと、ともあれ、目的の村まではたどり着いたのだから、ポポル爺さんに会いに行こうと丘の上を見上げた。爺さんに会えば何かが変わる、すべてが終わると、根拠もなくそう思っていた。

 

 とその時、突然、ゴーン……ゴーン……ゴーン……と、どこからともなく鐘の音が響いてきた。

 

 一陣の風が吹き抜け、白いケシの畑がざわざわと揺れた。一体誰に聞かせようとしているのか、その音は、風に乗って、ボヘミアの山々へ隈なく届いているようなそんな気がした。

 

 それにしても、こんな早朝にどうして鐘なんか鳴らしているんだろうかと、その出処を探ってみると、どうやらそれは丘の上のカナンの家の方からのようだった。彼は村長だと言っていたから、もしかして、村で重要なイベントとかある時に鳴らす鐘なのだろうか? 間もなく、その考えが正しかったのか、村の家々の戸が開いて人々がぞろぞろと現れた。彼らは鐘の音に誘われるかのように、一直線に丘の上を目指していた。

 

 何があるんだろうか……? 彼は人々の列に混じって一緒に丘を目指した。見慣れない男がいるというのに、集落の人々はそれほど警戒もせずに黙って受け入れているようだった。行列はやがて丘を越え、その向こう側にあった広場へと辿り着いた。

 

 そこは小学校の運動場くらいの大きさの四角い墓地だった。子供の頃はやたらと広く感じたのに、大人になってから見れば信じられないくらい狭いあれだ。その墓地には100を越える墓標が立っていた。人間もまた、死んでしまえばほとんど場所を取らないのだと思うと、なんだか悲しくなった。

 

 墓地には人が集まっていて、なにやらガヤガヤやっていた。早朝からこんな場所に呼び出されたということは、きっと誰かの葬式だろう。よく見れば墓地の一番端っこに新しい墓穴が掘られており、人々はその周囲に集まっているようだった。鐘の音に集まった人々がその墓穴の中に据えられた棺桶に花を投げ入れ、手を合わせて何かお祈りをしていた。

 

 こうしてたまたま居合わせてしまったのも何かの縁である。誰だか知らないが花でも手向けてやろうと、彼は気軽な気持ちでその棺桶に近づいた。近づいていくと、それに気づいた葬儀の助手らしき者が、ムスッとした顔で、雑に5~6本の花を束ねて手渡してきた。彼はそれを受け取り、花を投げ入れようとして、そして棺桶の中身を覗き込んだ。

 

「……え? ……ポポル爺さん??」

 

 その時、村の鐘がびっくりするほど近くから鳴り響いて、全ての音をかき消してしまった。

 

 ゴーンゴーンと頭の中に直接響き渡るように、大きな鐘の音が迫ってきて、脳が揺さぶられて目眩がするくらいだった。その鐘の音の合間合間に、途切れるように賛美歌の歌声が聞こえてくる。

 

 聖なるかな聖なるかな聖なるかな、全知全能なる神よ。

 

 聖なるかな聖なるかな聖なるかな、慈愛に満ちた神よ。

 

 三位一体たるあなたを礼拝します。

 

 翼人カナンが跪き、両手を組んで熱心に祈るさまは、まるで本物の天使みたいだった。

 

「なにやってんだよ、爺さん……あんた昨日まで、普通に生きてたじゃんか」

 

 ポポル爺さんと別れたのは、つい昨日の出来事だった。あの時からまだ24時間も経ってない。爺さんは鳳たちと別れの挨拶を交わした後、自分の足で歩いてカナンの家の中へと入っていった。やけにあっさりした別れだなと思いはしたが、でも、まさか、そんな、だって、それが最後のお別れだなんて、誰も思わないじゃないか……

 

 彼が呆然と立ち尽くしていると、後からやってきた人が早くどいてくれと言わんばかりに、とんとんとその肩を叩いた。だがいつまで待っても反応を示さない彼に焦れて、その人は押しのけるように彼のことを突き飛ばすと、前に進み出て、花束を放り投げるようにして帰っていった。

 

********************************

 

 葬儀が終わり、棺桶に蓋がされると、呆然と立ち尽くしていた鳳はようやく我に返った。気づけば彼の隣にはカナンが立っていて、これから最後のお別れをするから手伝ってくれないかと言って、彼にスコップを渡してきた。彼はそれを使って、村人たちと一緒に黙々と墓穴を土で満たしていった。

 

 人々が家に帰った後、鳳はカナンに誘われて村長の家へと行った。中では相変わらず老人たちがぼんやりとアヘンを吸っており、その隙間を縫うように、看護師らしき女性がせわしなく動いている。

 

 最初見た時は阿片窟だとしか思っていなかったが、砦の救護室を見た後でははっきりと分かる。ここはもはや助かる見込みのない病人が集まる、ホスピスみたいな場所なのだ。彼らはみんな死への恐怖と戦うためにここにいる。

 

「元気そうに見えたでしょうが、ポポルはあれで体の中はボロボロだったんですよ」

 

 鳳が最初の村で爺さんと会った時には既に、彼は死を覚悟していたようである。まともな診断が出来るわけじゃないから、はっきりとしたことは分からないが、多分、彼は末期がんのようなものを患っていたのだろう。

 

 体はボロボロで、立って歩くことすら苦痛で、彼はあの村で一人で死のうと思っていたのだろう。ところが、そんなところへひょっこり鳳がやってきて、この村を目指すと聞いた彼は、最後にひと目カナンと会うためだけに、鳳たちの道案内を買ってでたというわけである。

 

 行く先々で、村人たちが彼にアヘンを持ってやってきたのは、みんな彼がもうじき死ぬことがわかっていたからだ。彼はこの辺の村にとっては、顔役みたいなものだった。

 

「神人と同じように、我々翼人もまた長生きですから、私はこれまでこの山で多くの人々の死を看取ってきました。ポポルもそのうちの一人ですが、私は彼が子供の頃からよく知っているものですから、そんな彼の最後を看取る事ができたのは、幸運だったと思います。彼をここまで連れてきてくれたあなたには感謝しなければなりません」

 

 鳳は黙って首を振った。そんな事情は何も知らなかったのだ。

 

「ここは姥捨山みたいなものなんですよ。元々、ここボヘミアの地に集落が出来たのは、度重なる帝国での飢饉が原因でした」

 

 帝国は勇者領とは違い、今でも農奴制を取る国家である。領民はみんな領主から貸し与えられた土地を耕す農民で、彼らは預かった農地で育てた作物を年貢として差し出し、残ったもので生活をしている。

 

 だが、自然相手の農家は、年によって作物の出来不出来の影響をモロに受けてしまう。豊作なら良いが、時には年貢を払ったら何も残らないような飢饉の年もあり、そう言うときには、蓄えがある家ならともかく、殆どの家は生き残るために口減らしを行うしかなかった。

 

 次男坊や三男坊、時には働けなくなった老人たちが家から追い出され、流れ着いた先が、ここボヘミアの山々だったわけである。

 

 多くの人達はここに来るまでに死んでしまった。だが、中にはたくましく生き残る者もあり、そういった人々が山を開拓して作り上げたのがこの辺の集落の始まりだった。そんな山間部でひっそりと暮らしていた彼らの元へは、飢饉のたびにまた新たな仲間が加わっていった。

 

 村へやってくるのは、帝国からだけではなく、勇者領から来る者もいた。彼らは口減らしにあったわけではなく、人間社会での生活が嫌になったり、年を取って体が動かなくなったために、自発的に山へ入った者たちだった。そんな人々と集落は合流し、山の上のコミュニティはどんどん広がりを見せていった。

 

 そのうち、誰かがケシの効用に気づいて、それを苦痛に呻く老人たちのために使っていたところ、どこからその噂を聞きつけたのか、やがて麓の方から不治の病にかかった老人たちがやってくるようになった。それがカナンの村なのだそうである。

 

「医者でも治せない病気を抱えた人々が、家族に見捨てられ、最期を迎えるためにやってくるのが、この村なのです。私はここで彼らの最期を見届けながら暮らしております。あなたが通ってきた村々で、必要以上にアヘンを作っていなかったのはそれが理由です。この山の人々にとって、アヘンはお金儲けの道具でも、楽しむための嗜好品でもなく、死を迎えるためのものだからです。

 

 元々、この辺りの村を作り上げた人々は、かつて帝国から追い出された人たちでした。そして今、ここにいるのは、死を迎えようとしている老人ばかりです。経済的にも医療的にも見捨てられた彼らから、これ以上何を奪うと言うのでしょうか。

 

 帝国と勇者領が戦争をするのは勝手です。ですが、我々を巻き込まないでもらいたい。ここにいるのは、その帝国や、勇者領からドロップ・アウトして、傷ついた人々ばかりなのですから」

 

 だからカナンは、戦争が終わるためなら何でもやると言った。物資を運ぶためのルートが知りたいなら道案内もするし、アヘンが必要なら、必要なだけ分けるとも。だが、その代わりに一日も早く戦争を終わらせて欲しいと彼は願った。

 

 この山から戦火を遠ざけるために、あなたは何が出来るのか? そう問いかけるカナンの言葉に、鳳は何と答えればいいのか、分からなかった。

 


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