ラストスタリオン   作:水月一人

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じゃあそれだ。もうそれでいいじゃねえか

 迎賓館は帝都アヤソフィアの中枢にあって、周りには皇帝の居城と大名屋敷みたいな建物が並んでいた。従って人通りは少なく、勅使にはすぐ追いつけるつもりだった。ところが、迎賓館を出て通用門を抜け、左右を見渡して見てもその姿は見当たらず、慌てて門番に確かめたところ、彼らは乗ってきた馬車でさっさと帰ってしまったらしかった。

 

 乗り物に乗ってきていることを考慮に入れていなかった。走っても多分追い付けないだろうから、空を飛んで追いかけようか? と思いもしたが、どう考えても騒ぎになるから自重した。例えるなら、ホワイトハウスの上にドローンを飛ばすような物だからだ。まあ、あれは飛んでるところが見つからなかったから騒ぎになったわけだが。

 

 途方に暮れていると迎賓館の中からジャンヌとサムソンが追いかけてきて、

 

「もう、白ちゃん。外出するんなら言ってよ。私も一緒に行くわよ」

「いや、遊びに行くんじゃないから。アイザックが追い返しちゃった使者を追いかけようとしてたんだ」

「あらそうなの?」

「見失っちまったんだけどな……まいったなあ。どっちいけばいいんだろう」

 

 鳳は取りあえず、使者が去っていった方へ向かって歩き出した。その直後に二人が続く。こんなゾロゾロ行っても仕方ないのだが、どうせ断っても勝手についてくるだろう。ジャンヌのことは嫌いじゃないのだが、女になってからなんか前より面倒くさくなったな……などと要らぬことを考えていたら、更にその金魚の糞であるサムソンが話しかけてきた。

 

「勇者は帝都に数日前から居たんだろう。ならこの近辺の道に詳しいのではないか? ある程度行き先に心当たりはないのか」

「いや、全然。あんたらが来るまで迎賓館に引きこもっていたようなもんだから」

「何故だ? もしかして、帝国に不当に扱われていたのか?」

 

 鳳はブンブン頭を振ってから、

 

「とんでもない。監視付きだけど、自由に出入りしても良かったんだよ。ただ、俺が勇者だってことがすでに市中に知られてたから、下手にお供を連れて歩き回ったら、帝国人を刺激しちゃいそうだったんで……」

「ははあ、勇者様サインくださいって感じだろう」

「いや、逆だよ。帝国人は勇者を恐れてるんだ」

 

 その言葉にサムソンは目を丸くして、

 

「なに? しかし、俺たちが帝都に入城した時の様子を見ただろう。帝国人たちは魔王を倒した俺たちを大歓迎してくれたじゃないか」

「魔王討伐は帝国人の悲願だからな、でもそれとこれとは話が別なんだよ。帝国も長いこと勇者派と戦っていたから、アイザックみたいにすぐには勇者軍を受け入れられないらしいんだ。勇者への感情もまた複雑なものみたいだね」

「そうなのか。歓迎されているものとばかり……戦争とは面倒くさいものだな」

 

 鳳とサムソンがそんな話をしているときだった。男同士の戦争の話からちょっと距離を置いて歩いていたジャンヌが、突然、何かに気づいたように耳をそばだてて、

 

「あれ……? ねえ、白ちゃん。何か聞き覚えのある音がしない?」

 

 言われて耳を傾けてみるも、特に変な音はしない。しかし、何かの聞き間違いじゃないか? と言おうとした時、コーン……っと、確かに聞いたことのある音が聞こえた。

 

「なんかめっちゃ懐かしい感じの音だな……なんだろう」

「これって、鹿威しじゃない?」

「ししおどし……? あー、あの竹のやつか」

 

 そんな話をしている間も、遠くの方からコーンと懐かしくて、なんだか落ち着く音が聞こえてきた。その音を聞いているうちに、鳳もジャンヌも本来の目的を忘れてしまって、まるで吸い寄せられるようにその音の元へと歩き始めた。サムソンがそんな二人の後を追う。

 

 そうして三人がたどり着いた先は、中々立派な竹林があった。表面に白い粉を吹いたような青々とした幹はどこまでも伸び、中が空洞とは思えないほど硬そうだった。竹林の中は真っ暗で下草は生えていない。今は時期じゃないがタケノコ掘りをしたら楽しそうだ。

 

 そんなことを考えながら見てみれば、その竹林を竹で組んだ垣根がぐるりと囲んでいた。その光景がますます日本を思い起こして、鳳たちは驚いた。風を受けてざわざわと鳴る竹林の奥から、またコーンと澄み渡る音が聞こえる。

 

 鳳たちは垣根の間に小径を見つけると、その音に誘われるように中へと入っていった。するとそこには綺麗な白い砂利で覆われた庭園が広がっていた。植えられている木々も松のような針葉樹で、いかにも日本庭園っぽい。

 

 飛び石が庭のあちこちに張り巡らされており、小さな池のほとりには、さっきから聞こえていた鹿威しが置かれていた。そこに竹の樋を伝ってどこからか引っ張ってきた水が注がれて、定期的にコーンコーンと音が鳴るような仕組みになっているようだった。

 

 時期的に紅葉がかってきた庭の樹木が彩りを添えている。奥の方には東屋代わりに大きな朱傘が立てられていて、その下に待合の椅子が置かれていた。そのすぐ奥には小さな冠木門があって、これまた竹の生け垣が奥の空間とを隔てている。

 

「これ……完璧に日本のお庭よね?」

「そうだな。どこに出しても恥ずかしくない露地だ」

 

 鳳たちが感嘆の息を漏らしていると、一人だけ意味がわかっていないサムソンが首を傾げながら、

 

「お前たちが何を驚いているのかが分からん。この庭に何か仕掛けでもあるのか? こんなところで見てないで、中に入ったらどうだ」

 

 無造作に足を踏み入れようとする彼を鳳が慌てて引き止める。

 

「あ、こら! 土足で人んちに上がるんじゃありません!!」

「ええっ……なにゆえ!?」

「せっかく綺麗に整えられてるんだから、砂利は踏まないで、こっちの飛び石を渡っていくんだよ。ほら、よく見ると飛び石の真ん中にわざとらしく枝が置かれていたり、なにか印がついてたりするだろう? あれは踏んじゃ駄目って印なんだ」

「ふむふむ」

「んで、それを避けて通れる石を渡っていけば、この庭の主人がお客に見せたかったものが見えるって寸法だ。ざっと目で追ってった感じ、多分、こっちからあの池のほう通って、それから寄り付きに辿り着くってコースじゃないか」

「へえ~、そんなルールがあったのね。知らなかったわ」

「何やってんだ、お前ら?」

 

 鳳たちがしゃがみこんで飛び石を見ていると、いつの間にか彼らの背後に近づいていた何者かから声が掛かった。そりゃ、他人の家に勝手に入ってこんなことをしていたら当たり前なのだが、突然声を掛けられた三人がびっくりして、飛び上がるように振り返ると、そこには片方の眉毛を釣り上げて、訝しげに彼らを見下ろすヴァルトシュタインが立っていた。

 

「あれー!? ヴァルトシュタインじゃないか。何故ここに?」

「さんを付けろよ、さんを。俺のほうがずっと年上なんだぞ、この野郎」

 

 しかもそのヴァルトシュタインは、涼し気な着流しのような和服をまとっている。帝都に来てから、修道士みたいなローブや、ローマ人みたいなトーガを着ている人は見たことがあったが、こんな時代劇みたいな格好をしている人は初めて見た。やっぱり帝都には、日本人がいるのだろうか?

 

 三人は、やってきたヴァルトシュタインと連れ立って、飛び石を通ってさっき遠くに見えていた朱傘の待合まで歩いてきた。彼はそこにあった椅子にどっこらしょと腰を落ち着けると、懐に忍ばせていた煙管に火を入れて美味そうに吸っていた。

 

 見た目は欧州系のようだったが、なんだか日本びいきの外国人みたいに、やたらとそういう格好が似合っていた。その服はどうしたんだと尋ねてみたら、

 

「おう、ここの主人に貰ったんだよ。兵舎に行ったらまだ着いて間もないってのに、茶ぁしばきに来ないかって手紙と一緒に当たり前のように届けられていた。なんつーか、こういう、人が驚くようなことが好きなやつみたいだな」

「へえ……そういや、あんたは元々帝国人だったな。それじゃあ、帝都にいた頃はこの辺りに住んでいたのか」

 

 するとヴァルトシュタインは苦笑気味に首を振って、

 

「馬鹿を言え、神人でもない俺が帝都になんか住めるものか。俺はボヘミア出身の傭兵だよ。魔物退治や反乱鎮圧で手柄を立てていたら、いつの間にか序列が上がってたんだ。だが、平民じゃ爵位は上がらないから、司令官なんてなっても神人は誰も言うこと聞きゃしねえ。皇帝はまた戻ってきてくれなんておべんちゃら言ってるみたいだが、俺は二度とゴメンだね」

「そ、そうか……あんたも苦労してるんだな。就職先が見つかってよかったね」

「まあな。んで?」

「ん? でって?」

「さっきも言っただろうが。お前ら人んちの前で何やってたんだ? 見た感じ、お前らもここの主人に呼ばれたってわけじゃないだろう」

 

 言われて思い出した。鹿威しの音に釣られて入ってきてしまったが、元々は全然別の理由で外出したんだった。鳳は首を振ると、

 

「いや、実はアイザックが皇帝の勅使を追い返しちゃってさあ。それを追いかけていたんだけど、見失っちゃって。そしたら、ここから聞き覚えのあるっつーか、懐かしい音が聞こえてきたもんだから、ついフラフラと入ってきちゃったんだよ」

「なにぃ~? 勅使を追い返しただと……? あの馬鹿、また戦争でもおっ始めようってのか」

「なんか敵地だと思って興奮しているみたいなんだよ。皇帝には絶対頭を下げたくないってふんぞり返ってて、そしたら勅使が怒っちゃったみたいで」

「そりゃ、怒るだろうが……仕方ねえなあ。ならちょうど良かった、ここの主人に相談してみたらどうだ?」

「ここのご主人に?」

 

 鳳は思案した。ここは迎賓館や皇居に近い、いわば一等地である。周辺には大名屋敷みたいな建物がずらりと並んでいるわけだから、ここに住んでいる主人もまた、帝都の中枢に顔が利く実力者と言うわけであろう。なら相談しない理由はない。

 

「そりゃ願ったり叶ったりだけど、いきなり押しかけたら心証悪くないか」

「俺からもお願いしてやるし平気だろ。おっとりした奴だから怒りゃしないさ」

 

 鳳はヴァルトシュタインに頷き返してから、さっきから思っていた疑問を口にした。

 

「ところで、ここの主人ってのは一体何者なんだ? 実はあんたのその格好って、俺たちの出身国の民族衣装によく似てるんだ。っていうか、この庭の雰囲気も全体的にそんな感じなんだけど……」

「ん? そうなのか……? あー! そう言えば、お前たちも勇者である前に放浪者だったっけな」

 

 ヴァルトシュタインはポンと手を叩いてから、

 

「お前らが篭もっていた、今はフェニックスと呼ばれる街があっただろう。ここの主人も、あの時の防壁を見て自分の国のものに似ているって言ってたな。もしかすると、同じ国出身なんじゃないか」

「へえ、誰だろう。名前はなんつーの? 聞いたら分かるかも知れない」

「名前は……あー……いっつも軍師って言ってたから忘れちまった」

「おいおい、これから会おうってのに、そんなんで本当に大丈夫なのか? お願い聞いてもらう以前に、嫌われちまうぞ」

「そ、そうかあ? うーん……なんつったかな。確か、ソウシキとか、ソウウケとか……そう……そう……早雲?」

「そりゃどっちかつーと下剋上した人だぞ。甲斐宗運ならそれっぽいけど……軍師なのかなあ?」

「太原雪斎みたいなポジションよね」

「日本で軍師って言ったら、やっぱあれだろ、山本勘助とか黒田官兵衛?」

「竹中半兵衛とか角隈石宗なんかも有名ね」

「じゃあそれだ。ソウなんとかって言ってたからきっとそれだ。もうそれでいいじゃねえか」

「適当過ぎんだろ、絶対違うぞ」

 

 ヴァルトシュタインに半ば強引に言いくるめられそうになっていると、冠木門の向こう側からクククっと吹き出すような忍び笑いが漏れてきた。会話が止まり、沈黙が場を流れると、暫くしてからそろりと引き戸が開けられ、中からバツの悪そうな顔をした男が出てきた。

 

 優雅な立ち居振る舞いの男で、長身痩躯で黒ずくめの出で立ちをしていた。その黒い羽織袴と黒目黒髪からして、いかにも日本人風であり、鳳とジャンヌは懐かしさもあって思わずおおっと声を漏らした。

 

 男はそこに居るはずのない鳳たちを認めると、ヴァルトシュタインに会釈してから、

 

「失礼……用意が整いましたのでお呼びしたのですが、中々閣下がおいでにならぬものですから、はて、何か手違いでもあったかと様子見に覗ったところ、興味深い会話が聞こえてきたもので、つい立ち聞きをしてしまいました。お楽しみのところ水を差してしまい申し訳ございません」

 

 男はそう言ってバカ丁寧にお辞儀をしてみせた。鳳たちは寧ろ闖入者である自分たちの方がよっぽど悪いんだからと、慌てて手を振り首を振って、

 

「いやいや、こっちこそすみません。勝手に入った上に、お客さんを引き止めるようなことをしてしまって……」

 

 鳳はそう言ってからちらりと上目遣いに、

 

「ところで……見た感じ、日本の方とお見受けしましたが……もしかして?」

「ええ、そうです。日本より参りました。このような場所で、まさか同郷の方と再会できるとは夢にも思わず、いささか驚いております」

「やっぱり! この庭を見た時からそうなんじゃないかと思ってました。えーっと……こりゃ失礼。名前を尋ねるなら、まずはこちらから名乗った方が良いですよね」

 

 鳳がそう言って、慌てて自己紹介しようとした時だった。男はさっと手を上げると、にこやかな笑みを浮かべながら、やんわりとそれを制するように言った。

 

「その必要はございません。存じ上げておりますよ、鳳白様」

「あれ?」

「実を申しますと、あなたが召喚される数日前に、陛下から色々と尋ねられました。私が同郷だから、あなたのことを何か知ってると思ったのでしょう。生まれた時代が違いすぎるのですけどねえ」

「ありゃ、そうだったんですか。その節はご迷惑をおかけしました」

「いいえ、私も日本のことを色々と思い出せて、楽しい時間でしたよ……おっと、失礼。私の方こそ、いつまでも名乗りもせずに申し訳ございません」

 

 男はハッと思い出したかのようにそう言うと、両手を腰にピッタリとつける気をつけの姿勢で深々と日本式のお辞儀をしながら、少しいたずらっぽく言った。

 

「閣下にももう忘れないで頂きたいのですが、私の名前は宗易。千利休宗易(せんのりきゅうそうえき)と申します。以後お見知りおきを」

 

 その名前を聞いて、鳳もジャンヌも思わず目を見開いた。日本人の彼らからしてみれば、下手をしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチと出会った時以上の衝撃だった。利休はそんな二人の戸惑う姿を、面白そうに見守っていた。

 


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