ラストスタリオン   作:水月一人

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サービス終了の日

 人払いした室内は驚くほど静かだった。時計がカチカチなる音も無ければ、どんな機械音もしない。ついさっきまで起き抜けの小鳥の囀りがピーチクパーチク煩かったが、いつの間にか飛び立ってしまい、今はどんな音も聞こえてきやしなかった。

 

 そんな耳鳴りがするような静寂の中で、光を受けて輝いているソフィアのドレスを見ていたら、なんだか夢の中に迷い込んでしまったような、そんな気分になった。彼女の赤い瞳が何もない空中にぼんやりと浮かんで見える。確かメアリーは紫色の瞳をしていた。ゲームのソフィアは青い瞳をしていて、魔法を使うと赤く変化するキャラだった。なんてことはない。彼女はこの世界でもちゃんとロールプレイしていたのだ。

 

 細かい埃が宙に舞って、窓から差し込んだ光が幾筋もの光のカーテンを作り、彼女の姿を覆っていた。そんな幻想的な姿を見ていたらいつまでも時が過ぎてしまいそうな気がして、埒が明かないと思った鳳の方から、沈黙を破って声を掛けた。

 

「お前はエミリアだったのか……?」

「違うわ」

「エミリアの親戚とか……俺が知っている誰かなのか?」

「それも違う」

「じゃあ、ソフィアって何者だったんだ」

 

 彼女はその問いかけに敢えて時間を掛けるかのように、カップをソーサーごと持ち上げて、左手にソーサーを添えながら、右手にカップを持ち、その中身を音もなく飲み込んだ。それがカチャカチャと音を立ててテーブルに戻されると、彼女はまたピンと背筋を伸ばして鳳のことを正面に見据えながら言った。

 

「私は、あなたの父親が作った……AIよ」

「……AI?」

「そう」

 

 彼女の答えは非常にシンプルだった。だからそれ故に分かりやすくもあった。ああ、そういうことかと、すんなりと腑に落ちた。あのゲームはVRMMOと言っても、操作するキャラクターはみんなアバターだったのだ。中にはジャンヌみたいに、女性キャラを演じる男もいたし、単純な作業を繰り返すBOTもいて、たまにBANされていた。

 

 機械がゲームを操作するなんてことは、考えてもみれば大昔からある技術なのだ。そこに、人間のように受け答えするAIが混ざっていてもおかしくない。問題は、何故そんなものがいて、エミリアのふりをしていたのかだが……

 

「それが結局、問題の核心部分なのよ。あなたの指摘した通り、私があのゲームで灼眼のソフィアというキャラを演じ始めた時、既にエミリアはこの世を去っていた。つまり私は、最初からあなたを騙すために、あなたの父親に作られたのよ……いえ、作ったのは、もちろん彼の企業の研究者なんだけど」

「なんで親父はそんなことをしたんだ?」

 

 鳳は自分でそれを聞いておきながら、心の中はものすごく嫌な予感でいっぱいだった。心臓がバクバク鳴っていて、脳内でおかしな薬物が分泌でもされているのか、ものすごい勢いでいろんな言葉が飛び交っていた。ゴールはとっくに見えているのに、そこに至るのが嫌でわざと迷路を遠回りしているような、そんな感覚だった。

 

 ソフィアも同じような感覚だったのだろうか。彼女はよほど言いたくない様子で、何度もティーカップを手で弄びながら、やがて徐ろに前置きも無しに言った。結局、どう取り繕っても、どうにもならない現実がそこにはあったからだ。

 

「彼女は……あなたが事件を起こした直後、衝動的に自殺を図ったのよ。実は彼女は、妊娠中絶した後の予後が悪くて、世を悲観していたんだけど……」

「……妊娠? ……中絶? ちょ、ちょっと待ってくれ、そんなの知らない。どういうことだよ」

「どうもこうも……」

 

 ソフィアはよほど言いづらそうにため息を吐いていた。藪睨みする鋭い眼光が彼の胸元あたりで小刻みに動いていた。悔しそうに唇の端を噛んだあたりがほんの少し赤かった。それは彼女のモデルになった人に起きたことだからか、それとも彼女が女性であるからだろうか……

 

「合意であろうがなかろうが、やることをやれば子供は出来るわ。エミリアを襲った相手は、そんな取り返しもつかないことすら考えられない子供だったから、当然、避妊なんてしようともしなかった。旅行から帰ってきた彼女は両親に言えず、一人で問題を抱え込んでいたんだけど、9月が過ぎて学校に行きたくないと言いだした頃になって、ようやく彼女の身体に変化が起きていることに、両親は気づいたのよ。

 

 すぐに病院に連れて行って、中絶手術を受けさせられて、彼女は心身ともにズタボロになった。当然、両親は中学を通して相手を訴えようとしたけど、前代未聞の不祥事に学校は及び腰で、相手の親の中には偉い人もいたらしくて、寧ろ不祥事を隠蔽しようとした。そして相手は徒党を組み、多数の論理で封じ込めにかかった。相手が責任能力の無い中学生で、ご両親が外国人だったのも問題だったみたい。こういう時に頼れる相手がいない異国の地というのは、本当に冷たいのよ。

 

 そんなままならない日々が続いた頃だった。両親はくたびれ果て、家の中から会話が途絶え、彼女の体調は日を追うごとに悪化していった。そんな時、あなたが事件を起こした。それはどんなに訴えても、のらりくらりと交わす相手に痛打を与える出来事だった。ついにマスコミが騒ぎ出した。だから両親は喜んだ。でも、彼女は違ったわ。彼女は……あなたが彼らに仕返しをしたと知って、寧ろ、あなたに自分が汚されたことを知られたと感じたんでしょう」

 

 そして彼女は衝動的に命を断った。自宅近くのマンションから飛び降りたのだ。

 

「俺が……とどめを刺したのか?」

 

 喉がカラカラで、かすれて殆ど声になっていなかった。かろうじてそれが耳に届いたソフィアは黙って首を振った。そんなわけはない、彼は何も悪くない……だが、結果として彼のその行為が、彼女の背中を押してしまったのも事実だった。

 

 鳳はあまりのショックで胃がねじ切れそうな痛みを感じていた。何も知らずに、ただ自分の正義を振りかざそうとして、結果的に守りたかったものを傷つけてしまっていた。彼はそんな過去の過ちを後悔したが、それ以上に、あいつらを仕留めそこなったという後悔の念の方がよほど強かった。

 

 警察署に連行された彼を殴りつけ、顔を真っ赤にして叫んだ父親の言葉が、今も頭の中で何度も何度もリフレインしている。

 

「そうとは知らず、釈放されたあなたはエミリアに会いに行ったわけだけど、ご両親はそんなあなたを拒絶した。事件を起こしたような人に、娘を会わせることは出来ませんと……本当はあなたに感謝していたんだけど、真実を話したらあなたがショックを受けると思ったんでしょうね」

 

 なんとか相手を訴えようとして、世論を味方につけようとしていた彼らは、今度は逆に事件を隠蔽する側に回ったのだ。その後、鳳はエミリアに会えず、悲嘆に暮れて家出してしまった。父親はそんな彼を無理矢理連れ戻しても駄目になってしまうと考え、敢えて見守ることにしたらしい。彼はそんなこととは露知らず、半年間のホームレス生活の末、爺さんを助けるために父親に頭を下げて、家に帰ってきた。

 

「家に帰ってきたあなたは気力を失っていて、まるで廃人みたいだったようね。食欲もなくて、返事も虚ろ、もし事実を知ってしまったら、そのまま死んでしまいそうな危うさがあった。だから父親は一計を案じたのよ……当時、研究中だったAIを使って、オンライン上にエミリアを復活させようとした。それが、私……」

 

 鳳グループはその頃にはIT企業を脱し、様々な企業の複合体になっていた。その中には例のVRMMOの開発元もあり、ソフィアはそのゲームのアバターを操作するAIとして開発がスタートした。しかし、人のふりをするというAIは、当たり前だが開発が難しく、当初はかなり難航していたらしい。

 

「簡単に言うと、当初の私は人間味が無かったのよ。だから最初はエミリアの両親の協力を得て、それっぽい演技をするAIを作った。そしてボロが出ないように、灼眼のソフィアという比較的無口なキャラクターを演じることにした。それでもたまに挙動がおかしくなるから、私のサポート要員として一緒にゲームする人や、そもそもゲームが成り立たないといけないから、サクラとしてプレイヤーも募った。

 

 そうしてエミリアのふりをしながらゲームを続けていた私は、機械学習が進んでいくうちに、どんどん人間味を増していった。あなたの父親は私を完璧な人間にしようと、開発資金に糸目をつけなかった。それは鳳グループが傾くほどの執念だったんだけど……結果的に彼はその賭けに勝って、私は世界で初めて自然言語を理解し、人間と同じような動画処理を行える、自律型のAIへと成長した。

 

 そして私は、みんなとゲームをしたり、おしゃべりをしたり、たまにはガチャで爆死したり出来るようになった。あのゲームの中でだけだけど、新しいことにチャレンジしたり、おしゃれをしたり、そして恋をした……

 

 つまり、あなたの父親は、あなたを完全に騙すという目的のために、人間と同じように行動し考えるコンピュータを作り出してしまったわけ。これが私、灼眼のソフィアであり、そして、後にDAVIDシステムと呼ばれるAIの誕生だった」

「じゃ、じゃあ……もしかして、お前がデイビドだったのか?」

「違うわ。私はそのプロトタイプみたいなものよ。本物のDAVIDは、私なんかとは比べ物にならないくらいの処理速度を持つ、量子コンピュータによって運用されることになるはずだった。まあ、私はそれを見たわけではないし、AIは実態が無いから、今となってはもうどうなっているか見当もつかないけど……」

 

 ソフィアはパソコンくらいの性能、DAVIDはスーパーコンピュータで運用されていたといった感じだろうか。彼女はプロトタイプとしての役割を終えたら、成長もそこでストップしたが、DAVIDは時代が進みテクノロジーが発展する限り成長し続けるから、今現在ではどのくらいの能力があるか、もう誰にも想像がつかないというわけだ。

 

「そんなわけで、当初こそエミリアの代わりという目的のために産み出された私は、いつの間にか前人未到のシンギュラリティに到達しうるAIへと進化していた。このまま、ただ漫然と同じゲームを続けさせるよりも、本格的な調査のためにあのVRMMOとは切り離して、開発を次の段階へ進めようという動きが加速していった。

 

 その頃にはもう、あなたも事件のことを忘れて、大分落ち着きを取り戻していたから、ゲームを終わらせても問題ないと父親たちは考えて、そしてついにサービス終了の日がやってきた。

 

 私は、サービス終了と同時に自分の役割も終わると思っていたから、あなたに呼び出されても会いに行くことは出来なかった。きっとゲームが終わったら私の記憶は消されて、また別の機械学習のための舞台が用意されるんだと思ってた。

 

 ところが……サーバーがシャットダウンされて、次に目覚めた時、私は『神の揺り籠』の寝台の上にいて、何故かこの世界でただ一人の神人になっていたのよ。私はまた別のゲームが始まったのかな? って思ったんだけど、どうも様子が違う気がして……他にやることも無かったから、そこにあった機械を詳しく調べてみた。後は想像がつくでしょう?」

 

 彼女は『神の揺り籠』の中から、自分を元に開発されたDAVIDが第5粒子エネルギーを発見し、リュカオンが生み出され、徐々に地球人類が追い込まれていく、過去の動画を発見した。そして自分がその動画の中に登場する神人になったのだと理解した彼女は、以来、魔王に唯一対抗できる軍勢として、神聖帝国を率いてきたというわけだ。

 

 鳳にはそれがすぐわかった。だが、理解は出来ても、まだ疑問は残っている。

 

「何でこんなことになってるんだ? 目覚めたら長い年月が過ぎて、地球文明が滅んでしまっていた。ここまでは分かる。しかし何で俺たちは、地球ではない別の惑星で目覚めたんだ。ここに至るまでに地球人類に何があったんだ?」

「はっきりとしたことは、わからないわね。多分だけど……『神の揺り籠』を調べた限りでは、人類は身体を量子化したあとに、地球をラシャに明け渡してしまったみたい。永遠の命を手に入れた神人たちは、もう肉体の進化を望まなくなっていた。だからもしかすると神人たちは、量子化された自分たちのデータだけを乗せて、宇宙を旅したんじゃないかしら。そして長い年月が過ぎて、この星にたどり着いた後、私が目覚めた……」

「何故、ソフィアだったんだろう? それから、何故、目覚めた先の惑星に、既に魔族が存在していたんだろうか? 人間と獣人も、どこから現れたんだ?」

「宇宙を旅する播種船に、コールドスリープした人間や、リュカオン製造機も乗せていたと考えれば辻褄が合うんじゃない……?」

「いや、それは考えにくいだろう。自分たちが地球にいられなくなったから逃げてきたというのに、それじゃわざわざトラブルを持ち込むようなものだ。現にこの世界は、定期的に現れる魔王に苦しめられているわけだし」

「……でも、他に考えようがないのよ」

「無理に答えを出す必要は無いだろう。まだ条件が出揃ってないのかも知れない……そう言えば、創世神話は? あれは、お前がこの世界の人達に流布したのか?」

 

 今のところ創世神話は、過去の地球で起きた出来事を端的に表しているようだった。しかし、それをわざわざ神話の形にして、ソフィアが人々に聞かせる理由はどこにもない。案の定、彼女はそれを否定し、

 

「あの神話は、いつの間にか国民の間に広まっていたのよ。この世界に降り立った私は、とにかく魔族と戦うために神人を作り、現地の人々を集めて回った。それがようやく国として機能し始めた頃には、あの神話は既に広まっていた」

「じゃあ、誰があれを広めたんだ? P99を操作した神人が過去の動画を見つけて、あの神話を創作したって可能性は……」

「考えにくいわ。あれは帝国の根幹に関わるものだから、私以外には操作させないように厳重に封印していた。唯一、私が魔王化したあとのことを考えて、エミリアにだけは起動法を伝授しておいたんだけど……」

「エミリアって……ああ、皇帝のことか……ん? そうか! 四柱の最後の神、エミリアってのはどこから出てきた? 俺たちの知ってるエミリアは既に死んでいたとするなら、それじゃあこいつは何なんだ……?」

 

 ソフィアは黙って首を振った。わからない……ということだろう。鳳はため息を吐いた。彼は今まで、真祖ソフィアと神エミリアは同一存在だと思っていた。だが、今日、こうして話した限りでは、目の前の彼女と神エミリアはどうやら別人のようである。そして神エミリアと幼馴染のエミリアの関係性も、まだ何も分かっていない。

 

 結局、まだまだ分からないことだらけなのだ……この世界は。

 

 ラシャに席巻された地球がその後どうなったのか。死んだはずのエミリアは、それにどう関わっているのか。何故、AIのソフィアが、この世界で最初の神人として目覚めたのか。別の誰かではいけなかったのか。

 

「……わからないことだらけだが、はっきりしていることも一つある。このままだと、今度は俺が魔王化するってことか」

「それは……ごめん。私が、あなたのことをこの世界に呼び出さなければ、こんなことにはならなかったのに……」

「その場合は、この世界そのものが魔王によって滅ぼされていたんだろうから、仕方なかっただろう。別に恨んじゃいないよ……それに、まだ諦めたわけじゃないんだ」

 

 300年前、魔王になりかけた勇者は、レオナルドたち仲間の記憶を奪ってこの世から忽然と姿を消した……結果的に魔王は現れず、まあ、戦争だらけだったわけだが、この世界は魔族からは脅かされずに平和を保ってこれたのだから、なんらかの回避する方法はあるはずだ。

 

「話してくれてありがとう。引っ掛かっていたことが解決して、すっきりは……全然しないけど……」

「うん」

「でも、これでもう過去を振り返らずに、前を向けそうだ。いや、逆かな。俺たちがこんなことになっている元凶には、どうもこの四柱の最後の一柱、エミリアが関係ありそうだ。こいつが何者かは分からないが、引きずり出してなんとかして貰わなければならない。俺は化け物になんてなりたくないからね」

「そうね……そのために協力できることがあれば、なんでもするわ」

「……お願いするよ」

 

 そんな話をしていると、間もなく応接室のドアがノックされて、執事のセバスチャンがやってきた。どうやらそろそろ皇帝が帝都へ戻らなくてはならないらしい。気がつけば大分時間が経ってしまっており、彼女のことを待たせてしまっていたようだ。

 

 鳳は気を取り直して、ほっぺたをパンと叩いて立ち上がると、ソフィアを従えて皇帝の元へと向かった。

 


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