ラストスタリオン   作:水月一人

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崩壊

 最前線ではジャンヌ、マニ、サムソンによるオークキングへの波状攻撃が続いていた。しかし、人知を超えた彼らの力をもってしても、オークキングにはほとんど傷を負わせることが出来ず、攻防はひたすら巨人を翻弄し動けなくすることに終止していた。

 

 鳳はそんな状況を打開すべく、距離を保ちながら何か決め手はないかと探り続けていた。だが、そんな彼の背後にジャバウォックとの戦いを終えて勢いに乗ったオークの群れが迫っていた。

 

「スタンクラウド!!」

 

 鳳は駆けつけたメアリーと共にオークの群れを食い止めるが、いかんせん数が多すぎて話にならなかった。二人は次々と迫りくるオークを連続で眠らせ続けたが、後から後から湧いてくる魔族を前に、MPが尽きるのは時間の問題だった。

 

 このままではオークキングと戦うどころではなく全滅もあり得る。最悪の場合、ディスインテグレーションなどの大魔法をぶっ放し、戦線を離脱するということも可能だろうが、そのためには最低限のMPを残しておかなければならない。回復手段はあるが、即効性のものはなく、おまけについ最近廃人になりかけたばかりだ。出来ればこのまま使わず済ませたい……

 

 かくなる上は格闘戦を仕掛けるか? エンチャントを掛けて戦えば、ステータス的に鳳もそこそこやれる。しかし神技を使えばMPを消費し、これだけの数を相手に神技なしではとても戦えないというジレンマがあった。

 

 鳳もメアリーも、打開策が見つからずにどんどん消耗していく。これはもう、諦めて一時撤退しようかと弱気になったその時だった。

 

 突然、目の前に迫ってくるオークの頭が、バシュッと音を立てて吹き飛んだ。青い血液が飛び散り、脳髄がぶちまけられる。鳳は神技を使ってない。もしかしてメアリーか? と思いきや、そんな彼女も目を丸くして驚いている。オークは一体だけではなく次々と頭を吹き飛ばされて死んでいった。

 

 何が起きているのか分からず身構えていると、遥か遠くの勇者軍の陣地の方から、オークの頭が吹き飛ぶのと連動して、銃声が鳴り響いていることに気がついた。勇者軍の陣地はここから数百メートルはあったが、鳳は間違いなくそこからの援護だと確信した。というか、こんなことが出来るのはギヨームしかいない。

 

「勇者を援護します! 私に続きなさいっ!!」

 

 するとオークの群れの向こう側から凛とした声が聞こえてきて、馬に乗ったスカーサハが精鋭部隊を率いて駆けつけてきた。高ランク冒険者を主体としたその部隊は、ほぼ人間だけで構成されているというのに、強力なオークを前にしても一歩も引けを取らなかった。これでもまだ、スカーサハのバトルソングがかかっていないのだ。

 

 そんなスカーサハは、部隊にバフをかける前に、遠巻きにぼーっとこちらの様子を眺めている帝国軍を一瞥すると、悠々と馬を歩かせ彼らに向かってよく通る澄んだ声で語りかけた。

 

「私は勇者軍大将スカーサハ! これより魔族を討伐します! 帝国軍の者に告げる! そこでただ見ているだけなら逃げなさい! もしも勇気があるものが残っているなら続きなさい! 共に勇者と戦う栄誉を授かりましょう!」

 

 スカーサハの呼びかけに応じて、一時は共同戦線を張っていた帝国軍の神人がまた動き出した。それを見て一般兵たちも負けじと武器を取り続々と集まってくる。間もなく、強力な部隊の参戦によって、鳳たちを取り巻いていたオークの群れは押し返され始めた。

 

「助かりました、スカーサハさん!」

「いえ、勇者。ここは任せて行って下さい!」

 

 ジリ貧まで追い詰められていた鳳は彼女に感謝を述べると、オークキングと戦っている三人の元へと駆けていった。

 

 一方……ジャンヌはオークキングを前に焦っていた。最近変えたばかりの戦闘スタイルが、ここに来て足を引っ張っていたのだ。

 

 戦いは当初、手数に勝るジャンヌとマニが優位に進めていた。オークキングはチョロチョロと動き回るマニに翻弄され、そしてジャンヌの針を通すような正確な攻撃に、何度もその鋼鉄のように厚い皮膚を貫かれ悲鳴を上げた。

 

 しかし、彼女の針を通すような攻撃とは、巨大なオークキングにとっては文字通り針を突き刺す程度の攻撃に過ぎなかったのだ。やがてマニもジャンヌも自分に痛打を浴びせられないことに気がつくと、オークキングは二人の攻撃を大したものではないと割り切ってパワー押しをし始めた。

 

 普通、人間は自分に向かって何かが飛んできたら、自然と払いのける動作をする。だからフェイントが有効なのだが、一度それが攻撃ではないと割り切ってしまったオークキングは何をやっても動じず、フェイントを多用するマニの戦い方は逆にカウンターの餌食になった。

 

 『朧』による空中ジャンプを駆使して裏に回り込もうとするマニに対し、図体の割にすばしこいオークキングの攻撃が迫る。

 

「ぎゃっ!!!」

 

 それまで確実に通っていたパターンを崩され、オークキングの攻撃の直撃を受けた彼は吹っ飛び、地面を何度もバウンドしてから砂煙を上げて止まった。真っ赤な血がドクドクと流れて、彼の白い毛を染めていく。

 

「マニ君! ……紫電一閃っ!!」

 

 地面に横たわるマニに追撃をかけようとするオークキング。それを阻もうとして、ジャンヌは神技を使って魔族の前に躍り出た。

 

 しかし、それは明らかに判断ミスだった。今のジャンヌに、その攻撃を真正面から受けられるだけの力は無い。彼女はこの咄嗟の場面で、『彼』だったころの戦闘スタイルを出してしまったのだ。

 

 ジャンヌはオークキングの冗談みたいに大きな拳が目前に迫った時にようやく気がついた。剣を構える自分の腕が、異様に細く華奢なことに。彼女はしまったと思ったが、その時にはもう後の祭りだった。

 

 ゴンッ……と、まるでコンクリに鉄球でも叩きつけてるような、通常ではあり得ない音がした。メキメキと体の中から音がして、その瞬間にはもう、体のあちこちがおかしな方向に折れ曲がっていた。なのに他人事みたい痛みを感じない。真っ先に感じたのは、空っぽになった肺が空気を求める息苦しさだった。

 

「きゃああああーーーーーっっ!!」

 

 ひゅーひゅーと喉の音が鳴って酸欠の脳に酸素が送られた瞬間、自分のものとは思えないような強烈な悲鳴と、信じられない激痛が体中を駆け巡った。ジャンヌは一瞬、意識を持っていかれそうになったが、辛うじて堪えて顔を上げた。

 

 体のあちこちからジュウジュウと音を立てて湯気が上がっている。どうやら神人の超回復が始まっているようだった。ここまでボコボコにされたのは始めてだったが、ここまでやられてもまだこの体は回復しようとするのかと、死んだほうがマシだと思える痛みの中で、彼女は我が事ながら呆れていた。

 

 しかし、彼女の体がいくら自分を癒そうとしたところで、オークキングがそれを待ってくれるわけがない。間もなく追撃の魔の手が彼女に向けられた。巨人はその巨大な拳を振り上げて、はんこを押すような気安さでジャンヌを叩き潰そうとした。彼女は咄嗟に避けようとしたが、しかし体に力が入らない。

 

 万事休す……このまま攻撃を食らい続けたら、いくら高HPの神人の体だって持たないだろう。最悪、死んでも鳳がいれば生き返らせて貰えるから、それもありかも知れないが……

 

 そして彼女が諦めようとした時だった。

 

「うおおおおおおおおーーーーーーっっ!! 爆・裂・拳っっっ!!!」

 

 ドッパーンッ!! と、相撲の立会いみたいな肉と肉がぶつかり合うような音がして、迫りくるオークキングの拳が弾き返されていた。みればサムソンがジャンヌを庇うように立ちふさがり、オークキングの拳に立ち向かっていた。

 

 横槍をいれられてバランスを崩した巨人は一瞬だけ虚を突かれたように立ち止まったが、すぐに攻撃する相手を変えると、今度はサムソンにその矛先を向けた。

 

「うおおおぉぉーーーっっ!! 爆・裂・拳っっ! 岩・砕・拳っっ!! 旋・風・脚っっ!!! おらあああぁぁぁーーーっっ!!!!」

 

 ドカッ! ドカッ! ドカッ! 次々に打ち下ろされる巨大な拳を、サムソンはおのれの膂力だけで弾き返していた。何か強そうな技名を叫んでいるが、ただの人間である彼に神技が使えるはずもなく、それはただの掛け声だけのパンチやキックに過ぎなかった。

 

 だが、サムソンは人間の身でありながら、その人類最強とも呼べるSTR20の力で、凶悪なオークキングの攻撃に真っ向から対抗していたのである。

 

「くぅぅーーーっっ……ジャンヌっ!! 逃げろーっっ!!」

 

 しかし、そんな無茶がいつまでも通じるわけがなかった。二度、三度と阻まれる度に、拳に込める力を強めていくオークキングに対し、受けるサムソンの方は一撃ごとに確実に傷ついていた。やがて、彼が押し返す力が弱くなり、それと同時にオークキングの追撃の間隔が早まっていく。

 

 このままじゃ持たない。だから早く逃げろというサムソンが叫ぶ。

 

「なんで……守られているの? この、私が……」

 

 だが、ジャンヌはその場で身じろぎ一つせずに固まって、呆然と独り言を呟いていた。

 

「ぬわーーーーーっっ!!」

 

 ついに巨人の激しい攻撃に抗しきれなくなったサムソンが、オークキングのパンチで吹き飛んでいく。彼はズザーッと地面を滑るように転がると、血塗れでブラブラとしている肩を押さえながら、未だに動こうとしないジャンヌに向かって叫んだ。

 

「ジャンヌーーっっ!!」

 

 しかし、ジャンヌは未だ呆然として反応しない。そんな彼女に向けて、差し出されたデザートでも手に取るかのように、オークキングが手をのばす。しかし、それを手にするより先に、巨大な魔族は突然悲鳴を上げて天を仰いだ。

 

「不知火っっ!!」

 

 見れば、復活したマニがオークキングの足元に潜り込んで何かをしていた。足の付け根と言うか、股間に何か鉄球のようなものを打ち込んで、男の急所を思いっきり攻撃したのである。

 

 こんな巨大生物の雌雄など判別もつかないし、人間と同じところに急所があるとは限らなかったが、どうやら賭けに勝ったらしい。猛烈な痛みにのたうち回るオークキングだったが、しかし、痛みが薄れてくると、今度は怒りにまかせてマニだけを攻撃し始めた。

 

 ドスンドスンと足踏みをし、その長い腕をメチャクチャに振り回す。普段のマニであったら、そんな冷静さを攻撃は寧ろ有り難いくらいだったが、巨人の攻撃から回復したばかりの彼の動きは鈍く、紙一重で避けるのが精一杯だった。

 

 このままでは、今度こそマニが殺されてしまう。この期に及んでようやく我に返ったジャンヌは、なんとか加勢しようと体を持ち上げようとしたが、神人の超回復を持ってしてもまだ全快には程遠く、よろよろとよろけながら立ち上がるのが精一杯だった。

 

 このままじゃ全滅だ……あの時、うっかり敵の前で無防備を晒すなんてミスさえしなければ……自分のせいだ。だからなんとかしなければならないのだが……ジャンヌはどうしていいかわからなかった。

 

 だが、その時だった。

 

「気にすんな、よくやった、殊勲賞だ」

 

 スッと彼女の横をすり抜けて、誰かが高速で駆け抜けていった。まるで弾丸のように素早いその姿を目で追うことは困難だったが、それでもそれが誰であるかは、不思議とその場にいる誰もが直感的に理解していた。

 

*********************************

 

 ギヨームと駆けつけたスカーサハ達の援護を受けて、ようやくオークの群れから解放された鳳とメアリーは、いよいよ仲間の救援に向かうべくオークキングのいる戦場を振り返った。

 

 なにしろ相手はあの信じられないような巨体である。いくら残った3人が地上最強であろうとも、いつまでもそんな少人数ではもたないだろう。あのジャンヌでさえ、傷を負わせるのがやっとのような化け物なのだ。魔法の援護が必要だ。

 

 彼は焦りながら仲間の元へと走った。しかし、そんな彼が駆けつけた時にはもう、仲間たちは壊滅状態に陥っていたのである。

 

 オークキングの攻撃を受けたジャンヌが傷つき倒れている。そのジャンヌを守ろうとして、サムソンが信じられない粘りを見せたが、間もなく攻撃に耐えきれなくて吹っ飛んでいった。辛うじて、復活したマニがオークキングの注意をひきつけていたが、このまま何もしなければ、彼が殺されるのは時間の問題だろう。

 

 一歩遅かったか……鳳は舌打ちした。オーク退治に時間をかけすぎ、残してきた仲間のフォローがおろそかになっていた。信用していたといえば聞こえが良いが、ただの怠慢の判断ミスだ。これだけのメンバーが揃えば、例え相手が魔王であっても負けはしないと、戦ったこともない相手に慢心しすぎたのだ。

 

 自分の判断ミスで、仲間が殺されるかも知れない……鳳は背筋が凍る思いがした。

 

「どうするの?」

 

 鳳が苛立ち爪を噛んでいると、並んで走っていたメアリーが不安そうに見上げていた。彼はその瞳を見て首を振ると、頭のスイッチを切り替えた。

 

 後悔するのは後回しだ。今はとにかくこの状況を脱しなければならない。マニはもって数分、サムソンは満身創痍でもう動けないだろう。ジャンヌは立ち上がってはいるが、回復が追いついておらず、戦えるようになるまではまだ時間が掛かるはずだ……なんだ、軽く詰んでるじゃないか。彼は目眩がするのを気合で払い除けた。

 

 かくなる上は三十六計逃げるに如かずだが、いま鳳たちが退いたら、残った帝国・勇者両軍はどうなってしまうだろうか。彼らは、他ならぬ鳳たちを助けようとして、必死に戦っているのだ。それを見捨てて逃げるなんて出来ない。

 

 こんなことになるなら、最初から接近戦など挑まずに、どこかに誘導するように戦えばよかったのだ……そうすれば、鳳の大魔法を使って一発逆転も出来たかも知れない。こんな乱戦でそんなものを使ってしまったら、どれだけ味方を巻き込むかわかったものじゃない。

 

 だが逆に考えれば、オークキングがマニに気を取られている今なら、命中精度の低いメテオストライクだって当てられるかも知れない。ディスインテグレーションなら確実だ……仲間を犠牲にする覚悟があるのなら……

 

「ざけんなっ!!!」

 

 仲間を犠牲にするだと? ふざけるな。そんな選択を選ぶくらいなら、彼は間違いなくもう一つの方を選ぶだろう。

 

 鳳が突然大声を上げ、メアリーはビクッと肩を震わした。彼はキョトンとしている彼女に言った。

 

「メアリー、俺が合図したらライトニングボルトを撃て。俺やマニを巻き込むかも知れないが、そんなこともう考えるな!」

「え? でも……」

「たとえ直撃しても、一発くらいなら俺たちは死なない。これが最善だ。信じろ!」

「わ、わかったわ」

 

 鳳はメアリーが頷くのを見てから、彼は残っていたMPポーションを全部口に放り込んだ。そんなことをしたらオーバードーズするのは確実だったが、どうせ死ぬかも知れないのだ、あとのことなど知ったこっちゃなかった。

 

 彼は『プロテクション』と唱えると、残りのMPを確認すべく自分のステータスを開き、そして残っていたボーナスポイントを全部STRに突っ込んだ。これから行おうとしていることへの保険と、さっきサムソンがオークキングの攻撃を凌いでいたのを見て思いついたことの応用だった。パワーさえあれば、あれと殴り合えるのだ。

 

 そしてパワーがあれば素早さも上がる。彼は地面に突き刺さっていた、誰かが落とした鉄の剣を掴むと、左手にケーリュケイオン、右手に鉄の剣を構えて駆け出した。

 

 地を蹴る足がいつもより軽い。まるで月面でも走っているかのようだった。油断すると空中に躍り上がってしまいそうだから身を低くして、風を切るように彼は駆け抜けた。途中、ジャンヌの横を通り過ぎる時、彼女と一瞬だけ目が合った。彼はそんな彼女に殊勲賞だと呟いてから、一直線にオークキング目掛けて突貫した。

 

 未だマニに気を取られて鳳の接近に気づかないオークキングは、よく見れば体のあちこちからピューピューと、まるで噴水みたいに青い血を噴き出していた。それはジャンヌがつけた無数の傷跡だった。文字通り、針の穴を通したような軽いキズではあったが、ともあれ、穴が空いていることには違いない。

 

 弾丸みたいな速度にまで加速した鳳は、オークキングの前まで達すると、ケーリュケイオンを投げ捨て、開いた両手で腰だめに剣を構え、その傷痕目掛けて突っ込んだ。

 

 ズンッ! とした衝撃が全身に走って、鳳の手にした剣がオークキングの体内に深々と突き刺さった。突然、死角から突っ込んできた何者かに一撃を食らったオークキングが悲鳴を上げる。

 

 幅広の剣を体内深く埋め込まれたオークキングに、この日一番のダメージが入ったことは間違いなかった。だが、もちろん本命はこれじゃない。鳳は鉄の剣が突き刺さっていることを確認すると、メアリーに向かって合図を送った。

 

「メアリーッ! うてえええぇぇーーーーっっ!!!」

「ライトニングボルト!」

 

 彼女の叫びとほぼ同時に、上空の雲から稲光が走った。それは葉脈のような線を描き、まっすぐにオークキングへと落ちていった。

 

 瞬間、鳳の目の前でバチン! と光が爆ぜて、ものすごい衝撃音とともに、彼は一瞬意識を持っていかれた。

 

 地面に弾き飛ばされ、ゴロゴロと転がりながらも、彼はここで気絶するわけにはいかないと歯を食いしばり、必死になって立ち上がる。殆ど賭けに近かったが、物理軽減の魔法が効いている分、鳳のほうが立ち上がるのが早かった。受け身に失敗して肩に激痛が走ったが、外れた肩を自分で無理やりはめ込むと、彼は落ちていたケーリュケイオンを拾い上げ、体を預けるようにしながら落雷の元へと走った。

 

 辺りには肉の焼ける香ばしい匂いが立ち込めていた。落雷を受けたオークキングに突き刺さった剣が、真っ赤に灼熱しているのが見える。落雷はその剣に向かって落ち、魔族の体内を一瞬で焼いたのだ。と同時に、体中に電流が駆け回って、流石の巨大生物も意識を保っていられなかったようである。

 

 だが、これで倒せるのであれば苦労はない。落雷を受けて倒れたオークキングの体はまだ呼吸でかすかに動いていた。鳳はそれを確認すると、覚悟を決めてその巨体に潜り込むように体を屈めて叫んだ。

 

「レビテーション!」

 

 詠唱を受けて魔法が発動するや否や、まるで台風みたいなものすごい風が起きて、砂塵が舞った。落雷の衝撃を受けて気絶していたマニが吹き飛んでいく。鳳は彼に悪いことをしたと心の中で謝罪しつつ、オークキングの体を持ち上げることに集中した。

 

 全長20メートル弱、体重は何百トンあるかわからないようなその巨体を持ち上げるために、ものすごい風圧が地面にある何もかもを吹き飛ばした。遠く離れていたジャンヌとサムソンの二人もゴロゴロと転がっていくのが見える。

 

 まるでロケットの発射場のように粉塵が舞って、辺りを真っ白に染めていく。その中央では、本当にロケットのように、ゆっくりと加速しながら、オークキングの巨体が空へと上がっていった。

 

 突然、戦場に粉塵が舞い、警戒していたスカーサハたち精鋭部隊は、その砂煙の中から巨大なオークキングが浮かび上がってきて度肝を抜かれた。一瞬、魔王の人知を超えた攻撃かとどよめいた彼らだったが、すぐその下に勇者の姿を認めてそれは歓声に変わった。

 

 そんな歓声をよそに、鳳は自分のステータスを見ながら冷や汗をかいていた。レビテーションの魔法自体はそれほどMPを消費しないはずなのだが、流石にこの巨体を持ち上げているせいか、思ったよりもMPの減りが早いのだ。

 

 このままじゃ目的を達する前にMPが尽きてしまう。そう思って、彼が焦りを感じていた時だった。突然、彼の頭の上に持ち上げられていたオークキングが意識を取り戻し、バタバタと暴れだしたのだ。それは自分の体が浮かんでいることに驚いて、化け物のくせに恐怖しているようだった。

 

 レビテーションは風圧を利用して無理やり対象を浮かべる魔法である。だからそんな風に暴れられては浮力を失ってしまう。間もなく、オークキングの体が傾いて、上昇速度が落ちてきた。このままでは逆に落下に変わるのは時間の問題だ。

 

 いっそ、地面に叩きつけてやればと思いもしたが、現在高度はまだ30メートルかそこらで、この巨体に致命傷を与えられるとは思えなかった。

 

 鳳は頭上で暴れるオークキングに苦戦し、仕方ないと諦めようとしたその時だった。

 

 不意に、持ち上げている対象の重量が軽くなったように感じた彼が、驚いてその体の反対側を見た。するとそこには鳳と同じようにレビテーションの魔法をかけて、空へ昇ろうとしているメアリーの姿があった。

 

「メアリー! ここはいいから、急いで離れろ! 巻き込んでしまう!!」

 

 それを見て鳳が叫ぶも、彼女は首を振って、

 

「やろうとしてることは分かってるわ! でもこのままじゃ失敗しちゃう。私はいいから、やっちゃって!!」

 

 鳳が驚いて目を丸くしていると、彼女はふいに柔らかい表情を見せ、

 

「ツクモなら、ジャンヌみたいに私のことを生き返らせることも出来るでしょう?」

「リザレクションのことか? でもそれは賭けだ! 俺だって、ちゃんと生き返れるかどうかわからないんだし」

「なら、尚更じゃない。ツクモがやられたら、もうこの化け物を倒せる人はいないわ。どうせ死ぬなら、私はみんなと一緒がいいわ」

 

 彼女の悲壮な決意に絶句する。確かに、鳳がこれからやろうとしていることの後で、彼が生き残っている保証はない。なのに、この化け物の方が生き残っていたら、残ったメアリーたちがこれを倒しきれるとは思えなかった。

 

 だと言うのに、彼女だけ生き残れというのだろうか。このまま一緒に死んだほうがマシなんじゃないか……実際、彼女がいなければ作戦自体が失敗する恐れがある。鳳は判断に迷った。

 

 だがその時、彼は視界の片隅に何かを捕らえた。そこだけ騙し絵のように浮き上がって見える何かに彼が目を向けると、するとそこには馴染み深い日本語の文字列が並んでいた。

 

『始まりにして終わり。アルファにしてオメガ。死者は蘇り、生者には死の安らぎを与えん』

 

 ケーリュケイオンに刻まれた文字列だった。実際のそれはただの記号で、本当ならその内容は誰にも読み取れないはずだった。だが、何故か鳳にだけはその文字が読めた。尤も、読めたところで、その内容はやっぱり分からなかったのであるが……

 

 だが、その使い方だけは、もはや自分の体に染み付いている。だから彼はその文字列を見た時に、それを思いついたのだ。

 

 鳳とメアリーは会話を交わしながらも、化け物を持ち上げて上空へと昇り続けていた。その高度はいよいよ100メートルに達しており、ここまで来たらこのまま化け物を落下させても、それなりの戦果は見込めると思えた。

 

 だが彼はもはや迷いはせず、更にオークキングを上空へと持ち上げると、

 

「わかった、メアリー。そのままこいつを上げることに集中してくれ」

「わかったわ」

 

 鳳はそう言うと、十分な高度を稼いでからこっそり彼女に近寄っていった。

 

 メアリーは一生懸命にバランスを取りながら、暴れるオークキングを持ち上げることに集中していた。そんな彼女のすぐ隣に、いつの間にか鳳が近寄っていた。彼女がその気配に気がつき目を向けると、すると彼は何故か彼女に向かってその杖を構えており、

 

「ケーリュケイオン!」

 

 二匹の蛇が絡みついた杖の先から、ふわりと光の羽が生える。一体、何をしているんだろう? メアリーがぽかんとしていると、突然、彼女はその杖に吸い込まれるような錯覚を覚え……そしてそのまま意識を失った。

 

 ケーリュケイオンがメアリーの体を吸い込んでいく。彼はそれを確認すると、彼女を吸い込んだ杖を思い切り遠くへぶん投げた。

 

 これは賭けだ。等価交換の杖なら、中に吸い込んだ彼女を、また元通りに戻せるかも知れない。もちろん、そんな保証はどこにもないし、鳳がいなければ彼女を取り出すことも出来ない。だが、これからやることに付き合わせるよりは、こうした方がまだ彼女が助かる可能性が高かった。

 

 メアリーを失ったことで、頭上で暴れている化け物の浮力がガクッと落ちた。鳳一人ではもはや支えきれず、それはすぐに落下を始めた。

 

 鳳の腕からようやく解放されたオークキングは、すれ違いざまに信じられないものを見るような目つきで鳳のことを見ていた。自分から望んでそうなったくせに、まるで助けろと言っているようだった。

 

 鳳はそれを見て、人間みたいな奴だなと思った。もしかすると本当に、これもリュカオンのような人間の成れの果てなのかも知れないと。

 

 ともあれ、このまま放っておいてもそれは落下の衝撃で死ぬかも知れないが、確実とは言えなかった。それじゃ何のためにこんな空の上まで昇ってきたのかわからない。

 

 やることは一つしかない。鳳は化け物を指差すと、

 

「我、鳳白の名において命じる。そのデカブツを塵一つ残さず燃やし尽くせ、ディスインテグレーション!!」

 

 その瞬間、彼の視界は白く染まり……間もなく、彼は数万度に達する高温に焼かれて消滅した。

 


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