利休との邂逅の翌朝、鳳はわけあってヴィンチ村へ帰る準備をしていた。トラブルを起こしたアイザックの尻拭いに、仕方なく工作をするためだった。
「白ちゃ~ん? いないの~? 白ちゃーーんっ! どこ~……」
そんな鳳の姿を探してジャンヌが部屋を覗き込んできた。彼がさっと物陰に隠れると、彼女のすぐあとにサムソンが続き、「勇者はいないのか?」と二人でぺちゃくちゃと喋ってから、やがて諦めて去っていった。
パタンとドアが閉じられる音がしてから、彼はのそのそと物陰から出てきて、また荷物を詰め込み始めた。こんな子供じみた避け方はしたくなかったのだが、昨日からジャンヌがやたらと接触を求めてきてウザかったのだ。
別にそれだけなら構わなかったのだが、皇帝と話した勇者の顛末が彼にプレッシャーを与えていた。一次的接触を嫌ってジャンヌをつっけんどんに押し返して、サムソンが悔しそうに臍を噛んでいるのを見るのも嫌だった。恋愛は自由だし、パーティー内でくっつくのも勝手にしてくれればいいが、それに自分を巻き込んでほしくなかった。
女になったジャンヌが別段しつこくなったわけじゃない。男だった頃からわりとこんなものだった。どこへ行くのも一緒だし、いつも護衛のように彼の背後に付き従っていた。それを思うと、女になったことで意識しているのは、寧ろ鳳の方なのだ。彼女のことを異性として見ていなければ、こんなことを考えずに済むはずなのに、今はもうそうすることが出来ないのが、凄く嫌だった。
ヴィンチ村へ行ったらミーティアと会うのは間違いない。そこにジャンヌがいたら、またおかしなことになるかも知れない。だからこれは保険なのだ。彼は自分にそう言い聞かせてから、仲間に黙ってポータルを開くと、まずはフェニックスの街へ向かった。
仲間たちの話では、オークキングを倒した後、オークの群れは自発的に森へと帰っていったそうである。まるで人間を天敵であると認知し、恐れているかのようだった。それは帝国にとっては重畳であったが、大森林に住んでいる獣人たちにとっては大問題だ。
大森林の中に仲間を残してきたマニは、それを見るとすぐに彼らを助けるべく森へ向かって行ったそうである。元々、オーク退治のために集められていた冒険者の一部も、彼についていってくれたそうだが、アントンを含む何人かはギブアップしてフェニックスの街に残ったようだ。
手負いとは言え、今後オークがどういう行動を取るかは未知数である。獣人たちだけに任せずに、また勇者領から増援を送った方がいいだろう。他にもヴィンチ村を起点としてトカゲ商人達が物資の運搬をしてくれている。その指示も含めて、もう一度全体の作戦を見直さなければならなかった。
街へ到着すると、思わぬ歓迎を受けた。これまた忘れていたわけだが、魔王を倒した後、鳳は一時行方不明になっていたのだから、それがひょっこり帰ってきたらそりゃびっくりするだろう。
アントンが泣きながら抱きついてきて、勇者軍の兵士たちから揉みくちゃにされた。一体どうやって助かったんだと言われても説明がつかず困っていたら、一人冷静さを失わずにいたスカーサハに呼ばれて助かった。
幕僚の天幕に呼ばれて帝都での出来事を報告し、特にアイザックが揉めたことを知らせると、彼女はため息交じりに連邦議会に顔を出したいから、勇者領へ帰るなら自分も一緒に連れて行ってくれと言われた。思えばこのひとには体よく足代わりに使われているような気がする。まあ、300年前を思い出して品を作られるよりは、アッシー扱いされてたほうが気が楽ではあるのだが。
その後、ギブアップ組を集めてニューアムステルダムへ飛び、スカーサハに帰りにまた迎えに来ると約束してから、アントンと二人でヴィンチ村へ飛んだ。
久しぶりに帰ってきたヴィンチ村は相変わらず長閑で落ち着いた雰囲気であった。もちろん、ヘルメス戦争の顛末もまだ伝わって無ければ、魔王が出現し討伐されたことすら知らないので、ここでは鳳も揉みくちゃにされることもなく、いつも通りの村だった。
取りあえず、新しい冒険者を雇ったり、今後のことを色々相談しなければいけない。カランコロンとドアベルを鳴らしながら冒険者ギルドの中へ入っていくと、いつものように受付に座っていたミーティアが、おやっとした表情をしながら二人を出迎えた。
「鳳さんおかえりなさい……アントンも一緒とは珍しい組み合わせですね。どうしたんですか。ついにこの男、音を上げて帰りたいとか言い出したんですか」
多分、彼女なりのジョークのつもりだったのだろうが、図星を指されたアントンがバツが悪そうに唇を尖らせる。
「くっ……おまえ、容赦ない女だな。そうだよ! 正直、冒険者としてのレベルが違い過ぎて、ついていけなくなったんだよっ!」
「え? 本当に……? 情けない男ですねえ」
「おまえ、こいつと一緒に冒険したことがないからそんなこと言えるんだよ。空は飛ぶわ、森は薙ぎ払うわ、戦争は止めるし、魔王は倒しちまうし、死んだと思ったら生き返って来たりもするんだぜ?」
「アントン……大丈夫ですか。頭を打ってたりしません?」
「だよなあ、俺の頭がおかしくなったようにしか思えないよなあ? 事実しか言ってないってのによ!」
アントンは不貞腐れてぶつくさ言っている。鳳は苦笑いしながら、
「まあ、色々あったんだよ。実はアントンだけじゃなくって、何人かの冒険者も脱落してるから、人員の補充についてギルド長と相談したかったんだけど……」
「ギルド長なら、ちょうど今タイクーンの館に伺っているところですよ。物資の調達が一段落したので、今後のことを話し合いに行ったんです」
「そっか。じゃあ爺さんのとこで捕まえることにするよ」
鳳がそう言ってギルドから出ようとすると、ミーティアはふと思い立ったように立ち上がって、スススっと鳳の方へと歩み寄り、ほんのちょっと上目遣いでおねだりするように言った。
「あの……ところで鳳さん。今日はこの後、お時間あります?」
「いや、爺さんとこ行ったら、すぐに帰るつもりだったけど……」
とは言っても、スカーサハを迎えに行かなければならないので多少なら時間はある。鳳が何か用事だろうかと尋ねると、
「実は、鳳さんがいなくなってからも、村の方々が食材を分けてくれるものだから、だいぶ余らしちゃってるんですよ。中年のギルド長だけじゃ片付かなくって、勿体ないから食べていってくれませんか?」
「ああ、いいね。ちょうどアントンもいるし、お呼ばれしちゃおうかな」
鳳が応じようとすると、それを横で聞いていたアントンがいたずらっぽく、
「いやあ、俺は遠慮しておくよ。新婚の家庭にお邪魔するような野暮な奴は犬に食われて死んじまえって言うだろ?」
するとミーティアの顔が瞬間湯沸かし器のように真っ赤に……と言うか灼熱に染まり、阿吽の仁王像みたいにオラつきはじめた。
鳳は、確かオークキングとの戦いの前に、とっくにネタバレしていたはずなのにと思い、アントンに確かめようとしたら、彼はニヤニヤしながら目配せしてきた。どうやら、からかっているつもりらしい。
まあ、考えてもみればこんなのバレバレなのに、騙してる本人の方はまだバレてると思っていないのだから、積極的に誤解を解く必要もないのかも知れない。彼女が騙そうとした事情も事情だし、黙っておいたほうが無難だろうか。
しかし、真っ赤になっているミーティアは相変わらず怖い。千年の恋も覚めるくらい怖い。だから安心するんだろうか? 鳳は、その顔を見ていた時にふと思い、なんとなく彼女の手を取った。
「……あの? なんでしょう」
彼女の手は柔らかくて一回り小さかった。すべすべして白魚の手とは言えなかったが、よく働くしっかりとした指をしていた。彼はその指の間に指を絡ませて、自分の右手と彼女の左手を組み、余った左手と彼女の右手をまた組んだ。二人は真正面に向かい合って佇み、彼女が不思議そうに見上げていた。
別に格闘家のような組み手争いがしたいわけじゃない。恋人の振りをしてくれと言われて、それをお首にも出さなかったが、本音を言えば彼女のことは多少意識していた。だから帰ってきて彼女と会うのは若干怖かった。食材が余ってるからご飯を食べていかないかと言われたときもドキリとした。でも言ってしまえばそれは前と同じだった。
レオナルドは、勇者が段々おかしくなっていったと言った。皇帝は、それはラシャの影響によるものだと言った。だから次に会う時、もしかして彼は彼女のことをどうしようもなく欲しくなってしまうのではないかと警戒していたのだ。
でも、こうして彼女の手を握っていても、多少緊張していても落ち着いていられた。だから多分、まだ大丈夫なんだろう。ジャンヌやスカーサハ、それからルーシーのことも意識せざるを得なかったのだが、ミーティア相手にこうして落ち着いていられるなら、無理に避けようとしなくて良かったのだろう。
こうして落ち着きを取り戻してみると、今朝は悪いことしてしまったなと罪悪感が芽生えてきた。ま
あ、やたらベタベタしてくるジャンヌも悪いと思うのだが、そんなこと言ったら、いま鳳の目の前で顔を真っ赤にしている彼女にはもっと悪いだろう。
「ミーティアさんさ。照れると顔真っ赤にして、般若みたいになるよね」
「……はい?」
ミーティアは目をパチクリさせている。そんな彼女のことを呆れた表情で見つめながら、アントンが同じように指摘した。
「おまえ、昔っからそうだよな。知らない人相手だと、怒ってるようにしか見えないんだよ」
「まさか、そんなこと無いですよ?」
「本人、やっぱ気づいてなかったんだな……人を殺しそうな目つきをしていることに」
「そうだな。実際、数人くらいは殺ってそうな顔してるよな」
鳳とアントンの二人が腕組みをして、呆れたようにうんうんと頷いていると、彼女はオロオロしながら、
「あの、鳳さん、からかってるんですよね? 私、そんな変な顔してますか?」
「してるしてる」
「だからお前いつも、いいとこまで行っても、男に逃げられてたんだよ。いい加減、気づいてると思ってたんだけど……今度こそ、本命に逃げられないように、さっさと直したほうがいいぜ」
「う……嘘だ!」
まるで何かを発症していそうな形相でミーティアが叫んでいた。鳳は相変わらず両手をつなぎながら、そんな彼女を微笑ましそうに見つめていた。
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レオナルドの館へ行くと、ギルド長がちょうど帰ろうとしているところに出食わした。鳳は彼を引き止めると、いつもの応接室まで連れて行って、二人にヘルメス領で起きた出来事を報告した。
二人は魔王が現れたこと、更には鳳たちがそれを退治してしまったことに驚いていたが、なによりも戦争が終わったことにはホッとした様子で、
「左様か。あんなつまらない戦争がいつまで続くのかと半ば呆れておったが、魔王の出現がある意味、人類にそれを気づかせるきっかけになるとは、何とも皮肉な話じゃのう」
「オルフェウス卿はそれすら計算の内だったようだよ。今スカーサハさんが、その辺の報告のためにニューアムステルダムへ出向いているとこだ」
「連邦議会は元々戦争に及び腰じゃった。このまま和平と行けば良いが……」
「少なくとも、帝国はそのつもりみたいだよ。ところが、戦争を起こした張本人であるアイザックの方が、どうにも頑なでさあ」
鳳が帝都で起きたことを話すと、レオナルドとギルド長は渋面を作った。
「やれやれ、若いから仕方ないとは言え、おのれの立場もわきまえずにしようのない奴じゃのう」
「このまま、彼をヘルメス卿に戻しても良いんでしょうか……また、カーラ国などのタカ派を集めて、おかしなことを始めなければよいのですが……」
ギルド長がため息交じりに漏らす。元々、この人はフェニックスの街のギルド長だったわけだから、この問題には特に関心が強いのだろう。
しかし、アイザックが頼りないのは確かだが、彼が領内へ戻っただけで民衆が蜂起したり、ペルメルやディオゲネス、テリーの忠誠心を見ていても、彼の人気は間違いないのだ。結局、彼をヘルメス卿に戻してから、和平交渉まで持っていくのが無難だろう。レオナルドはため息交じりに続けた。
「まあ、あれもそこまで馬鹿ではあるまい。今は興奮していても、元の鞘に収まれば落ち着くじゃろう。下手に年を食って凝り固まっておる叔父の12世よりは、まだ人の話も聞くし、頭も柔らかいじゃろうて」
「そうですねえ……このまま和平に至らぬとも、せめて休戦交渉を終えるまでは大人しくしててくれれば良いのですが」
「それなんだけど、帝都で知り合った人に相談して、なんとかなりそうなんだけどさ……」
鳳が言うと、二人は興味深そうに耳を傾けた。
「話を聞こう」
「あいつは生まれつき、帝国は敵だって聞かされて育ったわけだけど……要するに、ヘルメスも帝国の一員であるって自覚が芽生えればいいわけだろう?」
「……そんなことが出来るのか?」
レオナルドたちは半信半疑と言った感じで固まっている。鳳は頷くと、
「元々、政権の中枢にいた人のお墨付きだから、なんとかなるんじゃないか。ただ、そのために爺さんに協力して欲しいんだけど……」
「無論、協力は惜しまぬ。何をして欲しいんじゃ?」
「まずは先行投資だと思って資金提供をお願いしたい。それから、爺さんの直筆で、アイザックこそがヘルメス卿に相応しいって感状を書いてほしいんだけど。結構大量に」
そんなこんなで、三人は顔を突き合わせながら、今後のことについて話し合った。そして鳳は帝都で調略、レオナルドは議会で資金集め、ギルド長は大森林への増援要請と、それぞれが動き始めた。