ラストスタリオン   作:水月一人

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勇者召喚

 真っ暗闇の中で目が覚めた。体は気怠く、どうしようもない無力感に包まれていた。ふと顔に手をやったら涙に濡れていて、なんじゃこりゃ? と思った時に、その理由を思い出した。

 

 どうも夢見が悪かったらしい。あの頃のことを思い出していたようだ。思えばクソみたいな人生を送ってきたものだが、その中でも最高にクソな時期だった。鳳はゴシゴシと瞼を擦ると、ため息交じりに体を起こした。

 

 ふっと水中から出た瞬間のような、何かの膜を突き破るような感覚がして、急に視界が開けた。突然飛び込んできた景色に、目をパチクリさせながら周囲を見渡してみれば、彼はどうやら非常に広いドーム型の建物のど真ん中に居るようだった。

 

 天井は高く、綺麗な円形を描いている。そして部屋の外周に沿って等間隔に並んだ円柱が見える。その頭の部分には綺羅びやかな彫刻が施されており、それが天井のドームを支えているようだった。

 

 確か、円柱にはギリシャ式とかローマ式とかあって、時代が進むにつれてより質素なデザインになるんじゃなかったか。とすると、これはよっぽど古い建物なのだろうか。まさか今度はタイムスリップでもして来ちゃったんじゃないだろうな……と思いながら、自分が立っていた台座らしきところから飛び降りて振り返ると、いつの間にか台座の上に棺が収まっていた。

 

 さっきまでそんな物は無かったのに、いつの間に現れたんだろうか……? よく見ればその位置は最初に鳳が寝そべっていた辺りだから、すると彼は最初、その中に収まっていたようである。もしかしてこれは映像か何かで、実態がないのかも……そう思って棺に手をやってみると、ペタペタと感触があった。中からは出てこれるが、外からは入れない容器なんだろうか。おかしな物もあったんもんだと、彼は感嘆の息を漏らした。

 

 それもそのはず、その棺の輪郭はブレていた。と言うか、部屋をひと目見た瞬間から気づいていたのだが、天井も、床も、壁に並ぶ円柱も、全部七色の線がプルプルと震えて、輪郭線がぼやけて見えた。もう三度目だからいい加減に慣れてきてしまったが、また死後の世界に迷い込んでしまったようである。

 

 いや、死後かどうかは正直よく分からないが、少なくとも普通の空間でないことだけは確かだった。いつもならこの後、不思議な現象が起きて元の世界に戻れるはずだが、さて、今回は何が起きるんだろうか……そう思ってキョロキョロと辺りを見回していたら、柱の陰から見知った顔がひょっこりと現れた。

 

「ツクモー!」

 

 元気いっぱいに手を振りながら駆け寄ってくるのはメアリーだった。この世界に知り合いがいるのは初めてだったから普通なら驚くところだったが、鳳は意外と冷静にそれを受け止めていた。と言うか、寧ろ予想通りだったと言おうか、その可能性もあるんじゃないかと少し覚悟はしていたのだ。

 

「あー……やっぱ駄目だったか、ごめん、メアリー。俺たち、死んじゃったみたいだ」

 

 鳳はガックリと項垂れた。この世界にメアリーがいるということは、つまりそういうことである。彼としてはなんとか彼女だけでも助けられないかと足掻いてみたが、どうやら無駄骨だったらしい。取り敢えず、何度も来ている自分はともかく、彼女も一緒にここから出られる方法を見つけなければ……鳳がそう思ってため息を吐いた時だった。

 

 ドンッと衝撃がして、メアリーが彼の胸に飛び込んできた。なんだろう、こんなことは初めてだった。元々スキンシップをするような間柄じゃなかったから、照れると言うより単純に驚いた。見た目はただの小学生だから、甘えているとか不安がっているように見えなくもない。

 

 もしかすると、鳳が目覚めるまで結構時間があって、彼女は一人きりで不安だったのかも知れない。しかし、そう尋ねようとして彼女の顔を見た時、違和感を覚えた。彼女は怯えているのではなく笑っていた。それもずっと逢えなかった恋人と再会したかのような、とてもリラックスして相手を信頼しきっている顔をしていた。まるで恋する乙女のようだった。

 

 正直、メアリーとの仲は悪くは無かったが、そこまで良くもない。こんな反応をされる覚えはない。

 

「おまえは……誰だ?」

 

 自分で呟いたくせに、その響きが耳に届いた瞬間、彼の脳裏に電撃のような直感が走った。そうだ、ずっとそばにいるからそれが当たり前になっていたが、彼女は元々誰かに似ていたのだ。言うまでもなくそれは彼の幼馴染……

 

「まさか……エミリア!?」

 

 そういった瞬間、彼の視界がブレ始めた。それは波のように視界を歪めていく。まるで返事を聞く前に、強制遮断されるかのように、意識が遠のいていく。

 

「あー! くそっ!!」

 

 彼は必死に思考をつなぎとめようと藻掻いたが、なにをしようとも無駄だった。彼は間もなく抗いようのない異常な眠気のようなものに襲われて、勝手に瞼が閉じていき、そして意識を失った。

 

**********************************

 

「全知全能の支配者であらせられる我らが(エミリア)よ。この世は我らが神と勇者(かみのこ)のものなり。その力はこの世を(あみ)し、その慈愛は人を網する。神の神、主の主(デウス・エスト・エミリア)。さあ、神の宴が始まろう。主は来ませり、主は来ませり、主は来たりて、世をお救いになられるであろう」

 

 強烈な眠気で強制的にまどろみ状態にされたような気がしていたら、どこからともなく賛美歌のような詩が聞こえてきた。まるで優しい母の腕に抱かれているような心地よさを味わっていたら、突然、グンと重力に押しつぶされるような感覚がして、これまた強制的に目を覚まされた。

 

勇者召喚(サモンブレイブ)!」

 

 パリパリと耳元で静電気が走るような感覚がして、じわじわと全身に血が巡りはじめたような気がする。視界は真っ暗闇で何も見えない。だが今度は上体を起こそうとしたら、頭の上で何かにぶつかった。

 

 その瞬間、ゴンッと音が鳴って、外から「おおっ」と言うどよめきが上がった。その声色からして、結構な数がいるっぽい。なんだろう、怖いんですけど……と思いながら、たった今ぶつかったばかりの頭上に手をやったら、どうもそれは棺の蓋だったらしく、横に除けたらズシンと落ちる音と共に、さっき見たばかりの天井が見えた。すると、ここはあの棺の中なのだろうか? 確かめるには体を起こすしかないのであるが……

 

 恐る恐る棺の縁を掴んで外の様子を窺ってみると、そこはやはり先程のドームらしく、何本もの円柱が天井を支える広場だった。彼はその中央の棺の中に居て、その台座の前には複数の人影が膝をついて、頭を下げ、傅いているのが見えた。服装はローブと言うか、ギリシャ人みたいなトーガを着ており、そのうち先頭にいる女性一人だけが顔を上げていた。

 

 頭にティアラをつけている様子からして、この中で一番身分が高いのだろう。柔和な笑みを浮かべた絶世の美女で、その顔のパーツひとつひとつとっても、全身のスタイルを見ても完璧で、まるで彫刻がそのまま動き出したかのような美しさだった。

 

 まさか本当に大昔にタイムスリップしたのかと一瞬焦ったが、そのティアラの下に長くて尖った耳を見つけてホッとする。そんなファンタジーな姿を見て逆に安心するのも皮肉な話だが、目の前にいる連中はどうやらみんな神人であるようだった。

 

 問題は、プライドが高いはずの神人が、何故かみんな鳳に向かって頭を下げていることだった。十中八九嫌な予感しかしなかったが、また棺の中に逆戻りするわけにもいかず、彼は渋々体を起こすと、目の前のティアラに向かって尋ねた。

 

「あー……ここはどこだ。あんたたちは誰?」

「恐れながら、まずは勇者様のご尊顔を拝謁する無礼をお許し下さい」

 

 ティアラはそう言いながらゆっくりと頭を下げた。何もそんなに畏まらなくても良いだろうに……呆れて顔を引きつらせていたら、頭を上げた女性の顔もまた緊張から少々強張っているようだった。正直言って何が起きてるのかもわからない現状、怖いのはこっちの方だと思うのだが……

 

 さっき賛美歌のようなものが聞こえてきたし、見た感じ、神官とか聖職者のようにも見えるので、ここはどこかの寺院か何かかなと思っていたら、返ってきた答えはそれよりもっと予想外なものだった。

 

「ここは帝都アヤソフィア、真祖ソフィアの霊廟です。(わたくし)はここの祭祀を務めております、神聖エミリア帝国皇帝、エミリア・グランチェスターと申します」

「……はい~!?」

 

 鳳は思わず馬鹿みたいな叫び声を上げてしまった。それがコンサートホールみたいに音響の良いドームに広がり、傅いていた神人たちがビクリと肩を震わせた。いや、脅かしてしまって申し訳ないが、驚いているのはこっちの方なのだ。鳳はゴクリとツバを飲み込むと、

 

「神聖帝国って……あの、いま勇者領と戦争してる?」

「はい」

「アヤソフィアって、帝国の首都だっけ? エミリア・グランチェスターってのは……その、神様の名前じゃなかったっけ? 四柱の」

「左様です。ここは帝都アヤソフィア。(わたくし)は、恐れ多くも、神様と同じ名前を親より授かっただけです。他意はございません」

 

 まあ、現実世界にもマリアとかヴィーナスとかいるから、そんなノリだろうか。

 

「グランチェスターってのは?」

「真祖、ソフィア様より受け継いだ王家の名です。私と先帝は、血の繋がりはありませんでしたが……簡単に言えば家を継いだのです」

 

 なるほどグランチェスター朝というわけか……しかし、そのファミリーネームは、鳳の知っている幼馴染と同じなのだ。つまり目の前の皇帝を名乗る女性は、一字一句、鳳の知っているエミリアと同じ名前だった。

 

 彼女はそれを知っていて口にしているのだろうか? 見た感じ、どうもそうではないらしい。ともあれ、こうしてまた、この世界と幼馴染に関係がある傍証が出てきてしまったわけだが、今は話が進まないから一旦置いておこう。

 

 それよりも、どうしてこんな場所に自分はいるのだろうか……? 今はそっちの方がよっぽど気になった。何しろ、彼は目覚める前まで、帝都からはるかに遠いヘルメス国境の戦場に居たはずだ。まさか捕虜として連行されたとか……?

 

「とんでもございません! 私たちが勇者様に、そのような大それたことが出来るはずがありません。私たちは、勇者召喚の儀式にて、あなたをお呼びしたのです」

「勇者召喚……?」

 

 そう言えば目覚める前に賛美歌のような声が聞こえてきて、外で何かごちゃごちゃやっているようだった。つまりあれが、勇者召喚の儀式と言うことか……鳳はそれを思い出し、長い溜息を吐いてから、

 

「……やっぱり俺って勇者なの?」

「勇者召喚に応えられたのがその証拠かと」

「何かの間違いってことは?」

「何度殺されても死なない人間なんて、勇者様以外にありえません」

「ああ、やっぱ、そこだよね……」

 

 鳳は苦笑いを浮かべると、背筋を伸ばして棺の中から立ち上がった。いい加減、覚悟を決めねばならないだろう。ヘルメスと出会い、元の力を取り戻し、勇者の杖を受け継いだ時点で、そうなんじゃないかとは思っていた。ただ、はっきりとした確証がなく、レオナルドの記憶も曖昧だったから、もう暫くは様子見だと思っていたのだが……まさか敵国の、それも皇帝からお墨付きをもらうとは思ってもみなかった。

 

 いや、敵国……? そもそも帝国は自分にとって敵なんだろうか。鳳はそもそも勇者領の人間ではない。それにさっきまで、彼らとはオークキングを倒すために共闘していた仲なのだ。ピサロにはむかついたが、あれも元はと言えば放浪者なのだし、はっきりと帝国を敵視するような理由は何も無かった。

 

 鳳は棺を出て、台座からぴょんと飛び降りると、

 

「まあ、取りあえず落ち着かないから、皆さん顔を上げて下さい」

 

 と、未だ皇帝の後ろで頭を下げて傅いている神人の集団に言った。しかし、彼らはそう言われても微動だにしない。困ったな……と思いつつ、ふと冗談半分で、

 

「皆のもの、おもてを上げよ!」

 

 と言った瞬間、下を向いていた神人たちが、バッと一斉に顔を上げてこっちを見た。その迫力に気圧されて、思わず後退りしそうになる。気分を害してしまっただろうか。だが、その表情からは敵意は感じられない。単純に、お願いは聞けないが命令なら聞くとか、そういうことだろうか。面倒くさいなと思いつつ、鳳は台座の前に腰を下ろすと、

 

「取りあえず、敵意が無いことはわかったよ。それで、皇帝陛下。どうしてあなたは俺を呼び出したんです?」

「はい。まずはこちらから出向くことが出来ず、お呼びつけするような真似をしたことをお許し下さい。あなたのことは存じておりましたが、本物であるかどうか見極めがつかなかったのです」

「見極めですか……」

 

 皇帝は軽く首肯して、

 

「はい。もうご存知かと思いますが、勇者召喚の儀式自体は、我が帝国の秘儀でありながら巷間に流出した技術でもあるのです。そのため、昔から儀式を用いて勇者様の召喚を試みる輩は大勢おりました。その目的は言わずもがな、勇者様の力を利用して私腹を肥やしたり、帝国の転覆を図ることです。そのため、我々は勇者召喚の兆候を見つけ次第、全力を持ってそれを阻止して来たのです」

 

 それはまさしくヘルメス戦争が起きた理由だった。追い詰められたアイザックは、勇者召喚を行なって、呼び出した鳳たちに帝国と戦わせようとしていた。帝国からすれば目に余る行為だから、兵を向けられても仕方なかっただろう。仲間がやられてしまったことを、今更恨んだりはしないが……

 

「ですが、勇者召喚というものは、基本的には必ず失敗するものなのです。それで呼び出されるのは無作為な放浪者で、力はあれど勇者様ほどではなく、我々神人ならどうとでも対処が可能です。今回も、そうして呼び出された勇者5人の内、3人を倒したことで、我々はヘルメス卿の目論見が失敗に終わったと考えていました。逃げた二人は、帝国に帰ってこないのであれば、もう放っておこうかと……まさか、そのうち低レベルの方が勇者様だとは思いもよらなかったのです」

 

 なるほど、実際、フェニックスの街で帝国軍に引き渡しを要求されたのはジャンヌだけだった。その時、帝国も鳳が勇者だとは想像もしていなかったわけだ。そりゃ、当の本人にも自覚がないのだから当然だろう。しかし、まだ気になることが一つある。

 

「なら、メアリーを奪おうとしたのは何故ですか? 俺たちとは関係ないじゃないか」

「それは勇者の娘ということが聞き捨てならなかったからです。帝国は、勇者の血筋を根絶しなければならない義務を負っておりました。そのために、この300年を戦い続けていたのですから」

「根絶って……穏やかじゃないな」

 

 そう言われて思い出した。300年前、魔王を討伐したはずの勇者を暗殺したのは、帝国だったのだ。それに激怒したヘルメス卿が立ち上がり、勇者戦争が勃発し、やがて勇者の子供たちが生まれてきて、それが神人だと知った帝国は、狂ったようにその血を根絶やしにしようと戦争に明け暮れた。そのせいで勇者戦争は何百年も続き、神人はその数を減らしてしまったわけだが……

 

 しかし、考えても見れば妙な話だ。それなら何故皇帝は、目の前にいる鳳が勇者だと認識しておきながら、憎悪を向けるのではなく、バカ丁寧に応対しているのだ。他の帝国人なんて、まるで王にでも傅くかのような態度である。

 

 そしてもう一つ、彼女は勇者のことを『殺しても死なない人間』と評していた。つまり、鳳が何度も死んでは蘇っていることも知っているのだ。なら、どうやって彼らは勇者を暗殺(・・)したというのだ?

 

「それにつきましては、あなたの目で確かめていただきたい物があります。私が百を語るよりも、それを一目見て貰った方が話が早いと思われますから」

「それは……なんでしょうか?」

「持ち運びが出来るような物ではないのです。恐縮ですが、ご案内しますので、ご同行願えませんか?」

 

 もちろん、ここでもったいぶって行かないなんて選択肢はない。鳳は一も二もなく頷くと、彼女に先導されながらホールを出た。

 


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