まったくわけが分からなかった。鳳はまるでクッパにさらわれるピーチ姫みたいにガッチリと拘束され、ズルズルと引きずられていった。なんとか逃れようとして体をねじっても、神人と低レベルの鳳では基本的なステータス差があり過ぎてびくともしなかった。
そもそも、自分はなんで捕まってるんだ? 理由がわからないから抵抗も弱かったかも知れない。それを見ていた仲間たちも同じだったようで、分からなすぎて反応が遅れたジャンヌたちは、大分遅れてから入り口の方で騒ぎ始め、ようやくと言っていいくらい時間が経ってから、二人の後を追ってきた。
「待てー!」
と叫ぶ声がかなり遠くに聞こえる。迷宮内はディオゲネスが言っていた通り割りと入り組んでいて、案内が無ければ迷いそうだった。鳳はこのままだと引き剥がされると感じ、
「こっちだ、助けてっ!!」
と叫び返したが、すぐに口を塞がれてしまいどうしようもなくなった。
バタバタとした複数の足音が廊下に乱反射して、近くにいるんだか、遠くなんだか、だんだん分からなくなってきた。
そうこうしているうちにディオゲネスは迷宮の奥にあった、大広間のような場所へと辿り着いた。途中、いくつも部屋があったが、一直線に向かってきたのを見ると、初めからここが目的地だったのだろう。入り口にあったドームを一回り大きくしたような空間で、研究所というか何かの実験場のように見えた。
天井は然程高くなかったが広さはそれなりにあり、地面はリノリウムのような鈍く光を反射する床材で覆われ、あちこちにある太いコンクリートの柱が天井を支えている。壁際には何やら計器類やサーバーラックのような機械類が見えた。そして部屋の中央には、巨大なCTスキャナーみたいなドラム型の機械が据え付けられており、そこからスパゲッティーみたいに配線が部屋の隅々に伸びていた。
なんとなく、部屋が緑色に見えたのは、例のキノコがあちこちに生えているからだろう。それは入り口のマジックマッシュルームの胞子がこの中に入り込んでしまったのだろうか、それともその逆なのか。
キノコに覆われて駄目になってしまったのだろうか、錆びついた計器類が部屋の隅に打ち捨てられて山積みになっていたが、中央の機械だけは未だ新品同様にピカピカだった。見た目からして何かヤバい放射線でも発しそうである。
ディオゲネスは部屋に鳳を連れ込むと、そこにドサッと下ろすと言うか、まるで一本背負いみたいにぶん投げた。床に落ちた鳳がバウンドし、ズザーッと滑っていく。そして背中を強打してゲホゲホとむせている彼の首筋に、ギラリと鈍く光る剣の切っ先が突きつけられた。
ぎょっとして見上げれば、そこに黒目黒髪の男が立っていた。黒髪と言っても彫りが深いラテン系の男であり、どことなく軽薄そうな面構えをしていた。もしかしてこいつがピサロだろうか? 咽返りながら誰何しようとしたとき、バタバタと音を立てて、仲間たちが追いついてきた。
「それ以上、近寄らないでください!!」
鳳を放り投げたあと、サーベルを抜いて入り口を振り返ったディオゲネスは、そこから遅れて入ってきたアイザック達の前に立ちはだかると、抜身の剣を突きつけながらそう叫んだ。
仲間だと思っていたのに……アイザックが、ショックを隠せない青ざめた表情で糾弾する。
「何故だディオゲネス! 君は俺を助けるために、仕方なくピサロに従っていたんじゃなかったのか!?」
「最初はそうでした……ついさっきまでは。でも今は……ペルメルを助けるためには、こうするしか仕方ないんですよっ!!」
「ペルメル……!? そう言えば、彼は今どこに……」
「おっと! おしゃべりはそこまでですよ」
その声にハッとして一行が顔を上げると、苦渋の表情で剣を構えるディオゲネスの後方に、一人の男がいるのが見えた。黒目黒髪のその男は、地面に寝転がっている鳳の首筋に剣を突きつけながら立っている。下手な動きを見せれば、すぐにでもこの首を切り落とすぞと言わんばかりだ。
ギヨームはチッと舌打ちすると、
「てめえがピサロか!?」
「人に聞く前にまず自分の名を名乗れ……と言いたいところですが、あなた方は有名人ですからね。ええ、そうです。私がフランシスコ・ピサロです」
「何回も人質を取りやがって、汚え野郎だ!」
「ふふふ、それは私にとっては褒め言葉ですね。さあ! あなた方のリーダーが殺されたくなかったら、武装解除して貰えますか」
ピサロはニヤニヤとした勝ち誇った表情で一行を脅迫した。鳳の首筋に冷たい刀身が押し付けられ、彼の表情が恐怖に歪む。
だが、そんな鳳のことなどどうでもいいと言わんばかりに、ギヨームとアイザックの二人は力強く一歩踏み出すと、
「断るっ!」
ドシンッ! っと床を踏み鳴らしつつ、二人の声がハモる。瞬間、二人は心底嫌そうな表情を浮かべてお互いに見つめあったかと思うと、すぐにプイッと顔を背けてピサロを睨みつけた。
「最後の最後で見誤ったな、ピサロ! そいつは俺とは何の関係もない。寧ろ、以前一度殺そうとした相手だ。人質に取られたところで痛くも痒くもないぞ!」
アイザックがふんぞり返って宣言する。助けてやったのに、この野郎……続けてギヨームが叫ぶ。
「馬鹿が! そいつは俺たちの中で最も役立たずだ。知ってるか? そいつのレベルはたったの7なんだぞ? そんなのが俺たちのリーダーなわけあるか。同じ人類として恥ずかしいくらいだ」
「お前いくらなんでも酷すぎないか!? 本当のことだけど……! 本当のことだけどもっ……!!」
鳳は悲しくもないのに、なんだか視界がぼやけてきた。鼻をスンスン鳴らしていると、流石のピサロも風向きがおかしいと感じたのか、鳳と仲間たちの間に交互に視線を飛ばしていた。
きっと今ごろ、彼の頭は次の手を探して高速回転しているのだろう。鳳は、この隙になんとか逃げ出せないかと周囲を見渡した時、勘付いた。
よく見れば、仲間の中にルーシーの姿が見えない。彼女は現代魔法の使い手だ。さてはさっきみたいに姿を消して、鳳を助けようとこっそり近づいているのかも知れない……しかし、彼がそう考えたのとほぼ同時だった。
「きゃあっ!」
と、部屋の隅から悲鳴が上がった。見ればそのルーシーが、一人の獣人に羽交い締めにされている。彼はいやらしい目つきでベロベロと彼女の首筋を舐め回すと、
「女の臭いがすると思えば……なあ、大将? 終わったら、こいつもヤッちゃっていいんだろう?」
「好きにしなさい……しかし、まだ、隠し玉があったとはね。やはり、あなた方は侮れませんね」
ルーシーが捕まったことで、ギヨームが大きな舌打ちをしてから降参の意思を示すかのように両手を挙げた。どうやら彼女は完全に姿を消してはいたが、それでも狼人の鋭い嗅覚からは逃れられなかったようだ。
ピサロに付き従っている獣人は数人……この期に及んでまだ彼に従っているのだから、上に居た連中とは違い、嫌々従っているのではなく、好きで行動を共にしているのだろう。それはすなわち、虐殺やレイプのような犯罪を好む連中というわけだ。
このままではただで済むとは思えない……そう感じたのか、最後まで意思表示を見せていなかったジャンヌが、苦しげな表情を浮かべながら、腰に佩いた剣を下ろした。
「ジャンヌ・ダルク! おまえまで、何をやってるんだ!?」
「アイザック様、ここは大人しく従いましょう」
「馬鹿を言え!! こんな奴の言うことに従って、命が助かる保障がどこにあるというんだ! お前ならここにいる連中を全員始末することが出来るだろう? どうして戦わないんだ!」
ジャンヌは首を振って、
「仮にそうしたところで、全てが終わった時に白ちゃんは生きていないわ。それじゃ意味がないの。私は、最初の仲間を失ったことを今でも後悔している。この上、白ちゃんまでいなくなったら……私にこの世界で生きていく理由なんて何もないもの」
「ふざけるなっ! ここで戦わずして、その勇者の力はなんのためにあるというんだ!」
「だから全部、白ちゃんのためにあるのよ! 私はもう、仲間が死ぬのがいやなのっ!!」
弾けるように叫んだ言葉がアイザックに突き刺さった。元はと言えば、彼がこの世界に来たのも、彼の仲間が死んだのも、アイザックのせいなのだ。アイザックはジャンヌの鋭い睨みを真正面に受けると、その気持ちを斟酌し、悔しそうに地面に剣を叩きつけた。
「くそうっ! 勝手にしやがれ!!」
カランカランとアイザックの剣が地面で跳ねる。彼が癇癪を起こしたかのように、ふんぞり返って地面にどっかとあぐらをかくと、これで完全に優位に立ったと思ったのか、ピサロがふふふと笑い声を上げた。
「賢明な判断です。なに、ヘルメス卿、あなたにはまだ使い道がありますから、命までは取りません。なんならヘルメス領を返して差し上げますよ」
その言葉を聞いてディオゲネスがどこかホッとした表情を見せると、
「騙されるな。こうやって次々にこっちに選択肢をあたえ考えさせ、思考力を奪うのが奴の手口だ。どうせヘルメスを返すというのも口約束にすぎん」
アイザックの言葉にディオゲネスがハッと表情を引き締める。痩せても枯れても人の王であるか……ピサロが少し感心したふうに微笑を浮かべていると、ジャンヌが進み出て言った。
「それで、どうすれば白ちゃんを解放してくれるのかしら」
「おっと、そうでした」
ピサロはたった今思い出したと言わんばかりにポンと手を叩くと、
「彼はあなたを武装解除するための切り札でした。もう用はないから、このまま放してあげてもいいのですが……あなたは徒手空拳でも怖いですからね。手足でももぎ取らない限り、安心することが出来ません。私は臆病なんですよ」
「そ、そんなこと言われても……」
手足をもぎ取ると言われて、流石のジャンヌの声も震えている。だが、もちろんそんなことをすれば、窮鼠猫を噛むのことわざ通りになりかねない。ピサロは困ったなと言った表情を作ると、わざとらしく部屋の中を見渡して、さも今気づいたと言わんばかりに、その視線を中央にある巨大な装置に向けると、
「それじゃあ、その中に入ってもらえますか?」
「……え?」
ドラム式の巨大な装置である。そこに挿入される寝台は透明な風防で覆われており、一度入ったら簡単には出てこれなそうだった。
「いくらあなたでも、その鉄の塊の中からは簡単には出てこれないでしょう。その間に、あなたの仲間をゆっくり拘束させて貰います」
「……これは何の装置? 命の保証はあるんでしょうね?」
「さあ? 私にもわかりません。使ったことがありませんから、どうなるかは予想がつきませんよ」
つまり人体実験をしようと言うのだろうか。ジャンヌはじーっと装置を見つめている。見た感じは医療機器のように見えなくもないから、多少被曝したとしても命の危険まではなさそうであるが……
こんな異世界にある、明らかにオーバーテクノロジーっぽい物体だ。レオナルドに言わせれば、迷宮とは人間のクオリアが生み出すものだと言う。何が起こるかわかったもんじゃない。魔法と科学が合わさって、なんか凄いものでも生み出しそうな予感がする。
それに、ペルメルはどこにいった……? 鳳は嫌な予感がして、
「やめろジャンヌ! 俺のことは良いから、剣を取れ! どう考えてもそいつはやばい気がする!」
鳳が叫ぶと、ジャンヌが迷った風にソワソワしだした。それを見てピサロは腹立たしそうに舌打ちすると、
「うるさいですねえ……言うことを聞かないなら、本当に彼の首を切りますよ!」
ザクッと嫌な感触がして、首筋に鋭い痛みが走った。その瞬間、心臓がドクドクと早鐘を打ち出して、首のあたりの血管が激しく脈打ち始めた。鳳の視界を、ピューッとした霧状の血液が吹き出して覆っていた。
こいつ……本気で殺すつもりか? 鳳は黙るしか無くなった。
「やめて! 言うことを聞くから!」
堪らずジャンヌが叫ぶ。彼は慌てて機械に走り寄ると、そのカプセル型の寝台を調べ始めた。すぐにボタンらしきものを見つけて押すと、透明な風防が音もなく開いた。見た感じガラスのようだったが、継ぎ目は殆ど見えなかった。
そのことだけから判断しても、それは魔法か、高度な文明が作った機械としか思えない。そんなものの人体実験をするなんて、正気の沙汰ではなかったが、やめろといいたくても鳳は声が出せなかった。
ジャンヌはやがて意を決したように頷くと、その寝台に横たわった。すると寝台が重量を感知したのだろうか? 彼が横になった瞬間に風防が勝手に閉じて、カプセルの中に閉じ込められたジャンヌが不安そうに表情を歪める。
と、その時……突然、室内にビーッ! ビーッ! っという大きなブザー音が鳴り響いて、そこにいた全員の度肝を抜いた。そして何が始まるのだろうか? と思っていたら、今度はヒュオーン……っというエレベーターが昇降するような音が聞こえてきた。
それは多分、モーターの回転音だろう。それもかなり大きくて高回転のようだ。もしかして超電導でも起こしているのだろうか? だとすれば、やはりあれはMRIとかCTスキャナーみたいな装置だったのかも知れない……
しかしそんな淡い期待は、すぐに崩れ去ってしまった。
「なにこれーっ!」
カプセルに閉じ込められた寝台の上で、突然、ジャンヌが叫び声を上げた。状況に飲まれて放心状態だった鳳は、ハッと我を取り戻し、慌てて彼へと視線を向ける。
見ればカプセルの中にいるジャンヌの体は、淡い蛍光色の光に包まれており、半透明に透き通っていた。驚いた彼がカプセルを破壊して外に出ようとするが、それはびくともしなかった。
間もなく、彼の乗った寝台が動き出し、ドラム型の機械の中へと吸い込まれていった。そしてカプセルがドラムの中に入っていく瞬間、ジャンヌは頭から光の礫へと変化していって、やがて全てが虚空へと消え去ってしまったのである。
装置は思ったよりも早く動き、彼はあっという間にドラムの中に消えていった……そしてカプセルがその中から出て来たとき、その中にはもう誰も居なかった。
ヒューン……っと、最後にまたエレベーターが止まるような音がして、機械の作動音がしなくなった。静寂が辺りを包み込み、誰も声が出なかった。
「ふふ……ははははは!!」
その静寂を破ったのは、ピサロの笑い声だった。まだ放心状態でなんのリアクションも取れない鳳たちを無視して、彼は腹を抱えて愉快そうに言った。
「これで最大の脅威はなくなりました。もはやこいつらに、ろくな戦力は残ってません。それもこれも全部、ディオゲネスさん、あなたの裏切りのお陰です」
その言葉に我を取り戻したアイザックが目を剥いて怒りだす。
「ディオゲネス! きさまあ~!」
「仕方ないのですよっ!」
ディオゲネスは苦しげに元主君へと剣を向けながら、
「……ペルメルも、この機械に入って消えてしまったんですよ。よせと言ったのですが、我々神人は怪我をすることがないから平気だと言って……元に戻す方法を知ってるのは、現在のヘルメス書の持ち主であるピサロのみ。彼の言うことを聞かなければ、ペルメルは帰ってこないんです……」
「だからといって、主君を売るやつがあるか!」
「主君と言っても、あなたはせいぜい数十年しか生きられないでしょう! ペルメルと私は、数百年からの付き合いなんだ……生命が同じ重さだと思わないで欲しい!」
それが結局神人の本音なのだろう。だから帝国と勇者派は分かりあえなかったのだ。でも、その別種族の垣根を乗り越えるために、ヘルメス国があったのではないのか。ペルメルとの数百年の付き合いのために、300年に及ぶ戦いを否定するようなことはして欲しくない。
だが、アイザックは顔を真っ赤にするだけで何も言えなかった。失敗してしまった自分が何を言ったところで、もうどうしようもないではないか。彼は奥歯をギリギリと噛み締め、悔しそうにディオゲネスを睨んだ。
神人はその視線から目を背けると、
「さあ、約束は果たしたぞ。ペルメルをもとに戻せ!」
「いいえ、まだです。今、彼を戻しても、あなたが襲ってこないとは限らない。まずはここにいる全員を片付けて、ついでに外に残っている神人を拘束してからです。あなたにはまだ役に立ってもらわねば……」
「それじゃ約束が違うぞ!」
「嫌だと言うなら、ペルメルさんは永久にその冷たい機械の中ですね」
ディオゲネスはにっちもさっちも行かず、悔しそうにピサロのことを睨んでいる。
鳳はこのままじゃまずいと思った。放っておけば、ディオゲネスはピサロにまた従ってしまう。ルーシーは囚われ、頼みの綱のギヨームは放心状態。例え普段どおりであっても、この人数と神人相手では勝ち目はないだろう。
なんとしてでもディオゲネスをこっちに引き込まなければならない。鳳は堪らず叫んだ。
「騙されるな、ディオゲネス! さっきから黙って聞いてれば、そんな都合のいい話があるか!」
「なに……?」
「こいつはいかにも機械を使えそうな口ぶりだけど、これはこいつの生きた時代にあるような代物じゃない。使い方もわからないのに、ペルメルを助けられると思うのか??」
当てずっぽうで叫んだものの、どうやら図星だったのだろうか、鳳の言葉に自信満々だったはずのピサロの反応が遅れた。鳳は確信した。仮に本当にピサロしか使えないのだとしても、鳳の時代にだってこんな物はなかったのだ、ピサロはこれが何であるかが全く分かっていないのだろう。
ペルメルを助けられると思っていたディオゲネスが困惑気味にピサロに訊く。
「彼の言うことは本当なのか?」
「そうですね。確かに、見たことはありませんが……でも大丈夫です、私なら助けられますよ」
「嘘だね!」
鳳は間髪入れずに叫んだ。
「もし本当なら、この機械がなんなのか説明してみろよ。お前は仕組みもわからない機械を、どうして扱えるなんて言えるんだ?」
「使い方ならヘルメス書に書いてあります」
「ほう! ヘルメス書に使い方が書いてあるなら、お前じゃなくても誰でも使えるってことじゃないのか」
「それは……ヘルメス書の所有者しか使うことが出来なくて……」
「口から出任せばかり言いやがって! ならその該当箇所を読んで、お前にしか扱えない理由を説明してみろよ。さっきからお前が言ってることは、自分に都合のいいことばかりだ。大体、そのヘルメス書は、今この迷宮を開くために入り口の祭壇に置かれているんだろう? お前はいつ、その中身を読んだんだ? 器用なやつだなあ! あんな勝手にパラパラめくれるような本を!」
鳳の言葉にディオゲネスは考え込んでいるようだった。そろそろ彼は、自分が騙されているという考えに傾いているはずだ。あとちょっとだ、いける! ……鳳がそう考え、ダメ押しを叫ぼうとしたときだった。
「うるさいですねえ……おまえ、ちょっと黙れよ」
ザクッとした衝撃が喉元に走って、突然、息苦しくなった。鳳は叫び声をあげようとしたのだが、出てきたのはヒューヒューという風切り音だった。
「おまえはもう用済みだ。残念だったなあ? 黙っていたら生かしてやったかも知れないのに」
次の瞬間、視界全体にパーッと噴水のような血液が飛び散って、呼吸が口からでなく、喉の辺りでスースーと出入りしていた。そんな奇妙な感覚をおぼえて、慌てて両手で喉元を押さえたら、途端に物凄い吐き気がこみ上げてきて、口からドバドバと血液が噴き出した。
「鳳くんっ!!」
ルーシーの緊迫した叫び声が室内にこだまする。喉を押さえてる手のひらを見なくても、その声だけで自分がどうなっているかが分かった。彼は喉元を切られて血を流している自分の方を見て、驚愕の表情を浮かべているギヨームに目配せすると、咄嗟にルーシーを指差した。
その瞬間、弾かれるように飛び出したギヨームの姿を最後に、鳳の視界がプツンと電源が切れたかのように真っ暗に途切れた。
果たしてギヨームは、最後にルーシーを助けろという彼の気持ちを汲み取ってくれただろうか。とりあえず二人が無事なら巻き返しが出来るかも知れない。外にはメアリーだっている。最後にもう一度だけ、彼女にも会いたかったなと思った時、彼は最後という言葉をリアルに意識した。
今更ジタバタ暴れるつもりは全く無かった。この世界に来てから多くの魔物を捌いて、沢山の魔族を殺してきたのだ。だからこそ分かる。これは致命傷だ。だからだろうか? 脳が痛覚を遮断していて、ほとんど何も感じなかった。
どうやら聴覚も馬鹿になってきて、何も聞こえなくなってきた。彼は何も見えない真っ暗闇の中にたった一人だった。そんな中で、血が吹き出している感触だけが残り、驚くほど体が寒かった。
これが死か……こんなことで死んじゃうのか……もっとみんなと冒険していたかったな……そんなことを考えていると、だんだん意識が朦朧としてきて……
鳳は事切れた。