ラストスタリオン   作:水月一人

168 / 384
蠱毒

 西の空に真っ赤な太陽が沈もうとしていた。東の空はもう真っ暗で、星が輝き、夜を迎えようとしていた。なのに中天の明るさときたら、まるで2つ目の太陽がそこに誕生したかのようだった。

 

 暫くするとその輝きは徐々に失われていき、空はまた元通りの紫色に戻った。上空からパラパラと雨が降ってきて戦場に降り注いだ。冷たかった。

 

 ポツンポツンと叩きつけるような雨音が、地面を黒く覆っていく。空からは雨滴以外に何も落ちてくるものはなく、あの巨大な化け物の肉片の一欠片も、そして鳳もメアリーも、いつまで経っても降りてくることはなかった。

 

 突然、それまで大暴れしていたオークの群れが、まるで人間たちに怯えるみたいに森へ帰って行った。彼らの王が倒されたことで劣勢を悟り、狩るものと狩られるものの立場が逆転したかのようだった。

 

 勇者軍と帝国軍の兵士たちが追撃を開始し、無抵抗のオークを相当排除することに成功したが、森に逃げ込んだオークはかなりの数があり、これらを全て駆逐するには、まだまだ時間がかかりそうであった。それは獣人たちに残された試練になりそうだが、果たして彼らだけで上手く片付けられるだろうか。

 

 その獣人の王であるガルガンチュアことマニは、雷のショックから立ち直ると、フラフラしながら体を起こした。彼がさっきまでオークキングと戦っていた地面はボコボコに穴が開いており、そこで激しい戦闘があったことを窺わせた。

 

 殆どの攻撃が通用しなかった。目くらましでどうにか凌いでいたが、あれだけの戦いで命を落とさずに生き残れたのは、運が良かっただけだろう。彼はギリギリと奥歯を噛み締めた。

 

 ふと見れば、ボコボコに抉れた地面の中央に一本の杖が突き刺さっていた。二匹の蛇が絡み合う意匠が施されたそれは、鳳の使っていたケーリュケイオンで間違いなかった。上空からここまで落ちてきたのだろうか。もしかしてその近辺に、鳳も倒れていないかという淡い期待を抱いて近寄っていくと、反対側からジャンヌが血相を変えて駆け寄ってきて、その杖にすがりつくようにして泣いた。

 

「いやああああーーーっっ! 白ちゃん! 白ちゃん!」

 

 それまで上手く行っていた連携が崩れたのは、彼女がミスを犯したせいであると責任を感じているのだろう。滂沱の涙を流し嘆く彼女の姿は痛々しかった。

 

「ジャンヌ……」

「触らないでよっ!!」

 

 サムソンが、そんな彼女を慰めようと近寄っていったが、彼女は荒々しくそれを拒んだ。目は真っ赤に充血し、親の仇を見るような目つきで見られて、満身創痍であった彼は心の底まで冷える思いがした。今はそっとしておいた方が良い。周囲の視線がそう告げているようだった。

 

 ジャンヌの、おいおいと泣き叫ぶ声が、まるで祭りの後みたいに戦場にこだまする。しかし彼女がどんなに泣いた所で、探し人は決して見つかることはなかった。

 

 と、そんな彼女の元へツカツカと、小さな人影が歩み寄っていった。後方で援護射撃を続けていたギヨームだった。彼は泣いているジャンヌの背後で立ち止まると、ガツンと思いっきり拳を振り下ろし、

 

「馬鹿野郎! 勝手に殺してんじゃねえ。あれがそう簡単に死ぬ玉かよっ!」

「で、でも……」

 

 強烈な痛みが走り、頭の中でゴーンゴーンと音がした。ジャンヌが泣きはらした目で振り返ると、同じく、後方で兵士たちの援護をしていたルーシーが近づいてきて、

 

「そ、そうだよ、ジャンヌさん。鳳くんならそのうちひょっこり帰ってくるよ。それよりも、一緒に昇っていっちゃったメアリーちゃんの方が気になるけど……神人だし、鳳くんが生き返らせてくれるんだよね?」

 

 ジャンヌはハッと表情をこわばらせた。鳳のことばかり気にして、あまりにも周りが見えていなかった。確かに二人の言う通り、これまで何度死にかけても戻ってきた鳳と比べて、メアリーの方はそんな保証もない。なのに彼女のことはまるで思い出しもせずに、自分はなんて薄情なんだろうとジャンヌはショックを受けた。

 

 しかし、そんな二人の不安をどこ吹く風で、ギヨームがぶっきら棒に言った。

 

「大丈夫だろ。あれが仲間を巻き込んで自爆するとは思えない。多分、最後まで足掻いたはずだ。案外、そのお陰で二人とも今もどこかで生き残っているかも知れないぜ」

「そ、そうだね……きっとそうだよ!」

 

 ギヨームとルーシーが笑い、ジャンヌもどことなく落ち着きを取り戻したようだった。サムソンはそんな三人を遠巻きにしながら、この状況でまだリーダーのことを信じられる彼らの絆の強さを羨ましく思った。彼がどんなにジャンヌのことを想っても、この中に入っていくのは相当骨が折れそうだ。

 

 そんな具合に行方不明になった鳳とメアリーのことを心配していると、遠くの勇者軍本陣の方から大勢の声が聞こえてきた。何が起きたんだろうかと目を凝らせば、どうやらフェニックスの街へ向かった冒険者達が、アイザック率いる後方支援部隊を引き連れて戦場に駆けつけたようだった。

 

 彼らは進軍中にオークと戦う友軍を見つけ、行軍速度を早めたようだが、どうやら到着する前に戦闘が終わってしまったようだった。その途中、巨大な化け物(オークキング)が空を飛んでいくのを見かけて度肝を抜かれたのだが、あれは何だったのだと大騒ぎしている。

 

 援軍が駆けつけたのを見て帝国兵が動揺し始めたが、最前線にいたスカーサハがそれに気づき、停戦を呼びかけることで事なきを得た。流石に、たった今まで一緒に戦っていた相手と、このまま戦争を続ける気にはなれなかった。

 

 敵将に語りかけ、取り敢えず、両軍入り乱れているこの状況では話し合いも出来ないから、一旦、それぞれの陣営に兵を引こうと言うことで話がまとまると、スカーサハとヴァルトシュタインはそれぞれ部下に命じて、兵士を川の向こう側に撤退させるように指示した。

 

 ところが、勇者軍が二人の号令により粛々と撤退をするのに対し、帝国軍の方はどうも動きが鈍い。それもそのはず、彼らを指揮するはずの総司令官オルフェウス卿カリギュラは、今や体の半分が異形と化した化け物となっていた。帝国将兵たちは、これをどう扱っていいか分からず、遠巻きにするだけで何も出来なかったのだ。

 

 ヴァルトシュタインはそれに気がつくと、昔とった杵柄と言うべきか、駆け寄っていって見知りの元部下たちに、ここは任せてとにかく今は兵を引けと命じた。敵味方に別れた今となっては彼の命令に従う義務はなかったが、彼らもこの状況では埒が明かないと感じたのか、少しの逡巡のあとに兵を引き上げていった。

 

 ヴァルトシュタインはそれを見送ってから、ゆっくりと自分の愛馬の手綱を握り、未だ戦場のど真ん中で倒れているカリギュラの元へと近づいていった。

 

「よう。おまえは一体……なんだったんだ」

「あなたも知っての通り、一人の神人である、オルフェウス卿カリギュラですよ」

「……今更はぐらかして何になるんだ。あの化け物は、おまえだったんだろう?」

 

 彼が異形の怪物を見下ろしながら返事を待っていると、それを見ていたジャンヌやギヨームたちもやってきた。カリギュラは体を起こそうとして、異形と化した半身をなんとか動かそうとしたが、プルプルと震えるだけで体は言うことを聞かず、やがて彼は諦めると、ただ真上だけを真っ直ぐ見つめながら、息も絶え絶え自分の過去を話し始めた。

 

**********************************

 

 300年前。オルフェウス卿アマデウスが行方不明になって以降、オルフェウス領は領主のいない状態が続いていた。そのため、オルフェウス領は帝国内でも発言力が乏しく、殆ど他国の言いなりだった。

 

 実のところ、ヘルメス領と国境を接し、南に大森林の驚異を抱えているオルフェウス領には勇者派が多く、勇者戦争に関してあまり乗り気ではなかったのだ。しかし、発言力が乏しいがゆえに面倒事を押し付けられて、なし崩しにだらだらと戦争が続いていた。

 

 オルフェウスに住む、とある神人は、このままでは国土が疲弊するばかりだと憂い、ある日、捜索隊を募ってネウロイへと向かった。

 

 オルフェウスに領主がいないのは、とにもかくにも、アマデウスの死が確認されていないからだ。人間である彼が今も生きているとは到底思えなかったが、中にはレオナルドのような例外もいる。そのため、オルフェウス卿は空位のまま放置されていたわけだが、捜索隊が遺品でも持ち帰れば状況も変わるだろう。そう思い、彼らは一縷の望みをかけて決死行へと赴いたのだ。

 

 しかし前人未到のネウロイの地は神人であっても過酷な環境であった。一人また一人と脱落者が続き、ついに捜索隊は散り散りとなってしまう。

 

 後にカリギュラとなる神人は仲間と逸れたあとも使命を果たそうとして、魔族の群れの中で孤軍奮闘し続けていたが、いかんせん多勢に無勢の感は否めなかった。特に、神人といえども食事を取らずに動き続けることは不可能であり、彼は食料の乏しいネウロイの地で空腹を紛らわすために、木の皮をかじり泥水を啜った。だが、そんな状況でいつまでも体が持つはずもなく、やがて諦めた彼は自分が倒した魔族を食らうことで生きながらえる道を選んだのであった。

 

 しかし、これがマズかった。

 

 魔族は神人すらも侵すウイルスを宿しており、彼は魔族を食べることによってそれを取り込んでしまったのだ。やがてウイルスは脳に達し、彼はどんどんおかしくなり……

 

 そしてついに意識を失ってしまう……

 

 紀元前八世紀、ロムルスが国を興して以来、ローマは長い共和制の時代を続けていた。その状況に変化が起きたのは、カエサルがルビコン川を渡ったからだ。カエサルは親友ブルータスの裏切りによって命を落としてしまうが、養子であるオクタビアヌスが後を継ぎ、彼は初代皇帝アウグストゥスに就任、こうしてローマ帝国が誕生する。

 

 尊厳者(アウグストゥス)の名が示す通り、彼の治世は多くの人々の支持を受け、ローマ帝国は大いに繁栄した。誰もが彼の帝位を疑うこともなく、その平和は永遠に続くものと思われた。しかし、彼が選んだ後継者がまずかった。

 

 二代皇帝ティベリウスは就任当初こそ優れた手腕を発揮したが、優秀である故に他人を全く信用しておらず、国民を無視した改革を推し進め、やがて支持を失っていった。そしてこれも人の世の常か、権力を手放したくない彼は、間もなく自分に都合の悪い人間の粛清を始めてしまう。

 

 方々から恨みを買った彼は、やがて嫁や側近からも裏切られ、ますます疑心暗鬼を強めてしまい、晩年にかけて恐怖政治を敷いて、帝国は絶望のどん底に叩き落された。

 

 そんな経緯もあり、彼の後継者に選ばれたカリギュラには誰もが期待していた。ティベリウス時代があまりにも酷かったから、これ以上酷くはならないとの思いからだった。ティベリウスの指名した後継者という不安はあったが、皇帝になる前の彼は好青年で仲間が多く、何よりも優秀だったから、誰も心配していなかった。

 

 カリギュラ自身も就任当初、前任者の悪政を正そうという使命に燃え、非常に優れた手腕を見せた。こうして帝国はまた繁栄の道に戻るかに思えたのだが……しかしそんな矢先に、彼は病に倒れてしまう。

 

「まだ皇帝に就任して一年にも満たない頃でした。私は熱に浮かされ、なんとか立ち直ろうと踏ん張っていました。しかし、それは当時では治る見込みのない脳炎で、その後、ようやく熱から解放されても、私の脳には大きなダメージが残ってしまっていたのです。

 

 そして私は理性を失いました。普通の人が持ち合わせている善悪の判断が出来なくなっていたのです。それからの私は怒りの衝動のままに行動し、好奇心に駆られるままに悪逆の限りを尽くすようになりました。

 

 周囲の人々は戸惑ったでしょう。私は見た目は何一つ変わりないのに、まるで別人のようになっていたのですから。しかし、みんなおかしいと思っても、皇帝である私に楯突くことなど出来るはずもなく、帝国は大混乱に陥りました。

 

 こうなれば取るべき道は唯一つしかない。こうして私は就任からわずか4年という短さで、側近たちに暗殺されるという方法で、皇帝の座から引き摺り降ろされたのです」

 

 皮肉にも、彼に理性が戻ってきたのは、その暗殺の瞬間だったそうである。彼は熱病に掛かったときから殺される瞬間まで意識がなく、目が覚めたら、いきなり信じていた側近たちに刺殺されていたのだ。

 

 それと同時に、彼は自分が意識を失っていた間に起きた出来事もちゃんと記憶しており、側近たちが苦しみながらも彼を殺した理由もちゃんとわかっていた。だから彼は暗殺されながらも、誰を恨むことも出来ず、寧ろ知らずしらずのうちに自分がしでかしてしまったことに対して、深い後悔の念に苛まれた。

 

 皇帝になり、人々を救うつもりが、まるで逆のことをやってしまった。今更後悔しても仕方ないが、出来るなら熱病にかかる前に戻ってやり直したい。人々を救うために、自分の手腕を発揮したい。彼はそう願いながら、間もなく死への深い眠りに就こうとしていた。

 

 その時だった。オルフェウスが現れたのは。

 

 薄れ行く意識の中で、それは死の淵に片足を突っ込んでいる彼の脳内に直接話しかけてきた。

 

『人々を救いたいというおまえの気持ちは本物か? そのためにはどんな苦労も厭わないのか? 自分でも……あまつさえ人間でさえなくなっても、それでも構わないか?』

 

 カリギュラは一も二もなく願った。

 

 もしもやり直せると言うなら、どんな苦労も厭わない。このまま死んでいくのでは、なんのために皇帝になったのかわからない。どうせ死ぬなら、せめてたった一人でも、誰かを幸せにしてから死にたい。そのために、自分が自分じゃなくなってしまっても構わない。どうせ、この四年間は似たようなものだったのだから。

 

『……その願いを聞き届けよう』

 

 そんな言葉が彼の脳内に響き渡り……

 

 そして新世界で目覚めた時、彼は一匹の魔物になっていた。

 

 竜のような鱗に覆われたトカゲみたいな胴体にコウモリの羽。首は蛇みたいににょろにょろと長くて、その先にはげっ歯類みたいな顔がついている。尻尾ムチみたいにしなっていて、軽く振ると空を切り裂く耳障りな音がした。

 

 魔獣ジャバウォック……

 

 彼は自分が何になってしまったのかを正確に理解していた。それはカリギュラの元となった神人の記憶が残っていたからだった。彼はこの世界に、ジャバウォックになってしまった放浪者(バカボンド)として目覚めたのだ。

 

「目覚めた私はすぐに何が起きたのかを理解しました。その体は、ネウロイにオルフェウス卿を探しにやってきた捜索隊のもので、彼は魔族を食べた後遺症により理性を失い、そこで一匹の魔獣になってしまっていたのです。

 

 実は、ネウロイでは魔族による蠱毒が行われているのです。魔族は、別の魔族の遺伝子を自分の体内に取り込むことによって、その形質を変化させます。戦って殺すか、犯して産ませるか。魔族とは、そうやってひたすら強さを求めて進化し続ける、生命体の総称だったのですよ。

 

 神人である彼は魔族を食らうことによって、その特性を引き継いでしまったのでしょう。こうして魔族となった彼は理性を失い、今度は自ら他の魔族を取り込むことで、どんどん進化していった……

 

 ジャバウォックとは、神人が魔族化したものだったのです」

 

「ちょっと待て、それじゃあ300年前に現れた魔王ジャバウォックってのは……あれも神人だったっていうのか??」

 

 ヴァルトシュタインが割り込むように質問をするも、カリギュラはそれに答えようとしなかった。それは意図的に無視しているわけではなくても、彼の命の灯火が、もう間のなく消えようとしているからだった。

 

 カリギュラはぼんやりとした視線で空中を見ながら続けた。

 

「魔族は激しい怒りを原動力にして、自分よりも強い者を求めて戦い続けます。そして勝った方が相手の遺伝子を取り込み、生きたまま自分の形質を変化させ、また強い者を求めて彷徨います。

 

 こうして究極的進化を遂げたものが、いずれ魔王となるのです。

 

 ネウロイで目覚めた私は、自分が魔王となっていたことに気づきました。本来、魔族は理性を持たないのですが、前世で理性を失ってしまったことを非常に悔いていた私は、魔王となりながらも理性を失わずに居られたのです。恐らく、これがオルフェウスの贈り物(ギフト)だったのでしょう。

 

 私はすぐにネウロイから脱しました。魔王がいなくなれば人類は救われる、今は私が魔王なのだから、私が人を襲わなければそれでいいと思ったのです。でも、これは甘い考えでした。私が居なくなったからといって、魔王が生まれないわけじゃないのです。ネウロイでは相変わらず魔族たちが戦い続けており、蠱毒の末に魔王となる。

 

 ジャバウォックの体を隠し、帝国に戻っていた私は、ある日、直感で自分よりも強い魔族が生まれたことに気づきました。放っておけば、いずれこれが進化のために、私を取り込みに帝国までやってくるでしょう。このままここにいけないと、私は自分ひとりでこれを解決しようと考えたのですが……

 

 しかし、その時思ったのですよ。新たに生まれた魔王は私よりも強力だ。もし、私が敗れて魔王が私を取り込んだとしたら、果たして人類がこれに太刀打ちできるのだろうか……そうならないために逃げ続ければいいのだろうか、それとも……私は判断に迷います。

 

 と、そんな時でした。ヘルメス卿が無邪気にも勇者を復活させたという噂が流れてきました。魔王が生まれたのであれば、勇者もまた現れる……私は一計を案じることにしました。この勇者に、私たち魔王を倒させようと考えたのです。

 

 そして私はすべての事情を皇帝陛下へと告白し、帝国軍の総司令官として就任したのです。全ては今日、この日、この場所で、この世界の全ての国の人々の前で、魔王が現れたことを認識させるために……

 

 こうして思惑通り、魔王は倒されました。ですが、それでもう魔王が生まれないというわけじゃない。ネウロイでは、今も新たな魔王を生み出すべく、魔族たちが戦い続けています。それがいつになるかはわかりませんが、次の魔王が誕生したときに……そのときにすぐに対応出来るように、人類は一つになるべきだ。

 

 私は……そう願って、止まないのです」

 

 風が吹き抜け、パタパタと旗が棚引く音がしていた。ここは戦場だと言うことを忘れてしまうくらい、辺りは静まり返っていた。ヴァルトシュタインは、この魔王と化した神人の次の言葉を待っていたが、それはもう永遠に訪れなかった。愛馬から降りて覗き込むようにその顔を見れば、カリギュラはもう事切れていた。

 

 さっきまでビクビク動いていた獣の腕はもう動かない。肥大化して、おかしな方向に曲がった片足も。神人の死など、もう見慣れてしまっていたが、果たしてこれもそう呼んでもいいのだろうか。せめてちゃんとした墓に弔ってやりたかったが、帝国軍の部下たちは怖がって、誰も近づいてこなかった。

 

「どうするよ……?」

 

 ヴァルトシュタインの横で同じようにそれを覗き込んでいたギヨームが言った。

 

「放っておくわけにもいかんだろう。誰か帝国将兵をとっ捕まえて、引き取るように言わねばならん。休戦交渉もしなきゃならんし、忙しくなるぞ」

「ちょうどアイザックもいるし、帝国が話し合いに席についてくれればいいな。まあ、戦争の方は俺たちには関係ない。鳳を探しに行かなきゃならねえから、この辺で失礼させてもらうぞ」

「なんだ? もう行くのか……?」

「元々ここへはオークを追っかけて来ただけなんだ。そうしようと言った馬鹿がどっか行っちまったんだから、見つけて引っ叩かなきゃならねえだろ。ジャンヌも、あの通りだしよ……」

 

 ギヨームがそう言って、やれやれとお手上げのポーズをしてみせた時だった。

 

 先程、ヴァルトシュタインに言われて引き上げていった帝国軍の本陣の方から、一頭の馬に乗った身なりの良い神人が近づいてきた。来ている服は軍服じゃないので、後方支援を担っている文官だろうか。

 

 何者だろうかと警戒していると、その神人はヴァルトシュタイン達から馬の脚で十完歩くらいの距離で止まり、敵意がないと言いたげに、一度両手を上に上げてから、大きくはないがよく通る声で、そこにいる者たちに語りかけてきた。

 

「私は帝都よりやってまいりました、護帝隊所属マッシュ中尉であります。そこにいらっしゃるのは帝国軍前司令官ヴァルトシュタイン閣下とお見受けしますが……」

「護帝隊だと!? 皇帝の直属じゃねえか。なんでそんなのがここにいるんだ?」

 

 ヴァルトシュタインが目を丸くしている。護帝隊とは要するに近衛兵のことであり、皇帝に付き従うもののことである。親征でもないかぎり、戦場には出てくることはありえないし、そもそも現在の皇帝は殆ど名誉職で帝国内のゴタゴタに興味がない。だから彼も近衛兵のくせに文官みたいな格好をしているわけだが……

 

 そんな皇帝が何故このタイミングで首を突っ込んでくるのだろうか。ヴァルトシュタインが訝しげに睨んでいると、マッシュ中尉と名乗った男が続けた。

 

「総司令官が倒されたため、帝国にこれ以上の継戦の意思はございません。早速、停戦交渉を行いたいので、ヴァルトシュタイン閣下、並びに、勇者軍の方々に帝都までお越しいただければと、お願いにまいりました」

「なんだと? まだろくに一戦もしていないんだぞ!? 何故、こんな予め決まっていたかのように、話が進んでいるんだ……?」

 

 と言いかけたところで、ヴァルトシュタインは気がついた。それならつい今しがた、カリギュラが言っていたではないか。

 

 彼は、いずれ現れるであろう魔王を勇者が倒してくれるように、皇帝に相談し、自分を餌にし、帝国軍総司令官となってここに軍隊を集めていたのだ。その思惑通り、この場に現れたオークと両軍が協力して戦い、ついに勇者が魔王を倒したのだ。つまり目的を達したから、もう戦う必要はないということだ。

 

「冗談だろう……あいつ。ここまでお見通しだったっていうのか?」

「皇帝陛下におかれましては、ヴァルトシュタイン閣下には再度帝国軍総司令官へ就任してくれますよう望んでおられます。また、アイザック11世様には、お望みであればヘルメス卿の爵位を、正式に下賜するおつもりがあるとおっしゃられております。ですので、ぜひ一度帝都までお越しいただければ……」

 

 ヴァルトシュタインは呆然として返す言葉がなかった。一体、どこまでがカリギュラの筋書き通りだったのだろうか。当の本人が死んでしまった今、それが分からないのが悔しくてならなかった。

 

 ギヨームは固まってしまったヴァルトシュタインの肩をぽんと叩くと、

 

「良かったな。これでお役御免だ。戦争も片付いて、お前もヘルメス卿も返り咲けて大団円だ。それじゃ、俺たちは先を急ぐから、また機会があったらどこかで会おうぜ。そうそう、もしもどこかで鳳の情報を聞いたら、すぐに冒険者ギルドに連絡をくれ」

 

 ギヨームがそう言ってから仲間を促し、戦場から去ろうとした時だった。

 

「お待ち下さい。勇者パーティーの方々ですね? あなた方にも帝都までご同行願いたいのですが」

 

 思いがけず、皇帝の使いであるマッシュが声をかけてきた。ただの冒険者でしか無い自分たちに何の用があるというのだろうか。もしかして、勇者が魔王を倒したから表彰したいとかその手の話だろうか。

 

 しかし、今はその勇者が行方不明なのだ。こいつをさっさと見つけに行かなければならない。だから今は帝都なんかに遊びに行ってなんかいられないと、ギヨームは断りを入れようとしたのだが、そんな彼の声を遮るように中尉は続けた。

 

「勇者様……鳳白様なら、いまごろ帝都におられるはずです。陛下が直々にお引き止めしているところでしょうから、すれ違いにならないためにも、ついてきていただければ有り難いのですが」

「……はあ!?」

 

 ギヨームは……そして他のみんなも素っ頓狂な声を上げた。他に返す言葉が見当たらなかった。何故、ついさっき、木っ端微塵に吹き飛んでしまった鳳が、帝国の首都なんかにいると言い切れるのだろうか。

 

 いくらなんでも嘘に決まっている。そう思うのであるが……さっきのカリギュラの話を聞いた手前、一概にそうとも言い切れなかった。目の前で死んでいるその神人が、それを予想していたことは否定できないのだ。

 

 ギヨームたちは、複雑なため息を漏らしながら、一体どういう事情があるのかと、帝都からやってきたその男に詳しい話を聞くことにした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。