ラストスタリオン   作:水月一人

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俺がガルガンチュアだっ!

 水面がキラキラと揺れて魚が跳ねるように泳いでいた。この小川のせせらぎを聞くのは、最後に村を発ったあの日以来だろうか。帰ってきて、またすぐ逃げるようにここへやってくるなんて、なんとも皮肉な話だった。

 

 マニはよく鳳と一緒に釣りをしていた河原に来ていた。鳳が村を追い出されたびに、いつもキャンプをしていたあの場所だ。

 

 せっかくここに来たのだからと、釣り針を落としてみたが、今日は釣れる気がしなかった。釣りは魚との知恵比べと言うが、きっとイライラしているからだろう。彼は腰に吊るしていたスリングを引き抜くと、河原の石をブンブン振り回して、わざと川の中へと打ち込んだ。

 

 スパーン! っと気持ちのいい音が鳴り響き、面白いくらい飛沫が飛んで、川の水が濁ると同時に、魚たちもみんな逃げていってしまった。彼はジャブジャブと川を渡り、中洲の岩の上に飛び乗ると、垂らしていた釣り糸をグイグイ引き上げ腰のホルダーにしまい、そして四肢を投げ出すように岩の上に大の字に寝そべった。

 

 川の真上だからここだけ頭上を覆う木々が途切れており、日差しがとても心地よかった。サワガニがかさかさと歩き、ポチャンと川の中に飛び込む音がした。マニは目をつぶって、虫の声を聞きながら、ガルガンチュアの話を思い出していた。

 

 父との仲はあまり良好とは言えなかった。子供の頃から、彼が族長だからか、それとも種族の違いのせいなのか、甘えたくても、彼はいつも近寄ってくるマニを嫌そうな顔で追い返した。大きくなって色んな話をしたくても、彼は都合が悪くなるとすぐに怒鳴りつけて、ムスッと黙りこんでしまった。だから今まで、一度にこんなに沢山の話をしたことは無かった。でもそれがこんな悲しい話だなんて、最低の気分だった。

 

 父が、母の暮らしている村を襲ったというのだ。

 

 父が何故そんなことをしたのか、理解は出来る。このところのオークの群れの出没で、沢山の村が犠牲になった。壊滅した村の人たちは避難場所を欲していた。レイヴンは大森林で暮らしていながら、他の部族とは交わらないはぐれものだから、彼らに出ていってもらおうと考えた。短絡的だが、理解は出来る。

 

 だが、理解出来るのと本当にやるのとでは大違いだろう。レイヴン達は非協力的とは言え、魔族とは違って話の通じる人間なのだ。それも自分の大事な人や、血を分けた兄弟がいる村を襲うなんて、いくら部族社会の掟だとは言え、マニなら絶対に出来なかったろう。父は、どうしてそんなことが出来たのだろうか……

 

 マニは、やはり自分と父は血が繋がってないんじゃないかと、考えたくもないことを考えざるを得なかった。それくらい、父と自分では考え方が違うのだ。特に自分は混血であるがゆえに、考え方が人間に近い。それに比べて村の連中は、人間と違ってどことなく薄情なのだ。

 

 思えば村に住んでた居た頃は、いつも苦労させられた。彼らは兎人であるマニをはっきりと蔑視し、軽んじていた。本当に族長の息子なのかと言われたことも一度や二度ではない。母を娼婦呼ばわりされたことも。村人たちは常にイライラしていて、隙あらばマウントを取りたがり、いつも見下せる相手を探していた。マニはそんな彼らの格好の餌食だったのだ。

 

 だがそれは、彼らが外の世界を知らないからだ。人間社会を見てきてはっきり分かったが、村人たちは精神的に弱いのだ。いつも部族の誇りだとか、獣人の強さだとかを強調するのは、そんな自信のなさの現れだろう。だからいざという時になると、すぐに攻撃的な選択を選ぶのだ。父が、誰にも相談せずに、短絡的な行動を取ったのは、その証拠だ。

 

 ヴィンチ村で出会った猫人達は、彼らもすぐにマウントを取ったり、相手を見下したりしていたが、少なくとも毎日が楽しそうだった。彼らの場合はそれが冗談で済んでいたのだ。その違いがどこにあるのかは、きっと彼らが人間と共に暮らし、世界の大きさを理解しているからだろう。

 

 確かに、獣人は人間と比べて頭が悪い。だから人間社会に出ると不利になるのは本当だった。だが少なくとも人間は、自分たちより獣人の方が強いことを認めている。だから肉体労働ばかりさせられるわけだが、言い換えればそれは適材適所じゃないか……人間がいないここよりは、ある意味、人間と一緒にいたほうが獣人も幸せなのかも知れない。

 

 マニは溜め息を吐いた。

 

 獣人社会と人間社会、その両方を知っているのは自分だけじゃないか。以前にも考えたことだが、獣人は獣人だけでまとまっていたら駄目だ。自分が村の鍛冶師になろうと考えたように、獣人と人間の間を取り持つ誰かが必要なのだ。

 

 マニはその誰かをレイヴンがやればいいと思っていた。そうすれば彼らも今までのように、獣人社会の中でよそ者呼ばわりされることもなく、人間社会で爪弾きにされることもない。そしていつかお母さんと一緒に暮らせる日が来るかも知れないと思ったのだ。

 

 今回の帰省で、それとなくガルガンチュアに伝えるつもりだった。そのために彼は勇者領での鍛冶仕事を持ち帰って、みんなに認めてもらおうと思っていたのだ。なのに癇癪を起こして飛び出してきてしまったのは失敗だった。今からでも遅くない。帰ってちゃんと話さなければ……

 

 マニは気合を入れて立ち上がり、また川の中に飛び込むと、全身の火照りを冷ますかのように、バシャバシャとバタ足で水面を蹴立てて、泳いで川を渡った。川底を手で掻いて、横になった体をスイスイと進ませる。立っても膝丈くらいしか水深でそんなことをしていると、まるで小さな子供に戻ったみたいな気分になった。

 

 岸にたどり着いた彼がそんなことを考えながら立ち上がると、すぐそばで砂利を踏む音が鳴った。誰かが追い掛けてきたのだろうか? 格好悪いところを見られちゃったなと思って振り返ると、そこには村では見かけない男が立っていた。

 

「やあ、こんにちわ。君はこの先の村の子かな?」

 

 それは村で見かけないどころか、大森林ではまず見ることがない人間の男だった。マニは鳳たちが居たから人間を見ても珍しく感じなかったが、その感覚がおかしいだけで、普通に考えればこんな場所に人間がいるはずがなかった。

 

 トカゲ商人のキャラバンに一緒についてきた人だろうか? いや、そのキャラバンと一緒に帰ってきたのは、他ならぬ自分じゃないか。それじゃあ、この人は何者なんだろう。こんな森の奥に用事がある人間なんて怪しくて仕方ないが……

 

 マニがそうやって警戒していると、男は人懐こそうな顔をしながら歩み寄ってきた。

 

「そんなに警戒しないでください。私は冒険者ギルドのもので、大森林にちょっと捜し物をしに来ただけです。敵意はありませんから」

「捜し物……?」

「ええ、これなんですけどね。知りませんか?」

 

 

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 男はそう言って、一枚の紙切れをマニの目の前に差し出した。彼はその化け物の手みたいなマークを見た瞬間に、以前に見たことがあることを思い出し、声を漏らしてしまった。

 

「あれ……? これって……」

 

 男はそれを見逃さなかった。

 

「おや? あなたは見たことがありそうですね」

 

 何の心の準備もなく突然見せられたから、ついうっかり声が出てしまったが、確か鳳たちは先を越されると嫌だから、このことは内緒にしとこうと言ってたはずだ。マニは出来れば隠したいと思ったが、しかし今更知らないと言っても信じてくれそうもないので、

 

「えーっと……知ってるというか何というか」

「そこを何とか、教えてもらえませんか?」

「うーん……」

 

 彼はまだ迷っていたが、確か目の前の男は冒険者ギルドから来たと言っていた。結局はレオナルドが知るところになるのだから、話しても構わないんじゃないかと思った。ただ、あの迷宮は、村の長老が教えてくれたものだから、彼の許可を得たほうが良いと思い、

 

「それじゃあ、もし長老が良いと言うなら教えてあげますよ」

「そうですか、わかりました。それじゃ一緒に村まで行きましょう」

「はい……ところで、あなたはその村からやって来たんですよね。どうしてこんな、村外れの人気のないところに?」

 

 マニと男は一緒に村へと戻ろうと歩き出した。しかしマニには、なんとなく男の行動が不審に思えてならなかった。ゲッコーのキャラバンはさっき村についたばかりだ。マニは家に帰ってすぐに飛び出してきたから、時間的にはそれほど経ってない。

 

 なら、男はマニが村に帰ってきた時には既に村に滞在していたことになる。でも、そんな人間が来ているという話は聞かなかったし、もし居たとしたら、鳳みたいにもっと目立っていたのではないか。村人たちが彼を空気のように扱う理由がわからない。

 

 変だな……と思うとますます気になってきた。マニは長老のところへ案内する前に、その辺のことをもう少し詳しく聞いてみようとした。

 

 ところが、その時、マニの進む先からパンッ! パンッ! という、火薬が弾けるような音が聞こえてきた。人間の世界でしょっちゅう聞いてたから分かる。あれは銃声だ。方角からして、村から聞こえてくるので間違いない。なんで村から? 何が村で起きているのだ?

 

 そう言えばさっき父が、レイヴンたちがこの周辺の村を襲っていると言っていたことを、彼は思い出した。

 

 レイヴンには人間と獣人の混血も含まれる……マニは急に嫌な予感がしてきてきて、この男からすぐ距離を取ったほうがいいと思った瞬間……ドンッ! っという衝撃と共に、後頭部に何か硬いものがぶつかるような感触がして……

 

 マニはそのまま意識を失ってしまった。

 

********************************

 

 村は無数のレイヴン達に取り囲まれていた。レイヴン達はどこから手に入れたのか、全員が銃で武装しており、中には他の村から吸収された獣人たちも含まれていて、もはや彼らは低レベルの混血の集団とは呼べなくなっていた。おまけにそんなレイヴン達を保護するように、両翼には噂の神人が睨みを利かしていたのである。

 

 獣人同士が争えば、よほどのレベル差が無い限り互角の戦いになる。レイヴン相手でも、不用意に近づけば、その銃で撃ち抜かれて致命傷になりかねない。それなのに、敵はガルガンチュアの集落の倍を軽く凌駕する大軍で攻めてきたのだ。

 

 しかし、誇り高きガルガンチュアの部族はそんな相手にも怯むことなく、それぞれがそれぞれの武器を取って、レイヴンたちに真っ向から挑むべく集結していた。その武器は相手とは違って、木の槍や石の斧、自分の爪が頼りの徒手空拳の者も多かったが、誰一人として逃げ出そうというものはいなかった。

 

 それもこれも、彼らには獣王ガルガンチュアがついているからだ。かつて大森林を支配した最強の獣の王の末裔である彼らには、今も常勝不敗の族長がいる。彼が居れば、たとえ相手が神人であっても、このような敵など恐るるに足らぬと、彼らは本気で信じていた。

 

 間もなく、その族長が現れて、レイヴンたちの前へと進み出た。村人たちは彼の合図と共に先制攻撃をかけようと、ジリジリと敵との距離を詰め始めた……ところがそんな時、当然、自分たちの村に侵入した不届きなレイヴン達を一蹴すると期待していた族長が、信じられない行動に出て村人たちは困惑するのであった。

 

 頼みの綱のガルガンチュアは、レイヴンの前に進み出ると、威嚇や怒声を浴びせるのではなく、襲撃をやめるように懇願し始めたのである。

 

「パンタグリュエルよ! 兄よ、居るんなら出てきて話を聞いて欲しい。もうこんなことはやめてくれ。俺が悪かったのなら謝る。殺したいと言うなら命を差し出そう。だからどうか、レイヴンよ! 兄弟よ! 今は怒りを沈めて、俺の話を聞いてくれないか!」

 

 その言葉には両陣営が動揺した。レイヴンたちは、まさかプライドの塊みたいな獣人の長が、一戦もすることなくいきなり降参するとは思いもよらず……そして村人たちは、自分たちの族長が、そんな部族の誇りを傷つけるような真似をするとは思わず、目を剥いた。

 

 ガルガンチュアは動揺する人々に構わず話を続けた。

 

「こんなことを続けていたら森が駄目になってしまう。本当なら俺たちは今、オークを抑えて森を守らなければならないはずだ。このままでは戦いに勝っても負けても、住む場所がなくなってしまう。お前たちを森から追い出そうとしたことは間違いだった。それは認める。謝罪もする。必要ならば、全てが終わった後、俺は死んでも構わない。だからどうかレイヴンたちよ、もうこんなことはやめて、オークを倒すことだけに集中させてくれないか」

 

 ガルガンチュアの懇願は、レイヴンたちの心を打った。彼らは最近オークに襲われたばかりだったから、その凶悪さを身にしみて感じていた。これまでは復讐心だけで村々を襲い続けていたが、その結果がどうなるか、そろそろ考えねばならない時期に差し掛かっていた。

 

 しかし、そんなレイヴンたちと対象的に、村人たちの方は烈火のごとく怒り出した。彼ら部族にとって、戦わずして敗北を認めることなど許されることではない。村人たちは突然敵にしっぽを振り出した族長に詰め寄った。

 

 勝手に部族の誇りを傷つけるようなことをするなら、族長を降りろと迫る村人たち。ガルガンチュアは、それでも今回ばかりはこっちの方が悪かったのだと、何とか村人たちを宥めようと、必死に悪罵に耐えていた。

 

 しかしそんな時だった。

 

「静まれ静まれ!!」

 

 動揺するレイヴンたちの中から、ハチが歩み出てきた。彼は双方がにらみ合う広場に躍り出ると、振り返ってレイヴン達に向かって言った。

 

「みんな騙されるな! これはガルガンチュアの罠だ! さっきからこいつは俺たちに言ってるように見えて、兄にばかり話しかけてる。多分、兄なら騙せると思ったからだ。残念だったな。パンタグリュエルは死んだ!」

「……なに!?」

 

 まさか兄が死んでいたとは思いもよらず、ガルガンチュアは驚愕する。

 

「パンタグリュエルは最後まで、ガルガンチュアを許さないと言っていた。彼はこの男を殺すためだけに、ずっと頑張ってきたのだ。それなのに、こいつは自分が助かるためだけに、兄弟の絆を利用しようとしているのだ! こんなことが許されるのか!? 俺たちは俺たちの族長のことを思い出さなきゃならない。彼の死を無駄にするな!」

 

 ハチの扇動に、レイヴンたちがまた動揺し始めた。そうだ、元はと言えば、彼らの復讐はガルガンチュアに村から追い出されたことから始まったのだ。それを果たさずして、戦いをやめてしまっていいのだろうか……

 

「こいつはオークと言って怖がらせようとしてるが……レイヴン達よ! 臆するな! 俺たちは強い! 俺たちはそのオークに勝ったじゃないか!」

 

 その一言が決め手となった。一度はガルガンチュアの言葉に耳を傾けて、話し合おうと思っていたレイヴンたちも、再度武器を取り上げて村人たちに怒りの目を向けてきた。そして、その敵意を敏感に読み取って、レイヴンではなく村人たちの方が先に手を出してしまう……

 

 村人の中のひとりが先走って、先制攻撃を始めてしまった。

 

「卑怯な! 戦いたくないと言ってたじゃないか!」「うるさい! それは族長が勝手に言ったこと」「やはり、罠だったか……」「みんな続け! やつらに鉄槌を下してやるんだ!」「抜かせ半端者が!」「うおおおおーーー!!」「死ねっ!」

 

 どこかで起きたほんのちょっとの小競り合いが瞬く間に広がっていく。ガルガンチュアはそんな村人たちを止めようとして必死に叫ぶが、もはや誰も彼の声を聞いてくれるものは居なかった。

 

 どうすればいい……? どうすれば……

 

 戸惑い立ち尽くすガルガンチュアの元へ、二人の神人が立ちふさがる。そのうち一人の男が彼の前へ歩み出て、

 

「やはり罠だったのか……? お前の話は聞くところもあると思ったが」

「そんなつもりはない。俺は本気でそうしたいんだ。今からでも遅くない、お前たちも彼らを鎮めてくれないか」

 

 その言葉に神人も戸惑いを見せるが、

 

「ペルメル……」

 

 もう一人の神人がその肩を叩いて首を振ってみせると、

 

「……分かっている。どちらにせよ、俺たちには戦う他に選択肢はない。お前の話を聞いてやるにしても、それは勝敗が決まった後だ」

「……結局、戦わねばならぬのか。これが獣人という種の運命なのか」

「さあ、武器を取れ」

「そんなものはない。俺にはこの爪があれば十分だ」

 

 二人は暫しにらみ合い……そしてどちらからともなくぶつかりあった。

 

 レイヴンと村人たちの戦いは、双方入り乱れての大乱戦になった。なんやかんやでガルガンチュアの訴えがきいてしまい、初めは距離をおいていた両陣営が、なし崩しにそのまま戦闘に入ってしまったせいだった。

 

 レイヴンたちの主力はライフルや拳銃という遠距離武器であり、このような乱戦が始まっては不利であったが、それでも彼らはどこか楽観していた。何しろ人数に差があり過ぎることと、彼らには神人という強い味方が居たからだ。

 

 ところが、戦闘が長引いてくると彼らは次第に焦り始めた。ガルガンチュアの村人たちは、これまで戦ってきた村々の住人達とは違って、一人ひとりがタフであり、そして負けず嫌いだった。彼らは倒れても倒れても何度も蘇ってくる。

 

 更にはあてにしていた神人が、全く役に立っていなかった。なんとガルガンチュアは、神人二人を相手に堂々と渡り合っていたのである。

 

 これまで、いくつもの村を沈めてきた神人たちが、ガルガンチュアに……ただの獣人に互角以上にあしらわれている。彼らは切り札の古代呪文を封じられ、虎の子の神技まで見破られて、何ひとつ好きにさせてもらえなかった。苦戦する神人二人は徐々に追い詰められていく

 

 どうしてガルガンチュアは神人を相手にここまでやれたのか……? それは彼がメアリーと一緒に戦う機会が何度もあったからだった。

 

 神人は人間を凌駕する身体能力を持っているが、それは相手が人間であるからで、獣人とはそれほどの差はない。それが分かってさえいればなんとかなる。厄介なのは彼らが使う古代呪文であるが、それは彼ら以上の使い手であるメアリーの魔法を見ていたガルガンチュアにとっては驚異では無かった。

 

 彼には、神人たちがどんな時に、どんな魔法を使いたがるかが分かっていた。古代呪文は万能ではなく、味方も一緒に巻き込んでしまう。ガルガンチュアはそれを逆手にとって彼らが魔法を使い難い位置取りを常に心がけて戦った。

 

 神人二人は次第に焦り始めた。こんなに苦戦するのはジャンヌに屈した時以来だ。それもそのはず、ガルガンチュアの中には、ジャンヌという神技の使い手と共に戦った経験も活きていたのだ。

 

 ジャンヌは大技の使い手だったが、小技も全て使えた。その彼が使う神技と比べて、目の前の神人たちが使う神技は、ハエが止まっているかのように遅かった。

 

 神人は確かに強かった。だが、経験の差が物を言った。身体能力に違いがなければ、神人も決して戦えない相手ではないのだ。

 

 そんな族長の善戦を見て、村人たちの士気も否応なく上がる。逆に戦闘を望んでいなかったはずのガルガンチュアがここまでやるのを見て、レイヴンたちの方は動揺が強くなってきた。戦力は相変わらず、レイヴンたちの方が圧倒している。だが、その勢いは完全に逆の方へと傾きつつあった。

 

 しかし、快進撃もそこまでだった……

 

「止まれ、ガルガンチュア! これ以上、抵抗するなら、こいつの命はないぞ!」

 

 ガルガンチュアの耳に、ハチのヒステリックな声が聞こえる。神人二人の攻撃を捌きつつ、彼は声のする方へと目をやり……そして止まった。

 

 押し込まれていた神人たちは、突然戦意を喪失した相手に気づかず、相変わらず攻撃を繰り出している。そして彼らの鋭利なサーベルの先が、深々とガルガンチュアの腹へと吸い込まれていった。

 

「な……!?」

 

 突然の出来事に、驚いた神人の一人、ペルメルがサーベルの柄から手を離す。しかし、それは地面に落ちることなく……まるでそこから生えているかのように、ガルガンチュアの腹に納まっていた。

 

 何故、こいつは急に立ち止まったんだ? ペルメルはギリリと奥歯を噛みしめると、さきほど聞こえてきた声のする方へと目を向けた。

 

 するとそこにはピサロと、その虎の威を借るハチ……それから見知らぬ兎人が、羽交い締めにされて立っていたのであった。

 

「いいぞ、神人! そのままそいつをぶっ殺せ!」

 

 目障りなハチが、まるで手下にでも言うように命令してくる。ペルメルはこの生意気な獣人を殺してやろうかという気持ちをぐっと抑えて、その隣にいるピサロに尋ねた。

 

「おまえ一体、何をした!」

 

 するとピサロは、何をそんなに怒ってるんだろうと言わんばかりに肩を竦め、

 

「珍奇な話なんですけどね、この兎人、実はそこのガルガンチュアさんの子供らしいんですよ」

「なに……!? そんな馬鹿な」

「私もそう思います……しかし、どうやら彼には、命に代えても惜しくないらしい」

 

 ガルガンチュアを見れば、彼は腹に剣を突き刺したまま、唸り声を上げて仁王立ちしている。そんな彼に向かって羽交い締めされているマニが、必死に何かを叫ぼうとしているが、口を塞がれて何も言えないようだった。

 

 嘘みたいだが、彼らが親子と言うのは本当のことらしい。神人二人が困惑しながら佇んでいると、そんな二人に向かってピサロが言った。

 

「ほら、分かったのなら、早くその狼人を倒してしまいなさい」

「……断る。こんな卑怯な手で勝ちたくない」

「あのねえ、強がりを言ってる場合じゃないですよ……こうでもしないと、あなた達、彼に勝てなかったでしょう?」

「なんだと!?」

「あなた達が、彼をもっと簡単に倒してくれれば、私だってこんな真似はしないで済んだんです。私が何をやってでも目的を達する人間であることをお忘れか?」

「くそっ……卑怯者め!」

 

 神人二人は怒りで頭がどうにかなりそうだった。このまま、ガルガンチュアを殺すのは簡単だ。だが、そうしてしまったら、彼らの中にある大事な何かが失われてしまう……そんな気がして仕方がなかった。

 

 その通りである。目の前のガルガンチュアも示したように、人には命に代えても譲れないものがある。人生など何の意味もないとニヒルなことばかりを言うものもいるが、だったら何故死なずにダラダラと生き続けるのか。そこに失いたくない物があるからじゃないのか。それをやすやすと乗り越えてしまえる者を、人は外道と呼ぶのだ。

 

「おまえたちが殺らないんなら、俺が殺る!」

 

 神人二人が顔を真っ赤にしながら、何も出来ずに佇んでいると、その間を縫うように駆け抜けて、ハチがガルガンチュアの前へと躍り出た。彼は元族長の前に立つと、当たり前のように手にしたライフルをその腹に突きつけ……

 

 パンッ! ……っと、安々とその引き金を引いた。

 

 血がまるで蛇口をひねるようにボタボタと流れ落ち、ガルガンチュアの体がビクリと揺れる。

 

 しかし至近距離からライフルの射撃を受けても、獣王は抵抗の意思を見せるかのように、その場で佇んだまま微動だにしなかった。

 

 これにビビったハチが、また慌てて引き金を引く……パンッ! ……パンッ! ……パンッ! ……パンッ! ……そして全弾を撃ち尽くし、尚も倒れない相手に恐怖しながら、カチカチと弾の出ないライフルの引き金を引き続けていると……

 

 そこでようやく、ガルガンチュアは膝をついたのである。

 

「ぐっ……うぅ~……」

 

 膝をついた彼は、そのまま糸の切れた人形のように、前のめりになって地面に倒れた。ドスン! っと大きな音が響いて、そんな彼の腹から流れた大量の血液が地面を濡らしていく。

 

 さっきまで激闘を繰り広げていた神人二人が、そんな彼のことを、ポカンと口を開けたまま、呆然と見下ろしていた。

 

「お父さんっ!!!」

 

 そこへピサロの腕を振りほどいたマニが駆け込んできた。彼は倒れた父を抱き起こそうとして、その体にすがりついた。しかし、思った以上に重い体を持ち上げきれず、腹ばいになった体を転がしてどうにか仰向けにするのが精一杯だった。

 

 信じられないくらい大量の血液が地面を濡らし、マニの白い毛を真っ赤に染めていく……

 

「お父さんっ! お父さんっ! しっかりしてよっ! お父さんっ!!」

 

 マニは必死になって叫んだ。必死に叫び続けた。怒られてもいい、そのつもりで。

 

 絶対に村人たちの前では言ってはいけない。ガルガンチュアか、族長と呼ぶように……そう言われて育った彼は、この時、生まれてはじめてその誓いを破った。

 

 しかし、そんな約束を破ったマニのことを叱らずに、血だらけのガルガンチュアは愛おしそうに腕を伸ばして、その頭の上に手のひらをポンと乗せ、弱々しい声で言うのであった。

 

「よく帰った、マニ……大きくなった……な……」

「お父さん! ちょっとまってよ! 今なんとかするから! 誰か! 誰か助けて! 血を止めてよっ!」

 

 本当はずっとこうしたかったのだ。そう言いたげにマニの頭の上に乗せていた手がするりと落ちて、地面の血溜まりを叩いてパシャンと音が鳴った。

 

 その瞬間、まるで時間が止まってしまったかのように、全ての戦闘がピタリと止んだ。

 

 頼りの族長が殺られ、村人たちは戦意を喪失する。

 

 レイヴンたちはそんな彼らを唖然と見守るだけで、止めを刺すことはしなかった。

 

 誰も彼もが動けなかった、たった一人の男を除いては。

 

「あはは……あはははは……あははははは!!」

 

 まるで嬌声のような気持ちの悪い笑い声が村に響く。

 

「ついにやったぞ! 俺が……俺が、ガルガンチュアを倒したんだっ!!」

 

 ハチは息が切れるほど目一杯腹を抱えて笑い転げると、まるでフルマラソンでも走り終えたような清々しい表情をしながら、地面に転がっているガルガンチュアの死体を思いっきり蹴り上げた。

 

「俺を追い出しやがって、この野郎! 気分が良かっただろうな! ちょっと強いからって、ふざけやがって……俺が……俺が、どれだけ! 憎くて、憎くて、憎くて、憎くて、憎くて! たまらなく憎くて眠れない日が続いたことか、おまえにわかるか! この野郎!」

 

 バチンバチンと肉を叩く音が鳴り響く。彼は村人たちが項垂れて降参の意思を示しているの見ると、実に嬉しそうに、

 

「村の連中も全員、許さないぞ! こいつと一緒になって俺を追い出しやがって、おまえら全員、簡単に死ねると思うなよ! 男たちは全員、俺にひれ伏すか死ぬか選べ! 女たちはひとり残らず犯してやる!」

 

 ハチはケタケタとした笑い声をあげると、何か思いついたかのように、

 

「そうだ! この村では最強の男が族長になるんだったな! つまり俺が最強だ……俺が……今日から俺がガルガンチュアだ! おまえたち、わかったか! 俺がガルガンチュアだっ!!」

 

 狂ったように叫ぶハチに、村人たちは何も言えなかった。彼らは一様に押し黙り、ただ悔しそうに地面を見つめている。中には涙を流す女も居たが、特に激しい反応を見せたのは、いつもハチと一緒に遊んでいた子供たちだった。

 

 彼らは戦闘中、物陰に隠れてそれを見ていたが、今や彼らの瞳は憎悪に燃えたぎり、たった一人の男に注がれている。ハチはそんな憎しみの籠もった目には気づかずに、さも気持ちよさそうな顔を見せると、未だに父親の死体にすがって泣いているマニに近づいて、彼のことを思いっきり引きずり倒した。

 

 ズザーッ……と、地面を擦る音が鳴って、土埃が舞った。マニは地面に突っ伏したまま、何かぶつぶつと呟いている。ハチは舌なめずりしながら近づいていくと、

 

「……助けて……村が……お兄さん……助け……」

 

 マニは焦点の合わない瞳で、わけのわからないことを呟いている。父親が殺されたことで頭がおかしくなってしまったのだろう。ハチはそんなマニに、いやらしいねっとりとした視線を送ると、ニヤニヤとしながらその首筋に舌を這わせてペロペロと舐め始めた。

 

 何をしているんだと奇異の目を向ける人々に気づかず、ハチは自分に酔いしれたような恍惚とした表情を浮かべると、誰にともなく言った。

 

「くくくく……おまえは特に可愛がってやろう。女の服を着せて、毎晩抱いてやる。おまえは俺のものになったんだ。もう邪魔者はいないぞ」

 

 ハチはそう呟くと、既に冷たくなっているガルガンチュアの体を滅茶苦茶に蹴り始めた。それに飽き足らず、今度はその爪で肉を切り裂くと、気持ちの悪い音が響いて、べちゃべちゃと肉片が周囲に飛び散った。彼はおそらく、素手でガルガンチュアの体を解体しようとしているのだ。

 

 これには辛抱堪らず、嫌悪感丸出しの神人たちが止めようとして動き出した。しかし、彼らは二三歩進んだところでその足を止めた。この悪趣味な獣人以上に気になるものが見えたからだ。

 

 その時、突然、ぐったりしていたマニの体が奇妙な光を発し始めた。蛍光色のような薄暗い緑色から、徐々に目も眩むような虹色に変わってくる。その光はどこか圧迫感を感じさせた。

 

 神人は後退りした。この感じはどこかで見たことがあるような……そうだ、確かまだ城に居た頃、ジャンヌに二人まとめて倒された時の……

 

 そんなマニの変化に、高笑いを続けるハチはまだ気づかない。彼はゆっくりと立ち上がると、父の仇をその視界に入れるのだった。

 


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