ラストスタリオン   作:水月一人

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お父さんの馬鹿野郎っ!

 森ってこんなに暗かったんだな……と、マニは思った。

 

 マニが勇者領に留学してからおよそ3ヶ月が経過した。慣れない人間の中での生活にいっぱいいっぱいで、あっという間だったような、寧ろ永遠のように長く続いていたような、そんな不思議な日々だった。

 

 勇者領に来て暫くは鳳たちが面倒を見てくれて、マニはギヨームから文字を教わったり、河原では鍛冶を学んだり、スリングという新しい武器も手に入れた。オーク退治をしたお陰でレベルが沢山上がり、鳳たちが居なくなってからは、その縁で知り合った猫人たちが戦闘の仕方を教えてくれたり、夜には暇になったレオナルドが解剖学を教えてくれ、お陰で人体の構造にも詳しくなった。本当に充実した日々だった。

 

 そんな、毎日が新しいことの連続であった人間社会にも慣れてきて、鍛冶仕事も少しは任せてもらえるようになった頃、お世話になっていたキャラバンが近所の河原から移動することになった。

 

 今、彼らがお世話になっているトカゲ商人のゲッコーは、勇者領で手に入れた商品を満載にして、大森林を行ったり来たりする行商人だった。そんな彼は、マニのためにいつもより長く勇者領に滞在してくれていたのだが、そろそろ移動しないと商売にならなくなってきたらしい。

 

 勇者領で手に入れた商品は勇者領ではあまり売れないから、大森林やオルフェウス領に持っていって稼がなければならないのだ。

 

 ゲッコーにこれ以上迷惑をかけることは出来ないから、もちろんそれには反対するつもりはないのだが、問題は彼の師匠の野鍛冶が大森林へは行かないことだった。彼ら野鍛冶はゲッコーのキャラバンと一緒に行動していたが、元々はキャラバンの一員ではなく、彼らが勇者領に来たときに合流するだけの間柄だったのだ。

 

 そんなわけでゲッコーが大森林へ行くなら、野鍛冶たちも別のキャラバンに混ざって他の場所へ移動すると言い出した。彼らもまた、仕事を求めて移動し続けなければ生活が成り立たないのだ。そのため、マニは師匠について勇者領を回るか、ここでお別れして別のことをするかの選択をしなければならなくなったのだが……

 

 彼は悩んだ末に、野鍛冶とは別れることにした。師匠にはとてもお世話になったが、彼の目的は鍛冶屋になることではなく、あくまで自分の村を良くすることだったからだ。師匠に教わった鍛冶仕事で、村人たちが鉄の道具を使えるようになれば、村はもっと繁栄するだろう……マニがそんな夢を語ると、野鍛冶は特に後腐れもなく、頑張れよと言って次の場所へと去っていった。

 

 こうして鍛冶屋の修行を終えたマニは、ゲッコーのキャラバンに混じって、一緒に大森林へ帰ることにした。村を出てから結構な時間が経過していたので、一度里帰りするのも悪くないだろう。鳳から預かっている、長老のキノコを届けるという役目もあった。彼は荷物をまとめると、レオナルドにまた帰ってくると挨拶し、猫人たちと最後のゴブリン退治をしてから、大森林へと向かった。

 

 久しぶりに足を踏み入れた大森林はまるで別世界であった。今までよくこんなところで暮らしていたなと呆れるくらい道は険しく、太陽を遮る天井の木々は葉が鬱蒼と生い茂り、ほとんど光を通さなかった。まだ昼間だと言うのに、こんなに暗いのかと、マニは信じられない思いだった。

 

 それでも今回の留学で逞しく成長した彼には、来たときよりもずっと楽な道のりだった。行きは自分の荷物を持って、鳳たちの後を追いかけるので精一杯だったが、今回はキャラバンの荷物も持ったし、遅れている者を積極的に助けたりもした。

 

 それはもしかしてレベルが上ったからだろうか? 村にいる頃は誰もマニが戦闘が出来るなんて思わず、狩りに行くにも仲間に入れてくれなかったから、レベルが上がる機会も無かったのだが、今ではもう村の大人たちに肩を並べるくらいの力がついていた。得意のスリングを持って一緒に狩りに行ったら、きっとガルガンチュアは息子の成長にびっくりするぞと、彼はそんな夢想をして嬉しくなった。

 

 ところが……そんなマニが帰ってきたというのに、村はどこかどんよりとしていた。村人たちはみんな暗い顔で落ち着きがなく、いつもならキャラバンが到着したらお祭り騒ぎみたいに駆けつける子供たちも、誰一人として寄ってこない。おまけに村人たちは、キャラバンの中にマニの姿を見つけるとバツが悪そうな表情で去っていった。

 

 更によく見れば、村の外周部の空き家には、見慣れない獣人たちがちらほら住んでいて、中にはひどい怪我をしている者もいた。恐らく、どこか別の集落からやって来たのだろうが……一体みんなどうしたんだろう? と思いながら、村の広場で商品を並べているキャラバンから離れて、マニは自分の生家でもある族長の家へと帰った。

 

「おお、マニよ! よく帰った。少し大きくなったか? 見違えるようだな!」

 

 家に帰るとガルガンチュアはマニの顔を見るなりパーッと輝いた表情を見せたが、何故かすぐにトーンダウンすると、

 

「人間社会で何かあったのか? こんなに早く帰ってくるなんて……」

「いえ、何もないですよ。あっちではみんな良くしてくれました。長老に頼まれたキノコを渡したら、またすぐに戻るつもりですが」

「そうか」

「……それより、村で何かあったんですか? 久しぶりに帰ってきたというのに、みんな余所余所しくて。いつの間にか知らない人が住んでいたり、怪我人だらけなのも、あれはなんです?」

「う、うーん……」

 

 ガルガンチュアは出来ればしゃべりたくないのだろうか……少々歯切れが悪そうだったが、思ったよりもマニがまっすぐな視線で見つめてくるので、そのプレッシャーに押し切られたといった感じに、

 

「実は今、大森林ではオークの大繁殖が起きているのだ」

「……オークだって!?」

 

 マニが驚きの声をあげると、ガルガンチュアはオークのことを知っているのか? と少し興味深げな顔を見せてから、

 

「実は、前々から出没していたオアンネスの集団は、あれはオークの子を孕んだものだったのだ。全く知らなかったのだが、魔族はそんな繁殖の仕方もするらしい」

「オアンネスがオークを産んだのですか? ……そうか、なるほど」

 

 マニはその話を聞いて、すぐにヴィンチ村で襲われたオークの群れのことを思い出した。あの後、鳳たちが必死になってオークの侵入経路を探したのに、道理で見つからないわけである。オークは、別の魔族の腹の中に入ってやってきたのだ。これは早速、タイクーンに知らせなきゃとマニは思った。

 

「それじゃあ、あの怪我をした獣人たちは、オークにやられて逃げてきた集落の人達ですか。気の毒に……いや、オークにやられて、あの程度の怪我で済んだのなら、寧ろ幸運かも知れない」

 

 マニがそんなことを呟いていると、ガルガンチュアは渋い顔をしながら、

 

「違う、あれはオークにやられたわけじゃない」

「オークじゃないって……? それじゃあ、一体何にやられたんですか」

「それは……子供は知らなくっていい!」

 

 マニが追求すると、ガルガンチュアは自分が話を向けたくせに不機嫌そうに会話を断ち切ってしまった。以前なら不機嫌な父が怖くて、マニは黙ってしまっていたのだが、しかし人間世界で揉まれてきた彼はもう以前の彼ではなかった。

 

 彼は父も案外子供っぽいんだなと思いつつ、

 

「ガルガンチュア。僕ももう成人した村の男ですよ。何かあったのであれば、ちゃんと教えて下さい。村の役に立ちたいのです」

「なんだと!?」

「僕はそのために人間社会に行ったのです。少しは信用して欲しい」

「う、うーん……」

 

 ガルガンチュアはマニからそんな風に迫られて、なんだか気恥ずかしくなってきた。彼のことを子供扱いしていたが、誰だっていつまでも子供でいられるわけじゃない。勇者領に留学して帰ってきた彼を、ちゃんと一人前の男として扱ってあげなくてはならないだろう。

 

 しかし、マニに言いたくないのは、彼のことを子供扱いしているからではなかった。その理由をマニが許してくれるとは思えなかったからだ。だが、村を憂えている一人の若者を馬鹿にして遠ざけるのは、愚かな年寄りがやることだ。自分はそうはならないぞと思っていたのに、族長なんかになってしまってから、どんどん自分がそんな嫌な大人になっているのを、彼は実感していた。

 

 ガルガンチュアは長いこと唸り声を上げながらジロリとマニを睨んでいたが、透き通った目で父親を見つめる息子の視線が折れることは無いと悟ると、やがて溜め息を吐いてから、

 

「実は……あれはレイヴンにやられたのだ」

「レイヴンに……? 一体、どういうことですか?」

 

 ガルガンチュアは上目遣いでちらりとバツの悪そうな顔をしてから、マニの視線を避けるように顔を背けて、

 

「実は、おまえたちが村を出た後、オークに村を奪われたという獣人たちが次々とやってきたのだ。部族社会(ワラキア)は古の盟約に従って彼らを受け入れたが、あまりにも多くて単純に受け入れるだけの土地がなかった。そこでレイヴンを襲った」

「なんだって!?」

「レイヴンは部族社会に参加せず、好き勝手してるからいいだろうと言うことだった。だが、追い出されたレイヴン達は俺達のことを恨んだ。当たり前だ。それで奴らは復讐のために、この周辺の村々を襲い始めたのだ。普通なら、レイヴンなんて怖くないんだが……

 

 俺たちは、ただでさえオーク退治で必死なのに、レイヴン達は何故か強力な武器を装備していて、おまけに神人が味方をしているせいで歯が立たないんだ。そうしているうちに、オークがどんどん繁殖して、この周辺は魔族のテリトリーに塗り替えられてしまった……

 

 ここも、いつ襲われるかわからない。だから、おまえにはまだ帰ってきて欲しくなかったのだが……」

 

 マニは、自分が居なかったたった3ヶ月の間にとんでもないことが起きていて言葉を失った。オークの襲撃、レイヴンの復讐、だがそれ以上に聞き捨てならなかったのは、その追い出されたというレイヴンのことだった。

 

「……レイヴンの村を襲った? そのレイヴンの村って……」

 

 ガルガンチュアはいつものように唸り声をあげるだけで何も答えなかった。それだけでマニには、彼が何をしたのかが分かってしまった。

 

「そのレイヴンの村って、お母さんが住んでいるところじゃないの!? どうしてそんな……お母さんに酷いことをするんだ! 家族なら守ってあげなきゃいけないだろう!? 大体、あそこには伯父さんだって居るんじゃないの!? 自分の血を分けた兄弟を追い詰めるなんて、それが誇り高き狼人のすることなのか!!」

 

 その言葉にカチンときたガルガンチュアが大声で怒鳴った。

 

「おまえに何が分かると言うんだ! 他の獣人を守らなければ、俺たちだけではオークを止めることは出来ない。俺はこの村のためを……いや、この森全体のためを思って、仕方なくやったんだ! それなのに、そんな俺の苦しみも知らずに、子供がなめた口聞くんじゃない!!」

 

 しかし、今までならこれで黙っていたはずのマニは、父親の怒鳴り声にも全く怯むこと無く、キッと睨み返すと、

 

「何度も何度も子供子供と、そっちの方がよっぽど子供みたいじゃないか! 大体、村のため? 森のためだと? 家族がいなくなった森を守ったところで、一体何の意味があるんだ! そんな下らないものを守るくらいなら、族長なんかやめてしまえ! あなたはガルガンチュアである前に、お母さんが好きな一人の男だろう!?」

「うるさいわあーーっっ!!」

 

 バチーンッ!! っと乾いた音が響いて、マニの顔面に拳が突き刺さった。瞬間、マニの体が面白いように吹っ飛び、壁に激突して家がグラグラと揺れた。ドシーンッ!! っと彼の体が壁にぶつかる音の方が、殴られたときよりもよっぽど大きかった。

 

 ガルガンチュアはハッと我に返って、突き出した自分の拳を見つめた。思わずカッとなって手が出てしまったが、彼の拳は木々をへし折り、その爪は魔獣を真っ二つに切り裂くのだ。そんな攻撃を受けたら、マニが死んでしまう。だから彼は、小さいマニを抱っこしたくても触れられなかったのだ……それなのに……それなのに……彼は慌てて、いま自分が殴り飛ばしてしまった息子へと駆け寄ろうとした。

 

 しかし、そうして駆け寄ろうとした父を、壁に激突し床に転がっていたマニが、ぱっと手のひらを翳して制した。てっきり気を失っていると思いきや、彼はあの攻撃を受けても平気だったのだ。ただし、鼻からは鼻血がポタポタと流れ落ち、そして目からはそれ以上に大粒の涙がダクダクと流れていた。

 

 彼は真っ赤な目をして悔しそうにガルガンチュアのことを睨みつけると、

 

「お父さんの馬鹿野郎ーーっ!!」

 

 と叫んで、父親を突き飛ばして部屋から飛び出していった。

 

 ガルガンチュアはそんな息子のことを呆然と見送ることしか出来なかった。追い掛けたくても、一体何と言って引き止めればいいのだろうか。情けない自分の行動を思い出し胸が苦しくなった。まったく、マニの言うとおりだった。自分はなんてガキなんだろうか……悔しくても、もう取り返しがつかない。彼は後頭部を掻きむしった。

 

 それにしても、自分の攻撃を受けて大怪我をしているんじゃないかと思いきや、殆ど無傷だったなんて、いつの間にあんなに強くなったのだろうか……ガルガンチュアはほんの少し嬉しくなったが、しかし喜んでいる場合じゃない。

 

 マニの言う通り、これはレイヴンを襲った報いだ。自分としては心を鬼にしてやったつもりだったが、それは逆に心の弱さの現れだった。もし自分が本当に強いなら、何かのせいにしてやりたくもないことをやるはずがなかったのだ。あの時、なんとしてもマニの母を助け、そして兄と仲直りをしたかった……そうするのが本当の男の強さだったんじゃないのか。どうしてそう出来なかったのだ……

 

 ガルガンチュアは溜め息を吐いた。どうやらマニに教えられたようだ。もしもレイヴンたちがこの村にやってきた時には、もう手遅れかも知れないが、兄に土下座をしてでも、争う以外に他に方法が無いのか語りかけてみよう。兄は話を聞いてくれないかも知れないが、それでも、せめてマニだけでも無事に暮らしていけるように、なんとか頑張らねばなるまい……

 

 彼はそんな決意を秘めつつ、親子喧嘩で散らかってしまった部屋の中を片付け始めた。マニがぶつかった壁際には彼の荷物が置かれていて、その中から様々な鉄の道具やら、綺麗な布や、沢山文字が書かれた本などが覗いていた。きっと、自分や村人たちへのお土産だったに違いない。マニはみんなのことを考えていたというのに、まったく自分は何をやっていたのか。

 

 これが終わったら、マニに謝りにいかねばならない……ガルガンチュアがそんなことを考え、反省しながら片付ける手を動かしている時だった。

 

「大変だー! ガルガンチュア! 村の外にレイヴンがっ!! 急いできてくれ!!」

 

 たった今出ていったマニと入れ替わりに、村人が家に駆け込んできた。どうやら、レイヴンは親子の仲直りを待ってくれなかったようだ。

 

 ガルガンチュアはマニの荷物を脇に押しのけると、村人の声を追い掛けて外に出た。

 


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