ラストスタリオン   作:水月一人

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そりゃもう、死んだ死んだ

 室内には銃声と剣戟が轟いていた。ギヨームは背中にしがみつくルーシーを背負ったまま、敵の獣人たちに苦戦を強いられていた。隣には下手くそな剣を必死に振り回すアイザックがいる。思わぬ形で共闘となったが、もしこいつが居なかったら、もう既に何回殺られていてもおかしくはなかった。

 

 彼らを囲む獣人は4人。いくら相手が獣人でも、この程度の数なら、高ステータスのギヨームなら簡単にさばけるはずだった。それが出来ずにいるのはルーシーを守りながら戦っていることもあったが、それよりなにより彼がかなり動揺していたからだ。

 

 首を突かれた鳳は、大量の血を流して床に転がっている。こちらからは顔が見えないが、あの出血では間違いなく死んでいるだろう。ジャンヌは消え、メアリーもいない。この場を切り抜けるための最大戦力は、もはや自分しか残っていない。そのプレッシャーが、信じられないくらい重く彼にのしかかっていた。

 

「そのガキは後回しです、後ろの女を狙いなさい!」

 

 ギヨームが必死になって獣人の攻撃を食い止めていると、ピサロから指示が飛んできた。本当に、忌々しいほど的確に弱点を攻めてくる男である。ギヨームはルーシーに伸びる魔の手を振り払おうとして、不用意に敵に背中を向けてしまった。その瞬間、獣人の鋭い爪が、彼の背中に食い込む。

 

「くっ……」

「きゃああーーーっ!! ギヨーム君!」

 

 鮮血が飛び散り、若干体の動きが鈍くなった。ギヨームは力を振り絞って振り返ると、止めを刺そうと無謀な突撃を仕掛けてきた獣人にカウンターを食らわせた。銃撃を腹に受けた獣人が崩れ落ちる。どうにか一人を仕留めたが、こっちが手負いなことを敵が見逃してくれるわけがなかった。

 

「ふ、ふれー! ふれー! 頑張れー! 頑張れー!」

「あーもう、ちょっと黙ってろよっ!!」

 

 ルーシーが必死になって何かを叫んでいる。多分、さっきから現代魔法を使おうとしているのだろうが、動揺しきっているせいか全く発動せず、単にギヨームの神経を逆撫でるだけだった。

 

 鳳が死ぬ間際、彼女を助けるように目配せをしたので、咄嗟に助けたはいいものの、この乱戦では彼女は何の役にも立たなかった。こんなことなら助けたりせずに、獣人と距離を置いたまま戦えば良かった。

 

 元々、自分はアウトレンジの戦いで有利に立つスタイルなのだ。距離を詰めるなんてもってのほかだし、彼女を拘束するために獣人が一人動けない方が、まだ効率が良かっただろう。

 

 だが、その場合、ルーシーがどうなっていたかはわからない……何しろ、用済みになった鳳を簡単に殺してしまった相手だ。おそらく、彼女が邪魔だと判断したら、ピサロは躊躇なく彼女を殺していただろう。

 

 ギヨームは悔しくて歯ぎしりをした。ルーシーだって必死なのは分かっているのだ。なのに、こんなことを考える自分が情けなかった。

 

 と、その時……ぼんやりとする視界の片隅がキラリと光り、サーベルの刃が彼に迫ってきた。殆ど反射的に、ギヨームが慌ててバックステップで躱すと、入れ替わりにアイザックが飛び込んできて、その刃を受け止めた。

 

「ディオゲネス! 貴様、まだ目が覚めないのかっ!」

 

 その刃はディオゲネスの物だった。神人の剣を目視で躱せるなんて普通であれば考えられないことだが、それはおそらく、彼もまだ判断がつきかねていたからだろう。

 

「許してください、アイザック様……これしかないんですっ!!」

 

 彼は鳳の説得で、かなり気持ちが傾いていたようだ。ピサロは、ジャンヌとペルメルを消した機械を操作出来るのは自分だけと言っていたが、考えても見れば、これだけ卑怯な振る舞いを続ける彼が、本当のことを言っているとは思えない。

 

 だが、嘘を吐いているというはっきりとした証拠が無い限り、この迷宮の秘密を解き明かせるのは、ヘルメス書を持っている彼だけかも知れないのだ。ディオゲネスはそれに賭けたようだ。

 

 アイザックが必死になって叫んだ。

 

「いい加減に目を覚ませ! 奴が嘘を吐いてないなんて、どうしてそう思えるんだ!」

「嘘かどうかは、もうどうでもいいんですよ!」

 

 しかしディオゲネスは、アイザックの剣を弾き飛ばしながらそう返した。飛ばされたアイザックの剣が、カランカランと音を立てながら床を滑っていく。彼は痺れた腕を擦りながら、その場に膝をついた。

 

「くうぅぅーっ!?」

「……嘘をついてるかどうかは、この場を制圧した後に問いただせばいいことです。もし、それが嘘だったのなら、殺すまで。だからどっちにしろ、ペルメルを助ける可能性がある限り、俺はこっちにつくしかないんですよ」

 

 ピサロはこの迷宮に入るためにヘルメス書を使った。つまり、ヘルメス書の今の所有者はピサロということだ。あれがどのような書物かはまだ判然としなかったが、持ち主以外には、何の恩恵も与えてくれなくても不思議ではない。

 

 ピサロのけたたましい哄笑が部屋いっぱいに響く。

 

「賢明な判断です。あなたに敬意を表して、特別にヘルメス卿の命だけは助けて差し上げましょう」

「黙れ! おまえの口約束など聞き飽きた。それよりも、もしも嘘だった場合、自分がどうなるか覚えていろよ!?」

「おお、怖い。大丈夫ですよ。私は嘘なんてついていませんから」

 

 ディオゲネスは今にも人を殺しそうな憎悪に満ちた表情をしていた。神人がそこまで感情を露わにすることは滅多に無い。それはもちろん、本来ならピサロに向けられたものだったが、対峙している手前、真正面に受けてしまったギヨームは背筋が凍りつくような思いだった。こいつは腹を括っている。次は本気だ……

 

 ギンッ!!

 

 ……そう思う間もなく飛び込んできたディオゲネスのサーベルを、ギヨームは必死にピストルの背で弾いた。その瞬間、攻撃を受けたピストルが、光の粒となって虚空に消えていく。素早さは前の比ではなく、もはや目で追っていたら死を待つしか無いほどだ。

 

 ディオゲネスはピストルが消えたのを見逃さず、返す刀で再度ギヨームに迫ったが、こちらも左手に残っていたもう一丁のピストルを使って、なんとか弾くことに成功した。ギヨームはバックステップで距離を取ると、急いで両手にまた自分の銃を作り出した。

 

 MPが続く限り、攻撃を躱すことは出来る。だが、それだけだ。こっちから攻撃しても、神人にはこんな豆鉄砲はほぼ無意味だ。せめて銀弾を持ってくれば一発逆転もあったかも知れないが、ないものねだりをしてもどうしようもない。出来ることはもう、銃で隙を作って逃げ出すことくらいだが……

 

「ギ、ギヨーム君……ごめんなさい」

 

 弱々しい声が耳に届いて、ギヨームは今度こそ本当に背筋が凍った。ディオゲネスと対峙したことで、完全に余裕を失っていた。その神人の肩越しに、ピサロに捕まったルーシーが見える。彼女は剣を首筋に当てられて、成すすべもなく震えている。

 

 彼女を助けるには、目の前の神人を倒すしか無いが……気がつけば、ギヨームは神人どころか、残った3人の獣人にも取り囲まれていた。前後左右、逃げ場は見当たらない。いや、それでも今なら上手く隙をつけば、獣人の一人を殺して、なんとか逃げることは可能だろう。外に出て、メアリーと合流すれば、もう一戦は出来る。だが、その場合、ルーシーはどうなる?

 

 ギヨームは頭の中が真っ白になった。すごい勢いで血の気が失せてきて、頭皮がパチパチと音を立てているようだった。打開策は何も見つからなかった。見つけようとすら思わなかった。せめて後ひとり仲間がいれば、なんとかなるかも知れないが……そんなもの期待するだけ無駄だった。

 

「起きろ、鳳……起きろっ!」

 

 彼は無意識にその名を呼んでいる自分に驚いた。何故、鳳の名を呼んだんだ? ジャンヌならともかく、今あいつがいたところで、なんにもならないじゃないか。

 

「いい加減、目を覚ませ! ピンチなんだよ! 洒落んなってないんだよっ!!」

 

 なのに彼は叫ぶことをやめられなかった。

 

 レベル64の自分が……レベル7の何の能力も持ってない人間に助けを求めるなんて、どう考えてもおかしかった。なのにこの状況を打開できるとするならば、こいつしか居ないと思えてしまうのだ。

 

 彼はここまで低レベルながら低レベルなりの活躍をして、いくつもの絶望的な状況を覆してきた。オークの襲撃の時のように、咄嗟の判断を求められる場面でも、焦ることなく的確に指示を下し、ギリギリの勝負を勝ち抜いてきた。

 

 なんやかんや、あいつがこのパーティーの扇の要だったのだ。ギヨームはそんな彼にいつの間にか依存してきたのだ。あいつに任せておけばいいやと、何も考えずにここまで来てしまったのだ。

 

 だって仕方ないだろう。今まさに、自分が死のうとしているその瞬間に、自分の心配じゃなくて、咄嗟にルーシーを助けようとした男だぞ。血を流して倒れる自分が注目を浴びているのを利用して、その隙にルーシーを奪還しろと指示した男だぞ。

 

 こいつならなんとかしてくれると思っても、仕方ないじゃないか。

 

「鳳、起きろよっ! 起きろっつってんだろうっ!!」

 

 ピサロは死人に助けを求めるギヨームをあざ笑っていた。獣人たちは自分たちが優位に立ったと意識したのか、リラックスした表情で拳をパキパキと鳴らした。そんな中でディオゲネスだけが一切の隙を見せずに、剣を構えたままジッとギヨームに対峙していた。

 

 ここまできても手加減するつもりは無いという決意だろうか。もはやこの神人から逃れることは不可能だろう。自分が死んだ後、ルーシーはどうなるんだろうか。せめて、彼女だけでも助かればいいなとギヨームは思った。

 

 彼はもはや狙いを定めることもなく、滅茶苦茶にピストルの弾を撃ちまくった。彼の銃は特別製で、リロードする必要もなければ弾が尽きることもない。MPさえあれば一生だって撃ち続けられる。彼はそんな愛銃を両手に構えて、大雑把に敵のいる方へ向けて引き金を引いた。

 

 油断しきっていた獣人たちは、その攻撃をもろに受けて怯んでいる。一人は急所を捕らえて戦闘不能になった。だが、ディオゲネスだけはこんな攻撃にも怯むこと無く、驚いたことに、飛んでくる弾丸を目で追って剣で弾くと、真っ直ぐに突き進んでは袈裟斬りにギヨームへ振り下ろした。

 

 ディオゲネスのサーベルの切っ先が目の前に迫る。ギヨームはもはやこれまでと目をつぶった。

 

 しかし、その時だった……

 

 ギンッ!!

 

 っと、甲高い金属音が、目をつぶったギヨームの耳に響いた。くわんくわんと頭の中で反響するその音に驚いて目を開ければ、たった今、彼に振り下ろされようとしていたサーベルが弾かれて、代わりに目の前にドライアイスのような冷気をまとった白い刀身の剣が見えた。

 

 なんだこれは? と呆然と見守っていると……その白い刀身がひび割れたかと思ったら、次の瞬間、それは強烈な光を発した。

 

 それはまっすぐ見たら目が眩んでしまいそうな、強烈な光だった。何もない空間に、突然そんな光が差して、その中から一本の剣が突き出しているのだ。

 

「ギヨーム! ごめん、遅れたわ!」

 

 その強烈な光の中から、甲高い女性(・・)の声が響いてきた。聞いたことのないその声に戸惑っていると……まるで空間を切り裂くかのようにその剣が上下に振るわれ、かと思ったら、次の瞬間、光の礫が部屋いっぱいに広がっていき、その中心から一人の剣士が颯爽と現れた。

 

 長身痩躯で信じられないほど整った顔立ちをしており、長い耳が横に少し垂れ下がっていた。目は青く腰まで伸びる金髪をなびかせて、やたら胸を協調するようなピッタリとしたプレートメイルを身にまとい、手には先程のオーラのような光をまとう細身のレイピアを構えている。

 

 その姿から神人であることは間違いないが、問題は彼女の方はギヨームのことを知ってるようなのに、彼の方は知らないことだった。

 

 少なくとも敵ではなさそうだが、この女は何者だ……? ギヨームが戸惑っていると、神人の女性はディオゲネスの背後に佇むピサロに剣の切っ先を向けながら、

 

「さっきはよくもやってくれたわね! もう騙されないわよっ!! ……神人さん、悪く思わないでちょうだい」

 

 彼女はそう叫ぶと、目の前の障害であるディオゲネスに飛びかかっていった。

 

 突然の登場にあっけにとられていたディオゲネスが、辛うじてその一撃を防ぐ。キンッ! と、金属のぶつかり合う音が響いて火花が散った。彼は女性から距離を取るように飛び退くと、半身になって片手でサーベルを突き出した。それに対し女性がレイピアで応戦する。

 

 カシャカシャと音を立てて、二人の剣が交差する。まるでフェンシングみたいな細かくて素早い攻防が繰り広げられ、どちらが先に相手を貫くか、ギリギリの勝負が続いていた。

 

 ディオゲネスが叩き伏せるようにサーベルを振り下ろすと、女性はそれに絡みつくようにレイピアを下から振り上げる。しなる刀身がヒュンヒュンと音を立てて、信じられないことに、ソニックブームのような振動が周りで見ているギヨームの体まで届いてきた。

 

 両者の技量は互角だった。だが、やがて手数で勝る女性の方が優位に立ち始めると、焦ったディオゲネスが起死回生の一撃を狙って大振りになった瞬間を狙って、ついに女性の剣が彼の腕を捕らえた。

 

 鮮血が飛び散り、堪らずディオゲネスが反射的に傷ついた腕を振り上げる。すると、そのがら空きになった胴体に向かって女性は横薙ぎに剣を振りながら、

 

「紫電一閃! 桜華絢爛五月雨斬りっ!!」

 

 その構え、その言葉を聞いた瞬間、彼はトラウマを刺激されたかのように、慌ててその場を飛び退いた。

 

 その技は以前食らった覚えがあった。もし真正面に受ければ、どれほどのダメージを食らうか計り知れない。しかし、そんな彼がドキドキしながら身構えていても、その女性のレイピアからは何も発動しなかった。

 

 あっけにとられるディオゲネス。それは女性も同じだったようで、

 

「あ、あれ!? 紫電一閃! 桜爪愁華乱斬りっ!! めくりっ!! 紫電一閃……変ね、快刀乱麻!! あれー!?」

 

 女性は剣を振り回しながら、一人で叫び声をあげては慌てている。その姿が間抜けなこともさることながら、その技の名前と、強そうに見えて案外滑稽な姿には、どこか既視感を覚えた。

 

 ギヨームは唖然としながら、女性に向かって言った。

 

「おまえ……誰だ?」

 

 しかし、その答えは彼女からではなく、別の方から返ってきた。

 

「ジャンヌのはずなんだけどね……何でおまえ、女になってんの?」

 

 そっちの声には聞き覚えがあった。その場にいるほぼ全ての人が、ドキリとして振り返る。

 

 ギヨームだけではなく、ディオゲネスも、獣人も、ピサロも、そして捕まっているルーシーも、みんながそこに立っている人物に目を奪われた。

 

 気がつけば、鳳がいつの間にかピサロのすぐ背後に立っていた。首筋を手ぬぐいでゴシゴシと拭いつつ、血だらけの自分の服を引っ張って、これ落ちるかな……などとぼやきながら、

 

「お、おまえは……死んだはずじゃなかったのか!?」

 

 その姿を見て一番驚いたのは、どうやらピサロのようだった。自分が殺した相手が生き返っていたら、そりゃ当たり前だろう。呆然とした表情を浮かべながら、彼の足がガタガタと小刻みに震えている。

 

 鳳は口の中に溜まっていた血が混じった唾液をペッと吐き出しながら、

 

「そりゃもう、死んだ死んだ。知ってんだろ? おまえが殺したんだから……」

「それじゃ何故生きている!?」

「色々あったんだよ……色々。お陰で、色々思い出しもした。エナジーボルト!」

 

 鳳が指をパチンと弾くように指差し、そう唱えると……次の瞬間、強い衝撃が走って、ピサロは仰け反るように吹っ飛んだ。彼は強かに尻もちをつき、手にしていた剣がカランカランと地面を叩きながら転がっていく。

 

 さっきまで彼に拘束されていたルーシーは解放されるや、すかさずその剣を拾いに走った。そうはさせじと迫りくる獣人の腕を掻い潜り、彼女は滑り込むようにして剣を拾い上げ、それを抱えて逃走する。

 

 部屋から飛び出していった彼女を追いかけるかどうか迷っている獣人に向かって、ギヨームの銃撃がうなる。

 

「行かせるかよっ!!」

 

 無防備な背中を見せていた獣人たちは、それによって戦闘不能に陥った。

 

 たった数瞬前まで、圧倒的に優勢だったのが、気がつけば完全に逆転されていたピサロは、何故自分が劣勢に立たされているのかわけが分からずに、

 

「な、何なんだ、おまえは! 何なんだっ!! なんで殺した男が生き返っているんだ? それにその女は何者なんだ!?」

「何だ何だうるせえな。育ち盛りの赤ちゃんか、おめえは。てめえだって元は死人じゃねえか。別に生き返ったって不思議じゃないだろ」

「そんな出鱈目な話があってたまるかっ!! ……くそっ! ディオゲネス! そいつを殺せっっ!!」

 

 ピサロは最後の悪足掻きに、神人に向かってそう命令したが、もはや複雑になりすぎた状況についてこれていないディオゲネスは、どうしていいのか判断がつかず、その場で呆然と立ち尽くしていた。

 

 鳳は、彼がまた裏切ったら堪らないので、悪いと思いつつも、

 

「スリープクラウド!」

 

 呆然と佇むディオゲネスの足元に、見慣れた雲が広がっていった。彼はその光景を目の当たりにして、驚愕の表情を浮かべると……次の瞬間には、ぷつりと意識が途切れて、その場で昏倒するのであった。

 

 ディオゲネスは倒され、獣人たちも手負いで役に立ちそうもない。ピサロはその場に残されている味方がもう自分一人だけになっていることを知り、

 

「あ、ありえんだろう!? 古代呪文だと!? 理不尽すぎるだろう!? なんだこれは? たった今まで、お前らの戦力なんて、もうそこのチビだけだったろう!? それがなんだ! 気がついたら逆転しているだと? いくらなんでもそんな無茶苦茶な話があるか! おまえら、どんな卑怯な手を使ったんだ! こんちくしょうっっ!!」

「人聞きの悪い。おまえと一緒にするんじゃないよ」

 

 鳳が苦笑いしながらそう言うと、ピサロは顔を真っ赤にしつつ、怒りでブルブルと震える声で、

 

「……降参すれば、逃してくれたりは……しないんだろう……なっ!!」

 

 彼は吐き捨てるようにそう言い放つと、突然、大きく振りかぶって地面に何かを叩きつけた。するとその瞬間、彼の足元で何かがパンと弾けて、室内にモクモクと煙が充満しはじめた。

 

 煙幕を使って逃げるつもりか……!? この期に及んでまだ隠し玉を仕込んでいるとは、なんと往生際の悪い男だろうか。鳳が慌てて追いかけようとすると、

 

「きゃっ! えっ、なにこれーっ??」

 

 背後から一緒に追いかけようとしていたジャンヌが変な悲鳴を上げた。ジャンヌの体はもはや神人と同じ特別製で、ちょっとやそっとじゃ傷つかないはずだが……見れば新しくなった彼女の体から煙が上がり、傷口から妙な光を発している。

 

 鳳はチッと舌打ちをすると、ピサロを追いかける足を止めて、急いでジャンヌの元へと駆けつけた。

 

「いたたた……どうなってるの? これ? 体がおかしくなっちゃったのかしら」

 

 ジャンヌは光を発する傷口をおっかなびっくりさすっている。鳳は傷ついた彼女の腕を取って、

 

「くそっ……あの野郎、さっきの煙幕に銀の弾丸を仕込んでいたんだ。それがおまえの体のナノマシンと反応してるのさ」

「ナノマシン……?」

「神人の体の中に仕組まれている仕掛けさ。あいつは最初から、事が済んだら神人たちを始末するつもりで用意しておいたんだろう……まさかそれがジャンヌにまで有効とは」

「おい、鳳。マジでこいつはジャンヌなのか? 見違えた……つーか、性別まで違うじゃねえか。一体どうなってやがんだよ」

 

 ギヨームが眉間に皺を寄せて困惑気味に呟く。鳳は首を振って、

 

「話は後だ。それより今はこの傷を治さなきゃ」

「治せるのか?」

「そこの機械を使えば、多分な……あー、くそ! ギヨーム、ピサロの方は任せられるか? ルーシーが危険だ」

「わかった」

「俺も行こう」

 

 ギヨームが走り出すと、その後にアイザックが続く。

 

「傷を治したらすぐ追いかける! なんとか足止めしといてくれ」

「殺してしまっても、構わないんだろう!?」

 

 よほど腹に据えかねたのか、アイザックが振り返りもせずにそう答えた。別に彼とは仲間になったつもりは無いのであるが……鳳は肩を竦めて黙ってそれを見送った。

 

************************************

 

 迷路のように入り組んだ廊下を、息せき切ってルーシーは必死に駆けていた。

 

 死んだと思った鳳が復活し、ピサロが剣を取り落した時、彼女はすかさずそれを奪って逃げ出した。あの場に居ても足手まといにしかならないのは分かっていたし、それに、自分が居なくとも、鳳ならあの場をなんとかしてくれると思えたからだ。

 

 と言うか、あの状況で颯爽と現れて、絶体絶命のピンチを救うなんて、いくらなんでも格好良すぎやしないか……? あれは本当にヤバかった。もう絶対に駄目だと諦めたところで、当然のように現れて、不思議な力でバッタバッタと敵を倒してしまうのだから、ツンデレのギヨームじゃなくても、涙目になっても仕方ないだろう。

 

「鳳くんはああいうとこが卑怯だよね」

 

 彼女はそんなことを呟きながら、ぼやけた視界をゴシゴシと拭った。

 

 とにかく、このままメアリーのところまで逃げれば勝ちだ。流石に、ピサロでも高レベルの神人相手では勝ち目はなかろう。そう思って必死に駆けていたのであるが……そうは問屋がおろさないというのだろうか。迷宮の床をカンカンと鳴らす彼女の足音に混じって、すぐ背後から誰かが追いかけてくる足音が聞こえてくる。

 

 それが仲間なら声を掛けてくるだろう。無言で追いかけてくると言うことは、それが敵であるからに違いない。彼女はそう判断すると、うろ覚えの迷路の中でつっかえながら、どうにかこうにか入り口まで帰ってきた。

 

 祭壇のような入り口をくぐり抜けて、またドーム型の空間にまで帰ってきた彼女は、すぐに迷宮から出ようと峡谷の脇道へ向かって走り出した。しかし、いざ外へ出ようとした時、彼女はすぐ後ろにある祭壇の上に一冊の本がまだ置き去りにされていることに気がついて足を止めた。

 

 確かあれは、アイザックが奪われたとかいう、ヘルメス書というやつだ。迷宮を開ける時に使われたらしいが、このまま放っておいていいものだろうか。もしまたピサロの手に渡れば、悪用されるかも知れない……

 

 彼女はそう判断すると、来た道を戻り、祭壇の上にあった本に手を伸ばし、それを掴んだ。

 

「おっと! 手癖の悪い女ですねえ……」

 

 ルーシーがそれを手にした瞬間、ちょうど彼女の死角になっていた祭壇下の入り口から、ピサロの手がにゅっと伸びてきた。彼女は驚いて飛び退こうとしたが一足遅く、足首を掴まれて、彼女はその場に倒れてしまった。

 

 手にした本が壁際まで転がっていく。うつ伏せで手を伸ばした彼女の背中に、ピサロの足がドンっと踏み降ろされる。その瞬間、肺の中の空気が全部吐き出され、苦痛が全身を貫いた。

 

「かっ……かはっ……」

「今は相手してやれないのが残念ですが、その幸運に感謝して、あなたはそこで寝てなさい」

 

 ルーシーを踏みつけていったピサロは、彼女に目もくれずにヘルメス書の方へと歩いていく。ルーシーは息苦しさに耐えながら、どうにか肺の中に空気を吸い込むと、

 

「コウモリの家は上が下で下が上。スッテンコロリンコロコロリン!!」

 

 突然、背後からそんな馬鹿みたいな歌声が聞こえ、ピサロは気でも触れたのかと言わんばかりの呆れた表情で、ルーシーの方を振り返った。しかし、彼は左右に振り返ったつもりだったのに、何故か体が上下逆さまに回転するような錯覚を覚えて、驚いたのもつかの間、次の瞬間、世界がぐるりと半回転し、そのまま頭から地面に突っ込んでいたのであった。

 

 何が起きたのか分からないピサロが、激痛に耐えながら地面でもんどり打っていると、その横をルーシーが駆け抜けていく。

 

「ばーかばーか!」

 

 彼女はそのまま転がっていたヘルメス書を拾い上げると、一目散に峡谷へのトンネルへと走っていった。あそこを抜ければもうこっちのものだ。彼女がそう思って、楽観しかけた時……

 

 しかし、あと一歩のところで、背後から銃声が轟く。強い衝撃が走り、彼女は足がもつれてその場に倒れた。肘と膝小僧を盛大に擦りむいて、血が滲んでいく……だが、そんな傷よりもっと深刻な物が、彼女の太ももの辺りでぽっかりと穴を開けていた。

 

 弾丸に肉を削ぎ落とされた太ももから、血がドクドクと流れだす。幸い、弾は貫通しているようだが、耐え難い苦痛に晒されて、彼女は立ち上がることすら出来なかった。

 

「い……たあー! 痛いっ!!」

「馬鹿な女め! 命だけは助けてやろうと言っているのに」

 

 ピサロは忌々しそうに単発式の銃を投げ捨てると、代わりにルーシーが取り落した自分の剣を拾い上げ、彼女に止めを刺そうと近づいてきた。

 

 慣れないことはするんじゃなかった。本なんか捨てて、逃げておけば良かった……彼女は後悔しながら、ピサロの剣から逃れようとその本を盾のように構えた。

 

「ちっ……本当に往生際の悪い小娘ですね」

 

 本を傷つけるわけにもいかず……それが思ったよりも障害になったピサロがまごついている。だが、彼はようやく体勢を整え、剣を突き立てるように脇に構えた。

 

 今度こそ殺られる……そして彼女が体を固くしたその時だった。

 

 ゴッ……

 

 っと、体の中から何やら小さな音が鳴って。ピサロは突然、目眩のような違和感を覚えた。なんというか、トンネルを抜けた瞬間、世界が変わってしまったような、そんな感覚だ。

 

 ルーシーに剣を突き立てるつもりが、それが全く逆方向へと空振ってしまったような、そんな違和感を感じて、彼は慌てて腕を引いた……引いたつもりだった。

 

 彼は体を動かそうとしても、自分の体が動かないことに気がついた。脳がいくら命令しても、体がうんともすんとも言わない、金縛りのような状態だった。何が起きたんだ? と思って振り返ろうとしても、首すらまったく動かないのだ。

 

 次第に焦りが募ってくると、突然、体が動かないのに、何故か視界だけが勝手に動き出した。動いていると思ったら、それは真上を向いたあと、急に物凄い勢いでグルンと真下に向かって回転し、気がつけば彼は自分の背中を見つめているのであった。

 

「な……な、に……これ?」

 

 声にならない声を上げて、彼は自分の首が一回転していることに気がついた。普通、前を向いているはずの首が……せいぜい、左右90度までしか回らない首が……今は180度、真逆の方を向いている。

 

 焦って体を動かそうにも、さっきからまるで言うことを聞かない。彼はそのまま重力の命ずるままに、ズシンとその場に倒れ込む……すると見上げる彼の顔を覗き込むようにして、一人の影が近づいてくることに気がついた。

 

 口元をマフラーで隠し、頭になでつけた耳を頭巾の中に隠しているが、その真っ赤な瞳の色は忘れようも無かった。彼はその目に見つめられた瞬間、恐怖のあまり股間が濡れていくのを感じていた。

 

「ひぃっ! ガルガンチュア……!?」

 

 右手にスリング用の革紐を持ち、左手に短刀を構えたマニが、ピサロのことを無機質な目でじっと見つめている。彼は動けないピサロのすぐ横へかがみ込むと、

 

「父の仇だ。異存はないな」

「ま、ま……っへ、たす……け……」

 

 ピサロは痺れて動かなくなりつつある舌を必死に動かして命乞いをした。しかし、マニはそんな男の声を無視して、動かなくなった彼の頭髪を乱暴に掴んで持ち上げると、

 

「今までどれほど多くの人たちが、おまえに命乞いをしてきたんだ」

 

 彼は吐き捨てるようにそう言い放つと、延髄の隙間から脳に向けて短刀を滑り込ませた。瞬間、ピサロはぐるんと白目を剥いて、舌を突き出し、鼻血をダクダクと流して絶命した。

 

 やっと仕留めたか……マニは彼の死を確認すると、それでも飽き足らず、二三度脳をかき回すようにグリグリ動かしてから、ピサロの命を奪った短刀を引き抜いた。

 

 これが勇者領を滅茶苦茶に引っ掻き回し、獣人社会を混沌へと突き落とした男の、あっけない最期だった。

 


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