ラストスタリオン   作:水月一人

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勝負は一瞬で決まった

 ゲリラ作戦が始まってから暫くした頃、ボヘミア砦を包囲する帝国軍に明らかな変化が表れ始めた。潤沢に供給されていた食事の量が減らされ、兵士たちの規律を欠いた怠慢な行動が多く見られるようになり、それまでは悠々と砦を囲んでいたはずの帝国軍が、苛立ちを隠しきれないように攻撃を仕掛けてくることが多くなってきたのである。

 

 例えば、砦の後方から救援物資が運び入れられていることが知れると、帝国軍はこの糧道を断ち切ろうとして無謀な作戦を繰り返し、それを砦からの別働隊に攻撃されて痛手を負っていた。もはやこの砦に籠もって長い義勇軍にとって、山は自分たちの庭みたいなものだったのだ。なのに、網の目のごとく光っている監視の目をくぐり抜けて近づくことなど出来るはずがなかった。

 

 この失敗を教訓に、帝国軍は砦から襲撃を受けないくらい、遠く離れてから入山を試みようとしたが、そこはカーラ国の目の前であり、前回の大敗後に顰蹙を買って国に戻っていたカーラ国軍の攻撃を受けてあえなく頓挫した。誰も期待していなかった軍隊が、こうして役に立つのだから、戦争とは本当に何が起こるかわからないものである。

 

 かくして兵糧攻めを断念せざるを得なくなった帝国軍は、最後の悪足掻きと全軍で総攻撃を仕掛けたが、人数を増やしたところでそれは渋滞を起こすばかりで効果が薄く、ヴァルトシュタインの指揮の下、堅固に守られた砦を落とすには至らず、ついに撤退を余儀なくされたのであった。

 

 こうして義勇軍は、ついに10倍する軍隊を完全に退けたのである。それは勇者軍を勇気づけ、帝国軍の士気を大いに挫く大戦果であったが、話はまだ終わっていなかった。

 

 ボヘミア砦から撤退したとは言え、勇者領から完全撤退したわけではない帝国軍は、相変わらずアルマ国に駐留していた。しかし、その背後では鳳のゲリラ部隊が糧道を荒らしまくっており、兵站を完全に後方に頼っていた帝国軍は、この動きを阻止することが出来ずに臍を噛んでいたのである。敵は明らかに少数であることがわかっているのに、いつまで経っても嫌がらせを止めることが出来ないのだ。

 

 彼らは補給部隊を制圧しようとはせず、ひたすら略奪を繰り返し、帝国の兵站に打撃を加えることだけを目的としていた。略奪は、補給部隊がもう引き返すことの出来ないくらい街道を進んだ頃から始まり、勇者領に到達するまで手を変え品を変え行われる。

 

 数百キロにも及ぶ遮蔽物だらけの森の中では、いくら偵察を出しても少数のゲリラを先に発見することは不可能だった。交戦は常に奇襲で始まり、襲撃を受けた部隊は無抵抗のまま物資が奪われ、混乱から回復した部隊がようやく応戦を開始しようとすると、彼らはさっさと逃げ出してしまう。それを逃してなるものかと追いかければ罠にはまるという念の入れようだ。

 

 ところが、こんな卑怯な真似をしているのに、彼らは兵士を捕らえると、正義のため、自由のため、解放のためと耳障りの良い言葉を並べ立て、自分たちを正当化してしまうのだ。

 

 補給物資を全て奪われるわけではないから、最初のうちはそれほど気にしていなかった帝国軍も、これを何度も繰り返されると話が変わってきた。この間、ゲリラ部隊に捕まった兵士たちはかなりの数に上っており、無傷で帰ってきた彼らがゲリラ部隊の主張を伝えることで、兵士の間に動揺が広がっていたのである。

 

 元々、帝国軍は5カ国の混成軍隊であるため、兵士の軍に対する忠誠心は低い。特に最下層の兵卒には敗戦したヘルメス国から嫌々ながら徴兵された者が多く、そんな彼らからしてみれば、帝国軍よりも義勇軍の方が正当に思えなくもないのだ。

 

 なのに、ボヘミアではその義勇軍に敗れ、後方では山賊じみた連中に好き放題やられているのだから、動揺するなという方が難しかった。この上、十分な食料の確保も出来なくっては士気崩壊を起こしかねないと、危機感を覚えた帝国軍は慌てて徴発を開始する。

 

 ところが……農作物を接収しようとした帝国軍は、そこでまたとんでもない事態に直面する。まだ収穫シーズン前であるにもかかわらず、畑から農作物が無くなっていたのだ。

 

 帝国は勇者領に入ってから今までずっと好き放題やっていたが、彼らが拠っているアルマ国への流通が止まったら領民が逃げてしまうので、庶民の生活に制限を設けることはしていなかった。市場には普通に商品が並べられ、物流を担う商人の邪魔もしていなかった。連邦議会はここに目をつけて、帝国が手を出す前に青田買いをしていたのである。

 

 無論、補給が上手く行っていたらこのようなことをしても意味はないから、これは後方をうろつきまわるゲリラ部隊と連携した動きであったのは言うまでもない。先手を打たれた帝国は、慌てて周辺国からも物資を徴発しようとしたが時既に遅く、畑どころか市場にも軍隊を養えるほどの食料は残っていなかった。

 

 かくして補給が滞りだした帝国軍内では、士気低下による風紀の乱れが蔓延しはじめるのであった。完全に補給が途切れたわけではないが、物資の不足はもはや隠しきれないほど深刻となり、兵士たちに十分な食料が行き渡ることは、ついに無くなってしまったのである。

 

 勇者領に入ってから失態続きのアイザック12世は、この事態に際してまた器の小ささを露呈した。

 

 アイザック12世は物資が不足し始めると、ある日、補給部隊を指揮する将校を呼びだし、わざわざ他の将校たちが集まる軍議の席で叱責した。たかが野盗ごときに何度も失敗しやがって、次に失敗したらその首を切り落とすと、有無を言わせず脅しつけたのである。

 

 補給部隊の将校は何の弁明も許されず謝罪をさせられ、屈辱に耐えるより他なかった。この話がどう伝わったのかは分からないが、この出来事以降、補給部隊からは脱走が相次ぐようになり、完全に立場を失ってしまった将校は、後に責任を感じ自殺してしまったという。

 

 物資不足は最も身分の低い兵卒の食事に露骨に現れてきた。下士官たちはまだいい物を食えていたのだが、兵卒にはパンが一個などという日が続いていた。人間も生物であるから、食の欲求が満たされなくなった者たちが、まともでなくなっていくのは時間の問題であった。そしてついに、兵士たちによる略奪が起きてしまったのである。

 

 ある日、帝国兵たちは巡回と称してアルマ国内の農村を回り、そこにあった食料を勝手に接収しはじめた。長引く戦争のせいで生活が苦しくなっていた農家は、そんなことをされては暮らしていけないと必死に抗議したが、腹を空かせた兵士たちは聞く耳持たなかった。

 

 一度味をしめた彼らは、暴力によって抗議の声を封じると、目につく家々から手当たりしだいに物資を奪い始めた。暴走は留まるところを知らず、アルマ国民の取れる手は、もはや座して死ぬか、生きるために逃げ出すかしかなくなってしまったのである。

 

 これらの陳情を受けたアルマ国王は、すぐさまアイザック12世に抗議した。元はと言えば、アルマ国が帝国軍を受け入れたのは、このようなことが起こらないためだった。なのにこれでは約束が違うではないかと言うアルマ国王に対し、しかし12世は打つ手を持たなかった。

 

 原因ははっきりしている。とにかく物資不足を解決するしかない。しかしいくら責任者を(なじ)ったところで、伸び切った兵站線を維持出来そうもなかった彼は、アルマ国王の抗議に明確な答えを示すことが出来ず、結局のところ、いつもの癇癪を起こすしかなかった。

 

 そしてアイザック12世は、ここでもまた、取り返しのつかない間違いを犯した。今度はなんと、アルマ国王が叛乱を企てていたと断じて、有無を言わせず投獄してしまったのである。

 

 しかし、叛乱などと言うがここは帝国ではなく、そもそも帝国の法に従う理由など無いのだ。人の国に勝手にやってきて、我が物顔で振る舞い、ついには彼らの戴く国王を一方的に断罪するという。この暴挙をアルマ国民は黙っていなかった。

 

 ここに至ってアルマ国民はついに団結し、パルチザン活動を開始した。元々、保守派であるアルマ国は帝国嫌いの人間ばかりだった。そんな火薬庫に一度火がついたら、燃え尽きるまでそれを止める方法は無かっただろう。

 

 アルマ国内ではあちこちで小競り合いが起こり始め、そしてこれまでの鬱憤を晴らすかのごとく、兵士たちへの闇討ちが始まった。惨たらしい死体が晒され、命の危険を感じた兵士たちも黙ってはおられず、たまらず国民への弾圧を開始する。気がつけばアルマ国内は疑心暗鬼が蔓延り、昼間であっても人が出歩くことがない戦場と化し、帝国軍は物資不足などもはやどうでも良くなってしまうほど混乱するのであった。

 

 一方その頃、ボヘミア砦を脱出した神人スカーサハは、勇者軍本隊と合流すべく一路ニューアムステルダムを目指していた。彼女は首都周辺に展開していた勇者軍の指揮権を譲り受けると、総勢3万にまで回復していた軍隊を北へと向かわせる。

 

 帝国軍が黙って見ているとは思わなかった彼女は、決戦の地を求めて自軍に有利なポイントを繋ぐよう慎重に行軍したが、しかしその工夫は無駄に終わった。前回の決戦地、リブレンナ川を過ぎ、勇者領北部に入っても未だ帝国軍は動かず、ついに西方からカーラ国軍が合流し、更にはボヘミア砦からヴァルトシュタイン率いる義勇軍まで参陣した。

 

 それでもまだ動かなかった帝国軍は、勇者軍がアルマ国境に差し掛かった頃にようやく姿を現したが、しかし、そこにいたのは総勢3万の帝国軍ではなく、相次ぐ脱走や小競り合いのせいで疲弊した、2万足らずの草臥れた軍勢であった。

 

 帝国軍はその2万で、三角形の形をしたいわゆる魚鱗陣形を作り、迫りくる勇者軍を迎え撃つよう布陣した。

 

 対する勇者軍は矢印の形をした鋒矢陣形で布陣し、両翼にカーラ国と義勇軍を配置、中央突破の姿勢を見せる。敵を上回る兵数を活かし、一撃で敵を分断、各個撃破し、スピード勝負を決める狙いであった。

 

 しかし、敵軍が本陣を魚鱗の底辺に配置したのに対し、スカーサハは自分のいる本陣を矢印の先の方……せいぜい次鋒の位置辺りに置いていた。これは普通に考えれば、大将を危険に晒すあり得ない布陣であったが、彼女がこうしたことにはもちろん理由があった。

 

 開戦は、そのスカーサハの戦歌(・・)によって始まった。

 

 両軍の怒号が入り乱れる最前線に、透き通るような歌声が響き渡る。敵に負けまいと鬨の声を上げていた勇者軍の兵士たちは、その歌声を聞いた瞬間、突如として自分の内から湧き出るような自信と、漲るような力を感じるのであった。

 

 スカーサハの使う戦歌(バトルソング)は、これを聞いた対象者に士気高揚と、各種ステータスバフ効果を与える現代魔法であった。以前、ルーシーが使った応援(エール)とは違い、これは多数に効果があった。故に彼女は、出来るだけ広範囲の味方にバフをかけるべく、最も味方が密集している位置に本陣を置いたわけである。

 

 これによって彼女の周りにいる兵士たちは恐れを知らぬ戦士と化し、新米兵士を精鋭へと変えるのである。これがすなわち、彼女が指揮者(タクティカル・コンダクター)と呼ばれる所以であった。

 

 対する帝国軍もここにきてようやく虎の子の神人を投入する。しかし、敵とは違って死を恐れる(・・・)彼らは適当にクラウド系魔法を展開すると、すぐに戦火の届かない後方へと引っ込んでしまった。

 

 そこへバトルソングによって士気高揚した勇者軍が殺到する。恐れを知らぬ彼らは、神人の残した魔法によって多少の被害を受けたが、それでその勢いが止まることは無かった。

 

 間もなく両軍がぶつかり、押し寄せる勇者軍の吶喊を前に、士気負けする帝国軍は初めから成すすべもなく、押し込まれ、ついに中央を食い破られる。目論見通り中央突破を敢行した勇者軍は、分断され混乱している帝国軍を各個撃破すべく動き出す。

 

 勝負は一瞬で決まった。

 

 分断され散り散りになった帝国兵たちには、もはやその場に踏みとどまるだけの気力は残っておらず、迫りくる勇者軍を前に背を向けて逃げ出すのが関の山であった。やがて包囲される帝国軍の中から白旗が上がり、アイザック12世は降伏した。

 

 やけくそになった彼は、取り囲む敵中に進み出ると、「さあ、このヘルメス卿を捕らえる誉れを受けるのは誰であるか!」などと居丈高に叫び、それを聞いた帝国兵に引き倒されて、殺されそうになったところを勇者軍に助けられる始末であった。

 

 こうして長らく続いた帝国軍の勇者領遠征は、帝国軍の敗北で幕を閉じた。追撃は夜まで続けられ、敗残兵たちは死を恐れ、ろくな準備もせずに大森林へと飛び込んでいった。そんな彼らの行く先がどこへ続いているかは神のみぞ知るである。

 


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