翌朝、鳳の目の下には立派なクマが出来ていた。
結局、昨晩は隣で寝ているホモに恐れをなして、明け方まで浅い眠りと覚醒を繰り返していた。ついに力尽きて眠りに落ちたのは数刻前だろうが、そんなことともつゆ知らず、先に起きていたジャンヌに、いい加減そろそろ朝食にしようと起こされ、鳳はいやいや体を起こした。
多分、悩みが解消されたからだろう、やけにスッキリした表情のオカマを見ていると顔面パンチしたい衝動に駆られたが、下手にSTR23の不興を買って反撃されたら内臓が飛び出してもおかしくない。
本当に、こいつと城を出ていくという選択肢は正しいんだろうか……? 不安を覚えつつ、フラフラする足取りで部屋を出る。
洗面所がないので洗面器を借りて、井戸の周りでバシャバシャやっていると、急な差し込みがきて、慌ててトイレに駆け込んだ。毎朝のお通じという感じじゃなくて、こっちの世界に来たストレスのせいか、少し下痢気味のようだった。
ゴロゴロ言うお腹を擦りつつ、取り敢えず、お尻に違和感がないか? うんちに血は混じってないかと気にしながら、柔らかいトイレットペーパーで尻を拭いた。どこぞの異世界転生者は紙がないと大騒ぎしたそうだが、この世界ではそんな無様な真似はしなくて済みそうだった。
なにはともあれ、用を足したあとの便器を見ながら、このあとどうしたらいいんだろうかと途方に暮れていたら、メイドさんが澄ました顔でやってきて、おまるを持って去っていった。今、オレのうんちをメイドさんが抱えているという現実が疲れマラを直撃したが、
「あ、いたいた、白ちゃん。みんなが待ってるから早くご飯にしましょう」
すれ違いざまにやってきたジャンヌのおかげで事なきを得た。お前が居てよかったという鳳の後を、目をパチクリさせながらジャンヌが続く。
遅い朝食をとってから練兵場に行くと、既に仲間たちがいて、昨日と同じように自分達のスキルをあれこれ試していた。カズヤ、AVIRL、リロイ・ジェンキンス……3人ともどこか清々しい表情をしているのは何故だろう。
彼らは遅れてやってきたゾンビみたいな顔をした鳳を見かけると、すぐに試技を中止して駆け寄ってきた。
カズヤがニヤニヤしながら話しかけてくる。
「よう大将、お疲れのようだな」
「まあな」
「昨晩はどうだった?」
「昨晩って?」
「みなまで言わせるなよ。目の下にクマが出来ちゃうくらい……ヤリまくったんだろう?」
ニヤ~っと笑うカズヤの目つきは完全におかめのそれである。何でそんなに上機嫌なんだ? 気がつけばAVIRLとリロイも近寄ってきて、抑えきれないといった感じに、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、
「いやあ~! 肉壷わっしょいしたら世界が変わるって聞いてたでやんすが……世界……変えちゃったかな、拙者も」「リロイ・ジェンキンス」「神人、あんな貞淑そうに見えて、凄いド淫乱……さすが何百年も生きてるって感じ。搾り取られるかと思った~! で、どうだったんだよ、おまえの方は?」
ああ、そういう……鳳はギリギリと奥歯を噛み締めながら返答した。
「なんもねえよ。俺んとこにはマッチョのオカマしか来なかったよ。ちくしょうめ」
「誰がオカマよ、失礼しちゃうわねっ!!」
鳳とジャンヌがギャンギャンといがみ合ってると、神人の部下を引き連れたアイザックが練兵場にやってきた。
「勇者諸君! おはよう! 昨日は良く……眠れなかったようだな。はっはっは!」
何がはっはっはっだ。鳳はいきり立った。昨晩、明らかに自分の部屋だけ差別したくせに、よくも涼しい顔をして出てこれたものである。そりゃ、こっちは無能のレベル1かも知れないが、だからって差別されて黙っているわけにもいかないだろう。他の連中はセックスしてるのに! 他の連中はセックスしてるのに!
幸い、ジャンヌと二人で城を出ていく算段はついている。文明人としてこんな野蛮人にコケにされたままでは沽券に関わる。鳳は抗議してやろうと腕まくりしながら、アイザックの前に進み出た。
「おお!
「……え? 俺のために?」
鳳はちょっと機嫌を直した。
「うむ。レベルが低いなら上げちゃえばいいじゃないと言う意見があっただろう。我々も一晩検討した結果、異世界から召喚された勇者ならば、もしかすると我々の想像もつかない現象が起きるかも知れないと考えたのだ」
この領主様は領主様なりに、鳳のことも考えてくれていたようだ。文句を言ってやろうと思っていたが、一応、話だけは聞いてやろうと彼は思い直した。それが文明人というやつである。
鳳が矛を収めて退くと、神人が進み出て話し始めた。
「正直に申し上げますと……鳳様のレベルが1ということで、我々もどう接して良いものか悩んでおりました。お城の女性陣に至っては眼中にないといった感じで……ですが、古い文献をあたってみたところ、なんと伝説の勇者様はレベルが200以上あったと書かれていたのです。
もしそれが本当だとすると、現在の勇者様方のレベル99だって通過点でしかなく、レベル1も99も変わらないかも知れないんですよ……もちろん、我々からすれば途方も無い数値なのですけどね。
ともあれ、異世界から召喚された鳳様なら、もしかすると我々の想像を絶するような成長を遂げるかも知れない。そんなわけで、今日は鳳様に経験値稼ぎをしていただこうと、色々と用意してきたのです」
鳳はフンフンと鼻息を鳴らしながら神人たちの言葉に聞き入っていた。そんな彼の様子を見て、不安そうに背後からジャンヌがそっと耳打ちしてきた。
「……ねえ、私達、この城から出ていくんじゃなかったの? その話を切り出さなくってもいいのかしら」
「あ、ああ、そうだった。でも、そんなに急がなくたっていいだろう? なんか、俺のレベリング手伝ってくれるって言ってるし」
「そうねえ……レベル上げは私も興味あるけど」
結局、城から出ていったとしても、鳳の経験値稼ぎやステータスアップの方法は探さなきゃならないのだ。そんなわけで今日はアイザックの好意に甘えることにした。ジャンヌはさっさと冒険の旅に出たがっていたが、低レベルの鳳にしてみれば死活問題なのだから我慢してもらう。
「それで、具体的に、この世界ではどうしたら経験値が増やせるんですか? 俺たちの世界のゲームでは、そのへん歩いてる雑魚モンスターを倒せばよかったんですけど」
「おそらく、その認識であってます。我々の世界のあちこちに棲息している魔物……これを狩ることで、この世界の人間は経験値が増え、レベルが上っていきます」
そんなとこまでゲームと同じなのか……鳳は本当に不思議な世界だなと思いつつも、やり方が同じなら割とあっさり経験値稼ぎが出来るんじゃないかと安堵した。昔取った杵柄だ。しかし……
「それでは早速試してみましょう。今朝、近くの森であらかじめ魔物を捕らえておきました。鳳様には檻の外からそれに止めを刺してもらいます」
そう言って兵士に運ばれてきた檻を前にした瞬間、鳳は自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
檻の中にはあっちの世界のゲームでも見たことがあるモンスターが捕らえられていた。ゴブリン……いわゆる子鬼と言うやつで、小さい体に緑色の肌で集団で活動し人間を襲う。特徴的なのは二足歩行の人型で、道具を使うことだ。だが、今目の前にいるゴブリンは何も手にしていない。
「さあ、勇者どの、これを……」
鳳が口を半開きにして呆然と檻の中を覗いていると、兵士が近寄ってきて剣を手渡してきた。刃渡りは50~60センチほどで反りは無い。刀身は細く、切るより突くことに特化した剣のようだった。兵士もそのつもりで渡したのだろう。
「檻の隙間から突き刺せば、やつは抵抗できません。急所を外すと暴れますから、出来るだけ心臓を狙ってください」
解説どうもありがとう、とでも言ったほうが良いのだろうか。鳳は細剣を手にしたまま、檻の前で呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
額から汗がにじみ出る。手にした剣がやけに重く感じられる。そりゃ、経験値を得るにはモンスターを倒さねばならないのは分かってはいたが、いきなり人型はハードルが高かった。これが表情のない魚類か、せめて鳥類だったらまだ抵抗も少なかっただろうに。
檻の中のゴブリンは、いかにも邪悪な鬼といった容貌で、見ててもあまり憐憫の情は湧いてこなかった。ぶっちゃけ、これと全く同じグラフィックのモンスターを、鳳は元の世界のゲームの中で、何度も倒したことがある。だから、殺れと言われたらやれそうな気もするのだが、どうにも体が動かなかった。
なんというか、いくら現実そっくりでも、ゲームではモンスターを倒すという感覚しかなかったのだが、今目の前のこれは全然違うのだ。命を獲るというプレッシャーが半端ないのである。
鳳がぼーっと突っ立ったまま、いつまでも動かないせいか、周囲に微妙な空気が漂い始めた。アイザックが眉間に皺を寄せて厳しい表情で見つめてくる。兵士たちも何やってんだこいつと呆れた表情だ。鳳はダラダラと流れてくる額の汗を拭って、早くしなきゃと焦り始めた。
と、その時……檻の中のゴブリンが突然暴れだした。鳳が剣を持って突っ立ってるのを見て、いよいよ殺されると悟ったのだろう。ギャアギャア! っと、突然もの凄い叫び声をあげて、狭い檻の中を転げ回り始めた。
ガシャンガシャンと音を立てて檻が揺れた。ゴブリンが鉄格子に体当たりするたびにその肌が裂けて、血が吹き出しているようだった。いくら魔物だって死にたくない感情は同じなのだ。その哀れな姿を見せつけられて、鳳はいよいよ目の前のゴブリンを殺す覚悟を失ってしまった。
しかし彼が臆病風に吹かれ、自分の使命を放棄しようとした、正にその時だった。
ガシャンガシャンとゴブリンがめちゃくちゃに体当たりして、大きな音を立てていた鉄格子の一本が、その時、ガキンッッ!! っと、金属が弾け飛ぶような音を立てて外れた。そして、その隙間をこじ開けるようにして、血走った目をしたゴブリンが檻から飛び出してきたのである。
鳳は驚いて固まった。彼に武器を渡した兵士は、邪魔にならないようにその場から離れてしまっていた。アイザックもその部下も、鳳の仲間たちも、檻の向こう側から遠巻きにこっちを見ている状況だった。
やばい……頭では理解してるのだが、こういう時、どう動けば良いのか皆目見当がつかない。
鳳が恐慌状態に陥りまごついていると、ゴブリンと目があった。魔物はこの窮地を脱するための最初の手段として、剣を手にしたまま何も出来ない臆病な男をターゲットにしたようだった。ギラギラと光る眼光で睨みつけながら、その姿どおりの俊敏な動きで迫ってくる。
「ひぃっ!!」
鳳は迫りくるゴブリンに恐れをなして、情けない悲鳴をあげた。殺される! ……という恐怖に全身が硬直し、まるで自分の体じゃないようだった。
ところが……
「ギャンッ!!」
鳳とゴブリンが交差した時、次に悲鳴をあげたのはゴブリンの方だった。彼が無意識に突き出した剣が、飛びかかってきた魔物の肩を貫いたのである。
これには、やった本人が一番驚いた。完全にパニクって無防備だったはずなのに、どうやら体が勝手に動いたようなのだ。おそらく、ゲームで似たような修羅場を何度もくぐってきた経験が、功を奏したのだろう。所詮、リアルに似せたゲームとはいえ、訓練にはなっていたようだ。鳳は自分の咄嗟の行動に驚いた。
だが、リアルとゲームが似ていたのはここまでだった。片手に握った剣でゴブリンの全体重を受け切った手首に激痛が走り、鳳は痛みに耐えかねて剣を手放してしまった。
「ヒギャアアアアーー!! ギィィィイイイイーーー!!」
剣を肩に突き刺したままのゴブリンが、痛みにのたうち回り恐怖に泣き叫ぶ。しかしそれも束の間、ゴブリンが自分の肩に刺さった剣に気づいた瞬間、その恐怖は怒りへと変わったようだった。
邪悪な子鬼は自分の肩に突き刺さった剣を引き抜くと、射すくめられるような物凄い形相で鳳を睨みつけ、撃ち出される弾丸のようなスピードで彼に飛びかかってきた。
殺られる……!
絶体絶命のピンチを前に、鳳は今度こそ背筋が凍りついた。こっちは徒手空拳で、剣を受けるすべがない。せめて心臓だけでも守らなきゃ! そう思って、咄嗟に自分の腕をクロスさせた時だった。
「リローイ・ジェンキィィィーンスッッ!!!」
突然、ドッカン! っと盛大な音を響かせて、さっきまでゴブリンが入っていた檻を吹き飛ばして、リロイ・ジェンキンスが突撃してきた。
少なくとも百キロ以上はありそうな鋼鉄の檻ごとぶつかられたゴブリンは、剣を鳳に突き立てる前に遠くまで弾き飛ばされた。
「影縫いっ!」
放物線を描いて飛んでいったゴブリンが、空中のあり得ない場所で、突然ピタッと動きを止めた。まるで杭でも打ち込まれように、垂直に落下するゴブリンに向かって、さらに追撃が加えられる。
「ライトニングボルト!」
練兵場にいた全ての人間の目を眩ませながら、カズヤの手にした杖の先から青白い閃光が迸った。
ドンッ!! っと、音を立てて、ゴブリンに雷撃が突き刺さる。オゾン臭の形容し難い臭いと、肉が焼け焦げるような臭いが辺りに充満した。
閃光で脳がくらくらする。眩んだ視界が何とか平常に戻ってくると、鳳の視界の片隅に、炭化した人型の物体が転がっているのが見えた。
鳳はよろめきながらそれに近づくと、炭化した腕が握っていた剣を抜き取ろうとして、その熱さに飛び上がった。きっと避雷針代わりとなってここに雷が直撃したのだろう。根本から変な方向に折れ曲がった刀身が、虹色に煌めいている。
「おおい、大丈夫か?」
鳳が呆然とその剣を眺めていると、彼を救った仲間たちが駆け寄ってきた。彼ははっとして振り返ると、その頼もしい仲間たちに向かって深々と頭を下げた。
「あ、ありがとう。助かった」
その普段は見せたことがないような殊勝な姿に、仲間たちが目をパチクリさせていた。彼らは照れくさそうに鼻の舌を指でこすると、
「おまえ、ビビりすぎなんだよ」
半笑いしながらそういう彼らの言葉に、鳳は何も言い返せなかった。
彼らが助けてくれなかったら死んでいたかも知れない。いや、今自分は確実に死んでいた……彼はその事実に戦慄し、額から吹き出る汗を拭いながら、相手が人型だからといって躊躇っていた自分を恥じた。
ここはもう、かつて鳳たちが住んでいた平和な世界じゃないのだ。殺らなきゃ殺られる世界なのだ。気を引き締めて掛からなければ、いつ死んでもおかしくないのだ……
彼はそう肝に銘じて、もう決して失敗はしないと気を引き締めた。
そのはずだった。