ラストスタリオン   作:水月一人

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ヘルメスを背負う者

 ミトラ卿の屋敷はカイン卿のすぐの隣りにあった。と言っても、カイン卿の屋敷が広大であるから、彼の屋敷はずっと皇居寄りではあった。カイン卿の屋敷を囲む巨大な石壁の道を抜けると、今度は打って変わって淡白な生け垣が続いており、ちょうど見頃だったのか、金木犀のような黄色い花が咲いていて、匂いと目を楽しませてくれた。植木は綺麗に刈り込まれていて、屋敷の主の几帳面さと庭にかける意気込みを感じさせた。

 

 正面に回ると大きな棟門があり、それはヒノキで作られた四脚門で、瓦葺きは完全に和風であった。どうしてこんなものがここにあるのかと言えば、それもそのはず、中の庭園も利休好みの素朴な露地で、要はこの家自体が千利休のプロデュースだったのだ。

 

 彼はミトラ国に転生し、そこで自由気ままに侘び数寄を続けていたところ、修行僧の多い土地柄のためかすぐに地元の神人に気に入られて、多くの弟子を持つに至った。そのうち領主の耳にも届いて、膨大な時間を持つもの特有の厭世観に苛まれていたミトラ卿は、すぐに茶道の楽しさを知ったらしい。以来、彼も利休の弟子になって、その文化を帝国に広めようとしているそうである。利休が帝都の一等地に居を構えていたり、皇帝に献茶していたのはそういう理由だった。

 

 その彼の口利きもあったため、ミトラ卿との会談は恐ろしくスムーズに行われた。彼は鳳たちが来ることを予め知っていたので、最初から茶室に招き入れると、そこで利休直伝の点前を披露してくれた。その際、受け取った贈り物の品々に礼を述べた後、

 

「カイン卿にまず会いに行ったのは正しい判断です。私から彼を紹介することも出来たでしょうが、そうしたらシコリが残ったでしょうからね。レオナルド直筆の感状が添えられているのもポイントが高い。彼は帝都でも人気がありますから。誰もが彼の作品を欲しがって止みません。この感状もゆくゆくはものすごい価値になるでしょう。これも、宗匠の入れ知恵で?」

「ミトラ卿にはお見通しのようですね。はい、宗匠には色々とご相談させていただきました」

「流石、宗匠。私など長く生きているだけで、彼の足元にも及びません」

 

 ミトラ卿は自分で点てたお茶を美味そうに啜っている。贔屓にしている利休が褒められたことがよほど嬉しいようだ。

 

 神人の年齢など当てにならないが、彼は見た目は20代くらいの美青年で、ベルサイユのばらにでも出てきそうなキラキラしたイケメンであった。背筋をピンと伸ばして姿勢正しく、茶室に入ってからずっと正座のままびくともしない。逆に斜め前に座るアイザックの方は正座に苦戦して、もはや足のしびれにしか意識がないようだった。ミトラ卿はそんなアイザックの姿を微笑ましそうに眺めていた。

 

 ふと床の間を見れば、花入れの代わりに何故か盆栽が置かれていた。普通はそんなことはしないのだが、ここに置くからにはよほど見てもらいたいのだろう。

 

「盆栽がご趣味なのですか?」

 

 と尋ねてみたら、待ってましたと言わんばかりに食いついてきた。

 

「国の者に勧められて始めたは良いのですが、これが中々どうして奥が深くて……」

「そうですね、盆栽は手をかければかけるほど答えてくれますからね」

「わかりますかー!」

 

 もちろん何一つ分からないが適当に相槌を打って見せると、ミトラ卿は実に嬉しそうに盆栽について語り始めた。きっと普段話し相手がいないのだろう。聞いてもないこともベラベラと止めどなく話し続けて、こちらから話題を振る必要なんてないくらいだった。

 

 会談は終始ミトラ卿のおしゃべりで進んで、彼を上機嫌にすることで終わった。そろそろアイザックも限界だろうという頃合いを見計らって暇乞いを告げると、彼は名残惜しそうに炉に炭を焚べた。

 

 それを見てアイザックが絶望的な表情を見せたが、こういう仕来りなんだよと教えてやると、ミトラ卿は楽しそうに笑っていた。結局、正座をしすぎて立ち上がることが出来なかったアイザックに肩を貸して屋敷を出ると、彼は門の外まで見送ってくれた。

 

 主人を神人二人に任せ、いつまでもにこやかに手を振っているミトラ卿に手を振り返して、鳳たちは軒先を曲がると、ミトラ卿から見えなくなったところでアイザックを地面におろした。

 

 彼はまだ足のしびれが取れないらしく、痛い痛いと愚痴をこぼしていたが、こんなになっても足を崩さなかった根性は見上げたものである。それを褒めてやると、少々頬を赤らめながら、

 

「まったく……なんなんだあれは。いきなり狭苦しい部屋に通された時は冗談だと思ったぞ。それにこの拷問のような仕打ち……君がいなければ、俺は馬鹿にされているんだと思って帰ってしまっていたところだ」

「あー、まー、初心者にいきなりはきついよな。普通はそれを見越して、主人が足を崩していいって言ってくれるもんなんだけどね」

 

 ミトラ卿がそうしなかったのは、多分、アイザックが苦しむ姿を見るのが、よほど楽しかったからだろう。鳳はふと思い立って彼に聞いてみた。

 

「あの茶室を見てどう思った?」

「どうもこうも、あんな狭苦しい中で、男が三人も膝を付き合わせているなんて正気の沙汰とは思えん。あれが本当に、君の国のスタンダードなのか?」

「ああ、本当だ……逆にお前、あんな狭いところに、国のトップがお供も連れず、武器を持たずに顔を突き合わせていたんだぞ。これがどういうことか分かるか?」

「え……?」

「密談し放題ってことだ。あそこに招待してくれるってことは、お前のことをよほど信用しているという心の表れでもあるんだよ」

「はあ~……なるほど、そういう意味があるのか」

 

 まあ、あのミトラ卿がそこまで考えて招待したとは思えないのだが……茶事は室町時代に、まず禅僧の間で流行り、その後戦国武将にも広まったわけだが、あの狭い茶室で万が一行われることを考えると大名は見過ごせないわけである。

 

 そこで織田信長などの大名は、茶器を特別に下賜された者だけが茶会を開くことが出来ると決め、ブランド化したのである。茶会を自由に開ければ、色んな大名や武将を呼んで人脈を広げる事が出来る。だから、名物茶器には一国一城の価値があり、武士が欲しがったというわけだ。

 

「ミトラ卿があれだけ熱心なら、もしかすると茶室外交が流行るのかも知れない。お前も機会があったら宗匠のとこへ行ってみるのもいいかもな」

「冗談じゃない。俺はもう懲り懲りだ」

 

 カイン卿、ミトラ卿と、立て続けに宿敵と会うことになって、まだ午前中だと言うのに、アイザックの精神は既にクタクタのようだった。この上、セト卿とも会わねばならないなんて無理だと駄々をこねたが、もちろん大国の領主を後回しにするなんて出来るはずもなく却下した。

 

 くたびれきった彼はもはや愛想笑いも出来ないとゴネたが、そもそも初めからそんなもの期待していなかった。次の相手にはそんなものは必要なかったからだ。何故なら、セト卿の屋敷を訪問したアイザックは、これまでにない歓待を受けた。経済オンチの彼は知らなかったようだが、ヘルメスとセトは勇者領を通じて経済的な結びつきが元々強かったのだ。

 

「いやあ、こうして帝都でヘルメス卿とお会い出来るとは夢にも思いませんでした。我が国とヘルメスは地続きですし、是非一度お目にかかりたいと思っていたのですが、情勢が許さずこのような場を設けていただいたことを勇者様には感謝いたします。次は是非、我が国にもいらしていただければ」

 

 ちょうど昼食時ということもあり、セト卿は豪華な食事を前に実に愛想よく喋った。鳳が出された食事をありがたく頂戴している横で、アイザックが呆然とセト卿の話に相槌を打っている。

 

 セト国はボヘミア北部に面しており、そこで産出される銀を新大陸へ輸出することで国家運営している。つまり勇者領と一蓮托生なので、元々戦争には前向きではなかったのだ。ただ、それ以上に国防をカイン、ミトラに依存しているという弱点もあり、事が起きてしまうと地理的な状況からどうしても帝国につかざるを得なかった。

 

「本当なら、こうなる前にお話が出来ればよかったのですが……そうです! 今後はこんなことが起こらないように、よろしければ我が国から大使を派遣したいのですが、いかがでしょうか。出来れば休戦交渉を前に、是非一度、個別交渉の場を設けていただければ大変ありがたいのですが」

「まあまあ、セト卿。今日のような席で戦争の話なんて野暮ですよ」

 

 セト卿はグイグイとアイザックに迫ってくる。そんな商人の勢いに飲まれているアイザックに代わって、隣で黙々と飲み食いしていた鳳がぼそっと呟く。セト卿はうっと息を呑むように一瞬黙り、

 

「そ、そうですね……せっかくの我々の出会いに、このような話は無粋でしたか」

「それに、交渉は連邦議会が中心となって行う予定になってますんで、我々には権限がないんですよ。彼もまだ、ヘルメス卿ではありませんし、全ては式典の後ということで」

「左様でございましたか。いやはや、少々勇み足でしたかな、ははははは!」

 

 セト卿はそう言って空々しく笑った。

 

 アイザックはその笑い声に、あれ? なんか様子がおかしいなと思いつつも、愛想笑いを返し、なんとなく場の雰囲気が柔らかくなったように感じた彼の腹の虫が騒ぎ出したものだから、ありがたく目の前の豪勢な食事を頂戴することにした。

 

 会談は終始和やかに進行した。セト卿の接待は一分の隙もなく、アイザックは屋敷を辞する頃には、すっかり彼のことが好きになっていた。帰り際、両手に抱えきれないプレゼントを贈られた彼は、それをお供の神人二人に託し、彼の姿が見えなくなるまでいつまでもいつまでも見送っているセト卿に、何度も振り返って挨拶しながら、ようやく屋敷を出た。

 

 軒先を曲がり、人気が無くなったところで、ようやくアイザックは感嘆のため息を漏らしながら呟いた。

 

「ふう~……君の言う通りだった。俺は今まで何と戦っていたのか……俺は彼らのことを怪物のように思い込んでいたが、話してみればカイン卿もミトラ卿もセト卿も、何も怖いことはない普通の人だった。どうしてあんな人達と戦争をしていたのか、分からなくなったよ」

「まあ、お前のせいじゃないさ。外交の窓口さえあれば、こんなことにならなかったろうに、お前の先祖はそれを怠ってきたんだから」

「そうか、そうだな……先祖を馬鹿にされるのは癪にさわるが、何も言い返せない。今度セト卿に会ったら、大使を受け入れることも検討しよう。それにしても、帝国にも話が通じる人がいたんだな。俺は短い時間だったとは言え、すっかり彼のことが気に入ってしまったよ。勇者領を通じて付き合いもあるし、今後はセト国と話し合って、もっと仲良くやっていこうと思うよ」

 

 鳳は苦笑を漏らした。

 

「あのな、アイザック」

「なんだ?」

「お前が勇者召喚を行なった原因はなんだった。確か、勇者領のリベラル派閥が、お前の頭越しに帝国と直接交渉を行おうとしていたからだろう?」

「そうだ。あそこで領内を引き締めなければ、帝国と勇者領の双方から挟み撃ちされる危険があった。それがどうした?」

「リベラル派が帝国との和平を望んだのは、帝国との経済的な結びつきが強くなってきたからだ。現在、勇者領と間接的にでも取引があるのは、ヘルメスとセトしかない。つまり、リベラルが直接交渉しようとしていたのは、セト卿だよ」

 

 そう言われた瞬間、アイザックはアッと叫び声を上げて目を見開いた。

 

「言い換えれば、ヘルメス戦争は彼の勇み足が原因で起きたとも言えなくもない。だから彼は、お前に負い目を感じていたんだよ。それから、このままお前が皇帝に臣下の礼を取ってヘルメス卿に返り咲いたら、帝国五大国と勇者領も国交が回復する。その時、勇者領との交易の中心になるのはセトではなくヘルメスだろう。彼はそれを見越して、お前と仲良くしておきたかったわけだよ」

「あ、あの野郎ぉ~……」

 

 アイザックはギリギリと奥歯を噛み締めている。

 

「怒るなよ、アイザック。お前には怒る資格なんてないだろう。本来、起きなくていい戦争が起きてしまったのは、やはりお前の失策だ。誰も不満に思うものがいなければ、戦争なんて起きることはない。お前はその不満の芽を摘みそこなったんだ」

「う、うーむ……」

「感情のまま動かずに、もっと周りをよく見ることだ。お前が馬鹿にされることは、ヘルメスが馬鹿にされることなんだと肝に銘じておけよ」

「ふ、ふん。言われずともそうしているとも」

「そうかい……それじゃあ、今日はたっぷりと、格好いいところを見せてもらおう。今日中にあと10件は回ると言っただろう。まだまだ休んでる暇はないぞ」

「お、おう……」

 

 アイザックは自分の腹をさすった。セト卿に勧められるまま、つい食べすぎてしまったが、この後を考えると大丈夫なんだろうか不安になった。出掛けに鳳が腹を空かせておけという理由が分かった。アイザックは渋々と彼の後に従いながら、今日をどうやって乗り切ろうかと考えていた。

 

 しかし、その後は特に心配することは何もなかった。最初に三大国のトップに会いに行っていたことから、後の者たちはアイザックを受け入れることに躊躇いは無くなっていた。寧ろ、挨拶回りをするアイザックの大盤振る舞いが知れ渡ると、帝都は彼の噂で持ちきりになった。

 

 高価な贈り物を受け取って気分が悪くなる人間などまずいない。このプレゼント攻勢が効いて、帝都の人々はヘルメス卿を見直し、応対は丁寧になり、返礼もどんどん豪華になっていった。

 

 こうなると全てが好意的に受け入れられるようになり、アイザックが当初引きこもっていたことも、これだけの贈り物を用意するために仕方なかったのだと、勝手に解釈されるようになっていた。

 

 挨拶回りも二日目になると、受け取る側も用意が出来ているために、対応が変わってきた。アイザックたちが挨拶に来る前から主人が玄関に待機しているようになり、贈り物を受け取った貴族たちはその御礼にと予め準備していた接待の場を設け、帰りにはお客様を無事に送り届けなさいと護衛まで付けてくれるようになった。

 

 こうして訪問する家々から護衛を付けられた結果、気がつけば彼らの背後には大名行列のような護衛の数々が付き従い、それを道行く人々が笑顔で迎えてくれるという、なんとも不思議な光景が繰り広げられるようになっていた。アイザックはその先頭を進み、実に鼻高々といった感じである。

 

 だが、楽しい事ばかりではない。彼にはどうしてもやらねばならないこともあった。

 

「あの時は、本当にすまなかった!」

 

 挨拶回りの最終日、彼は一人の官吏の家へと赴いた。それは取り立てて有力な貴族ではなかったのだが、どうしても謝らねばならないことがあったからだ。彼はアイザックが帝都にやってきた初日に追い返してしまった、皇帝から派遣された世話役だった。

 

「君が皇帝の派遣された世話役で、害意がないことは分かっていた。しかし、あの時は帝都に入ったばかりで、周りが敵だらけに思えて仕方なかったのだ。今は多くの人に触れて、帝国の人々だって同じ人間であったことを痛感している。そして、君にとんでもない無礼を働いたこともだ。俺は馬鹿だった。許してくれとは言えないが、どうか謝らせて欲しい。この通りだ」

「お顔を上げてください、ヘルメス卿」

 

 官吏はまさかあの日の無礼な若造が、こうも素直に謝罪してくるとは思わず面食らった。本当なら嫌味の一つや二つ言ってやろうと思っていたが、もうそんなことは彼の頭の中から消え去っていた。

 

「あなたのお気持ちはわかりました。私もあなたと同じ立場であれば、疑心暗鬼にかられても仕方なかったと思います。ですからどうか、私のようなものに頭を下げるなどということはおやめください」

「許してくれるのか?」

「もちろんですとも」

 

 官吏はにこやかに笑いかけると、

 

「その代わり、式典の準備では、私の言うことを聞いてくださるとお約束してください。陛下に無礼であるというだけではなく、長く続いた仕来りに反するということが、私たちにとっては恐ろしいことなのです。新しいことをすることは、誰にとっても緊張感を伴うものでしょう」

「うむ、そうか……そうかも知れない。俺も新しい場所に来て、不必要に怯えていたのかも知れない。君の言うとおりにしよう。式典ではよろしく頼む」

「かしこまりました。ヘルメス卿」

 

 こうして後顧の憂いを断ったアイザックは、盤石の態勢でヘルメス卿就任の式典に挑むことになった。それは今まで世襲で帝都に赴くことが無かったから、初代の就任以来、初めての帝国とヘルメス国との間で交わされる約束となった。

 

 しかし、彼はまだヘルメス卿ではなかったが、既に帝国の人々には受け入れられているようだった。ここ数日の貴族たちへの挨拶回りによって、彼の資質を疑うものは誰もいなくなっていた。

 

 この若きヘルメス卿の背後には巨大な人口を抱える勇者領と、そして広大な新大陸が控えている。彼らがヘルメス卿を助け、その隣には勇者が付き従っているのだから、なんの心配があると言うのだろうか。願わくば、彼が本心から帝国への恨みつらみを忘れてくれるようにと、帝国の人々は思っていた。

 

 そしてそれから暫くして、ついにアイザック11世のヘルメス卿就任の式典が執り行われることとなった。

 

 それは12世就任にあたって一度は廃された彼が、改めて皇帝のお墨付きを得て返り咲くという、記念すべき行事となり、そしてこの式典をもって、帝国と勇者派との間で長く続けられた勇者戦争の終結も見えてくるという、正に歴史的な日であった。

 

 アイザックは彼の世話役の官吏に、帝国人の正装である金糸を散りばめられたトーガを着せられて、今正に皇帝のいる謁見の前の前に立っていた。今日のこの日のために、多くの人々が彼にアドバイスしてくれた。カイン卿、ミトラ卿、セト卿、五大国の重鎮たち。それから帝都に住まう皇帝の官吏たち。背後には、いつも彼に付き従ってくれた神人二人、ペルメルとディオゲネスが控えており、そして隣には勇者・鳳白がいた。

 

 もはや何も恐れるものはない。だと言うのに、アイザックはこの土壇場まで来て、まだガチガチに固まっていた。鳳はそんな彼の気を紛らわせるつもりで、軽く肩を叩いて言った。

 

「おい、今からそんなガチガチでどうするんだ。式典はまだ始まってもいないんだぜ。そんなんじゃ終わるまでに石化しちまうよ」

「……なあ、鳳白。本当に、これで良かったのだろうか?」

「なに? まさかこの期に及んで怖気づいたのか?」

 

 鳳がぎょっとして尋ねると、しかし、アイザックは首を振って、

 

「そうじゃない。ただ、本当にこのまま皇帝に頭を下げても良いものかと考えてしまうんだ。もちろん、俺は皇帝に含むところはない。カイン卿や、ミトラ卿、セト卿に対しても、もはや恨みは何もない。だが、俺がそう思うからって、ヘルメスが帝国の傘下に入るような真似をしても……勝手に戦争をやめてしまってもいいのだろうか。

 

 それじゃあ、今までの300年間はなんだったのか。俺の前に勇者派を率いて帝国と戦い続けた10人の先祖や、勇者を慕って命を散らしていった先達たちは、ただの無駄死にだったのだろうか。彼らの死を思うと、こんなに簡単に事を決めて良かったのだろうかと思えて仕方ないんだ」

 

 鳳はそんなアイザックの気持ちがわかるような気がした。しかしそれとこれとは話は別だ。

 

「なるほど……まあ、確かにそうだろうな。彼らの死を思えば、ここで頭を下げるのは得策ではないかも知れない。勇者領にも、白黒つくまで戦い続けるべきだという声もまだ多く聞かれる。何なら彼らを率いてヘルメスが独立するという手もあるかも知れない」

 

 鳳がそんなことを言い出したのを聞いていた、帝国の兵士たちがぎょっとした表情を見せる。彼はそんな兵士たちに向かって苦笑しながら、早く謁見の間の門を開けろと指示した。

 

 ゴトゴトと大きな音を立てて、石造りの巨大な門が開かれていく。

 

「だが、誰がなんと言おうが、今はお前が権力者なんだ。お前が国を手放さない限りは、お前が国をどう変えて行きたいかが、すなわちヘルメスの未来なんだよ。昔の人を思って戦争を続けたいなら、それもまたお前の決断だろう。その場合、ここで踵を返してしまえばいい。だが、よく見ろ、アイザック」

 

 鳳は彼の肩を乱暴に抱き、門の向こうに広がる謁見の間を指差しながら言った。

 

「ここに居並ぶ人々は、みんなお前を待っている。お前が着ているその服は、この国の五大国の領主しか着ることが出来ない最高の栄誉あるものだ。そして、目の前におわす皇帝の右側を見ろ。あそこは皇帝の最も信頼する者だけが立つことを許される場所だ。カイン卿が、今日はお前のためにそこを開けて待っていてくれたんだ。みんなが、お前を迎え入れようとしてくれているんだよ。

 

 お前はこの先、誰と共に歩んでいきたいんだ。そしてどんな風に、国を導いていきたいんだ。そこは血で血を洗う戦場か、それとも平和な未来なのか。ご先祖様に報告して、恥ずかしくない方を選べよ。さあ、今日はお前が主役だ、アイザック。思うがままに、お前を演じてこい」

 

 鳳はそう言ってアイザックの背中をパンと叩いた。バランスを崩したアイザックが、たたらを踏んで一歩踏み出す。じわじわと地面から足の裏に重力が伝わってくる……まるで、活力が漲っていくかのようだ。彼はそんな地面を踏みしめ背筋を伸ばすと、もはや迷いは無いといった瞳で、真っ直ぐに前を向いた。

 

 その日、ヘルメス卿アイザック11世は、神聖皇帝エミリアに臣下の礼を取って、ヘルメス領の帝国への復帰を内外に示した。これにより、ヘルメス国はカインに次ぐ五大国二位の国とされ、帝都に領事館が作られる運びとなった。

 

 ヘルメスは帝国と勇者領との独占的な交易権を持ち、それが帝国に巨大な富をもたらすことは間違いなかった。こうして、300年の長きに渡る勇者領との戦争が、いよいよ終結に向けて動きだしたのであった。間もなく、勇者領から連邦議会の特使が帝都へ到着するだろう。それにより、ついに真の平和が訪れるであろうことを、誰もがみな期待していた。

 

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