鳳たちが大森林の異変に気づいた頃、勇者領ではヘルメス戦争が新たな局面を迎えようとしていた。数々の帝国の挑発により、ようやく重い腰を上げた連邦議会によって、いよいよヘルメス遠征の号令がくだされたのだ。
嵩む戦費や交易への悪影響から、半ばイヤイヤやっている議会に対し、先の勝利を受けて勝ち馬に乗ろうとしている国民の方は、意外に戦意が高かった。そのため、外国遠征にも関わらず、かなりの数の兵士が集まった。
捲土重来を目指すアイザック11世は、この余勢を駆って帝国へとなだれ込みたいところであったが……いかんせん、帝国と勇者領の間には、広大な大森林が広がっている。ここを通って帝国入りをするのは、知っての通り無謀と言わざるを得なかった。
単純に道が狭すぎて大軍が一度に通るのは不可能なこと。出口には帝国軍が待ち構えており、突破するのは至難の業であること。それを突破したところで、今度は兵站を切られる心配があること。先のアルマ国の攻防戦では、帝国はこれが弱点となって撤退を余儀なくされた。なのに勇者軍が同じ轍を踏むわけにはいかないだろう。
しかし他に道があるのかと言えばそんなものはなく、勇者軍は余勢を駆って挙兵はしたものの、中々帝国に攻め入ることが出来ずに手をこまねいていた。
大軍を動員するには大金がかかり、このまま領内で燻っているだけでは金の無駄であるから、解散するのも時間の問題だろう。勇者軍は税金で運用されているから、厭戦感情が広まるのも早いのだ。案外、帝国もそれがわかっているから、あえて挑発しているのかも知れない。賠償金が取れなくても、戦費で赤字を垂れ流すよりはマシであると、連邦議会が根負けするのを待っているのだ。
無論、そんなことは許せるはずはないから、なんとしても帝国に一泡吹かせてやりたいのだが、中々そのための作戦が見つからなかった。森歩きに慣れているトカゲ商人などを頼れば、街道を行かずに帝国に侵入することも可能だろうが、もちろん大軍を動かすのは無理だろう。ならば、少数でヘルメス入りして内部から撹乱しようかという案も出たが、森と違って平野部でそんなことをしても、すぐに鎮圧されるのが落ちだった。
帝国にはヘルメスだけではなく、他にも4つの国がある。海路を通じてそれらの国を急襲してはどうかという案も出たが、襲撃以前に、まず軍艦という概念が無いのでどうしようもなかった。海洋国家のくせに意外かも知れないが、そもそもこの世界で外洋交易を積極的に行っているのは勇者領しかなく、軍艦なんてものは必要なかったのだ。
護衛艦もないのに大量の兵士を運ぶなんて危険過ぎるから、こうして海を渡る案は却下されたわけだが……しかし、これらは作戦立案のヒントにはなった。
先のボヘミア砦での活躍を評価され、正式に勇者軍の将軍として就任したヴァルトシュタインは、戦時特例として連邦議会に経済封鎖を依頼した。
神人領主を中心とする農奴社会という前時代的な国体を取っている帝国は、勇者領と比べて圧倒的に経済基盤が脆弱だったのだ。
実は大陸西側航路を通じて、勇者領はボヘミアやそれを管理するセト国と交易があり、それを止めてしまうと、帝国はあらゆる物資が不足するという弱点があった。帝国経済を回しているのはボヘミア北部から産出する銀であり、建前上は国交断絶している両国は、新大陸を通じて繋がっていたのだ。
また、農奴制であるから、これだけ戦争が長引けば、食糧事情に影響が出るのは必然だった。折しも現在は収穫の秋。帝国は懲罰的にヘルメスから兵をかき集めていたが、皮肉にもそのヘルメスこそが、帝国の広大な食料庫だったのだ。
働き手を失っていたヘルメスでは収穫の秋を迎えても人手が足りず、また例年より作付面積が少なかったこともあって、畑はどこもかしこも不作となり、とても全ての帝国人の胃袋を満足させるほどの収穫は見込めなかった。
そこへ来て、勇者領からの経済封鎖を受けた帝国では、穀物相場が異常な高値をつけ、その影響をもろに受けたヘルメスでは、間もなく飢饉が始まろうとしていた。
自分たちは何も悪くないのに、金もなくなり、食料もなくなり、おまけに戦争にまで駆り出される。元々、帝国内でも勇者派の色が濃いヘルメスの民衆は、こんな目に遭ってまで、何故帝国のいいなりにならねばならないのかと考え始めていた。
そんな時、彼らの耳に、アイザック11世が凱旋するという噂が流れてきた。彼が大軍を率いて帰ってくるというのだ。現に、勇者領では今、帝国へ向けて挙兵が始まっているという。先の戦争で国土を荒らされた勇者派が激怒して帝国へ雪崩込もうとしているのだ。これはヘルメスの人々にとっては、寧ろ解放軍のように思えた。
帝国の将兵はそんなのはただの虚仮威しで、勇者軍はそもそも大森林を抜けることすら出来ないと言った。しかし、それならどうして帝国軍は勇者領へと入り、そして逃げ帰ってきたと言うのか。彼らが言うのは劣勢に立っている者の詭弁ではないのか。生活が困窮し始めたヘルメスの民衆は、勇者軍を待ち焦がれていた。
一方その頃……領内にそんな空気が醸成されている中、アイザック11世は本当にヘルメス領へと帰っていた。
帝国軍が警戒している南の大森林を通るのではなく、ボヘミアを通って帝国軍の北側へ出た彼は、新たに得た副官テリーを近隣の村々へと走らせた。ヘルメス人である彼の親兄弟、親戚縁者をフル動員して、アイザック帰還の噂を流すためだった。
雌伏の時を経てヘルメス卿が帰ってきた。このまま帝国支配が続けばヘルメスの民は疲弊するばかり。かくなる上は一斉蜂起して、我々の王を迎え入れよう。
噂は野山を駆け巡り、あっという間にヘルメス中へと広まっていった。そして不遇をかこっていたヘルメスの民は、実際にそこにアイザック11世の姿を認めると、帝国への不満を爆発させて、一も二もなく彼に味方するのであった。
まさか外からではなく内側、しかも警戒している南ではなく北で起きた領民の蜂起に、帝国軍は慌てふためいた。ヘルメス卿がここまで大胆な行動を取るとは思いもよらず、完全に後手に回った帝国軍は、それでもすぐに反乱鎮圧のための軍を差し向けようと編成を急いだ。
一斉蜂起したのは所詮は農民、ろくな武器も無ければ練度も足りない。人数的にも帝国軍の方が圧倒しており、負ける要素は何一つなかった。
にも関わらず……帝国軍は間もなく、反乱鎮圧の部隊を差し向けるのではなく、最前線フェニックスの街からの撤退を開始したのであった。
何故か? それは地理的な状況がそれを許さなかったからだ。
ヘルメス国は東西に細長い国である。帝国軍は勇者軍を阻止するため、その最西端に布陣していたわけだが、裏を返せばそこはヘルメス国の最奥部であり、もしもこのまま反乱が続けば、帝国軍は敵地で孤立する恐れがあった。
反乱は小規模で、確かに吹けば飛ぶようなものだった。だが、その背後にはボヘミアの山が控えており、反乱軍はいくら蹴散らされても、そこへ逃げ込めば何度でもやり直しが効いたのだ。
アイザック帰還の噂は既に国中に広まっており、もしもここで反乱鎮圧に手こずれば、他の地域でも反乱が相次ぐ恐れがあった。故に帝国軍はその芽を潰すためにも、後退せざるを得なかったのだ。
こうしてアイザック11世は、一軍も率いることなく、まんまとヘルメス国へと凱旋したのであった。
彼は帝国軍が本拠を置いていたかつての自分の離宮を取り戻すと、間もなく、街道を通って勇者軍が合流した。アイザック11世の叛乱から始まり、勇者領を巻き込んで半年も続いたヘルメス戦争は、いよいよ最終局面を迎えようとしていた。
*************************************
アイザック11世の帰還に帝国軍は動揺していた。まさか、一度はあそこまで追い詰められた彼が、また故郷の土を踏むとは誰も思いもよらなかった。特に帝国軍内のヘルメス出身の兵士の動揺は激しく、彼らは故郷の領主への忠誠と帝国へのそれとで板挟みになったのか、脱走が相次いだ。
このままでは、いざ戦闘になっても役に立つかどうかわからない。帝国は慌てて徴兵を開始するが……そこへ思いもよらぬ横やりが入った。セト国が不参戦を決め込んだのだ。
そんな裏切り行為が許されるはずもなく、セト国は強烈な非難を受けた。しかし彼らには、いくら責められても引けぬ事情があった。元々、セトは大陸の北部に位置し、ボヘミアと隣り合っているだけあって山がちで、土壌が貧弱であった。幸い、ボヘミアから銀が産出するため経済的には恵まれていたが、逆に羽振りがいいため国内の開墾はおろそかになり、食料を外国からの輸入に頼っていたのだ。
ところが現在、帝国の食料庫であるヘルメスは飢饉で、他国も自分たちが食べるので精一杯である。こうなるとセトは勇者領との交易が大きすぎて動けなかったのだ。
無論、他国がセトに援助してくれるというなら、彼らだって裏切りたくはない。だが、その3国だって、平時ならヘルメスから供給される食料を失い、新大陸からの物資も断たれたとあっては、そう長くは持たないだろう。
戦争が続く限り、勇者領からの経済封鎖は続くはずだ。セトは不参戦を表明することで、自分たちが食べていく分の交易を許されているのだ。それでも他の3国は、セトに食わずに死ねと言えるのか。そう言われてしまうと、彼らはそれ以上強く出れなかった。
経済オンチというか、それに全く興味を示さなかった神人たちは、この時はじめて勇者領との決定的な差を知ったのである。
さて……これによって、他の3国、カイン・ミトラ・オルフェウスが自らの行いを反省し、不易な戦争はもうやめようという厭戦ムードに傾いていったかと言えば、寧ろそれは逆で、彼らは自分たちの不甲斐なさ、そして見下していた人間に負けたという悔しさから、怒りの炎を燃やすのであった。
こうして帝国の威信をかけて多くの神人が出陣し、ヘルメス国へと集結してきた。使い物にならなくなったヘルメス兵を後方に配置して反乱への抑えとし、新たに神人兵を核として再編成した帝国軍は、ヘルメス国中央の穀倉地帯に布陣し、勇者軍の東方への進出に備えた。
対する勇者軍は、思いがけず神人を大量投入してきた帝国軍を前に、少々動揺の色が隠せなかった。戦争とは外交の一手段であり、だからこそあらゆる政治的努力の最後に行われるわけだが……敵の力を少しでも削ぐための経済封鎖が、まさかこんな風に裏目に出てしまうとは、流石に誤算であった。
とは言え、帝国へ戦争を仕掛けているのだから、当然神人兵に対する備えは用意していた。ヴァルトシュタイン率いる勇者軍は、ヘルメス領に入ると後詰めをアイザックに任せて東へ進軍。ボヘミアから大森林へと流れる大河の西側へ布陣し……その対岸に、帝国軍が陣取った。
戦闘は一発の銃声から始まった。
大河の両岸に陣取った両軍は、渡河のリスクを嫌って互いに動きが取れなかった。そこで帝国側は神人による古代呪文で勇者軍の前衛を襲い、勇者軍は全軍に装備させたライフルと、現代魔法の使い手による呪術合戦を行った。
インサニティは効くか効かないかはその時の状況次第、わかっていれば大して効果はない魔法であるが、かと言って一度SAN値が下がってしまうと簡単には回復せず、ゼロになれば恐慌状態に陥り戦闘不能になる。更にはレベルダウンのおまけがつくため、本来なら古代呪文で一方的に攻撃できるはずが、お互いに射程を確かめ合いながら戦うという尋常の勝負に持ち込まれ、帝国軍は臍を噛んだ。
とは言え、古代呪文の使い手が少ないならば、現代魔法の使い手も少ないため、帝国の威信をかけて多数の神人が参戦している今、探せば弾幕の薄い場所は必ずあった。
帝国軍は呪術合戦で相手術士の場所を特定し穴を見つけると、そこに戦力を集中、神人の身体能力をもって渡河攻撃を仕掛け、勇者軍呪術部隊を掃討し一気に決着をつける奇策に出た……勇者軍が呪術合戦で神人兵の動きを封じていると、突然、上流から何艘もの小舟が流れてきたのだ。水上からの攻撃に警戒するも、見れば小舟には誰も乗っておらず、小舟はただ漫然と流れ行くのみ。一体、帝国は何をしたいんだろうか……? と首をひねる勇者軍であったが、その理由はすぐにわかった。
50メートルはあろうかという川幅を、神人たちが上流から流した小舟の上をひらりひらりと伝い、あっという間に駆け抜ける。その常識はずれの動きが奇襲となって、勇者軍の一角が脆くも崩れ去った。そして神人たちは持てる神技の全てを駆使して、勇者軍の兵士をばったばったとなぎ倒していった。
身体能力で圧倒する神人たちに食いつかれてはもはやなすすべもない。勇者軍は乗り込んできた敵に向かって必死の応戦を行ったが、ただの鉛玉では効果を上げられず、銀の剣を抜刀した者は、見つけ次第集中して狙われた。彼らが本陣へと肉薄するのは時間の問題と思われた。
しかし、その時だった。そんな神人兵が目指していた後方の本陣から、山なりに何かが発射された。短い砲身からポンと打ち出された花火のような炸裂弾が、渡河してきた神人たちの頭上へ打ち上げられる。そして導火線によって着火した玉が頭の上で弾けると、降り注いできた何かによって、彼らの体にぶつぶつと穴が空き、そこからジュウジュウと音をたてて煙が上がったのである。
突然の出来事に戸惑う神人たち……その時、誰かの「銀だ!」という叫び声を聞いて、彼らは何をされたのかに気がつくと、あんなに颯爽と現れた神人たちは、泡を食って来た道を戻り始めた。あまりに慌てすぎたのか、中には小舟の上でバランスを崩し、無様に川に転落する神人もいた。
これがヴァルトシュタインの用意しておいた、対神人用の秘策であった。彼はアイザックとその部下に聞いた、追い詰められたピサロが放った最後っ屁から、これを着想したのだ。
神人は不老非死であり、ちょっとやそっとのことでは死にもしなければ怪我もしない。だが、だからこそ彼らは、自分たちの体が少しでも傷つくことをひどく恐れるのだ。
神人を撃退するには圧倒的な火力で叩きのめすのではなく、銀の散弾などで傷をつけて、もしかして死ぬかも知れないという恐怖を植え付けてやる方が効果的というわけである。自分の体に醜い穴が空いた彼らは、それを見ただけで戦意を喪失し、戦線離脱していくものが多かった。
この新兵器の登場が契機となり、今度は勇者軍の攻勢が始まった。彼らは神人が背中を見せたのを好機と見るや、高ランク冒険者を率いた指揮者スカーサハが、手薄な側面を突くべく下流の河川敷に姿を表した。
そうはさせじと帝国軍も水深の浅い渡河地点に殺到し、両軍が入り乱れる乱戦が始まった。
両軍は川の中ほどでぶつかり合い、水しぶきが上がり視界不良の中、剣と剣がぶつかり合う音だけが戦場にこだまする。
乱戦は当初、戦い慣れている冒険者たちが帝国の農兵を圧倒していたが、やがて神人兵がその農兵に紛れて参戦すると、また帝国軍が押し返し始めた。
本来、人間の間に入ることを厭う神人が、なりふり構わず農兵に混じって現れるなど想定外すぎて、思わぬ奇襲を食らった勇者軍の精鋭たちが崩れる。しかし、勇者軍もさるもの、スカーサハのバトルソングでそのステータス差を埋めると、高ランク冒険者たちは期待以上の働きをして、神人兵に肉薄した。
戦闘は一進一退の攻防が続き、どちらも決め手にかけるまま、長い時間だけが過ぎていった。膠着状態のまま時が過ぎ、やがて西の空が赤みがかってくると、両軍の司令官はお互い消耗を避けて、そろそろ引き際を探しはじめた。
このまま夜戦になったら、どちらが勝つかまるでわからない。ただの消耗戦を続けるよりは、今日は一時撤退し、明日に備えたほうがいいだろう。ヴァルトシュタインはそう判断し、頃合いを見計らって全軍に撤収の合図を送ろうとした時だった。
突如、戦場の南に広がる大森林から、数万羽を越える鳥の群れが一斉に飛び立った。上空を覆う鳥の群れで、一瞬、戦場に影が落ち、まるで突然夜がやってきたかのように暗くなった。夕方を迎えて寝床に向かう鳥の群れは珍しくもないが、ここまでの数となると流石に奇妙と言わざるを得ない。そもそも、鳥たちの帰るべき場所はその大森林のはずなのに、逆に飛び出してくるのはどういう了見か?
唖然とする両軍が、お互いに攻撃する手を止めて、異常を示す大森林へと目を向ける。
すると鳥たちが飛び出してきた木々の向こう側から、何か地響きのような音が、ゴゴゴゴゴ……と音を立てて近づいてきて……その音がどんどん大きくなっていったかと思うと、今度は押し寄せる山津波のように、森の木々が次々と風も吹いていないのに倒れはじめたのである。
本来、木がそんなおかしな倒れ方をするはずがなく、両軍が互いに相手の新兵器を疑って警戒していると、そのなぎ倒された木々の間から、今度は次々と蠢く巨大な影が飛び出してきた。
ゴオーンゴオーンと腹の底から震えるような地響きを立てて、森から巨大なオークの集団が現れた。それはなぎ倒された木々の間から平原へと飛び出し、まるで浸透する水のように半円状に広がっていった。
獲物を求め、血眼になったオークの群れが迫りくる。しかし、たった今まで人間同士の争いをしていた両軍は何が起きているのか理解が及ばず、まるで他人事のように、ぼんやりとそれを見守ることしか出来ずにいた。