ラストスタリオン   作:水月一人

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茶室にて

 鹿威しの音に釣られて迷い込んだ庭の持ち主は、日本人にはお馴染みの千利休だった。この世界には地球の偉人が多数紛れ込んでいるようだから、いつかは出会うと思っていたが、自国の偉人との初めての邂逅に否が応でもテンションが上がる二人であった。

 

 突然の訪問であったにも関わらず、利休は一期一会ですからと言って、鳳たちも茶席に招待してくれた。まさか天下一宗匠にお茶を点てて貰えるとは思わず、ヴァルトシュタインが彼と知り合いでなければこんなことは起きなかったのだろうから、鳳は初めてこいつ凄いやつだったんだなと、妙なところで感心していた。

 

 利休は、それじゃあ改めて用意をしてくると言ってまた門の向こうへと消えていった。元々、ヴァルトシュタイン一人を招待しただけだから、鳳たちの分は用意されていなかったのだろう。もちろん、突然の来客に対応出来るように、いつでも準備はしてあるだろうが、本来なら友人との久しぶりの再会だったろうに、こっちこそ水を差してしまって申し訳なかった。

 

 その後は特にこれと言った会話も無く、四人でぼんやりと庭の風景を眺めていたら、門の中から手水に水を入れる音が聞こえてきた。それを合図にヴァルトシュタインが立ち上がり、鳳たちを連れて門に入っていった。

 

 門の中もまた露地になっていて、表の庭とは違って簡素ではあったが灯籠や季節の花が目を楽しませてくれた。関守石のルールに従って飛び石を渡っていくと、それは母屋に向かっているようだった。そのすぐ傍にはいかにも利休が好みそうな小さな茶室があったが、本当ならそっちを使うつもりが、大人数になってしまったから母屋に作った小間へ案内しているのだろう。とは言え、こちらも四畳半しかないので、普通の人の感覚では十分狭かった。

 

 露地は俗世間と茶室という別世界を隔てる幽世のような場所で、本来なら声を立ててはいけないらしい。茶室に辿り着くまでにいくつかの門を設け、そこを潜る度に俗世間の垢を落として、厳かな気持ちで茶室に入りましょうと言うことなのだろう。利休の師匠に当たる武野紹鴎(たけのじょうおう)は臨済宗のお坊さんでもあったから、侘び茶に禅の考えを取り入れたためにそうなったようだ。だから茶室も方丈(よじょうはん)なのだろうか。

 

 とは言え、本当に黙ってしまったら初心者のサムソンなんかは何をやってるか分かるわけがないので、みんな割と普通に喋っていた。流石、友人というだけあって、ヴァルトシュタインは既に何度か茶事に招待されたことがあるようで、戸惑うジャンヌやサムソン相手に、蹲居(つくばい)ではこうやって手を洗うんだとレクチャーしていたりと、思いがけず頼りになった。見た目、外国人である彼らが日本の文化に触れている姿を見ると、コロっと行ってしまいそうな嬉しさがこみ上げてくるのは何故なんだろう。

 

 (にじ)り口をくぐり抜けてすぐの床の間には、恐らくは利休本人が書いたのであろう墨跡と花入れが飾られていた。それを鑑賞していたら、続けて入ってきたサムソンがどうしてこんなに入り口が狭いのかとボヤいていたので、茶室に武器を持ち込まないように工夫しているんだと答えたら、「それじゃあ、俺は入っても良いのか?」と真顔で問われて返事に困った。言われてみれば、全身武器みたいなこの男はどうしたらいいんだろうか。

 

 茶室はちゃんとイ草の畳敷きになっていて、あまりの懐かしさにこみ上げてくるものがあった。こんなファンタジー世界に来てまで、流石の拘りだなと思ったが、逆にファンタジー世界だから拘ったのかも知れない。最近はフローリングじゃないと家が売れないと言うが、やはり日本人は畳のほうが落ち着くような気がする。

 

 間もなく、母屋に通じる戸から主人が入ってきて、道具を並べて炭点前を開始し、炉に掛けた釜がぐつぐつと音を立てると、いよいよ天下の宗匠の点前が始まった。もちろん、突然の訪問だから略式なのだろうが、相手が相手だけになんだか真剣勝負のような迫力を感じるから恐れ入る。ヴァルトシュタインが普段どおりリラックスしているのは、相手を知らない気楽さだろうか。

 

 利休の点てたお茶は、まず正客であるヴァルトシュタインに出された。彼の性格からして豪快に飲み干して、「不味いもう一杯」とか言いそうなものだが、ちゃんと正面を避けて90度茶碗を回してから口に含んでいたのには結構驚いた。鳳もマナーを学ぶために茶道をやらされたのだが、400年前も同じことをやっていたのだ。回ってきた茶碗は伝承通り真っ黒で、本当に千利休なんだなと感慨深かった。

 

 心配されたサムソンであったが、ちゃんと他の三人の様子を見ていて、たどたどしい仕草で茶碗を回していた。ただ、回し方がわからないみたいで、最終的に反時計回りに一回転させていたのは、ある意味見ていて面白かった。そんな古今無双のサムソンも、流石に正座はきつかったようで、足を崩していいと言われて嬉しそうに立ち上がろうとしてゴロンと転がり笑いを誘った。おかげで雰囲気も和やかになって、茶室にはリラックスした空気が漂い始めた。

 

「鳳様は、まだお若いのに立ち居振る舞いがご立派ですね」

 

 そのままお茶菓子を食べながら談話が始まると、暫くして利休がそう言ってきた。相手が相手だけに恐縮しつつ、

 

「実は茶道の経験がありまして」

「茶道……ですか」

 

 まさか茶道の開祖がそれを聞いて首を捻っているのは不思議なものだが、実際のところ茶道と呼ぶようになったのは彼の死後であるから当然といえば当然だった。鳳はせっかくだからと、耳かじっていたことを教えた。

 

 千利休の切腹後、一時は断絶した千家であったが、孫の宗旦の代になると、彼は生活のために散り散りになっていた養祖父の茶道具を回収し始めた。利休の孫ということもあって、仕官の口は引く手あまたのようだったが、彼は生涯清貧を貫き、代わりに子供たちを大名家へ指南役として送った。それが表千家、裏千家、武者小路千家である。

 

 こうして花開いた江戸の茶道文化だったが、明治維新になると武家社会の旧弊とされ、新政府に嫌われてあっという間に没落した。茶道は廃れ、彼らの収集した名物にも値段がつかなくなってしまったが、それを救ったのが当時の数寄者である財界人たちだった。いくら旧弊と言ったって、外国人からすれば結局のところ江戸文化が日本の文化なのだから、彼らと付き合いのある財界人にとっては貴重だったわけだ。

 

 その後、財界のスターがこぞって茶道具を蒐集していると知られると茶道は見直され、表千家、武者小路千家などはスポンサーに恵まれ息を吹き返し、裏千家は女性の礼儀作法教室として成功して現在に至る。そんなわけで、街で見かける茶道教室は大体裏千家なのだそうだ。

 

「宗旦と言えば少庵の子ですか……そう、あの子が……」

 

 利休は感慨深そうに何度も頷いた後、ふと思いついたように、

 

「鳳様は歴史にお詳しいのですか? でしたら、豊臣家はその後どうなったのか、お聞かせ願えますでしょうか」

 

 鳳はジャンヌと顔を見合わせてから、探るような口調で続けた。

 

「えーっと、その……豊臣家は、その後すぐ滅びました」

「滅んだ……? なんとまあ」

「やっぱり、恨んでらっしゃるんですか?」

 

 千利休と言えば晩年になって、秀吉に切腹を命じられた人だ。だから当然恨んでいて、その後のことを聞きたいのだろうと思ったのだが、

 

「恨む……? とんでもない。どうして私が殿下のことをお恨みするようなことがございましょうか」

「え? そうなんですか?」

「太閤殿下には、あれだけ取り立てて頂いたのですから、感謝こそすれ恨みなどございませんよ。切腹を命じられたことなら、あれは私が実権を握りすぎたのが良くなかったのでしょう。私は武人ではなく、大名でもなく、ただの数寄者でしたから」

 

 大友宗麟が上洛した際、彼は秀吉に『公儀のことは秀長に、家中のことは宗易に聞け』と言われたそうである。つまり大和大納言と称される弟秀長と同列に扱われるくらい、この時の利休は厚遇されていたわけである。

 

 ところが、秀長が死んでしまうと雲行きが怪しくなった。公儀のことは秀長に聞けとあるように、洛中の大名を取り仕切っていたのは秀長だったわけだが、彼が死んでしまったせいでそれまで一人に集中していた権力が分散してしまったのだ。

 

 その頃の秀吉には、甥の秀次と秀秋という二人の後継者がおり、更には弟の死と時を同じくして、二番目の子供鶴松が生まれるという出来事があった。結局、この鶴松は夭折してしまうのであるが、後に直子の豊臣秀頼が後を継ぐことから考えても、この頃の豊臣家中がごたついていたのは間違いない。

 

「あの頃、大名たちは、殿下の後継者を巡って派閥争いを始めておりました。秀次派と秀秋派に分かれ、殿下亡き後の世で、あわよくば立身出世しようと画策していたのです。当然、私に近づこうとする輩も後を絶ちませんでしたから、殿下は家中を引き締めるためにも、私に死を賜ったのでしょう。その後どうなったかは存じませんが、さぞかし効果は覿面だったでしょうね」

「……まるで他人事みたいに言ってますけど、死ぬのは怖くなかったんですか?」

「そんなもの見慣れておりましたし、侘び数寄も仏教の端くれですゆえ……死は人の世の終わりではなく、この世の終わりに過ぎません。人は未練があるから死を恐れるのであって、その死に意味を見いだせるならば、腹を切ろうが首を落とされようが、自然に死ぬのとなんら変わりありますまい。太閤殿下は、私にその意味を与えてくださったと思えば、思い残すこともございませんでした」

 

 これぞ戦国時代の人の死生観と言ったところだろうか。それにしても、どうもこの利休はよほど秀吉が好きらしい。大体、晩年の彼は悪く書かれるものであるが、政権交代の末期とはどれも似たようなものなのだから、人によってはあの頃が良かったと言うこともあるだろう。

 

「現にこうして、新たな世でまた好きに侘び茶を続けていられるのですしね。こちらでは肩肘張らず、毎日が楽しゅうございます」

「そう言えば、皇帝に謁見していたり、こちらでも大分出世されてるみたいですけど」

「いえ、特に役職を頂いているわけではございません。私はミトラの出身なのですが、あちらには修行僧が多く、この世に降り立って以来、彼の地で侘び数寄を続けていたら、いつの間にか神人の方々に一目置かれるようになっていたのです。彼らは抹茶が大好物なのですよ。大変喜ばれるのでつい嬉しくて、もてなしているうちに自然と……」

 

 そう言えば、お茶に含まれるカフェインにも覚醒作用があるから、MP回復に有効なのだ。濃茶などは今で言うエナジードリンク並みにカフェインが入っているので、草庵の厳かな雰囲気と、利休の洗練された作法と合わせて、保守的な神人たちには訴えかけるものがあったのだろう。それで皇帝に献茶するまでに至ったのは、やはり彼の手腕に尽きるのだろうが、

 

「ところで、お前さん、武人ではないと言っていたが、それじゃなんで軍師なんて呼ばれていたんだ?」

 

 鳳と利休が会話を続けていたら、ヴァルトシュタインが背後から話しかけてきた。いつの間にか彼は四畳半の端っこで横になって、頬杖を突いていた。楽にしていいと言われていたが、いくらなんでもそりゃないだろうと思ったが、主人の方は特に気にしていないようだった。

 

「以前にそのように呼ばれている方がいたようですよ。私は放浪者ですので、前世は何をしていたのかとよく尋ねられ、答えているうちにそれなら軍師に違いないと。まあ、武家の方とのお付き合いが多ございましたから、門前の小僧で軍略も多少聞き齧っておりましたし、家内調略のための韜略を嗜んでもおりました。軍配者と似たような立場にあったので、それででしょうかね」

 

 韜略とは六韜三略のことで、一つ一つの合戦に焦点を当てる戦術とは違って、戦を含めた政治全般のことを戦略というが、その語源である。

 

 利休自身も戦に全く縁が無かったわけではなく、小田原征伐に従軍していたりする。日本には軍師という役職はないが、軍配者という従軍して吉凶を占う祈祷師のような者が居た。だが、戦国初期のせいぜい数百人がぶつかり合う戦から、戦国末期の数万が殺し合う合戦が頻発するようになると、彼らの一番の役割は首実検になっていった。

 

 部下が手柄をあげたら上司は賞罰を与えなければならないわけだが、例えば部下が織田信長の首です! と自信満々に持ってきたとしても、それを確かめる術がなければ、上司は彼を褒めることも罰することも出来ないわけだ。

 

 そんな時のために敵味方に顔が広い者が重用されるようになり、大名の求めに応じて色んな合戦に従軍するようになった。従軍すれば戦術にも明るくなる。信長の野望のような戦国シミュレーションをやってると、やたら軍師ポジションに坊主が多いのはそういうわけである。

 

「なるほど、顔が広いからって、そういうわけか。なら尚更好都合じゃねえか」

「なにが?」

 

 鳳はいきなり背中をドンと叩かれて首を傾げた。ヴァルトシュタインはやれやれと言った感じにため息を吐くと、

 

「お前さん方、ヘルメス卿が勅使を追い返しちまったからって、それを追いかけてたんだろ?」

 

 鳳たちは言われてハッと思い出した。和やかな雰囲気に流されていたが、ここへはお茶を飲みに来たわけではない。鳳は改めて利休の前に手をつくと、

 

「あの、宗匠。折り入ってお願いがあるのですが」

「何でございましょう?」

「実は、帝都に入ったばかりだと言うのに、もうヘルメス卿が……」

 

 鳳はアイザックが追い返してしまった勅使のことを伝え、どうにか間を取り持ってもらえないかと頼んでみた。利休は話を聞き終えると、事情は理解したと言い残し、ちょっと待っててくれと言って奥へと引っ込んだ。

 

 それから暫くして戻ってきた彼が持ってきた物は、この街に住む貴族や、現在帝都に来ている五大国の重鎮たちのリストであった。

 


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