ラストスタリオン   作:水月一人

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誰が誰だって?

 その姿は虹色のオーラを纏っているかのようだった。光の礫が彼の逆立つ毛先から飛び出し空へと昇っていく。いつもは真っ赤な彼の瞳が今は七色に輝き、キラキラと燐光を発していた。彼の体がゆらりと動くたびに、それがまるで糸を引くように軌道を残していった。

 

 マニは全身に力が湧いてくるのを感じていた。湧いていくると言うより、溢れ出すと言った方が正しいかも知れない。その力は無限に増大し、増殖し、彼の意のままにいくらでも引き出すことが出来るようだった。

 

 彼は自分が別の何かに生まれ変わっているようなそんな気がした。体の隅々の細胞が入れ替わる。引き絞る弓のように研ぎ澄まされた筋肉が自分の体にフィットしていく。頭の中では、今まで経験したことのない記憶が溢れていた。身に覚えのない遠い記憶……だが、確かに彼の記憶だった。

 

 大昔の大森林、まだ獣人がこんなにいなかった頃、森は魔族に支配されていた。襲い来る魔物の群れ、そして凶悪な魔族たち。ネウロイから突然飛び出し、北上を開始した魔族は、あっという間に森を飲み込み、獣人たちを追い出しはじめた。

 

 そんな魔族に敢然と戦いを挑む獣人の部族がいた。族長の名はガルガンチュア。強力な仲間を従えて、迫りくる魔族たちをバッタバッタとなぎ倒す彼は、正に獣王の名が相応しかった。彼が通り過ぎれば、そこには魔族は一人も残らない。彼が引き連れる部族は、まるで移動要塞だった。

 

 だがそんな無敵の集団も、いつまでもそのままではいられなかった。魔族と戦えばやはり犠牲は付き物で、一人、また一人と脱落していくうちに、部族はどんどん小さくなっていった。やがて女子供がついてこれなくなり、その穴を埋めるべく、無理がたたって多くの男たちが脱落し、そして彼らはついに魔族の前に屈した。

 

 血だらけで、ボロボロになって、命からがら逃げてくるガルガンチュア。彼の周りは魔族だらけで、仲間はもう誰一人として残ってない。絶体絶命のピンチの中、力尽きて倒れた彼に、しかしその時、救いの手が差し伸べられた。

 

 どことなく鳳に似た雰囲気の黒目黒髪の男性。

 

 ヘルメス卿と呼ばれる長身痩躯の優男。

 

 アマデウスと言う名の陽気な青年。

 

 そして若かりし日のレオナルド……彼の髪は金色で、まだフサフサだった。

 

 命を助けられたガルガンチュアは従者として彼らに付き従い、魔王の軍勢と対峙する。そして勇者が魔王を討伐し、世界に平和が訪れたのだ。

 

************************************

 

「今日から俺がガルガンチュアだ! おまえら男は全員、俺に従え! 女はみんな犯してやる!!」

 

 マニとしての記憶、ガルガンチュアの記憶、二つの記憶が混じり合って、マニは自分が誰なんだかよく分からなくなっていた。頭が回らなくてクラクラする、いつもと同じはずなのに、体のサイズがあっていないのか足元がおぼつかない。いつもよりずっと視界が低いような気がして仕方ない。ただ、その代わり体が軽くて、これならいくらでも敏捷に動けそうだった。

 

 なるほど、この体も悪くない。そう思った時、すっと体の感覚が戻ってきて、さっきまでブレていた視点がピタリと合って、視界がクリアになった。すると目の前にいた狼人が突然、自分のことがガルガンチュアだとか言い出して、何を言ってるんだ? こいつは……と思ったガルガンチュアは、その狼人……友達のハチだ……友達だと思っていたのに……彼はずっと父のことを憎んでいた。マニのことを変な目で見ていた……マニはそれを思い出すと胸が苦しくなってきて……腹の奥底から怒りがこみ上げてきたガルガンチュアは、この不届きな馬鹿を一秒たりとも生かしておいてはいけないと思った。

 

「おいこら、誰が誰だって?」

「あん……?」

 

 ガルガンチュアがハチの肩に手を置くと、彼は間抜けな顔をして振り返り……マニはその憎らしい顔を見た瞬間、頭の中で何かがプツンと切れる音がして、自然と体が動くのに任せた。

 

 するとマニの腕がハチの首にまとわりついた瞬間、それは面白いように明後日の方向へと捻じ曲がって、まるで海賊のおもちゃみたいにポンと胴体から首が発射した。

 

 ハチの首が空を飛び……少し遅れて、首のあったところから噴水のように血が舞い上がった。間もなく血の雨が降り注ぎ、地面に当たってバシャバシャと音を立てた。

 

「うおおおおおぉぉぉーーーーんんんっっ!!!」

 

 マニはそれを全身に浴びながら、まるで狼のような遠吠えをあげると、

 

「俺がガルガンチュアだ!」

 

 マニの遠吠えに、その場にいた全員が釘付けになった。

 

 たった今まで、ピサロに羽交い締めにされて抵抗が出来なかった弱々しい兎人が……ハチに父親を殺されて泣いていた子供が……今は何故か不思議なオーラを纏って、異常な威圧感を周囲にばら撒いている。

 

 彼を見ているとレイヴンたちは胸のうちに恐怖心が湧いてきて、逆に村人たちは信じられないほどの期待感が溢れてきた。だが、見た目は何も変わらない。マニはマニなのだ。何故、彼を見て急にこんなことを感じるのだろうか。村人たちがそう考えていると、そのマニはギラリと光る鋭い眼光を周囲に走らせてから、

 

「何故話し合わない! 何故協力し合わない! 何故許し合わないのだ! おまえたちはこの300年間、一体何をしていたんだ! この森を守るため! 我らの子孫を守るため! そして勇者が救ったこの美しい世界を守るために、俺はこの森の秩序を作った! それは魔族から我らの居場所を守るためで、獣人同士が争うためじゃない! 一人がみんなのために、みんなが一人のために、この森に住む全ての者が協力しあわなければ魔族に勝てないからじゃないか! なのにお前たちは……情けない子孫どもめ! 全員、叩きのめしてやる!!」

 

 その言葉を聞いて、森の住人たちは一様に震え上がった。300年前のことなんて、まだ成人して間もない子供がおかしなことを言ってるとしか思えないのに、なのに彼らには、まるで本物のガルガンチュアに怒られているとしか思えなかったのだ。

 

「まずはおまえからだ、すべての元凶!」

 

 ショックで固まっている獣人たちを無視して、マニは近くにいたピサロから片付けようと動き出した。

 

 突然の出来事に呆気にとられていたピサロだったが、獣人の遺伝子が無い分だけ、マニの咆哮を聞いても平気だったのか、彼は迫りくるマニの攻撃をすんでで交わして、ゴロゴロと地面を転げて逃げ出した。

 

 マニはチッと舌打ちすると、尻尾を巻いて逃げ出そうとするその背中を追ったが、ようやく恐怖心から脱したレイヴンたちが、慌てて自分たちの大将を守ろうとして立ちはだかった。ピストル、ライフル、それからサーベルで武装した複数の男たちがマニに迫る。

 

(おぼろ)

 

 マニはそんな男たちに真正面から飛びかかっていき、突然、そんな言葉を呟いたかと思ったら……次の瞬間、空中を蹴って男たちの背後に回り込んでしまった。そんなあり得ない動きに唖然として硬直しているレイヴン達を、マニは腰にぶら下げていたスリングの布で器用に引きずり倒すと、無防備な首筋にナイフを突き立てた。

 

 血をダクダクと流した男が悲鳴を上げる。その声に我に返った仲間がライフルをマニに向けて構えると、

 

疾狗(しっく)

 

 狙いを定めたマニが突然、四つん這いになるくらい体を低くかがめたと思ったら、次の瞬間、彼はもう男の目の前に立っていた。瞬間移動としか思えない程のスピードに、信じられないと呟いたのが、彼の最後の言葉になった。

 

 まるで花を手折るように、容易く首を折られた男が崩れ落ちる。それを見た他の者達は、ある者は逃げ出し、ある者はパニックになって一斉に飛びかかってきた。四方八方から向けられる刃と弾丸の数々……このままでは蜂の巣にされると思いきや、

 

陽炎(かげろう)

 

 マニが腰にぶら下げていた水筒から水を辺りに撒き散らすと、次の瞬間、そのキラキラと光る水滴が蠢き、何かを形作っていくと思いきや、なんとそれは複数のマニそのものになった。

 

 光の錯覚か、それとも怪しげな術なのか。レイヴン達は、いきなり何人にも分身した彼の内どれが本物かと戸惑っていると……なんとその全てがそれぞれ別方向へと走り出し、マニを囲んでいたレイヴン達全てに襲いかかってきた。

 

 それはただの幻影ではなく、全てが本物のマニだった。呆然とするレイヴンたちは、あまりの理不尽に抵抗することも忘れて棒立ちのまま命を落としていく……

 

「いいぞ、マニ! もっとやれっ!!」

 

 マニが次なる獲物を探して駆けていると、それを見ていた村人たちから声が上がった。彼らの期待に満ちた瞳に気づいたマニは、それを見ると突然足を止め、

 

「なんて情けない……お前らなんて、俺の子孫じゃない! そこで待ってろ全員殺す!」

 

 マニの眼光が鋭く光り、村人たちは恐怖に慄いた。虎の威を借る狐のような行為を、マニは許しはしないのだ。慌てた村人たちが、パニックになって逃げ惑う。

 

 村人たちもレイヴンも、たった一人の兎人を恐れ、完全に正気を失っていた。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う彼らが、あちこちでぶつかっては悲鳴を上げる。マニが通り過ぎた後には血しぶきが上がり、死体が転がっていた。

 

 あっけに取られていた神人の二人は、ようやくこのまま放っておいてはまずいと思い、彼を止めようとして動き出した。しかしマニは目の前に立ちふさがる二つの陰に気がつくと、

 

「神人か……弱い者いじめにも飽きてきた。少し相手してやろう」

「抜かせっ!」

 

 神人の一人……ペルメルが先制攻撃とばかりに飛びかかる。しかし、マニはそんな神人の攻撃を悠々と躱すと、相棒の陰に隠れて迫っていたもう一人の神人、ディオゲネスの攻撃を軽くいなして、手にしたスリングをブンと一回転させた。

 

「ぎゃあっ!」

 

 するとその瞬間、ディオゲネスの肩に激痛が走り、彼は悲鳴を上げて転げ回った。マニの持つスリングには石は乗せられてない。彼はスリングをムチのように使って、ディオゲネスの肩に巻きつけたのだ。

 

 神人は傷を負ってもすぐに回復してしまう。だからマニはすれ違いざまに、相手の肩関節を外してしまったのだ。外された関節は怪我ではないからすぐくっつきはしない。ディオゲネスは痛みに耐えながら自分の腕を強引に嵌め直す。

 

「気をつけろペルメル……こいつ、おかしな技を使うぞ!」

「わかっている……二人同時に行くぞ!」

 

 生半可な攻撃が通じる相手ではない……一度でそう結論した彼らは、今度は二人同時に全力で飛びかかっていった。

 

 しかし、それでもマニはまだ余裕がありそうに、悠々と神人二人の攻撃をいなしてしまった。それは先程のガルガンチュアのときとは違ってギリギリの攻防ではなく、完全に神人たちを圧倒しているようだった。

 

 手合違い……そんな言葉がディオゲネスの頭を過る。認めたくないが、目の前の兎人は自分たちよりも強い。戦ってみて初めて分かる。これはあのジャンヌに匹敵するか、それ以上の強敵だった。しかもジャンヌはステータス任せのパワーで押してくるのに対し、目の前の兎人は技で自分たちの攻撃を全て受け流してしまうのだ。

 

 おまけに彼は見たこともない妙な技まで使うのだ。朧……突然、空中で方向転換するフェイントや、疾狗……低い姿勢で忍び寄る瞬間移動。それらの技を駆使して、徐々に、徐々に、神人二人を追い詰める。

 

 しかし、これは勝てない……彼らがそう思った時だった。突然、マニは二人から距離を取ったかと思うと、顔の前に人差し指を立てる不思議なポーズをとって、

 

葉隠(はがくれ)

 

 彼がそう言うなり、急に周囲の木の葉が舞い上がり、まるで木枯らしのように回転しながら、マニの姿を覆い隠した。そして嵐が止んだ後には、そこに彼の姿は無くなっていた。

 

 消えた相手の行方を追って、ペルメルが焦って前に飛び出す。しかし、ディオゲネスはマニが消える寸前、一瞬だけ、彼の体が地面に吸い込まれるように消えていくのを見た。その光景に、彼はなんとなく既視感を覚え、咄嗟に、

 

「後ろだっ!」

 

 誰にともなくそう叫ぶと、ディオゲネスは背後を振り返り、当てずっぽうに手にしたサーベルを突き出した。すると、その先端から、ズンッとした感触が伝わってきて、見れば背後から二人に忍び寄ろうとしていたマニの脇腹に、サーベルの先っぽが深々と突き刺さっていたのだった。

 

 マニはその先端を強引に引き抜くと、後転飛びをしながらディオゲネスから距離を取った。そして脇腹を手で押さえ、苦しそうに、

 

「ちっ……なかなかやるな」

「ペルメル! こいつが使ってるのは神技(アーツ)だ!」

「なに!?」

「俺は以前見た、これは勇者が使ってたのと同様の技だっ!」

 

 言われてペルメルも思い出した。以前、アイザックの城で勇者の一人が、影に隠れ、突然背後から現れるという見たこともない技を使っていた。それと同じものを、目の前の獣人が使えるというのだ。

 

「どうして獣人が神技を! これは神人だけが使えるんじゃないのか!?」

「俺が知るかっ! 今更驚くことでもあるまい」

 

 既に彼らは人間が、自分たち以上の魔法を使っているのを見た経験があった。今度はそんな獣人が現れただけだ。彼らは気を落ち着けると、そんなことを気にしていられるほど状況は良くないと、サーベルを構え直した。

 

 しかし、その時だった、

 

「ペルメル! ディオゲネス! 何をやってるんですか! そいつにさっさと止めを刺しなさいっ!!」

 

 さっきまで逃げ惑っていたレイヴンたちの中から、ピサロの焦りを孕んだ声が聞こえてきた。耳障りで腹立たしくて仕方なかったが、傍から見ればそう取られても仕方ない。だが、目の前にいる相手は、たとえ手負いであっても、そんな簡単に討てる相手ではないのだ。

 

 二人は怒りに任せて黙ってろと言い返そうとしたが……と、その時、マニがふっと表情を和らげると、

 

「……ふんっ! 少し頭に血が上っていたようだ。血を抜いてくれて感謝する」

「なにっ!?」

「俺の相手はお前たちじゃない」

 

 彼はそう言うと、たった今、声の聞こえた方向へと、一直線に走り始めた。

 

「ひっ……ひぃぃーーっ!!」

 

 突然、自分に向かって真っ直ぐに走ってくる兎人を見て、ピサロは悲鳴を上げた。声を上げたのはやぶ蛇だった。手負いのマニはせめて父親の仇を討つべく、ピサロに照準をあわせたようだ。返り血を浴びて、真っ赤に染まった異常な姿の兎人が迫る。

 

 さっきの戦いを見ればはっきりわかる。あんなのに勝てるはずがない。焦ったピサロは背後を振り返り、必死になって逃げようとしたが、それで確実に逃してくれるとは思えなかった。だから彼は最後の気力を振り絞ると、これまた最後の賭けに出ることにした。

 

 ピサロは迫りくるマニの前に、すぐ横にいたレイヴンを強引に引っ張り、身代わりにするべく突き出した。ただ勘に従っただけで、意味のある行為だとは彼自身も思っていなかった。なんとなくそうした方がいいと思うからそうしただけで……しかし放浪者(バガボンド)である彼の直感は当たっていた。

 

「マニ……!」

 

 ピサロの首を取るべくマニが肉薄する。その時、彼の前に突き出された一人の狼人の女性が、恐怖しながらも必死に声を上げた。

 

 その瞬間、マニの体がピタリと止まり、さっきまでの荒々しい雰囲気が、まるでパラパラと剥がれ落ちる乾いたペンキのように、あっという間にどこかへ吹き飛んでいってしまったのである。

 

「……お母さん……? お母さんなのですか?」

 

 マニはたった今、正に叩き伏せようとした女性の前に呆然と立ち尽くすと、その目をじっと見ながらそう尋ねた。すると女性もまた目を丸くしながら、

 

「はい、そうです、マニ……ああ、あんなにちっちゃかったあなたが……こんなに大きくなって」

 

 マニの母親の手が、恐る恐ると伸びてくる。マニは呆然としながらそれを受け入れた。

 

 不思議な感触だった。その手が触れると、さっきまであんなに怒りに満ち溢れていたのに、今はもうそんな気持ちはどこかへすっ飛んでしまっていた。彼はこの時、初めて自分の母親を見た。

 

 いや、実際には子供の頃に見たことがあるはずなのだが、その時は本当に赤ちゃんみたいなものだったから、何も覚えてはいなかったのだ。多分、母親の方もそうだろう。彼女は生まれたばかりの赤ん坊を、村に預けて出ていくしかなかった。

 

 いつか大人になったら会いに行こうと決めていた。その時は、立派になった自分を見て貰おうと思ってた。なのに、その再会が、まさかこんな形になるなんて……

 

 パンッ!!

 

 と、その時だった。マニがふらふらと母に抱きつこうと一歩踏み出した時、彼の腹にズシンとした衝撃が走り……

 

「え……?」

 

 見れば、母の背後に隠れたピサロが腕を伸ばして、ピストルをマニの腹に突きつけていた。

 

 パンッ! パンッ! パンッ!!

 

 追撃の銃声が鳴り響く。だが、父の最後を見ていたマニは、咄嗟にその場を飛び退いてその銃弾を躱すと、

 

「……脱兎(だっと)

 

 そう呟いて、まるで疾風のように駆け出した。

 

「ひぃ~っ!!!」

 

 殺されると思ったピサロはまた情けない声を上げ、頭を守るように腕をクロスしたが、マニはその横をすり抜け、あっという間に駆けていった。

 

 助かったのか……? 唖然とするピサロが振り返ると、その背中は既に点になっていた。マニは文字通り脱兎のごとく、この場から姿をくらました。

 

**********************************

 

「何なんだ! 何なんだ! 何なんだ! あいつはっ!!」

 

 ピサロは荒れていた。ここまで自分の思い通りに事が進まないのは初めてだった。神人が二人も護衛についていながら、まさか死にかけるとは! それもこれも、この村の戦力を見誤ったからだが……しかし、こんなたかだか大森林の小さな集落ごときに、神人を凌駕するような者が二人も居るなんて思いもしないではないか。

 

 最初の族長の方はまだわかる、神人と互角といっても、それはギリギリの戦いだった。いや、もちろんそれは凄いことなのだが、その後に出てきた奴は桁が違っていたのだ。

 

 何をしたのか分からないが、一瞬にして獣人たちを恐怖のどん底に叩き入れ、見たこともない技を使い、神人二人を圧倒した。しかもあの兎人が使っていたのは、神技かも知れないというのだ。

 

 神人たちは以前、勇者と呼ばれる放浪者が、見慣れぬ神技を使うのを見たことがあると言っていた。自分自身が放浪者であるピサロも身に覚えがあり、そう言うこともあるかも知れないと納得はしたが……しかし、獣人の放浪者というのは見たことも聞いたこともなければ、獣人が魔法を使うなんてもってのほかだった。

 

 あれは間違いなく、ウサギの顔をした兎人だ。しかも、両親が狼人という変わり種だった。もしかすると、それが何か関係あるのかも知れないが……

 

 ともあれ、レイヴンの集落で見つけて以来、なんとなく拉致して連れてきた狼人の女が役に立ったのは行幸だった。最初のリーダー、パンタグリュエルが言うには、あのガルガンチュアの女だと言うから、もし戦うことがあれば、有利に立てるかも知れないと思ったのだが……

 

 彼にはこれが効かず、最初はあてが外れたと思ったのだが……思いがけずこの女が、次に出てきたあの兎人の母親だったとは、自分のツキもまだまだ捨てたもんじゃないとピサロは思った。

 

 ところで、種を明かせば、これが彼の能力だった。

 

 先に言った通り、この世界に紛れ込んでくる放浪者は、何かしらの能力を持って目覚める。

 

 ピサロはこの世界で目覚めて以来、なんとなく他人が大事にしているものがわかるようになっていた。それも、命と引き換えにしても守りたいものがわかるのだ。簡単に言い直せば、有効な人質が手にとるように分かるのだ。

 

 だから実は、マニの母親を見た時、こいつが後に役に立つであろうことはピンと来ていた。そして、このガルガンチュアの集落に来たとき、村を飛び出していったあの兎人が役に立つであろうことも……

 

 まさかそんな彼らに縁があるとは露知らず、そしてこの兎人がこんなにヤバいやつだとは思いもしなかったのであるが……

 

「おい、ピサロ……いい加減に諦めたらどうだ」

 

 ぶつくさ言いながら、彼が集落の広場をウロウロしていると、周辺の探索を終えて帰ってきた神人ディオゲネスが面倒くさそうにそう言った。

 

 現在、彼らはマニによって混乱しきったレイヴン達を再度まとめ直すと、いつものように征服した集落の者たちに恭順を迫ったり、逃げ出したものを追ったりしていた。逃げ出した彼らがどこかの集落と結託して、襲って来たら面倒だ。特にピサロは、最後に逃げたマニの行方が気になって仕方がなかった。

 

 彼のことを全ての元凶と言い放ち、あと一歩のところまで迫った兎人。もしも母親を人質に取っていなかったら、今ごろピサロの首は胴体と切り離されていただろう。そんなやつに逃げられ、いつどこで襲われるかわからないというこの状況が、非常に恐ろしかった。

 

 だから彼はレイヴン達に命じて、マニの行方を血眼になって追っていたのだが……今の所あの兎人は完全に姿をくらましており、その行方は杳として知れなかった。ピサロはそれが見つかるまで、ここから動きたくない気持ちでいっぱいだったが、

 

「だが、おまえも見ただろう。あの兎人は手負いだ。腹をサーベルでえぐられて、鉛玉を入れたままでは、普通ならろくに動けない。もしかすると、今ごろ死にかけてるかも知れないぞ」

「それならそれで、その死体がどこかに転がっているはずでしょう。それを見つけるまでは、あまり移動したくありませんね」

「いつまでビビってるつもりだ」

「……なに?」

 

 ピサロがジロリと睨むが、神人はピクリとも表情を動かさずに、

 

「なら寧ろ、ここを移動したほうがいいんじゃないのか。あの怪我ではどうせろくに動けまい。ここに留まっていれば、おまえは安心するのだろうが、相手の怪我も回復していくことを忘れるなよ」

「ふん……私は確実でないことが嫌なだけですよ」

 

 ピサロは強がりを言ったが……確かに、神人の言うことにも一理があった。リーダーである彼がいつまでも動揺を見せているのは、全体に悪影響を及ぼす危険がある。レイヴン達は、今は恐怖で彼にしたがっているが、そんな彼がいつまでも狼狽していたら、やがてレイヴンたちがピサロを軽んじるようになって、何が起こるかわかったものじゃないだろう。所詮、こいつらは犬畜生なのだ。

 

「……仕方ないですね。目的も達したことですし、そろそろ次へ向かいますか」

 

 彼は長い溜め息を吐くと、努めて冷静を装って立ち上がった。幸い、彼の言う通り目的は達していた。この大森林へはヘルメスの遺産を見つけるために来たのだが、彼は村の長老を捕らえて例のマークを見せ、それがどこにあるかを聞き出していた。あとは怯える彼の案内で、遺産のある場所へ行けばそれで終わりだ。

 

 それにしても、ヘルメスの遺産とはどんなものだろうか……彼は口では上司であるカリギュラに従っている振りをしていたが、本心では素直にそれを持ち帰るつもりは無かった。もしもそのヘルメスの遺産が自分にも扱えるのであれば、彼を裏切って自分の物にしてしまった方が良いだろう。

 

 カリギュラが言うには、それはヘルメス卿の証たるもので間違いないらしい。つまり、それを手に入れれば、自分がヘルメス領の正統な後継者と主張することだって可能なのだ。するとピサロはオルフェウス卿と同等の立場になるから、もうカリギュラに従う必要はなくなる。

 

 これで一国一城の主だ……それどころか、いきなり五大国の頂点の一人となるのだ。元々自分は戦場よりも、権謀術数渦巻く宮中工作の方が長けている。どこか浮世離れした神人相手なら、ライバルを追い落とすことも目じゃないだろう。

 

 もしかすると、前世では叶わなかった世界征服の夢が、この異世界でなら叶うかも知れない。彼はそれを思いだすと、さっきまでの恐怖が和らいできて、急にやる気になってきた。

 

「ではディオゲネスさん、そろそろ移動するから探索を終えて合流してと、ペルメルさんにも伝えてきてください。レイヴンはリーダーがいなくなってしまったから……暫くは私が率いていくしかありませんね。はあ~、忙しい忙しい」

 

 ピサロはそう言うと、どことなく浮かれた調子で歩いていった。ディオゲネスはそんな背中をため息交じりに見送った。あんな奴に従わなくてはならない自分が不甲斐ない。だがアイザックの無事が確認出来るまで、ペルメルと一緒に耐えるしか無いだろう。彼はその仲間を呼びに歩き出した。

 

「……うぅっ……」

 

 と、その時……彼のすぐ近くの茂みから、苦痛に喘ぐ声が聞こえた。ディオゲネスはピタリと足を止めて、目だけでその茂みを見つめた。

 

 脱兎のごとく逃げ出したマニは、実は意外と近くに潜んでいた。最初は遠くまで逃げたのであるが、父の死体をそのままにしておくことが、どうしても許せなかったのだ。だから村の中に潜んで機会を窺っていたのだが……ピサロが中々ここから出ていかずにヤキモキしていると、それがようやく出ていくと言うので気が緩んだところ、突然、傷口が痛みだして、思わず声を漏らしてしまったのだ。

 

 立ち止まったディオゲネスの視線は、完全にマニの目を捕らえていた。あちらからは影になって見えないかも知れない……だが、ここまではっきり見られているのだから、気づかれていないはずがない。

 

 マニは手負いの状態でどこまでやれるかと覚悟を決め、腰に吊り下げたスリングに手をかけた。しかし、その時、

 

「どうしましたか?」

「いや、なんでもない。すぐに行く」

 

 元の場所に止まったまま動かないディオゲネスを不審に思ったピサロが尋ねると、彼はぷいっとマニから視線を外して、スタスタと歩いていった。去り際に、こっそりと後ろ手に手を振り、どっかいけというジェスチャーを見せる。

 

 もしかして、見逃してくれたんだろうか……マニは息を潜めてそれを見送りながら、心のなかで感謝した。

 

 どうやらあの神人は、何か事情があって、仕方なく従っていたようだ。あの時、うっかり殺してしまわないで本当に良かったと思いつつ、マニは母親や長老、そして彼らを救うためにも、早く怪我を治さなきゃと、傷口を縛る布を強く引き締めた。

 


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