ラストスタリオン   作:水月一人

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第三の神ラシャ

 幼馴染と同姓同名の皇帝に連れられて、鳳は最初に目覚めた棺のあるドーム、ソフィア廟から外へ出た。見せたいものがあると言われ、他に何の手がかりもないから、言われるままについてきてしまったのだが……しかし考えても見ればここは帝国の中枢であり、周りには帝国人しかいないのだ。本当にこのままついて行っても大丈夫なんだろうか。

 

 ところが鳳の不安を感じ取ったわけじゃないだろうが、ソフィア廟を出て暫く進むと、皇帝の従者たちは立ち止まって二人を見送った。どうやらここは皇帝の居城……いわゆる禁裏にあたるらしく、禁裏であるから従者たちも自由には歩けず、そこから先にはついてこれないらしかった。

 

 こんな誰も入れないような場所に、国のトップと得体の知れない男を二人っきりにしてもいいのだろうか? 帝国のセキュリティはどうなってんだと逆に不安になった。もしかするとそれだけ信用していますよという、皇帝なりの信頼の証だったのかも知れないが、これなら誰かに監視されてた方がまだ落ち着くと、鳳はソワソワしていた。

 

 見知らぬ女性の背中をただ追いかけているのはどうにも間が持たない。何か会話の糸口でも転がってないかと辺りを見渡していると、彼はふと違和感を感じた。その廊下は窓一つ無い通用路のような場所だったのだが、そのくせ妙に明かりが行き届いていて歩きやすいのだ。

 

 ふと思い立って天井を見上げれば、間接照明のような柔らかい光が天井の隅から廊下を照らしている。光源はなんなんだろうか? 揺らぎがないから、ろうそくの炎でも、太陽でもなさそうだ。廊下も塵一つ落ちてないのはもちろんのこと、材質がコンクリートのような石材のくせに、表面が妙に滑らかだった。なんというか、全体的に雰囲気が現代的に感じられた。

 

 ヘルメス領、勇者領と旅をしてきて、この世界の技術はせいぜい産業革命期くらいの水準だと思っていたが、もしかして帝国はもっと進んでいるのだろうか? そう思って尋ねてみると、皇帝は即座に否定して、

 

「いいえ、これは現在の帝国の技術ではなく、失われた古代の技術なのです。帝国に限らず、この世界はその時々の放浪者(バカボンド)の登場によって、技術が発展したり廃れたりしています。しかし、それを維持しようとする意欲が神人にはないのです。ここアヤソフィアは、およそ1000年前の建国当時からこのような建物が建っていたようですが、誰が建てたのかも、どうやったのかも伝わっておりません」

「そうなんですか……っていうか、1000年? この国って1000年の歴史があるんですか? 確か、以前聞いた話では、300年より以前は曖昧でよく分からないって話でしたが」

「はい。神人は長生きであるせいでしょうか、今起こっている出来事を、何かに記録しようという考えがあまりないのですよ。自分が覚えている範囲のことだけしか興味がない。そのため、過去がどんどん曖昧になってしまうのですが、流石にここは帝都ですから、様々な文献を総ざらいすれば、およそ1000年ほどの歴史があることがわかります。その頃、真祖ソフィア様がこの地にご降臨なされて、魔王と戦い、帝国の版図を広げていったようです」

「へえ……」

 

 1000年も歴史があるならば、世界はもっと広がっていても良さそうなものだが、それも神人が自分以外のことにあまり興味がないせいだろうか。そんな事を考えながら廊下を歩いていくと、やがて曲がりくねった道の先に、大部屋の入り口らしきものが見えてきた。

 

 それを見た瞬間、鳳は初めて来た場所なのに、なんだか既視感のようなものを感じた。何故だろう? と思っていると、その理由はすぐに分かった。皇帝に連れられて両開きの扉をくぐると、その部屋の中央には透明な風防に覆われた寝台と、巨大なMRIみたいな機械がドンと鎮座していた。まさかと思って記憶の命じるままに壁際を見れば、そこにはサーバーラックらしきタワーと、端末のモニターがあった。

 

「そんな馬鹿な……まさかこれは、『P99』なのか?」

 

 鳳がその言葉を叫ぶように独りごちると、ピッと起動音がして端末のモニターが点灯した。あのヘルメス卿の迷宮にあったものと同じように、DAVIDシステムのロゴの後にGUIが起動する。彼が呆然としていると、その手前にいた皇帝はパタパタと足音を立ててモニターへ駆け寄っていき、不慣れな様子で端末をちょこちょこと操作した後に振り返り、言った。

 

「これを起動できるのは、皇帝である私だけのはずなのですが……どうやら勇者様にも可能だったようですね。驚きましたが、しかしこれがまた、勇者様が勇者様であられることの証拠になりましょう」

「何故これがここにあるんですか? これは、初代ヘルメス卿が作り出した迷宮の遺産だったはず……いや、逆なのか。ヘルメス卿は、これを見たことがあったから、あそこにあれを再現したんだ」

 

 鳳がぶつぶつとそんなことを言っていると、皇帝はそれについては良くわからないがと前置きしてから、端末を操作し、

 

「様々な疑問がございましょうが、一先ず、勇者様にはこれをご覧になっていただきたいのです。何故、我々がヘルメス戦争を続けていたのか。そして300年前、勇者様の子孫を害する行為に及んだのか……」

 

 鳳が頷いて端末の方へと近寄っていくと、彼女はそれを見てから何かのファイルを開いた。それは以前、迷宮で見た、地球人類が神人を作り出した時の映像の続きであった。

 

************************************

 

 リュカオンに追い詰められた地球人類は、DAVIDの献策により超人になることで、敵を凌駕する肉体を手に入れた。これによって反撃を開始した人類は、ひたすらに増え続けてしまったリュカオンを間引くことで、ついに世界を取り戻すことに成功する。

 

 こうして地球人類はまた万物の霊長の座を奪い返したのであったが……お役御免となったからと言って、一度超人となった人々はその後元の身体に戻ることはなかった。心身を量子化し、別の肉体を作り出すことによって、永遠の命を手に入れた人類は、そしていつしか子供を作らなくなった。

 

 進化が、環境適応のためのシステムであるなら、自らの身体を機械によって変化させ、死ぬこともない超人は、もはや進化の必要がなかったのだ。進化の必要がなくなれば、子孫を作って自分のDNAを残す必要もない。寧ろ、死なない人間が子供を作ってしまったら、人口が増え続けてしまうという弊害もあった。

 

 無論、体が変わったからと言って生殖本能がなくなったわけではなかったから、超人たちも他者とのセックスを求めた。特に超人は本人たちの希望により整形手術が施されていたから、出来上がるカップルは常に美男美女だった。だから、超人が現れた初期の頃は良かったのであるが……

 

 誰とヤッても美男美女であるならば競争は生まれない。いつでも見た目だけは理想の相手が見つかる状況では、やがて超人たちはパートナーにより精神性を求め始め、それはつまり相手に自分のエゴを押し付ける行為であったから、現実にそんな相手と一緒にいるのが耐えられないように、彼らもまた他人といることが耐えられなくなっていった。

 

 こうして超人たちはセックスよりも孤独を求め、どんどん他人への関心を失っていったのである。

 

 超人たちが子供を作らなくなったのに対し、リュカオンや獣人たちは逆にその数を増やしていった。リュカオンが未だ生き残っているのは不思議であったが、人類の生存権を取り戻す戦争の末期、絶滅仕掛けたリュカオンのことを、人類は寧ろ保護し始めたのだ。

 

 どんな生物にも生きる権利がある。ましてやリュカオンは人間が生み出してしまった過ちの象徴のようなものだった。だからこそ、それを根絶やしにするのではなく、いつでも過去の過ちを思い出せるように保護すべきだという考えが起こったのだ。

 

 しかし、この動きに自然派の人々は不安を覚えていた。

 

 自然派とは、超人のように量子化はせずに、元の人間の体のまま寿命を全うしようという人々のことである。元々、超人は戦争のために生み出されたものだから、戦争を嫌う人々は超人にはならずに人間のまま留まった。彼らは普通の人類として、普通に結婚し、子を産んで育み、そして死んだ。

 

 超人のような驚異的な能力はなく、攻撃を受ければ普通に死ぬのだ。そんな人々が、自分たち人間よりも、リュカオンや獣人が増えることを恐れるのは必然だった。彼らは亜人を増やすような真似はやめろと超人に迫った。

 

 やがて自然派の人々は、進化の袋小路に入り込んだ超人こそが失敗作であると言い出した。この惑星は元々、適者生存と突然変異の法則が支配する、生命の楽園だったはずだ。そして生命にとって、進化は種を保存するために絶対必要な条件である。

 

 それを超越したと言えば聞こえがいいが、実際超人は、例えばDAVIDシステムに何らかのアクシデントが発生したら、種そのものが全滅しかねない危険性があった。そんなんじゃ人類を超えたとは呼べず、せいぜいが、ナチスが宣伝に利用した神人ではないか。

 

 人間にはやはり死と再生が必要なのだ。量子化のような過去に留まる方法ではなく、人間こそが進化の頂点にたどり着くべきなのだ。自然派の人々はそう言って、神人とはまた別の方法で肉体を強化する方法を模索していった。

 

 そうして彼らが取った方法は、絶え間ない人工進化による、進化そのものの加速であった。

 

 彼らにとって人間は万物の霊長でなくてはならなかった。その霊長が、たかだかリュカオンや獣人のような紛い物より劣っているのは我慢ならなかった。彼らはそうして肉体の強化を求め、遺伝子を改造し始めた。

 

 自然交配ではなく人工交配と成長促進を繰り返し、試験管の中で身体的な強化を驚くべき速さで行なった。何世代も無理矢理に作り出し、様々なストレス環境を与えてそれを学習させ、DNAを強化する。こうして生まれてきた子供たちは数年で大人顔負けの成長を遂げ、ついに誰もがオリンピック選手をも凌駕する身体能力を手にした。

 

 それでも彼らの力への渇望は激しく、さらなる肉体的な進化を求め続けた。その頃の人類は、もはやAIが何でもやってくれるから、立ち止まって難しいことを考えるという、深い思考力は必要なくなっていた。難しい仕事は全部AIがやってくれて、人間は働く必要すらない。黙っていても食べ物は毎食供給される。だから、その分の脳のリソースを反射神経と肉体の強化へと回してしまえば、人類はもっと強くなるのではないか。こうして新人類は、脳のリソースすら肉体的な強化へ回し、どんどん進化していった。

 

 だが、代わりに彼らは理性を失っていった。元々、人間には速い思考(システム1)と遅い思考(システム2)が備わっている。システム1とは本能に根ざしたもので、ぱっと見てすぐに思いつく直感のことである。例えば、友達が美味しそうなアイスクリームを食べていたら、それを奪いたくなる。このような思考だ。

 

 しかし、実際にそれでアイスクリームを奪ってしまったら、アイスクリームを得た喜びよりも、友達を失ってしまった悲しみのほうが大きくなってしまうだろう。我々はそういうときに、より良い結果を求めようと思考を切り替え熟慮を始める。こうして後からやってきて、じっくり腰を据えるように考えるのが遅い思考、システム2だ。システム2はいわゆる理性を司るもので、詰め将棋やパズルの問題を考えてる時に使われたり、浅はかなシステム1の歯止めにもなっている。

 

 だが、システム1は本能に根ざした欲求でもあるから、それを止められることは苦痛を伴う。実際、怒っている人は怒りが収まった後、大抵ぐったりしているものだが、それは暴れるシステム1をシステム2が必死に抑えた結果である。人間は、熟慮をすると非常にエネルギーを消耗するのだ。

 

 だが、このシステム2があるからこそ、我々は怒りを抑えることが出来る。もし、理性がなくなれば、人は怒りのままに行動する畜生以下の存在と化すだろう。自然派……いまや新人類となった彼らは肉体の強さを求めるあまり、そんな判断力すら失っていた。

 

 そしてついに身体能力がリュカオンや獣人を越えた時……新人類はそれまでの鬱憤を晴らすかのように、突然、殺戮を始めた。彼らはたかが家畜に人間様が負けることが許せなかったのだ。たまにインターネットでメチャクチャに怒ってる人がいるが、そんな具合に、新人類たちはリュカオンや獣人を見つけ次第殺し、気に食わないことがあれば新人類同士でも殺し合った。理不尽で身勝手な殺戮は、まるでリュカオンが欧州人を追い立てた光景に似ていた。

 

 歴史は繰り返すというが……今度はリュカオンや獣人たちが助けを求めて逃げ惑った。皮肉なことにそれを助けたのは神人であった。元はと言えばリュカオンを駆逐するために生まれた神人が、今はそのリュカオンを保護するために戦っていたのである。こうして人間に従順なリュカオンである蜥蜴人や、獣人である狼人、猫人、兎人などは助かった。

 

 新人類たちの暴走は留まるところを知らなかった。彼らは倒すべきリュカオンや獣人が少なくなったら、今度は新人類同士で争い始めた。強さを求めるあまり、新人類たちは理性を失い、もうまともな判断が出来なくなっていたのである。とにかく自分さえ良ければいい。そして何が何でも相手よりも強くなりたいという強い意思が彼らを狂気に走らせた。

 

 こうして新人類同士が戦い始めたらすぐに限界が訪れた。双方が同じことをしているのだから、このまま人間としての進化を追求していっても、相手を上回ることはないのである。そしてある日、一部の新人類が、人間の遺伝子とリュカオンの遺伝子をかけ合わせて、人類とはまた別の進化を遂げたキメラを作り出した。新人類たちは、リュカオンを取り込むことによって別の生物へと進化する道を選んだのである。

 

 彼らはもはや世代を重ねるなどの進化の法則すら無視して、自分たちの体を改造し始めた。DNAを直接変化させることによって形質を獲得する方法を生み出し、自分よりも優位な遺伝子を持つ個体を取り込むことによって、その形質を奪っていった。リュカオンや獣人、猛獣や猛禽などの遺伝子すら躊躇なく取り込み、そしてついには異形と化してしまう……

 

 こうして、もはや人間との区別がつかなくなってしまった彼らのことを、人々は怒りの化身ラクシャーサと呼んだ。

 

 羅刹(ラクシャーサ)……つまりラシャは地上に広がり旧人類を圧迫し始めた。神人、獣人、リュカオン、そしてほんの一握りの人間たちが、羅刹に追われてどんどん生存圏を失っていった。神人はこの状況でもまだ羅刹を凌駕する能力を持っていたが、しかし理性的になりすぎた彼らは攻撃することをためらった。

 

 どうせ、これを駆逐したところで同じことの繰り返しだ。また別のリュカオンや羅刹が現れて、地球人類の覇権を求めて争うだけだろう。人間は……というか生物は、種の保存のために生存競争を勝ち抜かねばならない。生きている限り、争いは避けられないのだ。

 

 しかし神人は既に死を超越している。生きるために過酷な生存競争を戦わなければならないこともなく、種を保存するために生殖を行う必要もないのだ。つまり、自分たちはもう完成されているのだ。自然派は、神人のことを失敗作と呼んだが、その自然派の成れの果てが羅刹なのだから、どちらが正しかったかは言うまでもないだろう。

 

 量子化されている彼らは、もう無益な争いは避けて、肉体を捨てて電脳体へと切り替えてしまった。羅刹が地上の覇権を求めるならくれてやればいいだろう。そして彼らはサーバーに引きこもり、地上をラシャに明け渡してしまったのである。

 


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