「おまえ、ビビりすぎなんだよ」
カズヤの魔法によって炭化したゴブリンの死体を、呆然見つめていた鳳の下に、仲間たちが駆け寄ってきた。鳳は彼らに改めて礼を言うと、
「すまん……どうやら俺は魔物とは言え生き物を殺すことに、思った以上に抵抗感があったみたいだ。でも、もう大丈夫。流石に今ので覚悟が決まったよ。しかしおまえら凄えな。いきなり躊躇なく殺れるなんて」
「そうか? まあ、咄嗟だったし、躊躇してたらお前やばかったし。あんま抵抗感無かったなあ……」
カズヤは褒められたことが照れくさそうにおどけた調子で、
「もしかすっと、昨日パツイチ決めたのが効いたのかも知れねえな。女の前で格好悪いとこ見せらんねえからな。ははっ! おまえもさっさとレベル上げて、姉ちゃんに度胸つけてもらえよ」
彼はゲスいニヤケ笑いを浮かべながら、親指と人差指で作った穴に、別の指をスポスポと抜き差ししてみせた。多分、さっきまでなら腹がたったかも知れないが、今は全くそんな気がしなかった。鳳は素直に頷いた。
「しかし……分かっちゃいたけど、死体が残るんだな」
鳳の反応が素直なので興が削がれたのか、カズヤは真顔になると、足元に転がっていたまっ黒焦げの死体を前にそうつぶやいた。AVIRLがその横に並んで続ける。
「あっちじゃ、単にキラキラしたエフェクトが出るだけだし、臭いもしなかったでやんすからね……そう考えると、エグいでやんすね」
「早く慣れねえとな」
鳳たちが死体を見下ろしながらそんな話をしていると、仲間たちに出遅れたジャンヌが申し訳無さそうな素振りでやってきた。その背後にはアイザックが続いている。
「ごめんなさい! 白ちゃん。私、あなたが危ない時に、一歩も動けなかったの。頭では分かっていても、怖くて体が動かなかったわ」
「いや、俺も同じようなもんだから気にするなよ。結果的に助かったんだし」
「それで、君のステータスはどうなったかね。経験値は入ったのか?」
鳳とジャンヌがお互いに傷を舐めあっていると、ほんの少し不機嫌そうな顔つきのアイザックが、急かすような口調でそう聞いてきた。彼からしてみれば、鳳の体たらくは無様すぎて見るに耐えなかったし、最強のはずのジャンヌが、たかがゴブリンごときにビビってしまったことにも失望していたのだろう。
確かに自分でも情けなくて穴があったら入りたいくらいだが、こちとら穢れを知らぬ現代人なのだから、多少忖度して欲しいものである。
ともあれ、彼も言う通り、今は経験値のほうが気になる。鳳はアイザックに頷き返すと、急いでステータスメニューを表示してみた。しかし……
「……あれ? 何も変わってないぞ?」
「なんだって? レベルが上がらなかった……とかじゃなくて、経験値も入っていないのか??」
カズヤの問いに鳳が頷く。彼のステータスは、昨日見た通りのまま、何一つ変化していなかった。
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鳳白
STR 10 DEX 10
AGI 10 VIT 10
INT 10 CHA 10
LEVEL 1 EXP/NEXT 0/100
HP/MP 100/0 AC 10 PL 0 PIE 5 SAN 10
JOB ?
PER/ALI GOOD/DARK BT C
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せめて1でも入ってくれていれば希望も見えてきたのだが、いくら見返しても経験値はゼロのままだった。
「どういうことだ。攻撃判定がされなかったんだろうか?」「いや、結構ザックリいってたろ。あれでダメージが入らなかったとは思えない」「もしかして、ファイナルアタックを取らなきゃダメとか?」「最後に攻撃したの誰だよ?」「俺だ」
カズヤが手を上げて、自分のステータスを見てみる。すると……
「お、入ってる入ってる経験値。100も入ってるぞ!」
なんだって? 鳳は目を瞬かせた。それだけ入っていたら、自分ならレベルが上っていたはずなのに……そう思ってがっかりしていると、更に追い打ちをかけるような事実が判明した。
「あれ? 拙者も経験値入ってるでやんすよ」「リロイ・ジェンキンス」
なんと、とどめを刺したカズヤだけではなく、他の二人にもきっちり経験値が入っていたようである。しかも、二人に割り振られた経験値も100ずつ。別にFAを取ろうが取るまいが、攻撃に参加すれば入っているように思える。
「どうして俺だけ入ってないんだろう?」「もしかして……与ダメで入る経験値が変わるとか?」「それなら、拙者も経験値が入ってないはずでやんすよ」「そういやそうだな。しかし、他に何も思いつかないぞ」
鳳たちが額を突き合わせて喧々諤々やっていると、難しそうな表情でそれを見ていたアイザックが割り込んで言った。
「ならもう一度やってみたらどうだ? 今度は仲間の手を借りずに。君もこのまま引き下がる気にはなれないだろう? もちろん無理にとは言わないが」
鳳は頷いた。仲間たちに助けてもらった手前、流石にもう城の連中に無様な姿は見せられない。
彼の真剣な眼差しを受けて、アイザックは少し考える素振りを見せた後、あまり期待していないと言った口調で部下に指示を出した。間もなく、兵士がまた別の魔物を入れた檻を運んでくる。
「どうやら君は、人型のモンスターを殺すことに抵抗があるようだな。まあ、気持ちはわからなくもない……今度は四足の獣を用意したから、上手くやってくれよ?」
そう言ってアイザックが指し示した檻の中には、今度は牛型の大きな獣が入っていた。これも前の世界のゲームで見たことがある。あっちでは暴れ牛鬼とかそんな名前がついていたが、こっちでは単に牛と呼ばれているらしい。簡単に言えば人面の大型牛である。
檻の中に繋がれた牛は、周囲を人間に囲まれているせいで多少興奮しているようだが、身動きが取れないために比較的大人しく見えた。ゴブリンと違って知恵はないので、これから自分が何をされるかまでは、考えが及ばないのだろう。
これなら死角から狙えば自分でも殺れるんじゃないかと考えていると、牛を連れてきた兵士が渋々と言った感じで、小声で囁いた。
「本当はゴブリンみたいな小さい魔物をお勧めしますがね……アイザック様の命令ですからあなたにお任せします。しかし、気をつけてくださいよ。大型獣は力がもの凄いから、失敗したときの危険は、さっきの比ではありません」
「そ、そうですか……肝に銘じます」
「本来なら眉間を一撃し、脳死を狙うんですが……熟練してないと不可能でしょう。だから今回は、横隔膜の下から心臓を狙います。的は大きいんで外す心配はないでしょうが、かなり力が必要です。さっきみたいに躊躇したら必ず失敗します。殺らなきゃ殺られるつもりで、本気でやってください」
「わ、わかりました……」
兵士に何度も念を押されて、流石に冷や汗をかいてきた。さっきまでは無様を晒した名誉回復のことしか考えてなかったが、今はそんな甘い考えなど吹き飛んでしまった。
鳳は兵士から槍を貸してもらうと、手のひらの汗を拭い、緊張を解すように、一度大きく深呼吸した。脳に酸素が運ばれて、パリパリと思考が再起動するような感じがした。どうやら緊張しすぎて呼吸すら忘れていたらしい。
手にした槍は鋭く研がれていて、獲物に刺さらないということはないだろう。とにかくビビるな。可哀想だと思うな。自分は毎日のように肉を食っていたではないか。人類がこうやって肉を手にしてきたことを思えば、そんな考えなど思いつきもしないはずだ。
鳳はそう何度も何度も自分に言い聞かせた。
「いいですか? あそこに浮き出ている肋骨の下あたりから、あっちの方に思いきり突いてください。手だけで刺そうとしないで、腰だめに構えて、下半身全体で突くような感じで、思いっきり。絶対に躊躇するなよ!?」
兵士が心配そうに口を酸っぱくして説明してくれる。鳳はその言葉を真剣に受け入れると、気合を入れるためにほっぺたをパチンッと叩いてから、腰だめに構えた槍を渾身の力を込めて思いっきり突き出した。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉ~~~~~っっっ!!!」
最初はドンッと壁にぶつかるような感覚がして腕がしびれた。もしかして骨に当たってしまったのだろうか? だが槍を引き抜いているような余裕はない。鳳はここで退いたら殺されるという思いで、力任せに腰に構えた槍を突きあげた。
ズルッと滑るような感覚がして体の奥に槍が到達すると、魔物の体がビクリと震えて、ジタバタともの凄い力で暴れだした。失敗したか!? と血の気が引く思いをしたが、魔物はすぐに大人しくなった。どうやら、絶命の際の反射だったらしい。ドッと地響きを立てて魔物が地面に転がった。
うつろな瞳がじっと鳳の顔を見上げている。もうその瞳に光が差すことはないだろう。彼はぷはぁ~っ! っと止めていた息を吐き出した。ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、額から汗が吹き出し、肩で息をしていた。兵士が魔物の死体を確認しながら、今度は肉が取れるぞと嬉しそうな顔を見せた。
そうか、彼はこれを食うつもりなのか。今度はっていうと、もしかしてさっきのゴブリンも食うつもりだったのだろうか。兵士に笑顔を返しながら、それは御免被りたいなと鳳は思った。
鳳よりも大きな魔物の死骸が彼の足元に転がっていた。充足感はまったくなかった。そんなものより、どうして自分は異世界まで来て牛の屠殺をしてるんだろうかと言う、わけのわからない考えが頭を支配していた。と言うか、なんで自分はこんなことをしてるんだ? そう言えば銃があるはずなのに、それで撃つんじゃ駄目だったのか?
「それで、今度はどうだ? 経験値は入ったのか?」
そんなアイザックの声が聞こえてきて、鳳はようやく我に返った。そういえばそうだった。自分は経験値稼ぎをしているんだった……いつの間にか頭が、命に感謝して目の前の人面牛を食べるモードに切り替わっていた。いや、それはそれでいいのだけれど。
あとで兵士にこっそり肉を分けてくれと頼んでみよう。そんなことを考えながら、彼は自分のステータスを開いてみた。ところが、
「……あ、あれ!? 何も変わってないぞ??」
鳳の言葉に、アイザックと仲間たちの表情が曇る。困惑気味にカズヤが、
「見間違いじゃないか? レベルが上ったせいで経験値がゼロってことは?」
「いいや、レベルも相変わらず1のままだ。他のステータスもそのままだし」
何しろオール10だから覚えやすいのだ。しかし、それでは何故経験値は入ってこなかったのだろうか。もしかして、モンスター討伐じゃなくて屠殺っぽかったからだろうか?
「いいや。それでも経験値は入るはず、それは兵士たちで確認済みだ」
それを否定するアイザックの目つきがいよいよ厳しくなってきた。やはりこいつはお荷物だと、その目が語っているようだ。自業自得だし、それならそれで構わないのだが……しかし、何をやっても経験値が入らないのだとしたら、結局、城から出ていったあと困ってしまう。
鳳は自分だけに起きている理不尽な現象に頭を悩ませた。そんな彼に同情した仲間たちも、一緒に知恵を絞ってくれる。
「もしかして、スキルを使わないと駄目なんじゃ? 拙者たちはスキルを使って攻撃したでやんしょ?」
「そうだな。おい、飛鳥、お前なにかスキルは使えないのか?」
「無理だ。スキルの欄には何もない」
「本当に使えんやつだなあ……何でもいいから職を得て、スキルを覚えてみろよ……って、そうか!」
「どうした」
カズヤが言う。
「もしかしておまえがジョブに就いてないのが悪いんじゃないか? ほら、経験値って、ベースレベルの他に、ジョブにも入るだろう。俺たちジョブレベルを上げて新スキルを覚えるわけだし」
「あ、そうか。じゃあ、先に何かのジョブに就けばいいってことか。しかし、職を得るって言っても、どうやりゃいいんだ? ここにはダーマ神殿もギルガメッシュの酒場もないぞ」
「それは昨日も言ってたじゃないか。きっとステータスを上げれば、なれる職業が決まってくるんじゃないかって」
鳳たちがそんな話をしていると、それを周りで見ていたアイザックが、話はまとまったかと言った感じに口を挟んできた。
「ふむ、つまり今度はステータスを上げてみようってことだな? しかし、ステータスを上げると言っても一朝一夕では上がらないぞ。特に筋力は、君の体脂肪では半年はかかるだろう」
「うっ……そんなに?」
その口ぶりから察するに、体脂肪を燃やして筋肉をつけろってことだろうか。変なところで現実感を出すのはやめて欲しい。鳳の顔がひきつっていく。しかし、器用さや敏捷さなんてもっと上げにくそうだし、地道に筋トレをしていくしかないのでは……?
彼が絶望感に駆られていると、
「しかし、君は元々魔法使いだったんだよな? ならもしかすると、魔力を得ればINTなら簡単に上がるかも知れないぞ」
「え? INTですか?」
INT……つまり知力なんて一番上がりにくそうなのに、アイザックはそれが一番簡単だと言う。どういうことかと詳しく尋ねてみたら、
「この世界でINTは魔法の威力に関わってくる。だからだろうか、魔法を使う職業の者は軒並みINTが高い傾向にあるんだ。つまりだ、INTというものは、地頭の良さとはあまり関係がないんだな」
「そ、そうだったんですか……?」
INT19のカズヤが、がっかりというかやっぱりというか、なんとも言えない複雑そうな表情で項垂れた。アイザックは彼に頷き返してから、
「まあ、そんなわけか、後々魔法系の職に就くものは、子供の頃から魔力も高く、INTが上がりやすい傾向があるんだ。見たところ、君はまだ魔力に目覚めてないようだが、魔力さえ手に入れれば、案外簡単にINTが上がっていくかも知れない」
なるほど、そんな方法があるなら試してみたい。鳳はアイザックに向かって言った。
「しかし、魔力を得ると言っても、具体的にどうしたらいいんですか? 瞑想したり、どっかの山奥で修行したりするんでしょうか?」
「まさか、そんなことしなくてもMPポーションを飲めばいいんだ」
「MPポーション?」
またお手軽ファンタジー物質が出てきて、鳳たちは面食らった。
アイザック曰く、MPポーションとは読んで字の如し、MPが減ったときにそれを回復するためのポーションらしい。ファイナルファンタジーならエーテル、ドラクエならエルフののみぐすりだろうか。もちろん、鳳たちが遊んでいたゲームにも存在し、お手軽回復アイテムとして彼も常備していたものだが……
あれはゲームならではのお手軽アイテムであって、まさか現実に存在するとは思わなかった。同じ魔法職として興味があるのか、カズヤが目を丸くしながらアイザックに尋ねる。
「まさか、あるんですか? MPポーション」
「もちろん、あるぞ。君らの世界には無かったのか?」
「いや、あるにはあったんですけど……因みに、それを飲めば俺のMPも回復するんでしょうか?」
「ふむ……試してみるか?」
アイザックがそばに控えていた神人の部下に命じると、彼は腰のベルトに差していた道具入れの中から、青みがかった半透明の瓶を取り出した。中にはドロッとした液体が入っている。
カズヤはそれを受け取ると、流石にいきなり飲む気にはなれなかったのか、一旦、ほんの少しばかり中身を自分の手のひらに注いでみた。色は緑色で、なんとなく青汁っぽい感じの液体である。実際、ぺろりと舐めてみたカズヤの顔が、渋柿でも噛んでしまったように歪んでいたので、相当苦いのは間違いないようだ。
ともあれ、カズヤはそれで飲めなくもないと判断したのか、もう一度クンクンと臭いを嗅いだ後、一気にそれを飲み干した。
「まず~い……もういっぱい!」
お約束のセリフに慌てて神人が二本目を差し出すが、彼はそれを断って自分のステータスを確かめてみた。
「……本当だ! MPが回復してるぞ」
「本当でやんすか? ならば拙者も」
スキル発動の際にMPを消費したAVIRLが興味を示すと、神人がすぐに新しいポーションを差し出した。やはり飲みにくそうにしていたが、どうにかそれを飲み干した彼がステータスを確認すると、
「おお! 拙者のMPも全快したでやんす。なかなか自然回復しないから不安だったでやんすが、これなら技を使い放題でやんすね」
「せっかくだから試し撃ちしてみたらどうか。おい、誰か。この城にあるポーションをありったけもってこい。今朝捕まえた魔物もだ。せっかくだから勇者たちの的にしよう。多少でも経験値になるからな」
アイザックの言葉に、練兵場に詰めていた兵士たちが忙しそうに動き出した。
生きた魔物を的にすると聞くと、魔物とは言え無抵抗の相手を痛めつけるのはゴメンだとジャンヌは嫌がったが、他の三人は割とあっさり受け入れた。先程、ゴブリンを倒したときに経験値が入っていたから、その先が気になっているようである。
「ゴブリンで100なら、他の魔物だとどのくらい入るんだろう」「拙者たち、次レベルまで100万でやんすが、狩りの目安にしたいでやんすね」「リロイ・ジェンキンス」
鳳は一頭倒しただけで、心身ともにフラフラになったというのに、仲間たちは気楽なものである。やはり、スキルで簡単に倒せるから、抵抗感が薄れるんだろうか。それが良いとは言えないが、少なくとも今はスキルが使える彼らのことが羨ましかった。
カズヤ達は練兵場の中心に集められた魔物の入った檻を前にすると、始めのうちは鳳と同じように一頭ずつ外から攻撃していたのだが、そのうちまどろっこしくなったのか、アイザックが兵士に命じて中身を練兵場に放つように言いだした。
兵士たちは驚いていたようだが、どんな魔物も一撃で倒してしまう彼らを見ては文句などつけようもない。間もなく、アイザックの命じる通り、連れてきたモンスターが練兵場に解き放たれて、逃げ惑うそれをカズヤ達は面白そうに追い立て始めた。
肉片が飛び散り、血しぶきが舞う。
その凄惨な光景にジャンヌは目を伏せたが、考えても見れば前の世界のゲームの中で、鳳たちが毎日のようにやっていたのは、今目の前に繰り広げられている光景そのものだ。死体が残るか、残らないか。サーバー上のデータか、そうでないか。突き詰めればその違いでしかないのに、どうしてこうも自分達は忌避感を感じるのだろうか。
鳳がそんなことを考えていると、カズヤ達の強さを見て多少気が晴れたのか、ごきげんな様子のアイザックがやってきて、彼に言った。
「さて、君の方はまずMPポーションを試してみたまえ。何か変化があるかも知れない」
「はあ……それじゃあ、一つ」
鳳はポーションを受け取ると、カズヤと同じようにまずはその中身を手のひらに垂らしてぺろりと舐めてみた。見た目といい、苦さといい、やはり青汁にそっくりである。実際、何かの薬草を煎じて煮詰めたかどうかしたんじゃないだろうか。まあ、さっき仲間たちが飲んでいたのだから、そんなに警戒しても意味ないだろう。そう思い、彼は思い切って中身を飲み干した。
匂いは青臭く、何というか草っぽかった。独特の苦味があり、少々飲みにくくはあったが、市販の青汁と感覚は似ていたので、特に抵抗感なくスムーズに嚥下できた。口の中に残った苦味を唾液で撹拌していると、なんとなく胃の中がカッカと燃え上がるような感覚がしてきて、鳳は驚いた。そう言えば、カズヤ達は飲んだん瞬間MPが回復していたから、こんな見た目でも即効性の成分が含まれているのだろう。
その成分が魔力とやらを回復してくれるのだろうかと、じーっと効果を待っていたら、胃の中だけだった熱さがだんだんと全身に広がっていくような感じがして、間もなく心臓がバクバクと音を立て始めた。
汗が吹き出て、貧血のような目眩がしてきて、ふらつきながら地面にしゃがむと、遠くの方からジャンヌの大丈夫かと問う声が聞こえた。どうしてそんな遠くの方から囁くような声で喋るんだ? と思ったら、いつの間にかジャンヌはすぐ側で鳳のことを覗き込んでいて、驚いて仰け反ったら、世界がぐるぐると回りだして、かと思ったら、今度は何も見えなくなった。
こりゃやばい……世界がおかしい……というか、自分がおかしくなっていないか?
鳳は足腰に力が入らなくなり、四つん這いになってどうにか姿勢を保とうとしたが、三半規管が馬鹿になってるのか上下の区別もつかなくなっていた。諦めて地面にぺたりと腰を下ろし、打ち上げられた魚みたいにはあはあと息を荒げた。
しかし、それでいて苦しいのか言えば全く逆で、彼は今、言いようの知れぬ高揚感みたいなものを感じていた。思考は驚くほどクリアで、全身の血液が脳に集中しているかのようだった。やがて視界が戻ってくると、世界がスローモーションのように流れて見え、どうやら彼の思考に現実のほうが追いついていないようだった。今ならなんでも出来てしまいそうな、そんな気分だ。
鳳はフラフラとよろめきながら上体を起こした。
見上げる空がものすっごいキラキラしている。
キラキラ……キラキラ……!
神よ、感謝します! ああ、なんてこの世界は美しいのか!
今の俺は無敵だ!
「白ちゃん! 白ちゃん、大丈夫!?」
彼の様子がおかしいことに気づいたジャンヌは、彼が地面に倒れ伏した時からずっと、必死になって呼びかけていた。しかし、鳳はゾンビみたいに、視点の定まらない目つきでぼんやりとしながら、碧いうさぎがどうとか、もう恋なんてしないとか妙なことを口走るだけで、まったく要領を得なかった。
そんな彼は突然フラフラと立ち上がったかと思うと、今度は子供みたいにキラキラした瞳で、何もない空中を見つめながら何やらつぶやき始めた。その様子がまるで宗教じみていて……一体、どうしちゃったんだろうと、ジャンヌが不安にかられていると、バツが悪そうな顔をしたアイザックが近づいてきて言った。
「これは、魔力酔いをしたな……」
「魔力酔い?」
「うむ……魔力がない者に無理やり魔力を注ぐと、酒で酩酊したようになることがあるのだ。やれやれ、どうやら彼は魔法の才能もなかったらしいな」
「お酒っていうか……完全にラリってるじゃないのよ。彼は元に戻るの?」
「放っておけばそのうちな。しかし、それまでおかしな行動をしたり、暴れたりするから厄介なのだ。おとなしくなるまで、拘束しといたほうがいいだろう。おい、誰か! 彼を取り押さえろ」
アイザックの命令に従って兵士達が鳳を取り押さえようとすると、突然自分の体を押さえつけようとする相手に驚き、大暴れし始めた。見た目からしてひょろい鳳であったが、薬の効果だろうか、どこからそんな力が出てくるんかといった感じの暴れっぷりに、兵士たちもタジタジである。
鳳と兵士たちの格闘は数分続き、これじゃ埒が明かないとジャンヌが焦りだした頃だった。練兵場の中央で、魔物を相手に実践訓練を行っていたカズヤ達の方から大きな爆音が聞こえてきた。
どうやら、一通りスキルを試し終えた彼らが、いよいよ本気になって魔物の群れと戦い始めたらしい。多分、腕試しのつもりだろうが、尋常でない数の魔物に囲まれた仲間たちを見て、ジャンヌは不安に駆られた。
あんなに一度に相手して、彼らは平気なのだろうか? こんなことしてないで、自分も加勢した方が良いんじゃないか?
そう思ったのは、彼だけではなかった。
「みんな! 大丈夫か!? こうしちゃいられん!!」
突然、大暴れしていた鳳が大声を上げて立ち止まった。そのすきを見逃さず兵士たちが飛びかかるが、彼は意に介せずそれをかいくぐり、仲間たちの方へ駆けていった。
どうやらカズヤたちが魔物に襲われていると勘違いしたらしき鳳が、加勢しようとしているらしい。唖然としているジャンヌを尻目に、彼はリロイ顔負けの速度で、あっという間に魔物ひしめく戦場へとたどり着いてしまった。
「え!? デジャネイロ飛鳥氏!!!?」
徒手空拳の鳳が突然乱入してくるとは思いもよらず、AVIRLが驚きの叫び声をあげた。突撃しようとしていたリロイ・ジェンキンスが彼を避けようとして、明後日の方へ吹き飛んでいった。
「バカッ! 避けろっっ!!」
詠唱を完了していたカズヤが必死になって叫ぶ。彼の杖の先からは高温の火の玉が今まさに飛び出そうとしていた。
ゴオオオオオーーーーーッッ!
っと、音を立てて、巨大な火球が迫ってくる。鳳は魔物の群れの真ん中でそれを見ながら、呆然と立ち尽くしていた。
あれ? これヤバいんじゃね?
高温の火球が直撃するのを、鳳はまるで他人事みたいに考えていた。彼もろとも、容赦なく炎が魔物の群れを包み込む。
「白ちゃあああーーーーんっっ!!!」
ジャンヌの声が耳に届いたが、それは間もなく聞こえなくなった。鼓膜が破けたか、焼かれてしまったかしたのだろう。
ドカンッ!! っともの凄い衝撃が走り、鳳の体が吹っ飛んだ。高温の火球に焼かれた彼の体は一瞬で真っ黒に焼け焦げながら、錐揉みして笑えるくらい空高く舞い上がった。
半分焼け焦げた彼の体がボトリと落下すると、同じように焼かれた魔物の肉片がパラパラと周囲に散乱した。それが香ばしい匂いを漂わせて、なんとも胃を刺激した。でももう、焼き肉など味わうことは出来ないだろう。何しろ彼の体は真っ黒に焼け焦げていたし、足の関節は逆方向に曲がり、炭化した腕などちぎれ飛んでいたのだ!
どうしてこうなった……
自分は何故こんなことを続けていたんだっけ?
たかが、ゲームのはずなのに……
もはや死を悟り、痛覚が遮断された思考の中で、鳳は考えていた。
本当はただエミリアにもう一度会いたかっただけなのだ。あの時、勇気が持てなかった自分と決別したくて……彼女に許されたくてゲームを始めただけなのだ。サービス終了が決まったあの日、本当なら彼女は待ち合わせ場所に来てくれていたのだろうか。彼女は本当に、この世界にいないのだろうか……
エミリア……彼女にもう一度会いたい。会ったら謝りたいんだ。薄れゆく思考の中で、鳳はただ一心不乱に彼女のことを考え続け……
間もなく闇に落ちていった。