それから数日間、アイザックは引きこもっていた。皇帝直々のヘルメス公爵位授与式は近づいていたが、彼はその準備を一切せず、出たとこ勝負で受け取って、さっさと国に帰るつもりのようだった。もちろん、そんなことをしたらどれだけ帝国人の心証を悪くさせるかは言うまでもない。だが、生まれた時から宿敵と聞かされて育った相手に、彼は簡単に頭を下げる気になれなかったのだ。
とは言え、戦争を続けるという選択がどれだけ愚かであるかは、流石に彼だって分かっていた。自分さえ我慢すれば和平の道もあるのだと理解していたし、そうすべきだと言うことも彼はちゃんと検討していた。
だが、それでも踏ん切りがつかないモヤモヤしたものが胸の内に燻っていたのだ。彼は別に平和が嫌いなわけじゃない、寧ろ好きだ、腹立たしいが帝国と手を取り合う未来があってもいいと思っている。だが、今のように白黒つけずして、安易にその道に進んでもいいのだろうか。
思い返せば300年前に勇者戦争が勃発し、ここに至るまでに数多くのヘルメス人が犠牲になってきたのだ。自分の代に至るまでの先祖が、そして領民が志半ばで倒れながらも、そのバトンを託してきたのだ。彼はそんな多くの屍の上に立っているのだ。
だというのに、皇帝に臣下の礼を取るような真似をしてもいいのだろうか。これだけ長期間に渡る戦争を続けてきたのだ。既にヘルメスは帝国の一部ではなく、一つの国家なのではないか。わざわざ皇帝に頭を下げて、認めてもらう必要など無く、自分はもう実力でヘルメス卿を……いや、ヘルメス王を名乗ってもいいのではないか。
多分、それは正当な権利だろう。そして恐らく領民は理解してくれる。だが、そうすることは戦争を継続することと同義であった。そして今度こそ、勇者領は離れていってしまうかも知れない。だからそんなことすべきでないと分かっているのに……彼は胸の中に渦巻く様々なしがらみに、がんじがらめになっていた。
そんなある日の朝だった。朝食もまだ食べてない早い時間に、鳳がふらりと訪ねてきた。
「おい、アイザック。挨拶回りに行くぞ、支度しろ」
「なに?」
寝ぼけ眼をこすりながら、突然そんなことを言われたアイザックが首を捻る。見れば鳳の背後には、彼が最も信頼しているペルメルとディオゲネスが控えており、まるで初めから彼の来訪を待っていたかのようだった。
実際、そうだったのだろう。アイザックが挨拶回りとはどういう意味かと尋ねれば、
「お前、帝都に来てから誰とも会わずに引きこもっているだろう。せっかく人脈を広げるチャンスなのに、このままじゃヘルメス卿に返り咲けても、領民を不幸にするだけだ。取りあえず形だけでも良いから顔を売っておけ」
「何のつもりか知らんが、向こうからやってくるならともかく、俺はそんなことをするつもりはないぞ」
「だから、この数日間で分かっただろうに。ここで待ってても、向こうからなんて誰もやって来ないんだよ。お前は自分が大物にでもなったつもりなのかも知れないが、このままじゃ帝都では誰にも相手にされない、ただの頭のおかしな若造でしかないんだよ」
「なんだとっ!? 貴様、愚弄するつもりか!!」
「現実を見ろと言っているんだ。戦争を続けるにも和平するにも、まず相手を知らなきゃ何も始まらないだろう。なのにお前は知ろうともしない。お前は何と戦ってるんだ?」
アイザックは鳳の言葉に何も言い返せなかった。ただ腹が立ち、こいつの言うことだけは聞きたくないと、そっぽを向いた。しかし、そんな彼を嗜めるように、部下の神人二人が懇願するように言った。
「アイザック様、鳳様の言うとおりです。せめて領民のためにも、会いに行くだけでもしてくれませんか」
「何故、お前らまでそんなことを言うんだ」
「鳳様はアイザック様が恥をかかないようにと、先だって根回ししてくださったんです。それにアイザック様は勇者派のトップじゃございませんか。なのに勇者様の言うことも聞けないのでは、示しもつきませんよ」
アイザックは言われてみればそうだなと思った。初めて会った時はレベル1だったし、付き合っていても気安いものだから、つい忘れがちになるが、この男はどうやら本物の勇者らしいのだ。魔王を倒した男を前に、本来ならこんな口の聞き方もないだろう。彼は渋々頷くと、
「お前たちがそこまで言うなら、今日は付き合ってやってもいい。だが、本当に今日だけだぞ? もう金輪際、こんなことはしてやらないからな」
「何でお前はそう無駄に偉そうなんだよ。まあいい、それじゃあ、すぐに行くから早く支度しろよ」
「待て、朝食がまだだ」
アイザックが朝食を用意させようとすると、鳳は慌てて割って入って、
「馬鹿。これから何件回ると思ってるんだ。逆に腹をすかせていないと一日持たないぞ」
「何を言ってるんだ? 食べ歩きに行くのではあるまいし」
「良いから黙って言うこと聞け。今日だけなんだろ」
アイザックは憮然としながら従った。
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以前も軽く触れたが帝都は
だから挨拶回りに行くといっても、殆ど一箇所に固まっているから移動面では楽と言えた。しかし、小さな町故に行動が筒抜けだから、その動向次第ではどんな噂が立つかわからないという面倒臭さがあった。アイザックは、そんな中に敵国の首領として入ってきて、一切姿を見せずに引きこもっていたのだから、帝国人からすれば不気味で仕方なかったろう。これじゃ、和平交渉なんて雰囲気でもない。だからまずはその印象を変えねばならなかった。
とは言え、闇雲にご近所さんに挨拶して回っても意味はない。お引越しの挨拶じゃないのだから、ちゃんと手順はある。例えば、田舎に引っ越したは良いものの、村長に挨拶しなかったばっかりに村八分にあったなんてことは、現代でもざらにある話だ。保守的な人間ほど序列を気にする。だからまず敵の大将に会いに行くべきなのだ。
「なに、カイン卿!? カイン卿に会いに行くというのか、君は?」
「そうだ。今、帝都に居る中では皇帝に次いで偉い人だからな。まず外せない」
「しかし、カイン卿とは勇者戦争勃発当時からの因縁だぞ? そんなのに突然会いに言っても、門前払いされるだけだ」
「いいや、会ってくれるはずだ」
「何故、そう言い切れる?」
「それは俺が勇者で、おまえがヘルメス卿だからだよ」
カイン卿の藩邸は意外にも皇居周りではなくて、そこから少し離れた辺鄙な場所にあった。それは別に皇帝を嫌ってというわけではなくて、金持ちは郊外を好むというやつだろうか、騒がしい中央よりも、静かで落ち着いた場所に、大きな邸宅を建てた方が良いといった感じであった。
屋敷に着くと、神人二人は鳳たちに先行して母屋の勝手口へと駆けていった。使用人に二人の到着を告げるためである。しかし大きな門を潜って更に馬車道を数分歩き、ようやくたどり着いた母屋で二人を出迎えたのは、カイン卿ではなくその使用人だった。アイザックは、それ見たことかとドヤ顔をしていたが、鳳が『勇者が来た』と告げると、使用人はバカ丁寧にお辞儀をしてから奥に引っ込み、代わりに壮年の白髪男性がお供を大勢連れて現れた。
神人の年齢を気にしても仕方ないだろうが、カイン卿は見た目還暦を過ぎた辺りのダンディな男だった。長い間権力の座に居続けていた者が放つ独特な威厳を湛えており、お付きの者たちが緊張感を漂わせているのは、ここにいるのが長年の宿敵である勇者とヘルメス卿と知っているからだろう。
あまり修羅場を潜った経験の無い者ならチビってしまいそうな雰囲気であったが、そんな中、鳳は臆することなく一歩踏み出すと、
「お初にお目にかかります、カイン卿。私は鳳白と申します。皇帝陛下に帝都へ呼ばれてから大分経ってしまいましたが、ご挨拶に参りました。突然押しかけて申し訳ございません」
カイン卿は剣呑な雰囲気を崩さずに言った。
「これはご丁寧に痛み入ります。今代の勇者様も若いのに、とてもしっかりしておりますな。そちらの方はヘルメス卿とお見受けしますが」
「ひゃい!」
アイザックの声が裏返る。お供の男たちから失笑が漏れると、彼の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。カイン卿はそんな部下たちを嗜めるように手を翳すと、
「ヘルメス卿も長旅でお疲れの様子。私も忙しい身ですので、今日はこの辺で。帝都にいらっしゃるなら、また会うこともあるでしょう」
カイン卿はそう言ってさっさと奥に引っ込もうとした。けんもほろろと言った態度である。アイザックは悔しさと恥ずかしさで、早く逃げ出したいと思っていたので、彼のその態度が今は寧ろありがたかった。彼は早く帰ろうと、鳳の服を引っ張った。
と、その時だった。奥へ引っ込もうとしていたカイン卿に使用人が近づいてきて耳打ちした。彼はそれを聞くと表情を変えて少々思案してから、また来訪者たちの方へと向き直り、
「せっかく訪ねて来てくださったのに、このまま帰すのも失礼でしょう。朝食の間でしたら時間が取れますから、よろしければご一緒にどうですか」
「謹んでお受けいたします」
鳳が間髪入れずそれを受け入れる。アイザックは本気か? と戸惑いつつも、案内されるまま、さっさと屋敷の奥へと歩いていく鳳の後を慌てて追いかけた。
カイン卿が何故心変わりをしたのかは見当もつかなかったが、ともあれ二人はそのままカイン卿直々に屋敷の奥にある応接室へと案内された。朝食と言っていたが、そこに朝食など並んでおらず、代わりにこれでもかと言うくらいケーキやお菓子が並んでおり、使用人が目の前で熱々のミルクティーを淹れてくれた。
いつの間にかカイン卿を取り巻くお供は居なくなっており、応接室は使用人を除けば、主人と鳳たち三人だけになっていた。それは恐らく、カイン卿なりの信頼の証なのだろうが、アイザックはそんなことも気づかないほど余裕を失って、ガチガチに固まってしまっていた。鳳は、まあ最初は仕方ないと思いつつ、彼をフォローするつもりでカイン卿との会話を引き受けた。
「ところで先程、今代の勇者とおっしゃってましたが、カイン卿は300年前の勇者に会ったことがあるんですか?」
「無論です。我々は無駄に長生きですから」
「300年前の勇者はどんな人でしたか。私と似ていたんですか?」
するとカイン卿はじっと鳳の顔を見つめてから、
「そうですな。雰囲気は似ておりますが、あなたの方が彼よりも落ち着いて見えます」
カイン卿はそう言って少し不機嫌になってしまった。確か庶子とは言え、娘が食われてしまったそうだから、それを思い出して気分を害してしまったのだろうか。娘は人間だったから、彼よりも先に逝ってしまった。そして彼は亡き娘を思ってますます勇者への憎しみを深めていったのだろうか……この話は、あまり引っ張らない方が良さそうである。
しかし……300年前の勇者と鳳は恐らく同一人物である。ところがレオナルドもそうであったように、関係者は皆、何故かそのことを忘れてしまっている。これはどうしてなのだろうか。
事情を知っている皇帝も、鳳とかつての勇者が同じであることを認めながらも、別人のように扱っている。それは彼女にも記憶がないからだ。鳳自身も300年前の記憶なんてないし、300年という月日がそうさせるということは考えられなくもないが……こうも立て続けにみんなが忘れているとなると、何か人為的な力が働いているとしか思えない。
それは一体なんなんだろうか。今のところ、それに繋がるような情報は何も出ていない。自分がおかしくなる前に、何か分かればいいのだが……取りあえず、今はそのことは置いといて、アイザックの方に集中した方がいいだろう。
カイン卿はアップルパイみたいなタルトを食べている。どうやら甘いものが好きなようだ。それから、庭で何頭も犬を飼っていること、そしてこんな郊外に屋敷を構えていることからしても、狩猟の趣味があるようだ。利休から事前に仕入れていた情報とも一致する。鳳はそれを思い出しながら、巧みに話題を誘導していった。
「ヘルメス卿も暫く帝都に滞在されるのであれば、近い内に是非一狩り行きましょう」
朝食の間だけと言っていたが、それからおよそ2時間位、鳳たちはカイン卿と会談を続けることになった。鳳が趣味の話題を振り続けることで雰囲気が良くなり、やがて緊張していたアイザックも落ち着き出してからは、自然と和やかなムードで会話が続いた。当たり前だが、戦争の話は一切無かった。
そうこうしている内に、二人ともライフルを嗜むということで、カイン卿が狩猟に誘ってくれることになり、会談はそこでお開きとなった。続きはまたその時にでもと言うことである。彼は最初こそ不機嫌そうだったが、趣味の話題になってからは終始ご機嫌であり、鳳たちが屋敷を辞する時には見送りと共に手土産まで持たせてくれた。
アイザックはそれをありがたく頂戴すると、すんなりと頭を下げて礼を言った。あれだけ警戒していたはずなのに、今はもう全くそんな気はなくなっていた。彼は屋敷を出たところで待機していた神人二人に手土産を渡すと、玄関先で彼に向かって丁寧にお辞儀をしている使用人たちに軽く手を振ってから歩き始めた。
「アイザック様、いかがでしたか?」
鳳たちがカイン卿と会談している間、待合室で相当気を揉んでいたのだろう、屋敷を離れるやすぐ神人たちが首尾はどうだったかと聞いてきたが、アイザックはうんと返事するだけで語らず、彼は逆に鳳に向かってこう尋ねてきた。
「ヘルメスとカインは勇者戦争以来の宿敵同士……正直、こんなに上手くいくとは思わなかったぞ。一体、どんな魔法を使ったんだ?」
「別に。感情のままに国のトップが突っ走れば、国が滅んでしまう。これだけ長い間トップに立ち続ける人が下手な挑発をしたり、それに乗ったりすることはないだろう。だからちゃんと手順を踏まえて近づけば、それなりの対応をしてくると思ったわけだ」
「手順か……」
「おまえは自分が大物になったつもりでいるようだが、大物ならそれに見合った行動をしなければならない。引きこもって周りを威圧するだけじゃただの馬鹿だ。だからそうじゃないところを見せなければならなかった」
「ふ、ふん……別にいつまでもああしてるつもりじゃ無かったさ」
アイザックは渋い顔をしている。緊張も解れて、多少話を聞く気になったのだろうか。鳳はそれならばと続けて言った。
「俺が学んだ帝王学では……権力とは賞罰を与える権利のことなんだ。権力者が適切な報奨を与えるから賢者は力を発揮し、適切に悪を罰するから部下の信を得られる。賢者を安く釣り上げようとすれば必ず人は離れていくし、一つの悪を褒めれば百の悪人が近づいてくる。
大物を釣り上げるなら、それに見合った餌が必要なんだよ。針も餌も小さければ大魚は望めない。また、針も餌も大きければ、小魚は食いつけない。人間もそれと同じで、その人に見合った釣り方がある。お前はまず大魚に見合った餌を与えなければならなかったんだよ」
「餌……」
「つまり、俺たちがカイン卿の邸宅に到着するのに合わせて、贈り物をしておいたんだ。使用人がやってきて、急に態度を変えたのはそういうわけさ。彼は受け取った目録を見て、これだけの贈り物をしてきた相手を無碍に追い返してはいけないと考え直したんだ。後は普通に接していればそれで良かった。おまえとカイン卿は、肩書的には対等なんだから」
アイザックは種明かしを聞いてぽかんと口を開けた。
「なんだ、どんな魔法を使ったんだと思ったら、たったそれだけのことだったのか」
「それだけのことが、意外と人付き合いには効果的なんだよ。そしてたったそれだけのことを、中々人は上手に出来ない。贈賄みたいで恥ずかしいじゃないかとか。そんな金銭の繋がりは信じられないとか言って、結局何もしないんだ。何もしなければ何も起こらないに決まってるのにな」
ナポレオンは皇帝に就任すると、まず真っ先に栄典制度を復活させた。それが現在でもフランス最高の栄誉であるレジオンドヌール勲章である。勲章は権力者が下賜するものだから、革命で自由を勝ち取ったばかりのフランス人たちは旧弊の復活を嫌った。だがナポレオンは、古今東西、勲章無しでやってこれた共和国があるなら教えてもらいたいと聞く耳持たなかった。彼は報奨制度が人心を動かすのに必要なことを理解していたのだ。
「う、うーん……なるほど、よくわかった。仮に金だけの付き合いだとしても、何もないよりはマシだからな」
「そういうことだ、分かってるじゃないか」
「見くびるなよ……それじゃあ、君には迷惑をかけたな。何を贈ったか知らないが、建て替えておいてくれた分はきっちり返そう。いくらだ?」
「金5000だ」
「は……? 金5000……金貨5000枚だと!?」
アイザックは目を剥いた。鳳は簡単に言っているが、金貨一枚は大体10万円くらいの価値がある。つまり5億円をポンと相手にくれてやったというわけだ。それはヘルメスの領主である彼にとっても、おいそれと人にあげられる物ではなかった。
「そ、そうか、それは今日、これから伺う全ての人への贈り物を合わせた合計だな?」
「んなわけあるか。カイン卿に金5000だよ。これから行く、ミトラ、セト、両国にも同じだけ贈っている」
「君は勝手になんてことをしてくれたんだ!」
「勝手というが……逆に聞くが、これだけの大国の領主相手に贈るとして、いくらだったら適正だと思うんだ」
鳳の切り返しに、アイザックは言葉をつまらせた。関係修復を考えればまず妥当だし、かといって敵に塩を送る行為にもなりかねない。言い換えれば絶妙なさじ加減とも言えそうではあるが、
「そ、それは……しかし、国庫にも限度というものがある。俺は今、ヘルメス卿でもないんだから、そんなには払えないぞ? 無駄遣いしたと知ったら領民も怒るだろう」
鳳は苦笑しながら続けた。
「安心しろ、お前は一銭も払う必要はない」
「な、なに? ど、どういうことだ?」
「今回のお前の帝都入りに当たって、勇者領13氏族が資金提供をしてくれたんだよ。連邦議会は元々ヘルメス戦争を続けたくなかったんだ。オルフェウス卿の挑発により、仕方なく兵を送ったが、今回の件で戦争が終結し帝国との国交も正常化されるのであれば、そっちのほうが利益があると勇者領の多くの国が考えている。あのカーラ国でさえ、魔王が現れてしまった以上仕方ないと矛を収めるつもりでいる。つまりお前は、勇者領すべての国とヘルメスを代表してここに立っているんだ。みっともない真似はさせられないと、みんな考えているわけだ」
アイザックは絶句した。自分が迎賓館で不貞腐れている間に、周りではそんなことがあっという間に決められていたなんて……それもこれも鳳が、いや、勇者が帝国と勇者領の距離を物理的にも精神的にも縮めてしまったからだ。
普通ならば、これだけのことを決めるには二ヶ月も三ヶ月もかかるはずだ。それを数日でまとめてきてしまったのは、何よりも勇者の存在と、その奇跡の力に依るところが大きいだろう。
「これから回る人たちのところへは、ヘルメス卿就任にあたっての心付けの金銭と、お前こそがヘルメス卿に相応しいとのレオナルド直筆の感状が届けられている。ついでに、ヘルメスの特産品と、勇者領からのお近づきの品々もだ。お前はこれだけの物を背負って、彼らの前に現れるわけだ。当然、向こうは応対を疎かに出来ないし、お前は失敗するわけにいかない」
「………………」
「出されたものは何でも食えよ。振られた会話は興味がなくても笑顔で答えろ。ミトラ卿、セト卿は絶対として、今日中にあと10件は回るぞ」
鳳の言葉にアイザックは呆然と立ち尽くしていた。そんな主人の両脇を神人二人が抱えて、先をゆく勇者の後に続いた。